はてなキーワード: 宮沢りえとは
3. 精神病質傾向が強い者は「相手が自分に怒っている!」と思い込む
子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見もあるが、
その場合、無断で性交したり、強姦以外で中絶手術したりする子供は、保護観察して、もう性交しないようにする必要が有るのではないか。
子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見は
子供が「自分はLGBTだ」と言った時に、「あなたはまだ子供だから、LGBTではなく異性愛者だよ」と言うのか?
人間の性は、ひとりひとり個人のものです。まわりの誰かがLGBTだったり小児性愛者だったとしても、それはその人自身の自由な生き方であり、プライベートなことです。それをからかったり、干渉したりする権利はだれにもありません。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
小児性愛者は自分で選択して小児性愛者になったのではありません。同性愛者が同性愛者になりたくてなったわけでないのと同じです。
異性愛者の方が多数派、小児性愛者は少数派というだけのこと。子供に対して愛情を抱くことは、異常なことでも、いやらしいことでも、特別なことでもありません。
在日は犯罪者が多いというデマがあるが、仮に本当だとしても、在日というだけで差別することは許されない。
ロリコンは犯罪者が多いというデマがあるが、仮にそういうデータがあったとしても、そのデータには隠れロリコンが含まれていない。
マンガで分かる心療内科・精神科・カウンセリング 第十五回「ロリコンはどこから病気なの?」 http://t.co/GMX19DbB1b http://t.co/Nb3eYACRBV
近代になるまでは、人生が短く生殖が優先されたので、女性は子供を産める12~15歳になれば結婚適齢期とされ、結婚させられた。
性の対象として良い範囲は、社会的・文化的・宗教的に、相対的に変わるものだ。
「近頃の若者」は親世代よりもはるかに模範的であることがデータで示される https://t.co/EU6Mesgzi0
イランやサウジアラビアなどイスラームの一部の国では、古典イスラーム法の通り、9歳を結婚可能年齢としている。
多くのイスラーム教国の法律では女性の結婚可能年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえ、15歳から18歳程度とされる。
イスラームの預言者ムハンマドは、9歳の少女アーイシャと結婚した。このときムハンマドは50代であったとされる。
イスラーム法において、女子は9歳で一人前(判断力を持った存在)とされ、大人に準ずる扱いを受ける。
#ロリコン
ロミオとジュリエットは物語の1日目で互いに一目惚れ、2日目にはもう人目を忍んで結婚、そして初夜、わずか5日後に自殺している。
#ロリコン
後醍醐天皇の中宮、西園寺禧子は満12歳で懽子内親王を出産した。
#ロリコン
マリー・アントワネットは14歳、ルイ16世は15歳のときに結婚した。
カトリックでは交接をもって結婚の完了とするため、13~15歳あたりで結婚する事が多い。
王侯貴族にとって、結婚が正式なものとなるのは非常に重要な事であるため、床入りの際に、神父や見届け人が見届けていた。
豊臣秀吉が数え25歳の時に、数え14歳の寧々と、当時としては珍しい恋愛結婚をしている。
武田信玄は満12歳の時に、13歳くらいの上杉の姫と結婚した。翌年に上杉の姫は、難産がもとで子と共に亡くなった。
戦国大名の前田利家は20歳で、いとこの満11歳の少女「まつ」と結婚し、まつが満12歳になる直前に長女 幸姫を産ませ、合計11人の子を産ませた。
(まつ 1547年7月25日生まれ、幸姫 1559年7月11日生まれ)
#ロリコン
ヘイトじゃないよ
仏教の世界では女体は修行している男を惑わす魔物で、肉体関係を持つと汚れると考えられた
ってことで出てきたのが「稚児(ちご)」、12歳から18歳くらいの少年のことで、僧の身の回りの世話をする役目の子供のこと
稚児との肉体関係は清浄になるとされて僧の性欲のはけ口にされてしまっていた
生理は、女性のお腹の中にある子宮が大人のものへと育って赤ちゃんを産むことができる身体になったという印。
生理のある女性とsexしたいという欲望は、子孫を残したいという男の本能。
マンガで分かる心療内科「ロリコンはどこから病気なの?」http://yucl.net/man/255.html
今では社会的に配慮されるべきとされるLGBTですが、中世のヨーロッパで同性愛は死刑でした。
アメリカでは2003年まで同性愛を犯罪とする州がありました。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
兵庫県立高校の30代女性教諭は、男子生徒から学校での悩み等を聞くうち恋愛感情を持ち、放課後に自家用車内でキスをしたり、互いの体を触ったりし、懲戒免職された。
教諭は「生徒の成長を妨げる過ちを犯した」と話している
被害者いないのにね…
大阪市東住吉区で1995年に火災が発生し、内縁の夫により性的虐待を受けていた 11歳女児が死亡し、保険金目的殺人で服役していた母親の青木恵子と、内縁の夫の朴龍晧が約20年ぶりに釈放された事件。
http://www.akb48matomemory.com/archives/1043666048.html
老若男女問わず、合意の無い性行為強要は凶悪犯罪で、処罰されるべきです!
