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2018-06-05

anond:20180605141745

高校は私も納得できないことが多かった。

小学生団体行動しなければならない」わかる。

中学までは義務教育」まあわかる。

高校は、好きで来てるんだろ、おとなしくしておかないとご褒美をとりあげるぞ。」←わからない。(小学校ときこういうひどい先生にあたったことがある人は異論があるとおもいますが、公立はめったにいないとおもう。とにかく自分とこの場合こういう感じだった。)

ちょっと教頭より上に話すべきときが来ているように見える。

もしお子さんにテニスやらせてもらえないことなどによる鬱症状か、

または強いこだわり、眠気がでていたら2か月くらいいやがっていても医者にかからせて診断書をとる。

(こだわりについて発達障害の診断が出ることも視野に入る)

 

診断書という公的ものがあれば学校という企業トップ

担任先生おかしな点について、また対処、今後の処遇についてまともに「相談する」気が出てくると思う。

うつ病は命にかかわる病気だということも社会的認知されてきた。

子供自分医者にかかろうなどということは全くできない。親がいうまでシャツの裾が外に出ていることさえわからない。

自分健康状態未成年には全く判断できないし手続きもやれないので、

発達障害/鬱と親がレッテルを張ってしまっては将来が・・」とかいう妙な遠慮はしないほうが逆に将来のためにもよい。

 

自分の子の例だと大学受験障碍者枠になった。

卒業までまともなクラス替えはしてもらえず(文転さえ禁止された)、

テストだけ机にしがみつくように受けて40点以上をとり、

保健室登校卒業可能出席日数をゆびおりかぞえて乗り切った。

大学になってからようやく本当に勉強が好きだった自分をとりもどしつつある。

高校おかしい。この子理不尽に耐えられない。

それを3年間手をこまねいてみていると本当にダメになってしまうので、行動してください。

自分は遅すぎたとおもいながらできるだけのことをやった、不幸中の幸いルートだったとおもっている。

(ちなみに生徒側も例年になくひどい子がいる学年で、担任諦観以外のことをなにもしていない感じ。

社会でやったら犯罪だっていうのが1人、民事訴訟ものが1人。

よくみんな我慢できたなとおもったら浪人率が例年になくすごいらしい)

2018-05-26

朝課外って結局なんだろうね

とりとめのない文章すまんね

朝課外というものがある。学校によって呼び名が違うかもしれないが、1限の授業の前に実施される授業のことであり、0限と言った方が通じるかもしれない。

九州にある高校はだいたいやってる。

7:30前には登校して、45分程度の授業を受ける。それを3年間繰り返す。母校は3年になると8限目も追加されたので実質9限授業でセンターまで走らされる。

これがとんでもなく辛かった。まじで。

この朝の授業は、学校強制でなく、PTA学校に頼んでやってもらってるという体裁を取っている。(じゃないと、教師副業か何かに接触してしょっ引かれるかなんかだったと思う) 生徒は年間1万円ぐらいを学校に支払う。

かに、追加1万円で受験対策とかやってくれるというなら、予備校に通うより安上がりだが、我が母校においては教師の質が追いついてないのは明らかだった。ぶっちゃけタデサプリを見てた方がマシだと思うことが多々あった。

少し自分の話を書く

通っていた学校が、息をするように国公立信仰を説く高校であったため、みんな国公立を目指して勉強していた。私も。

すると突然「朝課外受けません届」(不受講届)が年度始めに配られるようになった。これ幸いと思い、出した。(根本的に授業が役に立たないのと、文転したので理系の朝課外を受ける意味があまり無かったため)

もちろんお偉い先生に呼び出しをくらった。「受けない人がいるとみんなの士気が下がる」とか「みんなで受けて頑張って欲しい」だとか言われた気がする。(私1人の不受講で揺れ動く士気もどうかと思った。)要は強制。「強制ということですか」とこちらが聞き返せば、曖昧お茶を濁された。(「今、先生はそういう話したくないかな」とか言われた気がする。意味不明だった)

それでもなんとか粘って、理系教科だけの

、不受講の権利を手に入れた。しか学校には来て自習しろと言われたので自習室に引きこもった。勉強してたら、教頭とか教務主任がやって来て、「なんで朝課外出てないんだ」と頭ごなしに怒られたこともあったなあ。

もちろんまわりの友達はみんなきちんと課外を受けていた。3年間通して見ると、正規の授業数しか受けない人より何倍も勉強したはずだ。実際、真面目に出席するクラスメイトたちを一番身近で見て来た。

