はてなキーワード: エスカルゴとは
2016年9月現在、クソ雑魚ナメクジの異常増殖が確認されており、当局においては厳重警戒態勢を取っている。
調査では、2015年12月時点では「クソ雑魚ナメクジ」を含む増田エントリーは128件しか確認されなかった。それがこの1年で1262件にまで増えている。
はっきり言って、ここまでの異常事態は私が増田を観察して幾十年のなかまったく初めてのことであり、隊員たちは皆困惑の限りを尽くして脱糞した。
かつてはてな匿名ダイアリーでは「増田ネコ」「増田ヘビ」といった生物が存在しており、「にゃ~」「にょろ~」と鳴いては殺伐としたダイアリーの空気を和ませてきた。
ところが2009年のノアの方舟事件以降、増田からネコとヘビは姿を消し、「むきゅー」と鳴く謎の生物だけが取り残された。
クソ雑魚ナメクジの誕生は2015年11月20日の http://anond.hatelabo.jp/20151120230646 『人力検索はてなでやれよクソ雑魚ナメクジ』が初出である。
まさかここまでクソ雑魚ナメクジが繁殖するとは当時のブクマ調査員も予想しておらず、今日に至っては『クソ雑魚エスカルゴ』『増田二段お嬢ナメクジ』『雑魚ナメクジウオ』などさまざまな亜種まで出てきている。
このままではナメクジで世界があふれかえってしまう。事態は既に増田圏内では収集がつかない状態だ。クックパッドにまでクソ雑魚ナメクジが侵食を始めており、クソ雑魚ナメクジのキャラ弁が大絶賛されているというではないか。
我々の手でなんとかナメクジを食い止めなければならない。
金曜の夜にお互い仕事が終わったら飲みに行く。
僕と彼は最寄り駅が同じだから地元の居酒屋がゆっくりできてベストだ。
たまにサイゼリヤ飲みすることもある。
彼は最近サイゼリヤのエスカルゴにはまっていて行くたびに頼んでいる。僕にはちょっと油ぽい。
軽く飲みながら食事をしていろいろな話をする。
仕事の話や職場の人間関係が主な話題。僕らはお互いの同僚たちの性格や仕事のやり方の特長について、かなりきちんと把握している。
はてなの話もする。
最近よく読むブログや笑ったブコメや感心したブコメ、ホッテントリ増田の傾向についても話す。
僕は書いていることをカミングアウトしている。
彼は僕が書いた増田がどれかわかるらしい。
答え合わせしようと提案しても、何も言わずにニヤニヤしている。
ほんとうは彼も書いているんじゃないかな?
僕にはどれかわからないんだけど。
という気色悪いボッチ妄想。
賢いエスカルゴが創造した調和は、捕食者の赤いドラゴンではなく、
すなわち、ちょっとだけ余分に黒いうんこをする新種の誕生である。
この腹黒いエスカルゴは耐暑性をもっていて、余分に黒いうんこで環境温度を最適のものより高くすることで、
時を同じくして北の陸地では余分に白いうんこをする酷薄なエスカルゴが誕生していた。
彼らはもちろん耐寒性をもっていて、我慢大会で同種を打ち破った。
こうして似通った生存戦略で分布を広げた二種類のエスカルゴはついに温帯で激突した。
腹黒いエスカルゴが黒いうんこをひれば、酷薄なエスカルゴは白いうんこをひる。
僻地にしぶとく生き残っていた雑魚ナメクジが体色を灰色に固定して漁夫の利をえた。
殻のない彼らが増えれば手のひら状の目のない肉食動物「赤いドラゴン」が増殖する。
こいつは「何か」が赤いアメーバに食われかけているように見える奇妙な動物だが、中心部の「何か」が本体である。