合意できるか否かを年齢で区切るのではなく、どんな場合に心からの合意を得たと言えるのかを考えることが、皆が自由に笑顔で暮らせる一歩となるのではないでしょうか
オランダでは、1991年に刑法247条が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為が適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為は適法となりました。
「禁じるよりはオープンにしてコントロールしよう」という、麻薬・売春と同じ系列での考え方です。
1970年代初頭にオランダやデンマークでポルノが解禁されると、そのサブジャンルとして児童ポルノもまた出現しました。
1970年代が日本の少女ヌード写真のブームの幕開けで、売上部数20万部を超えるヒット作も複数出版されました。
宮沢りえ(撮影時17歳)ヘアヌード写真集 篠山紀信撮影(朝日出版社) 1991年
「神話少女」
栗山千明(撮影時11歳)ヌード写真集 篠山紀信撮影(新潮社) 1997年
ヌード写真がトラウマになることなく、立派な女優に成長されました。
少女愛運動は、少女愛の存在を社会に肯定的に受容させ、少女愛を性的虐待や犯罪に密接にリンクさせる社会的偏見を除去などを目的にした活動。
オランダにおいて1970年代に発祥、70年代後半に英米にもいくつか存在するようになった。
時々パクツイをしています。ゆうきゆう先生のとか色々。素晴らしい意見だと思ったからですが、botにRTされると迷惑ではと思ったので…
女性が、年上の男と恋愛した方がいい心理学的な理由。https://t.co/myYzNt5hbu https://t.co/zKi7hQCku3
その説は、あえて口にしないけど誰もが思ってる説だと思うよ。俺も昔から2chで同じ説書きまくってるもん。
宮沢りえしかり、菅野美穂、栗山千明と写真集組だけじゃなく、映画・ドラマで脱いだ女優は皆メジャーな世界で生き残り続けている。
宮沢りえに関しては、親の毒っぷりとかその後の病みっぷりを考えて
むしろ「裸を見せる少女は虐待されて育っていて病んでる子」を体現しているとしか思えないんだが…
こんな時間に二度寝できなくなったので、頭の中のガラクタ整理しよ。
こないだ家でクリスマス会の最中、CS番組で大林宣彦版「転校生」がやってて、懐かしくてつい見てしまったのだが、まだあどけない少女の小林聡美があけすけもなく、成長途中のおっぱいを丸出し、スッポンポンになってて驚いた。こんなに脱いでたっけか……。
それでふと思ったのが、若い頃にさっさとヌードを披露してすべてをさらけ出してる女のひとって、実はかなり強い存在なのではなかろうか?(熟女ヌードについては、ここでは敢えて除外する。脱いで以降の未来を生きる時間が短いから)
裸一貫って言葉でないけど、どんなに容姿が美しくて自信があっても裸体を人様にさらす決意、度胸や覚悟を決めるのは並大抵ではないだろうし、それを若いうちにやってのけてるのが素晴らしいというか。そんな点でいうと、AV女優なんかも尊敬してしまうのだが。
その流れで連想したのが、宮沢りえの「サンタフェ」。当時中学校のクラスの中で回し読みして衝撃を受けた世代なので、彼女はかなりメンタル強いのかなーと思ってたのが、つい先日のSNS誹謗中傷疲れのニュースだったので、あなたはあんなに美しい裸体を見せてくれたのだから、こんなつまらんことで折れてしまうワケないだろう! と激励したい気持ちになった。
心も体も許したひとりの異性に見せる裸と、ファインダー越し=万人に見せる裸とでは、比較もできないし意味も違うだろうが、裸自体よりも、裸を見せるまでのプロセスや意志などのパーソナル面が、裸=外観でない魂自体が美しく輝いているというか、とても興味深い。
