はてなキーワード: ブックカバーとは
昼休みは、いつも同じブックカバーをかけた文庫本を持って席を立つ。
同僚に「あんたいつも本読んでるね、そんなに読んでて図書館にでもなるつもり?最近のおすすめの本なんか無い?」と言われた。
私におすすめできる本なんてない。
私はこの文庫本を2年間かかっても読み終えていない。
そもそも私は本の内容を読んでいるふりして、いろいろな懊悩を隠すための装置として使っているだけだ。
そして、この沖縄で買ったビンガタのブックカバーの手触りが好きなのだ。
ボーッとしながらスリスリとブックカバーを撫でているだけなのだ。
「うーん、私は安い本買ってただ消費してるだけだから、おすすめなんてとくに出せないな」と答えておいた。「おすすめのブックカバーならずっと語っていられるんだけどな」という事は口に出せずにいる。
私にとって文庫本は、ブックカバーの衣装としてのそれでしかない。台座でしかない。
ジョジョの漫画のどこかで、若い女性の手首だけを持ち歩いてる男の話があったことを思い出した。
対象が人間でないだけで、私の行為はそれに近いのかもしれない。
「ちょっと背表紙の感覚が好みと違ってきたな」とか、「また買いに沖縄に行こうかな」とか、「ほかのブックカバーを探すために買い物に行こうかな」とか、
ブックといいつつ、2回目は雑誌を紹介する。
いまでこそあまたあるエロマンガ雑誌が、いわゆる「(美少女)ロリコン系雑誌」と呼ばれていた頃の(レモンピープル、ホットミルクなどに対する)後発誌のひとつ。
高校に進学し、電車通学で行動範囲が広がり、より大きな書店に出入りできるようになって、少ない小遣いから何を買おうか悩んでいる頃に、創刊号に出会い、表紙(いがらしゆう)の可愛らしさに一目惚れして、即定期購入することに。
(これは一読者としての贔屓目にすぎないが)必ずしもエロにこだわらないマンガを積極的に掲載したり、裏表紙の広告面に「意見広告」的なものをちょくちょく入れ込んでくるなど、後に快楽天や、comic LOが打ち出す独自路線を先取りしたような紙面であったように思う(もちろんそれは、後発雑誌ゆえ差別化をはかる必要があったからでもあるのだが)。
詳しくはwikipediaの該当項目を見てくれ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BF
とにかく自分にとってのさまざまな「性癖」の入り口になった記念碑的雑誌のひとつ(あとの二つは快楽天とGirls forM・・・と書いた時点でいろいろとお察し)。
イラストよりも文章スペースの方がメインの構成で、絵の描けない自分は毎月せっせと漫画の感想や高校生活の愚痴を書き連ねて投稿し続けた(掲載のお礼に当時松文館で出していた単行本がランダムでプレゼントされるというのも大きなモチベーションであったが)。
編集長は「マンガー・シラン船長」と名乗り、読者は「海豚」と名付けられた。そうした読者のコミュニティからは、後に読者の集いが開かれるまでになった(残念ながらこの集いは、同時期に起きた「事件」によって、こうした雑誌や趣味嗜好に対する攻撃や偏見が社会的に大きくなる中で、中断を余儀なくされてしまったのであるが)。
私も、ついには読者投稿欄で知り合った人と文通をするまでになり、浪人時代には手紙で、また大学進学後は互いに大学を訪れたり、電話をするなどして交流は続いた(それぞれの大学生活が軌道に乗り、進路が分かれていく中で交流は途切れてしまったが)。その彼と、大学在学中、松文館の編集部をウイスキーを土産に訪問し、「船長」と職場で酔い潰れるまで飲み明かしたのは、いい思い出(・・・か?)。
本屋で本を買うとわざわざ着けてくれる紙のブックカバー。いらんやん。ゴミになるだけやん。それ付けて外で本読んだらなんかそこの店の宣伝してるみたいやん?そんなんしたくないし。店員さんに手間かけさせるのも迷惑ちがう?本当に必要ならブックカバーくらい気に入りのを買うし。そやからいっつも断るねん。みんなもそうしたら?
あと甲子園の砂の意味ほんまにわからん。記念品的な?ただの砂やん。あれのためによそからわざわざ砂運んでくるねんて。どんだけ手間かけてんのいう話よ。そんなお金あるんやったらかっこいい記念品作ってあげたらええねん。高校生も高校生や。先輩がやってきたからいうて同じようなこと繰り返さんでもええやん。余計なお世話かもしれへんけどもうやめたら?
