はてなキーワード: ドングリとは
前の職場の主要関係者2名がポンコツと反社だったんだけど、彼らが重視してることと、
学歴があったり、上昇志向が強い人間が重視してることって明確に違うよな。
反社はケンカや威圧、組織内のドングリの背比べが一番興味があって、
ポンコツは他人もポンコツだと思ってるから、ポンコツ以外の人間がどう考えるかを知らない。
いずれも共通してるのは、同じ低レベルの次元に他人を引きずり込むことが仕事だと思っていること(ここ重要)。
彼らは新しい世界、知的な世界というものに対して、恐怖のようなものを感じている。
もしあなたが反社やポンコツと会話するために自分のレベルを下げたり、ブレーキかけないといけないのなら、
日本での人工栽培の開始は1993年だが、生産量が増えはじめたのは2000年ごろから。
2000年11月3日放送のミュージックステーションに出演した桑田佳祐が、
「エリンギにハマっている」と紹介したことから売上が10倍になったとの逸話がある。
1990年代から中国や東南アジアで養殖されるようになり、その養殖のしやすさから生産が急増して、
世界的には2005年までにブラックタイガーを抜いて、養殖エビの大半を占めるようになった。
日本に輸入されるようになったのは2006年頃からと言われる。
2013年に全国各地のホテルが「芝海老」と称してバナメイエビを出していたことが発覚して問題となった。
スペインで生産されている豚の品種で、最高級のイベリコ豚はドングリで育てられていることで知られる。
以前からハムに加工された形で輸入されてはいたが、「調理用の豚肉」として日本に初めて輸入されたのは2003年である。
ヨーロッパでの豚熱の流行を理由に禁止されていた豚肉の輸入が再開されたとき、
2年間の熟成が必要なイベリコ豚のハムは輸入再開が遅れたため、代わりに生肉が輸入されるようになったという。
英語ではコリアンダー、中国語では香菜と呼ばれ、「パクチー」はタイ語に由来する。
日本も含め、世界的に古くからハーブやスパイスとして利用されているが、
2007年に開業したパクチー専門店「パクチーハウス」が、食材としてのパクチーをふんだんに用いて、パクチーブームを巻き起こした。
本来のタイ料理では、パクチーはシソやパセリのような使われ方をしていて、「パクチーだけを山盛りにして食べる」というようなことはない。
他にある?
以下追記。
日本への輸入は1970年代に始まり、その輸入量を徐々に増やしてきた。特に2003年ごろと2012年ごろに輸入量が跳ね上がっている。
食材としては2000年以前から利用されてきたが、スーパーなどで当たり前に手に入るようになったのは2000年以降と言えるか。
1993年ごろから徐々に輸入が増え始めていたが、特に2001年ごろから韓国産のパプリカが輸入されるようになったことで急増した。
アボカドと同じく、スーパーなどに多く置かれるようになったのは2000年以降と言える。
が、沖縄料理が広まると共に、本土でも「ゴーヤ」として知られるようになった。
ヒカリの父親が「うちの娘は下ごしらえが上手だから美味しい」みたいなことを話していたと思うけど、下ごしらえが重要な具材ってなんだろう?
一つはアクの強い食物。例えばタケノコとか。もしかしたらドングリなんかも食べるのかもしれない。
ただ、絵は植物という感じではなかった。青っぽい皮のようなものがついた白い身に見えた。
ただ、あの世界にクジラはいないと思われ、そうなるとペンギンなのかなぁという気がする。
青っぽい皮してそうだし皮下脂肪が多くて臭みを取るのに下ごしらえが重要になりそうだし。
シンジ君が来たからとペンギンをしめてご馳走を作ったのかもしれない。しめたわけじゃなく塩漬けかもしれない。でも塩だって貴重だろうから塩漬けは作らないのかな。
というわけで、あの料理の具はいったいなにが予想されているのか知りたい。
普通、手で稲を植える時は後ろ向きに進むらしい。作中のように前向きで進むと植えた苗を踏むかもしれないから。実際そっくりさんは足を取られて植えたばかりの苗をダメにしている。
どうして前向きで植えたのだろう?
あそこまで小さい棚田だと後ろ向きは転落などで危ないから前向きに進んだのではないか説、元々農作業をしていない人たちが始めたから素人っぽさを出す演出説を確認できたけど、それ以外にはないのだろうか?
例えばプラグスーツのお尻が破れていたからとか。それとも前向きで田植えをすることは珍しくない?
テレビ版を見ている人にとって加持君の印象はだいたい共通したものがあると思うけど、新劇のみを見た人は加持君の印象ってどんな感じなのか知りたい。
鑑賞中、アスカはケンケンに加持君の代理を求めているのかと思ったけれど、あとから考えると新劇でアスカは加持君にちょっかいを出していないので、それは明らかに間違いだと気がついた。
新劇だけを見た加持君はどんな印象で、シンを見て違和感とかないのだろうか?
マリの描写が足りないのでは?という意見はよく見かけるけど、そういう意見を持つ方にとって加治君の描写は十分だと考えているのだろうか?
冒頭のパリ奪還でいつものようにマリは歌っているけど、真実一路のマーチだけ歌いかたが可愛くない?
マリっていうよりも坂本真綾が演じる他のロリババアみたいな感じで、演出の意図だと思うけど、意図が全くわからない。
あと、あそこでリツコの台詞が「カチコミ完了」に聞こえるんだけど「書き込み完了」?