今の時代はスマホでこっそりセルフヌードを撮ったり撮られたりしてる女のひとも、おそらく少なくないのだろうが、できればうんと若い頃に、裸体の記録を撮っておいて、そっとどこかにしまっておいてほしい。いつか年老いた自分や誰かに見せるためでもなく、撮るだけ撮っていてほしい。若い時分の私にはそれができなかった、思いつかなかったのが、今では少し後悔している。スナップ写真程度でしか分からないけど、昔はもっとシャープな体つきだったのかな……と、すっかり入らなくなった20年前のジーンズを試しに穿いてみたら、案の定太ももでつっかえて、若さゆえの眩さと危うさに気づく。
少しでも気持の整理をしようと、今の自分の心情をこれから書き綴っていく。
衝動に任せて書き殴るので日本語としておかしな点や誤字脱字が多数あると思う。
ご容赦願いたい。
12月22日、我々V6ファンの耳にとある衝撃的なニュースが飛び込んできた。
本来は12月24日にファンの元へ届けられる筈だったその赤い封筒は、年末の混乱により起こったミスのため誤って一部のファンの元へ一足早く届いてしまったらしい。
赤紙かよ……。
TLに流れてきたその赤い封筒を目にした瞬間そう思った。そして胃が鷲づかみにされたかのようにギューッと痛んだ。私の信仰に重大な危機が訪れていると直感的に悟った。
いま現在、私は岡田くんの結婚に対して「悲しみ」と「恐怖」というの二つ感情を抱いている。
例外も多数あるが「アイドル」と呼ばれる彼ら彼女らは疑似恋愛の対象としてメディアの中で振る舞い、あるいはそう見えるように編集される。そしてこちらも例外多数だろうが、ファンも彼ら彼女らを疑似恋愛の対象として認識し、恋愛感情と酷似した感情を彼ら彼女らに抱くようになる。その感情がファンとアイドルとを結ぶ紐帯となる。「格好いいヤツならいくらでもいる でも俺にメロメロなんでしょ?」と言うフレーズは演者の技量に惹かれたのではなく演者に対し恋愛感情のような感情を抱きその感情を核に演者を応援する我々アイドルファンの特性を鋭く見抜いた非常に秀逸な物であると思う。
話を元に戻そう。
何を隠そう私も岡田准一に対して恋愛感情のような物を抱いていたファンの一人である。少なからず好きだった人が結婚した。だから悲しい。ただそれだけの話だ。
イノッチの時も長野くんの時も、同じような感情を抱いた。イノッチのは生で聞いてしまって当時中学生だった私はコンサート終わりに泣き崩れた。長野くんの時も長野担の友人に電話し二人してワンワン泣いた。下手に恋愛感情に近い感情を抱いてしまっていたため失恋した時のような心情になったし、それに加え大好きな人がやっと掴んだ幸せを手放しで喜べない自分自身に失望してしまって、涙が止まらなかった。
でもこの感情は泣けばある程度は落ち着かせる事が出来たし、気合いでどうにか既婚者萌えに開眼することが出来た。
だが今回、「悲しみ」に加え過去二回の結婚報告では抱かなかった「恐怖」という感情も自分の内からわき上がってきた。
もっと厳密に言うと「信仰をこれ以上続ける事が出来ないかも知れないという恐怖」だ。
今回の結婚はアレだ。その、えっと、色々あった。何が真実でそうでないかはわからないけど、色々あった。その「色々」の部分がもし真実であったら、もう私の中の倫理感ではどうしても受け入れられないのだ。「おめでとう」なんて言えないのだ。過去の「色々」が積み重なってきていて、今回の件で私の倫理観は完全に飽和してしまいそうなのだ。もう何もかも駄目になってしまいそうなのだ。
東山紀之さんは自分のファンに向け「僕達にふさわしいレディになってください」と言ったらしい。このエピソードを聞いた時、私もV6ファンにふさわしいファンにならなければならないと思った。V6のメンバーはトイレの張り紙よろしく「僕達のファンはマナーが良い」と言ってくれる。だから、彼らに迷惑をかけないために、彼らが誇れるファンになるために、常識を倫理を道徳を身に付けよう常に心がけていた。
