はてなキーワード: 食指とは
自分のもやもやとしてた点はご指摘していただいた3次元の「消費期限」なんですよね(ゲスい言い方ですが・・・)
JS・JCはすぐ過ぎ去ってしまうと思うので、ロリアイドルを追っかけても忙しないだろうなと思ってました。
自分でもまだ消化不良なのでこれが理由だとお答えできないんですが・・・う~ん。
これは犯罪者予備軍かもしれないですが、やっぱり何らかの形で物理的なレスポンスが来る可能性が残されてるのが重要なのかもしれないです。
レスポンスといっても、これは無理やり抱きついて嫌がる素振りに興奮するなどではなくて、
もし声をかけたら反応してくれるとかそういうものです。
TIME誌の「今年一番のゲーム」から落選というニュースを聞いていてもたっても居られなくなった.
オレはスプラトゥーンしか現在有効なゲームソフトを持っていない.
(他はサポート終了とかハードが壊れたりとかで,ゲームソフトを買うのは実に10年ぶり,プレイするのは実に7年ぶりだ)
他にWii Uで買う価値のある,プレイに時間を費やす価値のあるソフトを見いだせない.
確かに小学生の頃,親にねだってもついに買ってもらえなかったスーパーマリオには食指が動くが,いまはそんなもんよりも少しでも長くスプラトゥーンをプレイしたい.
だが,あくまでネットだけの盛り上がりであるという印象を禁じ得ない.任天堂の宣伝が足りない.
いイカね,イカは少しでも明るい集魚灯に寄ってくるのだよ.
だから函館のイカ釣り漁船は,北朝鮮の街灯の総計より明るい(ソースは無い)集魚灯を持って海に繰り出すのだよ.
TVCMもよく出来てるとは思うが,本物のイカ釣り漁船の集魚灯みたいな明るさを放ってはいない.
オレの知人ででスプラトゥーンにハマった人々は皆,普段から話の種を求めてネットを渉猟し,「スプラトゥーン? これ面白そう!」と,自発的に「スプラトゥーン」という餌に食いついたイカばかりだ.かく言うオレもそうだ.
だいたいこれだけネットでは社会現象になってるのに,テレビではサガケーンで一言触れられて終わりって,本当にこれだけで終わっていいのか!?
開発期間より短い期間で飽きられていいのか!?
そんな自分の考えは感覚的で厳密じゃないので、何を感じたのか分析してみたのだが、厳密に言えばほしいものがないわけじゃない。どうやら以下のようなことらしかった。
1)日常的な欲求はあるがそれは強い欲求ではない
例えば普段食べてるランチが700円で、1000円のランチが食べたくないか? 食べた時嬉しくないのか? と問われればNoだ。たまには食べたい(そして実際食べる)。
が、それって欲求としてさほど強くもない。「今月はランチずっと700円です!」と言われれば「そうですか」で済んむでしまうようだ。あるいは「自炊して300円で抑えてね」も同様、「そうか」と思う。面倒くささは感じるが、1000円のランチが食べたい! という欲求ではない。
もちろん僕がランチの資金が毎日200円でコンビニおにぎり一個と公園の水であれば、700円のランチに強い執着心を感じるかもしれないが、それは欲求かっていうと空腹であるような気がする。コンビニのおにぎりがどうしてもいやかというとそんなに嫌いでもないし実際普段そこそこ食べているのだ。
自分には、1000円、あるいはホテルの3000円のランチを目指すような強い衝動が存在しない。
同様に、毎週ライブにいきたいとか、毎日違う服を着たいとか、月に10枚は円盤を買いたいとか、そういう日常的な欲求も特にない。
2)遠い地点に望むものはあるのだが理性的に制御できてしまっている
うすらぼんやりと、どこか気候のよい地域のホテルで暮らしたい欲求がある。というか、人生ずっとホテル(とか旅館?)で暮らしたい。これは僕の憧れの生活だ。でもそれって毎日3万円x365日x50年って考えると5億以上必要になるので、現実的ではない。
現実的ではないんだが(絶対に)不可能かというとそれも違う。5億稼ぐ人は日本人に一人もいないかと言えば、それは居るだろう。この年齢からチャレンジする人も皆無だとは言えない。つまり「僕がチャレンジしない理由」にはならない。「そういう生活したいなら努力してみればいいじゃない」は正論だ。そもそも目標額(5億)稼げなかったとしても、より稼ぐ何らかのアクションを起こせば収入が上がる可能性そのものは高い。年収をたとえば+10万するとか、不可能だとは思わない。つまり、努力は無駄にはならないはずだ。
