はてなキーワード: 平仮名とは
日記を書くのが嫌いだった。感想文を書くのが嫌いだった。小論文を書くのが嫌いだった。レポートを書くのが嫌いだった。なお論文は書いたことがない。
そんな私だが自分の書く文章のことはすきである。兄弟へ送った日常のラインメッセージを内容の為でなく読み返すことだってままある。もちろん内容だって私たちらしくてよいものだけれど。
間怠い表現が愛らしい。音に出して心地よいとかではないが流れがよい。みじかいメッセージのうちでも情緒に振れがあるところも可愛らしい。じぶんルールにのっとった結果平仮名が多くなりがちなのはポエマー気質ゆえのご愛嬌と思っている。
ともあれ、私は私の書く文章のことを気に入っているのだ。
小学生の頃に書かされた日記、感想文。あれは内容を求めたものではなかったのだろう。文字を書くこと、文章を組み立てることに慣れさせるのが目的だったのだ。いまでこそそう考えることもできるけれど、私はいつも苦心していた。書けない、書きたくないと本気で泣いていた。
なにがそんなに嫌だったのかと考えて、私は私の手懸けた文字たちが他者の判断で評価されるのが嫌だったのだと気付いた。
私は、私の文字は私のもので、だれかに捧げるものだと思っていなかった。誤字脱字と直された文字だって意図を持って選んだものだった。改行だって段落だってそうだ。私の文字は私のものなのだから。
だけどそれはそうではなかったから、私が書いた文章は教員に求められ提出するものであったから、私の感想は他者によって訂正された。私はそれが嫌だった。あなたの考えはと文章を書かされたのに、それは違うと断じられたのだ。
現代でも残っている風習かはわからないが、出身小学校では年に一度発刊される学年誌のようなものがあった。生徒全員が原稿用紙一から二枚程度の作文を提出する。内容は各自の書きたいことを自由にというものだ。
自由にといってもたいていが一年で頑張ったこと、嬉しかったこと、印象に残ったことなどを書いていた。400字の小説を書いている者は居なかったのではないかと思う。
もちろん添削がされる。書き始めはこうするとよい、こういった内容を盛り込むとよい、表現はこうしたほうがよい。
いまでこそ自覚したが、私は私のことを他者に知られるのが嫌いだ。ツイッターは鍵垢ではないし、いまだってお気持ち表明文を書いているわけだが、それとこれとは違うじゃないか。私を個として知っている者に私のお気持ちが知られるというのはあまり愉快なことではないのだ。プライベートだぞ。ぷんぷん。
私はこれがほんとうに嫌だった。小学生の頃から面白みのある人間ではなかったし、一年に一度なにかひとに言って回りたいひとに言える出来事があるわけではなかった。作文以前にテーマが見付けられない。そして苦労して書いても赤ペンで修正されて書き直しになる。刷り上がった冊子に載った私の文字は、私の文章ではなかった。
文章を書くという行為に対して、訂正されるという出来事がセットで刷り込まれた、それだけが理由ではないのだが、私はじぶんの気持ちを他者に伝えることが苦手になった。どうせ伝わらないからとその為の言葉を探すことも少なくなった。
友人は居ないが、人当たりのよい人物であろうと心掛けているのでトラブルもそうなく、しかし稀に想いを伝えねばならない場合には意識に反して泣き出してしまい嗚咽でうまく喋れなくなる。感情では泣きたくなどないし悲しくもなんともないのだが、考えを伝えねばならないとなると、涙が溢れるのである。
私は私の文章を訂正されることが嫌いだけれども、いまとなってはそんな機会ももうないし、子どもたちの難解な文字や文章に向き合う教員という職のひとびとはすごいなと思いました。願わくば文才がほしいです。つよいつよい文才がほしいです。マル。
自覚していないようだがかなり読みにくい。
まれによくいる。
この辺の主語と述語の混乱がすごい。
この4行それぞれの、主語述語が省略されていない形を自身でイメージできるだろうか?
