はてなキーワード: 書き下ろしとは
2007年12月9日、syrup16gはNHKホールで解散を発表した。
”一旦終了”という五十嵐隆のMC、無言のキタダマキと中畑大樹。何を言っているんだ、という困惑がホールを包み、
公式ホームページに記載された”syrup16gは解散します。"の一行。
新曲はあるものの音源のリリースもなく、活動は年に数度のライブのみ。
"DEAD CAN DANCE"、"END ROLL"など、終わりを冠した公演タイトルを繰り返し、確かにその解散を予見していなかったわけではない。
それでも「終わってしまうんだ」という漠然とした思いが形として発表され、帰り道は落胆と悲しみの声に包まれた。
そして2008年3月1日、syrup16gは日本武道館満員のオーディエンスの中、解散した。
代表曲、最近のライブでは聞けなかった曲、この日のための新曲とライブは続き、五十嵐は”1曲1曲を葬っているような気がした”と語った。
"明日はない、終わってしまうけど、明日が見える曲を書いてきました。"の言葉から続く、客電を全開にした"Reborn"が終わり、
ライブ前の客席から叫ばれ続けていた「やめないでくれ、終わらないでくれ」の言葉は、
syrup16gは完結した。
同年秋、「犬が吠える」と称した五十嵐隆のソロ・プロジェクトが開始された。解散したバンドのフロントマンがソロ活動を始めるのは珍しいことではない。
リキッドルームのライブツアー、冬フェス参加。再活動に予定調和的なものを覚えさせながらも、五十嵐隆の声とメロディ、
ポストロックバンドのメンバーを引き入れたこれまでに無い楽曲の形は、syrup16gファンに新たな門出を思わせるのに充分だった。
一枚のリリースの無いにもかかわらず音楽雑誌・MUSICAの表紙を飾り、歌詞、デモCDのレコーディング風景が掲載され、
そこに新しい五十嵐の出発、syrup16g解散の理由、新しい決意を見ることができた。
解散理由等も一切不明。リリースどころかデモCDの完成・未完成すら不明のままバンドは解散。
五十嵐隆はダメ人間を自称し、楽曲の中ですらそれを隠そうともしなかった。
ファンは再びの活動終了に放り出されながらも、「五十嵐だから仕方がない」と呆れながらも笑っていた部分も多かったように思う。
2013年5月8日、「五十嵐隆 生還」と銘打たれた公演が行われた。
再びのソロ名義活動。一曲目、syrup16g・解散ライブのラストに演奏された"Reborn"が終わり、暗幕の向こうに浮かぶシルエット。
幕が上がるとそこに居たのはキタダマキ、中畑大樹。元・syrup16gのメンバー2人だった。NHKホールのオーディエンスは万感の歓声に包まれた。
披露された楽曲は半分近くがsyrup16gの楽曲であったものの、音源にならなかった犬が吠える時代の曲、また書き下ろしの新曲も多数演奏され、
一夜限りの復活、五十嵐隆・再びの「再出発」に「昔のメンバーが集ってくれた」という物語は胸を打つものがあった。
新たな活動形態についての告知はなかったものの、夢の様な一夜を過ごし、
更にこれからおそらくゆっくりではあろうものの、再び彼の声の楽曲が聞けるのだと期待に胸を膨らませていた。
はあああああああああああああああああああ???????ふざけんじゃねえよてめえお前あれだけあれで終わりです終わりです言ってたじゃねえかよ俺がどんな思いでNHKホールのチケットとって無数の女連れのクソガキ共とメンヘラポージング女とそのナンパ野郎の列掻き分けて耐えに耐えてボロボロ泣きながら一旦終了のMCの前後で記憶がなくて会場出てから何やったのかも覚えてなくてなんかアウトロで終わってしまうを連発してた翌日思い出してまた泣いて3月1日武道館の告知読んで膝ガクガク震えさせながらなんとか家について2ch邦楽グループ板で頭のおかしい長文だらだら書いては消して書いては消してリロードのたび湧いてくる阿鼻叫喚に酒ダラダラこぼしてうんうん唸ってどうしようどうしようとりあえずチケット取らなきゃ看取らないと絶対後悔するって先行申し込んで落ちて二次先行申し込んで落ちて一般でなんとか取って全然見えねえ席からありがとうありがとうってドラムのお兄さ~ん叫んでるババアの2つ隣でこの女次叫んだらマジで殺してやるって睨みつけても止まらねえから鞄でぶっ叩いて頼むから黙ってくれと涙と鼻水でぐしょぐしょになっていただろう30過ぎのオッサンの剣幕にようやくわかってくれた間にも次の曲が始まっていてああ新曲でも拍n数間違えて五十嵐はやっぱりダメだなあ次はああ次はって次はねえんだよちくしょうって考え始めたらまた胸がこみ上げてきてしゃくりあげると曲が聞けないから息をできるだけ止めて涙がたまると舞台が見えないから下瞼ひっぱってボロボロこぼれるようにして明日は来ませんねって五十嵐が中畑とキタダがSonic Disorderのイントロで見合ってるところとか神のカルマのリズムが早くてキタダがなんか言ってるだろうこととかああこういうのももう見れねえんだ終わっちゃうんだ終わっちゃうんだって一曲一曲すぎるたびに拍手もできなくなって座り込んでしまってでも座り込むと見えないからすぐ立ってバカの一つ覚えみたいに拍手していままでのライブは観客が壁みたいで怖かったっていうから最後は本当に盛りあがろうって盛り上がろうって思って他の観客たちも絶対それがわかっててバラードなのに腕上げちゃったりちょっと早い曲だからオールパイプ椅子だってのにアリーナはモッシュっぽい変な動きしててああ本当になんで終わっちゃうんだってもっとこういうふうにすればよかったのにってそうしてればもっと聞けたのにもっとライブ行けたのにって楽しいはずなのいどんどん悲しくなって客電がついてRebornが終わって三人出てきて手繋いで五十嵐が真ん中はいやいやってお前そりゃねえだろ俺はお前たちを見に来ていてsyrup16gはやっぱりお前のバンドなんだからってサポートメンバーだったはずのキタダマキがラストアルバムでメイン2人との空白がなくなってるなんてそんなどうでもいいことで嬉しくなって手繋いでお辞儀してああこの光景が見れてよかったなって絶対忘れないようにしようありがとう五十嵐隆ありがとう中畑大樹ありがとうキタダマキありがとうって片っ端から電話して酒のんでいいライブだったいいバンドだったいい最後だったねってなんだよ完全に葬式じゃねえか心の準備ついたじゃねえかって明日が見える曲を書いたからってそこまで思い入れなかった翌日とかループで延々聞いちゃってああ本当にいい時間だったよさよならシロップありがとうって2chに書きこんで思い出すたびにやっぱり泣けてきて今更復活します♪テヘ♪だの元サポートメンバーとか対バン経験アレたちの超嬉しい!待ってた♪だの解散後にファンになったので嬉しいです♪のガキも業界人どものずっとお伝えしたかったです~♪もねェェェェェェェェェェェェェェェェだろお前ほんとふざけんなよどこまで人をコケにすれば気がすむんだよこのクソバンドは!!!!!!!!!!!!!!!!
