はてなキーワード: 登場人物とは
俺のBLに対する解像度が低くて理解できていなかっただけなら申し訳ないんだけど、金田氏は受けが喜ばないガチレイプはBLでも絶対NGという人なの?
自分も金田氏の呟きを全て追っている訳では無いので断言しかねるけど…
今取り上げられている発言を見るに「本当は受けも火照ったカラダを路地裏のモブにもてなして欲しかったから実質和姦」という理屈を持ち出しているので、自分の愛するキャラのガチレイプはNGって人、なのではないかと
う~ん、でもやっぱり「結果的に受けが喜んでるからOKです!」が通るなら、勇次郎にレイプされた登山家は「その雪辱があったから男を磨くことに繋がり充実した人生を送っているからOKです!」もアリになっちゃわないか?
それとも氏の言うところの問題のないレイプは受けが「レイプされてぇされてぇされてぇヒャッホーッ!」くらいのノリで喜んでレイプされていて、結果的に喜んだレイプも氏的にはNGなのか?
その辺りの氏の認識が分からないと正確なところは分からないけど、増田の引用した氏の発言を見た範囲じゃ『BLに甘い人』というのが素直な感想になっちゃうかなぁ。
「結果的に喜んだレイプ」は「レイプされる前は本気で嫌がっていたのにレイプされている内に段々気持ち良くなって満足してしまった」という男性向けでよくある文法だしなぁ…
そういう「レイプだろうと結果的に気持ち良くなったんだから良いだろ?」という考えはありとあらゆる女性が忌み嫌っている男性特有の思い込みって事はもっと広まるべきだと思う
BLに甘い人という認識はズバリ正しいと思う。金田氏はBLが好きでBLに救われている人だから、どうしてもBLの肩を持って擁護してしまうんじゃないかと。
あと、流石に
刃牙は男性作者が描く男性読者の多い作品で「過去に性暴力を受けた男性」への影響を危惧するのも分かるけど
金田氏のBL妄想は金田氏の同好の士の女性の目にしか入らないし、金田氏のBL妄想を読みに来て傷付くBL好きの女性というのも考え難い存在だし
これはないわ。
この程度のふんわり予測が成り立つなら「バキは弱い者は喰われる世界観だと読書が認識して読んでいるから大丈夫」とか「興味本意で金田氏のBL妄想を見てあまりのエグさに女性不信になる男性がいるかも」とか「過去寂しさから複数人に体を許してしまい、そのことを後悔している女性が、性別は違えど受け男性に自分を重ねてしまって傷心になった」とかそういう真逆の想像だって容易にできるよ。
その可能性は十分あり得るね…ちょっと金田氏に都合が良すぎるあまりにも楽観的な想像だったかもしれない
BLを読む女性は自分と登場人物を切り離して客観的に見れるというのは40年以上前のBLがまだ少年愛物と呼ばれていた頃からある傾向だけども
地の文が主人公の一人称モノローグ形式の物語で、主人公の内面と作者による主人公の性格設定・他の登場人物からの主人公に対する人物評価が解離していることの何が悪いのか、ということについて追記。
これは地の文に主人公の真の性格が出ているというよりは、おそらく作者の主観(視点)が混ざっている。それが良くない。主人公視点で物語を書くならば、あくまで主人公から見た世界を書くべきだと私は思う。それは外の世界だけでなく主人公本人の内面世界を描くときも主人公の目から見た内面を描くべきだということ。
気立てのよくて親切で気の利く人間が、内心では物事や他人の言動を斜に構えた目で見て一々底意地の悪いジャッジをするだろうか? まあ、現実にはそういう人もいるかもしれないし、そういう人物像を狙って書いているならばそれはそれで構わないのだが、そうではなく、ただ視点というものに関して注意が足りないゆえに無自覚にやらかしている失敗であることが多い。
その斜に構えた視線、というのが誰のものなのかといえば、主人公ではなく作者のものである。俯瞰的な視点で人間関係をシニカルに観察することは、今現在渦中にいる人間(主人公)にはなかなかできない芸当だ。そういう、神の視点ともいうべき視点で物語を書きたいのならば、いくら書きやすくても主人公の一人称文で書くのはよして、三人称で書くべきだ。
