はてなキーワード: とらドラとは
西谷は「主人公は作家の分身」であり、それは「五感を共有していること」、「心の奥底まで共感しあうこと」だとするが、だからといって「主人公が作家の思うように考え、行動することを意味するのではありません」と警告する。五代/榊もまたありがちなワナビのラノベについて「キャラクターが作者を代弁するただのお人形になってる」と揶揄している。
このように見てみると登場人物と作家の関係について、作家が主なのではなく登場人物が主である、と主張しているように見える。しかし当然ながら各場面における登場人物の言動や思考は作家によって執筆されるのであり、作家が考えないのであれば誰も考えてはくれない。
この点でヒックスは登場人物を作家の一部であるとして、作家のある面を誇張したものであることを求めている。つまり嫉妬深い人物を描くならば自分の嫉妬深い側面を誇張した人格を創造する、というもので、全くの新たな人格を創造するのではなく、そのベースはあくまで自分自身だとする。
これに基づけば「キャラクターが作者を代弁する」状態とは、その人物を描くにあたり作家の誇張が無い状態、いわば作中に作家自身が名前だけを変えて登場した状態だと言える。作中に登場する作家自身がどれだけ失笑を買うかはくぅ疲の例を見るまでもないだろう。
登場人物は作家自身である。主人公は間違いなく作家の思うように考え、行動する。しかしその作家の「思う」主体は作家の人格そのままではなく、登場人物それぞれの設定によって歪められ誇張された人格であり、その結果時に作家の人格そのままであれば決して選択することの無い言動に出ることになる。
「キャラクターはある瞬間、勝手に動くものです」とは大塚の言だが、逆に言えば登場人物はだいたいの場合作家の想定通りに行動する、ということでもある。当たり前だが一定の合理性をもって人間は行動するものであるし、他人ならまだしも登場人物の人格のベースは自分自身である以上、ほとんど常に作家の想定外の行動を登場人物がするんです、という状態はありえない。もしそうだとすればそれは単に何も考えておらずその場しのぎで適当に考えているからか、もしくは薬物でもやっているからだろう。
なお突如として想定外の動きを登場人物がした場合、ヒックスはそれにあわせてプロットを書き換えるべきだとする。ヒックスは後述するようにプロットを重視するが、それ以上に登場人物を「愛さなければならない」という。
ヒックスは登場人物を創造する際、その登場人物の将来の夢は一体何なのかと作家に問いかける。これは夢を作家が事前決定しろという意味ではない。それではヒックスが否定する「組み立てられた登場人物」にしかならない。
ここでいう「夢」はその登場人物の人格に依存して考えだされるべきものである。これは大塚が世界設定で指摘した、ある条件を前提にしてそこからどうなるのか、ということを演繹的に導き出していく方法とよく似ている。
もちろん何の事前設定もなく人格を作れと言われても作家当人の人格にしかなりえない。ゆえにいくつかの設定は事前定義が必要である。それは主題や、もしくは世界による必然性を伴った定義であることが望ましいだろうが、それら断片的な設定に後付で作家が適当にどんどん設定を付け足していくのではなく、演繹的に設定が導出されていくべきだ、というのがヒックスの考え方であると筆者は理解している。
西谷がヒロインのブラジャーの形状にこだわった逸話はしょーもないの一言で済む話だが、そこに人格から来る必然性があるのであればわからなくもないと言えよう。
以上のように作家と登場人物の関係について述べてきたが、一方で主人公を決して困難な状況に陥らせないワナビにそれを指摘したところ「だってかわいそうじゃないですか」と反駁したという事例を西谷が挙げている。この点だけ見ると作家が主人公に同化し過ぎたり、感情移入し過ぎることに問題があるように思えるが、西谷がここで問題にするのは、ワナビとは裏腹に読者がまったく感情移入できていないことにある。読者も同様に感情移入しているのであれば、徹底して登場人物への虐待を作家が行うことに逆に嫌悪感を覚えることすらあるだろう。
西谷同様、筒井は「自分が作品に感情移入しているからといって、読者も必ず感情移入してくれるだろうと思うのは間違い」と指摘する。
本格ミステリやSFなど、感情移入を必要とせずとも最後まで読ませる魅力を持った小説は存在する。しかし感情移入が読者に続きを読ませる原動力として強く機能することは言うまでも無く、感情移入できないという状態は読むのをやめようという動機になりうる。読者が感情移入をしてくれるに越したことはない。
さて、基本的に読者の感情移入は物語の中心を担う主人公に対してなされるべきであるが、ではどのような要素が感情移入を誘うことができるのか、という点について各説を整理する。
まず榎本や水島は主人公の年代をターゲットとなる(と下読みや編集部が想定する)読者層と重ねるべき、としている。すなわちラノベの主人公は中高生であることが望ましいと言う。同じ理由で性別も男性の方が好ましいと言いうるだろう。スレイヤーズやブギーポップのように女性主人公の成功例はもちろんあり、水島のようにそれを地雷ジャンルとまで言うのもいかがなものかと筆者は思うが、女性より男性の方が主たるターゲットである男子中高生の感情移入を誘いやすいことは想像に難くない。
まず作者自身をモデルとして主人公に据えるやり方について、「基本的に失敗する」「ナルシズムか自虐に陥るのがオチ」と榎本は断言する。もちろんそれで成功している例もあるが((森博嗣などは成功例と言えるだろう))、分の悪い賭けであることは確かだろう。
主人公に求められる特質について、西谷、榎本、飯田は読者の憧れを具現化していることであるとする。憧れとは立場的、能力的、性格的に秀でていることでもたらされるものだと榎本は言い、クーンツもまた「高潔」「有能」「勇気」「好感」という要素を挙げ、これらを満たしていることが必要だとする。
