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はてなキーワード: 自責の念とは

2022-12-09

anond:20221209153621

2022-11-15

anond:20221115014024

デリバティブマーケットの基礎を作ったのはテリーデュホンていう女性数学者だよ

意図せず自分が作り出してしまったブラックホールのせいで多くの失業者を生み出した事に自責の念を感じてホームレス支援団体を作ったりしている

2022-10-22

「生きづらい私は発達障碍者でした」を読み解く

「生きづらい私は発達障碍者でした」というタイトルツイッター掲載された漫画がある。名指こそされていないが、この漫画を痛烈に批判したはてな匿名ダイアリー投稿がここ数日、バズっている。

私はこの投稿を見て、元の漫画を知った。この漫画はもちろん描写は拙いし、よく書かれているわけではない。しかし、私は作者に書きたい内容があり、そこにはある程度の普遍性があり、結果としてエンタメになりうると思った。この漫画自分なりに読み解いてみたい。作品と、それに対する酷評へのリンクは一番下に載せてあるので、背景を知りたい方は先に見てみてほしい。

作者は何を伝えたいのか、そしてそれは伝わっているか

この作品は以下の流れで進行していく

1. 若い頃、仕事がどうしてもできない。努力をしてもうまくいかず、職を転々とする。

2. 結婚し、仕事を辞める。子ども生まれる。子どもが成長し、発達障害と診断される。

3. そこから自分発達障害かもしれないと思い、自分もそう診断される。

4. これまでの自分の生きづらさは自分の怠慢のせいではなく、発達障害のせいなのだと知り、気持ちが楽になる。

5. 自分人生はやり直せないが、せめて子どもを同じ発達障害を持つ身として親身になって支えてやれるかもしれない、という前向きな気持ちになる。

まずはっきりさせておきたいのは、この漫画では主観的に(もちろん客観的にも)発達障害を克服する(した)描写はない、ということだ。ライフハックを駆使して職場でのパフォーマンス改善したとか、婚活してなんとかいい男を捕まえて、家事だけして楽に生きられるようになった、という話は書かれていない。批判にあるような(王道漫画における)主人公の奮起・成長・挑戦・勝利などはこの作品に全く関係はない。そもそも作者自身発達障害を克服できていると思っていないのだから

たこ作品に、理解のある彼くん、という要素を見出すのは筋違いだ。そもそも結婚して子供が生まれた、というだけで、果たして夫が発達障害理解があるかすら書かれていない。伴侶ができたか人生が楽になった、という話にはなっていないのは明らかだと思う。

この作品において作者は自分発達障害を克服することはできず、また辛かった過去をやり直すことも出来ないが、発達障害を認め、前向きな意味(同じ発達障害を持つ子ども理解してあげられる)を見出す。これは受容の物語として読むべきだと思う。


ある意味で焦点がはっきりしている(必要な要素しか書かれていない)のでこの物語を克服者・成功者の語りとして読む人は理解できない。以下においてはこの話を受容の物語として読み、その普遍性について語っていきたいと思う。

このテーマ普遍性はあるのか?

あると思う。少なくとも私には感じ入るものがあったし、発達障害もつ人間にとっては十分に共感できる作品だと思う。

私は(診断こそされていないが)明らかにADHDで、中学生高校生の頃には大変苦労した。当時は発達障害という言葉一般的ではなかったので、この作者のように、怠慢であると周囲に思われていたし、そのため自己評価が本当に低かった記憶がある。

この作品を読んで、大人になり、ADHDという言葉を知って衝撃を受けたことを思い出した。自分宿題を出したり、授業に集中できないことは自分が悪いのではなく、あくま発達障害というものだったのだと知ることで、自分過去をやり直すことはできなくとも、何か気が楽になった。また、ADHDのことを知ることで、自分の将来をより良いものにしよう、という前向きな気持ちができた。

このような経験は、発達障害を持つ人間には珍しいものではないと思う。少なくとも発達障害という言葉を知らずに、自責の念に苦しんでいた人には刺さる内容なのではないか、と私は考える。

発達障害文脈を超えた普遍性はあるか?

私はあると思う。どうしようもできないこと(発達障害に限らず)があって、それを克服できないまでも、そのことを前向きにとらえよう、という話は小説映画などによくあるテーマだ。

私の好きな映画に「海よりもまだ深く」という映画海街diaryと同じく是枝裕和監督)があるが、これもまさに上のようなテーマで書かれている。一冊だけ売れた冴えない小説である主人公が、自分人生を受け入れられずあがくが、裏目にでるばかり。母、別れた妻、子どもとの一夜を通じて、自分の上手くいかなさを受け入れ、前向きに背筋を伸ばして歩き出す、というのがこの映画シナリオになる。この映画前後主人公の状況は何もよくなってはいない。ただそのままならない状況を受け入れ、そこから一歩踏み出そうとすることが作品における救いになっている。

この例のように、うまくいかない自分を受け入れ、前向きに歩き出す、というテーマフィクションにおいては特に奇異ではないテーマだ。「生きづらい私は発達障碍者でした」という作品は、描写稚拙で駆け足であるという問題点はあるにしろ、その伝えたいテーマ普遍的で、エンターテイメントとして成立しうる要素があると思う。

終わりに

昨今、強い言葉作品を斬って捨てるという批評がもてはやされる傾向にある。しか作品を読むということはもっと地味で、注意を要するものではないか私自身は何か批評の専門的な教育を受けたわけではないが、作者の意図理解し、誠意をむって向き合うことをしてきたつもりだ。この文章を通じて、作品を虚心坦懐に読み、丁寧な読解を心がける人が一人でも増えればと思う。

