はてなキーワード: 宮沢りえとは
というか午前中は怒濤のなんやかんやであっと言う間に過ぎてしまったわ。
お昼ご飯は
本当はニューヨークの街の人たちがやるように、
やっぱりこういうのは出来たて作り立て巻き立てが一番なのよね!
わかる?
それはさておき、
昨日スマホいじってたら、
下に出てくる広告でその人のチケットあるよ!って出てきてたので、
即ゲットよ。
ソルトレイクシティ公演はソールドアウトだっただけに嬉しいわ!
こんな都合の良すぎる広告ってあるかしら?
今までで一番私にハマった広告だわ。
せっかく頑張ってチケットぴあはチケットあるよーって言ってくれたのに、
まったく世の中擦ったもんだわ。
でさ、
もう私間違えて、
この大根すったもんだしといて!って言いそうになっちゃったわよ。
この勢いだけは認めて欲しい。
もうみぞれ鍋するのにどんだけ大根すり下ろさなくちゃいけないのよ!って
すったもんだだわっ!
うふふ。
なんだかツナがパサついてたけど、
まあ許容範囲よね。
知ってた?ツナで思い出したんだけど、
ネットオークションとかでは
ツナ缶作ってる所の人も熟成した方が出来たてより美味しいって言うもんだから
説得力あるじゃない?
リンゴもいい加減食べきりたいけど皮を剥くのが面倒くさいんだけど、
とピコ太郎さんのようには行かないわよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
一応ジョークも含めながら、という前提で聞いてほしいんだけれども
宮沢りえが下の毛も出した写真集は「性を消費させることで財に換金できるという事実を社会に膾炙した」ということにすると、
「おい、一発やろうぜ」と男性から声を掛けられるようになったことは
声を掛けられた女性の性と男性の財を交換しようという取引が行われようとしたことを指す。
宮沢りえがその現象の原因だとするのならば、宮沢りえがいなかった時には増田は女性であっても財と取引できない「ゴミ」だと看做され、誰にも声を掛けられることは無い。
それはそれで増田の中で自分の性はプライスレスなのであるなら良いのかもしれないが、多くは自分の性に対して本来は価値を付けられるべき(それが社会進出にもつながる)とも考えるだろう。
これにより男性と女性が性それ以外の部分でイーブンだったとするならば女性は静を売れるようになったということで社会的に優位になるわけだ。
逆に言うと、性を売れない社会にコミットしているということは男性と女性がその差分を埋めるなり努力しようとしているところに一つ制限を加えようとしているということに他ならない。男尊女卑的社会を認め、その体制を保守している勢力に他ならないのだ。
「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」が一例です。
「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。
同上。
あと、今回の問題の元になったラノベは「宮沢りえのサンタフェ」ではない。
突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。
「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。
理解した。
突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。
「一例」だけでは「具体的説明」とは言えない。
通ります。
いやがらせ、ハラスメント、いじめ、侮辱、強要など、定義は厳密でなくともその実態が悪質かどうかケースバイケースで判断される悪行は沢山あります。
それらの「定義が厳密でない」罪が本当に適切に運用されてるとお思いか?
虐めは野放しのケースが多いし、逆にセクハラは法に依らない私刑がまかり通る。適切な基準があるとは言い難いものばかりだ。
というかさ、「具体的説明」を求めてるのに「一例」って...
「突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われ」が基準というなら、
今回のラノベは「突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われたのと同様だということになるが正しいのか?
なんか、誠実に議論する気ありますか? 煽ろうとしてない?(追記。失礼しました、感情を制御できずに私の方が煽る書き方をしてしまいました)
ともあれ答えます。もちろんこれはまだ私個人の性的消費の認識に過ぎず、いわば草案ですが。
「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」が一例です。
実験などの特殊な環境ならともかく、日常の人間の行動で因果関係を証明するのは困難です。
突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。
「物を奪ったり」は「消耗」の概念ですか?
