はてなキーワード: 文転とは
高校は私も納得できないことが多かった。
「高校は、好きで来てるんだろ、おとなしくしておかないとご褒美をとりあげるぞ。」←わからない。(小学校のときこういうひどい先生にあたったことがある人は異論があるとおもいますが、公立はめったにいないとおもう。とにかく自分とこの場合こういう感じだった。)
もしお子さんにテニスをやらせてもらえないことなどによる鬱症状か、
または強いこだわり、眠気がでていたら2か月くらいいやがっていても医者にかからせて診断書をとる。
担任の先生のおかしな点について、また対処、今後の処遇についてまともに「相談する」気が出てくると思う。
うつ病は命にかかわる病気だということも社会的に認知されてきた。
子供は自分で医者にかかろうなどということは全くできない。親がいうまでシャツの裾が外に出ていることさえわからない。
自分の健康状態は未成年には全く判断できないし手続きもやれないので、
「発達障害/鬱と親がレッテルを張ってしまっては将来が・・」とかいう妙な遠慮はしないほうが逆に将来のためにもよい。
卒業までまともなクラス替えはしてもらえず(文転さえ禁止された)、
テストだけ机にしがみつくように受けて40点以上をとり、
大学になってからようやく本当に勉強が好きだった自分をとりもどしつつある。
それを3年間手をこまねいてみていると本当にダメになってしまうので、行動してください。
自分は遅すぎたとおもいながらできるだけのことをやった、不幸中の幸いルートだったとおもっている。
とりとめのない文章すまんね
朝課外というものがある。学校によって呼び名が違うかもしれないが、1限の授業の前に実施される授業のことであり、0限と言った方が通じるかもしれない。
7:30前には登校して、45分程度の授業を受ける。それを3年間繰り返す。母校は3年になると8限目も追加されたので実質9限授業でセンターまで走らされる。
これがとんでもなく辛かった。まじで。
この朝の授業は、学校強制でなく、PTAが学校に頼んでやってもらってるという体裁を取っている。(じゃないと、教師が副業か何かに接触してしょっ引かれるかなんかだったと思う) 生徒は年間1万円ぐらいを学校に支払う。
確かに、追加1万円で受験対策とかやってくれるというなら、予備校に通うより安上がりだが、我が母校においては教師の質が追いついてないのは明らかだった。ぶっちゃけスタディサプリを見てた方がマシだと思うことが多々あった。
少し自分の話を書く
通っていた学校が、息をするように国公立信仰を説く高校であったため、みんな国公立を目指して勉強していた。私も。
すると突然「朝課外受けません届」(不受講届)が年度始めに配られるようになった。これ幸いと思い、出した。(根本的に授業が役に立たないのと、文転したので理系の朝課外を受ける意味があまり無かったため)
もちろんお偉い先生に呼び出しをくらった。「受けない人がいるとみんなの士気が下がる」とか「みんなで受けて頑張って欲しい」だとか言われた気がする。(私1人の不受講で揺れ動く士気もどうかと思った。)要は強制。「強制ということですか」とこちらが聞き返せば、曖昧にお茶を濁された。(「今、先生はそういう話したくないかな」とか言われた気がする。意味不明だった)
それでもなんとか粘って、理系教科だけの
、不受講の権利を手に入れた。しかし学校には来て自習をしろと言われたので自習室に引きこもった。勉強してたら、教頭とか教務主任がやって来て、「なんで朝課外出てないんだ」と頭ごなしに怒られたこともあったなあ。
もちろんまわりの友達はみんなきちんと課外を受けていた。3年間通して見ると、正規の授業数しか受けない人より何倍も勉強したはずだ。実際、真面目に出席するクラスメイトたちを一番身近で見て来た。
なのに、私の代の国立合格者数はほぼ最低に近かった。クラスメイトの半分は、私立へと行ってしまった。あの時間はなんだったのだろうと思う。
ここまで書いておいてなんだが、朝課外が一切合切全部悪いとも思ってない。むしろ自習が苦手な人などは半ば強制の方がありがたいのかもしれない、とも最近思う。完全廃止が難しいことも分かる。だったらせめて選択制、週3などにする選択肢はないのか。福岡の代議士かどなたかが朝課外問題について取りあげているとも聞いたことあるのでゆっくりと動向を見守っていきたい
三浦瑠麗の件。
https://buzzap.jp/news/20180420-lullymiura-law-knowledge/
東京大学大学院法学政治学研究科 総合法政専攻博士課程を修了し、法学博士を取得しているものの、三浦瑠麗さんは農学部出身で自らの肩書きも「国際政治学者」。実は政治学が主分野で、法律についてさほど知識がないのかもしれません。