学生時代の友人がけいおん!流行ったあたりからオタクになってそのままラブライバーになって今もラブライバーしてるんだけど、
とか言い出した。
今も元気に戦っている姿をみてると、飛び火が怖くて何も言い出せない。
高校1年の時のクラスにT君という、大人しいオタクがいた。ラノベを読んでいた。ブックカバーをつけて。
そのブックカバーを外して机の上に置いてわざとらしく「おい!Tが変な物読んでるぞ!」と騒いでいたのが友人だった。
わざわざオタクの集いに突撃して茶化して笑いものにする。そんな場面は高校生活で3年間見せられた。
自分はオタクを隠して過ごした。友人に笑い者にされるのが怖かったからだ。
俺はいつまでも友人に怯えながら過ごすのだろう。
どうせTwitterとLINEだけの繋がりだしブロックすればいいだけなんだが。
まだ5ちゃんねるが2.5倍されていなかったころ、こんなスレがよく経っていた
色んな人がタイトルをあげて、時には受け手に回って架空の小説を、映画を、本を作っていく
突出した出来栄えのものは注目を浴びるし、ひねられて考えたものには舌を巻いて称賛される
今思えばクリエイターはおろか、ワナビですらない人がほとんどだっただろう。それでも、そこには創作があった。
昨今そういったスレは立たなくなったものの、多分完全に無くなったわけではない。
例えばTwitterで能登たわし氏が製作している「ない本」も同じ系譜を汲んでいるのだろう。
最も画像から表題と粗筋をアウトプットし、体裁を整えたブックカバーにまで昇華させる技術力は遥かに氏の方が上だし完成度も高いけれど。
そういったものを作る人がいて、しかも幅広い人に興味を持ってもらえている。その事実だけでも十分である。
願わくば、この源流はまだまだ続いてほしい。
はてな匿名ダイアリーには3000文字の文字制限があるらしい(?)ので、そのくらいを目安とした。
ついでに言うと良いアイディアが浮かんだとして個人的なメリットがないのだし書く必要がない。
情報を出し惜しみする社会を実現するためには仕方のないことだ。
まぁ、せっかくなので少しぐらいは書いておいてもいいかもしれない。
しかし、読み返してみればアイディアはすでに書いてあるも同然では?
・有料サイン会
まず書店、図書館、漫画喫茶の改善については、いくつかあるだろう。
サイン会を有料とするのは、すでに書いたとおりだ。
今検索してみたが「有料サイン会」は海外のスターは行っている様子ではある。
「サイン会が作家の負担となっている」という話を聞けば、ファンとして作家のことを考えているほど行きづらくなるような気がする。
タダ働きで疲れるサイン会よりは閑古鳥が鳴くぐらいが丁度いいとすら言えるだろう。
もしかすると報酬は出ているのかもしれないが、明言しない限りは基本的にタダ働きと思われているような気がする。
サイン会で作者に直接支援できるとなればファンは気兼ねなく駆けつけるのではないか?
他には直接的な支援ではないが「元作家を従業員として優先的に採用する」というシステムはどうか?
作家の中には書店、図書館、漫画喫茶が衰退しようが構わないと思っている者も少なくはないだろう。
特に図書館や漫画喫茶に関しては、商売の妨げとなるのだからむしろ積極的にそれを望んでいるのでは?
このとき、こういった店舗が将来的に自らのセーフティーネットになるのであれば無下にはできないだろう。
元作家を従業員とする方針を持てば店舗同士の競争において「作家の生活を支えたい」と思うファンの来客を促すことができる。
作家を目指すには引退後がネックだが、このような流れができれば挑戦しやすくなるはずだ。
今回は「本」と「タイム」の組み合わせで考えてみよう。
そうすると、とりあえず「本の即売」を競技化するということが思いつく。
チームに分かれて対戦して先に本を売り切ったほうの勝ち。
勝利チームの購入者は栞のようなちょっとしたグッズが貰えたりする。
ブックカバーを装着しなければならないなどのレギュレーションによってバリエーションが作れる。
もっとも競技について言えば、流行らせようと思って流行らせるのは難しいだろう。
その他にも挙げておこう。
とりあえずシンプルに「直接会って仕事の依頼ができる」ような施設がないように思える。
その場所に足を運びさえすれば、適当な仕事にありつけるというような施設だ。
漫画なんかでは○○ギルド的な仕組みがよく登場するような気がする。
それは漫画家が「なんかそういう仕組みが欲しい」と思っているからなのかもしれない。
既にこのような施設は存在していてもおかしくないように思えるが、あまり話を聞かない。
こういった施設を作るとしたら出版社と関係のない人間だろうか?
それを警戒して、やっぱり出版社が先手を打って囲い込みを狙う可能性もなくはない。
実物とテジタルの違いを考慮するなら「その本とセットとなる読書空間」というのはどうか。
映画などは自宅でも見ることができるが多くの人間が映画館に足を運ぶ。
違いはどこか? 「没入感に違いがあるのだ」と映画愛好家は言う。
では本の没入感を高めるための仕組みを考えるなら、どうなる?
