はてなキーワード: 武道とは
・柔道団体
「柔道を必修化しろ!講師やらせろ!柔道人気で道場の月謝を増やせ!柔道家が国会議員に選ばれてるんだぞ。これが民意だ」
・政府
「しょうがないなあ。有識者会議でも開いて決定するか。柔道だけじゃ目立つから、ダンスも必修化するよ」
・マスコミ
「柔道の必修化か。おっ、柔道は事故が多いぞ、これは愚民が面白がるに違いない。記事にしちゃえ。対策や指導が不十分だった可能性があり、問題となりそうだ、と。なりそうというか、問題になると面白いんだけどね(笑)」
・普通の人
「柔道は危険なのか。でも、多少は怪我するのはしょうがないんじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
・マスコミ
「普通の人の意見報道したってつまらないし、センセーショナルに怪我した人を紹介しよう。教育現場はこのような危険な状態を放置して良いのでしょうか?子供の命はうんぬんかんぬん、とな」
「武道なんだからある程度の怪我はしょうがないだなんて言えない雰囲気だ。しょうがない、形だけ対策委員会を立ちあげて、そのへんの先生を呼んで指導させることにしよう。(でも、こんなので事故が防げたら苦労しないよね。まったく無駄な仕事だ)」
・マスコミ
「これで事故は防げるのでしょうか?責任はどうとるのでしょうか?」
「思いがけず起こるから「事故」なのに、責任なんか取れないよ。国が必修って決めた事だから柔道を辞める訳にはいかないし…そうだ、乱取り禁止にしちゃおう。これなら事故は起きない。」
・マスコミ
「○○市が乱取り禁止!これで柔道が学べるのでしょうか?日本発祥の武道が廃れる事が問題となりそうだ。」
・普通の人
「バカじゃないの?」
・不満の捌け口を探している人
「苦情がたくさん来た。これもニュースになるんだろうなあ。」
職場の上司が、弁護士と会って帰ってくると必ずこう言う。弁護士ってのは、あいつらほとんどヤクザだよ、と。
勿論弁護士の全てがヤクザじみているなんてことはないと思う。だからこれは氷山の一角、でもだからこそ目立ってしまう「イヤな弁護士」のお話。
私の勤める現場にも、客として「職業:弁護士」が来ることがある。そのタマゴが来たこともある。
まぁ、彼らはいきなり何かをやらかすことはない。一応敬語を使ってはいるけど相手を見下しているのが透けて見える態度、せいぜいその程度だ。そしてそういう手合いは別に弁護士に限らず老若男女ごろごろいる。
問題は、彼らの中で自分の思い通りに行かない事が起きた時。例えるなら、商品券を使いたいけどこの店舗はその対象外だった、この商品を取り寄せられるのは経費の問題により月に1回までだった、というような、ちょっとしたルールに自分の望む行動を阻まれた時だ。
(うちの日常の業務内容ではせいぜいそのレベルのトラブルしか起きない。時期によっては契約とか規約とかが絡むトラブルもあるが、そういうものにはちゃんと対応するルートがある)
いわゆる「一般人」は、なんとかなりませんかねぇとちょっとゴネてみても、最終的には引き下がる。
ヤクザ(と言うかチンピラ)は、ごちゃごちゃいわんととっととやれや、暴れんぞゴラァと騒ぎ初めて、最終的には相手を泣かせたりする。
弁護士は、何の権利があってそう主張するんですか、といったイチャモンをつけて職員を捕まえ、延々業務妨害をするのである。
決してサンプルは多くないけど、そういう手合いは風体もちょっとおかしい。
吐き気を催すほどの強烈な香水をつけて、多くの利用者が腰を落ち着けて飲食をしたりもする休憩スペースに陣取ったり。
ホームレス一歩手前の体臭を放ち、だらしない服装で廊下のソファーにどーんと足を伸ばして座って明らかに通行のジャマだったり。
後者の弁護士は、それを注意されたら窓口に乗り込んできた。名誉毀損だか何とか侵害だか知らないが、その件で小一時間職員を拘束した。
コ汚いサンダルで来るなとは言わないが、正直あんなに汚れた大人の足の裏は事務職をしているとなかなかお目にかかれないので驚いた。
信じたくはないが、「『自称』弁護士」ではないらしい。弁護士事務所のサイトで名前と写真を確認することができた。
要は、法律で明確に禁止されてさえいなければ、自分の行動はどんなものであれ咎められたり阻まれたりする筋合いはなく、また全ての主張は通るべきであり、いかなる状況でも引っ込める必要はない、というのが、彼らがその人生で身につけたスタンスであるようだ。
恐らく相手が素人だと思ってナメているのもあるだろう。ここでできなくてもよそにいけばできるような事を、いちいち相手の言葉尻を捉えては糾弾し、ここでやらないのはおかしいと主張し続ける。私に言わせればスーパ-のレジでゴネるモンスターおばちゃんと大差ない。
彼らが横柄で強気な理由は、自分のバックにある「力」が、他人を実質的にどうこうしてしまえるもの、それを強制できるものだからかな、と最近思い始めた。
ヤクザ(というかチンピラ)が強気なのは、組織ぐるみで暴力を行使する準備があるから。
それと同じように弁護士が強気なのは、法律を行使できる知識とそのバックグラウンドがあるから。
これがあれば相手に言う事を聞かせられるぜ、という懐刀。その使い所を完全に間違えて虎の威を借る狐になっている、それが彼らだ。
数学者は算数に弱い人をバカにしたりはしない。
オペラ歌手は自信満々でカラオケボックスに人を引き込んだりはしない。
「プロ」というのは、常にその力の使い所を弁えているべきなのだ。
「周囲の迷惑になる行動は慎まないと信用を失うよって、六法全書に書いてあげないとわからないかね」
「普通に見苦しい、迷惑」
というのが、私の職場内での彼らに対する評価だ。
超難解な司法試験をパスし六法全書を丸暗記するという『弁護士』に対する幻想を、あんまりこっぱみじんにしないでほしいと思う。
余談だが、宝塚のおねーさまが窓口に来たことがある。
そうとは知らずに対応したが、凛々しい中にも礼儀正しく、プライベートであっても自身の職業を貶めることのない立ち居振る舞いに感服するばかりだった。
最近はてブで高岡英夫関係のエントリが上位に来ているのをよく目にする。
コメントを読んでいると、割とナイーヴに受け止めている人が多いようだ。
別に高岡英夫の理論が間違っているとか、体操の効果がない、とか言いたいわけではない。正しいかもしれないし、効くかもしれない。
ただ、ニセ科学批判の好きな人が多い一方で、高岡英夫(や、似たようなオッサンたち、さらに言えばスピリチュアルくさいライフハックやら)が割とすんなり受け入れられてしまうのがちょっと不気味なのだ。
最近はどうなのか知らないが、武道・格闘技にやる側として関わっていた人なら、高岡英夫の名は小耳に挟んだことのある人は少なくないと思う。一時福昌堂系の格闘技雑誌などによく登場し、ディレクトシステムなる理論だか図面で、色々な達人の動きを分析してみせていた人だ。ヒクソンのDSとかいうのもあった。人体に色んな線を入れた図面なのだが、こうした図は高岡の特殊能力(?)で読み取られるものらしい。さらに、宮本武蔵のDSと称するものを一億だか一千万だか、ものすごい値段で売っていた記憶もある(値段はよく覚えていないが、とにかく破格だった)。
高岡英夫の話は、一見もっともらしい。わたし自身も、一時期興味を持ち、「統一棒」なるすりこぎみたいな棒を買って練習していたことがあるくらいだ。
武道・スポーツの話をするのに、東大出のオッサンがソシュールだの持ちだして理屈をつけて語る。しかも結構説得力がある。割と賢い目のアスリートたちが魅了されたのにも訳はあるのかもしれない。
しかし、もっともらしい理屈を語るだけなら、この世界では珍しい話ではない。理屈の筋が通っていることと、実際にスポーツ理論として機能することの間には、かなりの溝がある。
格闘技ファンの中では伝説的な怪しいオッサン、堀辺正史(追記:名前間違えてました、スイマセン)だって、初期の頃の本はとても面白かった。多分中国拳法の理論を色々継ぎ接ぎして組み立てたのだろう。特に伝統武術系をかじったオタクの心には、グッと掴む不思議な魅力があった。その後の堀辺氏の凋落ぶりは、格闘技ファンなら誰もが知るところである。
吉丸慶雪なども、理論だけならかなり魅力的だ。理論書好きの武道オタクにはたまらないものがある。わたしも持っている。
この辺のおもしろさを全部認めた上でなお、この人達が実際にこの理論に基づいて強いのか、あるいは弟子たちがこの理論で強くなったのか、というのは、全然別問題だ。
武道やスポーツの理論書というのは「ツボ」があって、そこをうまく押す文章を書けば、ある種のオタク系アスリートをひっかけることは容易いのだ。
中国武術系などは、理論が非常に発達していて、とても面白いのだが、この理論通りにできるかというと、必ずしもそうではない。理論を実践につなげる訓練がないと役に立たない(ただ分析の役には立つ)。この辺は「戦う編集長」山田英司氏などがよく語っているところだ(山田氏には直接お目にかかったことがあるが、別に達人ではないものの、本当に強い。トリックと口ばっかりの中国武術家では全然ない。普通に喧嘩の強いオッサンだ)。
大分話がズレてしまったが、高岡英夫も似たような部類のインチキくさいオッサンだということは、よくよく認識しておいた方が良い。
繰り返すが、彼の理論や体操が無効だと言いたいのではない。実際意味があるかもしれない。少なくとも読んでいる分には面白い。面白いからこそ危ない。おまけに彼の商売は相当えげつない。人間的にはまったく信用ならない人物だと思う。
ついでに言えば、堀辺氏も、本人は(若い頃は)本当に強かったのだと思う。動きのキレが確かに違う。しかし別に彼は、彼の理論で強くなった訳ではないだろう。また、その後のコロコロ変わる態度や凋落ぶり、道場生に対する不埒な行いの噂を聞けば、人間的には信用ならない人物に見える。少なくともわたしなら近寄らない。ビデオは見たいが。
ゆる体操がビジネスに効く!とかノセられているライフハッカーたちは、その辺をどう受け止めているのだろうか。
ニセ科学は許せなくても、科学の名を冠したり、科学くさい言葉遣いをしていなければ、一転無防備なのだろうか。
科学者が一般書を書くと、せっかく面白いことを書いてきたのに、最後の章で哲学やら政治思想のようなものを書き始めて、これがびっくりするくらいナイーヴで幼稚なことがある。それと同じようなものなのだろうか。
全部わかって乗っているなら止めないし、実際個人的には、高岡のようなパチくさいオッサンが多少世の中にいるのはむしろ面白いと思ってはいるのだけれど、運動音痴科学好きのライフハッカーが、ナイーヴにコロコロ転がされているのだったら、他人事ながらちょっと心配だ。
せめてニセ科学に対するのと同じ程度の警戒心は持った方が良いんじゃないか。
あるいは、それくらいの寛容さとテキトーさを、ニセ科学にも適応してやってくれないか。インチキくさいものが多少あった方が世の中面白いし、高岡にコロっとやられている人をこうして眺めるように、ニセ科学にまき上げられている人たちも「アホやなぁ」と「寛大」に眺めてやったらどうだろうか。
いやまぁ最後はイヤな言い方してごめんなさいだけれど。
ふと気になって、元増田じゃないけど、ブコメ観測。この手の話題に対するはてなーのリアクションって、こういう感じなのね。初めて見た。
「武道習おうとしない人信じられない、自分の身を守れるのに」「利き手を直そうとしない人信じられない、○利きに便利な世の中なのに」「ピーマン食べようとしない人たち信じられない、栄養あるのに」変だと思わん?