でも、三人称文ってなんか偉そうな感じがするから、文章に親しみを持たせたくて、一人称で書いちゃうんだろうな。
それでも一人称で書きたいならどうすればいいのかというと、物語を過去のものとして、主人公が当時を振り返るかたちで書けばいいのだ。その場合、当時の自分と現在の自分で、そのとき起きた物事や他人の言動に対する感想が違ってくる。要は当時の自分と今の自分という二つの視点が入るという難しさがあるけれど、冷静な目で当時のことを分析できるという利点がある。
また、当時の自分と今の自分(地の文)の雰囲気が違っていても、おかしくはない。過去の自分はもっと世界をピュアな目で見ていたが、人生経験を積んだ今となってはだいぶ皮肉的な目線で世界を見るようになった、というのはあり得る。
https://note.com/tamakisaito/n/nbeac7a25626b
「ただし1点だけ。やむを得ないとは思うけれど通り魔の描写だけネガティブなステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ。」
他の登場人物が端役に至るまでイキイキと内面を描かれていて、その上で通り魔「だけ」がネガティブなステレオタイプに描かれているのなら
クラスメイトは藤野の描く漫画を持ち上げていたくせに年頃になるとオタクをキモがる底の浅いミーハーバカだし
藤野の家族が漫画への反対をやめて彼女が高卒で漫画家をやるのを認めるに至った過程だって描かれていない。
この漫画は一人称の、それも決して性格が良いとは言えない一人の人間の目を通した、主観的な漫画という構成になっているでしょ。
たとえば、「私は優しい人間だ。何故なら私がそう思うから」というのは通用しない。他人に対して優しくない行動を繰り返していれば他人から「優しくない人」と決めつけられる。
それは現実だけではなく、創作においてもそうなのだが、現実とは違い、創作物の登場人物の性格はたいていまず最初に作者が設定する。設定がまずあって、それからその登場人物の優しさを表現する小さいエピソードの積み重ねにより、登場人物のその性格を証明してゆくのだ。
ところが、プロアマ問わずに登場人物の性格を「この人は優しい人なの。何故なら私が優しいと決めたから」とでもいうような、設定とは異なる人物像を書いて平気な作家がけっこういる。
私がとくに気になるのは、地の文が主人公の一人称モノローグになっている物語で、主人公の性格設定・他の登場人物からの主人公の人物評が地の文から読み取れる主人公の人物像と大きくかけ離れている場合である。
よくあるのが、主人公が何らかのポジティブな性格を有していると、作者も物語のその他の登場人物も認めているが、主人公のモノローグが糞ひねくれていて物事や他人を酷く意地悪で斜に構えた態度で見てはネガティブジャッジを繰り返している、というもの。
それは、根は腐れているが表面的にはいい人そうに見えるキャラクターだというのとは違っている。糞ひねくれた地の文に引き摺られるように、言動もやはり糞ひねくれており、しかし何か物語が動くポイントで形だけ良いことっぽいこと(これも深く考えてみるとなかなか怪しい)をしているだけなのだ。
物語を書くとき、登場人物の人物描写をするときというのは哲学の時間だと私は思う。優しいとは何か、意地悪であるとは何か、残酷だというのは何か。そういうことを突き詰めて考える時間だ。
と、思うんだけど、世の中には設定と実際の性格がちぐはぐの登場人物を書いて平気な作家はいくらでもいるし、そこらへんを一々つつく読者も滅多にいないので、「このキャラは優しいんです!」と言い切ったもん勝ちなのかな。
