はてなキーワード: 棋士とは
勉強に気が進まないなら、気晴らしを兼ねて読書はいかが。物事の観方と読解力が両方手に入って、大学受験の気晴らしには一石二鳥。
何を読むかだけど、増田の状況であれば、自分で自分自身を理解するのと自分の考えを整理するのに役立つ本がいい。
・仏教は心の科学 アルボムッレ・スマナサーラ(仏教僧)
■生き方の参考にする
・素人のように考え、玄人として実行する 金出武雄(工学博士)
■考えを整理して計画し実行する
・ストレスフリーの整理術 デビッド・アレン(経営コンサルタント)
全部ほんとうにおすすめ。ざっくり順を追って読むといいけど、もし一冊だけ手に取るなら「森田療法」を勧めるよ。
後は、ペースづくりのために相談に乗ってくれる相手をつくること。例えば、メンタルクリニックやジョブカフェで相性良い人を探すといい。こちらが現状を打ち明けるのを批判せずに聞いてくれて、一緒に考えてくれるけど、最終的にどうしたいかはこちらにゆだねてくれる人(いわゆるコーチ的な振る舞いをしてくれる人)がいると心強いね。
子供の頃通っていた公文式で、本棚に置いてあった将棋の漫画を読んだ事をふと思い出した。
その後将棋に興味を持ち、百均で盤と駒を買ってもらい、同日中に祖父と指したんだった。
確か自分が勝ったはずだ。ただ会社も経営していた彼が子供に負けるはずもないので、
当然手加減をしていたのだろう、そしてそれに気づかず私はぬか喜びをしていたんだ。
私は今棋士でもなく、ましてや趣味でさえもう暫く指していない、
それ自体が今の自分を形成するかと訊かれれば首を傾げざるを得ないほど、
全くもって意味のない記憶だが、私は確かに覚えている。覚えていたのだ。
そうした何かを与えられたという記憶と関連付けられて、
初めて私は祖父を亡くしていることを惜しんでいるような気がする。
かなり大きな荒れ方をするものと考えられる。
理事は責任をとることを固辞して、どうにも明るい話題に目を向けたがっている。
署名人の名前を読み上げてまで議事を妨害するのは、新しい連盟の下での自らの立場を想像して怯えているからだ。
私たちの敷地はとても狭い。一つの村だ。その中での不始末は、これまで村が決めてきた。
村での行いは、一連の事件で明るみに出た。(もっとも、不祥事は昔からあったが。。)これまでの村では居られなくなる。
まさしく村八分というのは非常に怖い。少ない人数の職場でのけ者にされるのを想像すればお分かりになるだろう。
ましてこの狭い柵の中でしか生きられない。羊みたいなものだ。生殺与奪が明日、誰の手に渡るかが決まる。
体制が代われば、仕事の振り方も変わってくる。連盟は各種イベントや対局解説などへの棋士の派遣を一手に引き受ける。
若手の場合、1万円から手当が付く。こうした副収入は、偏差値で言えば55くらいを下回る棋士にとっては割合大きい。
村八分となれば、まずもってこうした仕事はなくなる。その他、様々なところで弊害が出る。誰も関わりたがらないことで、それは起こる。
記者と棋士の関係については、一応の説明がある。誤解がなくなることを祈るが、それも無理な相談だろう。
あまりこの話題に明るくない一般の人々は、ある時期の報道のイメージをずっと引きずることになる。連盟は現状の深刻さを、
今一度しっかりと認識し、最大限の償いをしながら抜本的に体質を改善し、悪印象を継続的に払拭して行かなければならない。
テレビだけではなく、一部のまとめサイト等での憶測に基づく加害者側の悪評も広まっている。
今日の弁護士による記事を受けて、事実関係を調査しているが(意見申し入れ後、記事は削除)、弁護依頼者当人とは連絡がつかず、一大事になりつつある。
明日の総会では、この記事に関して、まともに答えられることがほとんどない。より風当たりが強まることが懸念される。
私の願いは、一刻も早い名誉回復と、憶測に基づく中傷の拡散がなくなることである。
前者はもちろんだが、後者の動きはかなり脅威に感じている。みなさん信じたいものを信じて、それを語るので、それを信じる人の間では、だんだんと
強化されていって、それが事実と化していく。流行り言葉で言えばオルタナ・ファクトだ。これではまともな説明であろうとも、一切受け取ってもらえなく