赤いドラゴンが増えれば、そのチャームポイントである爪が立たない殻をもつエスカルゴ属に分布拡大のチャンスが訪れる。
こうして延々と繁栄と衰退のシーソーゲームが繰り広げられる中で、徐々に多様性が増していった。
なお、大陸の南半球側では平和的に進化が展開していて、殻の上部が半透明になっていて
効率的に日光を葉緑体にあたえる「温室エスカルゴ」などが誕生した。
また、ナメクジとの共生を辞めた藻類――あるいは別個に上陸した藻類が、
この世界で最初に上陸したのはナメクジだった。正確にはナメクジ様の単純な動物であった。軟体動物に属するナメクジはかなりの高等動物である。
ナメクジモドキ:Limacidae Pisciculosは、さながら巨大なミドリムシ。動物でありながら光合成能力を持っていた。
そして、外敵がいない先駆者の利点を活かして、恐ろしい密度で大地を満たした。
雑魚ナメクジたちには葉緑素のほかに、体表にあるメラニン色素のつまった膜を広げたり畳んだりして体色を変える能力があった。
寒い地方の雑魚ナメクジは膜を広げて光を受け、暑い地方の雑魚ナメクジは膜を畳んで白い肌で光を反射した(紫外線の波長域には別の対応をした)。
ナメクジモドキはあまりに高い生存密度から、周辺の気候にすら影響を与え、
日光を吸収・反射することで寒い地方の大地は黒く暖かく、暑い地方の大地は白く涼しくしていた。
遥か高空からみた大地は灰色に染まっていたが、ズームインすれば、それはうぞうぞと蠢いているのであった(想像しないでください)。
それに対抗するための「殻」の再発明がさらに大きな悲劇をもたらした。
いちど作られてしまえば愚かなエスカルゴたちの殻の色を変えることは不可能だった。
地上は寒い地域は寒く、暑い地域は暑い、過酷な世界に戻ってしまう。
数百万年後にこの苦境を救ったのが、新種の賢いエスカルゴEuhadra callidusの誕生である。
賢いエスカルゴに溶岩を噴出させたり、大気中の水蒸気量を操ったりする能力があったわけではない。
ただ、賢いエスカルゴは、うんこの色をコントロールすることで環境の制御に挑戦したのだ。
こうして、大地のアルベドをコントロールし、気候を穏やかにする。
雑魚ナメクジと違って体表の葉緑体にも影響されないため、賢いエスカルゴはより徹底的な白色で世界を塗ることができた。
宇宙空間から、増田アースを見た時、大陸は気候帯に合わせて白から黒のグラデーションに染まっていた。
そして、白から黒のグラデーションによって気候が変化させられていた。
とても美しい光景であった。
このように雑魚ナメクジも賢いエスカルゴも奇跡的な生物であったが、
後世の古生物学者に体表の色や排泄物の色をつきとめるのは難しく、
核融合エンジンの噴射は艦橋区画の重力を微妙に変化させつづけていた。
新米航宙士なら尻ではなく口から食べた物を出してしまいである。
しかし、宇宙空間の長距離輸送になれた乗組員たちの大腸はいたって快調。
「キャプテンは?」
「トイレでうんうん唸っていましたよ」
航法士の質問に、機関士が答えた。ちょうどトイレからキャプテンが出てくる。
「ふーっ、手強いうんこであった。さすがは我が輩のうんこ。ダイアモンド並だな」
「フフッ」
「いや、否定してくださいよ……」
ゴゴンッ
絶対零度の衝撃に、ひときわ大きく加速度が変化して、機関士は顔色を変えた。
「本当に不調だ」