もっとも、私がshell scriptを新たに書き下ろすことは滅多にない。Perlで全部書いた方が簡潔だしポータブルだから。それでも、shell scriptとつきあわない訳には行かない。書き下ろしではなく書き直しという需要があるからだ。/etcの下を覗きたかったら、shell、それも/bin/shの知識が必須になる。本書は「shクックブック」としても使えるように書かれていて、今までshell scriptの構文を忘れては(ex. 「あれ? if を閉じるのっって fi だったっけ endif だったっけ?」) FreeBSD の /etcの下をカンニング帳がわりに覗いていた私には実にうれしい一冊だ。
if..fiのためだけ?
これはほとんどけなしているように見えるんだがw
去年の11月。
久しぶりに電車で出かけて、その帰りに何か読みながら帰りたいと思って、駅の書店の文庫新書コーナーを周っていたら、好きな作家の新刊が出ていたので、すぐに買った。
何か前にも読んだような気が・・・
後ろの方を見ると、「この本は2010年○○に単行本化された『△△△』を加筆修正したモノです」という注意書きが。
やってしまった。
タイトルもよーく思い返してみると、確かにこの単行本は買った。
文庫本も単行本とほぼ同じタイトルなのに。何で気が付かなかった。
ショックだった。今までこんなことなかったのに。
この件は、単行本を読んだのは1~2年近く前だし、それに文庫本の書き下ろしも(少ないけど)あるから、作家へのお布施だと思えば・・・とある程度自分の中で苦しいながらも言い訳できたが、今日、追い打ちをかけるようなことが起こった。
図書館に予約してあった本を取りに行った。
早速帰って読んだ。読み始めると同時に、違和感を覚える。
何か前にも読んだような気が・・・
思い出した。
中身を見るまで気が付かなかった。
ああ、何ということだろう。
図書館の予約か、衝動買いかどちらが早いかは今となっては分からないが、少なくともどちらかを先に行ったあと、そのタイトルをすっかり忘れて、どちらかをしてしまったのだ。
本を読んでいるようで、その実、タイトルも思い出せないほどに、本の内容は自分の中からするりと通り抜けていったのだ。
今まで、趣味は「読書」と言っていたが、正直もはや読書ってレベルじゃない。
「見書」とか「眺書」というレベルだ。
ほとんど何も残らない。
どうしよう、せっかく借りてきた他の本も読む気にならない。
本日は、徳島新聞社の名物コーナーである "鳴潮"を解説することで、
徳島新聞の素晴らしさを日本の投票者6000万人(有権者≠投票者)へ向けてアピールしたいとおもいます。
引用は、 徳島新聞 2012.10.26 第24649号 です。
http://www.topics.or.jp/meityo.html
では、さっそくまいりましょう!
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「ばかみたいな作品ばかり」。
東京都の石原慎太郎知事が今年の1月、芥川賞の選考委員を辞任したときの言葉だ。それに対し、芥川賞に決まった田中慎弥氏が「都知事閣下のためにもらっといてやる」と発言して話題を呼んだのは記憶に新しい
「ばかみたいな作品ばかり」という、機嫌の悪い日の石原氏の粗野な言動を引用することで、初っ端から石原氏を野蛮な奴だと印象づけています。
ここから、芥川賞と絡めてどのように話が展開するのかワクワクさせてくれる。
「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる戦慄(せんりつ)を期待したが、緊張感を覚える作品がない」と吐き捨ててもいる。
それと同じ思いなのだろうか。
政治も若い連中には任せておけないとでも言うように都知事を辞め、
新党を結成して国政に復帰すると表明した
"発言した"という言葉ではちょっとパンチが弱いので、あえて "吐き捨てた" という言葉を使ってみた。
こうすることで石原氏が乱暴な性格であるかのごとく、さらに読み手に印象付けることに成功すると同時に文章の深み、コクがましてまろやかになる。
あれれ?そういえば、第一段落で出てきた芥川賞の話はどうなったんだろう・・・。
ひょっとして 「バカみたいな作品ばかり」 という発言を無理やり組み込みたかっただけなのかしら、ちょっと残念ですね。
よそさまの健康状態なんか他人の話なのでほうってあげればいい、そんな常識はなんのその。
「徳島新聞社は優しい人たち」だと優しさアピールしている。
と根拠のない疑念を植え付けることに成功した。
自分を持ち上げて、相手を貶す。ボクシングで例えると回避と攻撃を同時に行うカエル・アッパーのようなきつい一撃だ、お見事!
