はてなキーワード: シングルベッドとは
木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。
別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。
彼が敬愛する歌手のコンサートのチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体がほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。
隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。
楽しかった。
時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。
ついぞ果たされることは無かったが。
木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。
私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。
告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ。小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。
その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこからは恋人が出来ても長く続くことは無かった。
もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。
私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。
彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。
僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。
嬉しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。
間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱が最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。
「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。
それからの日々は怒涛だった。仕事、洗濯、食事の支度、お風呂、睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。
食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。
なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。
それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。
でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた────。
私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。
「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。
付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。
私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。
そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。
一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫も電子レンジも全て譲ってしまった。
彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。
「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。
ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたがシングルをもうひとつ買えば?」
私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか。
何故そんなに自分のシングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。
私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。
この人は一つも、私たちの生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。
それから、こう続いた。
新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。
あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。
…ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。
もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。
買った。
でも直ぐに許せなくなってしまった。
詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。
交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。
もう終わっていたんだなと、ふと思った。
ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。
同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。
来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。
手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。
フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。
彼は賢いと思う。
本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。
この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。
友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。
終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。
マットレスが届いたら。
まっさらのダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。
ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。
私が大人になってから、母はたまに「自分は毒親育ちだった」と言うようになった。
もう何年も前に亡くなったが、私にとっては少し偏屈なおじいちゃんにしか見えなかったけれど、たまに母が語る。
本当はやりたいことがあったのに女は勉強などするなと女子大に進むことしか許してくれなかった。
かなりの偏食家で、みんなで食べる夕飯のはずなのにおばあちゃんに必ず自分専用の別メニューを用意させていた。
そんなことを、ポロポロと話してくれることがあった。
でも決して感情に任せて私にぶつけるのではなく、わりとコミカルに話してくれる。
私にとっての「おじいちゃんの家での思い出」が壊れないように、上手に話してくれる。
私がまだ子供だった頃、母はなかなかヒステリックだったと思う。
私の軽はずみな一言や行動で感情が一気に昂り、大声で怒鳴り、思わぬ行動に出る。
部屋を散らかしっぱなしにしていると図書館で借りてきた本を捨てられそうになったり。
ランドセルに油性のペンでテストで取った取ってしまったひどい点を書かれたり。
学校からの手紙をかなり溜め込んでしまっていたのがバレて、怒鳴りつけられ物を投げられ3日ほど口を聞いてもらえなくなったり。
原因は全て私だが、母の地雷がどこにあるのかあの頃のアホな子供の私には分からなかった。
些細なことで怒る、そして怒ったらどうしたら落ち着くのか分からない、厄介で恐ろしく思えた。
正直、これが原因で私は親くらい年齢の離れている女の人が少し苦手だった。
でも、もちろん年がら年中怒っているわけではない。むしろ怒っていない時のほうが多い。
料理がうまくて、裁縫もできて、絵もうまくて、映画の趣味が良くて、話が面白くて、頭の回転の速い、大好きな母だ。
母は言う。
「私はお父さんと結婚できたから普通になれた。お父さんがすごい」
おだやかで優しくて、家族が大好きで、お酒はあんまり飲まなくて、しっかり者で誠実で、たまに天然でおちゃめ。
働き者で、愚痴はほぼ言わず、休日は一緒に遊んでくれた。最近では早起きしてコーヒーをいれて掃除をしたり洗い物をしていたりするらしい。
不機嫌なところなんてほとんど見たことがない。普通……じゃなくて聖人だ。
私が模試でひどい点を取ったか何かで(そしてたぶんそれを隠そうとしてバレて)母が私の存在をまるっきり無視していた日があった。
家の中がピリついて居心地が最悪な日に帰ってきても、穏やかに静かに、けれどちゃんとリビングに居た。
これってすごいことだったと思う。仕事で疲れて帰ってきたのに家の空気が最悪だったら収まるまでどこかで時間を潰してきたって良かったろうに、あの嫌な空気を一緒に耐えてくれていた。
「母を怒らせたのは私の落ち度だけど、なにもあんなにヒスんなくても良くない?」と父に愚痴ったこともある。
「確かにあれはちょっと異常だと思うよ」と父が言ってくれて、私はそれにすごく救われた。
そうか、あれってやっぱ変だよな。私だけが悪いんじゃないよなってほっとした。
夜中、トイレに起きて自室からそっと廊下とリビングを隔てるドアに耳を当てると、母が泣きながら父に相談しているのが聞こえた。
父は寄り添うように母に何かを答えていて、父は私だけの味方じゃなくて家族の味方なんだなぁと思ったのを覚えている。
大人になるにつれて怒られる回数も減っていき、穏やかな家になった。
私は実家を出て一人暮らしを始めて、そしてたまに実家に帰ると仲のいい両親が迎えてくれる。
子はかすがいなんて、たぶん嘘だ。少なくともうちは当てはまらない。私がいない方が両親はきっとずっと仲が良かったろうにと思う。
私がいなかったら母はあんなに怒鳴って泣いて過ごすことにはならなかったし、父も居心地の悪い家に居る必要もなかったはずだ。
それでも、実家に帰ると二人は私を歓迎してくれる。
母は料理を張り切ってくれて、父は「iPadの設定がわかんないから教えて」と私を頼ってくれる。
良い家族だ、すごい。一人も壊れることなく暖かい家族をちゃんと形成するってすごい。
私には、こんなすごいことできないなと思うようになった。
怒って泣いて「そんなにお母さんのことが嫌い!?」と叫んで、違う、お母さんが私を嫌いなんでしょう!と言い返したくて、胸につっかえた言葉を言わなくて本当に良かった。
