はてなキーワード: 曲解とは
雑談力、話が面白い能力、相手の言ってることを察する能力、自分の思いを伝える能力、サイキョーのワタクシの意図を寸分の狂いなく理解する能力。どれが「コミュ力」なのか、他人をコミュ力が無いとか批判する奴ほどこの5つの全てを持ってない。雑談力や話が面白いのは全く関係ない話なので、それは今回論外として考えない。
コミュニケーション力の定義は「自分の思いを伝える能力」以外にしちゃいけないのよ。
「コミュ力とは相手の言ってることを察する能力のこと」にした瞬間、「サイキョーのワタクシが言ってることを理解してない!コミュ力不足!」系バカが出てくるんよ。「製造業は増産すれば演劇と違って利益は確保できる」を本邦のコミュニケーションの専門家が言って、「買い手が居なきゃ増産もキリンさんもねえだろ阿呆か」に対して「曲解されてる!」って泣き言言ってる時点で、この専門家の言ってるコミュニケーション能力は自分ではコントロール不能なゴミでしかないっていう自白にしかなってないの。で、自分はコミュ力があると勘違いした人間が我こそはコミュニケーションの王でござい、をやってる、どんな最悪の喜劇だ。
「自分の思いを伝える能力」以外は自分でコントロール不能、他のを鍛えようとしても無駄。本意とは違う受け取り方をされたときに、自分の伝え方がまずかった、と思えない人間がどんどん胡散臭くなってドツボにハマる。コミュニケーションを他責にする考えは害悪。
「あなたの一括りにする言い方は今日日差別発言になるんです。気持ちはわかりますが次からは気をつけてください。」
くらい単純な言葉で言ってやりゃいいのに。
いっぺん社会学者の主張は自分で読んだほうがいいぞ。内容曲解されてたり、それこそ勘違いしてる奴も多いし。
なるほどな。ちゃんと理解した上での発言だったか。すまん、余計なお世話だった。
うーん、合ってるような合ってないような。大体あってるんだが、社会学者は男女役割分業の描き方を変更したほうがいいって言ってる。理由はOVA版のままだと時代にそぐわないからって。
社会学者はOVA版は時代にそぐわないとは言ってるが、OVA版が女性差別的な描写をしているとは言ってないんだ。このへんの勘違いで炎上が広まってたりするし気をつけてくれ…。
そうだな、ノイエは色々描写変えてるから、そういう「時代にそぐわない」描写は変えられる可能性が高い。それは確かだな。まあ3期が作られる確証もないんだがw
そいつも「俺は診断済みのアスペだ」「俺は理性的な人間だ」「合理的な文章なら分かる」「平易に説明しろ」と主張していた。
実際はちょっと煽られるとすぐキレてスレを荒らし始め、落ち度を指摘されると「その指摘はいくらなんでも無理筋だ」「お前ら(※個と集団を区別できていない)の指示を俺が聞けばお前らの独裁制だ。俺には自由がある」「理解ができないことを言うな。説明しろ」「書き込みに中身が無い。意味のあることを書け」とか逆ギレしていた。
指摘側は無理筋でも支離滅裂でも無かった。ただそいつにとって都合が悪いことを言っただけだった(連投すんなとか、ちゃんと読めとか、お前の言ってることはおかしいとか、阿呆は帰れとか、寝言は寝て言えとか)。
そして論理代数における「逆・裏・対偶」が理解できず、「逆は真」「真でないものは全て偽」という仮定を使って頭の中でどんどん命題を短縮し、何でもかんでも都合が悪ければ「嘘」と呼んで否定していた。ミミックの鳴き声としか思えなかった。理性的でも何でもない、魂が欠落した何かだった。
例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。
こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。
結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体が存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションやコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。