そして最も重要な点は、完璧超人では読者の共感が得られない、という点である。「ジェームズボンドのような例外はあるが」とクーンツは言いつつ、共感を得られやすい主人公には上記の要素に加えて「不完全さ」が必要だとしている。これは人によって「欠点」「弱点」と表現は異なるが、いずれも同じ意味である。
一方で「低スペックで卑屈、無個性、へたれ」な主人公像については、飯田は「マスな読者のニーズとはマッチしない」として、そういった主人公のラノベは「実売数千部のマイナー作品」に見られる傾向だという。榎本もまた、読者が作品を読む理由の最も大きなものは「自分とは縁遠い出来事を手軽に楽しく疑似体験するため」であり、現実の平凡な中高生に近い主人公像ではそれが得られない、という。
しかしながら水島は「平凡な主人公」でも問題ないとする。超人的能力を持った主人公像を否定することはないが、榎本や飯田のように平凡さを否定することもない。西谷も同じであり、憧れへの言及は最近のヒットしたラノベを見ているとそのような傾向がある、と言うにすぎず、読者の分身として機能する平凡な主人公像も肯定している。
さて、筆者はこれらの各説は人物の能力と精神と倫理を区別せず論じていることで生じた混乱だと考えており、ここで対立があるとみることは無意味だと考える。
能力とは例えば「直死の魔眼」のような、その人物だからこそ実行可能な、常人には実行不可能な行為の名称である。この点での超人性を主人公が備えているかべきかは物語上の必要性によって判断されるべきであって、主人公がそうした点で無能力であることは全く問題なく許容されるし、また絶対に負けず死ぬこともない完全無欠の超人的能力を持っていても(それが物語上必要ならば)問題ない。
次に主人公の精神についてであるが、これは完璧であってはならず、平凡でなくてはならない。あらゆる誘惑に対して微塵も揺らぐことなく、確固とした信念を持ち理性と知性に溢れた決断をし続ける聖人君主はご立派すぎてうさんくさく、クーンツが言うところの「好感が持てること」という要件を満たさない。飯田にしても「ヒーローは悩む存在である」としてこの点での超人性を否定する。自分の将来や恋愛といったわかりやすく、読者が共感できる悩みを主人公は持つべきであり、さらに「何を考えているのか、わかりやすく書くほうがよい。感情がオープンにならないキャラには感情移入しづらい」とする。
最後に主人公の倫理は、読者の倫理に反してはならない。主人公への感情移入によって「あらゆる女の子にモテまくる存在であるという全能感」を読者は得るのだと飯田は言うが、しかしどれだけモテようとも複数同時並行で交際することは一般に許容されない。「主人公は鈍感でなければならない」とする指摘は、倫理的正しさを保ったままその状態を維持する点で(安直だが)効果的に機能する。
一方で木刀を持って不法侵入の上傷害沙汰を起こした同級生に対して警察を呼ぶことなく、彼女の空腹を察してチャーハンを振る舞い、自分の恥を晒しながらも穏やかに話し合いで事態を解決する主人公は、まさしく完璧超人と言うべき存在である。
Unlimited Blade Worksとかマジカッコイイ!憧れる!といった読者もいるだろうが、失笑する人も少なくないだろう。しかし倫理的にそうすべきと読者が思い、また自分にも物理的には不可能ではないだろうがしかしなかなかそうはできないと思うことを主人公がやってのけることにこそ、多くの読者は「憧れ」を抱くのではないかと考える。
さて、憧れは感情移入の要素として極めて強力に機能するが、冒頭からいきなりその段階に持ち込むことは容易なことではないだろう。まず最初に主人公へ興味を抱き、好感度を稼いで少しずつ感情移入を誘い、そして上述のような行為によってその感情移入を一気に深め、確固たるものとして確立する、というのがより無難な戦略だと言える。
こうした興味喚起、好感度向上に役立つ要素として、例えば西谷は「肉体的な苦痛を与える」ことを有力な手法だとしている。クーンツの「主人公を冒頭で過酷な困難に放り込む」も同様の指摘と考えられ、冲方による「苦しい場面での感情移入に成功すると、自然とハッピーな場面ではそのまま感情移入してもらえることが多くあります」というのも、苦痛を伴う場面は幸福な場面よりも感情移入の効果が高いという指摘だと言えよう。
西谷が肉体的苦痛をあえて挙げている点は特に説明はないものの、おおむね誰にとっても明確でわかりやすいという点で精神的苦痛よりもメリットがあるからだろうと筆者は理解している。
そしてもう一つ効果的と思われる方法が、飯田が指摘する登場人物のギャップである。
本項では「キャラ」と「登場人物」を区別しないが、新城はそれぞれ異なる意味で定義しており、曰く登場人物を「内面があって葛藤と選択をする人格」、キャラを「こういうシチュエーションではこういう言動をみせそうな、いかにもそんな外見の人物」とする。
飯田は「人間は意外性のある物語に弱い。とくに、内面なんてなさそうな人物に内面があった、というパターンに弱い」と述べ、人物の外面と内面でギャップを設けるべきだとしている。すなわち新城がいうところの「キャラ」としてまず描かれ、それが物語を通して「登場人物」であると描いていくことで読者の感情移入が誘えるのだ、とする。
ところで飯田は良いツンデレと悪いツンデレがあるとして、良いツンデレは多面的な感情の一つにツンとデレがあるが、悪いツンデレにはツンとデレの2面しかない。だからハルヒは不人気でルイズは大人気なのだ、とする。筆者はツンデレに良し悪しがあるとすれば、それは新城の言う「キャラ」と「登場人物」であろうと考えるため、飯田の説には同意しない。
「ツンデレ」は言動まで類型化された属性である。本来内面であるはずの照れ隠しの典型的言動はまさしく「こういうシチュエーションではこういう言動」であり、そこに人格を読者は感じられず、むしろ「お人形」として認識されると考える。
良いツンデレがあるとすれば、同じ典型的発言をするにせよ、そこに「葛藤と選択をする人格」があると読者に理解されることが要点と考える。ツンデレ喫茶でバイトが事務的に発言する様を見て「ツンデレ萌え!」と興奮できるオタクがいないとは言わないが、ドン引きするオタクの方が多いだろう。