記者会見でも息巻いた。
「憲法の権利と義務のバランスが害悪だ」と憲法改正をぶち上げたかと思うと、2030年代に原発をゼロにするという野田政権の原子力政策についても「提案にもならない」と批判した
"憲法改正を唱えた"と表現すべきところを、あえて、"ぶちあげた"と表現することで
石原氏を粗暴な性格の悪童であるかのように印象づけることに成功した。
憲法改正はに対する徳島新聞社の憎しみ、職業的倫理観を感じました。
憲法は連合国総帥様が即興で1時間くらいで書き下ろしてくれた聖なる文書なので、神聖不可侵ですからね。
これを改正するなんてとんでも無いことです。
いや、まったく同感です、50年経とうと100年経とうと300年経とうとそのせいで日本が滅びてしまうとしても、不可食ですので、そのままの状態を維持し続けるべきですよね。
こんなの小学生でも分かることです。
それにしても、東の石原氏、西の橋下氏と威勢のいい新党代表がそろったものだ。「うそぶくってことは強がりなんだよ。強がるってことは本当は弱いってことなんだよ」。
政治家としてはどうなのか。
第三極勢力になり得るのか否か。
国民がじっくりと判断するだろう。
「石原さん、あなた、政治家として威勢のいいことを発言しているけど、あなたは、強がってるだけで本当は中身が弱い、取るに足らない存在なんでしょう、
あなた自身の昔のコメントでもそう言ってるじゃない。ついでに橋下市長もな。」
しかも、石原氏本人だけではなく、維新の会の橋本市長のことも道連れで一緒くたにしてバカにするという予想外の範囲攻撃だ。
全体を通して、どの段落にも
接続詞のBecauseがまったく見当たらない点がとても秀逸。
主張と根拠をつなげられないように、あえて注意をはらって英語のBecauseに当たる単語を1つもいれていない。
おそらく、Becauseという単語を入れると編集長に書きなおしさせられるのでしょう。
さらにつっこむと、主張と根拠をつなげていないどころか、
"徳島新聞社が主張したい事"をすべて曖昧にぼかして表現している。
この理由は、石原氏の支持者からの反論を受け付けないようにするための逃げ道を残すためであろう。
「いえ、それはあなたの考えすぎです。私達はこの記事で石原氏を中傷するつもりはありません。」と言い逃れができる。
まったくすばらしい! 鉄壁のディベィト術! 禁断の魔筆の使い手! すばらしすぎる新聞社、それが徳島新聞社です。
私はこの鳴潮の文章を作文した方の名前がぜひとも知りたいです。
売れる絵を掛ける人は偉いよ。
でも本と同じで、そんな偉い売れてる人は上位1%。
自分の好きな範囲の人だと、岸田メルさんや深崎暮人さんはそういう偉い人。
深崎さんとか、メイン担当してたエロゲ会社休止してもすぐに次の仕事のオファーがきてる。
エロゲ原画・雑誌の書き下ろし・ラノベ挿絵・それにコミケで売ってる同人誌やグッズと合わせて、個人事業主としての売上は1000万超えてるはず。
で、それ以下の上位5~10%(適当)は絵で食べていけるけど、発注者側からすれば替えの効く人。
でもさ、絵の流行が変わるし新人が多いからから、平均的には売れる期間は5~7年な感じ。
加えて岸田メルさんでも、絵師になってもそんなに食えないと言ってる。
ロイヤリティのない仕事がほとんどだから、売上が高くてもしれてるんだよね。
ラノベが10万発行されれば、著作者には600万入るけど。イラストレイターは買い切りで50万とかだし。
アニメも脚本はロイヤリティはいるけど、キャラデザはどうなんだろう。
わからんけど、グラヒクスと音声は リップシンクがあるから必ずしも別じゃないし
そもそも、音声を鳴らすチップ自体が独立したコアみたいなもんだからなぁ・・・
ネットワークチップだって独立したチップのやつは 別のコアみたいなもんだぜ?
話はずれたけど、まともなマルチコア向けプログラムを書くとなると、いわゆる1スレッド1役割みたいな処理は欠かずに
タスクシステムとか、スレッドの役割分担システムみたいなものを自分で書き下ろして、いわゆるマルチファイバーというか、マルチタスク的なシステムで
組んでいくから、(マルチタスクを自前で組むことが必ずしも高速化ではなくて、いくつもノウハウがあるけど) あまり、セマフォというかミューテックスを意識することは少ないよ?
たとえば、ちょっと違うけど 通信が一万本合ったら、1万スレッド起こすのか?起こさないというのと同じかなぁ。
逆に言うと1つのタスク中に入りと出以外に何箇所もロックしたり、開放したりするシステムはコンテキストスイッチの考え方からあまりよくない。
リソースになるべく触らない、触ったらローカルメモリーに移しておく、なるべく長い時間1つのスレッドを走らせる。リソースに触るときは処理終了して次のタスクにしてしまう。
などなど、そんな感じ。 スレッドに役割を振り分ける というよりは、タスクで回していくという感じ。
もちろん、長々走るものもあるだろうけど。
声優の明坂聡美さん、一部フォロワーに苦言「一生懸命作った作品を見てない事を返信してくるのはどうかと」 : はちま起稿
http://blog.esuteru.com/archives/5621373.html
畑亜貴さん『アイドルマスター』用に書き下ろした楽曲タイトルをメーカーに勝手に変更され、Twitterで激怒|やらおん!