なのに、私の代の国立合格者数はほぼ最低に近かった。クラスメイトの半分は、私立へと行ってしまった。あの時間はなんだったのだろうと思う。

ここまで書いておいてなんだが、朝課外が一切合切全部悪いとも思ってない。むしろ自習が苦手な人などは半ば強制の方がありがたいのかもしれない、とも最近思う。完全廃止が難しいことも分かる。だったらせめて選択制、週3などにする選択肢はないのか。福岡代議士かどなたかが朝課外問題について取りあげているとも聞いたことあるのでゆっくりと動向を見守っていきたい

2018-04-21

法律に詳しくない法学博士別におかしなことではない

三浦瑠麗の件。

https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/

東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。

なんか「法学博士なのに法律知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。

まず、日本大学の多くでは政治学法学部で教えられている早稲田大学明治大学には政治経済学部があるが、東京大学京都大学慶應義塾大学北海道大学名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。

まりそれらの大学政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる学位も「博士法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学たからといって法律教育を受けているとは限らない。

なので、法学」の学位を持っている人が全て法律専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治研究者かもしれないし、ドイツ近代史研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。

学部学位名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学哲学心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、博士文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学知識がないのに「博士文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本大学学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士法学)」も同じことだ。

もちろん、デタラメな法知識知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人twitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗擁護余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。

だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。

あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。

なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。

2018-03-13

https://anond.hatelabo.jp/20180307150402

皆さんと同じく老婆心ながら。

進路を変更することを「逃げた」と思う必要はないし、他にやりたいことのためなら「逃げた」って良いし、今「逃げた」としても人生先は長いから戻って来たくなったら何十年後であっても戻ってくれば良いと思います

受験を通過するための手段としての数学とそこから一旦離れるかもしれないこと、趣味として長く続けるかもしれない数学、そして希望進路は分けて考えてみてはいかがでしょうか。

「(学部は問わず京都大学キャンパスで学びたい」ということであれば実現する方法理系学部進学以外にもあるでしょうし、どうしても京都大学理系学部に進学したいのであればまだ時間はたくさんあるように思います。ぎりぎりまで粘ってみてから私立文系進路変更するのではダメですか?(そしてできれば、その際「諦める」「逃げる」と考えるのではなく、「他にやりたいことを見つけた」と考えられると良いかと思います

今は目の前の挫折感で頭がいっぱいになってしまっているかもしれませんが、人生はとてつもなく長いので、長い目で見ると「大学受験の時に文転した」というのは本当に本当に些細なことで、どなたかが書いていらっしゃいましたが「配られたカードの中で最適な選択をして、なるべく毎日楽しく生きる」ことは理系でも文系でもいくらでも実現可能だと思います

自分よりも優秀な人がたくさんいる環境に居られるということはとても恵まれていて、素晴らしいことだと思います。そしてそれはあなたが今まで頑張ってきたからこそ、でもある。

周りの優秀な人たちとの競争は一旦置いておいて、「大学の4年間を楽しく過ごすために自分大学で何を学びたいか」考えてみていただけると良いかと思います大学で学んだことを生涯の仕事にするかもしれないし、どこかの時点で全然違うことを始める気になるかもしれないし、先のことは計画しきれないことも多いので、「ひとつ選択で(あるいは挫折で)人生が決まってしまう、ダメになってしまう」なんてことほとんどないですよ。

あなたがどんな選択をしたとしても、楽しいことがたくさん待っていますように。

2018-03-11

頭がよいが気が弱い子が威圧されると鬱になるという話

家庭要素

一人っ子大人にかこまれて育つ、優しく最初から大人としてのふるまいができる

文字が読めるようになるのが早く、小学校時点で客観的にかなりおちついて賢いので「学者」(理系)などになることを期待される

・静かなところを好む

・親は高学歴

 

高校

・始終威圧的言動をするクラスメイト男子場合が多い)がでてきて「教師へのいいつけ」などでも全くコントロールできない(教師体罰などといわれることを恐れ口頭でやさしく指導するのみ)

・進路を高一時点で理系かいたが最後文転できない、理系教師は「●●くらいできなければだめだ」といって一方的に煽る

・体調を少し悪くして出席できない場合、「担任教師もだれも」プリントノートをとどけてくれない。悪くすると春に配る教科書夏休み過ぎまで3か月届かない。

いじめ、校内盗難PTA総会でロッカーにカギをかけさせてくれと質疑しても「持ち物チェックができなくなるからそれはできない」一点張り、それでいてお金定期券をなくしたのは自分のせいにする(体育の前に預かるという話になっているが実効していない)

・親戚もマウンティング威圧?してくるように感じられ、ストレスを受け止めきれない

(親の対処の項をここに書いていたが増田雰囲気が悪く、何を書いてもすぐ毒親といわれることと、悪用されないとも限らないので削除、とても大変だったとだけ書いておく)

 

 

学校側で最初からやってほしかった解決手段

ロッカーにカギをかけてよいこととする。

威圧的な生徒に対応できない場合文転自習、転校(通信制)などの容易化

 