そういう奴はどう扱えば良いんだろうな。規則と強制力をセットで与えれば、それが「環境」だと認識して従おうとするが、常に機会を伺っていて、ひね曲がった自分の理屈と曲解した規則が噛み合う所を探してゴネたり他人に牙を剥いたり、強制力が緩んだ時に規則を破ったりするんだよなぁ。
フランス革命の頃なら焼き殺せば済んだんだろうが…
元々語彙がなかったというより語彙をなくしていったんだと思う
自分の言葉が誰かの地雷、ネタバレ、不快、不興を買う、高尚ぶってる、冷笑、解釈違い、悪意、曲解、誤読
そんなことを気にしながら自分の言葉とやらで考え考え書いた長文の感想よりも
「ギャーやばい無理!!!!神!!!!」「○○はいいぞ」のほうが万人に受け入れられて喜ばれて盛り上がるように見えるから
古典系が好きなオタク(というか研究者なんだろうか)で特にネット上でフレンドリーなタイプの人にわざとのように汚い言葉を使う人がいる気がしていて
それも似たような事情があるように感じている
あまり好きじゃないけれどそこは個人の自由であり でもそのような振る舞いをしなければいけないような圧というのを内外から感じてしまうこともあるので
やっぱりちょっと 嫌だな
もちろん自分の都合の良いように曲解して叩いたり煽り散らす奴は論外だがな、
どうとでも取れるような曖昧な表現を使っといて、自分の思い通りに伝わらずタイトルみたいな事を言う奴はなんだ。
相手は見知らぬ誰か!
これだけ揃ってるのに自分の通常ペースで書いて伝わる方がおかしいと思わないんか?
説明力~~~
キャンペーン · ぼくたちは/男子たちは 狼なんかじゃない。 少年ジャンプは「エロ」と「性暴力」の違いを区別してください。 · Change.org
これ本当に、恐らくほとんどのジャンプ読者からすると、噴飯ものの怪文書なんですよね。
ジャンプ読者であることを示す情報が皆無な上に、多分ほとんどの人間のジャンプ体験とあまりにかけ離れている。
でも支持してる少なからずの人間には、これがリアルに見えちゃってる現実がある。
ここで「こんなものがリアルに見えるのはおかしい」と非難するのは簡単なんだけど、でもこれをリアルに思ってしまう土壌があるのも事実なんだろう。
「ジャンプ読者自体少なかった」とか、「エロい漫画読んでることすら恥ずかしかった」みたいな感覚って、男子の体験としては、今回指摘がたくさんあがってるように一般的だと思うんだけど、あんまり表立って共有されてこなかった気もする。
だから外部からは、そこのリアルが見えず、表面的な情報ばかりが出回って、「男はみんなジャンプのエロい漫画見て学んで現実に波及させてる」って偏見が醸造される余地になってしまってるんじゃないか。
自分も実体験だけで語らせてもらうならば、ジャンプのエロ系の漫画なんてものは、本当に隠れて読むもんだった。
二次元のエロい漫画を愛読してるなんてバレたら、死ぬほどコケにされる空気が充満していた。(オタク蔑視の強い時代だってのもあるかもしれないが)
漫画なんて所詮、架空のキャラがつくる架空の物語を一人で読んでるだけなんだから、そこから自分の欲求を誰かにぶつけることへの「社会的な合意」を受け取ったことはない。
というか、いわゆるラッキースケベ系の漫画からなにか現実を学ぶとしても、今日日それ系の漫画の主人公なんて、決まって過剰なぐらい自省・禁欲的な性格なので、「仮に許されるとしてもこれぐらい自省・禁欲的で魅力的な人間前提≠自分だわな」、ぐらいのもんだった。
それよりも、ラッキースケベの数百倍の物量で「私欲で人を傷つけるやつは許すな」ってメッセージに溢れてるのが少年誌という体感がある。
個人的には、創作が人間性に与える影響は小さくないと思ってる。
けど、「エロいことを人にしてもいいんだ」なんかより、「私欲で人を傷つけると自分が抱いたキャラへの憧れを全部裏切ることになる」って感覚の方が、植え付けられた感としてはよほど強烈、それぐらいの総合的なバランスはジャンプにもあると思ってる。
そういう体験の共有が不足して、外部から表面的に負の面ばっかりフォーカスされてると、ジャンプばっかり目の敵にされるのも無理ないかも。
という意味で、我々も、偏見を解く努力が足りなかったんじゃないか、と思ったのが最近です。
…というか、「社会的な合意」を受け取るのって、実生活じゃないの?