ちなみに私は、『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の「頭が固い」という性格と、鬼舞辻無惨の身勝手ワガママな性格が、徹底的に首尾一貫としていてすごく良かったと思う。
世間が姦しくなっており、このまま放置するとどんどん創作物の漂白が進みそうなので、一応提言。
傷つく人がいるのは理解するが、それを理由に創作物が制限されるのは反対だし、より深刻な問題として、過去の作品まで添削対象になってるのは看過できないので、誰かの琴線に触れそうな要素は全部表示するようにすれば良い。
『この作品は不謹慎です』とか『この作品は中国批判が含まれてます』とか『この作品は偏見を助長する可能性のある表現が含まれてます』とか『この作品は暴力で物事を解決する内容が含まれてます』とか『この作品は鉤十字マークが出てきます』とか『この作品は海賊を美化しています』とか『この作品には差別用語が含まれます』とか『この作品には妊娠出産して幸せな家庭を築く展開が含まれます』とか『この作品は登場人物の数に対して黒人の比率が著しく低いです』とか『この作品に出てくる殺人者は精神疾患を患ってます』とか『この作品はレイプされて感じる表現が含まれます』とか『この作品は男らしさ女らしさに関する言及が含まれます』とか。
ただの愚痴
Twitterで細々と二次創作をやってて、毎回感想リプライ送ってくれる奴がいる
それ自体は嬉しい事なんだが
ある時から何故か俺の創作物への感想リプライに、毎回俺の創作と関係ない自作イラストを添付してくるようになった
例としては
@俺アカウント
みたいな感じ…
初めて絵を添付して来た時は「いやなんでリプライで投稿するんだよ!自分のタイムラインでやれ!」と思いつつ
まあ、いつも褒めてくれてる人なのでスルーするのも失礼かと思ってしまい
無難に「可愛いですね」と済ませたら、以来毎回絵を送ってきたので完全に失敗した
初回の絵は実際可愛さはあったんだけど、最近のはハッキリ言って1mmも褒めようのないヘッタクソな絵でつらい
最近は謎にスタイリッシュ方面を目指しているようで「可愛い」も使えんし
かと言って格好良くもないのでマジで面倒くさい
描いてるキャラの見分け付かないから、連想ゲーム的な返し方も地雷を踏みそう
とはいえ、そんな失礼な事を本人の目に付く所で書けるはずもない
ここ数日、相手の絵に触れないように感想部分にだけ返信してたら
さっき空リプで明らかに俺だと分かるように具体的に文句言ってて(リプ絵の問題以外は面白い人だったので一応相互フォローしてる)
あっ、これヤベー奴に捕まったわと思った
なんていうか自分が容姿やスキルを褒めて欲しくて無理やり相手を褒めてマッチポンプする奴みたいな不快感がある
鋼の心で添付絵をスルーし続ければそのうち諦めるのかもしれないけど
こんな聞こえるような陰口みたいな事されてまで見てもらう必要あんのかな…という気持ちもあるし
とはいえ、今までずっと感想くれてた数少ない有難い一人なのは確かだし
ってあるのだろうか
お笑いのこと詳しくないが
最近注意してみた感じ
などではないかと思う
前記の要素を満たしていなければ笑えなかったりする
で、文章というやつはそれらを全く満たしていない
同じように、口調も、動きも見て理解できない
だから、お笑いのようにはゲラゲラ笑うことはできないのではないかと思うのだが
アレはなんで笑えていたのだろう
母がスヌーピー 好きなんだけど4コマの日本語訳付きの文庫本シリーズ全巻持ってて私も全部読んだ。多分40冊くらいあったかな。
初期の方の絵柄のやつは無かったから連載全てを網羅してたわけではないと思うけど。
スヌーピー のアニメもあって母が買ったビデオテープを子供の頃何回も見たよ。
10年くらい前に六本木ヒルズでやってたスヌーピー の原画展に行ったけどめちゃくちゃ混んでた。全員が漫画を一通り読んでるとは思わないけどファンはたくさんいる。
どこから来たムーブメントなのかなぁ、母が若い頃にアメリカ文化ってことで多少流行ってたのかな?