あえてコストパフォーマンスの低い例に喩えてみるケース。
あるいはそうではなく、容姿改善のコストは武道習得や利き手矯正並みに大きいと見積もってるということか。
これは「差別されないための努力をしろ」ってのと根本的に同じ。「抑圧の内面化」を「努力」と捉えサヴァイヴしてきた人はしばしば、それを拒否する人に対して苛立ち、抑圧する側へ回ろうとする。
「他者評価は努力によって向上しうる(のに何故しないのか)」という言説が、不当な差別の正当化と同根なんだろうか。
後半は別増田にも似たような主張があったけど、「ダメな人の例」を持ち出すことで価値観全体を否定しようとする試みか。
あのねぇ……やってないように見えるけど、実はやってるんだよ。でもやってないと言われる。この虚しさ、きっと容姿レベル高めの増田にはわかるまいね。
具体的に何をやってるのかは分からないけど、「やってない」とまで言われるのは、容姿レベルがどうこうという問題じゃなくて、やってることの問題だろうなあ。
容姿改善に限ったことではないが、「実はやってる」程度の変化や気遣いは、実効性に欠けること多し。
あえてこのタグ。苦手なことって忌避しがち。普通レベルに持ってくにも大変な労力だから。ものすごくがんばってもせいぜい普通よりちょっと下レベルにしかなれないだろうと思うとモチベが。でもしないより全然マシ
「普通レベルに持ってくにも大変な労力」という認識。「やってみたら大変だった」のか、「やってないけど大変そうだと思う」のかが気になる。
なお、「あえて」のタグは、[生活]、[美容]、[コミュニケーション]。
最近流行のフレーズに乗せて「見た目を改善しようとしない人達は犯罪に近い」くらい言えばもうちょっとウケたかも知れないのに…半端な悪意って罪ね。
「悪意」という受け止め方。この人(とスター付けた人たち)はこれを、単なるブサメンDisとして読んだのだろうか。
同感。
マライヒの人は割愛。
こうして見てみると、やっぱり「努力」「コスト」というキーワードが目に付く。
個人的感想だけど、気負いすぎじゃないんだろうか、この人たち。何するように言われてると思ってるんだろう。
それこそPC整備を奨めた相手に「努力」「コスト」とか言われたら、いやいやいやって感じだろうに。
元増田の「フツメン」「ブサメン」という言葉遣いから整形とかそういうのを想定したんだろうかとも思ったけど、だったら「努力」は論じないよな。うーん。
よく、武道の達人とか高名な芸術家とかにフツーのジャーナリストなんかがインタビューしたりするよね。
で、インタビューを受けた方は、自分が狭い専門分野に打ち込んできたことで得た知見を披露する訳なんだけど、
さすがに道を究めた人の言うことには重みがあるように聞こえる。
(ああ、この人は今武道について語ってるけど、人生も一緒だなぁ)
とか、
(なるほど、それは日本の政治についても同じことが言えるな)
とかいう具合にね。
だけど、それは聞き手が都合のいいように解釈してて、
そういう深みがあるように受け止めているだけというのが多いんじゃないかな。
だって、その達人はその道の第一人者になるために狭い島宇宙に閉じこもってきた訳だから、
常識的に考えてもあっちこっちに浅く広く関わってる人間の方が視野は広かったりしそうじゃない?
いろんな分野に広く関心を持ってる人間はゼネラリストになれてもスペシャリストには成れないんだよ。
例えば、武道の達人がニュースのコメンテーターになって、日経平均株価の見通しを語りだしたら違和感があるでしょう?
だから、その道の達人が専門分野について語ったことを、受け手がいろいろ解釈するのはアリだけど、
達人自らが他分野のことをしたり顔で話してるのをみても真に受けない方がいい。
たいてい浅いことしか言えてないから。
実例を挙げよう。
僕が住んでいるところは田舎なので、「自然と暮らす達人」とされている人がゴロゴロいる訳だけど、彼らが社会的なことを語ろうとするとだいたい間違える。
それはこんな具合だ。
○実在する自然農法の人
「私の農業は農薬に頼らない、環境に優しく持続可能な本物のスタイルです。工業や金融なんていうのは持続不可能なものでありニセモノです。」
⇒持続可能性を評価して、割高な野菜や米を買ってもいいというのは、工業や金融あるいはそういう産業の人たちが納めた税金で食ってる裕福な人。
だから、ニセモノの人たちがいなくなったら、そんな非効率な農法を道楽でやっていく余裕はなくなるでしょう?