以下に作品へのリンクと、はてな匿名ダイアリー投稿リンクを載せておく。

https://twitter.com/fukufuku_diary/status/1581977574023913472

https://anond.hatelabo.jp/20221020011014

またはてな匿名ダイアリーの中で一人、簡潔にいい批判をされている方がいたので、その人の投稿へのリンクもここに載せておく。自分と同じことを考えている人がいたので、少しほっとした。

https://anond.hatelabo.jp/20221020130547

2022-10-04

anond:20221004181234

「私の失敗をカバーしてくれて、ありがたかった」くらいの自責の念申し訳なさが足りないのでは?横

超絶甘やかされたとき経験を恥ずかしげもなくオープンな場で「いや〜あの上司の行動は最高でしたねぇ!」

2022-10-03

anond:20221003153153

痛みは誰かが意図的に与えるお叱りや体罰などのことじゃなくて、負けた悔しさとか自責の念かのことなんじゃないかなあ

2022-10-02

職場発達障害者に潰される

とある日、辞令が下された。

ある人(勤め始めて5年以上は経つ)が私の所属している部署に異動してくるという、一見なんでもない辞令だった。

しかし、部署内の空気は重かった。

なぜなら、彼はもう3部署も飛ばされている、言わば問題児だったからだ。

Aさんの始まり

彼の武勇伝は、彼が入社した当時にまで遡る。

研修も終わり、配属先が決定した当日、伝説となる発言を放ったのだ。

「私は発達障害持ちです。フォローをお願いします」

配属先である部署人達は、唖然としたという。

なぜなら、彼は正社員雇用だったからだ。

弊社では障害者雇用も行っているため、そういった方々も多少は採用されている。

しかし、クローズ正社員雇用をすり抜けた挙句雇用が本決定した途端に告白し、開口一番こちからフォローを求める発達障害者は初めてのケースだった。

障害者雇用であれば先例があるためこちらも動きやすいし、せめて面接時に「発達障害だ」と告白してくれれば、部署内で多少の受け皿を用意しておくぐらいは出来たのに。

これでは発達障害言い訳にしているとしか思えないし、発達障害に適した環境を用意することも出来ない。

部署の方からこの話を聞いた時、まぁとにかく驚いたものだ。

しかし、法律ではクローズは罰せられない。

面接時に必ず申告しなければならないとも定められていない。

という訳で、同じ部署の方々は何も抵抗できず、この発達障害の方(以降Aさんとする)のフォローに奔走することになる。

Aさんのその後

話はとんで1年後。

Aさんの異動が発表された。

そのまた2年後。

またAさんの異動が発表された。

その間にも、あらゆる部署からAさんの噂は絶えず流れ込んできた。

ここまで特定人物多種多様な噂話を聞くのは初めてで、何も知らないながらも大変そうだ、といった印象は受けていた。

そう、この時の私は印象を受けていただけ。

Aさんの問題っぷりをあまりにも舐めていた。

何も分かっていなかった。

そして遂に、私の所属する部署にAさんが異動してくることになったのだ。

ちなみに勤務年数で言うと、Aさんは私の先輩にあたる。

が、この部署での勤務年数で言えば、勿論私の方が長くなる。

そのため、私を含め部署内全員でAさんと指導をすることとなった。

Aさんの問題行動

もう一度言う。私はAさんをナメていた。

実際に共に仕事をすると、今までの人達はこんな人と付き合いながら仕事をしていたのかとあまりの大変さに敬服した。

例えば仕事を教える時。メモ1つとっても、以下のような症状が見られるのだ。

メモを取らない

・とったメモを無くす

メモをとったことをそもそも忘れる

メモが見つかっても内容がぐちゃぐちゃすぎて参考にもならない

・酷い時は教えてもらったこ自体を忘れる

これでは迂闊に仕事も任せられない。

1つの仕事を任せる度、1人がAさんについて、1つ1つ懇切丁寧に教えていく。

回教えれば何とかなるものでもない。

健常者の新人とは違って、そのままの意味で任せる度に教えなければならないのだ。

まり、Aさんが仕事をする度もう1人の労働力が無くなることになる。

これでは人件費はむしろ赤字だし、効率も下げている。

だがAさんの厄介さはそれだけに留まらない。

そう、発達障害故の特性だ。

優先順位をつけられない

不文律理解できない

・凹みはするが反省ができない

PDCAサイクルを回せない

自分立場役職に適した言動が取れない

他者を思いやった言葉遣いができない

・全て思い込みで行動してしま

・人の助言・アドバイスを受け入れられない

これらはいずれも、我々が指摘・注意した際に「発達障害なので…」と言い訳された言動の一部だ。

特に厄介なのが、「人の助言・アドバイスを受け入れられない」だ。

こちらがどれだけ優しく

「誰でもミスはするからね、気にしないで」

「どこまで分かってるかな?すり合わせしてみよう」

「初めからできる人はいいから。一緒にやってみよう」

と寄り添っても、指摘されたという事実だけにフォーカスして、

「褒めて伸ばして欲しい」

「なんで皆いじめるんだ」

「私がミスしないよう環境を整えて欲しい」

と暴れ馬になってしまうのだ。

こりゃ大変だと、様々な対策も打ってみた。

Aさん専用のマニュアルを作ったり、不文律を手順書に明言したり、仕事を同時に複数個与えないよう配慮したり、進捗を定期的に確認したり…それはもういろいろだ。

しかし、結果はダメ

マニュアルより思い込み優先で動いたり、手順書の存在を忘れたり、やるべき事ではなくやりたいことを優先させてしまったり、進捗を確認しても「出来てます」と虚偽の報告をされる。

