はてなキーワード: グラビアとは
ほらほら、あれ
結局何やってる人なんか知らんねんけど
そんな美人でもなくて、化粧濃いんやろなぁみたいな
ゴリ押しされてるんやろなーっていう感じで
関西弁の
鈴木紗理奈の焼き直しみたいな
おもろいのかどうかも知らんけど
すごい下品な感じの
年齢いくつかわからん感じの
周りを敵に回す根性は無さそうな
あのひと。
当方46歳。自分が高校生時代から現在まで、グラビアアイドルをひたすら追っかけてきました。
そして今、この30年のグラビアアイドルの歴史についてまとめるのは今であるという神の啓示が急に降ってきました。
なのでざっと思いつく限り時系列でグラビアアイドルのここ30年間の歴史に残すべきトピックをまとめてみました。
もしニーズがあるのであれば、より深く、なんらかのかたちでまとめたいと思ってます。
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◇序章【グラビアアイドル】以前
少年誌、週刊誌などのグラビアを主戦場で【グラビアアイドル】というジャンルが確立された時代
【サンタフェ】の衝撃
スコラ、GOROという雑誌の写真の時代から【イメージビデオ】という動画革命
寺尾由美の衝撃
プレステ2の発売でDVDが当たり前になり、メディアが物理的に縮小したことで、所有が容易になった。
◇イエローキャブの第二ブレイク C.C.ガールズと言ったユニットのテレビでのブレイクによるグラビアアイドルの社会的地位の確立
小池栄子、佐藤江梨子、根本はるみ、MEGUMIなどの活躍で、グラビアアイドルは市民権を得たのか?
インターネットによって情報交換ができる【コミュニティ】が生まれ、レビューサイトが生まれる。
これまでの宣伝から、個人サイトの忖度のないレビューに移行する
【番外編】
グラビアアイドルの主戦場、少年誌の表紙をAKB48の席巻により、グラビアアイドルの活躍の場や存在意義を失わせる。
自撮り、自己表現を配信できるようになり、グラビアアイドルが行きを吹き返す。
自己プロデュースができる無所属の『オタクグラドル』『情強グラドル』『コスプレイヤー』
似鳥沙耶香
【番外編終了】
◇『アイドルイメージビデオ』は死んだのか?サブスク、Instagram、TikTokの時代。
オワコンのDVDが売れない時代のグラビアアイドルはどう収益化を図る?
◇第◯世代? イエローキャブ以来のグラビア・アイドルユニット【RIPガールズ】の活躍
“無料”が大前提のインターネット時代に、グラビアアイドルに収益をもたらすYouTubeがグラビアアイドルを救うのか?
以上です。
俺はずっと女になりたかった。
女性ホルモンによるすべすべの肌に、あるいは万人受けする愛嬌や顔になりたかった。
俺には妹が何人かいたが、
母親は俺だけ殴ったり蹴ったり、あるいは寒い部屋に監禁したことだってあった。
例えばAVやグラビア見て抜いてる時でさえ、性欲と同等に憧れや嫉妬していた
中学で言えば
例えばテストで98点とっても評定は3で、隣の席の頭の悪いぶりっ子女が5の時は不条理を感じたし、
その教諭は女と喋るたびにニヤニヤしていてムカついた。そしてそんなクソ教諭は1人ではなかった
金持ってれば誰でも良かっただの、
おそらく結婚したら金使い放題みたいな打算をしたんだろうけど父が家計の財布を握ったので
自分が財布を握れないことを経済DVだ。と騒いでみれば自身はたんまりとへそくりを貯めていた
流石におかしいと思っていた。この人はキチガイなんじゃないかと
が高校生になってTwitterなり、掲示板なりを覗きにいくとどうやらこれが世の中の女の平均値らしく絶望した。
父を見て、男の俺は将来こんなひどい扱いをされ、母親を見て女はデフォルトで全てが許される。そう確信した