なってしまうのではないか、と不安に感じている。こうした場合、一定の権威者に語ってもらう必要があるが、そのような申し出もまた、
※追記 頑張って計算して書いた日記だけど、書いている間に元のページが消されたらしい(Webアーカイブ)。消されたということは取り下げたということだろうから、おかしいと気づいたのかも知れない。
三浦九段不正疑惑について、渡辺明竜王を弁護するという記事を見た。
なにやら、観戦記者 小暮克洋氏(三浦九段から名指しで批判されていた、あの小暮克洋氏だ)から渡辺竜王を弁護してほしい、というよく分からない依頼を受けた弁護士が、裁判でもないのに勝手に渡辺竜王を弁護しているらしい。
幸いにして、私はこれまで弁護士のお世話にならなければならない事態になったこともなく、この文章で本当に渡辺竜王が弁護できているのか判断するのは困難である。
しかし、少なくとも、この中で取り上げられている計算を(具体的に数値が挙げられているところであれば)検証してみることはできるので、ちょっと考えてみようか、と思った。
そもそもこの件に関しては、ソフトの一致率がやたらとフォーカスされていたが、それ以外の点でも重大な事実誤認があった。例えば、前出の弁護文においても、
対局中の離席については、そもそも証言の一つであった30分の離席といった事実がないことが確認された。また、離席の事実をもって、三浦九段への疑惑を根拠付けることはできないとの判断がなされた。
と書かれている。
また、ソフトの一致率がいくら高くても、それが疑惑の証拠となるわけではないことは第三者による調査によって既に示されている。
しかし、弁護文の中では主にこの一致率をもって、「渡辺竜王が告発を行ったこともやむを得ないことであった」としているようなので、私もその点を検討する。
ソフトとの一致率とは、ある局面を将棋ソフトに読み込ませて、その将棋ソフトが指した次の手と実際の手が一致した割合のことらしい。
それだけでなにやら本当に証拠とできるか怪しいと(普通なら)なりそうなものだが、
この違和感は、渡辺竜王の要請で、名人、竜王、羽生三冠など、現代のトップ棋士が数名がかりで検討したときにも、多くのトップ棋士たちが共有した違和感であった。
とのことらしいので、まあ色々私も違和感を覚えつつも、少なくとも棋界では説得力のある話だったということにしておこうかと思う。
この文章の目的も、棋界の重鎮を糾弾しよう、というものではない。
さて、件の弁護文の中では、一致率を疑いの根拠とした理由が、以下の具体的な数値として書かれている。
三浦九段の4局の点数は、普段の彼の実力からすると、当方の計算では、出現率でいえば、良くて10%程度である。そんな出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局もでてきている。
第三者委員会の報告は、三浦九段の「疑惑の4局」程度の一致率の将棋は、35局中9局あったと指摘している。つまり、三浦九段にとっても、上位4分の1に入るような出来の良い将棋だったことになる。そのような出来の良い将棋が、疑いをもたれた短期間に、4局も出現していることになる。もちろん、そのような偶然があり得るというのは、第三者委員会の指摘する通りではあるが、常識的にはめったに生じない事態である。
この主張から読み取れるのは、「10%以下の確率で起こる事象が、短期間(?)で4回出現した」ということだろうか。
第三者委員会の主張とは割合が異なっているようだが、算出方法が異なるようである。異なる理由はおそらく、上記弁護文の『10.「手の分かれる」局面での「技巧」との一致』あたりに書いてある手法によるためであろう。
ここでは、その手法の是非は問わない。
短期間で、というのは一体どの期間で、その間に何回の対局があったのだろうか。
よくて10%というのは、一体実際は何%だったのだろうか。
ここらへんが解決できないと、正しい検証はできない気もするが、とりあえずここは簡単にするために、「10%の確率の事象が4連続した」場合を考えてみる。
10面ダイスを4回振ったら、毎回1が出た、ということだ。これは単純に1/10の4乗なので、1/10000の確率である。従って、「常識的にはめったに生じない」とする。
……本当にそうだろうか?