それでも卒業した。それでも大学生になれた。文転できたのはセンター受けたあとだったから受け入れてくれる大学なんていわゆるFランだけど。

なんでこんなに無駄な労力を払ったのか、なんで子供がこんなにつらい3年間を送ったのかと思うと、学校制度に怒りしかない。

最初からソフバン高校とかニコニコ高校とか行ってればもうちょっと勉強のものの楽しさを知っていたと思う。

 

 

以前の

https://anond.hatelabo.jp/20170213025232

2018-01-07

anond:20180107150944

なるほどね。そういえば、たしかに、進学振り分けを使って、自分文転して文学部に進もうか考えたことがあった。

結果的に、文学部だと就職が悪いので、工学部に進学したけど。

2017-09-26

anond:20170922053438

エリート「概ね正しいw」

賤民「は?お前優秀なんか?海外いけや!文転しろや!本当に東大生か?」

2017-02-07

大学やめたい

大学やめたすぎる。この1年ずっと思ってる。大学受験とき適当に進学先決めた自分ぶん殴りたいし何ならぶっ殺したい。国試受かれば就職余裕^^じゃねえんだよハゲ受験期飲みまくったアルコール脳死んでんじゃねえのか。

動物別にきじゃないしテストしんどいし何よりこの大学全然合わない。中高6年過ごしてきた環境と違いすぎて無理。友達や学務の人はいい人多いけどそれを補って余りあるほどに大学カラーが無理。こんなクソ田舎大学生エンジョイ(笑)してるやつら脳にウレタン詰まってる、間違いない。お前らがBSEなんだよ。あー無理。くたばれ。

パッと見楽しい大学生活送ってると思うけど、内情がドロドロしすぎてしんどいtwitterでのオフパコしたされた問題より全然聞いてて気持ち悪い。全部壁の向こうの話に聞こえる。第一皆なんでそんな獣医に対して意識高いの。変だよ。

なんで6年生までやんなきゃいけないんだ、留年しないのにセルフ理科大かよ、留年やすいところもほんと理科大、ただし偏差値教育レベル理科大以下。ていうか中学校以下だろ、サル山の猿教育してんのか?日光猿軍団か?教授が聞いたことない本物のFラン卒とか大東亜学士しかもってないとか割とどうかしてるでしょ。ここ音大とか芸大みたいな芸術系大学じゃないのよ。今時私立中高の教員でも旧帝なり院卒なんてそこそこいるだろ、頼むからドカタやっててくれ。人を教育するレベル人間性を持つ人間が少なすぎる。猿相手にはちょうどいいのかもしれないけどさ。

から編入考えて近くの国公立サイト見まくってるけど、仮に編入したとしてストレート卒業でもギリギリ三浪就職アウトじゃん、もういっそ文転して再受験してニッコマあたりに入って底辺人生適当にやりたい。卒業ナマポ、なしではないよね。新卒文化死んでほしい。ていうか社会死ね保育園落ちる前に日本へのヘイトが溜まりまくっている。

やる気なさ過ぎて留年すると思ってたけど今年は免れそう、ってそんなのどうでもよくて、成績の良しあし以前に精神が持たない。ドカタバイトトラックの運ちゃんに理不尽に怒鳴られてたほうがまだ精神的にマシだった。これが人生か?ならさっさと自殺したい。

大学卒業まであと何年もあるけど普通に留年はするだろうしそもそも卒業するまでに入院自殺かどれかだと思う。大学やめないと死ぬ

という事を明日スクールカウンセラーに話してきます

2016-12-27

凄い今さら感があるが、Deep Learningのフレームワークchainerの作者が日本人だと知って、開発者サイト覗きに行ったら、すごく珍しい苗字で良く知ってる名前で、すぐに知人だと気づいた。

いやいやいやいや、どうして彼方と此方が陸続きだと言えるのだろう?

半信半疑の目には、大人びた雰囲気が加算されてたら小さめの実写アイコンじゃ全く分からなくて、プロフィールをつい探してしまった。修士卒業2012年浪人たか一年違いで、つまり動機だ。学部。どこだったかな。さらに辿ったら、中学高校......54期生とあります自分もそうです。本当にありがとうございました

紛れもなく、一時期一緒に登校してたくらいには親しかった(と自分が思い込んでいた)元クラスメイトだった。

好きなテレビ番組のどんなSEなら今の心境にあうのか、みくりさんじゃあるまいし、俺には全く分からない。

まだ高校生だった頃、文転する前も彼がお昼休みに知人と黒板を囲んで議論していた内容はほとんど分からなくて追い付けない感じがあった。そして今、卒業から十年以上経過してニライカナイに行っちゃったんだなという自分勝手寂寥感に襲われてる。