でも今はその常識や倫理や道徳が私を苦しめる。彼らの為に身に付けたいと思った物が彼らの一部を否定する。この相克がたまらなく苦しい。辛い。しんどい。
私はカウコンに当選した。他の5人はカウコンで、あるいはその他の場所ででも、この結婚について言及するのだろうか?この結婚を祝うのだろうか?その瞬間を見るのが怖い。自分が疑いの目を向けている物を祝福している彼らを見るのが怖い。私を明るい方向に導いてくれた存在が穢れてしまうように感じる。何もかも信じられなくなる。その瞬間、私の信仰は破綻してしまうように思う。
「いや、不倫が事実かわからんやん」と自分にここ数年何度も何度も言い聞かせようとした。でも無理だった。2015年から交際し始めたと信じたい。あるいはそれが嘘であったとしても気にしないでいられるような人間になりたい。どうしてこんな簡単なことが出来ないのだろう。二十歳も過ぎたいい大人が。ジャニオタって私にはむいていない趣味なのだろうかとここ最近考えるようになった。
本当にこんなファンでごめんな。
坂本くん、長野くん、イノッチ、剛くん、健くん、そして岡田くん、本当にごめん。
マジで今どうすりゃ良いのかわからん。祝いたい。のに、祝えない。「この世には事実など存在せず、ただ解釈のみがある」と何度も自分に言い聞かせてるんだ。でも駄目なんだ。都合の良い解釈すら出来ないんだ。
貴方達が大好きなのに貴方達の全てを信じて受け入れる事が出来ない。
本当にどうしてこんな人間のくせしてジャニオタになんかなっちまったんだ。自分で「夢」を見る才能のない人間はジャニオタになんかなるべきではなかったのだ。足を踏み入れるべきでなかった。
とりあえずあともう一回がんばってみる。
無理だったらもうオタ卒しようかと思う。
潮時だと思うから。
追記
今回わざわざ私が自分の胸の内を公開したのは、第三者からの忌憚のない意見を聞いてみたかったからです。お心遣いありがとうございます。
それと私は確かに恋愛感情に似たような感情をアイドルに対して抱いてはいるけど、アイドルと付き合いたい、結婚したいとは思わないんですよね…。V6の中で一番好きなメンバーは三宅くんなんですけど、一番結婚したくないメンバーも三宅くんです。まあ、そもそも私のような人間は相手の方からお断りでしょうが。
あと認知もされたくはないなあ。ジャニーズ以外にも様々な男性アイドルグループが林立する中、わざわざジャニーズを選んで応援しているのは単に彼らと私達とを隔てる一定の距離感が私の肌に合っているからなんですよね。
私にとって「夢を見る」ということは「人間関係を築く上でどうしても付きまとう煩わしさから解放されながらも、人間関係を築く事で得られる充足感を得られる」ことを指します。良いとこ取りをしたい訳です。
恋人もいますし、友人にも仕事仲間にも恵まれている方だと思います。でも、彼氏にしろ友人にしろ仕事仲間にしろ、人間関係が密になればなるほど得られる情緒的な満足感も増しますが同時に様々な煩わしさも出て来ます。特に今は閉鎖的なコミュニティの中に身を置かねばならない状況なので、とにかく波風立てぬよう一挙手一投足に細心の注意を払っています。
アイドルから「顔や名前を覚えられる」ということは、この煩わしさの中に自分とアイドルとの関係を放り込むことだと思います。関係が密になるほど気を遣わなければならない部分が増えてくるから。
そんな物を感じたくないから距離感のあるアイドルを好きになったのです。繰り返しになりますが、V6で一番好きなのは三宅くんだけど一番結婚したくないのも三宅くんです。でも、そんな相手も適切な距離感さえあれば好きになれる。距離があるからこそ安心して課金ができるんです。