登場人物は子供と動物のみで、大人は存在するけど描かれることはない。
何も良いところはないけど心優しいチャーリー・ブラウン、
チャーリー・ブラウンの友人のライナスは「ライナスの毛布」で有名、
ライナスの姉でよくチャーリー・ブラウンをからかって遊んでいる意地悪なルーシー、
等々他にも沢山いる登場人物達が子供のくせに落ち着いたトーンの会話とユーモアでクスリと笑わせてくれるんだ。
チャーリー・ブラウンはやることなすこと上手くいかないけどのび太みたいに一々大騒ぎしない。
「僕っていつもこうなんだ…」みたいな感じ。
諦念というか受容というかそんな感じ。
チャーリー・ブラウンの飼い犬のスヌーピー は犬なのに二足歩行だけど声を出して喋るわけではない。
でも思考はめちゃくちゃしていて哲学的だし、弁護士、作家、パイロット等にもよくなりきっている。
バイタリティと妄想力に溢れるスヌーピー とそれに振り回されるチャーリー・ブラウン、という構図がよく繰り広げられている。
「あのおかしな犬をなんとかしなさいよ!チャーリー・ブラウン!!」とかよくルーシーに叫ばれている。
そんなスヌーピー のキャッチコピーは「 The World's Most Famous Beagle(世界で1番有名なビーグル犬)」
「ホロコーストごっこを鬼ごっこ感覚でやっている狂人」を笑っているんだよ
小林賢太郎も片桐仁も観客もホロコーストが悲劇だということは理解している
理解しているからこそNHKの『できるかな』を模した一見すると牧歌的なキャラクターが
残酷な発言をするというギャップを理解してそのギャップを笑っているんだ
つーかこんなの説明させるなよ
「フィクションの登場人物は架空の人物であり作者の思想がそのまま反映された発言をしているとは限りません」
なんて言われなくてもわかっとけよ
彼は独自にミステリーを研究していて、2周目からは犯人の名前やキーになるセンテンスに線を引いたり丸で囲んだりする。
一緒に住み始めて本を貸してもらおうと思った時に知った。
曰く作家や時代ごとに伏線の貼り方の傾向があるそうな。さりげなくも印象に残る仕掛けはピンクのマーカーを使っていた。
ネタバレ覚悟でその解説を聞いたことがあるが、主人公以外で何番目にセリフがある人がどうとか、この作家は最初は名前だけ誰かに言わせるキャラは犯人にしないとか、なるほど一貫性があり、ネットで調べてもそういう考察をしてない話もあって関心していた。
彼は去年亡くなった。
救急車に乗る前に亡くなったそうで、受け入れ先がなくとかじゃなく、無駄に何かを恨まなくて良いのが救いだった。
落ち込んで誰にも言えなかった。
彼の話を聞かれた時はいつも犯人の名前に印をつけるから読めないんだよという話で笑いを取った。そうすれば帰った時にいてくれそうな気がしていた。
家には本しかないので読み始めた。
ネタバレを食らうのも癪なので、既読かつベタなそして誰もいなくなったを手に取る。登場人物紹介のところから丸をつけてあって吹き出してしまった。
笑っても泣いても、彼と共有したかったという気持ちは消えないけど、私にとっての彼の生き方を示すものがあるのはホッとする。
その方も「読みたかったけど印を見るの怖いです」と言っていて笑った。
何年か前に軽く炎上していたアメリカの映画があるんだけど、タイトルが思い出せない
その映画の登場人物が広島か長崎の原爆投下を笑うような発言をしていたそうで、
ネットでは「原爆投下を笑うなんて許せない!」みたいな流れになって軽く炎上していた
自分はその映画自体は見ていないんだけど、その一連の流れを紹介するニュース記事で
記者が被爆者遺族の会的なところの人にインタビューをしたらそのインタビューを受けた人が
「その発言はあくまでも登場人物の発言であり、製作者に被爆者を笑う意図があったとは判断できない」
というような冷静なコメントをしているのを見て感心したのを覚えている