自分の作ってる高い野菜を買ってくれる人がどんな人なのかさえ考えが及ばないんだから、せいぜい自分の周囲数メートルくらいしか想像力が働いてないんじゃないかな。
「自然の声、木の声に耳を傾けて彼らの魂と同化して作品を作ります。日本人はこの魂というものを失ってしまいました。政治外交も日本人の魂を忘れてはいけません。」
⇒2ちゃんねるなんかによくいる、ニート扮するネトウヨたちと同じレベルの発言をしていて、しかもそれを、自分だけが知りえた事実のように得意げにご高説を垂れてたりする。
ああ、この人たちの世間は狭いんだなということだけがはっきりと伝わってくる。
結局、バカに見られたくなかったら、
・自分の知ってる範囲だけについて、深く語る。
・どうしても自分の知らないことについて語りたくなったら、自信なさそうに語る。
というやり方が必要なんじゃないかと思う、自信は無いけど。
弟と特に理由なく闘いごっこという取っ組み合いもしたりしてた。
強い、弱い、強いってカッコイイ、そんな話を無邪気にしたときに、「ぜんぜん理解できない」
と母が言ったいた。
今、僕はウエイトトレーニングを趣味にしてる。
ウエイトトレーニングをする人たちは、格闘技が好きな人、強さに憧れる人が多い。
なぜか逆に僕は、強さの憧れを失ってから筋肉を苛めるマゾ的な趣味を始めた。
あの時母は、「理解できない」のあとに
「だって、殴られたり投げられたりしたら痛いじゃん」と続けた。
あの頃は、殴ったり投げられたりする側になるかもしれないということを考えなかった。
多少の痛みはアドレナリンで吹っ飛んでいた。
殴ったり殴られたり、投げたり投げられたりするけど、どちらかといえば殴る、投げることが多いものだと思ってたような気がする。
練習して強くなれば、勝てるようになると信じてた。
試合のルールのなかでなら、なにをされても恨まない、恨まれないっと思ってた。
よく聞く名前でいうと、肉離れ、ぎっくり腰が代表的だけど、筋挫傷、椎間板ヘルニア、靭帯損傷、筋膜炎、腱炎。腱鞘炎、いろいろやった。
自業自得だから我慢できるけれど、これが例えば格闘技の試合中に他人に傷つけられたものだとしたら、ルールの中だとしても恨むかもしれないと思うのだ。
もちろん、この程度だったら恨めしい気持ちも沸き起こるかもしれないが許せると思う。
でも後遺症が残る怪我なんてしたら、恨まずにいられる自信がない。
もっと極端に、死に至ってしまったら、自分が死んだらもう相手尾恨むことすら出来ないが、たとえば相手が死んでしまったら、遺族に恨まれるのは当然だ。
一発のパンチが決まったときには、殴った人間と殴られた人間が同時に存在する。
格闘技の楽しさは、他人を打ち負かして優越感に浸ることに他ならない。
小男が大男を投げ飛ばす。投げ飛ばされる人間に自分を重ねたりはしない。
ボディビルダーは弱いといわれても(カラダを鍛える=ボディビルならそうかもしれないですけど、ボディビルの大会には出てませんが。)、使えない筋肉に意味はないといわれても、見せ掛けの筋肉といわれても、僕はこの先に拳を使うことはないと思う。
普通の人より重いものはもてるし、運動しない人に比べたら筋持久力も心肺機能も高い。
それで十分じゃないか。
はてなID:ykkjhrk
はてなキーワードに投稿しましたが、編集合戦を避けるため、こちらに転載します。
エホバの証人とは
● http://www.watchtower.org/j/ 雑誌のバックナンバーや聖書研究の手引き書などがいくらか読める。
● http://www.jw.org 機関誌のポッドキャストフィードの受診、書籍、電子雑誌などがダウンロードできる。
● http://www.jw-media.org 広報室の公式サイト
名称の由来は旧約聖書のメシア預言のひとつであるイザヤ43章10~12節に基づく。
エホバの証人についての解説(公式サイト): http://watchtower.org/j/jt/article_02.htm
(個人サイト): http://biblia.milkcafe.to/thesis009.html
「ものみの塔聖書冊子協会」は、彼らが用いる代表的な法人の名称である。世界本部はニューヨーク法人ものみの塔聖書冊子協会にあり、出版物の著作権表示はペンシルバニアのものみの塔聖書冊子協会となっている。(ただし、「わたしたちの王国宣教」は、2009年4月以後、著作権表示がエホバの証人のクリスチャン会衆"Christian Congregation of Jehovah's Witnesses"となっている。)
なお、ものみの塔とは1879年に創刊された雑誌の名称であり、ジェームズ王欽定訳のイザヤ21章8節などを由来としている。聖書預言と照らし合わせながら世界情勢を見張っている、という意味がこめられている。さらに、1884年、この雑誌の出版社として現在のものみの塔聖書冊子協会が米国ペンシルバニア州の非営利法人法に則って登録された。したがって、彼らは自分たちを「ものみの塔の信者」とは言わない。ものみの塔協会は法人名に過ぎないからである。
また、「エホバの証人」という語は彼らが構成する集団社会と、信者各個人の両方を指す。(英語などの場合、複数形と単数形で区別する。)したがって彼らは、「エホバの証人の信者」という表現は使わない。ちょうど、「クリスチャンの信者」とか「ムスリムの信者」などと言わないのと同様である。
1870年米国にて、チャールズ・テイズ・ラッセルらが聖書研究会を結成したことに始まり、1931年、米国オハイオ州コロンバスの大会で、「エホバの証人」という名称を採択する決議が可決された。この大会は短波放送で中継されており、日本にいた数名の信者も決議に加わった。(なお、戦前・戦中の大日本帝国下では、「灯台社」という名称で活動しており、天皇は被造物であるなどと主張し、本土および台湾・朝鮮において、治安維持法違反で検挙されている。―参考: 灯台社または燈台社または燈臺社を調べるぺえじ http://www.geocities.jp/todai_sha/)
聖句と聖句を比較しながら論題別に掘り下げてゆくという19世紀の聖書研究者ヘンリー・グルーの聖書研究のポリシーが、現在でも一貫して守られており、エホバの証人出版物の特色となっている。聖書は文字通り神の霊感(インスピレーション)を受けた神の言葉であり、普遍、無謬であって、絶対に矛盾していない、という前提で聖書を調べ、矛盾と思われる箇所がある場合には、ほかの聖句を持ってきて説明しようとする。聖書で聖書を説明するのである。(ものみの塔2006年8月15日号12~15ページを参照。)
((聖書は矛盾している、との主張に対するエホバの証人の反論については、「ものみの塔出版物索引」の「聖書の信ぴょう性」の項の「聖句間に見られる調和」という見出し以下から資料を探せる。))
信者数は日本で21万人ないし30万あるいは40万とも言われ、2009年現在全世界で731万余の伝道者が活動している。
全世界の統計(公式): http://www.watchtower.org/e/statistics/worldwide_report.htm
エホバの証人の実勢信徒数の数え方: http://jwpc.milkcafe.to/media03.html
機関誌「ものみの塔」や「目ざめよ」などを配っている。最近は雑誌の朗読版(mp3およびaac(m4b))やオーディオブックのポッドキャスト配信、アメリカ手話(ASL)や日本手話(JSL)をはじめとする手話版のビデオキャスト配信、オーディオドラマやPDFによる電子書籍のRSS配信も行っている。
「目ざめよ!」は2006年以後月刊誌となり、「ものみの塔」は2008年から一般大衆向けと研究用(信者向け)とに分かれた。
出版物のダウンロードサイト(公式): http://www.jw.org
モルモン教、統一教会と並び、カトリックの総本山であるバチカンの法王庁(教皇庁)からキリスト教系三大カルト(または異端)の一つとされている。
また、カトリックと対立関係にあるが、プロテスタントではない。プロテスタント諸派もエホバの証人との教理上の相違が大きく、エホバの証人自信も自分たちをプロテスタントであるとは主張しない。
http://www.watchtower.org/j/20091101a/article_01.htm
エホバの証人のスポークスマンによると、ときおり、日本基督教団の牧師が「保護説得」などと称してエホバの証人を拉致、監禁して強制棄教を試みるといった事例が生じており、アメリカ大使館は日本の警察当局に、これを事件として取り締まるよう勧告している。((なお、宗教監禁の実態(統一協会の信者)に関する情報は、こちらの月刊現代の記事を参照。))
参考:2003年 国別人権報告書 http://tokyo.usembassy.gov/j/p/tpj-j20050601-50.html
ただし、SDA―セブンスデー・アドベンチスト教会―はエホバの証人に比較的好意的であり、国によってはセブンスデー・アドベンチスト系の病院がエホバの証人の望む無輸血医療を積極的に提供していることもある。
神の名はエホバであり、敬意を込めてその名を積極的に用いるべきである。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_01.htm
なお、「エホバ」であるか「ヤハウェ」あるいは「ヤーウェ」であるかは彼らにとって大きな問題ではない。マタイ福音書の主の祈りの冒頭にあるように、神の固有名を用い、それが神聖にされることが重要である、とする。(マタイ 6:9)
さらに、聖書を翻訳する際、神聖四字(YHWH(JHVH)テトラグラマトン)を「神」や「主」といった称号に置き換えると、読者は一般名詞としての神と固有名であるエホバとの意味の相違が識別できないという弊害が生じる。「神」(エローヒーム)と「エホバ」の違いについて、インペリアル聖書辞典(P・フェアベアン編、ロンドン、1874年、第1巻、856ページ)は次のように例証している。
「それ[エホバ]はどんな箇所でも固有の名であり、人格的な神を、そしてただその方だけを表わしている。一方、エローヒームはどちらかと言えば普通名詞の特徴を帯びており、確かに普通は至上者を表わすが、必ずしも、またいつも一様に至上者のことを指しているわけではない。……ヘブライ人はあらゆる偽りの神々に対立する方のことをthe Elohim、つまりまことの神と言う場合があるが、決してthe Jehovahとは言わない。なぜなら、エホバとはまことの神だけの名だからである。また、わたしの神とは再三言うが……決してわたしのエホバとは言わない。というのは、わたしの神と言う場合、エホバのことを意味しているからである。また、イスラエルの神について語りはするが、決してイスラエルのエホバについて語ることはしない。それ以外のエホバはいないからである。さらに、生ける神について語りはするが、決して生けるエホバについて語ることはしない。生きている方ではないエホバなど考えられないからである」。(訳文は、聖書に対する洞察、第一巻、「エホバ」の項より。)
ヘブライ語聖書中に「サタン」が登場するすべての箇所において、定冠詞が使われており、悪魔は固有の実在者であって、人の心に内在する抽象的な概念などではない。(ヨブ 1:6 脚注)
http://watchtower.org/j/20091001a/article_01.htm
神は愛の動機からすべての良いものを創造された。生きる喜びを分かち合うため、み使い(天使)や人間を、倫理的に自由な行為者、つまり神に仕えるか仕えないか、どのように仕えるかを能動的に選択できるものとして創造された。