任天堂岩田さんの同級生みたいにいつか語れる?そんな贅沢ができるほどにはまだ、自分の道は到達線には程遠い。言葉も出てこない。

2016-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20160627215042

理系にいろ。文転して何になる?何にもならない。何も身につかない。

数学が嫌いでも、数学科に行かないかぎり問題ない。ただし勉強はしとけ。

理系からといって、言語社会科学勉強しちゃはいけないわけではない。

大学に行ったら(というか今からプログラミング言語を学べ。

大学を出たら(もしくは大学にいるうちに)企業しろ。そのために社会科学への興味が大いに役に立つ。

2016-06-27

文転を考えていますアドバイスをください

現在高2で理系クラスにいますが、数学がどうしても好きになれず文転を考えています。好きな科目は現代文化学、嫌いな科目は数学世界史自然科学より社会科学の本を好んで読み、社会言葉に興味がある、将来やりたいことは特に定まっていない、という状況です。

はいえ以前は数学が得意で、ずっと自分理系だと思っていたので、この文転したさは一時の気の迷いなのでは… という思いもあります。一人では決めかねています、どなたかアドバイスください!

 

 

6/28 10:45 追記

思っていた以上にたくさんのご意見をいただいて驚きつつ感動していますありがとうございますブコメを読んで少しずつ考えがまとまってきたので、いくつか補足させていただきます

まず、これは私の書き方が悪かったのですが、単に数学が嫌だから文系に行くというわけではないです。文系に行けば数学から逃げられるとも思っていません。

高2になって始まった理系数学の授業が予想以上に大変で(平均点前後はかろうじてとれているが、授業を聞いて問題を解くのが苦痛)、数学ぜんぜん楽しくない! というところから、「考えてみれば私はそもそも自然科学に興味がないのでは…?」と気づいた感じです。生物化学の分野でやりたいことがあるならこのまま理系で頑張るべきだと思いますが、むしろ社会学あたりのほうが自分の興味関心に合うような気がしてきたので……

社会でどんな人材が求められているか、どんな学部があとあと楽か私にはわかりませんが、「就職に有利だから理系」みたいな決め方はしたくないという意識がありますせっかくだからやりたいことをしたい……まだ具体的には何も決まってないけど……

高2の夏なら選び直しに伴う負担がまだ少ないので、今なら間に合う! 文転ってどうなんだろう? と思ってはてなの先輩方にご相談した次第です。id:tick2tackさんのご指摘の通り、「自分の中では決まってるけど背中を押してもらいたい」という状態に近かったかもしれません。

さいわい選択変更の申請〆切までまだかなり日があるので、社会科学分野のなかで特に自分の関心に合うテーマはなにか、本や大学パンフレットをいろいろ読んでじっくり探したいと思いますありがとうございました!