なんか「法学博士なのに法律の知識がないの?」って言ってる人がそこそこいて、Buzzap! までその認識なのは流石にどうなの、って思ったのでちょっと書いてみる。
まず、日本の大学の多くでは政治学は法学部で教えられている。早稲田大学や明治大学には政治経済学部があるが、東京大学、京都大学、慶應義塾大学、北海道大学、名古屋大学、など有名どころの大学はたいてい法学部の中に政治学科あるいはそれに準ずるものを持っている。
つまり、それらの大学で政治学を専攻した人は、法学について詳しい知識がなくても「法学部卒」になる。学位も「博士(法学)」とかになる。そういうところは学部の内側で法学専攻と政治学専攻に分かれていると思うので、法学部に入学したからといって法律の教育を受けているとは限らない。
なので、「法学」の学位を持っている人が全て法律の専門家とは限らない。ひょっとしたらアメリカ政治の研究者かもしれないし、ドイツ近代史の研究者かもしれない。あるいは政治哲学を講じているかもしれない。そういった人たちが日本の実定法について一般人よりは多少詳しいよね程度の知識しか持っていなかったとして、それはまったく不思議ではない。
学部・学位の名称と専門分野がリンケージしないというのは割と多い。たとえば歴史学・哲学・心理学なんかは多くの大学では文学部で教えられている(社会学なんかもここに入るかな)。結果として、「博士(文学)」(ただし文学のことはよく知らない歴史学者)なんてものが量産される。文学の知識がないのに「博士(文学)」を名乗っているのは別に彼らの責任ではなく、日本の大学と学位授与のシステムがそうなっているんだとしか言いようがないし、三浦瑠麗の「博士(法学)」も同じことだ。
もちろん、デタラメな法知識を知ったかぶってひけらかすのは恥ずかしいことだし、著名人がtwitterでそんなことをやったら炎上するのはしごく当然であり、その点で三浦瑠麗に擁護の余地はまったくない。存分に恥をかくべきだ。
だが、法学博士なのに法律について無知なのか、というような責め方あるいはあげつらい方をするのはおかしい。東大で政治学を専門に学んだ者の学位が「法学」になるのは彼女の責任ではなく単にそういうシステムだというだけの話であり、政治学について多少なりとも学術書を読んだことのある者なら経験的に知っている知識のはずである。そのような責め方は許容することができない。
あと農学部卒なことをあげつらうと小熊英二に返ってくるぞ。彼も学部は農学部出で修士から文系の院に入り、現在ではちゃんとその分野の学者として認知されている。学部まで理系として過ごしても、その後文転して良い業績を挙げているのなら何ら問題はないはずだ。もちろん学部教育というのは専門知のベースになるものであるから、「違う学部だったの? ああ、道理で……」みたいな事例が多々あることは否定しないが、三浦瑠麗憎しのあまり理系から文系に移ってきたという経歴を叩くなら反対する。似たような経歴を持つ別の学者のために。
なんというかもう、お前ら、流れ弾やめーや。
皆さんと同じく老婆心ながら。
進路を変更することを「逃げた」と思う必要はないし、他にやりたいことのためなら「逃げた」って良いし、今「逃げた」としても人生先は長いから戻って来たくなったら何十年後であっても戻ってくれば良いと思います。
受験を通過するための手段としての数学とそこから一旦離れるかもしれないこと、趣味として長く続けるかもしれない数学、そして希望進路は分けて考えてみてはいかがでしょうか。
「(学部は問わず)京都大学のキャンパスで学びたい」ということであれば実現する方法は理系学部進学以外にもあるでしょうし、どうしても京都大学の理系学部に進学したいのであればまだ時間はたくさんあるように思います。ぎりぎりまで粘ってみてから私立文系に進路変更するのではダメですか?(そしてできれば、その際「諦める」「逃げる」と考えるのではなく、「他にやりたいことを見つけた」と考えられると良いかと思います)
今は目の前の挫折感で頭がいっぱいになってしまっているかもしれませんが、人生はとてつもなく長いので、長い目で見ると「大学受験の時に文転した」というのは本当に本当に些細なことで、どなたかが書いていらっしゃいましたが「配られたカードの中で最適な選択をして、なるべく毎日楽しく生きる」ことは理系でも文系でもいくらでも実現可能だと思います。
自分よりも優秀な人がたくさんいる環境に居られるということはとても恵まれていて、素晴らしいことだと思います。そしてそれはあなたが今まで頑張ってきたからこそ、でもある。
周りの優秀な人たちとの競争は一旦置いておいて、「大学の4年間を楽しく過ごすために自分は大学で何を学びたいか」考えてみていただけると良いかと思います。大学で学んだことを生涯の仕事にするかもしれないし、どこかの時点で全然違うことを始める気になるかもしれないし、先のことは計画しきれないことも多いので、「ひとつの選択で(あるいは挫折で)人生が決まってしまう、ダメになってしまう」なんてことほとんどないですよ。