http://yaraon.blog109.fc2.com/blog-entry-6169.html
最近目に付いた2件。共通するのは「俺(達)の気持ちを考えろ」というクリエイターの怒り。
これらへの反応は賛否両論ある感じだが、興味のない人は反応しないので、反応してるのは大抵信者かアンチ。まともと思われる意見は殆ど見られない。それに加えて一般消費者ではクリエイターの気持ちや事情がわからないため、的を大きく外している言論が殆ど。
まあそのことはどうでもよく、俺が気になっているのは「クリエイターの怒り」について。これは「クリエイターの思い上がり」から来るものではないかと。
クリエイターという職業は「なるのに努力と才能が必要」「なれる人の数が少ない」「信者がつく」などの要素があるためか、「クリエイターは偉い、俺は偉い」と勘違いする人が後を絶たない、気がする。
明坂さんにしても畑さんにしても今回の根本にあるのは「俺らが苦労して作ったものに敬意を払え、気を遣え」という主張である。これは本人達にとってはもちろんその通りであろうが、それをさも当然のこととし公衆に発信してどうすんだよ。非常に大人気ない、頭が悪いと感じる。
お前らが苦労したから尊いのか?違うだろ、価値は受け手が決めるものであり、世間が判断するものだ。クリエイターの自己満なんかはどうでもよく、世の中に需要があるものを作れたかどうかで、仕事が判断されるのだ。
ライブに行かない、作品を見ないというのは人々にとってそれだけの価値がないからだ。注いだ心血は、少なくとも直接的には関係がない。
タイトルが変えられたのはクライアントが元のタイトルに満足しなかったからだ。相手の望みにかなう納品をすることができなかったのだ。
(ちなみに後者については著作者人格権の同一性保持権の存在によりバンナムがアウト、という中途半端な知識による見解がコメントなどで見られるが、通常買い取り契約では「著作者人格権は行使しない」の一文が添えられていることが多く、もしそうであれば改変は法的に問題ない。通達すべきであるというのはまた別の話)
そもそもクリエイターとは通常、娯楽に関する商品を作る人のことである。娯楽とは、それと同じものがなくても死ぬことはない。現代社会において第一次、第二次産業に従事する人の割合は少なく、殆どの人は「生きるのに不要なサービス」を作ったり売ることで生計を立てている。つまり自分の特技を生かして「好きなこと」をして食ってるクリエイターという職業は、世の中の豊かさを享受することで初めて成り立っている余計な職業なのである。偉くなんかない、むしろ世間に食わしてもらっている立場だ。最近話題になった、自炊に反対する漫画家集団なんかもそうだが、お前らが勝手に作ったものがお前らの望み通りに消費されないからと言って、世間に対して堂々と怒るのは可笑しく、恥ずかしいことだ。作った者としては当然の感情だが、開き直ってさらけ出すべきものとは思えない。
クリエイターは自分の狭い視点以外で、自分の仕事についてよく考えてみるべきだと思う。俺自身もクリエイターとしてそう思う。
文筆は本業ではないので、乱文失礼した。
よくわからんが、後輩が作ったものを使わなくちゃいけないという理由はどこにもない。
よければ使う、悪ければ、よくなるまで治すか、他のものを使ってもらう。
今回は、ドキュメントに不安があった、1から作り直すにはボリュームが多くて今後の機能拡張に不安があった、
実際ベンチーマークとってみたところ、オープンソースよりも悪く、理由がわからなかったので調査のために比較用に私が書き下ろしたコードと比べても遅かった。
他にもコメント点多数あるしね。
全般的に見て、オープンソースよりも良かった場所が無いんだよね。
おまけに、それをメインで頼んだのなら、戦略としてありかも知れないけど、サブ部品だし。長期的にメンテナンスするコストもない。
この状況下で、後輩の部品を使うことを前提に考えたら、会社内癒着だよ。外注なら、予算撮り直して修正させるか自分で書き直す。それは下請法の問題。
惜しいというのは調査の話だよ。オープンソースがあることを知っていて、なお理由があってやったのなら、その理由を聞いて、なるほど。といったかもしれん。
また、調査して見つからなかったのでも、しかたがないのかもしれん。
調査しないで、作れるから作っちゃいました、みたいなのは、惜しいと思う。
それこそ、オープンソースの2倍早いとか、商品としてうりになるところがあればまた、感想も違ったかも知れないが・・・
程度問題だけど
業務できれいなドキュメントが、10年残っているというのをウォーターフォール以外ではあまりみない。
時間があれば、そら、やったほうがいいけど、日本だとドキュメントが更新されていないケースもよく見る。 よく見るんだからそら、対応する。
個人的には、リバースで作られていないドキュメントは、古い可能性があるので鼻から信用しない。ヘッダ見る派
件の後輩にとっては、そうではなかったって事だ!
そんな天才なら好きにやらせた方がいいよ。
じゃぁ、OpenSSLなんて、書いてないで。会社にとって差別化要因になって、金を稼げる方をやってくれ。
書くなといってるんじゃない。それが、どういう会社のメリットに繋がっているのか? 速度・メンテナンス・可読性 ちゃんと検討したか?
という話。
基本的に書いたら、10年ぐらい使われて、10年後には新人がメンテナンスしてるんだから、そこまで考えたか?って話。
うん、それはいいけど、教育コストは考えた? そこまで考えた上で、書き下ろしのほうが会社にとって金を生むという判断ができるようなものなら、
そら、それでいいんじゃない?という話。
大切な事は、他人がメンテナンス出来ないコードというのは、書いた人間が天才なんじゃない。単に他人のことを考えずに書いただけ。そこを考えようという話。
日垣隆(T-Higaki) (hga02104) on Twitter
それでよいのだ!RT @inosenaoki 作家に生活がかかっていることはあたりまえ。すべてては鍛練と才能。それで突破すればよいのだ。覚悟をもって、なによりも独自のメッセージを伝えてほしい。
どこがよくねーんだよっ。RT @DaDa_724 よくねーよ
表現に優劣はある。あたりまえだろ。
さてと、深く考える習慣のない莫迦を相手にストレス発散したので、10キロばかり50分で軽く走ってきます。朝食後、15時まで書き下ろし。港までまた5キロ走って、今度は夕陽を見に瑠璃の島へ。
だからキミは何を描いてきたの?