2015-10-05

父を捨てた話

幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。

父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。

父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。

兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。

近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。

私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。

兄は大学上京して私と父は2人暮らしになった。

その後、私は中学受験をして中高一貫女子校に入った。

兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。

高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものから、同じ大学に行きたいと思うようになった。

私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。

成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。

ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。

金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。

お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。

そのとき初めて、父に不信感を抱いた。

学校友達相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。

高校で学年1位の子は、東京大学合格圏内なのに地元公立女子大しか認めてもらえないと言っていた。

彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。

担任先生進路指導先生相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。

成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。

地元はいわゆる難関と呼ばれる大学ひとつあって、父はその大学を勧めてきた。

でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。

そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。

兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。

その日は全く話し合いにならなかった。

高校3年生の夏、帰省してきた兄に初めてこのことを相談した。

兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。

私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。

でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。

兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。

そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。

ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。

全部、兄は禁止されていなかった。

女子校入学したのも、父の強い希望だった。

それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。

父は私を縛り付けたかったのだろうか。

そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。

毎朝の行ってきますキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。

本当はずっと嫌だったけど、ルールからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。

兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。

そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。

父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから

親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。

でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。

父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。

2月受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。

理系キャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。

いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。

父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。

高校卒業して、3月中旬友達卒業旅行に行くと言って東京に行った。

もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。

東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。

募集人員も少なく、馬鹿みたいに難しい試験だった。

もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。

合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。

認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。

後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。

そのとき初めて、父を怖いと感じた。

宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。

私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。

支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから

3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。

東京に着いて、仕事帰りの兄と落ち合った。

しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。

2度目の父の激昂だった。

でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。

帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。

後日、同じく上京していた高校友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。

父も休日上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。

入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。

自由になったような気がした。

熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。

いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。

兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。

私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。

アルバイトお金なんてほんの足しにしかならない。

からと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。

結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。

成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。

ただただ自分が恥ずかしい。

あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。

親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。

でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。

このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。

2015-01-29

初めてじゃなかったCの思い出

今やプログラミングといえば、Webなどで使われるような高水スクリプト言語中心のアプリケーションプログラミングが主流だ。

そんなこともあり、もはや以前の低レベル言語によるシステムプログラミングの苦労など、タダの昔話である

そこに来て、実際は齧った程度の分際で、性懲りもなくそんな昔話を書いてみる。


今も昔も、基本的に難しい仕事無茶振りから始まるものだ。

少なくとも10年位前に自分が手がけた(押し付けられた)仕事はそうだった。

大学で初めて触ったC言語しかポインタからないで止まっているような奴に、電文の再配信プログラムを任せたのだから


客は「遅延が絶対許されないシステムなのでJavaとかPerlとかはやめてねー」とにこやかな笑顔かつ笑ってない目で注文してきた。

そうなるとC/C++くらいしか事実上選択肢がない。

このうちC++は、Java経験がある自分からしても仕様が膨大かつ複雑すぎて、とても手に負えないと感じ、必然的にCで書くことに。

勿論Cの言語仕様がKR本一冊で収まるほどコンパクトであっても、それが簡単であることを全く意味していないというのを開発早々に思い知らされたのだが。

あ、Cと言えば電文提供側の機関が受信用のスケルトンプログラムを一応は用意してくれていたが、どう見ても電文受信中に接続が切れた時のことを考慮していない内容で、全く参考にならなかった。

その時点で相当ヤバいである


コード書きにおいては、例え一人屋台の俺ルールであろうが、コーディング規約のようなもの絶対必要である

その時のルールは「gccオプションに"-Wall"を入れた状態で、Warningゼロになること」にしてみたが、その途端、日付変更線をまたがない限り退社できない生活が始まった。

というかオブジェクトを使えないだけでも地味に辛いのに、更にCの言語仕様コンパクトである以上に原始的と言っていい代物で(だからWarningは基本無視できないのだ)、しか言語仕様以外の環境依存要素が山積していると来たもんだ。

そんな言語システムコールだらけのコードかつ複数ファイルディスクリプタの同時監視(即ち非同期でノンブロッキング)しかマルチプロセスシグナルもあるよ!とか、お客さんは俺を殺す気か、そもそも完成させる気無いだろとか、今だったら思う(当時はそう思う余裕もなかった)。

仕方なく最初のKRに加えて「UNIXネットワークプログラミング」をわざわざ東京に出かけてまで買って読み漁った。

後にも先にも、古今東西の名著と呼ばれるような本を、泣きながら読んだのはこの時だけだったりする。

そこまで凄い良書なのになんで絶版になったんだか。


いかし、それでも「子供を殺しても死なない」、かなり前の処理での領域破壊のせいで突然プログラムが止まっちゃうなどなど、やればやるほど問題が出る。

シグナルを受信し、仕様のとおりに処理するのがこんなに難しいのか!と途方に暮れたこともあった。

そして途方に暮れても解決の手段になるような便利なツールもなければライブラリもない。

結局、「ある程度正しく動いたら、あとは出来た所まで」で勘弁してもらってようやく開放されたが、今でも当時の自分仕事ぶりには全く満足していない。

無駄に頑張ったというか、頑張っただけの仕事であり、折角低レベル実装というCの本領発揮分野の案件でありながら、スレッドmalloc()、可変長引数は遂に習得できなかった。

こういうプログラムって、どうやったら正しく動かせるんだろ。


このような経験を経て、後年、Cやシステムプログラミングを指してギークな人々が

Cはとても高効率ですし、マシンリソースもドカ食いしません。残念ながら、Cがそれだけの効率性を実現するには、あなた自身が低レベルリソース管理(たとえばメモリ管理)を手作業でやってあげなくてはならないのです。それだけ低レベルコードがあると、複雑でバグも起こりやすいし、デバッグですさまじい時間をとられることになります今日マシンはずいぶん強力になっているので、これは通常は悪いトレードオフです――マシン時間を少し非効率に使っても、あなた時間をずっと効率的に使う言語を使うほうが賢明でしょう。

本物のプログラマアプリケーションプログラムなど書かず、まっさら金属板にゼロから書き込んでいく。アプリケーションプログラミングなど、システムプログラミングのできない弱虫のすることだ。

と言っていたことは正真正銘の事実であると痛感した。

あと、あれほど苦手だったポインタについても、「ポインタ理解できないと永久にC初心者」というのを嫌でも理解した。

あれはギターのFコードやSEALsのヘルウィークみたいなもので「習得できなかった者にとってはキャリアの終わりを意味するが、習得できた者にとっては始まりですらない」ものなのだ


・・・で、これだけで終わってしまうと本当にタダの黒歴史だが、これには少しだけ嬉しい後日談がある。

それから数年後、やはり電文転送系のシステムで、かつて自分がCのソロプレイでこなしていた規模の数万倍はあると思しき超大型案件助っ人の「兵卒」として参加したのだが、そこはインプラとアプリでチームが分かれており、アプリ側だった自分