よく考えれば実際に社会だってそうだ。例えば子供の人権なんてほぼ母親が勝ち取る。
結婚すれば家事をしろだの配慮しろだの相手からも世間からも言われ
その前に付き合うとかセックスするとかの時に猛烈な選別がある。
女が上位10%の男に向ける媚びた目線ではなく、残りの90%に向けるあの侮蔑的な目線が大嫌いだった。
溜まるものが溜まればちんこは残念にも女の体に正常に反応してしまう
そんな自分が本当に嫌いだった
女と会話するときだって話は長いし面白くないしオチもないし、ただ苦痛だったけどむしろ風俗行った時の方が女と会話するのが楽だった。
女の方が利が膨大にあったとしても、男として生まれたならば100%男をまっとうすべきなんだと、
多くの男はもう小さい時から(無意識に)決心、覚悟ついてるものを
俺は関東地方に生まれたからまだ良かったものの、もし田舎の僻地に生まれていれば間違いなく
閉鎖的な環境で人格が歪まされた秋葉原の加藤のように道を外れていたと思う。
そこだけは運が味方した
諸君、私はパ○○ンが好きだ。
いや別に毛むくじゃらでも全然好きなんだが、これは性癖で、俺にとっては顔より胸より他の何よりその造形への注目度が高い。どんな造形も等しくおかずにしてきたが、やはり人形のような造形のものは神秘的で惹かれるものがあるし興奮する。
寝そべって開脚してドアップでじっくり見ることのできる構図が定番だが、俺が見たいのは違う。立った体の正面から映したやつだ。
つまり恥丘が見たい。
そこに前から後ろから手を差し入れて、ふにふにと押してみたり、指を埋めて繊細に刺激したり、時には下から舐めてみたりして、女の子が静かに喘いでいるのが見たい。
あくまでも正面からだ。あの美しいふっくらしたやわらかそうな部分を触る映像が見たいのだ。開脚ドアップびらびらアンアンはどこでも見られるから飽きた。そうじゃない、そうじゃないんだ!
行為自体は痴○が近いけど、真下からドアップで覗くアングルか荒唐無稽なポーズかのどっちかでよくない。立ち○○○や顔面○○で調べることもあってこれもいいが、指で刺激する行為が欠けている。パ○○ンを主題としたシリーズは、冒頭は女の子が確かに下半身を露出して立ったり座ったり自分で撫でてみたりしてることが多いが、そこには触る男(女でもいい)がいないから違う。中盤以降男(または女)が出てきたら、寝そべっていつもの開脚ポーズだ。そうじゃない。「立ったまま」と検索していろいろ覗いてもみるが、だいたい片足開脚している。体が柔らかいな。
目下ソフト着エロや過激グラビアをおかずにすることが多いが、完全に中身が見えないし本番もないというのもそれはそれで寂しいものがあるのだ。贅沢ですまんな。
実際ジャニーズとかは未成年の勤務時間とかのルールを決めてるし(だからといってジュニアに水着を着せてるから無罪ではないと思うが)、規則を作ればある程度子供のタレントは守れると思う。
素敵な体験をしたので忘れないうちに書く
どんな体験だったかというと、とある場所で知り合った縁と気があった女装子さんから
「(交通費宿泊費滞在費全部こっちが持つから)週末旅行に行かない?」という内容だった
何でも一緒に行く予定だったカメラマンが行けなくなったそうで急遽自分にお声がかかったのだ
私は引きこもり体質で全然出かけない性格なので今週末もいつも通り暇だったし、仕事は週5在宅勤務で体力満タンだし、何より費用向こう持ちの旅行なんてそうそう訪れないチャンスなので、面白そう!と快諾した
私は写真デジカメで撮るぐらいしかした事がないよ?と返答したらそれでも良いそうなので遠慮なく同行させてもらった
その女装子さんの写真を何度も見せてもらってたのだけど見る度に「彼女はもっと美しいし、私なら良い写真撮れる!」と内心こっそり思ってたので、ここぞとばかりに腕を奮って写真を撮ってきた