やがて天使のある者が自由意志を誤用・悪用して神に反逆し、神の主権の正当性、妥当性、義にかなっているか否かに疑念を差し挟むようになった。その天使は、ヘビを使ってエデンの園にいた最初の男女アダムとエバ(イブ)を罪へといざなった。こうして、完全だった人間は不完全になり、原罪を受け継いで死ぬようになった。
悪魔となったその天子が投げかけた問いは、もっぱら倫理的な論争であった。つまり、悪魔は神の力を否認していたのではなく、宇宙の主権者としてエホバがふさわしいか否かを問題にした。したがって、悪魔と叛逆した人間を即座に滅ぼしても、この種の問題の解決とはならなかった。
神からの独立を望む人類社会には、神から倫理的に独立してやっていけるかどうかを試す時間が与えられた。そして、数千年の歴史の中で、君主政治、軍国主義、全体主義、共産主義、自由民主主義などあらゆる政治形態を試みることが許された。
神を愛する人には人間の政治に希望を寄せるのではなく、エホバによる神権政治を支持する機会が差し伸べられている。人間一人一人は、エホバの側につくか悪魔の側につくかを選ばなければならず、エホバの主権を受け入れることによって神の心を喜ばせることができる。―箴言 27:11。(←この側面は「忠誠の論争」とも呼ばれる。)
http://watchtower.org/j/bh/article_11.htm#q10_src
http://watchtower.org/j/bh/article_12.htm#q6_src
なお、悪魔の投げかけたこの論争は、当初から矛盾(論理破綻)していた。悪魔は、自分が論争に勝つなら、エホバは自分を生き続けさせる義務を感じるであろうと考えていたからである。神の公正に疑念を差し挟む一方で、神の公正をあてにしていたのである。(聖書に対する洞察、第一巻、「主権」の項を参照。)
イエスは、人類を罪と死から救済するために天から地に遣わされた。イエスの贖罪死と流した血によって、罪の許しの法的根拠が据えられ、人類には永遠に生きるみこみが差し伸べられた。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_05.htm
http://watchtower.org/j/bh/appendix_04.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_05.htm
http://www.watchtower.org/j/20090401a/article_01.htm
http://www.watchtower.org/j/20091101/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_07.htm
http://biblia.milkcafe.to/21-ec-12-07.html
クリスチャンは天に設立された神の王国の国民であるゆえ、地上の政治論争には一切「内政干渉」せず、神の王国の大使また公使として振舞うことが期待される。―ヨハネ 17:16。
http://www.watchtower.org/j/bh/article_15.htm#q12_src
神を愛する者は暴虐を憎まなければならない。―詩編 11:5。
http://www.watchtower.org/j/kn37/article_01.htm
(誤解されがちな点だが、彼らはいかなる戦いをも否定する絶対的平和主義者ではない。旧約聖書(ヘブライ語聖書)にある数々の戦いの記録は、将来神があらゆる悪に報復されることを表しており、「復しゅうは神のもの」と聖書にもある。また、クリスチャンは各自「信仰の戦い」をしなければならない。なお、戦争には不参加となるが、政治的な中立の観点から、戦争反対のデモなどの活動に加わることもしない。)
http://www.watchtower.org/j/hb/index.htm
地抜きされていない肉を食べてはならないという聖書の禁止事項は、イエスの流した贖罪の血に敬意を示すべきであるという考えを根底にしている。したがって、これはもっぱら宗教的な性質のものであり、物理的な意味で1ミクロンも血を摂取してはならないという意味ではなく、血抜きのための合理的な努力が払われていればそれでよしと彼らは考える。
日本臨床麻酔学会誌Vol. 26 http://www.jstage.jst.go.jp/browse/jjsca/26/3/_contents/
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_10.htm
エホバの証人はユダ王国の滅亡を西暦全607年に起きたと考えている。考古学の主流の学説とは意を異にしているが、この点は、「聖書に対する洞察」というものみの塔協会発行の聖書百科事典の「年代計算、年代学、年代記述」の項で、かなりのページを割いて論じられている。
http://www.watchtower.org/j/20051115/article_02.htm
http://www.watchtower.org/j/20051201/article_02.htm
裁くのはイエスであり、誰が救われ、誰が救われないかを決めることに、エホバの証人は関与しない。―ヨハネ 5:22。
http://watchtower.org/j/jt/article_08.htm#saved
週に2回ある集会への参加および非信者への証言活動が求められる。(ヘブライ 10:24-25; マタイ 28:19-20。)また、年に1回、地域大会、巡回大会、特別一日大会という、より規模の大きな集まりがある。(詩編 35:18。)
http://watchtower.org/j/rq/article_14.htm
唯一の式典として、年に1回、キリストの死の記念(主の記念式)が行われる。これは、いわゆる最後の晩餐(最後の晩さん)を記念するもので、カトリックのミサ(聖体祭儀)に当たる。―ルカ 22:19。
http://www.watchtower.org/j/bh/appendix_06.htm
彼らは「新世界訳聖書」という独自に翻訳した聖書を用いている。
オンラインバイブル(インターネット聖書)新世界訳: http://www.watchtower.org/j/bible/
「恣意的な翻訳だ」「自分たちに都合の良い内容に改竄している」という批判もある。
また、エホバの証人側はこれに反論している。
公式: http://www.watchtower.org/j/20080501a/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/
機関誌・書籍などで、しばしば古今の有名人の発言・著作を引用するが、前後の文脈を無視して極めて恣意的な引用をする傾向にある。(例えば、有名な古生物学者であるスティーブン・J・グールドの著作を、あたかも彼が進化論を否定しているかのような形で引用する)
しかし、この点は近年改善されてきており、2010年に発表された創造を指示する小冊子では、相当の配慮が示されている。
近年では全人類の平等を謳っているが、同協会に批判的な主張によれば、ローマカトリックを始め、他のキリスト教諸派よりもずっと後(1970年代)まで「黒人は神に呪われた種族であり、知的にも劣っており、終わりの日に遂に彼らが救済される時、彼らの肌は白くなるだろう」と主張してきたという。(下部の参考リンク「エホバの証人情報センター」の記述による。同センターは論証的な立場に立っているが、エホバの証人に対する論調は全般に批判的。1970年代およびそれ以前の、エホバの証人における有色人種の扱いについて、より信頼性の高い情報源があればご教示ください。)
世界各国に支部があり、信者のうち白人は1/3程度と推測される。「統治体」と呼ばれる最高指導部は、設立以来多年にわたり白人男性のみで構成されてきたが、1999年にメンバーにサミュエル・F・ハードが加わったことにより、統治体にも有色人種が加わることとなった。
1933年、ドイツで政権を握ったナチスがエホバの証人の弾圧を始めると、協会のドイツ支部は大会を開催して(ベルリン大会)、ナチスの政策を支持し、自分たちとユダヤ人は無関係だと主張する「事実に関する宣言」を全会一致で採択した。この大会には、当時のものみの塔協会の会長ラザフォードも出席している。しかし、世界各国に支部があり、本部がアメリカにあるエホバの証人は、この「宣言」以後もナチスの弾圧の対象となり続けた。
しかし、エホバの証人側は、ナチスを政治的に支持していたわけではないと反論する。
公式: http://www.watchtower.org/j/19980708/article_01.htm
個人サイト: http://biblia.milkcafe.to/07-jg-11-40.html
1985年、ダンプカーに轢かれたエホバの証人の子供大ちゃんが、両親の輸血拒否にあい、死亡。輸血をしても助からなかったとの見解もあるが、マスコミに大々的に取り上げられた。大泉実成著「ASIN:4768455646」に事件の様子が描かれている。
1994年、過剰な体罰、虐待によりエホバの証人の信者の子供が死亡した。
参考:http://www.jwic.com/abuse.htm
エホバの証人である高専生が宗教上の理由で剣道実技を許否した結果、退学処分を受けたが、1996年3月8日、最高裁判所は、この退学処分は違法であるとの判決を下した。
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319123008290359.pdf
なお、これは教育と信教の自由に関する日本国憲法下における重要な憲法判断である。
エホバの証人の婦人が、事前にいかなる場合においても輸血を施さないでほしい、なおかつ輸血しないことによって障害を負っても医師に責任を問うことは一切しないとの合意書に署名していたにもかかわらず、医師たちはひそかに、事前に示し合わせて、当初から輸血を断行することにしていた。手術後、内部告発によってこのことが明らかになり、裁判となった。2000年2月29日、最高裁判所は患者の人格権を侵害したと判決した。
ここでの問題は、強制的に輸血を施したことの是非ではなく、また緊急事態には輸血を施すというその病院の方針が裁かれたのでもない。むしろ、病院はそのような方針をもっているならば、密約をしたりダブルスタンダードをとったりするのではなく、誠実に病院の方針を説明し、患者の信条に沿う別の医療機関を紹介すべきであった、ということである。
エホバの証人のプレスリリース(英語): http://www.jw-media.org/jpn/20000229.htm
判決文(PDF): http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120604218580.pdf
このほかにも、エホバの証人は国内外で、後に重要な判例となる裁判を起こしている。
参考:衆議院議事録―第159回国会 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 第2号(平成16年3月11日(木曜日)) http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/010715920040311002.htm?
