はてなキーワード: 洋画とは
はじめてのデートは高校生のころだった。合コンで知り合った大学生の人に地元の映画館に連れてってもらった。なにを思ったかチョイスした映画は当時話題になっていたエクソシストのディレクターズカット版。エクソシストは文字通り悪魔祓いの映画で、ローティーンくらいの女の子にとりついた悪魔と神父が戦うという内容だったはず。
そこで見た劇中で女の子にとりついた悪魔が「キリストとフ〇〇クさせてやる!キリストとフ〇〇クさせてやる!」って叫びながら十字架を股間に何度もつきたてるシーンが印象的すぎて定期的に思い出す。すげーセリフだしてきたな…ってもうひたすら感心してしまって…。
とにかくいろんな恐怖シーンが物理的に起こるもので、びっくりはするけれど怖くなく、ただひたすら圧倒されるというか「お、おう…」みたいになった。
なんかこの間みたitもそんなかんじで、洋画ホラーは物理力がかなり行使されるよなーと思ってしまう。だって最終的にはピエロをみんなでタコ殴りにして倒していたもの…。
その期間ってかアニメって基本的にエポックメイキング同士の間ってあまり語られんよ。ヤマトとガンダムの間とか、ガンダムと攻殻機動隊の間とか、攻殻機動隊とエヴァの間とか。で、エヴァの次にエポックを作ったのがハルヒだったってこと。
んで、エヴァ(95)とハルヒ(06)の間に何があったかっていうと色々あって、
とか。
個人的に思い入れが深いのが少女革命ウテナ、カウボーイビバップ、スクライド、カレイドスター。
少女革命ウテナは男装少女が奇妙な学園で戦う話なんだけど、人の心の暗いところをぐりぐりえぐる話。今でも熱狂的なファンがいる。
カウボーイビバップは太陽系を舞台にしたSF×マフィアもの。良質な洋画みたいで話も絵も超ハイクオリティ。
スクライドはなんていうか考えるより感じろ的な熱血アニメ。とにかく見てみろ。
カレイドスターは土曜日朝の女児向けアニメなんだけど、そのまっすぐさが眩しいスポ根話。
ハルヒ以前に何もなかったと思うってことは相当若いんだろうけど、エヴァ以前も相当面白いアニメが山盛りなので、ぜひ色々観てみてほしい。
○朝食:餅入りたい焼き
○調子
むきゅー!
明日の朝5時から、世界最大のゲーム見本市、E3で僕の好きなMicrosoftのカンファレンスがあるので、今日は早寝します。
お休みの日なので、むっきゅりしてた。
むっきゅりというのは、ネットフリックスで映画やドラマを見ながら、ゲームをするという意味かもしれません、今日のところは。
今日見たのは「アレックス・ストレンジラブ」という洋画と「アンブレイカブル・キミー・シュミット」という海外ドラマ。
アレックスストレンジラブの方は、とても真面目で襟を正して正座してみるようなタイプの映画だった。
特に最後の最後の演出は、とても印象的で、社会的テーマ性を強く感じさせられた。
こういう「普通とはなにか?」「どの人たちも悩みの形や大小の違いはあれど、なにかを抱えている」みたいな、すごく普遍的なテーマを、ああいう演出で見せられるのは、リアリティがあって、この映画がフィクションの中にとどまった問題提起じゃない感じがとてもして、好きだ。
もうひとつ見た「アンブレイカブル・キミー・シュミット」は、打って変わって、ゲラゲラ笑いながらみるコメディ。
どっちが好きとか嫌いとかじゃ無いけど、こういうゲラゲラ系好きだなあ。
こういうゲラゲラの中に、人種の話とかの社会的なテーマがそっと添えてあるタイプ、アメリカのドラマって感じがして好き。
割とオチがちゃんとしていているからこそ、シーズン2も早く見たい。
シーズン4まであるので、これからもちまちま見ていこうと思う。
●3DS
○ポケとる
7月でこの長かったポケとるも終わりだと思うと、もの悲しいなあ……
●スイッチ
デイリー要素こなしただけ。
AP半額キャンペーン中なので、経験値稼ぎのクエストを周回してた。
使える、使えないは別として、サイドストーリーやメインストーリーで手に入ったキャラクタたちのレベルを育ててアビティを解放したりしていた。
やっぱり、ガチャで引いただけのキャラクタと違って、物語を通じて仲間になったキャラクタは思い入れが違う。
特にお気に入りなのが、土属性の[灼熱の帝国魂]ユーリというキャラクタ。
性能的には、味方を守る防御キャラで、土属性の防御キャラは全員にバフをバラまける上に地震に10倍UPを付与できるSSRのサラというキャラクタがいるので、正直あえてこのユーリくんを使う必要はないのだけど、
見た目が格好いいし、僕のもう一人好きなキャラクタの「ファラちゃん」とも絡んでいたりしているところも好き。
(このファラちゃんも土属性なので、バトルで組ませたりしている)
それと、メインストーリーのキャラクタは、メインストーリーを進めないと上限解放の段階が解放されないので、メインストーリーも進めていた。
「恋は雨上がりのように」を見たんだけど、声のキャスティングまるでダメだし、店長役も声の芝居がクサすぎる。
お前らアニメファンがやれイケボだのやれ(女のいい声ってなんていうんだ?)だの言うから、こんなことになってんだぞ!?自覚あんのか、文化レベルが衰退してるってことに?