この結論には、重大な欠点がある。「試行回数は4回でない」ということを考慮していない。
正確には、「1/10の確率で起こる事象Aをn回試行したら、そのうち4回はAが連続した」ということになる。
ここで、試行回数nはすなわち、三浦九段の対局数である。対局数は将棋連盟のWebページに載っているが、三浦九段の場合は962回らしい。
さて、もう一度計算しなおそう。
「962回の試行の間に、1/10の確率で起こる事象Aが4連続する確率」である。
n回の試行の中で事象Aが少なくとも一度は4連続する確率をP(n)、n回目の試行で事象Aが初めて4連続する確率をQ(n)とする。
P(n) = P(n-1) + Q(n)
であり、
Q(n) = (1-P(n-5)) * 9 / 10000
となる。
また、P(4) = 1/10000, Q(4) = 1/10000であり、n<4のときは、P(n) = 0, Q(n) = 0となる。
この漸化式において、n=962の場合を計算すると、P(962) ≒ 0.0827314となり、約8.3%であることが分かる。
なお、この計算は横着をした。この計算でミスっていると私の主張が通らなくなるので、もしミスを見つけたら指摘をお願いしたい。
このようにして、三浦九段の棋士としての経歴の中で、上位10%にあたる好対局が4回連続する確率は約8.3%であることが分かった。
これは確かにやや珍しいと言えるだろう。しかし、起こり得ないことではない。これは言い換えれば、12人に1人の棋士が同じような成績を残しているということであり、また、三浦九段を疑うなら、全棋士の8.3%が同じように疑われることになる、ということである。
ちなみに、「良くて10%」という部分をもっと厳しめに見積もると、「あり得ない確率」と言うことができるレベルにすることは可能であるが、その場合はその確率をきっちり示さないといけない。例えば5%で見積もると、約0.57%という結果が現れる。
また、今回は「4回連続」という厳しい条件で計算したが、「短期間で4回」という条件だと、確率的には逆にもっと高くなる。
ちなみに、第三者委員会の言う「35回に9回」という結果を使うと、96%近い確率でこのような成績が出ることになり、珍しくもなんともない。
したがって、一致率を元に疑いの目を向けるということが妥当であるかというと、確率論的には全く妥当ではない、と言わざるをえない。もちろん、上記のように、計算の元となる事象Aの出現率が相当程度に低ければ、疑いを向けるに足るかも知れないが、その場合は「短期間で4回」「良くて10%」などといった、曖昧な表現ではいけないのである。
弁護文は、「三浦九段が不正をした」ということを追及している訳でなく「このような理由から渡辺竜王が疑いを持ったのはおかしくない」という主張である。
上記のような計算ができず(これを考えるのはそれなりに難しかった)、また弁護文に書かれているような誤った確率計算からおかしいと思い込んだ、という主張であるならば、確かにあり得ることである。
少なくとも悪気はなかったのだ、という結論を出すことは可能であろう。
ただし、その結論を導くには、「渡辺竜王が確率論に関して明らかに間違った計算を行った」という前提に立たなければならない。
三浦九段から名指しで批判された観戦記者が勝手に弁護を依頼して、その結果、計算間違いを大々的に主張されてしまった渡辺竜王が、私はちょっと可哀想になってきた。
その通り。しかしプロ棋士は、そのための普及や解説のプロではないと言っていい。なぜならプロになる条件はひとえに一定の棋力があるということのみであって、指導棋士ですらそうだからだ。
結局、普及や解説の需要に対して、将棋を指す専門のプロ棋士がなんとなく対応していたことに構造的欠陥があると言える。それは現役のプロ棋士の仕事では本来ないのだ。それをプロ棋士の仕事に含めるのであれば、四段昇段の基準には棋力の他に指導力や解説力も含めるべきである。