私には必要ありません。
ホンモノの莫迦みっけ。
現代国家に、殺人の自由も強姦の自由も、ない。プレスの自由はアメリカが修正憲法で掲げたが、表現の無制限の自由など、どの国だって認めていない。
ピカソが数秒で描いたデッサンを見たことがありますか。これは人類の財産。貴方のような、という断定は敢えてしませんが、下劣なロリコンがヨダレを垂らして30時間かけ描いた四歳女児の性器絵は最低。
おまけ
学生時代のイタズラです。買った人も勉強になったと思いますよ。予想する力がついてRT @T_Arata 作家ともあろうお方が読み手の楽しみを奪う行為を嬉々として白状するとは…。RT @hga02104: 学生時代から…なぜこいつが犯人かを該当ページにメモして古本屋に売ってた(笑)
とある記事のはてなブックマークでその存在を知って、中身が知りたくなったのでミステリマガジンのバックナンバーを借りてきたよ。
そしてその内容が個人的にグッと来るものだったから、メモ代わりに後半部だけをここに書き出してみるよ。
九六年二月、私は、青山ベルコモンズのカフェで言葉を失っていた。狭いテーブルの上に広げられたのは、探偵ミロを主人公にした旧『柔らかな頬』第二稿。付箋が挟まれ、赤字が入っている。対しているのは、新担当編集者だった。彼は、「うまく直っていない」と告げて沈黙した。第一稿が上がった時点で、様々な注文を付けたのは彼だった。複雑過ぎるからもっと単純に、対立を明確に、タイトルを変えろ、等々。エンターテインメント小説の王道を説かれ、何とか努力して改稿した結果がこれなのだ。
私は、紅茶の染みが飛んだ原稿を書類袋に仕舞い、「わかりました。これは捨てます」と言った。彼は、私の反応に少し慌てたようだった。だが、私は周囲のざわめきすら、気にならないほど打ち沈んでいた。誰も見方がいない、これから一人でやるしかないのだ。その思いが頭の中をぐるぐると巡っていた。「これからどうしますか」と問われ、「別の小説を書きます」と意地で答えた。この時、『OUT』の構想が生まれた。行き場のない中年女たちの小説を書こう、と。行き場のない中年女とは、まさしく自分のことだった。
その年は、他の細かい原稿は一切書かず、『OUT』の書き下ろしに専念することにした。どのみち、デビューして間もない作家に、そう多くの注文は来ない。私は、原稿を捨てたトラウマを抱えつも、何とか『OUT』で勝負したい、と必死になっていた。その重圧に押し潰されそうだったし、『柔らかな頬』を捨てたことで、作家としての自信を失っていた。とりあえず、どん底にいる私が発見したのは、恐ろしく単純な事実だった。書くしか生きる方法がない、ということ。そして、それは恐ろしいほどの孤独を生きる、ということでもあった。
取材は多岐に及んだ。井の頭公園バラバラ殺人事件の取材をした記者、ルポライター、深夜の弁当工場、街金。取材対象のアポは、ルポライターを除いて、ほとんど私自身が行っていた。当時、私のような駆け出し作家には、出版社は金も時間も多くは割いてくれなかったのだ。しかし、自分で切り開いた取材先は、得るものも大きかった。結果としてはその方が良かったのである。私は一人で車に乗り、物語の現場と仮定した東村山市に度々出かけた。駅前で描写のための写真を撮り、見知らぬ公団住宅の広場を歩き回って、主婦の顔を見た。頭の中で、雅子や邦子たちが息づき、喋り、早く書いてくれ、と叫んで、今にも爆発しそうだった。
夏までにほとんどの取材を終えてプロットを作り、私は九月から書き始めた。千ニ、三百枚以上の長編になるはずだった。せいぜいが八百五十枚の経験しかない私には、初めての大作だ。ミロシリーズの一人称一視点をやめ、三人称多視点で物語の速度を速め、螺旋状に回すことを決める。十月に二百枚入稿。年末に五百枚。順調だったが、書いている間は他の作家の華やかな噂を耳にして、心が乱れた。一人でパソコンに向かう日々は、実に孤独だ。書くしかない、と思っても、小説の終結まで途轍もなく長い時間がかかるのだ。そのことを考えるとどうしても落ち込んだ。短編小説の注文もぽつぽつあったが、理由を話して断った。その頃の私は、仕事を断ること自体が冒険でもあったから、これでその出版社からは、二度と仕事は来ないだろうと覚悟した。
三月十七日の夜、最後の一行を書いた途端、涙が溢れた。やっと終わった、辛かった、と言葉にすると、また泣けてきた。しかし、ようやく脱稿した私に、厳しい現実が待っていた。初版部数は一万三千部だというのだ。内容に自信があったし、二年越しの仕事だったから、初版部数の少なさは衝撃だった。だが、これが現実だと思えば、やり遂げたという自信を胸に、次の仕事に賭けるしかない。それが作家だ。何とか自分を慰めた時、不思議なことが起きた。口コミで爆発的に売れ始めたのだ。『OUT』は作者の手を離れ、ひとりでに読者の元へ飛んで行ってしまった。
九七年の『このミス』で一位、翌九八年直木賞にノミネート。破竹の勢い、と自分でも満悦だったが、ここから『OUT』の不思議な運命が始まる。直木賞落選。次の吉川英治新人賞でも落選。ようやく推理作家協会賞で長編賞受賞。三度目の正直だった。賞にノミネートされる度に有望視された『OUT』は、その「反社会性」とやらで、メジャーの賞から弾き出されたのだ。そして、その不思議な運命のとどめは、今回のエドガー賞候補である。
『OUT』は、私という作家をブレイクさせてくれた作品だが、同時に、私をOUTな作家にしてくれたらしい。それは、決して王道を行けない奇妙な小説家としての道でもある。その始まりは、旧『柔らかな頬』を捨てた日の、打ち沈んだ気持ちにある。誰も味方はいない、一人でやるしかない、というあの思い。だが、孤独は作家を鍛える。再び、同じ思いをして自分を鍛えたい、と最近思うのである。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1248458614/750-
750:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:22:17 ID:Z5yKhs880
私はツイッターって使ってないんだけど
ツイッターのまとめサイトっぽいとこで生腐女子をピク支部や世間一般にアピールすべきだってやってる馬鹿がいて
今回の騒動もアドレス付きで書かれてる
一般の目にばんばん触れてるもうオワタ
751:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:30:07 ID:PYUvbOzb0
えー…
この世界に身を置いてる者として、一般の目に触れる行為は一番やっちゃいかんだろ…
「腐女子」っていう存在が世間的に知られるようになってきて、最低限のマナーというかモラルというか
そういうものが分かってない人が多くなってる気がする