トータルコーディネート的に「その施設で読むことで最大の没入感が得られる」というシステムだ。
例えばファンタジー風、サイバーパンク風の内装を持つ部屋で、その世界観の人物になりきった状態で本を読むのだ。
他には「人が住んでいる部屋」という設定の施設と「住居者が残した日記帳」という設定の本を組み合わせるなど……。
当然ではあるが本の内容も、そのように考えられている。なんならコスプレも組み合わせる。
その利点を捨て、環境との組み合わせで最大の効果を得られる方向での優位性を獲得するのだ。
施設がメインならば施設にあわせて作品を仕上げることとなるだろう。
逆に作品がメインなら簡単に内装を変更できるような仕組みの施設となるだろう。
本などを「布教」という言い方をすることがある。
現状ではファンが本を2~3冊買って身近な人間に配る程度だろう。
そこで「本を布教したい人」があらかじめ料金を支払い本を確保する。
「この本を欲しい人はいないか?」と問いかけると「欲しいです」という人が出てくる。
転売されるかもしれないので布教したい側も相手を選べるようにすべきだろう。
そこで希望者の中から大丈夫そうな相手を選べるというような仕組みだ。
これは実際の施設でやってもいいしネット上でも実現はできそうだ。
「ほしい物リスト」はあっても「布教したい物リスト」はないように思える(※未調査)。
他にも、
・道の駅にある「蕎麦打ち体験」のような作家による「作文体験」「漫画執筆体験」
・特定の飲食店で食事をすると収益が作家に還元されるシステム(協賛店?)
・外国人観光客向けの持ち込んだ絵本や漫画などを翻訳してくれる施設
のような仕組みが思い浮かんだ。
施設という方向性を挙げさえすれば、この程度のアイディアならすぐに思いつくと思ったのだが……。
なにも思いつかないのか?と逆に聞きたい。
まず前提として「画期的な万能の施設により全員の作家がどうにかなるとは到底思えない」というのがある。
ほとんどの書店でロゴ入りの独自のブックカバー用意してるのに、どうしてみんな一律に地味なんだ?
だったら、あんなに一律の地味デザインではなくブックカバーはもっと広告として利用されるべきではないだろうか。だってお客さんが少なくて困ってるんでしょ?
あの肌色のブックカバーのどこかに「無印良品」ってロゴが書いてあれば、オーガニックなデザインに意味が出るけど、そうじゃない。多くの書店に紛れちゃったらもったいないだろう。
もう少し具体的に・・・
今回の広告の目的は、まずは書店をブランド化して新規固定客を増やすこと、にした。
成功すればいずれは出版社などの企業広告の出向も見込めるかもだが、それはまた別のお話。
僕の考えでは、細かいデザインはそこまで気を使わなくていい。大事なのはそのブックカバーを何色にするかだけだ。
「最近外を歩いていると〜色の〇〇書店のブックカバーをよく見かける」状態をつくる。
繰り返すが、この広告は新規固定客を増やすことが第一なので、対象は本を買った本人ではなく、外で本が読まれた際にその近くにいる潜在顧客向けの広告になる。
その為には、デザインやロゴに拘るのでなく、とにかくブックカバーが一目視界に入るだけでどこの書店かがわかる色にする。ただそれだけだ。文字や図形では瞬間で読み取れないし、読み取る努力が必要。
なので、広告として利用するにはブックカバーの色が一番重要になる。
で、そこからもう少し欲張って「最近外を歩いていると〜色の〇〇書店のブックカバーをよく見かける。…いまどきオンラインショップも電子書籍もあるのになんであそこの本屋を使ってる人が多いんだ?」と思わせたい。思わせたら勝ちだ。
その疑問の回答を得ると同時にニーズがマッチすれば新規固定客 兼 広告塔になってくれるだろう。
「その書店ではブックカバーを利用するとメリットがある」状態をつくる。
僕は、天気さえ悪くなければ、本屋の手提げ袋は不要だと思っている。ハードカバーサイズくらいまでなら手でよくないか。というか多くの場合カバンくらい持ってる。
なので、ブックカバー(広告)を使わせる頻度を増やすためにも袋を断った人向けのポイントかおまけをつければいい。すでにそこらのスーパーでもやってるんだからできるだろう。いいものはパクれ。無駄に付けている袋は廃止だ。その袋代+新規固定客を予算に充てろ。
サービス内容を各書店が競うようになれば、書店ごとに文字通り色が出てオンライン書店への対抗策の一つにもなるし、このまま座して死を待つよりはいいと思う。
サービス面で競争が起これば消費者の僕らもwinwinだ。生き抜け。
※別途ポイントカード作るのは面倒なので上手いことやってほしい。
昔、自分が学生だった頃、今で言うと陰キャと呼ばれてるような奴らの集いが毎日のように教室でありました。彼らは放課後になると、今で言う陰キャの中心的人物が属するクラスの教室に集いました。
当時の作品はよくわかりませんが、いわゆるライトノベルを教室に持ち込んでは黙々と読んでいる人間でした。
私は、ガリ勉野郎でしたので勉強をする自分の横で軟派な表紙をチラつかせて読んでいる隣の男達(中にはちゃんとブックカバーをつけている人もいましたが)を気味悪いと感じながら過ごしていました。
自分は積極的には関わりませんでしたが、今で言う陽キャと言われるクラスの中心的な人たちは積極的にいじり倒していました。
オタク的CDを持ち寄ってきていたのか、今で言う陽キャの集団がそのCDをからかい始めました。その時に、今で言う陰キャの中心的人物が、陽キャの集団に対して「J-POPという流行らせたコンテンツに乗っかっているおまえらにはわからんよ」的な事をいっていたのを思い出します。
