はてなキーワード: いなほとは
付き合ってた青野くんが亡くなって後追い自殺をしようとしたら、幽霊になった青野くんが現れて……って話。
最初はほのぼのギャグ?ラブコメ?日常系かな?って雰囲気を醸し出しつつ、好きなのに幽霊だから触れられない切なさを出しつつ、あるワードをキッカケに一瞬だけ悪霊化してしまう青野くん、それをキッカケにどんどん雲行きが怪しくなり…新たな謎が生まれて…みたいな。
怖いシーンの見せ方がほんっっっとうに怖い。
メムメムちゃんみたいなほのぼのした絵柄だからこそギャップが怖い。
嬉しいかあ…?の顔がマジで怖くて気持ち悪いし衝撃的なので必見。
だいたい3話目を読んだあたりであれっこれはほのぼの日常漫画じゃ無いぞ…となるのでまずはその辺りまで読んでほしい。
いま4巻まで出てます。
俺は小さい頃から鉄道が好きで、鉄道関係のサークルに所属していた。
工学部なので元々女子は少ないが、俺には短大1年生の愛美という彼女がいた。
彼女は俺にとって色々な初めてさんだった。
JR東日本から『土日きっぷ』というフリー切符が発売されていて、俺と愛美は東北地方へ行った。
俺は愛美の膣内にリモコンローターを入れて、東北新幹線と併結して走る山形新幹線に乗り込んだ。
時々ローターをONにすると愛美はモジモジし始めた。
福島駅で東北新幹線と切り離される頃には虚ろな目になっていた。
新庄駅から陸羽西線で酒田に出て、在来線特急『いなほ』に乗り込む。
愛美の足取りはおぼつかなく、スカートから覗く内股を愛液が伝っていた。
新潟へ向かうその特急は乗客が少なく、乗った車両には俺達の他に乗客は4~5人しかいなかった。
俺はチンポを出して、愛美のびしょ濡れのパンツを脱がして挿入した。
お互い反対方向の様子を警戒しながら電車の揺れに合わせて腰を振った。
愛美は感じても声が出せず、泣きそうな顔をしていた。
「はふん・・・」
ずっとローター責めをされてたせいで、生肉棒を入れられたら5分でイッてしまった。
駅で穿き替えたスカートはスリットが入っていて、混雑する電車内で挿入できるように改造してあった。
俺達はわざと遠回りになる山手線外回りで、俺のアパートのある新大久保まで合体しながら帰った。
アパートに入った途端、愛美は俺を押し倒し、騎乗位で腰を振った。
「1日ずっと焦らされたら狂っちゃうよー」
大声で喘いでイキまくった。
そんな事をしていた俺達だが、今は夫婦だ。
駅に着くたびにプラットホーム側のカーテンに僅かな隙間をあけて、その方向に合体部分を向けてセックスした。
何人か覗いていた。
興奮した・・・。
1階は駐車場とバスルーム等と両親の部屋、2階はLDKと和室。
俺達夫婦と生まれるであろう子供たちの部屋は3階なので、遠慮なくたっぷりセックス出来る。
俺は現在空いている子供部屋にNゲージの鉄道模型を広げて遊んでいる。
夜は特急電車の先頭車両の模型をコンドームに入れ、目隠しをした愛美の膣に挿入して、愛美はその車両を当てる遊びをしている。
「これ、なーんだ?」
「アン!スーパーあずさ!E351系」
そう言ってグリグリする。
「アアアーン!」
「次はこれ!」
「あ!いやん!山形新幹線・・・最初のつばさ・・・400系・・・」
形も何となく肉棒に似てる。
膣から『400系つばさ』を抜くと、愛美は俺の400系を引っ張り出して、ぱくっ!
こうして夫婦の宴が始まるのだ!