さて、さらに飯田はギャップは「属性」についても適用できるとする((「属性」についての議論としては東のデータベース消費論などがあるがどうでもいいので無視する))。登場人物へは二つの落差のある「属性」を付与することが効果的だと飯田は言う。例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」における「モデル」と「オタク」という組み合わせを挙げ、「モデル」が持つ華やかでリア充的イメージと「オタク」が持つ根暗でコミュ障的イメージを同一人物に同居させることで意外性を与え、興味を喚起できるとする。なお当然ながらこの手の単純な「属性」の組み合わせはそれ以上工夫する余地が無く、すぐに陳腐化する点は飯田自身が指摘するところである。
このギャップについては、陳腐化しやすい「属性」の組み合わせよりもその個別の設定においても有効に機能する。
例えば「とらドラ」における「目つきが悪いヤンキー」かつ「家庭的で親切」という主人公の設定、「小柄で可愛い」かつ「家事は苦手で暴力的」というヒロインの設定はそれぞれ落差のある設定だと言えるだろう。これは個人的なレベルでのギャップであり、また同時に登場人物間のギャップにもなっている。
西谷は主人公とヒロインを組み合わせると完全な人格になるよう相互補完関係を持たせること、また主人公には対照的な人を親友として持たせるのが好ましいとする。しかし主人公、ヒロイン、親友という限定した関係に留まらず、主人公格として機能する集団を想定し、それぞれは別の仲間とその設定にギャップをつけること、というように拡大解釈可能だと筆者は考えている。
十中八九、作者的には桐崎千棘と結ばれる展開で書いていたのだと思うが(タイトルからしてまんまだし)、
一向に衰えない小野寺人気に加えて、マリーの台頭で、どうしてこうなった状態に。
ということで、同じ程度の糞度を有している大河がなぜ正ヒロイン視され続けたのか比較することで桐崎さんがなぜ不人気扱いされるか考えてみようと思う。
ちなみに原作はどちらとも全部読んでますが、ある程度ぼかしを入れて(特にニセコイ)。
大河が背が小さい、幼児体型、不幸な家庭環境という分かりやすいコンプレックスを抱えていたのに対し、桐崎さんは悪い意味で隙がない。
料理駄目、怖いの駄目というのがあるじゃないかという反論もあるだろうが、正直とってつけた感が強すぎるし、お決まり過ぎてギャップを感じない。
2. ライバルが強い
みのりん、あーみんといった一見魅力的ながら、かなりめんどくさいキャラという設定のおかげで大河は得をしているのに対し、小野寺姉、橘、鶫とライバル勢は欠点をみせない。
小野寺姉に至っては何度かの実質告白がスルーされているため、不遇度がまし共感もできるようになっているのもきつい。妹、4人目の人気が出そうにないのが唯一の救いか。
北村君が、大河と竜児の仲を応援していたのに対し、舞子君は小野寺推しである。そして、千棘には(作中に出てくる中立的な)友達がいない。
いっそ、千棘をずっと友達がいないキャラにすれば、人気も出来たのかもしれない。
4. 楽・千棘のプライベートに迫る展開が実のところない。
竜児が大河の家にいる、あるいはその逆にいることが早期に日常化したのに対し、実のところ、千棘が二人っきりで楽の部屋にいること、あるいはその逆が日常的でない。
あってもごく稀か、楽が特殊な状態におかれた状態でしか起こらない。なので楽の家庭的なところと、千棘のそうでないところという補完的な関係が意識されない。あくまで外の世界での関係に終始している。
5. 楽の父親が千棘推しでない。
竜児母ことやっちゃんが、大河推しであったのに対し、楽の父親は千棘について割とどうでもいいようである。
新キャラクターが楽の父親の適当さを通して紹介される仕組みになっているのもあってか、千棘と楽の父親が仲良くなるエピソードが全く存在しない。
こう考えると、千棘は、外堀を埋めることが全くできないまま、恋心以外、登場時からほぼ何も変わらずに済んでいる完璧なヒロインとして存在しているため、あまり魅力を感じさせていないのだろう。
外堀の点では小野寺、恋心の点では、マリー、登場時との変わり振りからは鶫がいることで、この性格が特に際立ってしまっているのも問題でもある。
もっとも、組織票を抜かせば、人気投票では3位でなくて1位という話もあるらしいが、小野寺が一番人気は変わらないように思える。
好きとかそういうんじゃないけど、身近にいる一つ年下の男の子の横恋慕している様を見てときめいている。というか、ときめきを通り越して欲情するレベルだ。無理矢理押し倒して、それでも彼が好きな相手のことを思って涙ぐんだりしたらもう最高だ。
私は二次元作品では片思いものが好きだ。叶わない系。ハチクロとか好き。序盤のね。あとは、とらドラの亜美ちゃんとか大好き。あの亜美ちゃんがつんけんしながらも大河に竜児を寝取られ…いやそれは語弊があるけど、そういうのがまあ萌えた。
これがガツンガツンと連結して、この男の子、というか男の子が横恋慕している状況に激しく欲情しているわけなんだけども、これって私自信の今後の恋愛に悪影響を及ぼすことがないかどうか割と危惧してる。NTRが心底好きな男性も多いとおもうんだけど、それって性生活とかに影響しないのかな。どうしてるんだろう。
5年半ぶりに、作画崩壊の話。
有村さんのこの記事を読んで、忘れかけてたある事件を急速に思い出した
秋になりました。秋アニメの紹介もどんどんしていかないとなぁ・・・。
今日は昨晩「とらドラ」のキャラデザに関してJC staffさんに抗議した内容のレポートを報告したいと思います。
まずは三日目でのようやくの実現でした。やはりアニメ放送開始まで一ヶ月を切り、みなさん大変と思われる中、三日目でお話をさせていただけるようになりました。
僕が主に質問したのは「あなたの会社は原画を大事にするというスタイルを持っているか」ということです。これの回答はyesでした。それは顕著に、シャナ、ゼロ使、隠などに表れているでしょう。だけど言いました。