その時、初めて今で言う陰キャの人たちを理解しました。彼らは別に反発心や、満たされない日常を不満に思ってオタクをやっているわけではない。自分の無意識な価値観を揺さぶられたような経験でした。
彼らは別にオタクになりたくてなったわけではなく、自分が素晴らしいと思った物を突き詰めるにあたりオタクになっただけなのだと。
それは本質的には数学検定に必死になる自分となんら変わりなく、あくまでもその対象が外の人から評価されるかされないかだけなのだと。(数学検定が外の人から評価されやすい資格かはともかく)
その後、電車男が書籍として販売され、秋葉原がにわかにテレビで特集が組まれ、ニコニコ動画というコンテンツが生まれて、「オタク」はありふれました。
いやでもオタク文化が目に入り、パソコンを触っていればそこそこそういう知識は分かる程度にまとめられたコンテンツは増え、気がつけば水樹奈々は当たり前のように紅白に出場し、小林幸子は「千本桜」を歌うような時代です。
今のオタクは、言ってしまえば「J-POPという流行りに乗っかっている」当時の今で言う陽キャと変わりないのだと思います。
私はスマホゲームを良く嗜み、5chのスマホアプリスレで情報収集をしていますが、上記のことをものすごく感じます。
必ず「セルラン」「覇権」という言葉がどのスレにも出てきます。アニメであれば、「覇権」はよく聞きますよね。私はこの言葉がどうファン達に聞こえるのかわかりませんが、とても無意味ではないかと感じます。
なぜなら、オタクは流行に乗ってやるものじゃないと最初に話したエピソードで感じているからです。
いまでも語られる名作ゲームとしてデモンズソウルを例にあげます。私はデモンズソウルが大好きなのですが、このゲームはもうすぐオンラインが終了するということで最近またキャラを作っては嵐の祭祀場に通っているのですが、このゲームは覇権でもなんでもないですし、そもそも売上もじわ売れですし、どちらかというとダークソウルから入ってきた人のほうが多いのではないかと感じます。覇権でもないゲームなのに、名作として扱われ、ディープなファンがいて、ソウルシリーズとして続いていますよね。
だったら、アニメやスマホゲームで「覇権」「セルラン(円盤の売上)」という言葉が当たり前のようにでてくる現状ほど、オタクが「流行りモノに飛びつく人間」という意味になってしまっていると感じます。
同人誌で、簡単に描く作品を変えてしてしまう同人作家を「いなご」と言いディスる。
おかしなものです。オタク自体が「流行りモノ」を追いかけて移動しているのに、同人作家という発表者が流行りモノ(または流行りモノのついていくユーザー)を追うことを咎めるのは。
今でも真実か冗談かはさておき「なのは完売」という言葉を見かけますが、これほどオタクを象徴する言葉はないと思います。「なのは」という今では覇権でもなんでもないコンテンツが「すぐに売れてしまうコンテンツ」だと認識されているのです。
もちろん、作品を知る機会として「流行り」は重要です。しかし、コンテンツの楽しみ方までもが「流行り」であるようにしか今では感じません。
「オワコン」という言葉があるのがまさにコンテンツの楽しみ方が「流行り」であることの証明でもあります。
私が学生だった頃、教室に来ていた今で言う陰キャ達がどうなっているかは私にはわかりませんが、彼らは当時そうではなかった。私がみた「昔のオタク」像のせいで「今のオタク」がオタクに見えていないだけなのは重々承知していますが、今のオタクは当時の今で言う陽キャと同じ人種にしか見えない。
そして、当時、今で言う陰キャの事を気味悪がってたくせに、アニメやらゲームやらをやっている自分も、ただの「今のオタク」にすぎないのだろう。
思いのほか良くてびっくりした。職場の先輩がキャンプ好きなので今度連れていってもらおうかとすら考えはじめている。
テントの骨組みの束がカシャカシャカシャとなったとき、あっ、このアニメいいかもと思いはじめ、テントの組み立て作業なんてものに本気で見入ってしまった。その場で何度もリピートしたから、たぶん同じタイプのテントだったら組み立てられると思う。
そしてカップラーメンを食べるシーン、めちゃくちゃ美味しそう。夜中、キャンプ場というシチュエーションを抜きにしても、抜群に美味しそうで素晴らしかった。料理ジャンルの作品は、なぜか食べる少女を露骨にエロく描くことが多くて気色悪いんで、ちょっとはゆるきゃんを見習ってほしい(露骨なエロそのものを否定しているわけじゃない)。
ギャグも適度に挟まれていてよかったし、あと、いい感じの狭さと謳われたゆゆ式の部室よりも狭い部室を見ることになるとは思わなかった。キャラは、アンニュイな子のアンニュイさ加減がちょうどいい。でも、アホの子が窓ガラスにぶつかるのはさすがにやり過ぎ。
押しかけロリ女房、年下の姉弟子などさり気なく最先端の萌え属性「バブみ」(ロリコンにマザコンをぶち込んだ属性)をおさえているのはポイント高い。
作中での出来事は、すべて現実の将棋界で起こり得るらしいんだけど、ぶっちゃけそんなことはどうでもいい。正しさより、おもしろさや萌えのほうが重要。
キャラがあざとすぎて嫌という意見を目にしたけれど、萌え系の作品にとってあざといは褒め言葉、ロリキャラ組には期待してる。ブラブレみたいなのを期待してるけど、この感じだとローキューブになるのか?