山田康夫がどんなことを言いたかったのかを、めぞん一刻でちゃんと勉強するように。
あーでもあれか、ここまで言って思ったんだが、浄瑠璃や歌舞伎、狂言、能なんかもこんな感じで「最近の娯楽は芸術性がひくくてかなわん。もっと本物を見ろ!」みたいなファン達のせいで客足が遠のいていったのかな?
SFはかつてそうやって衰退したと聞いた。
いやしかしなあ…まあ全部、日本のメディア系マーケティング関係者が悪いってことで。「あたし映画は洋画しか見ないんだよね」みたいな女に限ってドラマは地上波のクソみたいな恋愛ドラマばっかり見てたりするからな。整合性取れてないんだよ!
そんなダメなお前らには軍隊式の教育を施すしかない。塀の中のドリルだ。幸い、日本の学校教育は軍隊教育をなぞったものだから、お前らには馴染みがあるはずだ。特に体育。
徴兵制を復活して、小の虫を殺す代わりに大の虫を活かすしかないな。
他国に比べて死生観が薄弱になったせいで、文化もまるで薄味だ。
今の日本人だけで新しい国家の歴史を始めたとしたら、現在、他国で評価されてるような日本文化は生まれないだろう。現代の俺らにはオリジナリティがないからな。
anond:20180531140806 を読んだんだけれど、字幕版も吹替版も好きだからどっちかが貶されているととても悲しいし
どちらかというとアンチが多めに見える吹替の良さも知ってもらいたいから両方のメリデメを書いてみる。
意訳しすぎ問題、ジョークの翻訳が難しい問題、キャラ改変などのリスクなどはどちらにもある(翻訳されている以上すべて改変されているし)ので触れません。
言わずもがな。俳優の息遣いや細かいトーンの変化なども感じ取れる。
字幕や吹替には反映されない訛りや特徴的な言い回しがあったりして、キャラクターの背景がわかることも。
例:
「オーシャンズ12」
ジュリア・ロバーツのモノマネをするために南部訛りで話すんだ!というシーンがある。
(ジュリア・ロバーツ演じるキャラクターがジュリア・ロバーツの真似をするのが最高)
「スターウォーズ」
ジャー・ジャー・ビンクスは黒人っぽい話し方が特徴的で、字幕や吹替の口調も個性的になってる。
基本的に原文の情報を漏らさず字幕に含めることは不可能で、取捨選択をしなければいけない。
それによってストーリーがわからなくなってしまったら本末転倒なので、物語の理解に必要な情報は必ず字幕に含まれている。
ミステリーなど情報量の多い作品だと、うっかり聞き漏らすことも在り得るが
字幕によって最初から情報が限られていれば取りこぼすリスクは減る。
ちらっとだけ映る手紙や看板に字幕が表示されて、それが重要な情報だった……という流れに覚えがある人も多いと思う。
字幕がない状態だと目にとまったかな?と思うぐらい雑多な画面だったり、筆記体の字が結構ぐちゃぐちゃだったりするので
字幕があることで意識すべき情報だよ!って明示してくれるのはありがたい。
セリフに含まれる情報量は、どう考えても「原文>吹替>字幕」になる。
ただこれは前述した通りメリットもあるので作品に合うかどうかと観る側の好みです。
特にテンポの良い映画、複数人が同時にしゃべるようなシーンだと露骨に差がでてくる。
例:
字幕だと化学物質の名前がバシバシ削られているので、吹替で見たほうが詳しくなれる。
「フレンズ」
ゲラー兄妹がケンカするときに、字幕だと「モニカがブランコを壊した」ことしかわからないけど
吹替だと「モニカがブランコを壊したのを、親には台風のせいだと嘘をついた」ことまでわかる場面がある。
特に3D/4D上映だと視線移動は結構なコスト、というか普通に目が疲れたりする。
アクション映画とかスピード感ある映像だと文字なんて読んでる暇ねえ!ってなるわけで、
意訳・誤訳で有名な戸田奈津子はそういった映画をテンポよく短いセリフでまとめるところが評価されていた(よね?)
