はてなキーワード: ニーチェとは
痴呆の父本人が嫌がっても強制的に入院させた、という増田にこんなブコメがついてる。
痴呆がすすんでも生きながらえさせなきゃダメなのか。残された家族のQOLが爆下がりするなら安楽死だって選択肢ではないのか。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4734234384946062020/comment/emt0
ここでの「安楽死」とは、命にかかわる病気ですぐ先に死が見えている状況で、生きるのに肉体的・精神的な苦痛が続き、本人が望んで死を選ぶ「尊厳死」ではなく、
「痴呆で本人の判断能力が損なわれ、自制力や生活力がなくなり、周囲(家族)に迷惑をかけるので、この世からいなくなってもらおう」という意味で、つまりのところ「お荷物人間の殺処分」てことだ。本人の意に反しても社会的に有益なら殺人を認める、そんな制度を国が法的に認めて整備したらと言ってるんだ。
違うとは言わせない。病識がなく入院すら嫌がってる状況で、自ら死を選ぶはずがないのだから。
これ、「自制力や生活力が現役時代より劣った痴呆親」どころか、もっと重度に精神的に遅滞してる精神障碍者ばかりのやまゆり園の入居者を「彼らは意思疎通すらできない、人間ではない、生きてる意味がない、殺してやるのが本人にとっても幸せだ」と大量殺人を犯し死刑判決をくらった植松死刑囚の思考と、何が違うんだろう。
俺には違いが見えない。
むしろ、こんな言い方をすると反発が来るだろうが率直に書いてしまえば、家族が医療費や生活費を負担して入院させてる痴呆老人よりも、国が生まれたときから一生の世話をすべて公費でまかなってる生来の重度精神障碍者のほうが、「社会のお荷物」度は大きい。
植松は自分が殺人者として捕まり裁かれるのをわかったうえで自ら犯行に及んだが、「国がそういう制度を作れ、誰か(「安楽死」という言い方からして医師や保健所を想定してそう?)が殺して処分できるようにな」と他人任せにしてるブコメ・賛同者のほうが、より醜く見える。
俺個人としてはどちらも「負担だからこの世から無くしてしまえ」など思わないが、でもそんな思考である「痴呆老人は周囲の迷惑だから殺せ」てブコメにこれだけの賛同スターが集まり、批判ブコメがほとんどつかない(現時点では一つだけ)状態にはてブが陥ってるのに、びっくりだ。
それとも上記ブコメに賛同する人たちは、植松の思想・犯行にも共感・賛同してるのか?
まったく理解できないが、はてブが現在こういう状況になってるのに驚いてしまって、暗鬱としてる。
どうなってしまったんだろう。
そんな都合よく認知症になったら死ねるかどうかわからないし今のうちに死んどくといいんじゃないかな。元気なうちなら人に迷惑かけずに死にやすいだろうし
それな。
「痴呆怖い、安楽死、安楽死」つってる人たちは、元気な今のうちなら痛みなく死ねる方法を取れるから、やっとけばいいよ。
痴呆でなくても生きるのいろいろ大変だろ?他人を巻き込む制度化を求めてグダグダ言ってる暇で、さっさと自決したらいいのにね。
実際に重度精神障碍者介護の現場に入って苦労するうちに思想が変わった植松死刑囚もそうだね。
「大変だ」と苦労するところと、「だから安楽死(殺処分)」との間には大きな一線があるんだよ。
「重度精神障害の人と付き合ったことあるなら分かるだろうが見てて痛々しくなるんよ」
『安楽死が認められた世界では俺のような人間はまず間違いなく「社会的に価値がないにも関わらず安楽死を選ばない傲慢で古い価値観の人間」と断ぜられるだろう』
これ。
医療的な基準(余命、肉体的苦痛)に基づかず、「生きるのがつらい、死にたい」という本人の希望だけで「安楽死」が認められるようになったら、
元ブコメのように「社会的に負担にしかならない痴呆老人」「重度精神障碍者」から始まって、「勤労意欲のないひきこもり」「ホームレス」「生活保護受給者」など社会的生産性のない人間までが「安楽死」を選ばされる未来になるのは目に見えてる。
家族や親権者や代理人が「本人は今は意思表示できませんが、元気なころにこうなったら死にたいと言ってました」「本人も愛する家族に負担ばかりかける現状が続くより、死んだほうが幸せだと思ってるはずです」「この状況で安楽死を選ばないのはおかしいです」つってな。
なんせ制度がない今ですら「痴呆老人は負担になるから殺処分しろ」てブコメにこれだけ賛同が集まってるんだから。
https://ja.wikipedia.org/wiki/T4%E4%BD%9C%E6%88%A6
極めて皮肉なことに、「病人は社会の寄生虫である」と書いた4か月後、ニーチェは脳梅毒により精神に異常をきたし以後の10年余り狂人として家族の世話になって過ごした。
守る術なき患者が遅かれ早かれ殺されるという事を予期することである。
何故なら、彼らは「生きる価値がなくなった」と担当の役所や委員会が判定しているからである。
君も私も、私たちが生産的である間だけ、生産的であると他者から認められる間だけ生きる権利があるというのであろうか?
