2021-06-02

自分人質にとって

毎日のように「死にたい」と言っていた時期があった。

メンヘラだとかかまってちゃんだとか思われていることもわかっていたし、自分自身自分自身にそう思っていた。

死にたい」という言葉には力がある。

死ぬことはなんとなく「絶対」良くないことだと思われているし、まぁ実際大体そうで、なんで「死にたい」かって言うかというと、良くないことだとわかってるから言うんである

本当に死にたかったのかといわれると、本当のところは死にたくなかった。そして、「死んでほしくない」と言われたかった。同時に「死にたくない」と思いたかった。

死にたくないから「死にたい」と思うことで、死にたくなさを確かめたかった。

もちろん他人に「死なないで」と言われることは自己肯定感みたいなものが刺激されて気持ちいいし、それを強く求めることをかまってちゃんって言うんだろうけど、

たぶん、みんな、少なくとも、私は

死にたい」と強く強く思うことで、自分の中にある死にたくなさを確かめたかったのだ。

で、他人が「死にたい」に飽きてくるように、自分も「死にたい」に飽きてくる。

ああ、またか、と、なる。

行為が具体的になる。手を止める段階が深くなる。

頭がボーッとして何も考えられなくなる。ただ、ただ辛い。ここで終われば、辛いのもまた、ここで終わる。

私は死ななかった。やっぱり私の中の死にたいは生きたいだった。だけど、それをちゃんと見極められたのは運がよかったからにすぎないのかもしれない。

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