家庭要素
・一人っ子、大人にかこまれて育つ、優しく最初から大人としてのふるまいができる
・文字が読めるようになるのが早く、小学校時点で客観的にかなりおちついて賢いので「学者」(理系)などになることを期待される
・静かなところを好む
・親は高学歴
・始終威圧的な言動をするクラスメイト(男子の場合が多い)がでてきて「教師へのいいつけ」などでも全くコントロールできない(教師は体罰などといわれることを恐れ口頭でやさしく指導するのみ)
・進路を高一時点で理系とかいたが最後文転できない、理系教師は「●●くらいできなければだめだ」といって一方的に煽る
・体調を少し悪くして出席できない場合、「担任教師もだれも」プリントやノートをとどけてくれない。悪くすると春に配る教科書が夏休み過ぎまで3か月届かない。
・いじめ、校内盗難。PTA総会でロッカーにカギをかけさせてくれと質疑しても「持ち物チェックができなくなるからそれはできない」一点張り、それでいてお金や定期券をなくしたのは自分のせいにする(体育の前に預かるという話になっているが実効していない)
・親戚もマウンティング?威圧?してくるように感じられ、ストレスを受け止めきれない
(親の対処の項をここに書いていたが増田の雰囲気が悪く、何を書いてもすぐ毒親といわれることと、悪用されないとも限らないので削除、とても大変だったとだけ書いておく)
・ロッカーにカギをかけてよいこととする。
・威圧的な生徒に対応できない場合の文転、自習、転校(通信制)などの容易化
それでも卒業した。それでも大学生になれた。文転できたのはセンター受けたあとだったから受け入れてくれる大学なんていわゆるFランだけど。
なんでこんなに無駄な労力を払ったのか、なんで子供がこんなにつらい3年間を送ったのかと思うと、学校制度に怒りしかない。
最初からソフバン高校とかニコニコ高校とか行ってればもうちょっと勉強そのものの楽しさを知っていたと思う。
以前の
大学やめたすぎる。この1年ずっと思ってる。大学受験のときに適当に進学先決めた自分ぶん殴りたいし何ならぶっ殺したい。国試受かれば就職余裕^^じゃねえんだよハゲ、受験期飲みまくったアルコールで脳死んでんじゃねえのか。
動物別に好きじゃないしテストもしんどいし何よりこの大学に全然合わない。中高6年過ごしてきた環境と違いすぎて無理。友達や学務の人はいい人多いけどそれを補って余りあるほどに大学のカラーが無理。こんなクソ田舎で大学生活エンジョイ(笑)してるやつら脳にウレタン詰まってる、間違いない。お前らがBSEなんだよ。あー無理。くたばれ。
パッと見楽しい大学生活送ってると思うけど、内情がドロドロしすぎてしんどい。twitterでのオフパコしたされた問題より全然聞いてて気持ち悪い。全部壁の向こうの話に聞こえる。第一皆なんでそんな獣医に対して意識高いの。変だよ。
なんで6年生までやんなきゃいけないんだ、留年しないのにセルフ理科大かよ、留年しやすいところもほんと理科大、ただし偏差値も教育レベルも理科大以下。ていうか中学校以下だろ、サル山の猿教育してんのか?日光猿軍団か?教授が聞いたことない本物のFラン卒とか大東亜の学士しかもってないとか割とどうかしてるでしょ。ここ音大とか芸大みたいな芸術系大学じゃないのよ。今時私立中高の教員でも旧帝なり院卒なんてそこそこいるだろ、頼むからドカタやっててくれ。人を教育するレベルの人間性を持つ人間が少なすぎる。猿相手にはちょうどいいのかもしれないけどさ。
今から編入考えて近くの国公立のサイト見まくってるけど、仮に編入したとしてストレート卒業でもギリギリ三浪で就職アウトじゃん、もういっそ文転して再受験してニッコマあたりに入って底辺人生を適当にやりたい。卒業即ナマポ、なしではないよね。新卒文化死んでほしい。ていうか社会死ね。保育園落ちる前に日本へのヘイトが溜まりまくっている。
やる気なさ過ぎて留年すると思ってたけど今年は免れそう、ってそんなのどうでもよくて、成績の良しあし以前に精神が持たない。ドカタバイトでトラックの運ちゃんに理不尽に怒鳴られてたほうがまだ精神的にマシだった。これが人生か?ならさっさと自殺したい。
大学卒業まであと何年もあるけど普通に留年はするだろうしそもそも卒業するまでに入院か自殺かどれかだと思う。大学やめないと死ぬ。
という事を明日スクールカウンセラーに話してきます。
凄い今さら感があるが、Deep Learningのフレームワークのchainerの作者が日本人だと知って、開発者のサイト覗きに行ったら、すごく珍しい苗字で良く知ってる名前で、すぐに知人だと気づいた。
いやいやいやいや、どうして彼方と此方が陸続きだと言えるのだろう?