あと「アイドルの結婚が受け入れられない」っていうのは違うんですよね。そりゃイノッチの時も長野くんの時も最初は号泣しましたが、その翌日くらいには井ノ原快彦(既婚)長野博(既婚)という字面にめちゃくちゃ萌え始めましたし、「大好きな人が幸せを掴めたんだなあ」と嬉しく思いました。たまーーーーーにポロッと漏れ聞こえる彼らが幸せに暮らしてるっぽいエピソードとか子供と遊んでるっぽいエピソードとか大好物です。なんていいうか、すごくホッとする。「良かったなあ」って思う。瀬戸朝香さんも白石美帆さんも宮沢りえさんも本当に大好きです。苦しみの先には新たな萌えが待っていました。
「お相手が受け入れられない」ってのも違います。「お相手だけでなくこの結婚に関わる物すべてが白々しくみえてきて、信仰の対象の輝きすら失せてしまいそう」「色々なものを黙殺してきてどうにか守ってきた『好き』という感情がこれを機に瓦解するのが怖い」「もうこれ以上、色々なものをスルーすることができそうにない」「好きなアイドルの潔白を信じることができないのが辛いしそんな自分に嫌悪感を抱いている」のです。今回の結婚は単なる引き金にしか過ぎません。今まで色々と蓄積されてきてた物が、この結婚を機に飽和してしまいそうなのです。
この文章を読んでいただいた奇特な方々は「結局なにが言いたいんやコイツ……」と困惑なさっていると思います。
私もです。私も自分で何をどうしたいのか
どうすれば良いのかわかりません。
「お前、不倫は受け入れられないのに自分は付き合っている相手がいるのか……」とツッこんだ方もいるでしょう。全くです。上記の文章を読んでいただければ分かる通り、とにかく自己矛盾の塊なのです。この自己矛盾が自分の中で看過できない程の数になってしまった。飽和してしまった。
私は普通の人間にしては無神経で、ジャニオタにしては潔癖すぎたのでしょう。
そもそも、人間と関わる中で避けることの出来ない苦しさから逃れる先を人間に求めたのが間違いだった。
これまで書いた長々とした文章より「ぎええええええええ」という絶叫の方がまだ私の今の感情を言い表すことができている程、未だに取り乱しています。
この文章はとある哀れなカウコンを目前に控えたジャニオタの遺書、あるいは断末魔の叫びだと思ってください。
愚痴垢だけは作りたくないなあ。
まだギリギリ好きな人達をを誹謗中傷なんてしたくないけど、こんな文章を書いて公開してる時点で殆ど同じような事やってるのかもなあ。
あーあ、本当にこんな思いをするくらいなら草や花にうまれたかったなー。
あたしって、ほんとバカ。
小学生のころ、ぼくはまだ女の子のアソコがどういう名前なのかまだわからなかった。
その時は男の子も女の子もアソコはおちんちんという認識だった。でもおちんちんと言えば男の子に付いているあのおちんちんを想像してしまうし、自分の中では女の子のをおちんちんと言うのは少し納得がいかなかった。
小学3、4年生の頃のある日、突然親父が宮沢りえのSanta Feをぼくに見さしてくれた。
「美しいだろ?これが芸術ってもんだ。」親父はそう言っていたが、ぼくの興味は今まで見たこともないような黒々しくて、何と言うか大人のアソコに釘付けだった。
「ここって名前なんて言うの?」Santa Feの写真のアソコを指差しながらぼくは興味本意で親父に尋ねた。
「そこはね、"ヴァギナ"って言うんだよ。」そう親父は答えた。
ヴァギナ・・・正確に言えばヴァジャイナかもしれないが、この"ヴァギナ"という響きが当時のぼくの中ではとてもいやらしく、ぼくの中の性の扉を開いてくれた、何とも言えない魅力を帯びた言葉だった。
それ以来、ぼくはたまに夜なかなか眠れない時は、「ヴァギナ..ヴァギナ..」と呟きながら、女の子のアソコを想像して、小学生ながらも興奮して密かに楽しんでいた。おちんちんをいじる知識もまだなく、ただムクムクっとおちんちんが大きくなるだけだったが、それだけでも当時のぼくには最高の密かなお楽しみだった。