そしてトドメは「発達障害なので…」という言い訳だ。

勿論そんな人には本当に簡単仕事(もはや仕事とも呼べないレベルだが)しか任せられない。

いや実際にはコピー掃除などの仕事すら満足に回せていない状態なのだが…

そんな状況でも、我々は諦めなかった。

閑散期には彼にもう一度仕事を教え直したり、誰かとグループを組んで共に仕事をしたり、打てる手は打っているつもりだった。

しかし、我々が耐えているのと同時に彼も我慢していたのだろう。遂にこう騒ぎ出した。

「なぜ仲間はずれにするんだ」

自分だけ仕事を教えてもらえない。パワハラだ」

「なぜ皆自分を育てようとしてくれないんだ」

恐ろしいことに、彼は自分仕事ができる、もっと仕事を任せてもらえて当然だと思い込んでいたのだ。

ここまで来て、全員が彼を諦めた。もうお手上げなのだ

Aさんの今

こう言ってはなんだが、私が所属している部署ホワイトだ。

今まで働いてきて人にネガティブ感情も抱いたことも無かったし、むしろいい人ばかりだ。

しかし、全員が限界を迎えた今。

表には出さないが、もう、誰もAさんの話をまともに聞かない。

実は今年、新入社員がこの部署に配属された。

しかし既に何かを察したのか、もうAさんに確認をもらったり、助言を求めたり、仕事説明をしてもらったりすることが無くなった。

どうやら、彼女所謂仕事ができる人らしい。

まり、上から下までAさんのことは眼中にないのだ。

悲しい話だ。しかしそれはそうだろう。

こちらがどれだけ寄り添ってももっともっと強請り自分は何も与えないどころか足を引っ張るのみ。

何かミスすれば発達障害なので…を言い訳反省もしない。

その癖自己愛自己評価は高く、傷つきやすく、現実とのギャップを埋められるだけの能力もなければ、改善策も実行しない、考えることもしない。

そんなAさんの傍若無人っぷりは今も健在だ。

皆耐えている。社会人でいたいから、加害者になりたくないから、解雇する権利がないから。

必死我慢している。

なぜ我慢するのか?

自分仕事をする為に会社に行っているからだ。

発達障害者の面倒を見るために、重い体を引き摺って通勤している訳では無い。

我々はママでも介護士でも先生でもなければ、会社学校でも就職支援センターでもない。

発達障害者の面倒を請け負って仕事を倍こなしても、給料も上がらなければ手当も出ない。

寧ろ、自分たちの1/5も仕事をしていない人間と同じ給料で働かされていると思うと、怒りすら湧いてくる。

もはや、Aさんを起点に部署全体がどんどん悪い方へ向かっているのだ。

分かっている。この状況はAさんにも我々のためにもならない。

もうAさんには直接言うべきだろう。

やりたいことと出来ることは違うと。

だってそんな簡単なことすら、発達障害者は分からないらしいのだ。

綺麗事配慮で、ミスマッチは埋められない。

指導方法だけで、ミスマッチは埋められない。

仕事が出来ない人と仕事をするのは、こっちだって辛いのだ。

彼さえやめれば元の職場に戻るのに…と、心がどす黒いもので埋まっていく感覚は、何とも言い表せない不快感がある。

そして痛々しい位に、苛つく自分自身への自責の念と、怒りの感情葛藤で追い込まれる。

そして遂に、私たち部署から1人退職者が出た。

もう耐えられないと。

会社が動かないなら自分が動くしかないと。

私は同士であり、友人でもあった彼女を止めることなどできなかった。

発達障害者と合わなくても自分を責めないで

Aさんが異動してきてから、私は嫌という程思い知った。

発達障害は甘くないと。

発達障害者と共にやっていけないという声が上がる度、その内容や考え方に怒る「発達障害擁護派」はちまたに溢れかえる

お恥ずかしい話、私も当初は「発達障害者も平等仕事が与えられるべき」と軽く考えていた。

だが今なら断言出来る。彼らは発達障害者のサポートフォローに苦労した経験がないのだ。

こういった人達は、総じて私と立場が変わった瞬間に掌を返すだろう。

きっと誰だってこうなる。なぜなら人間聖人じゃないのだから

そもそも、同じ給料を貰う以上、極端に効率が悪い人がいると不満が出るのは自然な事だ。

特に私のケースでは、正社員として雇用された上で発達障害者のフォローを求めるところがそもそもおかしかったのだ。

健常者と働きたいなら、健常者と同じように雇われたなら、健常者と同じ効率や働きぶりを求められるのは当たり前だ。

こちらがそこに関して配慮する必要性は感じられない。

勿論、ここで述べたような人間とは違う、もっとまともに働いていらっしゃる発達障害者の方もいらっしゃるのだろう。

そういった必死努力している方の事は応援したいし、能力を適切な場所で発揮してもらいたいとも思う。

しかし「周りが支援して当然」の声にはもう我慢ならない。

こういった、発達障害者における愚痴を発すると

障害理解のないおまえが悪い」

「健常者なんだから我慢しろ文句を言うな」

勉強不足だ」

もっと手をさしのべろ」

発達障害の人には〇〇のように接しないとダメ

「悪気はないんだから許してあげて」

と叩かれることが往々にしてある。

どうやっても、健常者の負担無視されるのだ。

そもそも、片方のみに負担を強いるその精神に異議を唱えたい。もはや異常だ。

なぜ他人のために不利益を被る必要があるのか。

なぜ一方的相手負担を強いるのか。

これらの何がおかしいのかも分からないお花畑っぷりに、グロテスクさを感じる。

健常者だからという理由だけで、我々の人生イージーモードだと思っているのだろうか?

そんな訳がない。みんな自分人生必死だ。

なぜ健常者が理解を深めなければならないのか?

なぜこちらがそこまでのコストを払わなければならないのか?

支援は当然だという声には、こういった反抗心すら覚える。

かに足を引っ張られた時に、無限に、穏便に手を差し伸べられるほどの余裕は無いのだ。

こう言ってはなんだが、生産性マイナス人間は働かずに生きれるよう、福祉もっと充実させるべきだと思う。

障害年金などでは足りない。

普通仕事をしなくても生活できるように社会的な補助が必要だ。

後は作業所で働けば生活できる程度の給料は貰えるとか。

もしくは、フォローする人には別途手当を与えたり、給料を増額したりといった、メリットがあると思わせる程度の手当が必要になるだろう。

そちらの方が、発達障害者に取っても、我々にとっても、お互い適度な距離をとって友好的に接することができるのではないだろうか。

労働という効率生産性を求められる場から離れれば、我々はもっと上手い付き合い方ができるのではないだろうか。

どうか、どうか。

我々を助けていただけないだろうか。

加害者になどなりたくはない、そして被害者にもなりたくないのだ。

最近福祉への祈り、人事の辞令だけを希望に床についている。


転載元: 職場発達障害者に潰される|あんきも

https://archive.ph/2022.08.26-152931/https://note.com/tender_tulip463/n/n6bfa6436ae65

この告発文はタブー視されることなく広く議論喚起されるべきという観点から転載しました。

2022-09-27

山上モデルに『セヴンティーン』みたいなの書くのはセーフ?