今日ふと思い立って実家に帰り、久しぶりにおじいちゃんとガストに行った時の話。
■おじいちゃんについて
・80過ぎ
・昔からぶっとんだ性格と見た目で、近所や俺の友達からも有名な名物爺さん
・昔はこじきみたいだったけど、最近は日本のブルース・ウィリス的に渋い。
・筋肉凄い
・大声
■おじいちゃんからお前へ
【生き方】
良いこと悪いこといっぱい経験しろ
悪いこともやってないと深みがでない
俺はめっちゃくちゃ悪いことを沢山してきた
実は一時期ヤクザにも入ってた
人はどこかで必ず挫折する
どこでこーなったのか一つ一つ遡って確認すること
そして必ず反省をすることが大切
猿だって反省してるぞ
【仕事】
いつかお前に役職がついた時、人の痛みをわかってやれる上司になれ
部下に好かれないとやっていけない
普通でいろ。偉くなろうとするな。普通でいてもすごい奴は自然に周りが評価する。
人に好かれろ、人を引き付ける人になれ
【結婚】
結婚は慎重に
【俺】
俺は今最高に幸せだ
おじいちゃんは100までぜったい生きるからな
俺の地元の友達25人にお前らの葬式に出てやると言ってたら、今残っているのは二人だけ
なんでも言ってるとそのとうりになったりするもんだ
100前に死んでも出てきてやる
でも、おばあちゃんのご飯が一番うまい
セックスにも武道同様、心技体があると思うんだ。心技体というのは、精神面、技術面、物理面のことだ。セックスでイクというのはおおよそこの3つの要素のかけ算で決まるので、各要素について改善できないか考える。
まず精神面について。
これは短期間での解決が難しそう。マンネリについては環境や衣装やプレイを変えると改善するかも知れない。
次に技術面について。
セックスの流れはだいたい決まっている。私が彼氏にくっついて、いちゃいちゃしたいアピールをするところから始まるのだが、彼氏は眠そうに私の体を適当に触る→ちょっと興奮して目が覚めてくる→私に下半身を触ることを要求する→なめることを要求する→準備ができたから入りたいと言う、という感じ。
私は愛撫されたとしても、声が周りに聞こえないか、彼氏が疲れて萎えてしまわないかなどが気になって、きちんと反応することができないので、申し訳なくなるばかりだ。だから、いつもの流れの中に私に対する愛撫がなかったとしても仕方ないと思っているし、彼氏が気持ちよくなるのならがんばろうと思う。
一言で言えば、彼氏の愛撫がおざなりすぎる。彼氏に愛撫のテクを身につけてもらうか、その情熱がない彼氏なら彼氏を取り替えたほうがいい。技を磨くには時間がかかる。コツを身につけるには、毎日セックスして相手の反応見ながらの試行錯誤が欠かせない。そうしたとして、上手くなるまで2週間から1ヶ月くらいかかるかも知れない。
最後に物理面について。
しかし、最近は挿入されることが怖くなってきた。とにかく痛いので、彼氏がゴムをつけている間にがちがちに緊張してしまう。緊張すると余計によくないとわかってはいるのだが、リラックスできない。
中に入られると、初めてかというほど痛くて、涙が噴き出してくるが、暗いのを幸いに声を殺して続行する。遠距離であまり会えないとごぶさたになるので、どうやら中が狭くなるらしい。ぐいぐい突き進まれる。そしてひりひりする感覚がある。
彼氏のチ○コが余程馬なみで増田のマ○コがとんでもなく小さいという組み合わせとか、マ○コが病気とか、そういう特殊な事情がないなら、痛いのは濡れてないから。解決策は二通りで、1つはもちろん愛撫で濡らすこと。でもこれが望み薄なら、もう1つもっと簡単な方法がある。ローションだ。ローションは、使うとばかみたいに簡単にチ○コがスルッと入るので本当におすすめする。
結論としては、とりあえずローション使えば痛いセックスからは開放されると思うので、ローションを買いたまへ。痛いセックスから開放されて、なお同じ彼氏で良いというのなら、時間をかけてその彼氏を教育し、愛撫のテクニックに開眼させるんだ。セックスの快感を味わいたいだけなら、もっとうまい男を見つける方が手っ取り早い。
これはauleriano氏の記事について書いたものであるが、
私が普段から感じている多くのサッカー解説者に対する不満を整理したものでもある。
キリ○ニとかホント死ねばいいのに。
http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20100216/1266289037
についての感想。長文なので先に結論を書く。
「理由」を解説することができるのは当事者と専門家(正確にはQualifiedであることを証明できる人間)だけである。
文章を読む限りauleriano氏は当事者でもないし、専門家であることを証明することにも失敗している。
そのため「理由」などと言う表現を使うことは正当でない。修正すべきである。
また、auleriano氏はタイトルにおいて自らの文章が無意味であることを宣言し、
まして自分の文章が上村選手あてに書いたものではないとはっきりと主張している。
それにもかかわらず「上村選手に読んで欲しい」と書くことは論理的矛盾なので、
タイトルを変更するか、上村選手に読んで欲しいと書いた部分を即刻削除すべきである。
「上村愛子はなぜ勝てなかったのか?」この記事はタイトルの時点で三重苦を抱え込んでいる。
このタイトルで実のある文章をかける人がいたら見てみたい。
つまり、タイトルを読んだ時点でブラウザを閉じるのがネットリテラシと言うものである。
私は読んじゃったけどなwww
まず一つ目の「苦」はタイトルが「~出来ない理由」であることだ。
このタイトルは、殆ど実のない結論を書けない事を宣言する定型句である。
ちゃんと提言があるならば、あるいは当事者意識を持っているならば、
どうすればよかったのか、自分はどうしようと考えているかを書かなければいけないからだ。
「出来ない理由を書くことが主眼」と言う時点で
「所詮他人事、俺には関係ない」という告白をしているのと同義である。
私のこの記事も「aurelianoの書いた記事がクソである理由」とタイトルをつけることが可能であり、
つまり俺には関係がないから思う存分好き勝手なことを書くのだが、彼の記事も全く同じである。
いや、彼が好き勝手なことを書くのはいつものことだからそれはいい。
テレビ作家根性として、こじつけや妄想による創作は空気を吸うくらい当然かつ必須であり、
それを禁じて窒息させようなどとは思わない。
許せないのは「これを上村選手に読んで欲しい」と書いていることだ。
「私はあなたのことを他人事だと思って無責任に書きます」と宣言しておきながら
「読んで参考にしてください」というのは、明らかに矛盾している。
分裂症でないなら、これは完全に上村選手ではなく、記事を読むはてな住人を釣ることが目的としか思えない。
2つ目の理由は、「出来ない理由」だけでもとんでもないのに「出来なかった理由」を書いているからだ。
つまり「~出来なかった」という結果、錦の御旗を使って
「だってほらあなた~できなかったでしょ」と相手の反論を受け入れる余地を残さない意見は、本質的に無意味である。
結局彼がどんな主張をしても、論拠は全て「上村愛子は勝てなかった」ということただそれだけなのである。
頓珍漢なことを言って、それを指摘されても
「君の反論はわかるよ、でも上村愛子勝てなかったでしょ?」と返すだけで彼にとっては事足りるのである。
3つめの理由。書き手が何者であるかを語らないこと。
1つめの理由とこれは同じようなことを言っているように思われるかもしれないが、
1つ目は「結論の質の低さ」を示すものであり、3つめは「書き手の質の低さ」を示すものである。
(2つ目は結論の無意味さ。共有の不可能性について述べたものである)
「理由」について述べる場合はQualifiedであることを証明することは重要である。
経済学者が経済について語ることができるのは、それを他の人が聞くのは、彼らがQualifiedであるからだ。
そのため、たまに自称までして自分がQualifiedであることを証明しようとする涙ぐましい人もいる。
まぁ得意の武道のことについて語ることは良いだろう。それを自分の専門でない分野に敷衍しないならば。
「他に誰も言わないから私が言ってあげているのである」という恩着せがましい態度は意味不明なのだが
まぁ達人の意見はある程度他のことにも通じるという。一寸の道理くらいはあるだろう。
素人でも「意見」や「感想」を言うのはかまわない。書くことは自由だ。
ただもちろん正当に扱う価値はない。まして本人に対して読めなどと押し付けることはできない。
自分がQualifiedでないということだけ自覚しているならば、それほど思いあがった口調にはなるまい。
だが、それを自覚していない、己には資格があると誤解している人の文章はとことん口調も傲慢になりがちだ。
Aureliano氏がはてなについて語る記事を書いた時、彼は自分の主張を始める前に
「自分がもっともブックマークを獲得した人間であるから資格がある」「それまでは直接は言及しない」という
と己がQualifiedであることを説得力を持って証明しようとした。
どうして今回は明らかにQualifiedでないテーマについて、これほど傲慢な態度になってしまったのか。
答えは本文中にありそうだということで、これに該当する部分だけ探してみることにした。
そこでぼくは、考えてみた。
どうみても考えただけである。
ところが末尾において
ぼくとしては、それついての答を持っていたので、こうしてブログで回答を申し上げたまでである。
彼の中で認識が変化している。
彼の中では彼はQualifiedな人物ということにいつの間にかなってしまっていたのである。
もちろん理由はコレだけではないだろう。
これだけの根拠で「Auleriano氏の記事がクソになってしまった理由」を書いてしまっては
私は「わかったつもり」程度で自分がQualifiedであると勘違いしてしまう恥ずかしい人間になってしまう。
そもそも記事がクソであるというのは私の主観で、彼自身が自分の記事を素晴らしいと思っていたら意味がない。
もし記事を書くとしたら、そのタイトルは正確には
「Auleriano氏の記事が私から見てクソであると確信するほどひどい内容になった理由の一部」とすべきだろうか。
まとめ。
Aureliano氏においては、
検索の仕方をもう少し工夫すべきだと思う。
各種方面で専門学校が爆増している昨今、
溢れている講師サイドも生活の為にあちこちで受講生を募集している。
適当にググって終わってはいないだろうか。
それ相応の場所に足を運んでいないのではなかろうか?