3行目などは、文の途中で主語が切り替わっている。「名前」「氏名」と書かれているのは何?スペイン語や平仮名で書くのは誰?「良い」とは何が「良い」のか?
日本語は省略が許されてるしいくらでも省略していいと思うけど、完全な形をイメージしてそれから省略したほうがいい。でないと読み手に混乱をきたす。
それに一般的な日本語としてもこれは省略しすぎ。勢いで書いた文を推敲もせずそのまま投稿していないか?
ここもそう。この1行目を見ると特に感じるが、あなたの使う体言止めは、全体的に非常に違和感があって文意もとりにくい。
それは何故かというと省略されていない形が直感的に復元できないからだと思う。
じゃあポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない。
この辺は文自体は比較的読みやすいと思うが、全体としての文意が全く取れない。
「母国の言葉も知らない【が】、日本語くらいわかる」(この【が】も相当変だ。前後が逆接になっていない)
つまりこれらを総合すると、「まだマシな子」はまだマシな子同士では日本語でコミュニケーションを取れている、という意味でよいのだろうか?
そうであれば冒頭の「日本語力の限界に達する子」とは違う集団のことを言っているのだろうか?
文中で逆の例を言うことはもちろんありうることだが、この文章でこの位置に反例を出してこられても、シンプルに読者が混乱する以外の効果はないと思う。
めちゃくちゃ問題なのは、核家族かつ両親は移民で、子供が家族内でしかコミュニケーションがとれない。
義務教育はもちろん受けるが、授業が理解できない。簡易な単語は覚えるが、そこまで。
読み書きが壊滅的。
ここが主張したいメインの部分なのだろうか?
この「めちゃくちゃ問題な子」の家庭内でのコミュニケーションは何語によって行われている?
「ポルトガル語やペルシア語がわかるかと言うともっとわからない」のではなかったのだろうか?
このあたり、何か大きな前提が書かれていないように感じてしまう。
そして、今更だが、この辺りでようやく、日系人の日本生まれの子がうまくコミュニケーションをとれないという問題が主題なのかとわかってくる。
タイトルを読んで、本文を数行読んで、「ん?スペイン語??なぜ急に?」ときて、「移民の子」というキーワードが表れて、その上でここまで読んでようやく話の全体像が掴めてくる。
正直、ここまで読まないと全く頭が話に入っていけない。構成を工夫した方がいいと思う。
初めてあなたの文章を読む読み手の、何も入っていない頭の中を想像しながら書き進めたほうがいいと思う。
子供が日本人社会に適応してれば問題ないが、もちろん適応してない。日系人社会でもベトナムフィリピン系の子にブラジル系の子がいじめられてたりする。
冷静に読めばここの文意は取れるが、親切でない。ここまでの文もそうだけど、近接する文どうしで急に話が変わるのは本当に読みにくい。
もちろん、対比したいとき、強調したいとき、逆接したいとき、隣り合う文の内容が変わることはいくらでもある。だがそういう時のために接続詞はあるのだ。
そして二行目。「俺」が突然登場する。
これは一般的な日系人の子の問題について語っている文章なのだと思っていたら、急に体験談が出てくる。
かといって今後またしばらく「俺」は登場しない。この文章を、論説・エッセイ・体験談のいずれの性格を持ったものと思えばいいのか、この後ずっと混乱が続く。
「誰」のこと?文脈から言って日系人ではない日本の子供たちの話?また説明不足のまま話が変わっている。
日本語のできない移民の子は全く違う。子供同士で話すところを見ない。話せないから。
子供は残酷だから、いじめをせずとも仲良くはできない。世話を焼きたがる子ほど、感謝を要求するから尚更よく怒る。
結果して同年代の子は危険な存在以外の何者でもないので、隙あらば大人のところへ行く。
彼らは悲しいほどに察しが良い。興味を引くためのイタズラも行わない。
ここはわかる。文脈が繋がっているし、主語も統一されているし、これまでの主張から裏切られることもないからだ。
~の子と書いてきたが、成人している子も多い。
「~の子」とは?上で書いている「日本語のできない移民の子」を省略して書いたという解釈なのか?