主人公「おれ」は自涜に惑溺している少年である。「おれ」は過剰な自意識を抱えて他人の目に怯えている。「おれ」は死について、自分が無になることについて、強い怖れを抱いている。十七歳の誕生日食卓で「おれ」が自分の中でもあいまいな考えで皇室批判自衛隊批判を口にしたところ、自衛隊病院看護婦をしている姉から着実な理屈で論駁されてしまう。「おれ」は逆上して姉を蹴りつけてしまうが、そのことにすぐ後悔し、自責の念にまみれながら、逃避的に自涜を行なって寝る。「ああ、生きているあいだいつもオルガスムだったらどんなに幸福だろう」


翌日は、古文定期試験の日だったが「おれ」は試験に全く歯が立たない。試験が終わり、東大志望の優等生の連中は小賢しく試験問題の論評をしている。クラス剽軽ものの「新東宝」は試験問題下ネタにしてクラス女の子を笑わせている。どちらも「おれ」には疎ましい。試験の次の時間は体育の800m走であった。「新東宝」は「おれ」が密かに恋情を抱いているクラスのマドンナの杉恵美子に「マスをかくやつはすぐへたばる」と怪情報を流したと冗談を言う。「おれ」は他の走者より完全に遅れてゴールインする。ゴールインしてみると「おれ」は走りながら失禁しており皆の嘲笑の的となった。


絶望しながら自治会をさぼって帰宅の途につく「おれ」に「新東宝」が声をかけてくる。右翼街頭演説サクラにならないかという。右翼サクラをやっていることは「新東宝」の秘密のようである。連れ立って新橋駅前にいくと街宣車の上で「皇道派」の逆木原国彦が演説をしている。演説は全く盛り上がっていないが、逆木原はまったく気にせず演説を続ける。「あいつらは売国奴だ 、ヘドだ 。おれは誓っていいが、あいつらを殺してやる」「諸君自分の弱い生をまもるためにあいつらを殺しつくそう、それが正義だ」「おれ」はこの言葉に胸を打たれる。


気がつくと後ろに三人組の女事務員がおり「おれ」を指差して「あいつ、《右》よ、若いくせに。ねえ、職業的なんだわ 」と言っている。逆木原演説に感化された「おれ」は他人の目を跳ね返す力を得ており、こう怒号する。「 《右》がどうした、おい、おれたち 《右》がどうしたというんだ、淫売ども!」これをきっかけに「おれ」は「皇道派」に入党し、家を離れ「皇道派本部で暮らすようになる。「きみは天皇陛下の大御心にかなう日本男子だよ、きみこそ真の日本人の魂をもっている選ばれた少年だ!」


「おれ」の学校での立場は180度変わる。「皇道派」のサクラを隠れてやっていたことが負い目の「新東宝」が宣伝係となって、俺の《右》としての武勇伝学校中で広める。「新東宝」によると、800メートル走での「おれ」の失禁の失態は 、懲罰的ランニングをさせた体育教官への「軽蔑の 《右》的表現」ということになった。自治会の《左》の秀才が「おれ」に議論をふっかけてくるが、「おれ」は自分自身がかつてあいまいな考えのままにしていたところを突くだけでよかった。杉恵美子は「おれ」に興味津々の目でいう。「あなたみたいに時代錯誤の 《右》少年防衛大学にでも行くことね 」


「おれ」には他人の目が怖くなくなってきた。逆木原に性欲を抑圧せず「トルコ風呂の女にきみの男根をひともみさせるんだね」と言われたとき不安だったが実際にいってみると杞憂だった。俺は「鉄串のような男根」を持つ男だった。「おれの男根が日の光だった、おれの男根が花だった、おれは激烈なオルガスム快感におそわれ、また暗黒の空にうかぶ黄金人間を見た、ああ、おお、天皇陛下!燦然たる太陽天皇陛下」。「おれ」は他人の目を克服したこと、そして自分天皇陛下の御子であることを確信する。


「おれ」は逆木原書庫天皇陛下ときあかす書物を探し出す。谷口雅春の 『天皇絶対論とその影響 』を読み、求めていたものをかちとる。 「《忠とは私心があってはならない》」 「天皇陛下精神も肉体もささげつくすのだ。私心を棄てる、おれのすべてを放棄する!」「おれ」は自分があれほど恐れていた死の恐怖からまぬがれているのをさとる。逆木原が「七生報国天皇陛下万歳」と書いてくれた稽古着で「おれ」は柔道空手に熱中して取り組む。


安保闘争国会デモでは「おれ」は十万の 《左》どもに立ちむかう二十人の皇道派青年グループの最も勇敢で最も兇暴な最も右よりのセヴンティーンとなった。デモ最中女子学生が死んで、デモ隊が打ちひしがれて泣きながら黙禱していた時、「おれ」は強姦者のオルガスムを感じ、黄金の幻影にみな殺しを誓う、唯一人の至福のセヴンティーンだった。

セヴンティーン - Wikipedia

2022-09-18

戦争には戦犯がいるのに、経済崩壊させても無罪なのすげ〜よな

日本第二次世界大戦大敗して誰が悪いかも明らかになったし裁かれたよね。まあここの知識曖昧なので勘弁して。

でも日本経済を30年かけて滅亡に追いやってきた人々は一切裁かれず、むしろ最も富と名声を確保してきたわけだ。政治家に限らずあらゆる日本人がそれに該当するからなんだろうが、いくらなんでも酷すぎない?今の子供を本気で殺しにかかってる事実をどう思っているんだろう。自分達が何をして何をしなかったかを少しでも理解すれば自責の念に駆られるはずだが。

今の高齢者って何も感じないの?

2022-09-15

[]川崎ドローで16試合勝利も昨年王者価値ある勝ち点1。山本が同点弾。17札幌戦こそ!!