家庭とか、部活動とか、職場とか、そういう対人間の、コミュニティ内でのやり取りを通じて、リアルで女性を貶める人間との交流を通じて、「貶められるのを受け入れてる女性」という曲解を通じて、「あっそういうのいいんだ」と歪んだ価値観が共有されていく。
で、そこいくと、今自分が見える範囲でヤバいと思ってるのが、SNSっていうか、特にtwitterなんですよね。
見る気もないエロコンテンツがバンバン目に入ってくるし、実在する女性へのセクハラリプライも横行してる。
あんなの、少年誌の数万倍、リアリティを持って「あっそういうのいいんだ」って学びを与えるよ、若い子が見てたら特に。
ああいうの見てると、「男はみんなエロい漫画見て学んで現実に波及させてる」って思われてしまうのも、無理ないかもって思うんだよね。
小学生の子供がいる増田・ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ、読書感想文でナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類。
そもそも、コロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みはちゃんとあるのか?読書感想文の課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。
なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。
読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章が感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。
読書感想文苦手パーソンは、結構な割合で読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読、曲解、勘違い、拡大解釈、被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。
自分語りって嫌われがち?それは公園の砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文はトイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分の体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?
自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点をこじつけろ。400字は書けるな?
好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなものの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?
何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題にこじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分の体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語の先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?
以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題にこじつける必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。
実際に増田をピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。
タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ
自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから、自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。
今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤、松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分もTBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしまう自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。
そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分を不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。
実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ。
しかし、自分も友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかいの名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分にルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。
米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていいから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。
今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらないね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人に嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。
※1 本当
原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっと「いじめ」問題へフォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題をトッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。
私はフェミニストだけど、女性が女性だというだけで差別を受けたり攻撃されたりすることがなくなればいいと思っているだけ。
差別を受けるっていうのは、「女の子だから主婦になった方がいいから昇進はしないほうがいい」って言われたりとか
攻撃されるっていうのは「女なんだから乳見せろ、尻触らせろ」って言われたりとか、そういう明らかに不平等な扱いのこと。
だから仕事上で女性を優遇しろとか、女性は頑張ってるんだから男性は感謝しろとかそんなことは一切思ってないし、
男性には男性のつらさがあるだろうってことも思ってる。(男なんだからしっかりしろとか、飲み会で脱げとか、家庭に入りたいって言ったら笑われるとか)
ツイフェミには「男はちんこ切れ」とか「オスは全員死ね」とかいう人が多いけど、それはフェミニズムじゃなくてミサンドリー(男性嫌悪)だよね。
それなのにそういう人たちはフェミニストを名乗っていて、他のフェミニストが「それはフェミニズムじゃないですよ」って注意しに行くと
「フェミニストなのに男の肩を持つんですか!?」とか言ってキレだす。
そういう頭が悪くて偏った考え方しかできない人が「フェミニスト」を名乗るから、フェミニズムが曲解されて、本来は必要のなかったアンチフェミが出てくるんだと思う。
まぁロジックっていうかただの詭弁だけどね。いわゆるご飯論法の逆かな?
最初から、「気分と金で人の体を好きにできる構造に乗っかったまま、好き嫌いを言ってる人間ですか?」
と聞かれれば当然NOと答えるが、そういう具体的な話はせず、
風俗に行くかどうかというはなしから、NOと答えただけで(自慢げかどうかはただの主観)
「気分と金で人の体を好きにできる構造に乗っかったまま、好き嫌いを言ってる。」と曲解する。
YSEと答えても当然「気分と金で人の体を好きにできる構造に乗っかったまま、好き嫌いを言ってる。」と解釈する