かくいう自分は土日限定でブラジル人のプロギタリストに師事している。
一石二鳥にもなっている。
本人のモチベーションが違うお陰で吸収速度が恐ろしく早い(気がする)。
独学でバンドをやっていた時もあったが、
ごく初歩的な基礎から叩き直して貰ったお陰で以前よりも弾ける弾ける。
技術を教わる以上は、自ら能動的に動けなくてはならない。
1から10まで憧れる事が出来るような、
教わる上で全て納得できるような、
そんな師匠を探す事から、
趣味は始まっているのである。
ttp://impactokyo.net/impact/index.shtml
米国サンディエゴで1971年夏、武道有段者の女性がレイプされるという事件が起こった。その道場の師範やほかの生徒達は、彼女が自分の身を守ることができなかったことは、道場の恥だと言った。しかし、同じ道場のマット・トーマスには、道場がその女性の期待を裏切ったように見えた。その道場で鍛錬している男性たちと違って、女性たちは武道の型を習うだけで、練習試合に参加しなかった。
だから、実際に襲われたときに彼女が自分の身を守る用意ができていなかったことは当然に思えた。彼はこのことに幻滅を感じ、直後に道場を去った。
翌72年、彼は女性グループから頼まれて護身術を教えることになった。彼は女性への暴行例を調べ、被害者の90%が地面に押し倒されていることを知った。柔道・剣道・空手の有段者だったので、様々な武道での経験を取り入れたが、ほとんどの武道の技は、立った姿勢で仕掛けるため、もっと効果的に女性が身を守れる技を編み出す必要があると考えた。また、実際に暴行を受けたときに、効果的に身を守ることができるようになるためには、生徒達は教室でも全力でぶつかる必要がある。
そこで、暴漢役の男性講師がケガをしないように、防具を改良し、現実的な状況設定で、全力でぶつかることのできる護身術のシステム(モデル・マギング)を考案した。
女性たちが襲われたときに使える選択肢を増やすことで女性に自信を与えることが、インパクトの基本的目標である。
単に護身術としてだけではなく、私生活や仕事においても応用できることに気付く。
ある生徒は、「インパクトで学んだことは、人生の様々な場面で役に立った。困難な状況におかれて、指導力を発揮するのに有効だった」と、語っている。
全米4万人以上の卒業生のうち50人以上が習った技術を使って加害者をノックアウト200人以上が暴力的状況を回避、何百人もの女性が暴力的兆候を察知して危険を回避したと報告しています。
昨日増田にいた自衛厨が、女性が夜道を1人歩きしなくてよいために考えてくれた提案。
1.女は17時に帰れる職場かさもなければ送迎システムがある職場に就職しろ
2.それが無理なら毎回タクシーで帰るか夫なり職場の同僚なりに送ってもらえ
4.(学生のバイトは授業のあとだから帰りがどうしても遅くなるという話に対して)女子学生は送迎システムがある職場以外ではバイトをするな。バイトせずに奨学金だけで生活できない状態なら進学はあきらめろ。
さすがに夜道を歩かないのは無理と悟った別の自衛厨が考えてくれた提案。
1.女はみんな武道を学んで反撃せよ
まったく馬鹿げてるよね。
最近の自分の生活を見直して改善する必要があると思ったので、近況やら身の上やら思ったことやらをダラダラ書こうかと思う。
自分はFランの経済学部の学生で月曜に3コマ、火曜金曜に4コマの授業を受けて、後の残りはほぼ引きこもってる。
春学期は高校でやっていた武道系の部活に所属していたけれど、実力のなさと面倒さに耐えかねて、蒸発まがいの事をしでかし、今では幽霊だ。
最近Ⅱ部リーグからⅢ部リーグに落ちたらしい、どうしょもねえ。
何で引きこもってるのか、まぁ引きこもってるの楽だからだけどさ。
いや、今までこうも人を隔絶してる経験は無かった、何もしなくても誰かしらが自分の周りに居てそれなりに楽しかったり、うっとおしかったり。
それがまぁ、大学じゃあ自分から望まないと何にもならない。誰が言ったんだか、まさにその通りだった。
元々、チキンで心配性の自分には何もない空虚な日々がどうにも心地いい。
でもなんだ、これじゃあ多分ダメなんだと思う。週に4日も家に居ると親の目が痛いし。
そういや、まだ生まれてこの方彼女居ないんだよね。
なんか、接し方分かんなくて。振り返ってみるとあれ、チャンスだったんじゃね?と思う出来事がちらほらあったりしたのを全部ものにできなかった自分は何なのか、チキンなのが恋愛方面だと酷かった。あと生まれつき人の顔の美醜でその人を判断する癖が抜けないのも非常にまずいと
でも自分の名誉のために言っておくと、告白されたこと何回かあるし、頑張ればどうにかなるんじゃないかと自分を騙し騙し気を保ってる。
で、そうだな。
ヒキの自分でも高校時代の繋がりでたまに大学生っぽいこと(飲み会とか、オールとか)に参加したりする。
その後でちょっとやっぱりこのまんまじゃまずいのかなんて思ったりする。
つい一昨日がそれだった訳で。高校時代の可愛い同級生との交流があったりしちゃったりすると「彼女なんてイラネー(今まで居たことないけど)」なんて言ってられなくなるんだよね。もうすごい彼女欲しいし、イチャイチャしたいし、もうじき苦離巣魔巣だし、早く卒業したいし。
まぁ色恋はここまでにしといて、次はあれだ。
孤独で情緒不安定な時期が最近まで続いていたけれど、今は不安とか悩みはなく落ち着いている、何もやってないから。
何もやってないといえば、バイトをしてない。
普通ならバイトしなくちゃお金が足りないらしい。確かに自分も遊びにあんまり行かなかったり、未だもらってる月のお小遣いが昼食代込みで2万ももらってたり、実家暮らしだったり、ゲームを廉価版しか買わなかったりしても貯金を少し切り崩した生活をしてる。最近は化物語のBDを買おうとして諦めた。
良かったもののすっかりタイミングを見逃してしまった気がバイトも大学生になったと同時か、夏休みぐらいに始めておけばする。いや別にその気があればバイトにタイミングも何も無いとは思うけど。
今の生活に変化が起きる事が怖いな。
なんか自分でも書いてて情けなくなるな、でもただ頭で考えてるだけだと勝手に都合のいい解釈でバイトはし無くてもいいって結論になるから敢えて書いた。
あとなんだろ、進路?