成長して中学生になったある日、突然友達が「おっぱい揉みたいなぁ、まんこ見たいよなぁ...」って聞いてきた。
・・ん?"まんこ"...?その時のぼくにはまだ聞いたことのない言葉であった。
その言葉に導かれるように、ぼくはすぐに家のパソコンでまんこと調べた。
そこには小学生の頃、親父に見さしてもらったSanta Feのような写真がいくつかあった。
尚、とりあげられたからといって彼らが本当に幸福の科学信者かどうかが分かるものでは無いのであしからず
尚、この記事を書いている人は守護霊とか霊験がどういったものなのか全くわかってないのであしからず
やべぇ見たくなってきた(だが踏みとどまる)
日本映画学校在学時に先輩からの紹介でものまね専門のショーパブに出演するようになったのがお笑い芸人になるきっかけ。
藤原基央(BUMP OF CHICKENのボーカル)に扮して行う「オンリーロンリーグローリー漫談」が鉄板ネタ。
フジテレビの番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」のコーナー「細かすぎて伝わらないものまね選手権」では初出場した第20回以降、常に決勝戦まで勝ち進んでいる。
2012年にお笑いコンビ「アクセレーター」の安藤茂陽と伊根義玲とともに3ピースバンド「NAKAYOSI」を結成。魔法少女をテーマにしたラップと、アシッドハウスとグランジが融合したサウンドで徐々に人気を集めている。代表曲は「デリカD:3にのって」
2015年には「LADYBABY」とのツーマンライブを成功させ、
2016年には「ROCK IN JAPAN FES 2016」にてBuzz Stageに出演。ちなみにこのときもとおは藤原基央と初めての対面を果たし、「初対面なのにこんな格好ですみません」というコメントともに2ショットの写真を自身のTwitterに投稿した。このツイートは8000をこえるリツイートを集め瞬く間に話題となった。
趣味はフィギュア集めで、萌え系からアメコミ、果ては珍獣や実在の人物などジャンルを問わず集めている。そのコレクターぶりはフィギュアで覆い尽くされた部屋にいるのが耐えられないという理由で同棲していた恋人から別れを告げられたほど。(月刊ホビーカルチャー2015年3月号より)
また学生時代はバレーボールに打ち込んでおり、TBS系列「最強スポーツ男子頂上決戦」第4回大会では第4位にランクインし、運動神経の高さを見せつけた。
「バンバンジー」という名前のためかバンジージャンプをはじめとする絶叫アトラクションのレポーターを担うことも多々あるが、高所恐怖症のためとても辛いとのこと。
「日本映画が面白くない」のは、観客を育てなかった当然の帰結 - あざなえるなわのごとし
こういう義心溢れるジャンルファンを装ったオポチュニストがはてなに沸く度に吐き気を覚えるんですが、互助会云々以前にこういうのどうにかしたほうがいいですよね。
とはいえ。
俺だってあまり邦画を観るほうではない。比率で言えば海外映画10本に対して1本観てるか観てないかだと思う。その狭い視点でいえば、観るに値する邦画はやはり少ない。しかしそれがクオリティの問題だと断言するほど自分に自信はなく、単に受け手としての完成の欠如、文脈の欠落があるだけなのかもしれない。
ともかく、褒めるにしろけなすにしろ、漠然と言及するよりは対象を明確にしたほうがいくらか生産的だと思う。
そういうわけでここ二三年で面白かった新作実写邦画を十本ご紹介したい。アニメ? 2010年代最高のアニメ映画は『たまこラブストーリー』だって言わなくてもみんな知ってるだろうから別に? いいじゃん?