「じゃぁ今回のキャラデザはこんなにも原画と違うんですか?」と。
これには皆さんの投票で集まった大部分の「キャラデザに違和感を感じる」という意見を使わせていただきました。僕だけでなく、大部分の「とらドラ」ファンは思っているわけですよ。でも向こう側はもちろん
「今回のキャラデザを自分達はおかしいと思わない」というわけです。当たり前ですよね。まぁ最初から話は平行線になると予想はしておりました。
向こうは「今からアニメ企画の変更はできないから話を聞くだけになる」というわけです。まぁこれも予想していた通り。でもすると、僕が電話を掛けた意味が全くなくなってしまうので最後にJC staffさんという会社に以下のように言いました。
「JC staffさんは日本でも有数のアニメ製作会社の筆頭にあると思います。(これ、本音です)だから、せっかく今まで全く問題を感じていなかったあなた方制作のアニメに今回違和感を感じ残念。二チームの製作グループがあると聞くが、
どちらもアニメを見る側にとってはJC staffが作ったもの。
だから、これからも成功していくために、どうかファンが満足できる、そしてアニメを大事にする姿勢を貫いてほしい」
こんな感じで、キャラデ、キーイラスト発表直後にJCに抗議電話を起こした奴がいた
この頃はネット上での作画マニアブーム全盛で、この彼の行いに反発する声は多かったと思う(単純に引いた人も)
彼はブログでそれらに対していちいち斜め上の反論をして、更に2chの当該スレッドで晒され続けた結果、突如ブログを削除してしまった
丁度削除した瞬間僕はそのブログ覗いてたので、いきなりNot Foundになってビックリしたのを覚えてる。
彼の言い分だと「JCはゼロの使い魔など原画(彼は、オリジナルの原作イラストを"原画"と誤用していた)を尊重する会社だったのにとらドラは原画(くどいようだが誤用)を大切にしない、幻滅した」とかそんなんだったが、
そもそも、ゼロの使い魔ってオリジナルの兎塚エイジ氏のイラストと、アニメ版キャラクターデザインの藤井昌宏氏の設定はかなり絵柄がかけ離れてるのだが
彼の脳内では、アニメ版は元の原作絵を尊重したデザインだと思い込んでいた様子なのだ。
本当にこれはビックリした。その上で「とらドラはヤス氏のデザインを無視した=原作を踏みにじったものだ」と言い張った。支離滅裂だ。
このようなモンスター思考で絵の良し悪しを量ってなおかつ凸電までかます人間がいるのかと、非常に厭で暗い気分になった。
その後の経過として、第1話放送後「とらドラ舐めてた、スマン!」と手の平返ししたのだが、そんな振る舞いが火に油を注いだようなもので、更にコメント欄で非難を呼んでいた。
そののち2chの当該スレに管理人が来たり、管理人の片割れが来たり、管理人の成り済まし?が来たりして色々あったのだが割愛。そして突然のブログ削除。残念ながらウェブアーカイブにも残っていない
当時の状況は、上記スレッドでのみ一部伺えるだけだ。
■余談 その後とらドラのキャラデザ担当田中将賀氏は、同じくとらドラ!原作イラストのヤス氏作画の漫画「じょしらく」でもキャラデザを担当。今度はヤス氏の画風を尊重した設定でアニメ化された。因果なものだ。
■追記
kaitosterさんいただきました~
どうなの。
「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない(ちがう?)」と「とらドラ」となんか続けてみたんだけど。
どっちもね、一人一人表には現れないそれぞれの想いが絡み合って誤解やすれ違いをうみって感じで、
それが最後にほどけるというか、白日の下にさらされて或いはそれぞれが想いを告白して、最高に盛り上がってクライマックスってか。
いや、人は他人の見る通りじゃなくて、それがこのよを複雑にしてるのはその通りだと思うんだけども。
そんな最後にチームみんなの心が明らかになってハッピーエンドってならなくなくなくない?
なんかそういうのはもっと、そもそも他人を見てる時から見た目だけじゃないいろんな可能性を想像したりして、
自分だけの背景から人を理解しないように、それに基づいた行動によってきずつけないようにとか考えたりしてたら、
実は理解とか傷つけないとかいう概念とかのメタなレベルからそもそも噛み合ってなかったりとかして、
結局最初はよく分かんなくて最後までよく分かんなくてさよならって感じで、それで傷つきもしないし、だいたいすぐ忘れるし。
そんなんじゃないのかしら?
その二本を見て漠然感じたのは、みんなそんなにわかり合いたいんですかね、といった次第でござるよ。
こんなんみんな見てるの。
だいたい、あんなにわかり合ってクライマックスを迎えたあの人達は今後どうなるのかよく分からん。
がんばれよー。
結局最後まで、あのキャラクターになじめなかった。老ヲタの限界を見たというか。
昔のアニメなら、ナウシカとラピュタの台詞を全部暗唱できる程度には、自分にはアニヲタだった既往があって、昔はビデオがなかったものだから、中学生のヲタなら誰でも、テレビの音を録音して、絵コンテ片手に画面を回想する訓練を積んでいたものだった。
プアなメディアは老ヲタを鍛えて、旧ガンダムはもちろん映画館で見て、ゼータちょっと見て、ずいぶん離れてGガンダムをなぜか見て、そのへんまでは、アニメはきちんと楽しめた。
で、そのあとずいぶん長い中断があって、ローゼンメイデンのアニメをネットで見て、これは楽しめて、ハルヒはほとんど見ていないんだけれど、それでも部分部分を youtube で見る機会があって、見ると決めたら、本編はちゃんと楽しめた。
で、らきすた のアニメは良くできていて、あれは近所の本屋さんが環境ビデオ代わりにずっと流していて、チラ見して面白そうで、あとからニコ動であれを見て、十分に楽しめた。最終回はたしか、ネット越しに誰かと感想を喋ってた記憶が。