配列ポインタ構造しか使わないで済むなんて、なんて楽な仕事なんだ!」と左うちわのんびり過ごし、しかも高評価をいただいて帰ってこれた。

実は今までの案件で一番幸福感が最高だったのは内緒である

2014-10-31

統合失調症と生きる

http://anond.hatelabo.jp/20131012170647

上記の記事を書いた本人です。石田とまた、仮名つけます。

ここから引用

2013-10-12

統合失調症23女性石田(仮名)と申します。

中学生の時、統合失調症を発症しました。

それから、今は、8年が経ちました。

高校普通科全日制の、日本高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。

統合失調症と、その薬の副作用に悩まされながらでした。

しかし、普通科高校では、理系クラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。

しかも、管理栄養士養成施設指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦合格し、進学しました。

2010年4月に、その管理栄養士養成施設学科入学し、今は4年生をしています

4年生の前期までで、100単位以上履修しました。

薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。

調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。

また、小学生の時から給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。

統合失調症を患ったとき栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。

高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。

実際に管理栄養士養成施設大学学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。

そして、ある壁にぶつかりました。

管理栄養士になるためには、小学校事業所福祉施設病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。

そのうち病院必須です。

私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています

病状は、安定しています

それなのに、臨地実習というものは、大学教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。

心身ともにある程度安定し、大学にも毎日通えます

かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています

障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています

仕事障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署手帳コピーを預けています

就職支援をしてもらうつもりで、そうしました。

そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。

管理栄養士養成施設卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。

臨地実習の担当先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題からできないと言われました。

養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係必要なのです。

教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所開拓しています

トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。

本来は、実習先には受け入れ義務はありません。

できれば断りたいのが現状です。

そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています

4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。

必修が取れないので、卒業はできません。

しかし、奨学金も4年を超えると受けれません。

経済的には、もう私が働かねばならない家庭環境です。

中退になりますが、退学し、仕事に就くつもりです。

もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます

大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。

隠し通して、授業を履修してください。

私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。

給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。

病気の壁には、勝てませんでした。

大学先生相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。

現在医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミン暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。

完治することは、ありません。

これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います

もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます

統合失調症は、珍しい病気ではありません。

100人に1人の割合患者のいる病気です。

それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。

これからは、障害者雇用仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。

 統合失調症石田(仮名)

もう、この記事から一年以上経ちます

退学しましたが、文転して、別の大学文系学問を初歩からやっています

そっちなら、卒業するために実習が必修ではありませんから

今は精神から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。

ずっと、心に整理がつきませんでした。

最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。

そして、こんな記事を見ました。

http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117

「病名による差別」そういってくれたのは嬉しかったのです。

高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。

大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。

臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。

給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。

それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するとき連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダー担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。

別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。

前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。

その実験ときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。

薬の名前を横から聞くと、パキシルなどのようでした。

パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。

退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気悪化しました。

幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています

パキシルという薬は、うつ病代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。

その生徒は、授業も時々欠席する方でした。

それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。

退学してから、すっかり引きこもりになり、これからリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。

高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。

親にも兄弟にも「お前クズ」と毎日言われます

それでも、生きていたいので、なんとかして「統合失調症と生きる」ことを選びます

2014・10・31  石田(仮名)

2014-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20141027170909

へ?

周りで文転理転してる奴なんてゴロゴロいるけど?

最近大学入試なんて、文系科目で受けれる理系学科とかその逆も腐るほどあるし

理系大学でも文系科目結構あるし、要は本人のやる気次第

2014-03-06

匿名精子提供サイトの、提供者身元不明不安を緩和するスキーム

以前、自分サイトで、

ライドシェア斡旋サイト、『乗ってこ!』みたいな仕組みで、精子提供サイト運営すれば、

利用者不安も軽減して、善意提供も増えるのではないか?と書いてみた。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/health/108.html

