2023-09-23

anond:20230923003118

キリスト教信仰盲目的な受容ではなくて個人と神との間の契約なのであって、個人言葉を発して信仰告白をして洗礼を受けるというプロセス重要。(幼児洗礼という儀式もあるが、その場合は成長してから堅信礼がある。)

これは社会における人間関係にも反映されていて、キリスト教圏では盲目的な滅私奉公は決して良いものとは見なされない。中世ヨーロッパ封建制度における主従関係も主従の間の契約によって結ばれるものであって、家来に求められるのもあくまでも契約範囲内での忠誠であり、家来の方から主従関係契約を解消することもできる。この点が盲目的な忠誠を求められる日本封建制度における主従関係との大きな違い。

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