人の心は不定形の化物みたいなものだ
例えば
人の為と感情を動かすとする
しかし、結局は自分の為でないかと考えて戒める
戒めた自分も、他人からよく見られたい故のアピールと考える、以下略
けど、それはきっと事実の側面の一つなんだろう
そして、意図も真意も分からない不定形な自分の意思に苦しめられることになる
そこにあるのは現象であって行動でない
だから、もとになるのも動機でなくて原因に過ぎない
そこに、人間的な理由(例えば、よく見られたいだとかアピールだとか)はない
機械的な成ルートがあるだけだ
それでも人は、自らわざわざそこに動機づけをする
「~だから~した」と
そうして、不定形な自分の意思に食いつぶされて行って、死んでいく
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