母は私を嫌いだったんじゃなくて、どうしたらいいのかわからなかったんだと思う。
私はもう母が私を産んだ年齢を超えてしまっているけれど、独身だ。彼氏が欲しいとも思えなくなった。自分一人で生きるのに精一杯だ。
告白された流れでなんとなく彼氏ができてもしっくりこなくてすぐ別れてしまう。
学生期間が終わって、合コンなどにはいかないもんであまり出会いもなく、思い立ってマッチングアプリを使って婚活してみたことがあったけれど、ヤリモクだとかモラハラだとか奢り奢られやら、育児がうんぬんだとかの情報がtwitterに滝のように溢れていて何を信じていいのかわからなくなってやめてしまった。父のような穏やかな人を探したいと思ってしまって、比べてしまってだめだった。
会社であまり接点のない人から急に距離を縮められて気持ち悪くなって上司に相談をしてなんとか追い払ったこともあった。
あんな聖人はどこにもいないんだ。いいなあ、母は。父と結婚できて。心底羨ましい。
そもそも他人に話を合わせたり予定を合わせたりするのが苦手なのもあったし、もう恋愛がとにかくめんどくさいと思ってしまう。楽しくない。
赤の他人から性的な感情を抱かれるのが気持ち悪い。というか、その前に手を繋ごうと誘われるのが気持ち悪い。手なんか繋いだら歩きにくいだろと思ってしまう。(実際断ったら文句を言われてかなり面倒だった)
彼氏の家に泊まった時にシングルベッドで一緒に寝ようと言われ、ちゃんと寝たいし狭いから嫌だと断ったら「俺のこと本当に好き?」と聞かれて面倒だった。好きなら強要していいのかい、というか一緒に寝られるほどは好きじゃなかったわごめんね、としか思えないまま床で寝た。
もしかして「男」がダメだったのかも、と思って女の子と付き合ってみたこともあったけれど同じだった。
性的な目で見られるのは居心地が悪いし、手を繋ぐのはやっぱり嫌だった。会話をするときのトーンがどんどん下がっていって、喋り方が怖いと言われて喧嘩になったりもした。
そんなことが続き、向いてないなら無理に相手を作るもんでもないなと思ったし、私は人を好きになれないんだなと思い知った。
いい歳をした娘が独身なのって気にならない?と母に聞いてみたら「東京で女の子が一人暮らしをしてること自体は心配だけど、好きに生きて欲しい。我々のことは我々で何とかできるからやりたいことして好きに生きな!」と言ってくれた。孫とか見たい?と父に聞いたら「まずは自分のことをできるようにね」と言ってくれた。
母は自分が受けた不条理の人生を私に負わせまいと、毒親の連鎖を断ち切ってくれたのだと思う。
父は私の未熟さをちゃんとわかってくれているのだと思う。
こんなできた両親がこの世に居るかい。居るんだよ私には。大好きな両親だ。
大好きすぎて、失ったらきっともう立ち直れなくなってしまう。
実家に帰ると幸せで、美味しいご飯を食べてテレビを見ながらたわいのない話をして笑って。
用意してもらったお風呂に入ってると「こんな大好きなのに父も母もいつか死んじゃうんだよな……」と考えてしまって涙が止まらなくなる。
両親が死んじゃったら私も死んじゃいたい。ごめんなさい、30過ぎた大人の癖にこんなことを考えてしまって。
ああ、だから人は結婚をして自分と生きてくれる家族を作るんだなぁと思う。
(追記)
ちょっと感傷的になったタイミングでわーっと書いてしまったので、補足というか気になったコメントに関してちょっと追記を。
書いてしまってから、そっか、こんなふうに書いたら親が叩かれるよな……と納得したし、少しほっとした部分もある。
自分では許せていたつもりでも、心のどこかであの頃の自分のやり場のない感情を成仏させたいと思っていたのだと思う。
母親に直接過去の話をしても何か得られるものがあるわけではないし、直接傷つけたくもなかったから、知らない誰かに母親を批判してもらうことで救われたかったのかも。
とはいえ、私は自分の母親を毒親とは認識できないんだよな…金銭をせびられたわけでもないし、跡が残るような傷をつけられたわけでもないし。
好きなことをして飯を食ってく選択肢を後押ししてくれたり、趣味を理解してくれたり、私にとっての母はやっぱり最高で大好きだと思ってる。あの一時期だけがしんどかっただけで。
親に完璧なんか求めない派です、自分が親になる機会があったって、完璧にやれるわけないだろうし。
今はネットがあるからいろんな知識を得られたり、同じような境遇の人を調べて安心できるだろうけど、今から●年前じゃそうもいかなかったろうし。
……って考えるとほんと親ってすごいよな……ものすごく探り探りで子育てしていくって、灯りのないトンネルをずっと歩いているようなもんじゃんか。大変だったろうな。
自分を愛せない〜に関しては、自分を愛してないってどっかに書いたっけ…?愛してないつもりはないんだけど、そんなふうに読み取れるように書いてたならごめん。
私、妻、3歳の子供の3人で、シングルベッド二つをつなげたベッドで寝ている。
ちょっと前までは、真ん中に子供で寝ていて、妻も私もそれなりにちゃんと寝られたんだけど、
聞くと、ここじゃないと嫌だということらしい。
仕方ないので、私が真ん中に寝始めた。
枕は簡易的なもので、つなぎ目が硬くて寝心地悪い。よく寝れない。
布団も2枚なので、それぞれに取られて間は被ってないことが多い。
子供はどっちかに潜り込むから解決してたが、私の場合そうもいかず、難しい。
どう解決しよう。睡眠は日常生活に直結なのですぐに解決したい。
1,もう一つベッドを追加して3つ並べる。
これが将来的にもつぶしが効くが、予算的にすぐには難しい。納期もあってすぐには解決しない。
2,簡易的な折り畳みベッドを追加する。
一時しのぎにはいいかもしれないが、結局布団セットなどの追加購入が必要だったり、高さが合う合わないなどがあり設置には制約がある。
3,フローリングに布団でしのぐ
客用布団はあるので、フローリングに布団敷いて寝たい。これが一番いまのところ安定していると考えてる。すのこは買うか。かびたらやだもんね。