見方は「うまるちゃん」と同じで、積極的に見たいというよりは夕食を食べながらだらだら愛でたいって感じ。
苺ましまろの独特なキャラデザを借用してるのは案外気にならなかった。調べてみたらアニメは13年も前だし、まあ記憶の彼方だわな。ファッション面もがんばっているのはわかるんだけど、本家には及んでいない。よーし雑誌でも参考してみるか!って程度じゃ難しいんだろうか。かなりの執着が必要なんだろうか。
三ツ星ということは主要人物は三人から増えないのだろうか。日常系は四、五人いないと話が回しづらくなって見てる側もつらくなってくるんで、どう工夫するのか気になる。警官のあんちゃん、雑貨屋のおっちゃんだけじゃ限界がある。
無茶なことするなあ、でも無茶をしてこそ青春だよなあ、という気分にさせてくれる。
ストーリーがいいというわけじゃない(良いか悪いかは現段階ではよくわからない)。そうじゃなくて、たとえば二話で主要人物たちが逃げるシーンがあって、じっくりと三分弱くらい逃げるんだけどまったく間延びを感じない。むしろ、わくわくする。
バレた、逃げろーって感じで三人が逃げはじめて、めっちゃ走るフォームがきれい、速い!って思ってたら、他のふたりは路地に入ってうだうだやってて、怖いけどあれ?楽しい?ってなったときに、いいタイミングで挿入歌が流れはじめて、石の段にちょっとつまずいて靴がポーンと跳ね上げられたのをキャッチしてあげて、ふたりでニコッと笑いあって……
みたいな細かいことの積み重ねに、疾走感とかおかしさとか楽しさを感じられて、青春だよなあという気分になる。ド派手なアクションはないけど、映像に華がある。実写でおなじようなことをやってもこの華やかさを出すのは難しい。アニメ独自のうま味を十分に噛みしめられるという意味でこのアニメはおすすめ。
少年が後背位で少女を突くような姿勢でロボットを操縦する設定だけでムラムラくる。でも、おっさんのセクハラは不快。リアリティゼロの下品エロは好きだけど、リアルな下品エロは嫌い。にしてもエロい妄想が止まらん。だって、ツノ付きツリ目の強気な年上ボクっ娘が「ダーリン」って呼んでくれるんだぜ!?