溝を溝として受け止めるのか
溝を埋める努力をするのかは
どちらがいいんだろう。
女は絶対に男に勝てない。
まず身体的に。
あと社会的にも。
小さな経験たちがよりかたまって植え付けられてきたそういう意識がわたしを苦しめる。
男の人がこわい。
でも男性性はいらない。だからそういう目で見てくる男とは仲良くなれない。
不思議だけど周りの男の人はみんな優しい
わたしが無意識に女性性を拒絶してるからなのか変に男臭くなくて中性的な人が多い。見た目が、じゃなくてスタンスが。
男性性いらないくせに
男とか女とかいらないのに
男でしか埋められない穴があることがわたしって女なんだなって自覚させてきて男のことも女のことも許せない。
付き合う人のこと男としてすき、とかがあまりなくて落ち着く存在とかあたたかい家庭としてしか思えなくて、でも付き合うってすきじゃなきゃいけないよね、って思って、だめになる。
男の人の中にも、女には敵わないとかこわいとか思ってる人もいるんだろうな。
漫画なら女子高生が部活で延々ダベっているだけ、のような作品は盛りだくさんなのだが、昨今の俺は活字を読みたい気分なのである。
それでいわゆる「日常の謎」系ミステリを読んでいたんだけど、これがどうにも平穏でない。どうやってホットココア作ったんだみたいなほのぼの展開はごく一部だ。やれ同級生に軟禁されるだの、やれ放火されるだの、喫茶店では不倫騒動に巻きまれるだの、学校の壁に死体が塗り込まれてるだの、動物園に勤めてたら違法ペット販売業者が出てくるだの、古本売って階段から突き落とされるだの、楽器吹いてたら麻薬取引見つけちゃうだのといった血なまぐさい作品のなんと多いことか。
今こそ全ての増田民に問います。登場人物が危機に晒されない、恋愛で関係性がガラッと変わったりもしない、ただただ起伏なくフワフワと楽しくて読んでいると気分が良くなってくような、日常系の小説って存在しないの?
旦那が怒ってても怒ってる理由がよくわからずなんでそんなことで怒れるのかも理解できす、
とりあえずなんて言っていいかわかんなくて「ごめん」を繰り返してしまう。
すると「ごめんじゃねーよ!もうやるなっていってんだよ!!」
「もうやらないゴメン」
「もうやらないって言って何回やってんだよ!!馬鹿!!」
又は何か言おうとして何言っていいか分からなくて、言葉を探してる間に時が立ってしまい
「なんで黙ってんだよ!!!」
と余計怒られる。
ほぼ毎日これだ
毎日怒らせて、私他人のこと理解できないとかそういう障害なのかな
なんかそれで殴られたりして色々鬱だ
旦那は怒るとすぐ手がでるからほんとは怒らせたくないんだけどね…
「飯まずい」→ごめん
みたいなほんとに小さい事なんだけど(飯まずは本気で悪いと思ってるけど)いろいろ積み重なってすごいキレる(本人談)
ほぼ全部私のケアレスミスなだけに自分を責めてしまうから辛いよ。
もっとしっかりした奥様ならよかったのに…
Qiitaみたいなエンジニアしか読まないところや、はてなブログみたいなほとんどエンジニア関係の人ってところで書いても仕方ないよね
はてブでホットエントリになっても見る人がそもそも自分が苦しんでるみたいなもの
うんうんそうだね、わかるわかる、とか言ってるだけで全く意味なくない?
本当に読むべき人は、そっちはそっちでエンジニア融通聞かないみたいなことを言い合ってるわけだし
最近ガルパンに嵌まった。今やSSとイラストを漁る毎日を過ごしている。ある日、いつも通りTwitterでイラストを漁っていると衝撃的な一枚のイラストに出会った。余りにも大きすぎる目、デフォルメというより崩れた絵柄、白背景に上半身のみの典型的下手糞なイラストである。ただし衝撃的なのはそこだけではない。リツイートやふぁぼが明らかに不釣り合いなほど付いていてさらにはお褒めのコメントまで寄せられているところにもだ。作者の増長っぷりも凄まじい。理解に苦しむと同時に、自分の中の一つのハードルが大幅に下がった。
絵描きになろう。
自分の中では絵描きというものは才能溢れる人間が手を伸ばせる高等な行為でそれに対する賛辞も当然のものである。故に限られた人間にのみ許された趣味だと考えていた。しかしそれは違った。小学生レベルの落書きでも良いのだ。これには目から鱗。
例えば俺は犬が好きだけど
犬が氷の上を歩いていて滑って転ぶ、みたいなほのぼのハプニング映像には
「あらららら~~~~~かわいいでちゅね~~~~~~~~~~ごっつんこしちゃいまちたね~~~~~//////////////////」と思うが
「うわ危な……これで笑えるの意味分からんわ……キモ……」と思う
赤ん坊も好きではないので赤ん坊のハプニング映像に対しても「全然微笑ましくない……一歩間違えたら死んでるだろ……」などと思う
嫌いな相手ほど笑えない
今まさに放送されてる、狩野英孝が超危険映像の撮影にチャレンジする番組
これ絶対炎上する。まとめサイトに取り上げられたりtogetterでまとめ作られたりして炎上する未来が見える