菅田将暉がバカかわいい弟役なのでバカかわいい弟ファン必見だ。
ここで挙げる映画としては適当ではないかもしれない。監督こそ日本人だが舞台も製作も韓国。才能ある映画人が「日本で映画を作らせてもらえない」と愚痴りながら海を渡って取り上げたクソジャップファック映画であるからだ。
とはいえ、白石晃士は『コワすぎ』シリーズでの評価の高まりもあってか、最近再び日本での仕事を、それも比較的(ハンバーガーからチーズバーガーになった程度の予算規模だが)大きな仕事を任されるようになった。良い子のみんな、『貞子 vs 伽椰子』絶対観てくれよな!!!
本作はいわゆるPOVモキュメンタリー・ホラーの一つの到達点。
『桐島、部活やめるってよ』で華々しい評価を受けた吉田大八監督の最新作。
前作で描いた思春期における漠然とした不安から一転、中年期の主婦の不安定な欲望を生々しく切り取る。
とにかく宮沢りえがエロい。相手役の池松壮亮は本作と『愛の渦』でセックス俳優キャラを確固たるものとし、最近では寺島しのぶや斎藤工なんかとラブシーンやらされてる。
綾瀬はるか・長澤まさみ・夏帆・広瀬すず、と今日本で最もアツい若手女優四人のアンサンブルがグルーヴィーな姉妹映画。
ずっと一緒に暮らしてきた上三人に、ある日とつぜん末っ子として加わることになった広瀬すず。
彼女たちの距離感と関係性、そして姉妹を取り巻く「海街」の日常が瑞々しい。是枝裕和しか、日本でしか撮りえない日本映画の最高峰。長澤まさみは直球エロくて、綾瀬はるかはにおわすエロさ。
一人で頑張って頑張って頑張ってるんだけどもうだめだよ〜
ってなってる自家中毒コミュ症は今すぐ観るべき映画。おばちゃんのがっかりおっぱいも要チェキ。
『冷たい熱帯魚』以来のエクストリームサイコジャップマスカー映画。
リリー・フランキーとピエール瀧が大量殺人鬼コンビとなって世の弱者をぶっこみまくる。
だんだんと憔悴していく記者役の山田孝之もいい味出してる。池脇千鶴は特に脱がない。
ウルトラ低予算で頑張って作ってちゃんとめちゃくちゃ面白くなった地獄コミュニーケーション映画。俳優の一人がこの前何かで逮捕されてましたね。
キョロ充の辛さや居心地の悪さが『桐島』以上のリアルさと俗悪さで浮き彫りにされている下衆の極みエンターテイメント。
「何か新しい映画を見たい」ならこれをオススメする。観てる間ずっと背中に悪寒を感じるけれども。
女子更衣室を盗撮したことがバレて地元の学校をクビになった教師が十年ぶりに故郷へ戻ってきた。
彼のビデオにたまたま今芸能人として活躍している元女生徒の百合セックスシーンが映っていたことから事態はあらぬ方向へと転がっていくノワールコメディ。
アニメじゃん? って? ちげえよ。こんなモブが背景でガチャガチャうごいてるアニメがあってたまるかよ。
岩井俊二はファッキンサブカルファシストどものキングであり、我々の永遠の敵でありますが、ナチスドイツがリーフェンシュタール『民族の祭典』を、アメリカの人種差別が『國民の創生』を生んだように、彼らもまた日本映画の傑作を生んでしまったのです。
最近、とある国民的人気グループからAV女優が生まれた。私は未見ながら、本番はもちろんなかなかに過激なプレイも披露しているとのことである。
気になるのは、その子を応援していたファンの気持ちだ。アイドルとして拝み、およそ少なくないお金をつかい、彼女がスターダムにのし上がる日を夢見ていた彼らは何を思うのか。ビデオは観るのだろうか。その実際は、私のような凡人には想像すら及ばないものだった。