このような略し方は本当に見たことが無いし、めっちゃくちゃわかりにくい。変な表現を使わず普通に書けば良かったのでは?
実は「子」ではないんですよ、という話をしたあとにまた「子」。
そしてまた出てくる「俺」。「俺」とは誰?あなたはどういう立場のどういう人間として何を伝えようとしてこの文章を書いているの?
寡黙で人懐っこく、文書が読めないから法外に安く使える。突然のドロップアウトや、誰も原因の把握できない暴力沙汰は多い。
時間を守れない子が圧倒的多数。マジで時計が理解できない子も多かろうが、恐らくうつかそれに近いんじゃないか。
内科や外科の存在は知ってても(たぶん読めないが)メンタルという単語も知らない。
増田たちの感覚では日本人とは感じないだろうが、国籍はあり住む意思があり日本を祖国だと思ってる。
幼い子は突然ふさぎこむ事がある。何かあったのは容易にわかるが、決して言わない。隠す事もできないが話すこともできない。
そして加害者にもよくなる。
ここはまだわかる。
「加害者にもよくなる。」は日本語の文として若干の怪しさを感じるけれど、まあわかる。
「くれた」の使い方が変。誰かの前に飛び出すのなら、かばう対象は「誰か」なのだろうけど、「くれた」は普通、自分か自分の身内がかばわれることに対して使うと思う。
そしてまた主語が行方不明。「かばってくれた事なんてない」のは誰?
直前にある文章は「加害者にもよくなる」だから、これが繋がっていると考える?
それともそのもうちょっと前に出てくる「増田」がずっと隠れ主語として残っているのだろうか?
うーん、どうとっても不自然だなあ。
文章の中で、読みやすさなどを優先して漢字をあえて平仮名で表記すること
今までこれを、
"ひら"がなで表記することから、「ひらく」「ひらかない」だと思ってたけど、
open、closeのニュアンスで、「開く」「閉じる」と表現していた。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 135 | 16401 | 121.5 | 42 |
01 | 52 | 3620 | 69.6 | 48 |
02 | 40 | 4030 | 100.8 | 54 |
03 | 30 | 3801 | 126.7 | 46.5 |
04 | 47 | 3340 | 71.1 | 39 |
05 | 25 | 2925 | 117.0 | 66 |
06 | 57 | 6933 | 121.6 | 61 |
07 | 106 | 9787 | 92.3 | 45.5 |
08 | 110 | 8451 | 76.8 | 49.5 |
09 | 150 | 10798 | 72.0 | 46.5 |
10 | 126 | 12917 | 102.5 | 50 |
11 | 160 | 18327 | 114.5 | 50 |
12 | 151 | 19398 | 128.5 | 51 |
13 | 180 | 14248 | 79.2 | 46 |
14 | 156 | 16333 | 104.7 | 37 |
15 | 148 | 18185 | 122.9 | 50.5 |
16 | 131 | 12286 | 93.8 | 42 |
17 | 156 | 14369 | 92.1 | 44.5 |
18 | 178 | 14709 | 82.6 | 38.5 |
19 | 118 | 12881 | 109.2 | 44 |
20 | 155 | 14618 | 94.3 | 39 |
21 | 125 | 14633 | 117.1 | 43 |
22 | 134 | 11306 | 84.4 | 36 |
23 | 114 | 13035 | 114.3 | 51 |
1日 | 2784 | 277331 | 99.6 | 45 |