で、最近の「けいおん」と、「ストライクウィッチーズ」とは、あれは両方とも面白かったし、老ヲタでも楽しめた。「けいおん」のゆるい流れは、ぼーっと見ている分には全然苦にならなかったし、ストパンの裏側には呆れるほどの情報が詰め込まれていて、ああいうのこそ、古参のミリヲタは解説に燃えたのだろうし。
そんなこんなでこの1年ぐらい、ヲタ系のアニメにはつかず離れずのつき合いがあって、その流れで評判になっていた2本を見て、全くついて行けなかった。
「俺の妹」は、こう、好き嫌いとかじゃなくて、始まってものの5分ぐらいで、もう駄目だった。
主人公の動きかただとか、会話がどうしてそういうつながり方をするのか、自分には全く理解できなくて、見るのが苦痛になった。原作はちゃんと読んでるし、ラノベの絵だって万人向けの、ある意味ありふれた萌え絵であったし、アニメにはきちんとお金と手とがかかっているのに、あれはどうしてだか、自分には全く受け付けなかった。
元ネタのエロゲの話題とか、プレイこそしたことないけれど、その界隈の話題ぐらいは全部分かる程度には、自分はヲタであったはずなのに、どうして見るのがこうも辛いのか、不思議だった。
「イカ娘」も、ネットでは評判がよかったのに、駄目だった。同じくゆるい時間が流れるアニメにしても、らきすたの緩さには同調できて、イカの緩さはなぜかそれが苦痛になってしまって、楽しめなかった。
同じように「駄目だこりゃ」になってしまったのが「とらドラ」のアニメであって、あれは原作を全部読んで、十分にそれが楽しめたのに、アニメで動くと、原作での、キャラクターの痛い振るまいが、笑うべき場所がもういたたまれないぐらいに痛々しく見えて、見るのが辛くて、無理だった。
芋とイカにあって、ストパンとけいおんにはない何か、若い人たちはそれを楽しめて、「ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ」なんて、老ヲタを絶望させる、濃さだとか、緩さだとか、あるいは作画の品質だとか、そういうものとはまた違う何かが断絶を作り出していて、自分には、それが何なのかすらよく分からない。
年をとるってこういうことなのかもしれない。
【募集】大学入ってからいいよって言われたコードギアスとマクロスFしか見てない俺に見たほうがいいよっていうアニメ.もしくは映画など
離婚した、と書いたけれど正直いうと離婚届と書置きを残していなくなった(実家に帰った)だけだし。
俺:SEで29歳子供なし、嫁は28歳、ラブプラスが原因ってのは言い過ぎにしても、毎晩帰り遅い→嫁キレる→俺「お前なんかより寧々さんに優しく出迎えて欲しかったな」→終了。
なんか言ってしまったあと、俺も「しまった」と思ったんだけど、嫁のほうはなんかもう、汚物を見るような目、というか、何もかもをあきらめた目、というか、「こいつもうだめだ」って目をしていた。
正直ラブプラスを持ち出したのだってネタのつもりだったんだよ。
冗談のつもりで言ったんだ。嫁はどっちかっていうと非オタに近いというか、結婚してからこっちの趣味に無理やり付き合わせた感じもあるし。
ラブプラス出た当初は興味を持って一緒にやってたし。セーブデータ3つのうち1つは、彼女が攻略したリンコだし。
とりあえずこれから実家まで迎えに行くつもり。ケーキと花束を道中で買って。
結婚してこういう事態初めてだしどうなるんだろうね。平謝りするしかねーよなー・・・
■23:58追記
帰ってきた!平謝りして許してもらえた!
「ちょっとさすがに今回みたいなのは・・・ないと思う」って言われた。
離婚届は実はかなり前から用意していたらしい。「絶対いつか使うと思って、婚姻届もらいに行ったときに2枚もらっておいたの」だそうだ。
・・・あと1枚あるのかよ。
ホッテントリ入りしてたのね・・・。
正直、昼に起きて離婚届見たときに、とんでもない絶望感とともに「このタイトルで増田書いたら、釣りとしか思えないネタだよな・・・」って考えちゃってたんだけど。まぁそこで本当に増田書く程度にダメ人間です。すみません。ありがとう嫁。
あと、ブコメにあったけど、本当に寧々さんは、というかラブプラスは直接は無関係です。俺が競馬狂いで「お前の顔なんか見てるより、馬の顔見てるほうがいい」みたいなことを言っても同じか、もっとひどいことになってた。ってかうちの親父が実際に言った言葉なんだよな。書いていて思い出した。鬱。。。
以下トラバへの返信。
タイトルに「離婚した」って自分で書いてるじゃん。 本音はもう離婚したいなーって思ってるんだろ。
そんなこと無い。ってか前記のとおり、半分釣りタイトルです。まぁ書きながら「ほんとに離婚したら、俺死んでも後悔するだろうな・・・」とか考えてましたけどー。
アホか!別れるなバーカ!テメェ土下座しろ!
土下座してきました!別れなくてすんで本当によかった。。。
当初は嫁のほうからなついてきてくれてたけど、気がついたら俺のほうが好きになってたよ。本当よかった。
嫁さんは、こんなやつと復縁するより離婚した方が良いだろうな。
俺より彼女を幸せにしてくれる奴が居るなら別にいいよ。でも今回みたいな別れ方は絶対いやだ。
人に嫌われたくないし、人を嫌いたくもない。それが嫁ならなおさらだ。
・・・って、そんなこと言うなら、最初からラブプラスがどうこうとか言うべきじゃなかったな。
以下はブコメへの返信
id:curln タイトルが思いっきり釣りだなー。大した事ないじゃん。こんなん謝って終了。
すみません、あやまって解決しました。
タイトルは前記のとおり、釣りです。。。ってかあの状況でほんとうにこんなこと考えてるのが終わってますね。俺もう少し改めないとなぁ。。。
id:rusica ラブプラス関係ねーじゃん。離婚の原因にされた寧々さんに謝れよ(謎)/それはともかく。増田の思考回路そのものが原因だろうから、さっさと別れた方がお互いのためだと思ったりも
id:hachimasa ゲームのせいにしてはなりませんよ。
ほんとうな。俺のせいだよ完璧。。。
寧々さんすまん。俺これからもうちょっと嫁大切にするよ。。。
id:nttkyk SEで毎晩帰り遅いって仕事じゃないのか・・・