もし「非生産的な」人間は殺してもよいという原則がたてられ使われるとすれば、年とった者、老衰した者すべては何と痛ましいことになることか!
もし非生産的人間を殺してもいいなら、生産過程において力を尽くして働いた結果、犠牲になった病弱者は何と痛ましいことか。
もし非生産的同胞を暴力で排除してよいものなら、戦争負傷者、身体不自由者、傷病兵として故郷へ帰ろうとする私たちの勇敢な兵士たちは何と痛ましいことか。
もしひとたび、人間が「非生産的な」同胞を殺す権利を持ったら、原則的にはあらゆる非生産的な人間への殺人、すなわち不治の患者、労働と戦争の負傷者の殺人、そしてもし私たちが年をとり老衰し、非生産的になる時には私たちすべての者の殺人が自由に許されることになるのだ。
82年も前の説話だぞ。
人生には論理立てて説明できるような意味がない。これは不安をもたらす。また、人生は有限だ。これは焦りをもたらす。
長らくこの絶望に対して、誰かが保証してくれたり論理的に肯定できるものなどなくても、自分で意義があると強く確信できる行いを続けていれば良い、といった思考停止を肯定するスタンスを取る事で正気を保ってきた。
最近になって、ではそもそも「意味」とは?「価値」とは?という意識的に思考停止していた疑問が頭から離れなくなってきた。
「意味のある人生を送りたい、それが価値のある生き方だ」という素朴で疑い得なかった感覚を地盤としていたのに、そこまでもがニヒリズムに飲み込まれかけてしまっている。
道具は意味=目的を持って生まれる。その図式を無意識的に人間にも当てはめて考えていたが、では誰が意味を与えるのか。今までは自分で意味を見出していたが、結局それはあまりにも恣意的で、一度疑問が生まれたら簡単に揺らいでしまう。神様を信仰する気持ちがよく分かる。
人はとかく納得を求め、それは不条理なものにも向けられる。だから世の中を単純化した陰謀論なんかが跋扈している。人生に意味を求める事自体がナンセンスなのかもしれない。
凡庸ではあるが、神様などいなくとも他人に自分の意味を保証してもらう、あるいは保証する、すなわち愛に囲まれていれば、この不安を覆い隠せるのかもしれない。
刹那的にその場その場の喜びを大切に拾い集め続けるのも悪くはないかもしれない。
そういった生き方をしている人間は、この手の悩みは凡人には手の余る、考えるだけ無駄なものだ。いつまでもナイーブさを引きずらず、あなたも早く折り合いをつけるべきだ、などと言うだろう。それは彼らにとって、また一般的に言っても間違いのない言葉なのだと思う。しかし、この不安ともっと真摯に向き合う事が、理屈抜きでなぜだかとても大事な事に思えて仕方がない。
別にこんな事を四六時中考えている訳ではないし、目の前の生活もしなければならない。意識的に、ほどほどのところで抑えるようにしている。
それでも時々爆発しそうになる。なぜかこの答えが芸術や自己表現にあるような気がしてならない。
ニーチェも大体こんなような事を考えていたらしいというのを最近知った。古今東西、陰気で自閉っぽい人間が考えることは似るらしい。
彼の考えが様々な思想やフィクションに影響を与え、自分もまたその影響部分に強く惹きつけられ内面化した部分も大いにあるのだろうけれど。
ここまで書いて、もう一つ大切な事を思い出した。人間は固有性に執着する。自分だけの自分らしさを追求する事は、理屈抜きで価値があると思える。
有り体に言えば特別な人間になりたいという、思春期には誰だって思うことだ。大抵の人間はどこかで凡庸さを受け入れ、折り合いをつけて愛にでも生きるのだろう。
10代の頃、それがひどく陳腐な生き方に思えた。その思いは今なお残っている。だからこそ、愛ではなく芸術に何かを感じているのだと思う。
自らの固有性を出力する事の意義と、表現活動でチヤホヤされたい、強い愛を得たいという気持ちは混同しがちな所ではあるが、しかし前者は間違いなく存在するのではないかと思う。
道徳における奴隷の叛乱はまず、怨恨の念(ルサンチマン)そのものが創造する力を持つようになり、価値を生み出すことから始まる。
このルサンチマンは、あるものに本当の意味で反応すること、すなわち行動によって反応することができないために、想像だけの復讐によって、その埋め合わせをするような人のルサンチマンである。全ての高貴な道徳は、勝ち誇るような肯定の言葉、然り(ヤー)で自己を肯定する言葉から生まれるものである。ところが奴隷の道徳は最初から、「外にあるもの」を、「他なるもの」を、「自己ならざるものを」、否定の言葉、否(ナイン)で否定する。この否定の言葉、否が彼らの創造的な行為なのだ。
道徳の系譜学より
本当に、分からない。
あなたがいいって言ってるもののナニがいいのか、僕には分からなくて、
ブラッディって、なにがカッコイイんすか? 血とか嫌じゃないすか 痛いだけじゃないすか
これのどこがカッコイイんすか?