ロボットアニメとしては、新世紀創生のファイブスタードライバーだゾイって感じのごった煮がグイグイ動くからそれなりに楽しい。ベタなことをベタベタにやってるのは賛否がわかれるところ。
ひとつ気になるのは、燃え要素がかなりうすいこと。ロボットアニメってのは中二心(燃え)を揺さぶらないといけないというのが自論なんだけど、露骨なエロに寄ってるこのアニメに中学生が燃えるとは思えない。いまの段階で面白がっているのは、ロボ好きよりエロコメ好きだと思うんでここからどうなるんだろう。
知世ちゃんはあいかわらず知世ちゃんだった(満足)。
原作は三巻の途中まで読んでる。おもしろい。でも、高木さんの声はもうちょい高めのイメージだった。
好きな漫画原作は声のイメージがつくのを避けたいのでアニメは見ない。いいアニメ化になることを陰ながら応援している。
ゆるきゃんよりラーメン描写が劣っているのが致命的。おれが見たいのは雑学ではないし、百合としてもなんか微妙。
なんか薄味。べつに雑学を見たいわけじゃない。
留年設定は今後うまく機能するのか。機能したとして萌えにつながるのか。
異世界転生するのに10分もかかってどうするんだ。はじまって三秒で轢死してほしい。
おじさん猫がかわいかった。なんというか、減点方式だと80点は残るけど、加点方式だと20点しかないから話題にしづらい。手堅くサクサク進んでるなあとは思う。
つまんねえ、でも、ひとつひとつの要素はけっして悪くはない(クソダサいアーマーは除く)。
全体を俯瞰すれば良く見える可能性だってあるんだけど、一話一話のつかみが悪く(戦闘や百合やキャラ萌えなどでつかもうとしている。でも微妙)、やりたいことがたくさんありすぎてゴタゴタしていて、説明不足も相まって置いてけぼりをくらってしまう。
この失敗のしかたは前期の「URAHARA」に似ている。ただ、萌えオタクが好きな要素が盛り込まれているので、クソアニメマニアには受けるような気がする。
おれが読書要素に求めているのは、そんなフワッ~とした「小説はわたしを知らない世界へ連れていってくれる(恍惚)」みたいなのじゃなく、書店員に「その小説(SF)好きなんですか?」と聞いたら「ああ、いえ、ハヤカワはブックカバーが他とちがうので面倒で、あっ、って声が出てしまいました」とか言われて微妙な空気になるようなやつ。つーか、手際が悪い。モノローグを入れすぎ。展開がトロい。見せ場という見せ場がない。一話でやったことはAパートまでで終わらせるべき。
メインふたりより、前髪パッツンの子のほうが好みなのがちょっとつらい。リアリティが低い、といっても低すぎる(ぶっ飛んでる)ことはないのもちょっとつらい。価値観がすくなくとも10年は前で止まっているのもちょっとつらい。
そうそう、こういうのでいいんだよ、こういうので。なんでライオン男に勝てたかわからないだって?勝てたから勝てたんだよ!気にすんな!けっこう古臭いかもしれないけど、アホでエロいB級を正々堂々とB級らしく仕上げていて、いいと思う。こういうアホエロ突き抜けスピリットをもった深夜アニメが最近減っちゃって寂しい。
めっちゃ微妙。「人とアンドロイドの共存」というやりつくされた素材をどう調理していくのか、という段階に達しておらず、単純な話、アニメのクオリティが低い。一話は展開が急ぎすぎているし、見せ場が見せ場として機能してない。二話の街なかでのファッションショー(?)ライブ(?)も見せ方が下手で笑う気も起きない。
20年くらい前の小説をサルベージした最近流行りのパターンなのかな?とか思ってたら、2012年刊行でちょっと驚く。
類似アニメ(?)である「まほろまてぃっく」みたいに必要な設定をピックアップして、ほかを捨てたほうが深夜アニメには適してるし、重そうなテーマ性からしても、小説で読んだほうが確実におもしろいタイプ。原作ファンは不満なんじゃないのか。でも、キャラデザは好き。
おもしろくないことはないし、出来もいいんだけど、もしかして原作漫画のほうがおもしろいんじゃないだろうかと思ってしまった。二話まで観ても四頭身のキャラデザにいまいち慣れない(デフォルメの強い六頭身美少女を見慣れているせいか?)けど、画像検索で出てくる漫画の絵はかわいいと思うんで、アニメに向いてない絵柄なんじゃないだろうか。
類似キャラデザのメイドインアビスや少女終末旅行は、常に(一話二話の時点から)死の影と冒険感があり、かわいらしいキャラデザとのギャップが作品を引き締めていたけれど、このアニメみたいにかわいいキャラが、かわいい異世界で、かわいい不思議なことをフワッ~とやってるのを映像(自分のペース見られない遅い媒体)で見るのは退屈してしまう。
じゃあ、なんで日常系アニメは見ていられるんだ?って話だけど、いちおうは現実に即しているからってのと、なにより萌えキャラはアニメ化に適している(着色されて動いて声がついたほうが断然かわいい)からじゃないかと思う。とりあえず原作は買う。
魔法使いの嫁みたいな感じだったら……と見当をつけていたら、やっぱりそうだった。女向けなんで、男キャラのほうがかわいい(当たり前だけど)。ユーフォみたく平々凡々な原作をアニメの力で昇華していく京アニの必殺技が今回も炸裂するんだろうなあ、もったいない。