半信半疑の目には、大人びた雰囲気が加算されてたら小さめの実写アイコンじゃ全く分からなくて、プロフィールをつい探してしまった。修士卒業年2012年。浪人したから一年違いで、つまり動機だ。学部。どこだったかな。さらに辿ったら、中学、高校......54期生とあります。自分もそうです。本当にありがとうございました。
紛れもなく、一時期一緒に登校してたくらいには親しかった(と自分が思い込んでいた)元クラスメイトだった。
好きなテレビ番組のどんなSEなら今の心境にあうのか、みくりさんじゃあるまいし、俺には全く分からない。
まだ高校生だった頃、文転する前も彼がお昼休みに知人と黒板を囲んで議論していた内容はほとんど分からなくて追い付けない感じがあった。そして今、卒業から十年以上経過してニライカナイに行っちゃったんだなという自分勝手な寂寥感に襲われてる。
任天堂の岩田さんの同級生みたいにいつか語れる?そんな贅沢ができるほどにはまだ、自分の道は到達線には程遠い。言葉も出てこない。
現在高2で理系クラスにいますが、数学がどうしても好きになれず文転を考えています。好きな科目は現代文と化学、嫌いな科目は数学と世界史、自然科学より社会科学の本を好んで読み、社会と言葉に興味がある、将来やりたいことは特に定まっていない、という状況です。
とはいえ以前は数学が得意で、ずっと自分は理系だと思っていたので、この文転したさは一時の気の迷いなのでは… という思いもあります。一人では決めかねています、どなたかアドバイスください!
思っていた以上にたくさんのご意見をいただいて驚きつつ感動しています。ありがとうございます。ブコメを読んで少しずつ考えがまとまってきたので、いくつか補足させていただきます。
まず、これは私の書き方が悪かったのですが、単に数学が嫌だから文系に行くというわけではないです。文系に行けば数学から逃げられるとも思っていません。
高2になって始まった理系数学の授業が予想以上に大変で(平均点前後はかろうじてとれているが、授業を聞いて問題を解くのが苦痛)、数学ぜんぜん楽しくない! というところから、「考えてみれば私はそもそも自然科学に興味がないのでは…?」と気づいた感じです。生物や化学の分野でやりたいことがあるならこのまま理系で頑張るべきだと思いますが、むしろ社会学あたりのほうが自分の興味関心に合うような気がしてきたので……
社会でどんな人材が求められているか、どんな学部があとあと楽か私にはわかりませんが、「就職に有利だから理系」みたいな決め方はしたくないという意識があります。せっかくだからやりたいことをしたい……まだ具体的には何も決まってないけど……
高2の夏なら選び直しに伴う負担がまだ少ないので、今なら間に合う! 文転ってどうなんだろう? と思ってはてなの先輩方にご相談した次第です。id:tick2tackさんのご指摘の通り、「自分の中では決まってるけど背中を押してもらいたい」という状態に近かったかもしれません。
さいわい選択変更の申請〆切までまだかなり日があるので、社会科学分野のなかで特に自分の関心に合うテーマはなにか、本や大学のパンフレットをいろいろ読んでじっくり探したいと思います。ありがとうございました!
幼い頃に母を亡くして、父子家庭で育ってきた。
父と、7つ上の兄と、3人で暮らしてきた。
父はよく稼ぐ人だったから、金銭的に不自由することはなかった。
兄はとても優秀で、なおかつ面倒見が良くて、いつも優しくしてくれた。
近所の人たちも事情を知ってくれて、すごくお世話になった。
私と兄は、母親がいないという点を除いては不自由も無く、たぶん、健全に育った。
兄は大学生になっても優しくて、帰省する度に私の宿題を手伝ってくれた。
高校生になり、進路を考えるようになって、ずっと兄の背中を見てきたものだから、同じ大学に行きたいと思うようになった。
私は出来が悪くて、兄ほど優秀ではなかったから、一所懸命勉強した。
成績も上がって、胸を張って志望大学を言えるようになった。
ある日、進路を父に相談したところ、東京には行かせられない、と言われた。
金銭面の問題かと思い聞くと、私は箱入り娘なのだから1人暮らしをさせるわけにはいかない というようなことだった。
お兄ちゃんは行ってるじゃん と言っても、お前は女の子なんだから と言うばかりで聞いてくれなかった。
そのとき初めて、父に不信感を抱いた。
学校で友達に相談してみたが、周りにもそんな子が何人かいるらしく、たわいもないこととしてあしらわれてしまった。
高校で学年1位の子は、東京大学も合格圏内なのに地元の公立の女子大しか認めてもらえないと言っていた。
彼女は仕方がないからともう諦めている様子だったが、私が彼女の諦めに同調する必要はないと思った。
担任の先生や進路指導の先生に相談をしたところ、お前が勉強を頑張ればお父さんも認めてくれるはずだよ なんて、的外れな答えしかもらえなかった。