彼女には言ってなかったけど、私はかなり前にコスプレをしてた時がある
自分が撮られるのは苦手なんだけど女性を撮るのが大好きで得意(写真の技術は下手だけど絵として撮るのは好きで撮った人にも好評)だったから、その頃の気持ちを思い出して彼女を撮っためっちゃ撮った今まで見せて貰った写真とは違う表情や仕草をこれでもか!とおさめた
撮られ慣れしているからポージングは上手なんだけど見せて貰った彼女の写真の表情はとても固くてそこを何とか崩して柔らかい顔や仕草を撮りたかったので気合を入れた
一通り撮影を終えて部屋に戻り、ベッドで寛ぎながら撮影した写真を見てキャッキャと喜ぶ彼女を眺めているのがこの上なく嬉しい感覚だった
「また誘うね」って言われた
とても良い夏休みの思い出が出来たなって思った
在来線じゃなく当日券でひょいっと新幹線乗るしタクシーも自然にじゃんじゃん使うし観光地価格のご飯も値段全然気にしないし泊まる所も豪華だった
「もちろんこちらも男性性を搾取するのはよくありませんね!少女漫画もジャニーズのグラビアもBLも当然ご法度!」
なんて話なら(賛成するかはさておき)筋は通ってると思うんだけど、現実女ばっかり女ばっかりでよく分からない。
元増田は全員が~って所凄い気にしてるらしいし、中にはそういう人もいるのかもしれないが、表に現れなかったらいないも同然よ。
今年のお盆は浮世絵ばかり見ていた気がする。一週間ほどの休みのうち、三日間浮世絵を見に行ったのだから、美術エンジョイ勢の私にしてはかなりの頻度だと思うし、そのすべてが浮世絵というのも、今までになかった行動パターンだ。楽しかったので、ちょっと振り返ってみる。
最初に行ったのが六本木の「おいしい浮世絵展」だ。友人に誘われて行くことになったのだけれども、食をテーマにしていたため、浮世絵の細かい歴史を知らない自分でもかなり楽しめた。加えて、江戸の町や東海道沿いの名所は今でも残っていることが多く、そこに残る名店の様子を紹介する映像も流されていたため、食欲をそそられた。美術館ではあまり味わえない気分だ。江戸時代の食事のレシピが載っている本や、当時醤油を詰めて輸出した磁器も展示してあった。
鑑賞後はお腹が空いたのと、美術館の意図したとおりに和風のものが食べたくなったので、私たちはそばの和菓子屋でわらび餅をいただいた。そこには和風のパフェもあって、抹茶好きの私としてはそれにも心惹かれたのだけれど、結局はわらび餅に落ち着いた。パフェはどう見ても夕食前に食べられる量でもなかったからだ。私たちはそこで友人の姪っ子の話だとか、仕事の苦労とかについて話した。もちろん、見たばかりの絵でどれが良かったかについてもたくさん語った。
私にとって面白かったのは、歌舞伎座を舞台にした浮世絵だ。お客さんが桟敷で弁当を食べたり酒盛りをしたり好き勝手に楽しんでいる。中には花道を横切って弁当を届ける姿もあり、なんともおおらかな世界だったらしい。それと、そこにいたのが美男美女とモブ顔の男性だけだったのが興味深かった。北斎なんかだと、いわゆる美人ではないけれども愛敬のあるおばちゃんが出てくる。なんでだろう。というか、北斎漫画、今でも普通に笑えるので好き。
次に行ったのが上野の「The UKIYO-E 2020 -日本三大浮世絵コレクション」だ。たっぷり二百点近くあるので、あっさり見ても三時間くらいかかってしまった。「おいしい浮世絵展」もそのくらいかかった気がするが、友人と一緒だったので多少は疲れが紛れた。だが、今回は一人だったので、より疲れた。私はジョギングが好きだし、友人と富士山に登ったこともあるので、体力はそこそこあるのだけれど、立ち止まっては進み、立ち止まっては進み、を繰り返す美術館では、結構ぐったりしてしまう。