このアニメの存在価値はふたつ。ひとつは、いまどき珍しく大々的に「このアニメに理解を示しているオレ、カッケエエエ!!!」をSNSなどを通じて共有できること。もうひとつは、アニメ業界はこういう無茶ができると教えてくれているということ(製作委員会方式じゃないからできたらしいけど)。
ホラー漫画の女の子って妙にかわいかったりする。この作品の女の子はかわいらしさと美しさが共存していて、とてもいい。ホラー短編は大して興味ないんで、一話でやったようなユーモア短編か女の子がメインの短編を期待してる。
アニメに詳しい人の評価が高かったので観てみた。おもしろかった。
主人公の男の子がガチの鉄道オタクでなに言ってるのかわからないときもあるけど、なるほど!よく知ってるなあ!って気になるし、かわいい。電車の時刻なんてスマホで調べられるご時世にわざわざ時刻表の本を読んでるのも、なにか明確な理由があるんだと思う。ヒロインがJSユーチューバーを堂々と名乗っているのもなんかすごい。
マスコットがロボットのオペレーションも兼ねていて、性格も口調もガラリと変わるのもしっくりとくる(昔デジモンを観ていて、かわいいテントモンが「光子郎は~ん」って言うのはいいけど、進化してイカつくなったカブテリモンが「光子郎はん」って言うのは違和感しかなかったので、なんとかしてほしかった)。
親子関係の良好なエヴァ、大人がちゃんと大人なエヴァという意見を見たけど、エヴァというよりは朝の男の子向けアニメの王道をやりきっている、というのが正しいんじゃないかと思う(その王道が捻くれちゃったのがエヴァ)。ミサトさんポジションが父親で、司令が父親の後輩(?)という関係性もおもしろい。司令は父親になにか恩がありそう。
新人の言った「いまは大人と子供がいっしょに未来を守らないといけない時代になったのかもしれない、わたしたち大人には受け入れづらいことですけれど」は名言。
お歳暮や、差し入れなんかでもらう、きれいな缶に入ったクッキーが好きだ。
贈り物ですよ、と言わんばかりに主張の強いものだからかもしれない。
思い出すたびきれいだなぁと思い、デパ地下を覗いてみたり、アマゾンを眺めてしまう。
缶入りのクッキー、それだけで幸せをぎゅっと集めたものを眺めている気分になるので、お手軽に幸せな気持ちになるのだ。
そうしてたまに頂いた際、百貨店やお店で包んでくれている、きれいなラッピングを開ける時、ものすごく慎重になる。
艶のある赤や青、金のリボンはそっとほどく。
セロハンで留められた包装紙をぺりぺりと剥がし、これも丁寧に折りたたむ。
私は後で眺めたり、ブックカバーにしたり後で色々と遊ぶために、リボンなんかは取っておきたいタイプだ。
缶は四角いのが好みだけど、楕円形や、資生堂みたいな八角形もいい。色はどれも素敵だ。紺や白、赤に黄色。お店のカラーがあってどれもいい。
開けた中身のクッキーの、赤いジャムが真ん中に乗っているもの、ナッツが混ぜられているもの、チョコレート色のもの、バター色のもの、粉糖がたっぷりかかっているもの、様々なものがきれいに区切られて並べられている光景はセロトニンがどばどば出てくる。多分目もとろけている。
学校の朝読書や空き時間でライトノベルを読んでいる時期があった。複数の友人によく、「何読んでるの?」と聞かれ、少々渋りながらも作品名を口にした。
そのたび「知らなーい」「面白いの?」といった感じの返事が返ってくるも、自分の口からは大体「まあまあ面白いよ」と無難な言葉で返答。
ある日の事、作品名を言い、いつもの流れかと思いきや、「表紙見せて」と返ってきた。いつもブックカバーを付け読んでいた。その日ももちろん。だからこそ興味を引いたのか。ただ、自分は数秒固まってしまった。
表紙には女の子。かわいい。見返し?から数ページに渡り、さらに女の子。かわいい。
挿絵のページに関しては、わざわざ読んでいるところを覗きに来る人はいなかったので何も言われなかったが、いざ見せろと言われると見せにくい。なんたって当時のオタク趣味みたいのは敬遠されがちだったから。
拒否すると渋々といった感じに食い下がっていった。
要求される度に拒否する日々を続けてた。しかし、自分が席を離れている間に、鞄か机の中かどっちかは忘れたが勝手にライトノベルを取り出し、席で眺めている一人の男子がいた。慌てて取り上げて、何してるんだ、と言うも手遅れ。明日から学校には来れないかな、まあ自己責任か。といった感じに思っていると、
「面白そうじゃん」
あれ、と予想外の返事に言葉も出なかった。
それから、そのシリーズを彼に貸すようになった。3、4冊目を貸したあたりから周りの人が興味を示しだした。「何貸してるの?」「何借りてるの?」と。
両者とも適当に受け流して逃れてきたが、離席していたところを今度は3人ほどのグループで席を襲撃され、返ってきた本と読んでいた本数冊を机の上に並べ、鑑賞会をしていた。
オイオイオイ、今度こそ死んだわ、と思っていると「なにこれ」「こんなの読んでるの?」などなど、まあ、予想通りの言葉におしまいだな、と。
のはずが、数人には割とウケていたのと、クラスメイトの中に自分を排除しようとする人はいなかった。優しい世界、という訳にはいかず、自分と同じような陰キャな雰囲気でライトノベルを読んでいる人がもう一人いたのだが、その人はいじめとまではいかないものの、パリピ系はウェーイ系から定期的に嫌がらせを受けていたし、ほかのクラスメイトからも少々距離を置かれていた。