しかし、食指が動かないというのが正直な気分だ。5億ゲットできるならかなり頑張れるのだが、+10万くらいなら別にいいや……という気分なのである。+10万というのは700円のランチが974円になる程度であって、項目1に連結する。つまり1000円のランチをそんなに頑張って食べなくてもいいや、と思う。
厳密にいうのならば「5億の欲求はあるのだが、その実現可能性と労力を天秤にかけて、そこまでして頑張らなくてもいいと思っている」のだろう。それはつまり「そこまで欲求が強いわけではない」と言える。
1,2と考えてつまり欠けているのは中間的な目標なのではないか? というところにたどり着いた。もう少し厳密に言うと「日々のお小遣いで買うことはできず、可処分所得でも購入できず、貯金という行為が必要になるのだが、その貯金そのものは数年~二〇年間程度の中期計画で見通しが立つ程度の買い物」だ。
該当する金額としては500万円~1億弱程度だろうか。
そしてそういう射程に目標物がないのが自分の問題なのだと思う。住処については持ち家を相続したし両親は他界して介護の必要はなく、車には乗らないし。もしこれらに何らかの問題があった場合、金が必要だと思うことになると思うのだが、それは欲求ではなくて困窮だ。
結局、自分は今の自分のライフスタイルでそこそこ満足しているのだ。決して金持ちではないのだが、飢えてるわけでもないし、職がないわけでもなく、日常的なひもじさや寒さは感じていないし、たまに豪華ランチくらいは食べられる。タバコは吸わないし、お酒は飲めるがわざわざ一人で飲もうというほどではない。趣味もあるが莫大な金を必要とするものではなく、むしろ微妙に黒字になる程度だ。
そういう風に自己分析をしたのだが、これって珍しくない日本人なんじゃなかろうか?
僕には「お金を使うロールモデル」がないが、日本全体にもいまそれが欠けているように思える。
テレビと冷蔵庫と洗濯機を買うために頑張ってた僕らの祖父祖母にあった「家電という豊かな生活をする私たち」というロールモデルがない。
車やマイホームをもとめ郊外に一軒家を建てて妻子と共に暮らすという僕らの父母にあった「高度成長期の若夫婦」というロールモデルもない。
それらはそこまで強く望むまでもなく手元にあるし(数万円で安いテレビは買えるし)、あるいは結婚やマイホームというものが「手に入ればそれで幸福になれる保証チケット」ではないということも、周知されてしまった。
若者のナンチャラ離れとか、消費が冷え込んでって、案外こういうことなんじゃないのか?
もちろん僕らがこういう豊かな社会に住めているのは、祖父母や両親の世代のおかげなので深く感謝するし、スマホの無い時代のほうがよかったなんて口が裂けて言うつもりはない。生活のために仕事もしてるし、将来何かあったら困るから貯金もする。
でも、1や2のような思考を経て「パーッとお金を使って幸せになってる自分」が想像できないのも確かなことなのだ。自分にはおそらく「お金を使って幸福になるロールモデル」が欠けている。そしてそれは、日本の若者から中年にかけて、全員とは言わないが、心当たりがある欠如なんじゃないかと思う。
考えてみれば、祖父母の(つまり昭和戦後復興の)「豊かな暮らしのイメージモデル」は欧米からの借り物だった。高度成長期のマイホーム幻想や家族で団らんのイメージもそうだった。
追いかける背中があった。そしてそれは参考書があるというのと同義だった。いま日本は世界有数の先進国となって(少子化という意味では最先端国家だ)、道に迷っている感じがする。日本だけではなく先進国全てがすべて「追いかける背中」を喪失している。「憧れの生活」が見えづらい。
貧しくないし不幸じゃないんだが、ふわふわしたやるせなさはある。
そんなことを考えた月曜日だった。
今でも三次元より、二次元のほうがすべて勝ってると思っているが。
そもそも、女に興味なかったのかもしれないってか。
二次元での快楽が楽しすぎて、もうおなかいっぱいみたいな感じかなあ。
こんな感覚あるだろうか。
昔なら、美女とのセックスなんて、殿様くらいしか飽きるとかなかったが、今はxvideosで見るだけなら昔の殿様以上じゃん。