読み下し(7), 泣きゲー(7), フェロー(4), Hanada(3), 8割(4), ノッポ(3), 感染爆発(3), 色仕掛け(3), 10万円(5), 1人(4), スキルアップ(33), 検察官(13), ギャンブル(25), 解除(38), 連(12), アベガー(10), 検察(16), PCR検査(12), 結婚相手(14), 中国語(8), 立憲(12), アベ(19), エロゲ(13), 当てはまる(11), テレワーク(21), 延長(15), 条件(46), パチンコ(17), スキル(27), 政権(31), 在宅(17), アイドル(28), 政党(13), 勤務(24), マイナス(12), タバコ(15)
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オタク的な文化に触れていると、時折聞こえてくる「男女の恋愛のことを"NL"と呼ぶのはやめろ」という主義主張。言っていることは分かる。
男性同士の恋愛「BL(ボーイズラブ)」、女性同士の恋愛「GL(ガールズラブ)」に対して、男女間の恋愛が「NL」と呼ばれること。
その「N」に「ノーマル」という由来があるであろうということに疑問を覚えるのは理解ができる。(近年では、その主義主張を受けて他の意味を込めて使われていることも多いが割愛する)
しかし、その言葉狩りに何の意味があるのだろうと思ってしまう。
そもそも私は「障害者」ではなく「障がい者」を使おうという主義主張に対しても不思議に思っていた。
近年、スマホの変換にも「障害者」とならんで「障がい者」が出てくる世の中になった。
それは主張をしている人たちが多くの人に広め、共感をよんだ結果なのだろうと思う。
でも、その「害」に良くない意味を込めて人は使っていたのだろうか。
大半の人は差別的な意味も悪意もその「害」に込めてはいなかっただろうし、それを漢字にするか平仮名にするかで言葉の持つ意味も意図も変わらない。悪意を込める人は、それが平仮名であっても悪意を込めるのだ。
その上で人は「障害者」という言葉を用いていたはずが、主張が広まるにつれ「障がい者」と表記をしないと配慮の欠けた人間かのように思われる世になった。全くその「害」に対して意図は込められていないのに。
そこに差別も悪意もなく、語源や文字に対して込められた意味がそのまま残っているわけでは無い。そもそもその言葉自体も、差別的な意味合いを込められ生み出されたものでもない。記号として残っているだけに過ぎないのだ。
言葉に差別の意味を持たせるのはいったい誰なのだろうと時々思う。
次々と言葉に差別の要素を持たせて、果たしてその先に何があるのだろう。
いつか、「"嫁"という漢字は"女は家にいるべき"という考えが込められているようで多様性に欠けるし、女性は働くべきでないという差別的な考えが込められているのだから使うべきでない」などと言う人も現れるのかなと思ったりした。
単語はともかく、漢字の成り立ちや組み合わせまで辿ると結構ショッキングな成り立ちや、現代の考え方にはそぐわないものも多いと思うが、その辺りはどうなのだろう……。
私は言葉狩りをすることで、その言葉に大半の人が意図しない意味合いを持たせるべきでは無いと考えるし、言い換えられる言葉は何でも言い換えるべきだとは思わない。
その言葉を使わないようにしている人の配慮もご立派だし、考えも勿論理解はできるが、やっぱり納得はできない。
何も考えていない配慮の欠けた人間だと思われるのは心外だが、それでも私は何も無いところに悪意を作って演出するようなことはしたくないなと思ってしまう。
「スーパーの入店がイニシャルごとになったら」を計算するというその着眼点は非常に興味深いものだと思うが、
やはり日本人には、アルファベット分けより、平仮名分けの方がわかりやすいだろ。
やや古いが、ア行は本当に多いのか?というブログ記事にある2011年時点のデータを使うと、
イニシャル | 世帯数 |
---|---|
ア行 | 18.1% |
カ行 | 15.7% |
サ行 | 13.7% |
タ行 | 10.6% |