で、今ツイッターで「狩野可哀想」「笑えない」って言ってる奴らの中には
「狩野は嫌いだけど」って頭に付けてる奴らもちらほらいる
何で嫌いなのに狩野メインの番組見るんだよ。何で嫌いなのに庇おうとするんだよ
お前が「笑えない」「差別的」「引いた」って思うのは倫理観が高いからじゃなくて相手のことが嫌い、もしくはよく知らないからだろ
内容がどうであれ最初から楽しむ気がない、そういう姿勢で見てるから引いちゃうんだよ
狩野が絡んだ猛獣、自称倫理観あるネット民対策で「実は人に飼われている動物でここは私有地です」って番組中にはっきり言っちゃっててなんかもうひでえ世の中
雑談の巧拙が如実にあらわれてるいい例。
前者の人は、その質問を振られた時点で、穏やかでない雰囲気に会話が転がってしまう危険性を無意識に察知して、
決してまじめに深堀りして考察しようとせず、でもいい加減すぎない程度にそれっぽい返答をお茶目に返すわけだ。
「~じゃないカナ!なーんてね」みたいなほんわか感でね。
だから、そのときの話の流れでは「異世界モノが多い」ということを暗に肯定しているような発言になっているけど、
実際はそうでもなくて、質問者が「多い」という印象であるなら自分も「多い」という側に立って意見を考えてみてあげているだけ。
実際のところの立場としては(どうかな)という中立寄り、もっと言えば(どうでもいいよ)って感じなわけよ、悪く言えば。
だから、あとからデータで「そんな事ない」と突きつけられたとしても
「そうなんだ!やっぱりアニメファンも色んな嗜好があって、作り手もしっかりそれに応えてたわけだね~、ブーム一辺倒にはならないわけだ、すごいね」
みたいな感じで、いずれにしても仮定や現状について肯定的に受け止めて楽しい会話を繋げていこうとするわけだ。
逆に、後者の人はいきなり喧嘩腰で横柄な言葉遣いをして、雰囲気を壊しにかかっている。
そうやって、議論にもならないような主観同士の水掛け論を始めようとして、そんな会話に意義があると思っているわけだ。
質問の時点ではまだ「純粋に疑問なんだけど」くらいのノリと取れるから、その反応では相手は面食らう確率が高い。
質問者がもっと皮肉を込めた感じの聞き方をしていたなら、後者の反応でも良かったかもしれない。同レベルのカンガルー同士でパンチ合戦を楽しめた可能性はある。
そういうマウントコミュニケーションを好むもの同士ではなくて、マジメに口頭で議論めいたことがしたいのなら(そういうコミュニケーション自体を普通の人は避けるものだが)、
躁うつ病、正確には双極性障害II型と診断されて四年。たぶん"ふつうの人"にはあまりピンとこない、でも想像してみると面白いかもしれない話。
双極性障害は社会生活に支障をきたすレベルで気分が変動する障害で、例えば鬱の時は何週間も全く家から出られなくなるのに、躁の時にはアイデアが雪崩のような頭から溢れ出し、病的に饒舌になるというような嘘みたいなほんとの障害。
この障害を診断され自認するようにってから、ひどく骨を折ったのは「自分の感情を信じないようにする」ということだった。
たぶん「自分の能力が信じられない」という人はよくいると思うけど、「自分の"感情"が信じられない」という人はあまりいないと思う。例えば、泣いてるときに「いま私は泣いているが、私は本当に悲しいのか?」と自問する人はそんなにいないと思う。でもこの障害だと、喜怒哀楽すべての感情に対して、「私は本当に〜」とやる必要に迫られる。というのも自分が喜怒哀楽を感じる対象が余りにもコロコロ変わるために、それら全てを自己として認識することがふさわしくないように感じるからだ。
この「自己の感情への懐疑」に思い当たった時、酷く動揺したのを今でも鮮明に覚えている。考えてみて欲しい。自分の感情というのは、当たり前だが、自分にとって最も馴染み深いもので、最も自分らしさを規定してきたもののはずだ。自分の感情と自分を切り離すというのは、いったいどういうことなのだろう、切り離した自分というのはいったい何だろう、そこに何が残るのだろう、というような訳のわからない疑問だけが頭に浮かんだ。
私自身がそうだったのだが、鬱の気持ちがわからないという人は結構いると思う。でも実際自分が鬱になってみて、変な話だが鬱の気持ちというのは自分でもよくわからない。鬱の時の思考や感情というのは、自分にとっても馴染みのないもので、全く新しい自己の一面のようにも感じてしまう。しかし、鬱が長引けば長くほど、果たして自分とはなんだったのか、自分が自分と思っていたもの考え方、ものの感じ方の方が間違っていて、本当の自分とは、ベットの上から起きて、生理的欲求を満たして、またベットの上に戻ることしかできない、今の姿なのではないかと思えてくる。まさに深淵を覗くような気分である。
それでも何週間か経つと今度は世界を変える男はこの俺だ!といったいような誇大妄想を持つようになる。自尊心が増大し、酷く横柄な態度を取るようになり、病的におしゃべりになる。そんな気分のジェットコースターを何度も何度も繰り返した。これではいくつ心があっても足りない。