うっかり「食指が伸びる」と書いてしまって「食指は動くものであって伸びねーよ」と訂正された過去のトラウマによる過剰修正ですね
ガッチャマンクラウズしか見てなかったけど、噂を聞く限りではオーバーロードが評判よさげね。
うーん見てみようかなー
うまるは原作読んだけどうまるかわいいし3分アニメだったら毎週みたのになあ
なんかもー自分が知らないラノベ原作のアニメは全部食指が動かなくてねえ・・・
かといって原作知ってたらそれはそれでもう展開わかってるから見ないってなるし
完全オリジナルかつ好きな監督とかスタッフが作ってるのしか見なくなってきたわあ
嗜好品のアニメですら失敗を恐れて費やす時間と労力を避けている
そんなんで脱独身なんかできるわけねえわな
でもそれが俺なんだよな
定年後に縁側でゆっくり茶を飲むような毎日を一秒でも早く過ごしたい
なにも したく ないよー
つかれたー
セブンが好きで、惣菜買うときはだいたいセブンを利用しているのだけれど。
流石にいつもセブンじゃ飽きるなと思って、少し遠めのローソンまで赴いてみたわけよ。
そこで惣菜を物色するのだけれど、どうも食指が動かない。控えめに言って、まずそう。
結局ローソンでは何も買わずに、その日はいつものセブンの弁当を買って帰ったんだ。
自分はローソンの惣菜よりはセブンの方が味は好きだが、そこまでの差があるとは正直思わない。
だから、ローソンでなにも買う気になれなかった自分に対して、少し衝撃を覚えた。
セブンとローソンを決定的に分かつものは、(少なくとも僕にとっては)味ではない。だとすれば、それはいったいなんだろう。
その疑問は、馴染みのセブンに入った瞬間に、氷解した。
ズバリ、照明が違うのよ。
全部が全部そうかは僕には分からないが、セブンの照明の色は少し赤みがかっている。
赤というのは食欲を増進させる効果がある、というのはご存知の方も多いだろう。
家庭でも、ダイニングの照明はだいたい赤っぽい色だと相場が決まっている。
照明が、セブンの惣菜を美味しく見せているのだ(勿論、他の部分での企業努力もあると思う。セブンは見た目に対するこだわりが他のコンビニより強いと感じる)。
どこもだいたい、青みがかった、蛍光灯らしい色で光り輝いている。
クリーンなイメージを出すには良いかもしれないが、この色、食べものとは非常に相性が悪い。
結果、あまり美味しそうに見えない。そのイメージは固定され、いつしか「セブンが美味い」という風潮が生まれる。
と、つらつらと書き連ねたが、自分のなかではそんなふうに納得した、というだけの話です。
http://anond.hatelabo.jp/20150708154932
本編は、なるほどなあ、と思ったよ。だが、一点、大変に気になるのだ。
https://kotobank.jp/word/%E9%A3%9F%E6%8C%87%E3%81%8C%E5%8B%95%E3%81%8F-534150
私は刀剣乱舞が嫌いだ。
家族が芝ゲーに嵌ってガンオケ語りしたり、スレに入り浸ったり、大絢爛舞踏祭ROMしてた頃から芝村嫌いだったけど、どっちかというと芝臭は薄いし、ある種のプレーヤーのハートを掴む術は心得てるよねと思う。どいつもこいつも量産型八葉みたいなデザインだなとは思うけど、それもまあ別にどうでもいい。
明らかに安い釣りに来てる公式台詞が気持ち悪い。審神者って言葉の使い方も、いかにも芝村らしくて気持ち悪い。サービス開始二日目位から、アンチ発言したどこかの人を寄って集って炎上させて吊るし上げて叩いてたファンが気持ち悪い。自称創作厨が一気にあのジャンルに流れて行ったはいいけど、それ本当に元ネタあるのかみたいな突然のあるあるネタが気持ち悪い。TLにしょっちゅう流れてくる絡み漫画も、申し訳ないけど高確率で気持ち悪い。
ブラウザゲー興味ないしモバマス艦これ他に食指が動く事も反感を覚える事もなかったから、自分でもなんでこんなに嫌いなのか理解出来ない。少なくとも自分にとっては創作的な人を悪い意味で刺激する芝村世界観が悪い方向に作用してるのかもしれない。
システムパクだの絵師トレパクだのネットから素材流用だの本体がキナ臭いことになっててある種ああ…って思った。それでも、あの界隈の雰囲気が元に戻ることはないだろうなと思う。それ自体が単純に好きな人に悪意はないの分かってるけど、全く興味ない、自重しない腐ネタがガンガン飛んで来る状況にはそろそろ耐えられない。自分の立ち位置だと思ってた場所が、実は全くそうじゃなかったってだけのことで、特にこれ以上悪く言いたいわけではないけど、合わないものは合わない。