特にナマモノなんて黒に限りなく近いグレーゾーンだって言われ続けてるわけで、一回でもナマにはまった人なら
その事は知ってる(というか知らなきゃいけない)はずなのに
一体どうなるんだこれ
752:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:35:23 ID:Z5yKhs880
ツイッター行って検索窓にナ.マ.モ.ノ.腐ってキーワード入れるとリンク見つかるよ
若くもなく昔からナマやってる人らしいんだけど意味わかんない泣きたい
アカウント取ろうかと思ったけど見たら他の人の忠告全然聞いてなくて…
753:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 01:41:43 ID:nLxFv0x7O
私もみた
論点途中ですりかわってたね
何で駄目かっていう基本がすっぽぬけてた。
755:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 06:43:08 ID:JSfA+k+X0
元々は単にご本尊が見る可能性が高くなったから
注意しようねみたいな感じだったけど
逆方向に暴走してる人がいるみたい
それで騒ぎすぎないようにみたいになってる
>勇気を持ってください。あなたたちの趣向はノーマルではないかもしれないけど
>アブノーマルでもありません。マジョリティに近いマイノリティなのです。
↑こんな感じの人
ttp://togetter.com/li/15157
emifuwaさんの「腐女子を「考察」したがる男性への苛立ち」
ttp://togetter.com/li/14837 y_arimさんのまとめ ttp://togetter.com/li/7757
をうけて、ナマモノ(実在の人物(芸能人など))を対象にやおい活動をしてる腐女子の独り言です。
756:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 06:53:12 ID:5V0Dvro50
こういう話になると必ず出てくるような気がする
一般の人が見るような場所(ツイッターや支部)では
少し配慮しましょうみたいな話が出ると
腐同士がたたき合って、つぶし合いになるとか
そうやって配慮配慮言う事がジャンルを駄目にするとか
物言いつけてくる人
それも一つの事実なのかもしれんが
何かずれてんだよね
757:生 [sage] 2010/04/20(火) 07:18:26 ID:uXKd8tQz0
ズレてるよねーなんであいだが取れないのっていつも思う
警戒や配慮や言うひとも違う方向に猛ダッシュだし、
もっと自信を持ってくださいとか言うのも違うだろって(言うならまだ覚悟の方が)
758:生 [sage] 2010/04/20(火) 10:49:22 ID:YKdB8pKM0
ツイッター垢もってるし思うところはあるけど
ナマ腐女子で実際に活動してる身としては
あのトゥギャッターで発言すること自体躊躇われる…
自衛状況を確認しておこうと思うorz
759:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 11:48:23 ID:R7Y0MRqJ0
つ言ったーもぴ駆使部もて風呂も
ナマ取り扱うならやらないのが一番だと思うけどな
怖くて同人方面で検索とかかけないけどミクシでもやってる人いるよね
閲覧制限かけてても自衛してるという事にはなりゃせんと思うのだけど
760:なま [sage] 2010/04/20(火) 13:48:31 ID:gi05q+rP0
Uncle Sam Wants Your Tweets
ttp://newsweekjapan.jp/stories/us/2010/04/post-1202.php
762:ナマ [sage] 2010/04/20(火) 18:39:17 ID:AdQAs+e30
同人作家捕獲して、書き下ろしやおいで再現ドラマをしたことを思い出したよ
作家の人は顔まで晒して、二人で絡んでくださーいとか言いながらデッサンしてたから、
ああいうのが今はついったや支部でおっぴろげるんだろうね……
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/doujin/1232454301/849-851
849:半生 [sage] 2010/04/19(月) 00:01:37 ID:4swEx+4tP
すげえのが出てきたなおい…
850:半生 [sage] 2010/04/19(月) 12:33:50 ID:I7k+cIeW0
これだからババアは…腐ってそのまま墓から出てくんなってカンジ
90年代と今とじゃ状況が違うって事いい加減わかってほしいわ
ご本尊が簡単に自分ネタにした二次創作を見れちゃう可能性だってあんのに
そんなに自信あるなら自分がネタにしてる本尊のホモ絵なりホモ本なりを
直接本人に渡してやればいいのにね
851:半生 [sage] 2010/04/19(月) 12:47:44 ID:His2LXaP0
同意してる人ほとんど居ない上にフルボッコだけどな
同意してるやつに限って半生好きいるのはきつい
もうすぐ新しいアニメが始まりますね!ということで、気の早い感想ですが、2010冬期アニメ15作品を簡潔にそして恣意的に紹介します。ストーリーなどの詳細は省略しましたので気になった方は各自Google先生に聞いて下さい。
評価は
S 最高!
A もう一度みたい
B まぁ面白い
C 暇つぶし
D 時間の浪費
F 測定不能
オープニング曲やエンディング曲が気にいったものには印をつけました。(だいたい放送曜日順,月→日)
評価B end◯
近景アニメ?『けいおん!』風。軍服萌え。ノエルは俺の嫁。Amazing Grace。
評価?
『化物語』に続く西尾維新作品のアニメ化。なんと月1話の12ヶ月放送。『School Days』の監督。作画は賛否両論。まだ、2話しかない。
評価 F
派手な下着の小学生アニメ。1話で切った。私もまだまだオタクではないなと確信。今期2位のヤバさ。
評価C
短いから見れる。イタリア人に怒られないのか心配。
評価B op◯ end◯
言わずとしれた「風早くん最強神爽やか爽快cool」アニメ。ちなむと爽子は俺の嫁。名文句は「そんなの笑えない」
れでぃ×ばと
評価C op◯
今期3番目にヤバイアニメ。ぱいおつ丸だし乳首あり。もう一度言う。「乳首あり」。ただし、フレイムハートさんのドリルは幼虫みたいで不快。大地薫役はみんなのくぎみーなので、くぎゅぅぅぅぅぅぅってなりたい人は是非見よう。
評価C
評価C
もう「ひぐらし」は飽きたんだよ、おなかいっぱいだよ。って言うそこの貴方!この作品のキャラデザはローゼーメイデンの人だぜ!へい!