成績がどんなに良くなっても、父は頑として家を離れることを認めてくれなかった。
地元にはいわゆる難関と呼ばれる大学がひとつあって、父はその大学を勧めてきた。
でも、私は理系を選択していて、希望する学部学科は別キャンパスにあった。そこは本キャンパスから遠く、家から通学するとなると大変で、結局1人暮らしをする羽目になる。
そのことを強調して伝えると、父は、なら文転すればいいだろうと軽く言ってきた。
兄には許されたことなのに、私は、女であるということだけで進みたい進路にも進めないのかと悲しくなった。
その日は全く話し合いにならなかった。
兄は、多分そうなると思っていた と言っていた。
私はずっと、自分は恵まれていると思っていた。そして実際に、恵まれていた。
でも、ちょっとの不満や疑問も、恵まれている故のものだと思っていた。
兄曰く、母が亡くなってからの父は、ずっと、私に対して過保護だったらしい。
そういえば、女の子なのだから怪我をさせられないと公園に遊びに行くことも禁止されていた。
ズボンを履くことも禁止されていたし、自転車に乗ることも、男の子向けの番組を観ることも、危ないこと、はしたないことは全て禁止されていた。携帯電話だって父と共用だった。
全部、兄は禁止されていなかった。
それらに私は何の疑問も抱いていなかった。嫌だな、と思うことはあっても、自分は恵まれているんだから我慢しなきゃ と思っていた。
父は私を縛り付けたかったのだろうか。
そのような考えから父の言動を見ると、もしかするとこれは普通ではないのかもしれないと少しずつ思うようになった。
毎朝の行ってきますのキスも、週1の交換日記も、中学まで一緒にお風呂に入っていたのも、たぶん、普通じゃなかった。
本当はずっと嫌だったけど、ルールだからと慣れてしまっていた私も、普通ではなかったのかもしれない。
兄は、お父さんの言うことを聞くか、お父さんを捨てて東京に来るか選べと言った。
そんなことを急に言われても、父を捨てるなんて考えられなかった。
父は、優しくて頼もしい、自慢のお父さんだから。
親を捨てるというのは家族と上手くいっていない人や虐待を受けた人だけがすることだと思ったから。
でも、どんなに説得しても父は家を出ることを認めてくれなかった。
父は頼れなかった。私は兄に相談して、兄に言われるがまま目一杯勉強した。
2月、受験前日、交通の乱れを懸念して受験会場近くのホテルに泊まった。もちろん、会社を休んで着いてきた父も一緒に。
理系のキャンパスは遠いが通えなくはないということで認められ、文転だけは免れていた。
いわゆる難関大学だったが、試験は簡単だった。私の本当の志望大学はこんなものじゃないくらい難しいはずだったから。でも、どうしても行きたくなくて、わざと間違えた私は不合格になった。
父には、浪人する、と伝えた。認めたくない様子だったが、必ず受かると高を括って私立大学をうけていなかったため、その他に選択肢は無かった。
高校を卒業して、3月中旬、友達と卒業旅行に行くと言って東京に行った。
もちろん卒業旅行にも父は大反対だったが、これだけは譲れないと強引に家を出た。
東京に着いて、会社を休んできた兄に迎えられ、私は、志望大学の後期試験を受けた。
もし落ちたら、本当に浪人するしかなかった。でも、なんとか、合格した。
合格通知を見せると、父は激昂した。優しい父が怒っている姿を初めて見た。
認めないから金は出さない、と父は言った。私はアルバイトもするし、兄にも援助してもらうことを伝えた。
後期受験を兄も知っていたことに怒るかなと思ったが、予想に反して、お前にアルバイトなんかさせられるかと父は泣いていた。
そのとき初めて、父を怖いと感じた。
宣言通り、父はお金を出してくれなかった。入学金さえ払わなければ、私がいなくならないと思っているようだった。
私は貯めていたお年玉を使った。入学金、授業料で足りない分は兄が出してくれた。
支払いが終わってからも、期限ギリギリまで父にはお金を出してくださいとお願いし続けた。払ったことを知られては困るから。
3月末、すっかり安心しきった父が仕事に行っている間、私は荷物をまとめて東京に向かった。捜索願を出されてはかなわないので置き手紙をした。
しばらくすると、兄の携帯に父から電話がかかってきた。兄に促され私が電話をとった。
2度目の父の激昂だった。
でも、どんなに怒られてももうお金は払っているし、もう東京に来てしまっている。
帰らないことを伝えると父はまた泣いていた。
後日、同じく上京していた高校の友達にお願いして、何日か部屋に住まわせてもらった。
父も休日に上京し兄の家に来ていたらしかったが、携帯電話すら持っていない私に連絡をとることはできなかった。
入学式には、父も兄も来なかった。式が終わり友達の部屋に戻ると、上京した同級生が何人か集まっており、おめでとうパーティーをひらいてくれた。