で先週、NHKクローズアップ現代で「ネットを介した匿名精子提供」のニュースが流れていた。

5年前から匿名精子提供サイトの状況を観察している自分からすれば「何をいまさら」感のある報道だったが、

この報道を機に、「精子提供ボランティア」が世間的に注目を浴びるようになった。

なので、5年前に書いたエントリをここで転載してみよう。

--------【以下本文転載】--------

袋叩き覚悟投稿

日本少子化の一因として、

精子バンク制度が極めて未発達」という事情も、少しは影響しているんじゃないか、と

薄々思っている。

外国、例えばアメリカなんかでは「精子バンク」が発達していて、

シングルマザー希望者とかが、「よりどりみどり」でチョイスできる。

しかし、日本場合産婦人科学会などは、

婚姻した夫婦不妊症」の場合しか人工授精を行わない。

結婚しているが、夫が協力してくれない」とか、

独身シングルマザー希望」とか「同性愛カップル」の場合

まず産婦人科斡旋しない。

※因みに産婦人科で取り扱う精子は、「医学部学生提供している」という

 未確認情報が広まっている。

なので、「シングルマザー希望」の場合選択肢は限られる。

1.アメリカに渡って、現地の精子バンクを使う

  =この場合渡航費が嵩む上、利用料も高額です。

   また、人種的日本民族の指定は難しい

2.日本国内で、ボランティア的に精子提供してくれる男性運営する

  サイトコンタクトする

  =この場合、その人の素性がわからないと不安になりますし、

   そもそもネットの海の中で、そのようなサイトまで辿りつくのが難しい。

  http://happy.ap.teacup.com/npsb/

  は信頼できそうですが。

3.男性知人に頼む

  =そもそもそのようなことを頼める女性レア

以前は「エクセレンス」というサイトがあったようなんですが、

つのまにか閉鎖されちゃったりしています

しかし、このようなニーズというのは、一見少ないように見えるが、

いざそのような「仕組み」を組み立ててしまえば、案外ニーズが湧いてくるものだ。

ニーズというのは

精子提供してください」のニーズだけじゃなく

精子提供します」というボランティアも含まれる。

実は、この

一見ニーズがなさそうなんだけど、フタを開けてみれば、ニーズが湧いてきた」

というのには、実例がある。

「のってこ!」も、

「いくら料金が安くても、他人のクルマに乗りたい奴なんかいるもんか!」と言われていたが、

フタを開けると花丸急上昇中である

そのようにして考えると、「精子提供サイト」と、「のってこ」は、

非常に「よく似ている」。

「のってこ」の不安点は、「相手が信用が置ける相手かどうか?」である

この点について、

「のってこ事務局本人確認書類を提出することによって、

 のってこ側が相手方のクレジット保証する」という仕組みで解決している。

仮に、「精子提供サイト」において、

男性の素性について、事務局本人確認書類なり、健康診断書なり、卒業証書なりで

 身元の確からしさを保証した」場合女性側の不安は相当程度軽減される。

また、「のってこ」は、

利用者から料金を取らず、広告で以って儲ける」というビジネスモデルである

仮に精子提供サイトを立ち上げ、

利用者から身元保証プラスアルファ程度(5万円程度)しか取りません、

 アメリカみたいに100万円も取りません」とすれば、

使い勝手の良さから、一気に登録が増えるだろう。

そのようにしても、「不妊症に効くクスリ」とかの広告を貼ることで、

充分に運営することができる。

因みに、

男性側にどのようなメリットがあるの?」と訝しがる向きもあろうが、

自分遺伝子を残したい」という男性は、案外いるはずだ。

事情があって結婚できないケド・・・」という人もいれば、

「既に子供がいて、もっと作るには経済的・・・」という人もいる。

女性が養育してくれて、自分養育費負担ゼロ」であれば、

「これほどおいしい話はない」。

また、ここで「精子バンク」と書かず「精子提供」と書いているのは、

基本的に「よりどりみどり精子を選ぶ」仕組みじゃなく、

「のってこ!」のように

「8月7日に東京提供可能です。都合が合う方いますか?」

8月9日大阪提供希望です。都合の合う方いますか?」のように、

男性側、女性側が、個別に提供日時・場所提示する」というスキームを考えているかである

なお、実際の「やり取り」は

http://happy.ap.teacup.com/npsb/

によれば、「注射器」が一番確実なようだ。

病院でやり取りすると、確立が下がるらしい。

 彼らは「不妊の方が儲かるから」)

で、万一「良からぬことを企んだ男性」がいた場合には、女性からの申告により

永久追放の上、5万円没収」とする。

で、プラットフォームとしては、男女ともに以下の事項を登録するイメージだろうか。

★は必須事項、☆は任意事項です。

★年齢

提供場所

提供希望

☆病歴

血液型

学歴

職業

家族状況(既婚・未婚等)

家族同意があるか

☆既に子供いるかどうか

身長体重

☆顔は誰に似ているか

提供希望する理由

 (例:シングルマザー希望不妊症治療、等々)

2013-09-06

もっと徹底的に勉強ができなかったらよかったな

小学校後半からなんとなく成績がよかった。

受験はしたくなかったから内部進学して、低偏差値中高一貫校に入って、そこでは6年間主席だった。

全国模試名前が載ったりして、勘違いしたのかな。

すごく偏差値が高いところをめざした。

一浪したけど、第一志望には受からなくって、文転して、難関大学?の文系学部に入った。

それで、またなんか勘違いして、資格試験勉強を始めた。

最近になって、それも受かりそうにないなあとやっと思ってきた。

でもひくにひけないし。

なりたい気持ちはあるし。すごくある。

でも、もっと徹底的に勉強ができなかったら(成績が悪かったら)、勘違いしてこんな道をすすまずに、身の丈にあった道をすすんで、幸せになれてたのかなあと思って、かなしくなる。