評価B
来たぜ!僕等のひだまり壮!動物化された僕にはタマラナイ!新入生が2人加わってひだまり壮はさらに賑やか!ちなむと智花役もくぎみーだよ!
評価B op◯
池袋を巡るサスペンスアクション。小野大輔、福山潤、中村悠一という男性声優陣に腐女子は発狂確定。
評価C
吸血鬼アニメ。『ひだまりスケッチ』、『化物語』の新房監督。ネリー役は喜多村英梨。
評価B
ここに来て盛り上がってきた世界と戦う図書館司書のアニメ。27日にはテアトル新宿でオールナイト上映があるそうな。ハミュッツの胸に注目しがちだが、軍服のミレポがかあいいポ!!主要人物かと思われた人がバタバタ死ぬ。
インデックスのスピンオフ作品。私はこっちのが好きですの!御坂美琴も佐天さんもいいけど、木山先生が理想の女性。超電磁砲はレールガンと読みます。
コブラかっこよす!ってなる。
今期最高の変態アニメ。主人公は母乳を飲んで力を得る。女の子がぱいおつを吸わせるシーンは圧巻。声優陣は豊崎愛生、茅原実里、平野綾、日笠陽子、川澄綾子と意外に豪華。
と抜けがあるかもしれませんが、もう終盤なので今期見ているアニメを振り返って見ました。
もちろん他にも色々と作品があるので、みなさんの感想もお待ちしております!
http://mainichi.jp/select/biz/news/20091027ddm041020035000c.html
「GAKUMANPLUS」ってのがあんまり(ネット上では)評判良くないから代案。
小学5年ぐらいから学習塾にいく人が増えるだろうから
「塾」や「ゼミ」をタイトルにしたほうがいいんじゃないか、と。
「週刊こどもニュース」の頃から小学生にも分かりやすくニュース噛み砕くことをモットーとした人。
この人が参加するかどうかで雑誌売上がかなり違うと思う。
「熱血!平成教育学院」レベルならバラエティと教育の両立ができるかなー、と。
小学○年生からの移行や昔の読者を狙った連載。
単行本では書き下ろしでけっこう前から存在してるし、それなりに自然な形で連載出来るんじゃない?
あとはあさりよしとおさんとか井上いろはさんとか学習系漫画を描く人は結構いるから
なんとかなるんじゃないかな。
以前「Key関連サイトの印象」てのを書いたんだが、このままだと管理人に暗殺(笑)されそうなのでフォローしてみる。
http://anond.hatelabo.jp/20090227040148
さて、4月から突然Keyファンサイトの動きが鈍くなったのはみなさんご存知の通り。
っても各ブログに貼り付いてる俺みたいな奴はともかく、普通の人は気づいてないかもしれないので客観的にそれを示す。
この図は、各サイトが1ヶ月の間に何回Key関連記事を書いたかを数えたもの。5月はまだ9日なので3倍した値。
名前 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 |
basicchannel | 20 | 22 | 12 | 9 |
---|---|---|---|---|
鍵っ子ブログ | 15 | 12 | 12 | 6 |
key to hearts | 28 | 34 | 29 | (閉鎖) |
nows | 13 | 9 | 6 | 6 |
見て分かる通り3月から4月にかけて一気に更新頻度が下がっていて、5月はこのまま行くと更に記事が少なくなる。
key to heatsに至っては閉鎖したほど。
4月はKeyはいつものネタもあったし、Keyらじイベント、AngelBeats!発表、麻枝准のブログ開設とイベント目白押し。
3月と比べて記事が一気に増えてもおかしくない。
それでも記事が減ってる。
なんでこんな事になったか。
俺もあるファンサイトを管理してた経験があるので分かっていたが、
先日鍵っ子ブログの管理人がTwitterで呟いた一言が俺の予想通りだったので確信した。
http://twitter.com/makura/status/1727958537
彼はkeyに対して批判的な発言をしないので期待薄だったがポロっと出たようだ。ずっと監視していた甲斐があった。
この発言が、Key関連サイトの更新ペースが一気に鈍った全ての原因だが、かなりオブラートに包んだ言い方をしている。
この意味が分かるだろうか。
答えは
4月からせなか:オタロードblogの管理人がビジュアルアーツに入り公式情報サイトを始めた事
これが原因。
まだ誰も拾ってないようなネタとかを拾ってきたり、色々予想してみたり、考察したりしてる。
いかに面白いネタを拾ってくるかとか、速度を競ったりしてるわけだ。
しかし公式が情報サイトを始めるとどうやっても絶対に勝てない。
例えば、こういう記事
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=16
この記事で書き下ろしラフ画まで掲載してるし、何よりまだ発売前だ。速度という面では圧倒的な負け。
著作権的に画集の中身の写真はブログに上げれないが、公式ならそれも考えなくて良い。バンバン上げてる。
Keyらじのレポも
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=19
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=20
準備の裏側・イベントの裏側まで含めてレポできるのは公式ならでは。
スタッフ・客が写りこんでる写真もバンバン使ってるし、一部スタッフでは顔にモザイクすら入れてない。
一般人なんて写真を撮れるかどうかも怪しいし、スタッフに向けてカメラ構えるなんてまず無理だろうしな。
レポの質的にもどうやっても勝ち目が無い。
公式が情報ブログやるんだからそういう付加価値のある情報載せないと意味が無いが
戦ったって100%負けるんだから。
それと多分、この公式サイトそのものが内輪ネタってのもあると思う。
馬場社長が辞令出してたり、時給800円とか言ってるが、オタロードBlog管理人とVAが仲良かったのは誰もが知ってるし、そのコネで入社したのも周知。こんな記事も内輪だからこそ。
http://www.product.co.jp/?enter=1&page=0&center=blog&id=18
麻枝准とかの制作スタッフがブログ作ってやんややんやするのとは訳が違う。
これが4月以降、Key関連サイトが更新しなくなった理由だと思う。
basicchannelはKeyネタからちょっと離れて来て色んなネタ拾い始めてる。ソースは2chなブログだからあんまり今回の事とは関係ないかな。nowsは知らん。Twitterでも殆ど発言してない。同人ゲームを作ってるらしいので、それにかかりっきりだと予想。
鍵っ子ブログは5月か6月頃には閉鎖すると予想。
本人は忙しいとか言ってるが、Twitter見てる限り明らにブログを更新する気が無いだけ。咲のアニメとか普通に見てるしw
絵はナウシカですごく本物っぽいよくできた複製セル画だと思って買いました。実際複製セル画と売ってあった気がします。
・・・・でももしかして、と今更ながら思うのですが・・・・・
あれは本物だったんでしょうか?