自由になったような気がした。
熱りが冷めてからはまた兄の部屋に住まわせてもらった。
いつまでも兄の世話になるのは申し訳なくて仕方がなかったが、兄に頼る以外の手段が私には見つからなかった。
兄の元には今も頻繁に父からの連絡がきているらしい。そして兄の口座には私宛のお金が振り込まれているらしい。
私の学費も、生活費も、兄が出してくれたようで結局は全て父のお金だ。
だからと言って際どいアルバイトに手を出そうとすると兄に止められる。
結局私がしていることは、家にいた頃と何も変わっていない。
成人式の報せや諸々の手続きなど、全て父と兄がやりとりをして済ませてくれている。
ただただ自分が恥ずかしい。
あの日、父を捨てる決意をしただけで私は何も捨てられていない。
親子喧嘩をして意地を張り続けているだけだ。
でも、だからと言って、そう簡単に仲直りできるわけでもない。
このままじゃ私はいつまでも、箱入り娘のままだ。
今やプログラミングといえば、Webなどで使われるような高水準スクリプト系言語中心のアプリケーションプログラミングが主流だ。
そんなこともあり、もはや以前の低レベル言語によるシステムプログラミングの苦労など、タダの昔話である。
そこに来て、実際は齧った程度の分際で、性懲りもなくそんな昔話を書いてみる。
少なくとも10年位前に自分が手がけた(押し付けられた)仕事はそうだった。
大学で初めて触ったC言語しかもポインタ分からないで止まっているような奴に、電文の再配信プログラムを任せたのだから。
客は「遅延が絶対許されないシステムなのでJavaとかPerlとかはやめてねー」とにこやかな笑顔かつ笑ってない目で注文してきた。
このうちC++は、Java経験がある自分からしても仕様が膨大かつ複雑すぎて、とても手に負えないと感じ、必然的にCで書くことに。
勿論Cの言語仕様がKR本一冊で収まるほどコンパクトであっても、それが簡単であることを全く意味していないというのを開発早々に思い知らされたのだが。
あ、Cと言えば電文提供側の機関が受信用のスケルトンプログラムを一応は用意してくれていたが、どう見ても電文受信中に接続が切れた時のことを考慮していない内容で、全く参考にならなかった。
コード書きにおいては、例え一人屋台の俺ルールであろうが、コーディング規約のようなものは絶対に必要である。
その時のルールは「gccのオプションに"-Wall"を入れた状態で、Warningゼロになること」にしてみたが、その途端、日付変更線をまたがない限り退社できない生活が始まった。
というかオブジェクトを使えないだけでも地味に辛いのに、更にCの言語仕様はコンパクトである以上に原始的と言っていい代物で(だからWarningは基本無視できないのだ)、しかも言語仕様以外の環境依存要素が山積していると来たもんだ。
そんな言語でシステムコールだらけのコードかつ複数のファイルディスクリプタの同時監視(即ち非同期でノンブロッキング)しかもマルチプロセスでシグナルもあるよ!とか、お客さんは俺を殺す気か、そもそも完成させる気無いだろとか、今だったら思う(当時はそう思う余裕もなかった)。
仕方なく最初のKRに加えて「UNIXネットワークプログラミング」をわざわざ東京に出かけてまで買って読み漁った。
後にも先にも、古今東西の名著と呼ばれるような本を、泣きながら読んだのはこの時だけだったりする。
そこまで凄い良書なのになんで絶版になったんだか。
いかし、それでも「子供を殺しても死なない」、かなり前の処理での領域破壊のせいで突然プログラムが止まっちゃうなどなど、やればやるほど問題が出る。
シグナルを受信し、仕様のとおりに処理するのがこんなに難しいのか!と途方に暮れたこともあった。
そして途方に暮れても解決の手段になるような便利なツールもなければライブラリもない。
結局、「ある程度正しく動いたら、あとは出来た所まで」で勘弁してもらってようやく開放されたが、今でも当時の自分の仕事ぶりには全く満足していない。
無駄に頑張ったというか、頑張っただけの仕事であり、折角低レベル実装というCの本領発揮分野の案件でありながら、スレッド、malloc()、可変長引数は遂に習得できなかった。
こういうプログラムって、どうやったら正しく動かせるんだろ。
このような経験を経て、後年、Cやシステムプログラミングを指してギークな人々が
Cはとても高効率ですし、マシンのリソースもドカ食いしません。残念ながら、Cがそれだけの効率性を実現するには、あなた自身が低レベルのリソース管理(たとえばメモリ管理)を手作業でやってあげなくてはならないのです。それだけ低レベルコードがあると、複雑でバグも起こりやすいし、デバッグですさまじい時間をとられることになります。今日のマシンはずいぶん強力になっているので、これは通常は悪いトレードオフです――マシンの時間を少し非効率に使っても、あなたの時間をずっと効率的に使う言語を使うほうが賢明でしょう。