明治安田生命J1川崎F1-1オレオレFC>◇第32節◇14日◇等々力

 オレオレFCアウェイ川崎フロンターレと1―1の引き分けリーグ戦16試合勝利となったが、貴重な勝ち点1を掴んだ。後半16分に先制点を許したが、同29分、途中出場のMF鈴木潤ラストパスに反応したMF山本自己最多となる今季8点目のゴールで追いついた。逆転とはならず、暫定16位に下がったが、昨年王者と互角の戦いを演じた手応えを胸に次節18日、ホームでの北海道コンサドーレ札幌戦で17試合ぶりの白星を目指す。

 【写真1】後半29分、山本が同点ゴールを決める

 【写真2】川崎引き分けオレオレFCイレブン

 一昨年からリーグ連覇を果たしている川崎相手クラブ初のシーズンダブルはならなかった。それでも試合後の選手達は悔しさを見せながらも、表情は充実していた。

 DFシャルソンMF秋葉スタメンから復帰し、ベストメンバーで臨んだ一戦は3ボランチの3―5―2を採用。立ち上がりから相手の強力3トップにただ引くだけでなく、アグレッシブプレッシャーをかけ、相手ミスを誘発してシュートまで持ち込むシーンもつくった。前半は0―0。相田満監督ハーフタイムラインを高くしながら、ウィングバックとインサイドハーフはサイドの背後とハーフスペースをダイアゴナルしながら狙うように」と指示した。

 後半16分にCKの流れから失点したが、それでも声を掛け合って守り抜くと、後半29分、途中出場のMF鈴木潤が左サイドから相手をかわしラストパス。それを受けた山本が冷静にゴール右隅に決めた。「鈴木パスが良く、吉田さんがDFを引き出してくれた」と振り返った。昨年はレッドカードで退場した後に決勝点を奪われ「自分試合をぶち壊した」と自責の念かられた等々力で、背番号10が躍動した。その後もチャンスを作り、シュート数では川崎の6本を上回る15本を放ったが、決定力を欠き、逆転はならなかった。

 相田監督は「数ミリ、数秒のミスも許されない相手との戦い。選手達は臆することなく、ハードワークしてくれましたが、勝ちたい試合だったので悔しさと勝たせられなかった責任が強い」と悔しがった。しか鬼木達監督は「終始、相手の術中にハマってしまった」と悔やみ、日本代表DF谷口も「痛い勝ち点1。相手サッカーが僕達のやりたいサッカーだった」と言わしめるほど、王者を苦しめた。

 G大阪磐田福岡引き分け神戸勝利したため、暫定16位に後退。18位京都、19位福岡との勝ち点差は2に縮まった。それでも山本は言った。「誰もこの結果には満足していない。だけど、手応えもある。それを次に繋げたい」。視線は18日の札幌戦に向けていた。勝てなかったが、希望は見えた。次節こそ17試合ぶりの白星を目指す。

2022-09-02

anond:20220902224111

スルーして死んだらどーなる」

↪︎ 他に救命者が期待できない場所で死亡したとき保護責任者遺棄致死の罪に問われる。見殺しにしたトラウマ救命記事を見るたびにフラッシュバックして自責の念に囚われるだろう。スルーリスクより救命リスクを重く捉えるのは、おそらく正常性バイアスだ。

ただの通行人は要扶助者になりえないので保護責任者遺棄致死の罪に問うのは無理です。訂正してください。

現行法では通報しなかったことで罪に問うことすら不可能です。

あと、赤の他人死ぬ程度のことでPTSD発生なんてありえるんでしょうか?人間は忘れる生き物なので無理じゃないんですか?

女性 AED 頻出質問

[B! 医療] 【調査】女性に“AED” 男性4割「ためらう」 上半身裸に抵抗 専門家「必ずしも…」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

よくある質問が見られるので、この機に回答をまとめる。

「その場にいる女性ではなく、なぜ男性に使わせようとするのか」
↪︎ 女性がいるとは限らないから。心肺停止から3分放置で脳は死ぬ女性を探している1分が勿体無い。

「ブラ紐をずらすだけで良いのに、なぜ脱がそうとするのか」
↪︎ 一分一秒を争う事態では、生死に関係ない判断をしてられる余裕がないから。
女性 AED社会問題理由
↪︎ 実際にAED使用率に差があるから高校生へのAED男子には8割以上が使用されているのに女子は6割以下にとどまっている。外国調査ではここまでの差はない。本邦では女性に生まれる = 突然死のリスクが大きい を意味する。これは性差別問題だ。
緊急事態なんだから、迷わずAEDを使えばいいだろ」
↪︎ 調査によると8割以上の女性AEDを使われるのに不快感抵抗感があるらしい。ブックマークニュースコメント欄にも、自分や娘に使ってほしくない、と表明する女性はたまに見られる。
女性AED救命しようとして訴えられたケースがあるのか」
↪︎ ない。訴えられて負ける怖れはないとされている。加えてネット中の男性が味方になってくれるだろう。
「ならば何故、女性 AED を躊躇うのか?」
↪︎ 訴えられるリスクがあるから訴訟を起こす権利はあるし、女性視点では意識朦朧とした最中に服だけ脱がされた状態になる。無防備なのをチャンスとみて通りすがり男性強姦を仕掛けてきたのかもしれない。AED を用意したのはアリバイ作りかもしれない。脈や呼吸を診たりの救命行為の途中で AED が届いて、「救命必要なし」と判断されたら、意識を取り戻した女性認識は、軽症なのに見知らぬ男性身体接触している、となる。民事訴訟を起こしたりネット拡散したりする可能性は否定できない。
「なぜ訴えられること自体を恐怖するのか」
↪︎ 性の問題は連日ネットニュースを賑わしている。セクハラ・性加害で訴えられて職を追われた事件も多い。逮捕された容疑者の時点で実名報道され、その後に勝訴しても第一報ほどセンセーショナルにはならない。最初しか観てない人は彼の顔と名前悪人として認知しているだろう。一度訴えられてしまえば普段通りの日常を手放さなければならなくなる怖れがある。
「訴えないってキッパリ表明する女性が少ないのは、どうして?」
↪︎ 自分は訴えないと表明しても、訴える女性が現れる確率は下がらないから。救命者を装った性犯罪者存在可能性が0%だとはいえない。
スルーして死んだらどーなる」
↪︎ 他に救命者が期待できない場所で死亡したとき保護責任者遺棄致死の罪に問われる。見殺しにしたトラウマ救命記事を見るたびにフラッシュバックして自責の念に囚われるだろう。スルーリスクより救命リスクを重く捉えるのは、おそらく正常性バイアスだ。
女性AEDをしない言い訳ばかりする男性、なんなの」
↪︎ ミソジニーの男には、この話題女性への当てこすりをする好機だから。女に無視され見捨てられたのを、女を見殺しにするぞと開き直ることでやり返す。
「なぜ女性 AED問題が取り沙汰されるたび、男性批判者が殺到するのか」
↪︎ 男性性全体が不当に責められてると感じるため。女性救命率が低いという差別的状況は、女性の性を過剰に丁重に扱えと要請する社会の歪みと男性加害者存在が原因なのに、女性AED問題を指摘するニュースは「女性配慮しながら救命する方法」とか「人垣を作って」とかばかり。救命時はしのごの言わずに命を優先しろ、のようなことは言わない。さらなる社会の歪みを生み出し、女の死を男の勇気のせいにする。