id:kobeni_08 毎晩帰り遅いって本当にどうにもならないのか聞きたい。嫁キレるの一言で済まされているけど、キレるっていうかせっかく結婚してるんだから、すれ違いはイヤだっていうだけでしょう
id:TsumuRi なんかいろいろ溜まって限界近かったところにトドメの一言になったんだろうなあ…
純粋に仕事です。週に一度早帰り日もあるんだけど、10月から越してきた部長が酒大好きなひとで、早帰り日は飲み会に連れて行かれ・・・ってのも影響していると思う。旧世代の酒好きの人は、酒の観点に関してはダメ過ぎるな。。。他の点では尊敬するところも多い人なんだが。
今後は極力、週一くらいは早帰りして映画見て外で食事くらいするようにします。
嫁は泣きつかれて寝ています。結婚して初めて涙見たよ。ごめんな。。。
前 http://anond.hatelabo.jp/20090612000559
ようやく見終わった。
ハッピーエンドでよかったよかった。
いい作品だ。
大河。好きだけど、ヒロインだということもあり、好感度を上げる演出がこれでもかとあったからこれも当然かなと。
櫛枝。後半で一番好感度上がったキャラ。これだけ感情爆発させて直球でぶつかれる女の子はなかなか現実にはいないな。というより、現実世界の櫛枝ポジションの子って多分クラスでいじめとかしてるよ。24話冒頭の、竜児が「追いかける」宣言した後のあの泣きそうな、悔しそうな顔がお気に入り。今「自分の手で掴み取る云々」言ったばかりじゃん! それでも男の子に自分を選んで欲しかったっていうのがすごく女の子っぽい。
川嶋。女としての狡さを出し切れない子供っぽさがよかった。お気に入りは21話の修羅場直前の竜児との会話シーン。弱さを見せて竜児に優しくしてほしい、って部分を(半ば無意識に)出してるあたりに狡さを感じるけど、狡くなりきれないあたりが子供だなって感じた。結局、前半で仮面をとったように見せかけて最後まで仮面をつけたままだった子。だけどこの子の竜児への恋心は多分幻想だと思う。あ、この子結局最後まで誰にも竜児への想いを理解されなかったのか。かわいそうな子だ。
北村。単純バカ。とらドラは女の子達は仮面を脱ぎ捨てて本音でぶつかり合うシーンがあるのに、男性陣にはそういう演出が用意されてないのが残念だ。仮面のかの字も出てこないよこの人。ある意味女の子から見たらこういうストレートな男気のある人は理想の男性像なのかもしれない。でもやっぱ、一度くらいは竜児と殴り合うか何かするシーンがほしかったな。とてもそんな状況起こりそうにないけど。
生徒会長。一番子供っぽくて女々しい。北村のことが好きといっても、自分の夢を捨てる気はない。遠距離恋愛する気だってない。だから距離を置こうとしても、未練たらたらではっきり断らないばかりか下級生に徴発されただけで泣いて本音をぶちまける。北村はメッセで会話したりとかメールのやりとりぐらいしてたんだろうか。そんなのもなしで追いかけて海外行ってもロクな結果にならないだろうね。でもまあ、北村だったら他の女の子にモテるだろうしいいのか。あ、別にそんなに嫌いじゃないよこの子。
竜児。一番感情移入しづらかった。ギャルゲーの主人公的というか、深い心理描写も特になく、受身体質。結局なんで櫛枝のこと好きだったのか分からずじまい。大河のことも、大河の方が竜児を好きになったから自分も好きになっちゃったって感じがして、先行き不安。いくら大河ががんばろうと、大河が竜児に依存する関係が変わるとも思えないし、もしそういう状況に竜児が疲れを感じてしまうようになったら危険だよね。でもハッピーエンドでよかったよかった。竜児自体はとっても気に入っている。特によかったなと思うのは最終話。初めてできた恋人と二人だけの世界に入り込むんじゃなくて、ちゃんと親や周囲の環境と向き合おうとしたのは高校生としてすごく立派。そう考えると、受身体質だったのもそれを打破して最終話の行動に出たのもストーリーの根幹の一部なので、それにどうこう言うのはナンセンスか。いやでもそれだったら、そういう受身体質な部分にスポットを当てたエピソードがほしかったな。いかん、下品な批評めいたことを書いてしまった。
竜児がもし大河以外の子と付き合ったとしたら? と考えてみた。
もし大河がいなければ、結構普通に櫛枝と付き合うところまでいけたかもしれない。北村つながりで、それなりに接点あるだろうし、川嶋とのからみ(5~6話)も大河の代わりに櫛枝がいれば、ディテールが違っても竜児・櫛枝・川嶋は原作通りに親しい仲になっていた可能性がある。そんな中でうまいこと櫛枝と付き合う流れになってもおかしくはない。でもすぐ(1~2年で)別れるんじゃないだろうかと思う。多分、櫛枝がそのうち「太陽」の仮面を被り続けることに疲れちゃうだろうから。仮面とっちゃったら単なるめんどくさい子なので、世話焼きの竜児が面倒みるかもしれないがそれもいつまで続くか不明。
では川嶋はどうだろう? 俺は、竜児と川嶋が一番上手くいくんじゃないかと思う。川嶋の片想いって、片想いのうちは幻想だと思ってる。竜児って川嶋にとっては多分初めての「本当の自分を見せれる異性(北村除く)」だろうから、年頃の女の子だったら恋して当然。でもその部分「だけ」で好きになっちゃったらやっぱりそれは幻想だ。しかし、竜児がその想いを受け入れたらそれはもう幻想じゃなく現実になる。そうなると、多分川嶋は竜児に思いっきり依存する。典型的なツンデレになる。でも川嶋は (1)大河と違い、そこそこ正常そうな家庭を持っている。すなわち、大河と違い、恋愛以外の生活のあらゆる部分で竜児に依存することはない (2)学生と違い、仮面を被り続けなければいけない仕事の世界で修羅場を抜けてきている(と思う) の2点で他のキャラとは違う。結局、恋愛以外の世界、竜児のいない世界を多く持っているからそれだけ依存しにくい環境にある、あるいは一時的にのぼせ上がって依存しまくっても、現実復帰するのが早い(というより現実復帰しなければならない)環境にある。これがうまく回れば、適度に竜児に甘えつつ適度に対等に接する、そんな関係になるんじゃないだろうか。
もう一つ妄想。もし川嶋の恋心を周りの誰かに悟られてたら?