とはいえ、疲れた以上に収穫があった。おおよそ年代順に並んでいたので、浮世絵がどのようにして技法を精緻にしていったのかがよくわかったし、歌舞伎俳優のグラビアみたいな雰囲気から、市井の人々も描くようになっていく様子も楽しめた。
でも、私はやっぱり北斎や広重が一番好きみたいだ。この二人はどちらかといえば風景画家で、だから他の人に比べると人物が画面に占める大きさは小さい。当たり前といえば当たり前なのだけれど、私が北斎を見たときにそれっぽいと感じる理由の一つが言語化できたので、何となく気持ちが良くなった。
浮世絵には詳しくなくても、どういうわけか心に残る作品はあるもので、以前に世田谷かどこかで見た広重の「亀戸梅屋舗」と再会できたのはうれしかった。もちろん、浮世絵だから一枚ごとに刷り具合が違うのだけれど、私が好きな雰囲気のものと出会えたので、なんだかうれしかった。企画展でよその美術館にあった作品と思いがけなく再会できると、やっぱりうれしい。
あと、驚いたのが歌麿の「娘日時計」という、女性の様子を時刻ごとに描いた作品集だ。やっていることが美人時計と全く同じではないか。
あと、思わず笑ってしまったのがこんな事件。寛政五年に幕府がモデルとなった実在の人物名を浮世絵に書くことを禁じたときに、浮世絵師が対抗して、人物名を簡単に解読できる判じ絵で表記したらしい。たとえば、歯と手と菜っ葉の絵を描いて、「はてな」と読ませるみたいな感じだ。誰がモデルにした作品なのか簡単に読めるのだけれど、幕府としては人名を書いていないのでそれで良しとしたらしい。お役所と出版社の腹の探り合いみたいだ。それか、ちょっとエッチなたとえだけれど、成人向け漫画の修正しているんだかしていないんだかわからないアソコの黒線みたい。
ところで、何の関係もないけど、上野駅の公園改札の場所が変わって、信号を渡らずとも済むようになった。あそこは人が溜まっていて危なかったし、いい変化だ。そうそう、横浜駅にも中央南改札と南改札をつなぐ通路ができて、階段を上り下りしてホームを経由しなくても移動できるようになったし、新しいエキナカのお店ができた。今度行ってみよう。
最後に行ったのが表参道の「月岡芳年 血と妖艶」。とてもよかった。女性図は、ちょっとしたしぐさからこの人はどんな性格なのかが伝わってくる。細かい動作どれ一つとして見逃せない。血みどろの絵もただ凄惨なだけではなく、今にも動き出しそうだ。たぶん、動き出す直前の瞬間をとらえているから、次にどうなるかが私に見えるのかもしれない。日本の歴史や歌舞伎に取材した作品もよかった。歌舞伎は詳しくないけれど、太田記念美術館は概して解説が細やかなので、どの話のどんな場面かがよくわかる。歌舞伎は三回くらいしか見に行ったことがないけれど、またちょっと行きたくなった。それとも、著名な歌舞伎のあらすじを勉強するのが先かな。
ここでは作品一覧の紙がもらえたのはよかった。新型コロナウイルスのせいか、以前は配っていたのに前の二つの美術館は置いていなかったので、作品の名前をメモするのが大変だった。
なお、ここは前編と後編に別れていて、今月の終わりに展示替えをするらしい。時間があったらまた行ってみたい。上野のほうも展示替えがあるけれど、また三時間じっくり見るのはちょっと大変かな。
最後に、自分でも意外だったこと。はじめのうちは、美術館はふらりと行くのがいいのであって、予約するのは面倒だな、って考えていたんだけれども、慣れたらそうでもなかった。そういう意味では、三回連続して美術館に行ったのは正解だった。それに、浮世絵のことが前よりも好きになれたので、そういう意味でもよかった。
気が向いたら九月も浮世絵見に行くかもしれない。