第三者委員会による調査で不正を行っていないという結果になった。
事の発端は一部の棋士による、三浦九段の指し手が将棋ソフトと似てるや離席時間が不自然だという訴えだったと思う。
将棋連盟がくだした判断は証拠はないにも関わらず出場停止処分といったものだった。
この調査結果が発表されたとき私が思ったのは芸能界の引退発表をした成宮寛貴さんのことだ。
友人を名乗る人物より週刊誌に薬物を使用しているなどのタレコミがあり報道されたが、成宮氏は尿検査による鑑定を行い薬物の使用はしていないと否定していた。しかし、毛髪による検査も行わなければ十分ではないという指摘があり尿検査では無実は言えないとされ最終的に芸能界を引退するという結果になった。
三浦九段と成宮氏の両方の事件の中で私が感じたのはなぜ疑惑をかけられた方が無実を証明しなければならないのかということだ。
三浦九段は一部の棋士の証言のみで証拠もないままに出場停止処分をくだされ、成宮氏は報道された写真の白い粉が薬物である事の証拠もないまま尿検査では信用してもらえず芸能界を引退するまでに追い込まれてしまった。
両者とも疑惑を否定しても無実であることの証明を求められそれができなければクロだという論調だった。
一般的に刑事裁判では検察が被告の犯罪を証明しなければならない。私はこれは一般社会にも通じると思っていて誰かを疑うなら合理的な説明と証拠が必要だと思っている。それができないならそんなのはただの世迷いごとだ。
しかし三浦九段は出場停止処分をくだされ成宮氏は芸能界を引退し国内にいることさえも耐えられないのか海外に行ってしまった。
私が思うのは証拠がないにも関わらず、そんなに人を信じられないのか。 人を信じることはいいことなのに。私たち社会がただ若いということなのだろうか。