この作品はつまらない、擬似である、観るに値しないという評価をつけ、多くの人の目に触れることを防いでいるのである。
なんという愛情だろうか。私はこれまで生きてきて、これほど深い愛に触れたことはない。アイドルとそのファンを結びつける愛情とは、もはや男女間のそれをはるかに超越し、親と子の情愛にほど近い性質を帯びるのである。
多くの人が、気持ち悪い、情けないと切って捨てるだろう。そんな人には、あなたはそれほどまでに人を愛したことがあるかと問いたい。宮沢りえのヌード写真集が出た際、あまりの衝撃に泣きながら自慰をした自分には辿りつけない境地であるように思える。
とりあえず、価格がもう少し下がったら観ることにしよう。
ある朝、っていうか今日起きて唐突に気づいた。天啓のごとく降ってきた。
年をとるからだ。
ブログ記事は基本的に長い。ルナールの蛇よりも長い。140字に慣れた人々には長すぎる。読むのは疲れる。
でも若くて時間がありあまった人たちは頑張って読んで、理解し、時には論破しようとする。ソーシャルネットの運動とはまさに長文の応酬であったはずだ。かつてのはてなもそうだった。村と呼ばれていた場所ではそうだった。村民たちは若く、暇で、知的な欲望に溢れていた。
だが、2014年現在のブログの記事は長すぎる。だが、2014年現在のブクマカたちは年を取り過ぎた。
年をとるとどうなるか。肉体が衰える、気力が萎える、自分たちを高く見積もりすぎる。
眼筋、視覚の衰えは今更説くまでもないだろう。年をとるとめっちゃすごい勢いでリーディングがめんどくさくなる。三分画面に目を向けるだけで眠たくなる。肉体的な疲れは精神的な疲れに直結する。アホなのに熱意だけは人一倍な新入社員が気合入れて作成した10ptゴシック体一万文字(推定)のプレゼン死霊をワードに出力した途端、椅子と一緒にこんなアホを俺に押し付けた上司のハゲを蹴って金を横領した宮沢りえのごとく逃げ出したくなるのは、俺だけではないはずだ。
そして何より自己評価の問題。少年たちは人は年をとるごとに知識を蓄積し、賢くなるものと思い込む。大人とはそれを間違いと認めるようなった人々だと言われるが、実は嘘で、大人たちとは自分たちはもう充分に賢くなったのでこれ以上学ぶ必要も変わる必要もなくなったと思い込む人々のことだ。
だから、目の前にある記事に新鮮味など感じないし、ましてや自分の予想を越える斬新な知見を提示してくれるとも考えない。そして、ちょっと目先を変えただけの釣りタイトルに釣られまくる。罵倒しまくる。なぜなら世の中は俺をイライラさせることしか能のないバカで溢れており、俺にはそいつらを第一印象だけで罵倒する権利があるからだ。
2000文字の本文に俺の人生を変えうる何かがあるとしても、関係ないし、読まないし、読みたくない。大人は自分の半径一クリック以内の現実に汲々とするだけで精一杯なんだ。大人とはハイパーリンク文化から、wwwの崇高な理念から見放される人々のことだ。
人間は誰しも年をとる。つまり、誰しもがろくに記事を読まずに知ったようなクソコメを打つ、クソおっさんブクマカになる可能性がある。
許してあげてほしい。あなたが精魂込めて練り上げた渾身の長文を、二秒であなたの存在ごと否定してきたとしても。
許してあげてほしい。わざわざidコール飛ばしてまで誤読を教えてやったというのにあのおっさんときたら無視しやがるんだとしても。
そういう大人たちを責めないでやってほしい。
彼らは年をとったのだ。
あなたも年をとるのだ。