義母はわんちゃんを飼っているので、朝の散歩時に部屋を除いた時に使用している形跡がないと怒られるかもという不安から念の為使用していました。
朝4時に夫のシングルベッドから移動できる自信はなかったので…。
わざわざご用意頂いたのがこのマットなら、嫁にこのマットで寝かせるのが義母の満足度アップにつながると思ってそのまま寝ました。
また、義母は義父の自殺以降、夫を自分の第二の夫扱いをしている空気があるので一緒に寝ている姿を見られたら心象に悪い気がして、穏便に…と思って空回ってしまいました。
とある趣味で女の子と知り合った。お互い28歳の時だ。その日は彼女の部屋の近くの偏狭な駅で話し込んでしまい、
僕の終電が無くなってた。今みたいにネットカフェもなかったかrファミレス過ごそうと思ってたら、
「私が引き止めたかもなので、私のへやに来ますか?」と言った。「助かります」と話しながら真っ暗な夜道を歩いていった。
駅から15分くらい歩いた2階建てのアパートの2階だった。シンプルな部屋で、本棚に並んでる本を確かめたりした。
「それでですね、ベッドがひとつしか無いからシャワーを浴びてください」。始発までおしゃべりして過ごすでも、
僕は床に寝るでもなく、部屋に帰って来たからシャワーを浴びて寝る。とゆう考えだったようだ。
寝るのはいいとして、「僕は床で寝ますよ」「えー。床硬いし毛布とか無いから寒いですよ」。確かに外と変わらない寒い部屋だった。
反論することもないから「わ、わかりました」「Tシャツも着替えます?」と彼女のソニック絵柄のTシャツを渡してくれた。
「拭くタオルは小さいけどこれ使ってください」。ユニットバスで脱衣場が無いから浴室の中で服を脱いでシャワーを浴びた。
それで自分のシャツとジーンズを抱えてシャツとトランクス姿で部屋に戻る。
「湯冷めするから布団の中に入ってていいですよ。あとローズヒップティー飲んでください」とベッドから手が届くテーブルにカップが置いてあった。
布団に入る。彼女は押し入れから着替えを出して、「えっと、服を脱ぐので中に入るまで布団に潜って見ないでてくさい」「はい」と潜る。
「絶対にですよ!」。彼女は外で裸になって入るんだ。いつもそうだもんな。そこで全裸になる彼女を想像してた。そうして「パタン」と扉が閉まる音がした。
僕の布団には僕の臭いがしてるけど、彼女の布団は旅館の布団みたいな匂いだった。お茶を飲んで部屋を見渡して、
シャワーの音を聞きながら、寝て6ぐらいに起きて帰ろう。とか考えてた。自分が住んでるところとは違い住宅地の中だったので、
1時の外は静かだった。シャワーの音が止まって、しばらくして扉がガチャっと相手、彼女は顔だけ出して「また潜ってください」と言った。
潜ってると「もういいですよ」と言われて息も苦しいから顔を出すと、パジャマ姿の彼女が居て、クリームか美容液を塗っていた。
それから部屋を見渡して、「電気消しますけどいいですか?」「はい」と真ん中にある紐を引っ張って、
「あ、小さい電気ついてたほうがいいですか?」「どっちでも」「私、真っ暗にして寝てるんですよね」と真っ暗にして、
布団に入ってきて、「もう少しあっちにいってもらえませんか」「すみません」とシングルベッドに二人で寝てる。
「きょうはもう髪洗わなかったですよ」「髪乾かしてる間に体が冷えそう」
「始発って6時にはありますよね。それで帰りますね」「そんな早く帰るんですか?」「え」
「朝ごはんとか一緒に食べましょうよ」「そうですね」。寝返りをうつこともなく、それから1時間は起きてたけど、
いつのまにか眠ってた。
彼女がベッドから出るので目が冷めて、目を薄く開けると外は薄明るかった。ガシャンと扉のしまる音がして、
おしっこの音が聞こえて水を流す音。水道の音が聞こえてコンロをつける音が聞こえた。
それから小さな音量でラジオの放送が聞こえて、彼女が布団の中に戻ってきた。触れた足が冷たかった。
「起きてます?」「今起きました」「まだ寝てていいですよ」「いま何時ですか」「7時過ぎぐらい」。僕は二度寝しようと思った。
まもなく彼女はまた出ていって、ふたつのカップにお茶をいれて持って来た。カップに口をつけながら冷ましてずずずずと飲んでる。
「ラジオはどこですか?」「インターFM」「僕の前いた会社ではずっとJ-Waveが流れてました」
「朝ごはん食べるって言ったけどお昼でもいいですよね」「はい」「それまでお腹すくから」とスティックパンをくれた。
食べてお茶を飲む。
こっから端折るけど、彼女はノーブラでTシャツにショーツ姿で布団の中にいる。
彼女が処女だという話は聞いてた。なんか僕の勢いで手を握ったら握り返して、二人の手のひらは汗ばんだ。
シャツの上からおっぱいを触って、揉んだ。彼女は天井を見て黙ったままだった。
シャツの中に手を入れて直接乳首を触ったとき、少し「あっ」っと声がもれてた。
それからまんこをしょーつの上からくいくい押さえたり、もうまんこに触った。
彼女は目を閉じてて、僕は彼女の顔を見てた。これからせっくすになるのかな。
僕は布団に中に潜って、布団の中でショーツを脱がして、布団の中でクンニしようと思ったけど、
脚を広げないとできなかった。脚を広げると布団がかからなくてさむい。
僕は顔を出して「布団の中じゃ舐めれなかった」と言うと、ちょっとノリノリな感じで「じゃあ私がするから寝てください」と。
自分が布団に潜っていった。布団のなでちんこが強めに握られてがしがしがしとしごかれて、
口の中に入れられる感触が伝わってきた。歯が立って少し痛いのはやったことがない証拠。
しばらくして彼女も顔を出して「やってると息が苦しい。気持ちよかったですか?」「すごく」と言って、
おっぱいを揉んでエロを出しながらキスをするモーションをしたら彼女もしてくれた。
せっくすはしてもいいのかだめなのか。わからないから「しっくすないんしたい」というと「しっくすないんってあれですか?