突然街で知らない人に「おいあんた、いい女だな、一発ヤろう」と言われて、怒りと恐怖を感じる、というのが一例です。
具体的でなさ過ぎて意味不明だが、要約すると「相手が性的と感じたあらゆることで相手を消耗させたら性的消費です」ということだろうか。
通ります。
いやがらせ、ハラスメント、いじめ、侮辱、強要など、定義は厳密でなくともその実態が悪質かどうかケースバイケースで判断される悪行は沢山あります。
今回はせりふが聞き辛かったな。
途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど
野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。
で、肝心の舞台ですが 重いです。
なので ちょっとまじめに書こうと思う。
昨日からずっと考えてた事。
好き勝手に書くのでご容赦を。
なぜ それをわざわざ触るのか?
といいたくなる題材。
きっと何か意味があるはず。
なんとはなしに感じてた事だけど
十把一絡げ に書いて申し訳ないけど
今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。
興味ないことへの興味のなさ度があからさま。
逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。
頭でっかち感。
現代の閉塞感のせいもあると思うけど。
「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。
「解った上で」やっている人とそうでない人。
「カチッ」と ハマってしまって
あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。
で、舞台の話。
なぜ今 この題材なのか。
野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。
幼子だった子も含めれば
そしてその子達の大多数は
どうして 暴走していく事になったのか。
目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を
これらをみて 感じて「考えて」欲しい。
こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。
「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。
そのことを忘れないために私は祈るしかない」
でも忘れてはいけない事が残るはず。
その事すら忘れる事がないように私は祈る。
このせりふが それを物語っているのかな。
決して 他人事ではない。
渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。
私にも。
そして、その可能性の濃度が濃くなっている
今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。
そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。
いや しかし 重かったなぁ。
いつもは戯曲とか買わないけど
そういえば、観客にエライでかい声で独り言を言ってる人がいました。
ああいう人は始めてだったな~。
二人の結婚の報道で私が最も感銘を受けたのが、宮沢りえ44歳、森田剛39歳という部分だった。女性側が5歳年上で、女性側が子供を自然に授かるには難しい年齢での結婚。私たち夫婦の結婚と同じ状況だったからだ。
どうにも、私たち夫婦の結婚に一言言いたくなる人は多いようだ。夫に「妊娠が難しい女性とわざわざ結婚する意味がわからない」と遠回しに言った人もいるし、子供を作らないのなら結婚じゃなくてもいいのにと言った人もいた。わざわざ5歳も年上の女性と結婚することを、とても奇妙で男らしくない、お前ならいくらでも若い子を嫁にできただろうと言った人もいた。私と夫は、ただともに生きていきたいと思ったから結婚しただけなのに、男性は自分より若い女性をもらうものだとか、女性は子供を産める年齢でなければならないとか、そういったことを押しつけてくる人や世間の風当たりにずいぶんと苦い思いをさせられてきた。そんな折の結婚報道だった。森田剛さん、宮沢りえさん、あなたがたがどのように考えているかはわかりませんが、結婚を公表してくれてありがとう。少しばかり、この社会を生きる勇気をもらえました。
及川眠子先生がデレマスの「未完成の歴史」という楽曲の作詞を担当することが公開されました。
及川眠子先生といえば、残酷な天使のテーゼを作詞したにもかかわらず、エヴァンゲリオンを一度も見たことがないことで有名です。
ですが、この話落ち着いて考えると、残酷な天使のテーゼに関しては終わった仕事だからいいとしても「魂のルフランのときにはテレビ版見ろよ」というツッコミもいれれます。
そこで、原作にあまり興味がない可能性が高い彼女が突然アイドルマスターのパーティーに呼ばれたら、困惑してしまいます。
なので、及川眠子さんの知り合いから知り合いへと10人挟んで、彼女をパーティーに招待しましょう。
かみさまから、「マルコ福音書にある言葉だ。神はひとりであって、そのほかに神はない」
後期クイーン的問題の本質とは論理的な誤謬の可能性ではなく、犯罪者を断罪する倫理的な問題への問いかけだから。
「マルコ福音書にある言葉だ。神はひとりであって、そのほかに神はない」から、さくらももこ。
2人は、ブレイブストーリーという熱い絆で結ばれている。
2人は、模倣犯とう熱い絆で結ばれている。
ちょっと待って!
終了ー。