宇宙船の核融合エンジンは反動推進のために、核融合反応でうまれたヘリウムや未反応の水素にくわえて、
徹底的に脱水したうんこや廃グリスなども合わせて後方に「蹴っ飛ばして」いた。
通常なら超高温を浴びてバラバラになるところだが、幸運うんこはエンジンの不調によって
艦長のダイアモンドうんこに含まれる微生物たちは真空と極低温によってフリーズドライにされ、
やがてある惑星の引力に運良く捕まったうんこはその地表に落ちていった。
おならのように臭い大気を横切って、おしっこみたいな水たまりに池ぽちゃした元うんこの中の微生物は永い休眠から目覚め、活動を再開した。
だが、すでに多くのうんこ仲間が息絶え、真空や低温、放射線に強いエリートうんこ細菌だけが生き残っていた。
殻となる物質を周囲に生成させた賢いエスカルゴなうんこ細菌もいた。
昔々、ある増田にかしこいエスカルゴとクソ雑魚ナメクジがあった。
クソ雑魚ナメクジには父親がいて、週あたり10ブクマも稼がない飲んだくれのろくでなしであったが、息子からは愛されていた。
クソ雑魚ナメクジの父親は、自分が不遇をかこっているのは詐欺師のエスカルゴのせいだ、とぼやいていた。
ある水曜日、クソ雑魚ナメクジの父親は場末のはてラボサービスで血まみれになって死んでいる。
物取りの形跡はない。
息子のクソ雑魚ナメクジは増田委員会に捜査を依頼するが、聞き入れられない。
葬式の日以来、クソ雑魚ナメクジはずっと汚れた喪服をまとい、徒歩であれ、臥輿であれ、かしこいエスカルゴの行くところをつけまわした。
かしこいエスカルゴが時事問題についての有益な意見記事を増田に投下すれば、クソ雑魚ナメクジは本アカで一番乗りの無言ブクマをつける。
かしこいエスカルゴは、影のようにつきまとうこのナメクジに耐えられなくなった。
ブクマカたちの前で、かしこいエスカルゴはクソ雑魚ナメクジに、どうせならお前のほうでも正式に訴えろと迫る。
――訴えられるときがきたら訴える。
そして、クソ雑魚ナメクジは相変わらず愚にもつかない質問記事を乱立させ、慈善家のブクマカたちからブクマをめぐんでもらい、ぼろぼろの服を着て、かしこいエスカルゴをつけまわした。
ある日、かしこいエスカルゴはハンドルを取得してブロガーとしての地位を手に入れようと画策する。
が、失敗に終わる。
彼の行くところ必ずそばにいる奇怪で陰気な同伴者を指差す。
かしこいエスカルゴはまたもや村民法廷へ申し立て、クソ雑魚ナメクジを侮辱で訴える。
――汚れた服を着たのは、喪のためだ。質問記事を乱立させたのは、みなの役に立ちたかったからだ。ブクマカたちに訴えなかったのは、恐れのためだ。
嫌みをさんざん述べ立てながら、クソ雑魚ナメクジはかしこいエスカルゴを訴えた。
記事を書くのを邪魔し、喪服を着用するのを禁じ、苦しんでいる人に解決を禁じ、黙っている人に沈黙を禁じたと。「クソ雑魚であることの許可さえ、かしこい人に求めなければならないのか? 野菜を毎日350g摂るのにも、その同意がいるのか?」
――なぜ、私を追ける?
――クソ雑魚のための増田と、かしこいもののための増田があるということか?
――おまえは喪服を着ている。泣いている。
――父が死んだ。破れた服を着ているのは、私の心が破れているからだ。
――おまえの父親が死んだと言うときに、なぜ私の記事にブクマをつける? 本文を読んでもいないのに?
――あとで読もうと思っているのだ。
――なぜ、私を追ける。夕暮れどきの増田ブクマカのように、あるいは互助会のように?