書き込みだと思うけどシンは変な語感の言葉多くない?ニアサーとか。
ニアサーという略し方は矮小化することで実はそんなにシンジ君を恨んでいなかったという演出なのかと思うけど、引っ掛かる言葉が多かった。
私も庵野、庵野というのがイヤなタイプで、そもそもどれが庵野秀明が意図したものでどれが庵野秀明以外のスタッフが意図した演出なのか私は知らない。
決裁という意味ではすべての演出に庵野秀明は関わっていると思うけど、そうではなくエヴァンゲリオン博士は見分けているのかもしれない。
なので、どこをどのくらい庵野秀明が関わっているのか、その見分け方を知りたい。
求めている答えとはズレているとはわかりつつ、子供が生活にいることの変化について。結論を言えば、自分の人生に引導を渡された感じがする。私個人としての生きがいや社会的役割の追求はここまで!と諦められた感じ。学生の頃からひとかどの人間になるように育てられ、社会参加しようと肩肘を張って頑張ってきたけれど、妊娠出産育児でまったく社会的なスケジュールと折り合いがつかなくなり、むしろ社会的には弱者になって助けられる立場になった。字にすると悲惨だけど、心は穏やか。私の航海は終わり、陸に上がってあとは暖かな家庭を築く極めてパーソナルな人間になればいいのだなと啓示を受けた感じ。そう思えるくらい、子供が生まれて初めて「家庭」という雰囲気が我が家にやってきた。
結婚してから数年選択的子なし夫婦だったため、その雰囲気は家庭というよりカップル、親密な同居、そういうものに近かったと思う。それはそれで悪くなかった。収入はお互い足りているし、時間は自由だし、生活に成約は何もなかった。互いのワガママが衝突してたまに喧嘩をし、互いとも尊重しあいたいから謝って仲直りするみたいな二人組。子供がいると違う。圧倒的に制限が増え、責任も重くなり、互いを見る関係ではなく、共にこのコントロール不能な生き物を守り育てるチームとなった。共に家庭の戦士となった。
甘やかで自由なシャレた雰囲気は私達の間から消えてしまったけど、今まで知らなかった相手の良いところをたくさん発見した。合理性を求めて理詰めで人を脅すような気質が、子供相手だとなりをひそめた。そういう行動は、心身ともに万全な恵まれた人ができることで、社会の大半を占める子供や老人や元気のない人間には求められないことを学んでいた。つまり戦士になって優しくなった。私はますます好きになった。
子供は可愛い。見た目の愛らしさや動作、無垢な発言が可愛い。でもその可愛らしさに一元的に癒やされる以上に、道にドングリが落ちるようになったとか、電車がトンネルを通過したとか、バイバイができて褒められてなんか照れちゃうとか、世界には楽しくて嬉しいことがいっぱいあるよね!と共感する機会が増えて毎日が楽しくなった。伊勢丹も夜中のお酒も弾丸海外旅行もトレたまも全部手放したけど、子供と共に世界を再発見する毎日が楽しい。水たまりに空が映ることが嬉しい。
この子供が育ち親が死に私達もお互いに歳を重ねて泣きたくなる出来事が重なりもするだろう覚悟している。就職して結婚して数年間手にしていた経済的、時間的、精神的な自由と気楽さはもうないけれど、このまま暖かで互いを思いやる良い家庭を育てることができれば、どんな不幸が降ってきても、この家庭がある限り大丈夫、そういう家庭を作るためなら自分の色々は諦めても大丈夫、この子が世界の良さを教えてくれるからそれについて行けば大丈夫、そう思って日々暮らしている。
街の本屋に少しでも貢献したいっていう心境で、できる限り書籍やマンガなど、書店で買うことにしている。
自分でも少し珍しい(というか、単に時間の使い方がトンチンカンなのか)と思うことに、俺はただ本を買うためだけにぶらっと外出することがあって、大抵はみんな何かの用事や仕事帰りとかに寄るものだと思うんだけど、マジで手ぶらで家を出てきて、本屋に行って帰ってくる。
本買っても袋もらわない。邪魔じゃんな。有料になった昨今ではなおさらのことだ。
ただ、それが問題になってくるときがある。本買った帰りに、気まぐれにコンビニ寄りたくなった場合がそう。
完全にムキ身で本とか漫画とか持ってるので、店員からしたら店内の商品とぱっと見区別つかねえよな…と思う。けっこうな頻度で思う。
それが文庫本とか、マイナーな漫画とかだったらまだいいんだけど、そこそこ人気のある漫画作品あたりになってくるとかなり怪しい。
ジャンプの中堅どころとか、青年誌の看板作品あたりとか、このあたりから個人的に一線を超えてくる。コンビニでも取り扱ってたりするので、店内に一歩入ったとたんに、もう識別がつかない。
心配が高まりすぎて、一時期はコンビニ近くの植え込みに、リスがドングリを埋めるようにして隠したりして、「俺は何をやってるんだ…」という感じだった。
さすがにもう面倒くさくなったのでやらないが、それでも、漫画を小脇に抱えつつレジで会計してるときとか心臓に悪い。
「俺、清涼飲料と酒のつまみのコーナーしか通ってないよね。見てたよね…。だからこれは違うんだよ…」と、わかるよね、とすごい店員さんに目で訴えかける。店員は無表情でピルクルとチータラの会計とかしている。支払い終わった後、なぜか「許された…」と、どっと疲れる。
めんどくせえし、いちいち訊かねえよな、という気もするが、万が一それが店内の商品で、あとで在庫合わなくなったらドヤされたりするんだろうか? コンビニバイトの経験ないんでよくわからん…。
とにかく、そういうのを2週間に1回くらいやらかしてる。
誰でもわかるが、出がけに自分で袋を持っていけばすべて解決するだろう。来世はそういう知恵が回る頭に生まれたいものだと思っている。