二人零和有限確定完全情報ゲームで、将棋以上に完成されているゲームはそうそうない。先手後手の差が微差であり、戦術上の大差はない。ルールも簡明で、ルールブックはA4用紙一枚で事足りる。必勝法も全く未知数。「とりあえずこうしておけば間違いない」という道筋すら、十手も指さないうちに幾百に枝分かれする自由度。終盤になるにつれ複雑度が増していくゲーム性。ゲームに求められる多くの要素を将棋は満たしているのだ。
ところで、ゲームのプロの価値は、結局ゲームの面白さをいかに伝えるかという点にある。僕らは豪速球を投げ込むピッチャーに熱狂し、素晴らしいパスワークを見せるミッドフィールダーに酔いしれる。スポーツには全く詳しくないが選手は好きと言うファンがいたら、そのファンはどの競技でもこう言われる。「ニワカ」「応援している自分に酔っている」……。
むろん、楽しみ方は人それぞれであって、否定する気はさらさらない。しかし、そういった人々は、競技自体にはほとんど興味がないのであって、断言するがプロプレーヤーは彼らを考慮すべきではないのである。なぜなら、プロプレーヤーは競技自体の魅力を発信するプロではあっても、決して自らや他選手自身の魅力を発信するプロではないからだ。有りていに言ってしまえば、素人がバラエティ番組を作っても面白いものにはならず、プロならば競技自体を楽しむファンのために競技に集中しろということだ。ただしこれはまた、解説者・評論家・記者等がプレーヤーの魅力を発信しないべきとするものではない。彼らは、業界全体のさまざまな魅力を発信することで、ファンに多様な楽しみ方を提供する職業であるからだ。
ここまでの話を将棋界においてみると、いかに今の将棋界が歪んでいるかがわかるだろう。棋士はソフトより弱くなったことで自分たちが将棋の魅力を伝えられないのではと不安になっている。そして個人の魅力を自ら売り出す方向へ迷走してしまい、棋士の精神性だの勝負の厳しさだのはまだいいにしても、「豊島、強いよね」だのは見苦しすぎて見ていられない。そういったことは専業解説者や評論家が行うべきことなのであるが、残念ながら将棋界においては解説者はほぼ現役のプロ棋士であって、専業解説者というのはほとんど存在しないと言ってよい。そして観戦記者には、棋士個人の魅力に踏み込む者も存在するが、なんら代わり映えもしない将棋の内容について語るだけの観戦記を恥ずかしげもなく発表するような者も多い。こんなことだから、プロは自ら棋士は個人として素晴らしいと思い込み発信していかないと、ソフトが強くなった今はなおさらやっていけないのだ。結局、今回の騒動も、将棋連盟の一部の棋士が棋士の価値について「将棋が強い」以上の過大評価をしたことが遠因であることは論をまたないものと思うが、それはここまで論じてきたように将棋界の構造自体がそうさせたものであって、僕は棋士個人を批判する気にはならない。彼らも被害者なのだ。
現役のプロ棋士は、早く「観る将」と決別すべきだ。彼らを楽しませるべきなのは、専業解説者・評論家・記者であって、決してあなたたち自身ではない。そういった外部の人々に思い切って任せておけばいいのだ、需要あるところに供給は発生するのだから。
そして、あなたたちの将棋は、ソフトより弱くなっても依然としてとても面白いものなのだ。少なくともずっとそう思っている人が一人いることを、ここに書き記しておきたい。
むしろ竜王だからこそ、トップ棋士に問題を諮ることができたし、諮らねばならなかったわけだろ。
(下位にそんな権力はないからこそ、それまでは噂レベルで済んでいた)
そして、そこまでは問題提起にすぎないわけで、渡辺が最終決定を下したわけではない。
(繰り返すけどこの「協議」や「決定」が正しいとは言ってないよ)