Fランが前の就職氷河期より酷くなりそうな今日この頃をどう乗り切るか、まぁ実家を継ぐという切り札があるからそんなに心配してないんだ、うん。
でも、どうせ実家継ぐんだったら、大学行く意味が新卒というカードを得ることから。ただモラトリアムに沈みっぱなしという事になりかねない。
結局なんだ時間かけた割りに、彼女が欲しい、バイトをしろ、位しか考えられなかった。
単細胞生物か?俺は。
なんだか、しっちゃかめっちゃかな文だけどチラ裏だから気にしない。
「学び」は、それを学ぶことの意味や実用性について何も知らない状態で、それにもかかわらず「これを学ぶことが、いずれ私が生き延びる上で死活的に重要な役割を果たすことがあるだろう」と先駆的に確信することから始まる。
学び始める前の段階で、学び終えたときに得られる知識や技術やそれがもたらす利得についての一覧的な情報開示を要求する子どもたち(「それを勉強すると、どんないいことがあるんですか?」と訊く「賢い消費者」的な子どもたち)は、「先駆的な知」というものがあることを知らない。
彼らは「計画に基づいて」学ぶことを求めている。
自分が実現すべき目的のために有用な知識や情報だけを獲得し、それとは関係のないものには見向きもしない。
おそらく本人はきわめて効率の良い、費用対効果の高い学び方をしていると思っているのだろう。
だが、あらかじめ下絵を描いた計画に基づいて学ぼうとするものは、「先駆的に知る」力を自分自身の手で殺していることに気づいていない。
「先駆的に知る力」とはまさしく「生きる力」のことである。それを殺すことは緩慢な自殺に他ならない。
武道は「先駆的な知」の開発に特化したメソッドである。私たちはそれを「気の感応」とか「気の錬磨」というふうに呼んでいるのである。
ここ1週間ほど、ドラクエ9の中毒になってた。起きている時はずっとドラクエばかりしていた。
ちょうどお盆休みだと言うこともあるけれど、異常にハマりすぎてる。
某所では「ドラクエは終わった」だの「なんでDSにしたんだよ!」という声が飛び交い、
あまり期待してなかったのだが、感想は間逆。物凄く面白い。むしろ、DSで良かったと思うぐらい。
ドラクエはこのぐらいのグラフィックでちょうど良いと思う。全然違和感なかった。
あと(めんどうだけど)クエストと宝の地図のアイディアは凄いと思った。
これらがあることで、”飽き”を抑えることが出来る。
wifi通信で定期的に配信されるそうだし、しばらく楽しむことが出来そう。
次回作では、ドラクエ8にあったようなバトルコロシアム?や天下一武道界みたいなのがあれば面白いと思う。
自分のパーティーと誰かのパーティーとが戦い、勝ち上がっていくという。
優勝者にはゲーム内で使えるアイテムとか、今回のような宝の地図がもらえるとか。
とりあえず、ハマり過ぎて盆明けてちゃんと仕事に復帰できるか心配です。
「スケベはモテない」って聞いてきたんだ、何度も。
聞いたっていうか、主に漫画とかアニメとかフィクションでよく見たのかもな。
学園漫画でさ、池沼寸前みたいな漫画特有アクティブスケベ男が「○○って最低!」とか言われてて。
ムッツリスケベ男も何かでスケベ性がばれてやっぱり「○○キモ!」と言われてて。
とにかく、スケベなのはモテないし格好悪いし人間としてダメだなあって学習した。
それで思春期からいつしか、スケベ性や性欲を完全に隠蔽するようになった。
我ながらよく出来た、息をするような自然な隠蔽。
たまーに下ネタ的なこと言ってもむしろ「そういうことも言えるんだ!?」みたいな扱い。
振る舞いって言うのは習慣にすると負担無く出来るようになる。
あと、そういう作った人格がちょっと本当に癒着して貼り付いてくる。
具体的に言うと、家ではオナニーしてても一歩外に出るとそういう欲望が全然無くなるっていうか。
一人で居るとエロ妄想とか出来るんだけど人と一緒に居るとピタッと収まる。
所蔵エログッズの話になっても「○○君は逆に持ってたら見直す」と女の子に言われたりする。
むしろそういうこと言われるとこっちが驚いて、
「え?普通にエロ本持ってるのにな、なんでこんなこと言われてるんだろう」
「あ、そうかそういう振る舞いをしてるんだったっけ」
と思い出すような感じ。勿論そこで「エロ本持ってるよ」と正直に言ったりはしない。
でもちょっと不思議に思って、
殊更「ボクは女の子に興味ないノデ!」みたいなアピールをした覚えは無いし、普通に溶け込んでるつもりだし、
自己イメージとしては「ガツガツした性欲のない男」ぐらいを意識していた筈だし
「変わった男」ではなく「みっともなくない男」が目標だった筈だし。
何故ちょっと仲良い女の子に不能者みたいなイメージで定着してるんだろう?ふしぎ!ってようやく気付いて。
折を見てちょくちょくと聞くようにしたら驚きの答えが返ってきた。
女の子は普通に話をしてるだけでも男の性欲とか感じることがあるんだって。
会話の間とか視線とか。(ホンマかいな?) 男がマナーとして隠してても。
でも俺からそういうのを感じたことが一度も無いんだって。だからホモか不能だって。
あと、二人でご飯食べに行ったことある子が「あれは不能」的な話をしてたらしい。
ちょっといいご飯を奢りで食べに行って楽しく話をして帰りになんか服をつままれたりした以上の思い出がないのに。
つまり結論として何が言いたいかって言うと
性欲を見せないようにしてたらモテたり一目置かれたりするどころか
変な奴として勇名を馳せてただけだったよって言う。
あとこれやってる限り対人的な性欲や感度が0になるので
生身の女性と付き合ったりとか一生ないなって。
でも、息をするようにやってたから自分が仮面被ってることも忘れるし、癒着してて取れないし。
なにより、今更性欲オープンにしようとしても出来ない自分に気が付いた。
なんとなく、気が向いたし、夏休みだし、暇だし、実家の荷物整理してて当時のノートなどが出てきたから、自分の大学受験浪人時代の記憶を増田に投下。
塾や予備校にいった経験がなかったので、同級生の話を聞いて、家から通いやすく、授業料が免除になりやすいという代ゼミ(代々木校)に行くことにした。試験を受けて、結局、75%免除になった。これが結構でかかった。
代ゼミでは、フルタイムで授業を受ける学生を「本科生」と呼ぶ。自分が入ったのは本科のTKコース。東工大向けコースな。
東工大の理由だけど、地球科学やりたかったけど、東大に対する食わず嫌いと、北海道大学と京大は遠いっていう絶妙な混ぜ具合の結果。
基本は平日午前2コマ、午後2コマ。1コマ90分。
水曜の午後だけは1コマだったと思う。
そして土曜午前に2コマ。
本科生は代ゼミが主催する模試のうち、いくつかを無料で受けられる。
ちなみに3学期制だった。
後になってから知ったことだけど、難関校向けコースほど、講義間の教室移動が少なく、科目を担当する教師が人気講師になるという傾向がある。これが、講義の時にいい席が取れるかどうかにつながる。友人から聞いた話では、この椅子取りゲームの不毛さが他の予備校から揶揄されているそうだ。
自分は、普通に朝からずっとど真ん中一番前に座ってたし(9時講義開始で8時過ぎぐらいに来て予習していた)、人気講師の講義を受けたいとか思っていなかったからあんまりそうした問題はなかった。
それでも、東工大コースで行われる人気講師の講義のときは、東工大コースじゃない人にど真ん中一番前を取られたりしてて、なんともいえない気分になったことはある。8時に教室開くのに、8時前から待ってる奴がいるのよ!
4月の最初のうちは、どの講義も教室が満杯だった。クラス担任の職員さんが最初の挨拶で、「まずゴールデンウィーク明け。そして夏休み明け。クラスの人数が減っていきます。悲しいことですがそれが事実です」という内容の話をしていたことを覚えている。(確か、担任から「今、東工大コースは120人」と聞いた気がする)
実際、文系科目を中心にどんどん人が減っていった。自分は何も考えず“コース料理”は全部おいしく頂いたわけだけども、ツウな代ゼミ生は、同じ英語でもコースで用意された英語ではなく、好きな講師の英語を受講しにいくらしい。
なので、まあ夏休みも明けたら、コースの通常講義でも、人数の差が笑えるぐらいになっていた。
それからさすがに東工大コースだけあって、男10対女1ぐらいの比率だった。最終的にはフルタイムで講義を受ける女の子は3人ぐらいになるんだわ、これが。
そういう感じなので、教室の雰囲気は講義次第、講師次第でまったく変わる。
それから男女比的に女は女で固まってた。みんな友達を作りに来てるわけじゃないので、休み時間に世間話するぐらいの関係だったけど、ひょんなことから、女の子の一人と仲良くなったら、他の女の子とも仲良くなった。浪人時代は、ほとんど女の子とばかりしゃべってた。
女の子と親しくなった話。ゴールデンウィーク前ぐらいだったと思う。隣にいた奴が「授業についていけない。おれ、もう、死にたい」とか言い出して泣いてしまったので、「俺もしょっちゅうそう思ってる」「まだ10ヶ月あるから頑張ろう」とか必死になだめてたら、後で、女の子が「大変だったね」と声をかけてきた。
それがきっかけでその子とよく話すようになったら、他の女の子ともよく話すようになった。
その「死にたい」って言ってた奴は2学期からは来なくなったので、まさかと思ったら東工大コースよりひとつ下のコースに変わっていた。やっぱり自分のレベルにあったところにしたいということだった。それもありだと思った。
| 平日 | |
|---|---|
| 7時頃 | 起床 |
| 8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習。講師に質問しにいくなど |
| 9時~12時 | 午前の講義 |
| 12時~13時 | お昼。天気がいいと明治神宮で食べてた |
| 13時~16時 | 午後の講義 |
| 17時頃 | 帰宅 |
| 17時半~19時 | スポーツジム。水曜は15時過ぎに帰るのでプール |
| 19時半 | 夕食 |
| 21時~23時 | 予習・復習 |
| 24時 | 就寝 |
| 土曜 | |
|---|---|
| 7時頃 | 起床 |
| 8時過ぎ | 代ゼミに到着。予習か復習 |
| 9時~12時 | 午前の講義 |
| 午後 | デート |
日曜は模試があれば、模試に行って終わったら模範解答で答えあわせと次の日の予習。ある意味、平日に近い。
模試がない日は、午前・午後使って一週間分の復習。デートとか、草野球もあったり、結構遊んでいる感じ。