おそらく複製で間違いないと思う。理由は以下の通り。
よって、本物ではないだろう。
ちなみにセル画は非常にもろいので、飾っておいたりするとすぐに劣化して酷いことになる。基本的に長く使うものではないし。なので色あせてぼろぼろになった謎の物体として捨てられた可能性もあるのでは。まぁ無責任な予想だけど。
ちなみに、スタジオジブリは、もののけ姫の途中以降はデジタル制作になっているので、本編使用セル画などない事に注意が必要。千と千尋の神隠しに使用されたセル画と名乗るものがあったが騙されてはいけない。また、近年のハイビジョン制作のアニメーションはまず間違いなくデジタル制作である。
とはいえ、デジタル制作のアニメーションは絶対にセル画がないかというとそうではない。本編使用などではなく、ごく希に、雑誌やポスターなど用に版権イラストと言って、優秀な原画家やキャラクターデザイン、作画監督、時には監督自ら描くイラストというものがある。これをデジタル制作が本格化するまえは、本編がデジタル制作なのに、セルで書く人がいるらしい。これが出回る事がある。また、チャリティーオークションなどのために、特別に書き下ろしたりすることもままあるようだ。
これらは当然一品もので、しかも静止画として美しくなるよう、普通の動画用セルに比べて段違いの精度がある。また製法も異なるらしい。たとえばトレスマシン(セルに線画を移す装置)を使うと、カーボンがわりと早く劣化してしまうので、長期保存が必要と言うことで手でトレスしていたりとかするようだ。
ただし、これら普通の本編使用のセル画より出回りにくい上に、出回ったとしても恐ろしい額になる事が多いらしい。
と、別に収集家でもないしちょっと昔聞きかじった程度の知識を披露してみる。
詳しい人による補足突っ込み等あればよろしく。
とうとう、福岡伸一の新書『できそこないの男たち』が本になった。
この本は今、すべての男性が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、生殖活動を志す人、あるいは性的に発展段階にある中学生、高校生、大学生、大学院生(つまり性交渉の経験を問う)、これから先、女性と交わりたいと考えている人、何にせよ生殖に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこの本がベストセラーになって、男性にとっての女性について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、福岡の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。
福岡伸一という人はトンデモ学者なので(つまり言語学における水村美苗のようなものである)、僕のブログの読者では知らない人(もしくは黙殺している人)もいるかもしれないが、ここ数年、とんでもなく素晴らしい作品を書く人だ。本書は『生物と無生物のあいだ』以来の、福岡作品を愛好する者たちにとっては待望の書き下ろし作品であるが、その期待を遥かに大きく超えた達成となっている。
内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。
一言だけいえば、これから私たちは「女性の世紀」を生きる。女性の社会進出が進んだからとかそういうレベルの話ではない。女性がかつての男性のように、「人類の中心」として人類の繁栄を主導していく「基本性」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と福岡は喝破する。そして、そういう時代の女性以外の性の未来(すなわち男性の未来)、男性の繁栄という観点からの性の意味、性教育の在り方について、本書で思考を続けていく。とにかく思考が明晰だ。しかも小説のように面白い。明晰な文章を読むと、その内容が厳しいものであっても快感が得られるものなのだ、と改めて思った。
少年時代から昆虫に熱中し『生物と無生物のあいだ』でメジャーになった福岡の問題提起は、「たとえば今日、2008年11月7日、男性と同じくらいの能力を持った女性が生を受けたとして、その子が肉体的に成長した将来、果たして男性と交わるでしょうか。自然に女性一人で生きていくのではないですか」ということである。放っておけば男性は、「女性の使い走り」としては生存しても、人類の繁栄を担う「性」としてはその役割を失っていくのではないか。「女性の世紀」とはそういう暴力的な時代なのだと皆が認識し、いま私たちが何をすべきか考えなければならない。
最後に本書の一節を引用しよう。
私が知りたいのは、生殖行為が、なぜあの快感と結びついているのか、ということだ。あの快感は、人間が経験できる他のいかなる快感とも異なる。
(中略)
人はなぜジェットコースターに熱狂するのだろう。それは似ているからだ、と私は思う。ジェットコースターが落下するとき、人間の身体が受け取る感覚。蟻の門渡りあたりから始まり、そのまま尿道と輪精管を突き抜け、身体の中心部に沿ってまっすぐに急上昇してくる感覚。
このとき人間は何を感じているのだろうか。加速度である。重力がぐんぐん私たちを引きずり込む加速度。それを私たちは私たちの身体の深部で受け止める。
(中略)
自然は、加速を感じる知覚、加速度を生物に与えた。進化とは、言葉のほんとうの意味において、生存の連鎖ということである。生殖行為と快感が結びついたのは進化の必然である。そして、きわめてありていにいえば、できそこないの生き物である男たちの唯一の性の報償として、射精感が加速度と結合することが選ばれたのである。