はてなキーワード: ニーチェとは
ギリシャも南蛮だろ。南蛮に閉じてるのがダサいという話。南蛮の中でしか評価されえない。南蛮がバカだから評価されてるんだろという話。ニーチェがアジアに生まれても評価されなかっただろ?
ニーチェが引用してたので対応するのは古代ギリシャの無神論者とかね
それらを前提として、ニーチェは「こういう先人がいてお前ら知識人も前提として勉強して神がないってとっくに知ってるのに、まだ文明レベルでキリスト教に支配されてるよね?」
「それは哲学やら文学やら倫理学がキリスト教の間接的影響を脱してないから」
っていう批判を行ったんや
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
「無敵の人」とは、失う人がもうない人のことで、資産、家族、仕事、社会的地位など多くのものをもたず、なにをしても失うものがない人のことだ。
犯罪をしても何も失うものがないという万能感から「無敵」と名付けられたのだろう。
また、「ルサンチマン」とは、社会的な弱者や支配される側が抱く、強者・支配者に対する怒りや憎悪、嫉妬などの感情のことだ。
ドイツの哲学者ニーチェの道徳哲学を特徴づける重要なキーワードのひとつとしても知られている。
「ルサンチマン」による犯罪をおこす人は、「無敵の人」であるとよく言われる。
たとえば、小田急線の殺傷事件や、京アニ放火事件、京王線の「ジョーカー」事件などが該当するだろう。
今回の元首相の安倍晋三が殺された事件もおそらくは、「ルサンチマン」に基づいた「無敵の人」による犯罪だろう。
そしてこのような事件が起こるたび、「無敵の人」を減らし事件をなくすためにはどうすればいいのかという議論になると、「無敵の人」にたいし、救済措置をとるべきだと言う意見が出てくる。
つまり「無敵の人」がでるような貧困層を経済的に助けるべきだという意見だ。
しかし結局のところこの社会は限られたパイを奪い合う競争社会である。
だから、十分なパイ(生きるために必要な資源・食料、エネルギーやお金、人間関係など)を受け取ることができなかった人から、「無敵の人」になる人が一定数出てくるのはそもそも仕方のないことなのだ。
だからといって競争社会でなくみんなが平等な社会主義にすると、競争原理がはたらかなくなり、ソ連のように社会全体が成長しなくなってしまう。
そもそも、すでに日本は社会主義的な政策が多い。(生活保護や累進課税があり、消費税は低め。)
つまり、限られたパイを奪い合う競争社会において無敵の人が出てくるのは仕方なく、だからといって社会主義のように、社会への貢献度に関係なく限られたパイを平等に分配するわけにもいかない。
となると無敵の人を減らす有効な方法は一つで、「日本全体として獲得できるパイを増やす」ことだ。
つまり日本の経済成長か、あるいは無駄なパイを浪費しないようにする効率性が必要だということだ。
そうすれば、パイを分配するときに社会への貢献度に応じてパイを分配したとしても全体のパイが大きいため、受け取れるパイの割合がすくない貧困層であっても、「無敵の人」が生まれるほど少ないパイにはならない。
ということで、社会を成長させながら「無敵の人」を減らす方法は、日本全体として獲得できるパイを増やす、あるいは無駄にパイを浪費しないことだといえる。
補足
日本が最近治安が悪化していると勘違いする人が多いがそんなことはない。
少し前に音楽ディグどうしてる?との話題が増田で盛り上がり大いに参考にさせていただいた。
当増田はネットでは主にSoundcloudを使わせてもらっているが、精度が良すぎて似た感じの曲ばかり集まってしまう。
それはそれで嬉しいが、自分では聞かないような意外な曲を聞いてみたい。そこでラジオのすすめ。
NHKFMだと音楽メインの番組が多く、CMが無いのでストレス少ない。
更に最近は聞き逃しサービスを提供している番組が増え、番組終了後一週間はいつでも何度でもネットで聞ける。聞き逃し対応の番組をおすすめしてみる。