もちろん身の丈にあった道だって、いろいろ辛かったりするんだろうとは思うけど。

しかしたら、今以上に辛いかもしれないけど。幸せじゃないかもしれないけど。

何か形になってるだけましなんじゃないかと思ってしまう。

書き出してみたらありがちで、そこらへんにごろごろある悩みすぎて、少しすっきりした。

2010-06-17

今某理系大学工学部一年生なんだが、文転を考えてみた。

ただ、それによって少しだけ興味のある分野(工学系)ができなくなってしまう。




あれか、二兎追う者は一兎をも得ずってか。どうすりゃいいんだ。

2009-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20090707104040

本文部分のブロック(divとか)にidが付いてるならidハッシュ(#hoge)としてURLに含めてやればいい。

増田なら http://anond.hatelabo.jp/20090707104040#body こんな感じ。

あと、

他の人の書いた文書をそのまま前文転載してmailってのが心情的

心情的なとこが気になるんなら引用元を明記してメール全体としては増田意見が主となるようにして引用の要件を満たせ(笑

2009-02-22

なんか青春の終わりにあたってどうしても書いときたいので書く

15年ほど前の話。

首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。

ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。

そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応文学部でも面白いことができるらしいとか。

あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナスが「チャットルームに入り浸るな」と仰っていたことを当時知っていたら!)みすずだの勁草だの法政だのNTT出版だのUPだのから出る高価な訳書ばかりを買って読んで勉強した気になって、ちょっとだけ英語でRortyを読ませてもらい、そして哲学へ行くにはドイツ語もできず喰いっぱぐれる覚悟もないので駄目だと判明して、社会学を選び苦し紛れに名ばかりの卒論を書いて、書いたので力尽きた。学歴ロンダリングのために日本の最も古い都のそばにある大学院にでも行って計算機科学修士号をとろうかとも考えたが齧るスネにも限りがあった。そのままフランス語単位を一コマ残して一年留年し、価値のない学士号をもらった。GiddensもDurkheimも1ページたりとも読んだこともなく社会学士を名乗るのはおぞましすぎる現実。だれかさんの挑発的なタグを借りれば「足手纏いな大卒就職組」の典型。

もちろんそんな奴が偽社会学を流布して世の中を騙すことはできない。その程度にはこの世はよくできている。

このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。

今の人生には満足しているが、およそ学校というところで何も学問をしなかったことは今も悔いている。机の上には開いたこともないシカゴマニュアルの14/eが未練がましく置いてあるのだ。そして年一回は『職業としての学問』を読んでウェーバー先生、私はだめな奴です、とつぶやくのだ。

そして妻が背中をもんでくれとせがむ。月曜日には入籍とか国民年金とかいろいろ手続きをせねばならぬ。

2008-10-27

http://anond.hatelabo.jp/20081027192624

おれは、楽勝な状況になったら安易な方へ流されてしまう自分の特性を知っていたから文転しなかった。

楽勝な状況でちゃんと成功できてるあなたはすごいと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081027191252

自分は興味のあることも、得意な科目も理数系だったが、

研究者開発者が、文系人間に使われている社会構造に気がついて文転した。

文系の学部にはあまり頭のいい人はいなかったので、その後は楽勝だった。

2008-10-08

http://anond.hatelabo.jp/20081008193100

一流の研究者になれるだけの才能が自分にはないことはわかってるし、かといって世の中に出ても、結局文系に使われるんだろうし

いや、文転しても誰かに使われることには変わりないから

てか、技術職は理系的な仕事じゃないの?

文転しよっかなぁ。

理学部の二年生だけど、経済あたりに転向しよっかなぁ。

一流の研究者になれるだけの才能が自分にはないことはわかってるし、かといって世の中に出ても、結局文系に使われるんだろうし。

今ならまだ、経済学部にだったら転部できるみたいだし。

大学での研究職以外に、いわゆる理系的な仕事ってどんなのがあるんだろう?

理系メリットって何だろう?徴兵を回避できるかもしれないことくらいしか思いつかない。

2008-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20080223034149

うーん。なるほど。

私は、ずっと理系科目が好きだったんだけど

高校に入ってから気になってきた分野が文系だったので文転した。

と、今までは思っていたんだけど、

ひょっとすると、女性が多かったからってのもあったのかもしれない。

男性ばかりのクラスとか、改めて考えてみると正直怖い。

たぶん、いじめられがちだったからってのもあるんだろうなあ。

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