――はてなでもっとも蔑まれているブロガーですら、ブクマのコメント欄を閉鎖したりはしない。私の衣服を訴えるがいい。回答のつかない質問記事を訴えるがいい。この悲しみを訴えるがいい。書くのは勝手だ。ブクマをつけるのも勝手だ。
今、映画を年間200本見るという人の記事が話題になっている。
「結局は個人の嗜好。嗜好の近い人の紹介するものを見ればよい」
この手の、「価値基準と評価」という事柄について、ずっと考えていることがある。
大学に上がり、できた友人が美味いものが好きで、自分からみて驚くほど色々なところへ行き、楽しんで食べていた。
サークルに同期がいて、彼もあまり食に興味が無いタイプだったのだが、
「確かにミラノ風ドリアは美味い。コスパもいい。しかし、奴はサイゼリヤ以外の場所にあんまり行ったことがない」
と、食べるのが好きな方の友人が言っていた。
食好きの彼は、和洋中問わず、一度食べれば実に細かく味を把握する。
食に関することだけは該博な知識を持っており、外国の料理や文化にも妙に詳しい。
しかしその一方で、コンビニおにぎりの冷たくしっとりしたごはんが好きで、よく喰らっている。
駄菓子も好きで、体型はお察しの通りであるが、いつも幸せそうだ。
なんの話だったか。
「食の部屋」であれば、食に関する、記憶や知識をしまっておく部屋である。
例えば、「行きつけのこじんまりした喫茶店」は、手に届きやすいテーブルの上に置く。
「めったに行けない高級中華の店」は、上のほう、手の届かない棚の上にある。
「高級な中華の店は、誰でも名前を識っているから偉い」とか、そういうことではないのだ。
そういうことではなくて、単純に「自分の中でどう判断して何処にしまうか」なのである。
配置の問題だ。
味、値段、接客態度、内装、知名度、立地、一緒にいく人や使い方…
「食の部屋」でいえば、食に興味があるほど、詳細な基準があるはずだ。
某ファミレスは親しみやすい。ファミリーに優しいし「柔らか青豆の温サラダ」は最高にコスパが良い。
しかし、同じエスカルゴでも、フランス料理店で食べるものとは若干違う。違ってしかるべきである。
「どちらも同じように美味い」と感じられる者は幸いであるが、高い方が気の毒でもある。
恐らく、多く/深く経験を積んでいる人間のほうが、精緻で充実した部屋を作れるはずだ。
単純な上下でなく、諸々の価値基準を考慮して三次元的に配置された記憶は、きっと役に立つ。
映画の話に戻る。
おそらく、「映画の部屋」も、ほぼ誰の脳内にもあると思われる。
その膨大なデータが、きちんと部屋に配置されしまわれていない(ように見える)からではないだろうか。
なぜ、その映画をここに配置したか。その価値基準が分からない、というように見える。
映画が好きであれば、映画というものの歴史が頭に入っていて、その歴史においてこの映画は
どういう流れを汲む、どんなポジションの作品か、ということが見えているはずだと思う。
例えば、GoogleのPlayストアをたまに見るけれども。
「このアプリはほんとにクソだぜ!」とか「神だぜ!」とかレビューが書いてある。
アプリに限らないが、残念なレビューやコメントだな、と個人的に思うjのは、
こっちは、その製品の長所や短所が知りたくて見ているだけである。
また、ネットで見かける「オススメの本/映画/漫画ない?」系も若干不思議を感じる。
勿論、はじめからそれほど期待はしていないのだろうし、当たれば八卦で面白いのはわかる。
が、オススメするほうもされるほうも、相手の年齢も嗜好も何ひとつ知ろうとすることなく、
「オレが面白いと思った本」を無邪気に薦めていく。
そりゃ、面白い本はごまんとあるだろうけれど、その判断基準を聞かなくていいのだろうか。
「この本のどこがいいの?」「うん、このヒロインが俺の初恋の人に似てるんだよね」
みたいな理由だったらどうするんだ。いや、それはそれで面白い本との出会いかもしれないが。
散漫になってきたけれども。言いたいのは。
物事を上下でなく、色々な価値基準から観て、知識の部屋にマッピングしていくのが大事だと思う。
食べ物や服や住居はだいたい、その価値にみあった値段がついているが、
文化・芸能・娯楽などに関してはその限りではない。だから見えづらいけれど、
ここ数ヶ月、密林奥地にて怪奇生物「クソ雑魚ナメクジ」の大量発生が確認されている。我々、増田探検隊の調査したところでは「クソ雑魚ナメクジ」を含むエントリーは128件。このまま放置すると、やがて増田はクソ雑魚ナメクジで埋め尽くされてしまう恐れがあり、早期の駆除を急ぐべきである。