その人とは話す事は何度かあったし、見ていて気持ちの良いものではなかったので、自分も、周りの人も止めてはいたがたが、一旦やめるだけで、完全にやめる事はなかった。そんな奴らは擁護した自分も嫌がらせの対象にするかと思いきや、そんなことはなく、普通の生活を送れていた。
これがよくわからない。
友人に同じ雰囲気の人間なのになぜこうも扱いかが違うのか、と聞いた事がある。すると「全然違う」と返ってきて困惑した記憶がある。内容はよく覚えてないが、雰囲気だとか話しやすさとかだった気がする。そんなのどうしようもない。
と、クラスメイトからの表向きの迫害は免れたものの、裏や他クラスでの陰口等は普通にあった。直接的な行為はなかったのでどうでも良かったが。
そんなことがありながらもなんとか卒業。寄せ書きにはそれなりの人にメッセージを書いてもらい、自分も色々書かせてもらった。絵の上手な友人に当時流行っていた魔法使いのキャラを描いてもらいご満悦。かわいい。
それから数年の月日が流れ最近、休憩時間にスマホをいじっていると、何やら周りが少々騒がしい。なにかと思えばパズドラのガチャ更新みたいのがあるらしい。今か今かと更新が待たれる中、追加されたキャラは”コットン”と言うらしい。自分はパズドラをやっていないので、話はよく分からなかったがここで耳を疑う言葉が聞こえた。
「かわいい」
パズドラと言えば、モンスト、ツムツム等に並び、一般人向けのソシャゲ(筆者の感覚)であり、プレイヤーの大半は性能で編成し、外見には興味が無いと思っていた。そこに、外見の話題、”気持ち悪い”ではなく”かわいい”、そして、それがウェーイ系集団の中から発されたものであり、周りもそれを否定することもなく、どちらかというと肯定的な雰囲気だった。
自分が思っていた一般人がアニメ系やゲーム系の絵や萌え絵を見たときの反応といえば、大体、毛嫌うイメージだし、実際にそういうところを間近に見てきた。最近では露骨なものは見なくなったものの、まだそういう感覚があるもんだと思っていた。でもパズドラの人気投票見たいのでチアガールみたいなポンポン持ったキャラがセンターにいる結果画像みたいのを見た記憶があるし、そんな時代ももう終わりに近づいているのかな。それとも周りの人物たちが特殊なのか。
でも、もし、今までそういうのを毛嫌いしてた人が少なくなってくるなら自分としては生きやすいし、悪いことだとも思わない。そういう傾向に行ったらいいなと思います。
そんな二次絵に抵抗がなくなってきた方におオススメしたいのは”アイドルマスターシンデレラガールズ”という作品で、ちょっと前にTVCMが流れていましたね。わからない方は、”元SMAPの中居くん”さんが出演していたCM、と言えばピンとくる方が結構多いのではないでしょうか。こちらは”スターライトステージ”というスマートフォン向けに配信されている作品でして、アイドル達が歌って踊る!曲に合わせて上から降ってくるノーツをタッチ!いわゆる音ゲー、リズムゲームというやつです。難易度は、”DEBUT””REGULAR””PRO””MASTER” さらに、上級者向けに”MASTER+”という高難易度も存在し、初心者から上級者まで、自分に合った難易度でプレイできます。私も始めたての頃は”REGULAR”ですら精一杯でしたが、いまでは”MASTER+”もクリアできるようになりました。そして目玉はなにより、後ろで3Dのキャラクターが踊ってくれます。プレイしているところで踊られるのは邪魔じゃない?と思うかもしれませんが、”MASTER”をクリアすると”MV”として、踊りだけがじっくり鑑賞できます。なお、バックを若干暗くし、見やすくする機能や、2D表示、静止画背景といった、音ゲーだけに集中したい方にも有難い設定が可能です。このゲームには”コミュ”というお話パートがあります。まるでアニメ一話分を丸々見ているかのようなボリュームのストーリコミュ、ゲーム内のイベント開催に伴うイベントコミュや、アイドル各個人の成長を描くアイドルコミュ、そして、ホーム画面やルーム機能も合わせて、アイドル達の色々な一面が感じられます。ゲームには付き物もロード画面でもアイドルのウワサや一コマ劇場といった、空き時間も飽きさせない気遣いがあります。登場キャラは50名以上!と公式ではなっていますが、3Dモデルで躍らせることができるのは例外を除き183名いるので、あなたが好きになるアイドルがきっと見つかります。不遇、と言われるキャラもいますが、我々はプロデューサーとして、彼女たちをトップアイドルに導くべく、日々精進しています。楽曲の初期収録数は40程度ですが、進めていくと120以上になり、今後も増えていくようです。日を重ねるごとに進化していくデレステの今後の進展は目が離せません。スマートフォンで、しかも基本無料でこれまでのクオリティのゲームが遊べるなんて凄いと思うし、「この子のためなら課金できる」と決意を抱く人もきっといると思います。私がそうだったように。皆さんもアイドル達と最高のステージを目指してみませんか。