2022-08-12

anond:20220812055448

物心ついてから牛乳石鹸を使ってたけど、いつだったか広告ポスターが肌に合わなくて使うのやめたな

今日も若手社員を泣かせてしまって、

自責の念でいっぱいです。

さ、洗い流そ。

ってやつ

久々に見直してみたらやっぱ天然物のやべー奴って感じで笑ってしまった

https://www.j-cast.com/photo/2017/08/16306004.html?num=2

2022-07-10

結局やるべきことの半分もできずに寝転んで焦燥感自責の念で苦しむだけで休日終わった

俺の人生の縮図みてえな休日だった

2022-06-09

カリソメの希望絶望なのか

希死念慮で爆発しそうな夜、いかがお過ごしですか?

迫りる朝

ものすごいスピードで回っている(気がする)時計

眠れないことへの自責の念

将来への不安

生活の悩み

などなど…

ちっぽけなことが少しずつつ溜まって、

溜まったのを無視しているとある日突然、やつはやってくるんですよね。

希死念慮

死ねばすべて解決する!という元も子もない論理武器に、頭の中でありとあらゆるポジティブ抹殺してゆく…

悪魔思考だ。

現在希死念慮打率は九割。

残りの1割はNetflixぼんやり眺めているアニメに食いついて、悩みがどうでも良くなったときだ。

まり何が言いたいのかというと、なかなかの強敵だということだ。

希死念慮自分自身でもある。

自分の強みも、弱みもすべて理解している。

戦うのには骨が折れる。

今日はどうしようかな…

こうやって文章を考えてる間に諦めて帰ってくれないかな…と淡い期待を寄せる。

八百万の神様。今だけは味方になってください。

2022-05-21

失敗したら落ち込む癖をやめたい

例えば人前で失言すると失言したことに落ち込んで

やらかした、またお前はやらかした、なんて愚かなんだ、人に対してこんなデリカシーのないことを言って、誰もお前を愛さない」

などと自責の念で頭がいっぱいになってしまい、本来やるべき、失言リカバリーするためにどうすべきかを考えることができなくなってしま

冷静に考えられていれば失言いくらかつくろう発言をして傷口をある程度抑えられるのだろうが、

それができずにただただ落ち込んで思考停止に陥ってしまうので傷口も広がり放題になってしまうばかりだ

それで後になって「あの時せめてああ言い足しておけば多少は誤解も解けてましな流れにできたのに、誰もお前を愛さない」と余計にしんどくなってしま

失言しても慌てず冷静に考えるように努めればいい話なのだが、それを実行できれば悩まないわけで

なにかい方法はないだろうか

2022-05-16

anond:20220516201906

あのさ、中学生とかが性的暴行受ける事件とか実際心が痛いじゃん?

でも、犯人気持ちもわかるって事、ない?

娘が居たら心境変わるんかね?

流石にリスク高いし、自責の念に耐えられるメンタルはないから実行に移すことは永遠にないが、本能的な部分で中高生いかがわしいことしたい気持ち、お前らは皆無なん?

ニュースになるようなクソキモい犯罪者共を、自分を棚に上げてお前らは責められるん?

恋人山芋皮ごとすり下ろし人間だった……

ショックだった、カルチャーショックだった。

山芋の皮はピーラーで剥くものだと思ってたから……

食卓はところどころ茶色とろろ醤油トットット……

とてもじゃないけど……食えた!うまかった!栄養もあるみたいよ。

恋人とは普通に浮気バレて別れた




追記

おもいのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー

自責の念からのこの投稿を? じ、じねんじょ……落とせませんでした。

いやーこれめちゃくちゃいい線いっとるでキミ。

自然薯ってのががじつにね。

もうね、あとちょい。あと一おしで落ちるねこれは。

ワイなら『浮気なんて糞のやることです!自然じょ……自然消滅のほうが100倍マシです!』で落とすかなー

フンスッ!

自責の念どこいったアドバイスおじさん)

2022-05-10

困難からの逃げ

あああ。もういやだいやだいやだ

この気持ち誰に吐き出せばいい?

困難から「辞める」という形で逃げればいいよ。今後困るのは貴女だよ。

いままでありがとうございました。時間を返してください。と言いたい。悔しい。悔しい。

たくさんのことが重なってくる。一気にくる。

死ぬってのが「一番つらい」の表現なの?

いま大変なんじゃないの?また同じ道に進むの?