罪深いって何すか? 罪状があると何か得するんすか? それただの犯罪者ですよね?
闇って何すか? 暗ければいいんすか
正義と悪だと、何で悪がいいんすか? 何かそういうデータあるんすか? 悪いから悪なんですよね?
ミギウデが疼くと何でカッコイイんすか
ちゃんと管理できてる方が良くないすか。おいらは立派だと思います
普段力を隠していると何か凄いんすか?
それって、ただの手抜きですよね。隠したりしないで、全力で取り組む人の方がカッコいいと思います
二つ名とか異名とか色々付ける人いますけど、正直めんどくないすか
英語でもなんでもカタカナつけられると、シンプルに見づらいと思います
ギリシャ神話とか聖書とか北欧神話とか日本神話とか、ちょっと調べたくらいでそういう話しない方がいいっすよ
内容もちゃんと教えてくれなきゃ意味がなくて、教えるならちゃんと教えた方がいいと思います
神話に出てくる武器の説明されても、あんまり、おもしろくないっすよ
グングニルも、ロンギヌスも、エクスカリバーも、デュランダルも、天叢雲剣も、意味不明過ぎ
他の用語も謎じゃないすか 原罪とか十戒とか、創世記とか黙示録とかアルマゲドンとか…。
名前がいいだろってどういうことすか。雰囲気で感じろとか言われてもそれはあなたの感想ですよね
相対性理論とかシュレディンガーの猫とか万有引力とか、今の時代ってちょっとネットで調べれば出てくるんすよね
文脈を無視して差し込まれても、何が言いたいのか全然分かりません
厨二って何すか? 厨二ってどういうことなんすか
分かんない分かんない分かんない分かんない! 分かんなーい!!ってな感じで、
分かんないよ…。
(ドンッ!)
わっかんないよ!
ジュー君の言ってることはひとつも分かんないよ!
ジュー君がいいって言ってるもの、何がいいのか分かんないよ!
分かんない! 私には分かんないの!
エクストリーム出社って何がカッコイイの? 早起きなんて嫌だよ! 眠いだけだよ!
これのどこがカッコイイの?
事務職のどこがいいのか分かんない!
職歴って何なの? 履歴書の空欄が少ないのの何がいいの!? ただ埋めさえすればそれでいいの?
定時と残業だと、何で残業がいいの? 何で時間かかってる方がいいの? トロいからむしろ悪なんじゃないの?
現場で頼られてる感じが堪らないって、何それただの自惚れた人じゃん!
辞表を懐に隠していると何が凄いの?
そんなのただの日和だよ! 隠したりしないで全力でバックレる人の方がカッコいいよ!
どうして基本給に職務手当とか何とか色々付けるの? いっぱい呼び名があったって分かりにくいだけじゃん! 賞与をケチりたいなら初めからそう言えばいいのに!
日本語でいいのにカタカナで読まないでよ! 覚えられないんだよ!
右翼とか左翼とかフェミニズムとか発達障害とか、ちょっと齧ったくらいでそういう話しないでよ!
体系立てて教えてくんなきゃ意味が分かんないよ! 教えるならちゃんと教えてよ!
何がカッコいいのかぜんっぜん分かんない!
他の人も謎なんだよ! 苫米地とかDaigoとか、はあちゅうとかプロ奢られヤーとか何もしない人とか…。
トガってるってどういうこと? 炎上の向こう側にある意図を探れとか言われても無理だよ!
AIとか仮想通貨とかダークウェブとか、ちょっとネットで調べただけで知ったかぶらないでよ!
知らない人の言葉使われても何が言いたいのか全然分かんないんだよ!
お願いだから私が分かること話してよ!
分かんない分かんない分かんない分かんない! 分かんなーい!!
だから、そこで無宗教と言い切る時点でニーチェのレベルにすら到達してないのよね。
ここまで説明してわからんようだったらしばらくわからんだろうけど
「無宗教とか科学とか言ってるけど思想・無意識レベルでは影響受けてるやろ?」
っていうところを詰められてようやく19世紀。