決定的な証拠が出る可能性まで認識して怯えてたなら、報告書にそう出るよ
文春についても証拠じゃなくて疑惑であると竜王は認識してるし竜王から連盟に説明してる
https://www.shogi.or.jp/news/investigative_report_1.pdf
http://anond.hatelabo.jp/20170130174303
http://anond.hatelabo.jp/20170130174933
文春が決定的な証拠持ってないことなんてインタビュー打診されてる段階でわかるだろ。
文春に載っちゃうよというのは、渡辺がインタビューに応じた記事そのものではなくて、
たとえば「トップ棋士がカンニング! 新婚で幸せのはずが…M棋士の闇!」みたいなことを不意に、かつ勝手に書かれることだよ。
それよりは、まず処分を先に出して、その言い訳を文春に載せてもらうほうがマシだ、という判断だったんだろ。
そこの判断が性急にすぎたというのはあるけれども。
分からんのだけど、棋士もファンも無菌室に置かれ続けて耐性がなかったのが今回の問題なのかね。
この件に関しては、
「もともと何人かの棋士が三浦を怪しんでいて→文春がその疑惑を嗅ぎつけて→それを耳にした渡辺が真に受けて連盟に対処を迫り→連盟が焦って強行採決」
という流れだと理解しているんだけど、
「三浦に勝てない渡辺が→疑惑を捏造して文春にリークして→渡辺の言いなりになっている連盟は→渡辺に言われるまま三浦に処分を下した」
邪推が邪推を呼んで陰謀論が既成事実化していくのはネット民の悪い癖だなあと思うけど、
さらには「三浦は無実だったんだから誤った告発をした渡辺を追放しろ!」といった、
おまえら中世に生きてんのかよというような主張が、むしろ正論とされて受け入れられているようだ。
それで結果として無実だったんだから、ある程度の批判を受けるのは仕方ないだろうが、
というか、陰謀論でボコボコに叩いて大失敗したのが当の連盟なわけじゃん。
結局は同じ穴の狢なんだねえ。
第三者委員会による調査で不正を行っていないという結果になった。
事の発端は一部の棋士による、三浦九段の指し手が将棋ソフトと似てるや離席時間が不自然だという訴えだったと思う。
将棋連盟がくだした判断は証拠はないにも関わらず出場停止処分といったものだった。
この調査結果が発表されたとき私が思ったのは芸能界の引退発表をした成宮寛貴さんのことだ。
友人を名乗る人物より週刊誌に薬物を使用しているなどのタレコミがあり報道されたが、成宮氏は尿検査による鑑定を行い薬物の使用はしていないと否定していた。しかし、毛髪による検査も行わなければ十分ではないという指摘があり尿検査では無実は言えないとされ最終的に芸能界を引退するという結果になった。
三浦九段と成宮氏の両方の事件の中で私が感じたのはなぜ疑惑をかけられた方が無実を証明しなければならないのかということだ。
三浦九段は一部の棋士の証言のみで証拠もないままに出場停止処分をくだされ、成宮氏は報道された写真の白い粉が薬物である事の証拠もないまま尿検査では信用してもらえず芸能界を引退するまでに追い込まれてしまった。
両者とも疑惑を否定しても無実であることの証明を求められそれができなければクロだという論調だった。
一般的に刑事裁判では検察が被告の犯罪を証明しなければならない。私はこれは一般社会にも通じると思っていて誰かを疑うなら合理的な説明と証拠が必要だと思っている。それができないならそんなのはただの世迷いごとだ。
しかし三浦九段は出場停止処分をくだされ成宮氏は芸能界を引退し国内にいることさえも耐えられないのか海外に行ってしまった。
私が思うのは証拠がないにも関わらず、そんなに人を信じられないのか。 人を信じることはいいことなのに。私たち社会がただ若いということなのだろうか。