相談する人には、自分の心の苦しいものを少し負担させてしまう、っていう自覚がほしい。

ああ。もう逃げたい。けど死にたいとは思わない。ああ。引きこもって自分世界に入れば楽だろうけど、しばらくして後悔して

自責の念かられることがわかっているからそうしない。入っても短期間にとどめておかないと本当に心が折れるかもしれない。

ああ、明日からどう考えて生きていけばいいのだろう。割り切れないことってあるんだね、あきらめないと。

2022-04-29

ルックバックでわからなかったとこ

さらルックバックの話なんだけど、ファンの人が感動しているポイント自分はまったく感動できなくて、逆になんで感動するの?と思ったので、教えてほしい

 

藤野京本小学校卒業式出会い一緒に漫画を描くことになった世界世界A)では、二人は数年一緒に活動したのち道を違えることになり、美大に進学した京本キャンパス侵入してきた通り魔に襲われて死ぬ

藤野は、京本自分出会っていなければ美大に進学することもなく、ひいては通り魔によって命を落とすこともなかったと思って自分を責める

一方卒業式出会わなかったほうの世界世界B)でも京本世界Aと同じ美大に進学し、同じように通り魔に襲われるが、たまたま藤野に助けられる

藤野小学校ぶりに漫画を描くのを再開したと京本に話し、雑誌に連載することができたらアシスタントになってくれと彼女に頼む 二人の友情がここから始まることを示唆して世界Bのほうのエピソードは終わる

 

藤野京本卒業式出会っていようといまいと、いずれ京本引きこもり自発的にやめて美大に進学して通り魔に襲われていたのだから藤野自責の念を抱く必要はない、という結論はわかる

しかし、それと同時に、卒業式出会っていようといまいといずれ藤野漫画を描いていたし、二人は出会って友情を育んでいた

藤野漫画を描くことになった」「二人は友達になった」はどっちも藤野人生にとってトップクラス重要出来事

世界Aと世界Bのどちらでもその二つの出来事は起こる ただし世界Aでは京本死ぬ

だったら世界Bの方がよくない?

卒業式の時点で二人は出会ってなければよかったんじゃないの?

なので「じゃあ藤野ちゃんはなんで(漫画を)描いてるの?」という京本の問いかから始まる一連のエモいシークエンス(はっきりと言葉にされるわけではないが、「京本に読んでほしかたから」という藤野気持ち表現されている)も萎えしかなくない?

世界Bでは「京本に読んでほしい」というモチベーションがなくとも漫画を描いているのだから世界Bの話を挿入することは、世界Aにおける「京本に読んでほしかたか漫画を描いてきたし、これからもそうする」という決意を感動的なものにするどころか「え、じゃあ出会ってなくてもいずれは漫画描いてたし、京本通り魔に襲われた時点で藤野漫画家になってなかったら京本は死んでなかったんじゃん、後味悪〜」と思わせるだけなのでは

少なくとも自分はそうだった

みんなあれの何に感動したの?

2022-03-28

一年後の俺

風当たりの強い面接官にビクビクしながら何十回と面接に落ち、「心が折れた」と増田書き込み、条件を妥協しようとすると両親からバッシングを受け、また何十社と面接に落ちて、「もうメンタルボロボロ」と増田書き込み、ようやく条件を落としたところでやはり就職できず、「何のために空白期間を作ってまで資格を取ったのか」と自責の念に苦しみ親からも責められ、運良く就職できたとしても即戦力などあるわけもなく、新卒と同じように教育に手間がかかるのに新卒に比べてバイタリティも知能レベルも劣っており、職場のみんなから疎ましがられ、能力の低さから試用期間で契約解除され、「もう二度と社会復帰できない」と増田書き込み、誰からも見放され、自殺する勇気もなく、ただただ精神的にも社会的にも落ちぶれていく。

最も絶望なのは一年後にこうならないために今の俺に出来ることが一つも思い浮かばないことだ。

2021-11-18

anond:20211118180715

その逆のパターンで、ポンコツなのに公〇党のコネとかで入社できて、もらいすぎてる場合は、自責の念でガンとか変な病気になりそうだね

2021-11-17

私がこれからでも大人になる方法

誰にも話せないのでここで吐かせて欲しい。

32歳既婚女。

子供2人いるのにいつまでも自分が幼稚で自活力のない人間だと感じる。

過去自分決断に後から後悔してくよくよするところがあるのだが、今色々なことが重なって「そもそもまれてきたことが間違いだった」と感じてる。

周りの同世代はどうやって大人になったのか知りたい。

自分で圧倒的に足りてないと思うのは責任感が無いところ。

自分決断責任を持ちたくないし、人に決めてもらいたいと思ってる。

から何かあったとき責任を持ちたくない。

自分でも性格悪いし幼稚だなぁと思うけど、後から「あのとき私が決めてしまたから」と自責の念に駆られて消えたくなるからできるだけ避けたい。

あとは考えも甘いなぁと感じてる。

今、過去自分の甘い考えで決断したことに大きな後悔をしていて、周りの大人と比べて自分に足りないところってなんだろうって考えた。

どうしても自分の育ちが原因なのではと考えてしまう。

生い立ちを書くと、

母子家庭一人っ子で育った。

幼少期はDV祖父と、怒ると周りが見えなくなって家中徘徊する叔母と、怒りっぽい祖母と、母と同居してた。

小学校はいじめられてて、ストレスによる腹痛で朝起きることが多かったけど

「仮病使うな!」と祖母にキレられ小学校6年間は皆勤賞だった。何にも嬉しくなかった。

小学校高学年では〇にたいって日記とか詩をかいてた。

母親アダルトチルドレンだった。

母の気に入らない選択をすると不機嫌な態度を表してきて(言葉には出さないけど不機嫌な顔になりため息をつく)、そうするとその場に立っていられないほど目の前が真っ暗になってめまいがしてた。

でも母は病弱だったので自分が支えてあげないといけないと思ってた。

自分の家庭がおかしいと思ったのは結婚してからだった。

子どもが産まれた後、何故か「これからあなた(私の子供)が一番可愛い。お母さん(私)は2番目」と順位付けされたり、

第一出産後に不思議と幼少期を思い出して、母親に「子どものころもっと一緒にいたかったなぁ」と話したら「そんなこと今更言われても仕方ないかあなたの家庭で頑張ったら」と言われ泣いた。

