今自分が正しいと思っていることって、本当に正しいのかな。
みんなが正しいって思ってるだけで、本当は間違ってるんじゃないのかな。
そりゃあね、正しいと思う人がたくさんいれば、間違ってると思う人を抑え込むことだってできるもんね。
マジョリティの大勝利!
例えば、ここに5人いて、戦争はいいことか悪いことかをみんなで決めてくださいって言われたとする。
そのとき、4人が「いいこと」って答えたとしたら、
多分「悪いこと」って思った人は、変な目で見られるんじゃないかな。
その4人を納得させられる意見が言えない限り、5人の中では戦争はいいことって決められるんじゃないかな。
これはどこか違う場所での考え方で、
自分が住んでいる日本という国では、「戦争=悪いこと」って認識が強いよね。
でも別の場所では、それが正しいとは限らないんじゃないかなって。
例えば、雨の日に出現する殻に籠ったぬるぬるの、あの生物。
寧ろ食べている人に冷たい視線を送るかもしれない。
でも、ヨーロッパのとある国では、それをエスカルゴと呼んで、食すじゃん。
向こうからしたら「えっ、なんでこんなおいしいもん食べないの?」状態かもしれない。
食べたことないから何とも言えないけれど。
海藻類はその逆だよね。日本人は海藻好きだもん。海苔とか。
だからさ、本当に正しいことって何なのかなって考えちゃう。
除菌って本当にいいことなの?
人殺しって本当に悪いことなの?
もちろんそれは、「YES」と考える人がいっぱいいるからだろうけどね。
そうなると、「NO」と考える人って生きにくくなってくる。
あいつら頭おかしいんじゃないのって。本当は正しいかもしれないのに。
そして「正しい」「間違ってる」を決めることができないのも辛い。
人間は一生、それを考えていかなければならないよね。
答えなんて無い一方的な主張を、世代が変わっても繰り返すだけ。
ちょっと話ずれるけど、
マイノリティって小さなこの国で反対!反対!って言うくらいなら、
自分の主張に合った場所を見つけるような行動力も必要だと思うんだ。
その方が合理的じゃない。新しい国でも作ってさ。
…なんか言いたいことがうまくまとまらなかったな。
新しい国が作れたらいいよね。 そうでなくても外国に簡単に移住できたらいいよね。 でも出来ないんだよ。 どうして出来ないんだろうね?
戦争ってのは「正義VS正義」って良く言われるよね。 その言葉は現実をよく理解した人の言葉だと思う。 絶対的だと思っていた「正しい」や「正義」に疑問を持って、 少しばかり不安定...
哲学でもやってみると判るんじゃないかな?現代の倫理学は 『「正義」ってのは「多数派が持ってる偏見」のことです。』 って断言してくれますから。 だからといって「多数派だから...
という黒光りくんでした。
それ誰なん?(固有名詞でいいんだよな?) ありむーの並んで、たまに増田で名前見かけるんだが。 俺と論調が似てるとなると、ちょっと気になる。