本物のプログラマはアプリケーションプログラムなど書かず、まっさらな金属板にゼロから書き込んでいく。アプリケーションプログラミングなど、システムプログラミングのできない弱虫のすることだ。
あと、あれほど苦手だったポインタについても、「ポインタが理解できないと永久にC初心者」というのを嫌でも理解した。
あれはギターのFコードやSEALsのヘルウィークみたいなもので「習得できなかった者にとってはキャリアの終わりを意味するが、習得できた者にとっては始まりですらない」ものなのだ。
・・・で、これだけで終わってしまうと本当にタダの黒歴史だが、これには少しだけ嬉しい後日談がある。
それから数年後、やはり電文転送系のシステムで、かつて自分がCのソロプレイでこなしていた規模の数万倍はあると思しき超大型案件に助っ人の「兵卒」として参加したのだが、そこはインプラとアプリでチームが分かれており、アプリ側だった自分は
「配列とポインタと構造体しか使わないで済むなんて、なんて楽な仕事なんだ!」と左うちわでのんびり過ごし、しかも高評価をいただいて帰ってこれた。
http://anond.hatelabo.jp/20131012170647
それから、今は、8年が経ちました。
高校は普通科全日制の、日本で高校と言えば15歳から18歳が通うと想像されるようなところに通いました。
しかし、普通科の高校では、理系のクラスで、優秀な成績を修めて卒業しました。
しかも、管理栄養士養成施設に指定されている学科をもつ大学に、指定校推薦で合格し、進学しました。
2010年4月に、その管理栄養士養成施設の学科に入学し、今は4年生をしています。
薬による、手の震え、のどの渇き、足がむずむずして歩き回りたくなるなどの苦しみも持ちながらも、授業は順調に受けました。
調理学や、公衆衛生学、臨床栄養学など、とても面白く、大好きな授業ばかりで、学ぶことは幸せでした。
また、小学生の時から、給食が大好きな子供で、10歳のころには栄養士を志していました。
統合失調症を患ったとき、栄養士になるのは無理だろうと、家族の全員が思いましたが、私はあきらめませんでした。
高校も、栄養士になりたい、管理栄養士養成施設に進学したいという気持ちで、無理に無理を重ね、頑張って卒業しました。
実際に管理栄養士養成施設の大学の学科に入っても、苦しかったり辛くても、頑張って授業を履修しました。
そして、ある壁にぶつかりました。
管理栄養士になるためには、小学校や事業所、福祉施設や病院などで、臨地実習というものをしなければなりません。
私は、心療内科に通い、処方された薬を、かかりつけの医師の指示通り服薬しています。
病状は、安定しています。
それなのに、臨地実習というものは、大学の教職員が頼みに行って受け入れてくれた場所に行くのに、統合失調症であることを明かして探すと、断られるというのです。
かかりつけの医師にも、大学を出た後は、障害者雇用枠で働くことを勧められています。
障害者手帳の3級を持っていて、通学に使う交通機関を安くしてもらったり、映画で割引を受けることをしていて、うまく使っています。
仕事も障害者手帳を利用して障害者雇用枠で入るつもりでいたので、大学にはとある部署に手帳のコピーを預けています。
そうして、大学側は私が統合失調症であることを知っているわけです。
管理栄養士養成施設の卒業のためには、臨地実習を複数受けることが必要でした。
臨地実習の担当の先生には、統合失調症を隠して実習先を紹介していただけないかと頼みましたが、信用問題だからできないと言われました。
養成施設と、実習先には、頼みごとをことわれない関係が必要なのです。
教職員の方々が、大変な苦労をして、在籍する学生の人数、受け入れてくれる場所を開拓しています。
トラブルがあると、その次から断られたり、人数を減らされたりします。
できれば断りたいのが現状です。
そんな私は、臨地実習の単位が取れないまま、実習のめどがたたないまま、4年生も終わろうとしています。
4年生の年度末で、私は今の大学を退学するつもりです。
必修が取れないので、卒業はできません。
もし、統合失調症を患う高校生で、管理栄養士になりたい人がいたら、病気を隠して通うことを勧めます。
大学側が知っている場合、病名を明かして実習先を探すので、まず見つかりません。
隠し通して、授業を履修してください。
私は、小学生の頃の夢が叶いませんでした。
給食が大好きで、給食を作る人になりたくて、管理栄養士を目指してずっと頑張ってきたつもりです。
病気の壁には、勝てませんでした。
大学の先生に相談した時は、「気合い入れて病気治してきなさい」などと言われました。