このように、さまざまな種が生息するが、最も数が多いのがヤフー属のクソ雑魚ナメクジで、圧倒的である。次点で小町属が多い。
http://anond.hatelabo.jp/20160115195137
上記の目撃情報によると、クソ雑魚ナメクジは普段は温厚な性格であり、人間社会の平和と安全のために活動しているようである。
また、言及元への罵倒に聞こえる「クソ雑魚ナメクジ」のフレーズは、ソレ自身の鳴き声であると論じる生物学者もいる。
http://anond.hatelabo.jp/20160115223832
上のエントリーによると、ピカチュウが「ピカチュウ♪」と鳴くように、クソ雑魚ナメクジも「クソ雑魚ナメクジ♪」と鳴くらしい。
ちなみにニコニコ大百科では「クソザコナメクジ」と検索すると「淫夢くん」のページに飛ばされる。淫夢くんはリスザルのような生物でナメクジとはかけ離れているのだが、どういうわけかそのひとつに「クソザコナメクジ」の別称がある。
トラックバックが荒れるのならば、同じ生き物でも「増田ネコ」や「増田ヘビ」がいた時代は良かった。今の増田はナメクジで埋め尽くされており、ネコは帰ってこない。ヘビはノアの方舟に乗って、彼の地へと逃げてしまったと聞く。(増田ネコの鳴き声は「にゃあ!」 増田ヘビの鳴き声は「にょろ~」だった)
とりあえず、新札幌に行かなくても札幌駅北口にサイゼリヤあるんだけど……
もしかしたら当時は無かったのかな。
それは置いておくとして。
安い店なら札幌駅周辺にもあるし。西口地下の五右衛門でランチセットかなんか頼んどけばそれでいいし。
わざわざ新札幌まで行ったのは、ケチとかじゃなくてなんか別の意図があったんじゃないかと。
味が分かってる店のほうが安心して食べられるというのも一つ。
というかサイドメニューが充実してて絶対選ぶの楽しいだろ。
パンチェッタのせフォカッチャ? とムール貝のやつが食べたい。エスカルゴも食べたい。
あとミネストローネ。ファミレスのミネストローネはうまいはずだ。
会社違うけど某ステーキハウスのミネストローネを廃した奴は消えていなくなるべきである。
今自分が正しいと思っていることって、本当に正しいのかな。
みんなが正しいって思ってるだけで、本当は間違ってるんじゃないのかな。
そりゃあね、正しいと思う人がたくさんいれば、間違ってると思う人を抑え込むことだってできるもんね。
マジョリティの大勝利!
例えば、ここに5人いて、戦争はいいことか悪いことかをみんなで決めてくださいって言われたとする。
そのとき、4人が「いいこと」って答えたとしたら、
多分「悪いこと」って思った人は、変な目で見られるんじゃないかな。
その4人を納得させられる意見が言えない限り、5人の中では戦争はいいことって決められるんじゃないかな。
これはどこか違う場所での考え方で、
自分が住んでいる日本という国では、「戦争=悪いこと」って認識が強いよね。
でも別の場所では、それが正しいとは限らないんじゃないかなって。
例えば、雨の日に出現する殻に籠ったぬるぬるの、あの生物。
寧ろ食べている人に冷たい視線を送るかもしれない。
でも、ヨーロッパのとある国では、それをエスカルゴと呼んで、食すじゃん。
向こうからしたら「えっ、なんでこんなおいしいもん食べないの?」状態かもしれない。
食べたことないから何とも言えないけれど。
海藻類はその逆だよね。日本人は海藻好きだもん。海苔とか。
だからさ、本当に正しいことって何なのかなって考えちゃう。
除菌って本当にいいことなの?
人殺しって本当に悪いことなの?
もちろんそれは、「YES」と考える人がいっぱいいるからだろうけどね。
そうなると、「NO」と考える人って生きにくくなってくる。
あいつら頭おかしいんじゃないのって。本当は正しいかもしれないのに。
そして「正しい」「間違ってる」を決めることができないのも辛い。
人間は一生、それを考えていかなければならないよね。
答えなんて無い一方的な主張を、世代が変わっても繰り返すだけ。
ちょっと話ずれるけど、
マイノリティって小さなこの国で反対!反対!って言うくらいなら、
自分の主張に合った場所を見つけるような行動力も必要だと思うんだ。
その方が合理的じゃない。新しい国でも作ってさ。
…なんか言いたいことがうまくまとまらなかったな。