したことないけど」「僕の上に頭あっちでのって」「もうエアコンつけますね」とリモコンでピッと暖房を入れた。
最初は布団をかけてやろうとしたけどもういいや、と思って布団はベッドの外に落ちた。
そとはもう明るくて、部屋の中も明るくて、目の前にある彼女のまんこが陽の光の色で見えた。
陰部だけ色が濃い人もいるけおd、全体は他のところの肌と同じ色で、びらびらの端が黒くなっていた。
大陰唇にぽつりぽつりと縮れた毛が生えていて、肛門のシワは絵に描いたようだった。
全体ピンクで子供のみたいなまんこの人もいるし、毛が濃い人、びらびらはみ出てる人、なんかエロくない人、
とか色々あるけど、この人のまんこはこんなのなんだ。かってにシンプルなのを想像してたから勝手に、
一般的な大人の女性のまんこだった。会ってるときに「さっきうんこしてきたんですけど」とはばかることなく言ってたけど、
そのうんこはこのお尻の穴からか、と思ったらすごく生活感を覚えて、可愛い女の子だってうんこするって。って気持ちになった。
僕の中で美化してたんだな。それが美しい方向なのかわからないけど。
さっきと同じように彼女は舐めててくれる。「こっちのほうが舐めやすい。たまにごしごしごしとしごいたりして。
「もしかしてイカそうとしてます?」「ベッドの上で出さないでくださいね。出るとき言ってくださいね」
僕は舐めにくいんだけど目の前のまんこの舐めようとして、クリトリスを舐めることにして、
お尻は手のひらでつかんで横に広げたりそた。自分の大事なところを他人の顔の前に出してる気持ちはどんなんかな。
頑張って舐めてると彼女は上半身を起こして「ああん」と声をあげる。何回かそれが繰り返して、
「舐められると集中してこっちが舐めれないですよ!」と少し怒られた。彼女にとってしっくすないんはお互いに舐め合うものではないみたい。
でもそう言われてから、女の子は責められてるときは目を閉じてされるがままが多いことに気づいた。
こっちが舐めててもちゃんと舐め続ける人はお姉さんプロ意識の風俗のお姉さんだけだった。なるほどね。
フェラしてもらってときはただ舐められてるのではなく、頭をよしよしして「気持ちいい」と言ったり、おっぱい触ったりしよう!
最初に聞こえた「やっちゃいなよ!」の声がクエスのだなんて、先週のテレビで初めて知ったよ。
デートの内容聞いたとき「増田さんのしたいことでいいよ」が、一日中ホテルでイチャイチャしてたいの遠回しなんてわからないよ!
買い物とか映画とか流行りの食べ物とか提案したとに、「ホテルにいかなくていいんですか?」って、それで理解したよ!
理解したあとも「増田さんがいきたそうだったか」と言う女の子は嫌すぎ。普通に「直接ホテルでもいいよ」と言ってほしい。
それで僕が「せっくすするためみたいじゃん」と言う事はないけど、「せっくすのためだけに会ってもいいです。私が会いたい」と言われたことはある。
1つ目から「もの」といえるものじゃないけども、去年1番課金してよかった〜と思ったものはYouTubeプレミアム。3ヶ月無料期間に試しに入ってみたらストレスなくYouTubeが見れることに気づいてしまってまんまと継続課金中。
2.イヤーカフ
MIKIMOTOの2万くらいのイヤーカフ。ピアス穴が開いてない人間にとって助かる。イヤリングだとだんだん痛くなってくるけどもイヤーカフは痛くならないし外れにくいので付けてることを忘れるくらい。シルバーに小さい真珠が入ってて控えめでかわいい。
3.ベッド
2020年の夏くらいからずっと欲しいと悩み続けていたベッドをついに買った。もともとシングルベッドだったけど家にいる時間がどんどん長くなったので寝心地のいいセミダブルのベッドを探していた。当初はフランスベッドで考えていたけどども、結局フレームもマットレスもシモンズにした。相変わらず起きた時は身体が痛いけども前よりはマシになった。
ぶち猫おかわりさんのブログを見ていて、ずっと欲しいなーと思っていた作家さんの青のオーバル皿を買った。パスタを入れても果物を入れてもオシャレに見えるのですごく気に入っている。
2021年は地味だった。