櫛枝。もし知ったら、真っ先に妨害すると予想。自分のために、大河のために。
大河。ばかちーのこと気を遣っておろおろするんだろうね。そして櫛枝に知られ、上と同じパターンに。
北村。すごく喜んで、そして協力すると思う。かといって大河の邪魔をしたりとかはしないと思うけど。フェアプレー推奨。
竜児。夏休み~文化祭直前ぐらいまでだったら案外落とせたんじゃないかと思う。
とまあ妄想含め色々書き散らしてみたが、とらドラ本当に面白かったしキャラはみんな好きです、はい。
いい年したおっさんがこれ好きなんてカミングアウトしたらどんびき間違いないので言わないが。
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(09/6/16 追記)
帰ってきたらなんかいっぱいブックマークついてて驚いた。
>楽しそうでなにより。亜美ちゃんを名字で呼ばれると違和感あるぜ。原作読むといいよ!
呼び方は竜児の呼び方で統一してる。さすがに亜美ちゃんとか(自分がキモくて)言えない。
こちらでも原作プッシュか。ラノベとか10年ぐらい読んでないけど一度読んでみるか。
>とらドラ!については本当に思うところが多々あるが、それを書くリソースがないし、たぶん自分の中に抱えて解決すべきものな気がするので当分書くことはないと思う。
俺も見たかった
あの子のツンっぷりが尋常じゃないと感じたのは、24話で櫛枝が泣き崩れるシーン。
よくあの涙見てツレ泣きしなかったなと思った。
あのプライドの高さが好き。
デレっぷりに期待できそうだと感じたのは、22話で自販機前で座ってるとき、聴こえる足音に期待しまくりの顔したとき。
あれは心の中で絶対しっぽ振ってたな。
>亜美は不憫な子だ。だからすきなのかもしれない。PSP版買おうかな
亜美は視聴者に気づいてもらえるだけマシだと思う。現実世界じゃ誰も気づいてくれないんだよね。
小説版読んだことないけど、やっぱり原作見てるとがっかりする部分あったりするのかな。
この部分カットしやがって、みたいな。(上の方でもあった、会長の描写とか?)
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(09/6/17 追記)
>巧みな分析
分析と言われると恥ずかしい
>キャラ別ツッコミ。みのりんのように激情を発する女子は普通に結構いるけど可視化されてない。亜美を子供っぽいと評する人は珍しいかも。北村は根は熱いけど爆発しないのは偏に竜児や大河への信頼感が絶大だからかな
櫛枝については言葉足らずだった。
ああいう風に「さわやかに」爆発させることができる女の子ってなかなかいないよなと書きたかった。殴りあったりとか。偏見かもしれないが、普段隠しておきながらいざとなると爆発する女の子ってどうしても陰湿な部分があるという印象があるから。
亜美の評価は珍しいのか。おっさん目線で観てしまうとどんな子も子供に見えてしまうからな。
北村については、信頼感というよりも無関心に見えた。無関心は言いすぎか。「まああいつらは勝手にうまくやるだろ」的な。あ、そう考えると信頼感と言えなくもないか。ううむ。
ようやく18話まで見たが、面白いなんて認めたくない。
だって29歳男独身彼女なし、昼間は仕事をバリバリこなすサラリーマンが、会議で熱弁を振るったその2,3時間後に家でアニメ見てボロボロ泣くなんてキモ過ぎるだろ。
アニメは昔はよく見てたけど会社入ってからはほとんど見なくなったし、萌えとかもあんまし興味なかった。
なんでみんなあんな真っ直ぐな子なんだ!って思わず叫びそうになった。
まず大河。あの子の言動一つ一つが、今までどれだけ「ほしいものが手に入らないこと」で傷つけられたかよくわかる。
父親なんかいらないと言いながら、もう何度目かわからない父親が差し伸べた「やり直し」の手を握って信じようとしてしまうあたりが特に痛々しい。頭が悪いんじゃない、本当にほしくてたまらないから信じようとしてしまう、期待してしまう。
次に北村。レギュラーメンバーの中でも一際真っ直ぐな子。友達にいたらいいとは思うが、実際にこういう奴いたら輝きすぎて近づけないな。なんか後半「実は家庭が○○で」とかなったらどうしようとか思ってたけどなんか伏線回収したっぽいし今のところそういう雰囲気なさそう。壇上のアレは王道。ベタという奴は許さん。
川嶋はすごく自分と似てる、と言おうと思ったけど多分「いやオレの方が似てる」なんていう奴がいっぱいでてきそうなのでやめる。川嶋は「人は他人の前では仮面を被るもの」という概念を具現化したようなキャラクターだから、視聴者は誰もが共感する部分を持つと思う。この手の話にはよくあるポジション。でも本当の自分を見てほしい、本当の自分を見てくれる人がほしい、なんてあたりも割と王道キャラ。でも亜美は「仮面を被る自分」とも向き合う強さを持ってたり、普段は表舞台に立とうとしながら肝心のところは陰から大河や竜二、櫛枝を助けようとする優しさも持っている。もちろんそれは孤独に対する恐怖の裏返しでもあるのだけど、恐怖に正面から立ち向かう強さでもある。竜二に対して臆病すぎたり優しすぎたりするわけでもなく、ときには突き放すあたりもまた彼女の強さだ。
生徒会長、最初あの人と川嶋の区別がつかなかったんだが、中身までそっくりで驚いた。正直なんで出てきたのかわからない。別に嫌いというわけじゃないのだけど、なんか北村や大河の引き立て役でしかなくてかわいそうだった。原作だともっとこの人について掘り下げた描写があるのだろうか? あの老成した性格は、家庭環境が特殊だとしか思えない。そういえば高校時代の同級生で学年トップの男がいたが、そいつはやたら老成してたな。確か固い家のお婆ちゃんっ子だったような。案外あの生徒会長もそういう家の出なのかもしれない。まあラストはわーわー泣いたりして高校生らしいところを見せたりもしたが、それでも精神年齢が軽く25は行ってるよこの子。ちょっと真っ直ぐすぎてカタブツなのが難点だが、後10歳年とったらおつき合いしてみたいところだ。
