本日は、徳島新聞社の名物コーナーである "鳴潮"を解説することで、
徳島新聞の素晴らしさを日本の投票者6000万人(有権者≠投票者)へ向けてアピールしたいとおもいます。
引用は、 徳島新聞 2012.10.26 第24649号 です。
http://www.topics.or.jp/meityo.html
では、さっそくまいりましょう!
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「ばかみたいな作品ばかり」。
東京都の石原慎太郎知事が今年の1月、芥川賞の選考委員を辞任したときの言葉だ。それに対し、芥川賞に決まった田中慎弥氏が「都知事閣下のためにもらっといてやる」と発言して話題を呼んだのは記憶に新しい
「ばかみたいな作品ばかり」という、機嫌の悪い日の石原氏の粗野な言動を引用することで、初っ端から石原氏を野蛮な奴だと印象づけています。
ここから、芥川賞と絡めてどのように話が展開するのかワクワクさせてくれる。
「いつか若い連中が出てきて足をすくわれる戦慄(せんりつ)を期待したが、緊張感を覚える作品がない」と吐き捨ててもいる。
それと同じ思いなのだろうか。
政治も若い連中には任せておけないとでも言うように都知事を辞め、
新党を結成して国政に復帰すると表明した
"発言した"という言葉ではちょっとパンチが弱いので、あえて "吐き捨てた" という言葉を使ってみた。
こうすることで石原氏が乱暴な性格であるかのごとく、さらに読み手に印象付けることに成功すると同時に文章の深み、コクがましてまろやかになる。
あれれ?そういえば、第一段落で出てきた芥川賞の話はどうなったんだろう・・・。
ひょっとして 「バカみたいな作品ばかり」 という発言を無理やり組み込みたかっただけなのかしら、ちょっと残念ですね。
よそさまの健康状態なんか他人の話なのでほうってあげればいい、そんな常識はなんのその。
「徳島新聞社は優しい人たち」だと優しさアピールしている。
と根拠のない疑念を植え付けることに成功した。
自分を持ち上げて、相手を貶す。ボクシングで例えると回避と攻撃を同時に行うカエル・アッパーのようなきつい一撃だ、お見事!
記者会見でも息巻いた。
「憲法の権利と義務のバランスが害悪だ」と憲法改正をぶち上げたかと思うと、2030年代に原発をゼロにするという野田政権の原子力政策についても「提案にもならない」と批判した
"憲法改正を唱えた"と表現すべきところを、あえて、"ぶちあげた"と表現することで
石原氏を粗暴な性格の悪童であるかのように印象づけることに成功した。
憲法改正はに対する徳島新聞社の憎しみ、職業的倫理観を感じました。
憲法は連合国総帥様が即興で1時間くらいで書き下ろしてくれた聖なる文書なので、神聖不可侵ですからね。
これを改正するなんてとんでも無いことです。
いや、まったく同感です、50年経とうと100年経とうと300年経とうとそのせいで日本が滅びてしまうとしても、不可食ですので、そのままの状態を維持し続けるべきですよね。
こんなの小学生でも分かることです。
それにしても、東の石原氏、西の橋下氏と威勢のいい新党代表がそろったものだ。「うそぶくってことは強がりなんだよ。強がるってことは本当は弱いってことなんだよ」。
政治家としてはどうなのか。
第三極勢力になり得るのか否か。
国民がじっくりと判断するだろう。
「石原さん、あなた、政治家として威勢のいいことを発言しているけど、あなたは、強がってるだけで本当は中身が弱い、取るに足らない存在なんでしょう、
あなた自身の昔のコメントでもそう言ってるじゃない。ついでに橋下市長もな。」
しかも、石原氏本人だけではなく、維新の会の橋本市長のことも道連れで一緒くたにしてバカにするという予想外の範囲攻撃だ。
全体を通して、どの段落にも
接続詞のBecauseがまったく見当たらない点がとても秀逸。
主張と根拠をつなげられないように、あえて注意をはらって英語のBecauseに当たる単語を1つもいれていない。
おそらく、Becauseという単語を入れると編集長に書きなおしさせられるのでしょう。
さらにつっこむと、主張と根拠をつなげていないどころか、
"徳島新聞社が主張したい事"をすべて曖昧にぼかして表現している。
この理由は、石原氏の支持者からの反論を受け付けないようにするための逃げ道を残すためであろう。
「いえ、それはあなたの考えすぎです。私達はこの記事で石原氏を中傷するつもりはありません。」と言い逃れができる。
まったくすばらしい! 鉄壁のディベィト術! 禁断の魔筆の使い手! すばらしすぎる新聞社、それが徳島新聞社です。
私はこの鳴潮の文章を作文した方の名前がぜひとも知りたいです。