そのあとも突然「あなたは人に厳しいのに自分に甘い」と言われたり、

出産後に一度同窓会があり、母に子供を預けて22時半ごろ帰宅したら

子ども置いてこんな時間まで出歩いて母親失格!」と言われたこともあった。

それまでは母に言われるがままに「なんて自分ダメなやつなんだろう」と思っていたけれど、

こういうことが積み重なってようやく「そんなに言われるほどなのかな?」と思うようになった。

いとこも親戚も疎遠で他の家庭を見る機会が無かったので、結婚後に夫の姪っ子を見て「小学生ってこんなに明るいんだ」と驚いたこともあった。

母親離婚した父はデキ婚だったので、なんか私のせいで人生狂わせちゃってごめんねとも思うし、育てられないなら生むなよって怒りでぐちゃぐちゃになる。

いい歳してまだ親のこと言ってて恥ずかしいけどこんな感じ。

上記のことを何度も自分昇華しようとしたりカウンセリングも行ったけど、未だに許せない自分は幼稚だなぁと思う。

子ども責任もって育てるけどこんな母親なのに慕ってくれて申し訳ない気持ちになる。

こんな自分でも自分人生責任持てる日は来るのかなと思ったり、周りの人たちはどうやって大人になってるのか気になる。

憂鬱気持ちになったとき過去を思い出して育ちのせいにしてしま自分と、育ちは関係なく自分ダメ人間なだけなのか分からなくなる。

2021-11-16

ただひたすらダルいという理由相談ができない

人に、相談ができない。

多分相談ができない人の多くは、なんとなく話しかけづらいとか相手迷惑をかけやしないかといった配慮が強い人、というのが多い気がする。

自分も、そんな思いやり溢れまくり人間から相談ができないと思っていた時期もあったのだが、そういう人は自分のことを思いやりあると思っていなさそうなので違うなと気づいたのが大学に入った頃だ。

なぜ相談できないかといえば、ただダルいからだ。

これは、何を相談したいかを整理するのが大変とかともまた違う。気がする。

大学院生なのだが、研究上の相談全然できる。それは、相談しないと怒られが発生するのを知っているからだ。

そういうときの私は、きったねぇ数字の羅列となっているエクセルを、部屋に踏み入った特殊清掃員が吐くレベルから初めてお泊りにきた彼氏玄関先で愛想笑いを浮かべて帰るくらいのレベルに整理して相談にもっていくわけだが、そこに申し訳ないとか自責の念はまったくない。

どんなに私がカスのしぼりクズみたいなスカスカ相談をしても、研究室の人は大変ひとが良いのでなんとかなるよう協力してくれる点にはbig感謝である

まぁもしかしたら秘密裏に呪われており、藁人形臓物のあたりを執拗に叩かれているのかもしれないが、あれだけデータ整理を手伝ってくれるなら内臓ダメージ程度惜しくはない。

相談できないのは、主に自分の身に関することだ。

自分の身に関することについては特に相談しなくても怒られない。つまり相談というクソだるだり作業をする外部要因がなくなるわけだ。

割とよくあるのが、遊びの予定に打ち合わせが被ったことを当日までいわないとかだ。わざとじゃないし怒るような相手でもない。2、3人なら日程の再調整を相談しても良いものだろうがなぜか前日ぐらいに39度の熱がでたことにしてしまう。相談するのがダルいからだ。

進学や進路相談でも特に相談というものをしてこなかった。これは金銭的に進学自体を危ぶむ必要がなかったことを親にまず感謝すべきではあるが、それにしても進学先も学部も親しい友人はもちろん家族にも一切相談せず、行き先だけ伝えた。

就活でも面接等身大に悩んでいると印象よさそうという打算から就活で悩むことベスト10みたいなランキングメモって特に悩んでいない今後のキャリアプランを聞いてた気がする。

周りは相談しない私のことを意思ちゃんとしてそうとか自立してそうとなにかをオブラートに包んで評してくれるが、相談しないのはカタブツとか頑固とかでもない、ただひたすらに怠いだけだ。

自分の適正を見極めず、進路方向間違えてめっちゃめちゃになっても、別に怒られは発生しないのなら、私は相談せずにアクセルを踏み抜いてそのまま日本海に落下したい。ただそれだけなのだ

実際進学先の大学学部死ぬほど肌に合わなかったのとコミュ障なことも相まって、4年生まで話せる知り合い0人だったが、それも特に誰に相談するでもなく、グループワークもほぼ初対面の同級生と組んでなんか卒業した。留年して学務に相談する羽目になるなら一人で卒業するほうが怠くないからだ。

一人でやっていけるほど能力的に有能でも鋼のメンタルを持っているわけでもなかったので辛い夜もあった気がするが、それでも何もしなかった。相談するのが本当になにより怠かったからだ。

そういえば高校時代には逆に、同級生にややヤバめのストーカー(同性)がいた。そしてそれも特に誰にも相談しなかった。ここで話すのが初めてだ。

ガラケーメールが日に50通くらい来て、パケット通信料が心配にはなったがそれよりなにより周りに相談するのが怠かったのでしなかった。夜の10時に呼び出され、ナイフを突きつけられたときは流石にこれで死ぬのは嫌だ〜となったが、普通に家まで送ったあと誰に話すでもなく帰って寝た。

思い返せば結構あれだったが、渋谷駅のコンコースで5時間くらい立ちっぱなしで私に進路の相談をしていたので、相談上手という意味では彼女に軍配が上がるかもしれない。


こうして振り返ってみると、自分の周りのことについても相談した方が結局面倒がなかったと思われることが多い気がするが、それでも今あのときに戻れたら誰かに相談していたかと聞かれると間違いなくしていないと思う。

ちなみに現在進行系だと、最近臓器に難治性の疾患があるのが発覚したのだが怠すぎて誰にも相談していない。

最近といいつつもう3年位経つのでさすがに親くらいには話しておいた方がいい気もしているが、考えただけで怠いので困る。

昨日午後休の間に進んでた話が、「あれ、これ私の責任?」みたいな話があって、やや自責の念に駆られているんだけど【To Doを明確にせずに 私が何も言わずにやるもんだと思い込んでいること】をそもそも変えた方がいいと思うので ちょっと全部私のせいみたいに言われてもなぁ…と五割くらい思ってる。

2021-11-15

自分の頭思い切り4回殴った

クラクラする

中学生くらいからなんか癖でやってしま

そもそもあのとき自責の念に駆られてたけどやっぱりというか別に自分の落ち度じゃないんだよなぁ

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