特にメインの会話の裏側で流れているテレビやラジオの音声、細かな掛け合いまですべて翻訳されてるのは強い。
また、キャラクター性や感情の表現は文化背景に強く紐付いているから
例えば同じ「感じ悪い喋り方」だとしてもやっぱり日本人が演技する方が日本人に伝わりやすい。
その点では情報量の話含めて「吹替のほうがオリジナルの演出意図に近い」と言い方もできると思う。
字幕を読む必要がないぶん、画面の他の部分を見ることができる。
例:
ミステリー作品。俳優の目線、仕草など細かい部分にまでヒントが含まれているので、それらを見逃さないよう
配給会社が吹替版を推奨するようなキャンペーンを実施していた。
ゴールデンタイムのテレビ放送で吹替が採用される理由はこれ。ながら見が可能。
映画オタクだからって毎回全身全霊で視聴してるわけじゃないからね。
どれだけ良い部分があっても一発ですべてをぶち壊すことができる最凶の厄災。
例:
22歳の若さでアカデミー主演女優賞を受賞したあのジェニファー・ローレンスに剛力彩芽て。
ちなみに他の作品ではジェニファー・ローレンスの声は牛田裕子や水樹奈々があてることが多い。
「プロメテウス」
剛力彩芽て。
字幕なら「あ、今音声では○○って言ったのに字幕に入ってないな」というのが検知できるんだけど
吹替ではオリジナルの情報が皆無なので違いがあったとしても認識できない。
翻訳する人、演技する人の実力次第でクオリティは変化するので、糞字幕も糞吹替も存在する。
だから作品によって合う方を観ればいいし、好きな映画なら両方観た方が2倍お得だよ。
声優の演技によってよりキャラクターがより魅力的になってると思うものもあるし
逆にステレオタイプ化されちゃって勿体無いなあと感じるものもある。本当ケースバイケース。
劇場版コナンっつうかコナンを初めてまともに観たんだが、ひたすら説明ゼリフと固有名詞だけがダラダラと続くだけで、キャラクターのちょっとした仕草に作画的な高度なテクニックも見られず、それどころかテレビ放映と変わらないクオリティで、おおよそ「演出」と呼べるようなものも見当たらないもので唖然とした。会話がメインの割に会話劇が頭脳戦やプライドの駆け引きでもなくマウンティング合戦というあたりもオタクじみてて本当気持ち悪い。最後の、あの連絡先を記した紙を渡す手をはたいた後のセリフが最たる例。あんなもん、手はたいて睨んだ顔のアップで終わりでいいのに、全部セリフで言わせる。こんなん映画観る必要すらない。
この「全部セリフで言わせる」みたいな姿勢こそ、ツイッターとかで美大出たんだかなんだかしんねーオタク達がギャーギャー騒ぐ洋画や邦画のクソポスターと全く同じものじゃん。つまり、セリフで説明する方がかえってややこしいことすら、大して上手くもない言い回しと何も面白くもないユーモアでダラダラ説明しようとするところ。こんなんが一位だからクソ広告もなくなんねーよ。クソ広告嫌いならコナンが一位とってる状況込みでdisれよ。わかったツラしてんじゃねーよ。
あとアニメで力入れてるはずのアクションシーンの芝居も下手くそすぎ。最後の爆破シーンはコナンもアムロも一体どこからどこに飛び移ったんだよ。何で銃乱射したんだよ。重力的にとか物理的に無理とかそういう何の芸もないツッコミ以前の問題。どっからどこにたどり着いたかもわからないのに最後生きてるだけでハッピーエンドとかバカじゃねーのか。
誰に向けてるのかもハッキリしてないんだよな。だからクソ広告と本当一緒。「日本」とか「この国」みたいなのが字面として躍ってればいいっていうのもそれもそのままそう。ひたすらコナンに集約されてる。