2chに類する誰でも書き込める環境で、とある特定の事柄について中途半端な知識と個人の思い込みと願望のいりまじったコメントをすると、とたんにその事柄に関連する場の中で日常を過ごしているモノが、揚げ足を取って小ばかにして個人攻撃を始めるし、ひどいときには複数人を装って叩きに叩かれることがとても多かったような気がする。
そんなことが何度も続くとさすがに本当に嫌気がさしてくるわけで、書き込みはできるけど他者からの返信を無視してもかまわない環境である、コメント欄禁止のblogや、ニコ動のコメみたいなところに移って好き放題書く日々がづづく。
それも一ヶ月もたてばレスポンスのない虚しさに耐えられなくなるが、2ch他でのクソみたいな連中と絡むのは二度とごめんなわけで、かといって独りで長文かいててもしょうがないしってことで他のサイトを訪問してはコメント爆撃しイイネボタンを押して寝るくらいに、熱意が下がる。
そのうちネットなんて誰でも何を書いてもいいなんていうのは、若者には無限の未来があるとかいう大言壮語に等しい嘘っぱちだったって気がつき、書き込むのを辞める。
でもってPCはスマホのメンテの知識を検索するのと、ショッピングサイトを回る以外には電気が落ちてる状態になる。
PCを朝から晩まで使う日々が終了し、ウイルスやら銀行系サイトの偽装なんかの知識が後手に回ると、契約していたネットバンクは解約しamazonほかからカード番号を削除し、古いカードははさみでちょん切って解約する。
ネットで金銭被害にあわない一番確実な方法は、口座やカードを解約するのが一番簡単で対策のための時間もかからない。
PCを使う時間が少なくなれば、ほとんどユーザにばっちりフィットする広告らしい広告に触れることもないわけで、食指が動くことは激減し、PCで買い物する機会自体が減る。
なんかWin95販売前夜に感じた新しい夢のあるなんでもできる世界みたいなものは、実際のネットワークの中にはもちろんなかったし、ユーザーの中にあった漠然とした希望というか若年層でありがちな全能感も、ネットリテラシーが逐一増えていくにつれて霧散してしまったように思う。
遺族感情を踏みにじる内容だとして、遺族側はなぜか出版差し止めを求めているそうだが、書店での売れ行きは好調だという。
かくいう僕も読んでみたいと思っている。
殺人犯にしか書けない、生々しい物語が綴られているかと思うと、食指は止まらない。
手段としての殺人ではなく、あくまで殺人そのものを主目的とした殺人。
僕のように、殺人願望を抱えながら実行に移さなかった者と、実行に移してしまったモノとではどう違うのか。
興味は尽きない。
まずそれぞれの要素を書き出してみましょう。
(1)幼稚園のころ、おっさんに公園の茂みにつれこまれ性器をなめろと脅される(走って逃げた)
(2)小学生のころ、道を聞いてきたおっさんが下半身を露出していた(走って逃げた)
(3)中学生のころ、電車で1週間同じおっさんに触られ続ける(がまんした)
(5)高校生のころ、書店で角においこまれおっさんに胸を触られる(がまんした)
(6)高校生のころ、電車で膝下まである制服のスカートをたくしあげられタイツに手を入れられる(がまんした)
(7)高校生のころ、通学路に下半身を露出したおっさん(通学中の生徒全員が見た)
(8)大学生のころ、道を聞いてきたおっさんが下半身を露出していた(道を教えた)
(9)大学生のころ、車につれこまれそうになる(走って逃げた)
それぞれの要素と割合について
面倒くさいので全部80%ということにしましょう。
これまでの数字を集めると
(1) 80%
(2) 80%
(3) 80%
(4) 80%
(5) 80%
(6) 80%
(7) 80%
(8) 80%
(9) 80%
(10) 80%
(11) 80%
「平均的」を一般的と言い換えるなら50%は欲しい所なので
10%の人を「平均的」と言っていいのかということには疑問が残ります。
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