櫛枝。18話終了時点で落ち込みモード全開。今のところ、登場人物の中で最も高校生らしい(とオレが勝手に思ってる)キャラ。遊んで、部活して、恋して、はしゃいで、落ち込んで……北村とは別方向で青春してるって感じがする。竜二に対してほのかな恋心抱いてるみたいだけど、その恋愛に至るまでの思考回路を想像すると、やっぱ10代の女の子っていいね。言っておくがオレはやましい気持ちを抱いてるわけじゃないぞ。でもこんな子妹にいたらちょっといいかもとは思う(オレは姉が一人いるだけ)。櫛枝も生徒会長も、自分の仮面に正面から向き合うって点では川嶋に負けてるな。頑張れ。
最後は竜二。なんで最後に持ってきたかというと、このアニメこれまでさんざん竜二視点で物語進んでるにも関らず、竜二自身の情報がほとんど出てないから。父親いないし、母親あんなだし、明らかに家庭環境が異常で、そのことで精神的な傷を負ってる描写も僅かにあったが(玄関前で父親を拒絶する大河を叱るシーン)、しかしそれ以上の描写がなかった。これは意図的にこの部分にスポット当ててないんだろう。クライマックスに持ってくるために。あの母親がやたら登場回数多いにも関らず今まで話の本筋に全くからんでこないのも気になる。多分母親ラスボスなんだろうなーと勝手に予想。
いやほんと、竜二いいやつだと思うんだけど今のところ何も言うことがない。竜二と聞いて連想するのはお弁当だったり掃除に夢中になるところだったりで、精神描写がほとんどない。あるのは幽霊の話ぐらい?大河に一生懸命になってるところはここでは除外。「なんで」一生懸命になるかの描写がほとんどないから。その辺含めて後半盛り上げてくれると期待。
主要登場人物以外のサブキャラもいい味だしてる。あのクラス先生も生徒もみんないい奴ばかりだな。全国の高校生はきっとうらやんでるに違いない。現実はもっとギスギスしてるからな。あの先生も普通にいい人だね。年近いしおつき合いしてみたいよ。
と、一通り登場キャラクターについての寸評を書いたが、あれこれごちゃごちゃ言うよりみんな好きの一言で片づけたいところだ。一人一人が輝いてる、なんて臭い言葉が思わず漏れてしまうような、そんな素晴らしい子たち。
正直、このアニメを面白いって認めたくない。これ面白いって言うんだったらまだそこらの萌えアニメ好きって言う方がマシだ(あんまし興味ないけど)。これを面白いって認めることは、自分の精神の未熟さを認めることになってしまう気がする。高校生の悩みに共感してしまう自分が恥ずかしくなる。いや、共感というほど自分を重ねてるわけじゃないが、でも先生の目線で暖かく見守るってほど遠くの距離から見てるわけでもなく……オレの貧相な語彙力じゃ説明できない何かがある。でもやっぱりこれを面白いと思うのは耐えられない。職場の同僚や大学のサークル仲間(みんな仕事して結婚したりして大人になってる)にこれが好きだなんてばれるくらいなら、ガンダムとかエヴァが好きって思われる方がマシだ。「自分も結局『仮面』と向き合うのが怖いだけ」ってことなんだろうけど、それさえ認めたくない。
いいよ、オレは仮面被って生きてくよ。みんなそうしてるようにさ。
……こうやって酒飲みながら上の一文書いたら、頭の中で大河が飛んできた。
「ぬわにたわけたこといっとんじゃあーーー!!!」
蹴りで。
ああ、川嶋ってきっと大河のことこう見えたんだろうなあと思う。
やっぱ大河すごい。ていうかこのアニメがすごい。頭の中でキャラが動くぐらいはまるとは。
最近の仕事疲れでもやもやしてた頭の中をきれいにすっ飛ばしてくれた。
と、まあこの「とらドラ!」がオレにとってどれほどつまらないか説明したが、わかっていただけただろうか。
オトナアニメの新しい号が出てたので、流し読みをした。
俺はオッサンなので、感性が枯れてきていて、最近アニメに飽きてきているのだが、惰性で読んでいる。
曰く、とらドラはリア充アニメで、平気でリア充がアニメを見るような時代になった。若手の作り手もリア充になっている。その結果、つまみ食い的に話題作に参加することが目的のような若手が多くなった。一本に情熱を注がないリア充が多くなったことに、アニメの危機を感じる。のような内容。(微妙に違っているかも)
どこかで聞いたことがある話だ~。(奥田民生)
一昔前の、ネットサービスに身を投じる若者などを思い出すね。・・・今は、iPhoneか。
でも、確かに、ヤマカンの危機感も分からなくもないけど、何か違うような感じがするんだな。リア充化というのは、メジャー化であり、TVアニメがリア充になるのは喜ぶべき事だと思う。裾野も広がる。多分、自意識過剰で、暗い情熱を持っている若者は、ひとけのない自分の居場所を自分で作ると思う。例えば、HellsingのOVAのように、無意識的にか、意識的にかは別にして、人が避けて通るような場所を自分の有利な立ち位置として移動してしまう。というか、そういう体質になっていますから。(体験的に)
ヤマカンも高学歴だし、本人が自覚している以上にリア充だったと思うので、その辺に想像力が及ばないのは仕方が無いのかも知れないが。
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2009/02/23(月) 11:45:34 ID:qqSAubP20
だって、非リア充の人はこのアニメを素直に鑑賞できないんですもん(笑)
今、放送中のとらドラを見ている人なら知っていると思います。
物語に出てくるのは血気盛んな10代の輝く少年少女たちばかり。
俗に言う“陰キャラ”らしき人物は徹底排除&否定されるような作風のせいか、
あまり親近感の湧かない、どこか遠くの世界にいるようなキャラばかりで感情移入が難しい。
暗黒の青春時代を過ごした人、現在進行形でリアルに充実していない人は、
この物語で言う外野的存在なのだと25分間みっちりと認識させられる。
2次元で(疑似)青春補充するという役割を持った現実逃避的な部分がありましたよね?
それがとらドラ!には一切ないんです。
なんというか、非リア充に優しい成分がない。
徹底的に非リア充を見下してる感が凄い。
「これが現代高校生のリア充生活だぜ、お前は願ってもこんな生活を送れないけどなw」
という現実を見せつけられるような、嫌なリアリティーがにじみ出てるんです。
(おかしいよね、萌えアニメのはずなのに)