こう、規則正しい生活を送れたのも母のおかげですね。
教室でも、ぱっと見た感じ何人かは彼氏・彼女持ちだった。お昼休みに携帯で甘い会話してたりとか。自分の付き合ってた彼女は、高校の同級生で向こうは現役で大学入ってて、最初はものすごく負い目というか、いろんなネガティブな感情があったけど、僕も向こうもそれぞれの日常で居場所を見つけて適応していった。向こうも「君がッ 大学受かるまで携帯電話を持たないッ!」って感じで、保守的で義理堅い子でよかった。ちょいオタだけど。このままこの人と続いて結婚しました。これ、ノロケな。
1学期も終わりに近づき、「夏期講習どうするの?」なんて話をしてたけど、普通に代ゼミ経験値の低い僕は「東工大」が冠につく授業を取った。そしたら別次元だった。まわりが……ほとんど……現役生……。現役生ばかりの教室に緊張感はない。真剣に講義を受けてたら、講師から「君は本科生か」と言われて、教室で浮いてしまったこともあった。ちなみに、ツウの代ゼミ生は、夏期講習は人気講師のオリジナル講義を受けるらしい。
夏休みに父に「どうせなら東大ぐらい受けろよ」と煽られて、東大受けてみるかと思って、志望校を東大理Iに変更。年の途中からコースを変えるとなると、結構お金がかかるようだったので、東工大コースのまま、2学期から夕方に行われている東大現代文・古文・数学・英語を増やした。物理と化学がないのはお金の問題と東工大コースの講義で充分だと思ったから。必然的に午後の時間がなくなったから、2学期からはジムには行けなくなった。そしたら入試の頃までに10kgほど太った。浪人で太る人、痩せる人いるけど、僕は激しく太るほうだったね。
で、この夕方の講義にものすごくかわいい女の子がいて、その子のことを東工大コースで絶賛したら「その子は後輩だわ」ってことで、あとで紹介してもらった。でも、馬が合わないオーラが出まくってた。そういうこともあるさ。
他の予備校のことを知らないから、比較してどうとはいえないけど、個性的な人が多かったと、社会人になっていくつかの研修やセミナーを経験した今でもいえる。
印象に残っている人について
小太りのお兄さん。大学の非常勤では食っていけないことを漏らしていた。メルカトル図法の世界地図に気候分布を色分けで塗ったものをノートに書いていて、それをその講師に見られて「地中海性気候のCsのsって何のことですか?」と聞かれたので「sommer trocken(ゾンマトロケン)、夏に乾燥」と返したらびっくりされた。あなたが講義で言ってたことですよ!このときに作ったノートは妹が継承した。
コビルドの英英辞書をもって講義を受けてたら、「君、それ一冊あれば、僕は要らないよ」といわれたので、それ以降、講義では机の上に出すのを控えた。「朝、講義前に来れば英作文の添削をする」と公言してたので、公言した以上添削しろよという感じで毎週添削してもらいにいった。
「僕の講義を録音して、繰り返し聞きながら、マネしなさい。最低50回」・・・マジで利く。これが周りで大ヒット。
「東工大受けるお前らなんか、どうせ、英語捨ててるんだろ?」「サイボーグ雨宮」など、数々のゆるい話題を振りまき、講義の時間を癒しに変えた人。1コマぐらいこういうのがあっても良いと思う。
エロサイボーグ雨宮。本当に息を吐くようにエロトークをかます。気をつけてないと、エロトークだとわからず、「あれ、わかりませんでしたか?お子ちゃまですね」といわれる。「数学的一昨日法」「数学的人生法」は傑作だった。
クラス担任の職員さんから「この人の講義には絶対に遅刻しないこと。居眠りしないこと」と注意されてたけど、最初はヤクザかと思ってびっくりした。実は、小心者のいい人。「意識の低い奴はいらねぇんだよ!」といってチョークを投げたことも。本科の最終講義は、自分の大学生の時の話をするのが恒例らしい。ゲーム屋のバイトの話が面白かった。「第一志望に落ちたら第何志望でもいいから大学にいけ。2年も予備校にくるな。大学にいってから頑張れ」と。
土曜午前にサテライトで中継講義(教室に入りきらないため)。あまりの人気っぷりに、一度、「生亀田見ようぜ」ってことでクラスの友達と一緒に始発に乗って椅子取りに参加したけど、それでも一番前から10列目ぐらいだった。話を聞いたら、一番前の人は前日より前から並んでいるらしい。マジ無理。ノート作成術は役立つ。
津守先生の英語で毎週英作文を添削してもらったと書いたけど、2学期のある日、機嫌の悪かった兄に「お前が受かるってことは、他人が落ちるってことだ。お前なんか受かんないほうがいい」といわれて大喧嘩になって、酷い有様になったけど、もう癖になってたのか泣きながら次の日に添削してもらうために英作文を書いていた。
「東大」を冠する講習と、馬場先生の英語のオリジナル講義を取る。さすがに冬期講習ぐらいになると、現役生も本気なので緊張感が違う。逆に本科生は元気がなくなる時期。自分もつらかったので、クラスの友達と一緒に馬場先生の講義をとって心の栄養に変える。4月からずっと大学受験中心の生活だったから倦みと緩みが出てくる。これは油断とかじゃなくて、体の底から湧いてくる倦みと緩み。泥の中にいるような感じになる。成長を実感できなくなる。現役生のパワーに負けるようになる。こればっかりはどうしようもない。乗り切れるかどうかって話。
3学期になると、本科の講義はほとんどないのと同じになる。夏休み明けより暗い顔が多かったのは、仕方のないことだろう。最終講義では「頑張ってね」みたいな話で送り出される。講師が大学生だったときの話、自分が夢をつかめなかったことなど。クラス担任は大学の数学の教科書を見せてくれた。
自分は東大じゃなかったら東京理科大という方針でいた。東京理科大のセンター利用なら確実に受かるので、これを滑り止めにして、国立の本番前に調整として早稲田の教育・理科を受ける。なんで早稲田の理工にしなかったかというと、東大に落ちた場合に早稲田に行こうとは思わなかったし、教育のほうが試験が簡単だったから。親からは「早慶の両方受けなくていいのか」とか、「早稲田にも入学金を納めなくていいのか」とか再三聞かれたけど、方針は譲らなかった。模試は最高でC判定(合格率40%ぐらい)だったけど、この頃には、だいぶ吹っ切れてて、つみあがったノートを復習する日々。ダメだったら、ダメでいいじゃんと、普通に思っていた。
話には聞いていたけど、浪人生がその自慢のノートを広げている姿を見ると、現役生は顔の色を変える。本当にそうだったから、笑った。だって、ノートが全然違うもの。10ヶ月間必死にまとめてきたんだもの。模試の結果からセンターの得点率は9割はいけるなと思ってたら、ピッタリ9割だった。僕のころは東大を受ける場合は800点満点で、8割ぐらいが足切りラインといわれていた。
総合723点で、国語が147点だったのがギャグだったけど、他で落とさなかったから良かった。好きだったから無駄に一生懸命勉強した地理は85点。現役時代と変わらない得点。試験なんてそういうもんだ。
次の日、自己採点で集まった東工大コースの面々。みんな一様に暗い。一番よく話してた子は数学で大失敗をしたといって、無表情になっていた。そういうことはある。
あるときの東工大模試で化学だけが異様に簡単だなと思って、次の日クラスで話したら「めちゃくちゃ難しかったよ!」とか言われたことがある。結果が返ってきたら化学が全国3位。たまたま自分のホームランゾーンの試験だったってこと。だから逆だってもちろんある。試験が空振りゾーンにくるときが。
東大の入試っていうのは、今もそうか知らないけど、あいうえお順に受験番号が決まる。だから、前年見た顔をまた見ることがあるという。同じ教室に高校時代の友人が二人いてびっくりした。「そういえば名字似てるしね」とかいって笑って挨拶した。
2日間かけた試験だったけど、得点率でいうと、英語が満点、国語が8割、物理と化学が6割、数学が3割という感触だった。数学が空振り。当落線上ギリギリだなって思いながら気分は後期試験に。
でも、後期試験対策の手が付かない。僕は既に燃え尽きて灰になっていた。
アメフト部のウォリアーズが胴上げすることで有名な東大の合格発表。普通に見に行って、普通に合格を確認して、普通に生協の合格者用の袋をもらってその場を去った。途中後輩に会って「落ちました」と聞いた。僕の態度から後輩も僕が落ちたと思ったらしい。そのくらい僕は醒めていたし、合格者用の袋はもらってすぐにかばんにしまっていた。
兄に言われたことだが、自分が受かったことで誰かが落ちたのはまぎれもない事実だ。
「そういう態度は逆にいやらしいですよ」と後輩に言われた気がする。
そこは、どうなんだろう?僕は「勝ってガッツポーツをしない」という武道の古臭い考えは好きだ。
ただ、この場合、僕は武道的な考えから喜ばなかったというより、喜ぶ元気もないぐらい疲れていたんだと今は思う。
という感じ。
現役の人は、これから頑張れ。
これか
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090606-00000047-sph-soci
高校生やるじゃないか。警官なら武道のたしなみもあるだろうに。
GJとしかいいようがないが、なにか問題があるのか?
だけど、最近特にはやってるなぁと感じるのは、最初っから何も考えるつもりも理解するつもりもなく
、ただなんとなくしているだけが「感じることだ」と思ってるような人が多いから。
君のように日常に役立たないことを考えるほどみんな暇じゃない。
日々をどう処すかでいっぱいいっぱいなんだよ。
ブルース・リーの感じろ!ってのも、型(道理)のある武道を一通りこなして、そのあとに必要なことは道理を覚える事じゃなくて、その道理にある本位を感じ取ることが大切。ってなような意味合いでしょう
大抵の人は無意識下でやってる。
こねてるからいろいろ言われるんだよ。
まーこっちの言い方もヒトゴトすぎて感じ悪いかもしれん。
でもどのみち健康・美容・人脈形成目的で何か運動はやるわけでしょ。ならその科目を格闘技にしてもコストとして重過ぎることにはならないんじゃないかなーと思うんだけど。ダメかな。俺の周りにはテニス(外資なので本社ゲストの接待に使う)とかマラソン(持久力UPに良いらしい)に金や時間を投資してる女性が多いんだが、武道もイケてると思うよ!
姪については運動性能けっこういい(球技で県大会とか出てる)しちゃんと訓練すれば十分痴漢に対抗できると思ってる。君の個別的事情は知らない。障害もちとかだったらすまん。