ナ行 | 8.7% |
ハ行 | 10.3% |
マ行 | 10.9% |
ヤ行 | 9.3% |
ラ行 | 0.7% |
ワ行 | 2.0% |
らしいぞ。(ただし、元データは有効数字が揃っていなかったので、小数第1位で四捨五入した。)
入店を2分割にしたいのなら、タ~ヤ行(合計:49.8%)と、それ以外(合計:50.2%)で分割すると、ほぼ半々になるぞ。
3分割にしたいのなら、ア・カ行(合計:33.8%)、サ・タ・ナ行(合計:33.0%)と、それ以外(合計:33.2%)で分割すると、いい感じだぞ。
まず、この枝では言葉がここ500年で変化したかどうかが議論になっています。ある増田はそんなに変わっていないと言い、ある増田はいや変わっているだろと反論する。
後者の増田は、時間軸だけでなく空間軸でも変化があると論じている。
私はこれらに明確に答えを出せないけれども、二人の言わんとしていることはなんとなくわかる。
これはたしかにその通りで、たとえばwikipediaの「中世日本語」の項目を見ると、「この時期に古代から備わっていた特徴の多くは失われ、現在の日本語にかなり近い形となった。」
とあり、その細かい要件が書かれている。わかりやすい例でいうと、散々古文で苦しめられた「係り結びの法則」が最終的に崩壊するのがこの時期。
私たちが古文で苦しむのは、この時期に古文が古文になったことが関係している。
増田はこの辺りを論点として「変化がない」と主張したのだろう。
ネットで見られる具体的な原典として大英図書館所蔵『天草版平家物語』を見てみよう。
https://dglb01.ninjal.ac.jp/BL_amakusa/show.php?chapter=2&part=1
発音に多少違いはあるのだろうがこれ、令和を生きる私たちも結構読める。
と表題に書いてある。ぜひ原典と対応させて読んでみてほしい。読める。
正長元年ヨリ
ヘカラス
正長元年より先は、神戸四箇郷に負目あるべからず。字の流れ的にはいけなくはない。
前段では意外に室町時代くらいの日本語ならば通じるのではないかという話をしたが、実は通じないかもという話をする。
世話にやはらげたる
のところ。「世話」も「やわらげたる」も現代語でもほぼ通じそうだ。「世話」という言葉は今も使われるし、「やわらげたる」は「やわらげている」とすぐに発想できる。
ただ現代では、直接「世話にやはらげたる」の意味がわからない。
ところが他に「話し言葉、世俗で使う言葉」という意味がある。現代ではほぼ失われた用法だ。
つまりここでは、『平家物語』を(当時の)現代語に和らげて書きましたよ、ということを示している。
つまり、文法は近いけれども、用いられる言葉やその意味が全然異なるのだ。
方言の問題、あるいは発音の差異の問題と絡めて、この点は500年前の人と会話を難しくする要因になる。
二つの異なる意見が、それぞれ正しさを持っていることを見てきた。
見てきた通り、行けそうでもあるし行けなさそうでもある。私は、それでも、いけるんじゃないか、と思っている。
なぜなら日本語には文字がある。それも、平仮名も片仮名も漢字もある。そして、述べてきた通り音もある。
『論語』やそれこそ『平家物語』など、共通の「話題」もたくさん存在する。
これらを駆使して「会話」すれば、互いの言語感覚を調整・修正しながらコミュニケーションを取れるのではないかと思う(そして、当然と言えば当然なんだが平安人より室町人の方が格段に「会話」は簡単だと思う)。
この点は、元増田の「言語的に正しい大河ドラマ」を作ったり私たちが見て楽しめたりできる可能性を肯定する。
字幕入れたり解説入れれば、英語の字幕より近い感覚を持って楽しくドラマを見られるのではないか。
俺は、俺好みの室町の貴族の娘や守護大名、守護代クラスの娘(前髪ぱっつんの「のじゃ」口調の姫(大人っぽくてもロリっぽくても可))が異世界転生して俺の部屋にシュワみたいにやってきた場合に備えて、室町人と対話する準備はできている。