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/
ゴンチチの案内する「ちょっと変わった切り口で色んなタイプの音楽がかかる」番組。毎回テーマを決めてゴンチチのお二人と選曲担当者が選んだ変な曲が色々かかるので、自分からでは絶対聞かないタイプの曲が毎回かかり、たすかる。この番組きっかけで聞くようになったミュージシャンもいる。今朝は「ハニーの音楽」というテーマでハニー・ナイツの「サスケ」がかかっていた。途中のセリフが迫真の演技力で面白かった。
4人のパーソナリティが週替りで出演。
個人的にはサラーム海上氏の週がおすすめ。世界の最新ワールドミュージックが色々聞けて楽しい。
紺野美沙子氏の週は映画のサントラ、榊原広子氏(ダ・カーポ)の週は懐かしポップスや童謡、合唱曲等、向谷氏の週は電車にまつわる曲色々、ジャズや歌謡曲がよくかかる。
今年4月から聞き逃し対応になった。たすかる。クラシックダラ聞きに。その日のテーマに沿って色々クラシックがかかる。交響曲まるごと一曲とかもかかる。曲の合間に豆知識教えてくれたりもする。たすかる。
月一回しか放送してない幻の番組「鍵盤のつばさ」。なぜ月一なのかというと、NHK交響楽団の演奏会の中継が入る日のみの放送なので。聞き逃し対応になったのでうっかり聞き逃しても大丈夫、なのだが普段はこの時間、あの曲者番組「クラシックの迷宮」を放送しているので多分迷宮ファンなら聞き逃さない。
作曲家でピアニストの加藤昌則氏がテーマに沿って鍵盤曲の魅力を語る番組で、軽妙な語り口が楽しい。
4月から聞き逃し対応になった現代音楽の番組。現代音楽の新作をばんばん流してくれる太っ腹番組。NHKはこういう番組は残していってくれないと。日本の貴重な音楽の歴史を記録し後世に残していくために。
番組の進行は作曲家の西村朗氏、いつも番組冒頭で「作曲の西村朗です」と仰る。「作曲の」ってのがなんかいい。
以前はてブでホッテントリ入りしてたオモコロの現代アートの記事で https://omocoro.jp/kiji/152982/
三杉レンジ氏が「アート業界では作品の言語化は前提として必要不可欠なもの」と仰っていたが、西村先生はこの言語化がとても巧い。増田のような素人にもスッと音楽が入ってくる。
更に西村先生は話がめちゃ面白く、ゲストが来る回は大体爆笑トークになるのでもう絶対聞く。
聞き逃し対応ではないが「クラシックの迷宮」(土 19:20〜21:00)も面白い。これ絶対はてなー好きなやつ。政治学者でクラヲタの片山杜秀氏の番組。かなりの曲者番組で、片山氏は旧東側の音楽と日本の現代作曲家に詳しいのでそっち系の曲が割とよくかかる。日本の現代作曲家がやっていた劇伴もよくかかる。特撮とか。先週もニーチェの話からウルトラマンとウルトラセブンかかってた。
あと片山氏、子供の頃からテレビの音を録音するのが趣味だったそうで、NHKも持ってないような貴重な音源持ってたりするそうな。
ここまでおすすめしておいて何だが、NHKFMには少し怒っている。
朝6時といえば60年前から古楽番組をやっていたのに、数年後のAM一波停止の煽りか朝6時台を英語番組に取られて朝5時台に追いやられてしまったのだ。予算削減だから当たり前だろ番組なくなってないんだからいいだろーが、と言われるとつらいが、こちらも数十年は朝6時の古楽聞いてきた身である。AM波停波はまだ数年後だが、今後語学以外にも芸人のバラエティ番組等も次々引っ越してきてFMは音楽番組中心のラジオではなくなっていき、おそらくクラシック番組から削られていくのだろう。クラシックジャンルの中でも聞く人の少ない古楽と現代音楽から削られるのではないかと懸念している。金にならん文化なんか消えるべき、という考え方が増えてるのもわかる。役に立たない音楽より明日の食い扶持、というくらい国民生活は逼迫しているし。でも消えてほしくないんだよ日本の現代音楽は………歴史は記録しないと消えてしまうんだ。