現在の医学では、統合失調症は、薬で脳を眠らせ、ドーパミンが暴走しないように抑えて、抑えられすぎたせいでパーキンソン病にもなるので抗パ剤も飲んで、何とかやり過ごすだけです。
完治することは、ありません。
これまでの8年間、私は本当に頑張ったと思います。
もう、無理はせず、栄養関連の仕事はあきらめ、ほかの仕事に就きます。
それなのに、夢をあきらめることになり、辛い気持ちです。
これからは、障害者雇用で仕事を探して就き、奨学金を返済していくつもりです。
退学しましたが、文転して、別の大学で文系の学問を初歩からやっています。
今は精神面から身体もバランスを崩してしまい、休学中ですけれど、奨学金は仕方がないので親がその親(祖母)が無くなった時に受け取った遺産から一括で返済してくれました。
ずっと、心に整理がつきませんでした。
最近になって、やっと給食に携わる仕事に就けないという現実を受け入れられるようになり、また筆をとりました。
そして、こんな記事を見ました。
http://orcinusorca.hatenablog.com/entry/2013/10/13/214117
高校から推薦で大学を受けられるくらい欠席日数が少なかった時点で、もう寛解でした。
大学でも、100単位以上履修している時点で、もう健常者と同程度の学力や作業能力があると、自分で過信していました。
臨床栄養学などの座学での成績もよく、講義を行う教員からも「石田については国家試験のことは一切心配していない」などといわれ、喜んでいました。
給食経営管理実習という大学内の給食室の機能を持つ教室で行う授業がありました。
それに関しても、予算内の金額で、予定時間内に調理を終える上に、美味しくて季節感のある献立作成、実際の調理の実務を担当するときの連携、週替わりで巡ってくるパートごとのリーダーを担当した時のアクシデントへの対処など、実務については問題なくできると学内実習の担当教員も言ってくれました。
別の必修授業でのことですが、経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)をする実験の授業もありました。
前日の夕食後から何も食べずに1時間目の授業にきて、ぶどう糖溶液を急いで飲み、30分ごとに自分で指先に針を刺して血糖をはかりました。
その実験のときに、私が一日三食毎食後の服薬を医師から指示されているが、朝の薬が食後に飲めないと直訴したら、ほかにも朝食後の服薬が指示されている学生がいました。
パキシルを飲んでいた方の学生は、学外実習に参加していました。
退学することを決めたあとも、ショックで、何にも集中できなくなり、今ではなぜ栄養学を勉強するためには自分でできていたこともできなくなり、不思議なくらいに病気は悪化しました。
幻聴は無いので、再発ではなく、うつ病の発症だと思いましたが、医師の診断名は統合失調症のままで、抗うつ薬が増えたり減ったりしています。
パキシルという薬は、うつ病に代表される不安や神経の過敏なときに用いる攻撃的な衝動との因果関係のある薬です。
その生徒は、授業も時々欠席する方でした。
それを服薬する学生が実習を受けれて、統合失調症が寛解で薬の副作用はあるものの、病気の症状がない私が受けれないのには、憤りを感じたものです。
退学してから、すっかり引きこもりになり、これからはリハビリしながら、長い目で社会復帰を目指します。
高校も、栄養学科時代も、週に5日(高校は土曜含め6日)学校に行けていたのに、今では自宅のゴミ出しだけでも、辛くて、心因性の別の病気でも発症したのではないかと思うほどです。
ライドシェア斡旋サイト、『乗ってこ!』みたいな仕組みで、精子提供サイトを運営すれば、
利用者の不安も軽減して、善意の提供も増えるのではないか?と書いてみた。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Keyaki/7891/health/108.html
で先週、NHKクローズアップ現代で「ネットを介した匿名精子提供」のニュースが流れていた。
5年前から匿名精子提供サイトの状況を観察している自分からすれば「何をいまさら」感のある報道だったが、
この報道を機に、「精子提供ボランティア」が世間的に注目を浴びるようになった。
--------【以下本文転載】--------
「精子バンク制度が極めて未発達」という事情も、少しは影響しているんじゃないか、と
薄々思っている。
諸外国、例えばアメリカなんかでは「精子バンク」が発達していて、
シングルマザー希望者とかが、「よりどりみどり」でチョイスできる。
「結婚しているが、夫が協力してくれない」とか、
※因みに産婦人科で取り扱う精子は、「医学部学生が提供している」という
未確認情報が広まっている。
2.日本国内で、ボランティア的に精子を提供してくれる男性が運営する
そもそもネットの海の中で、そのようなサイトまで辿りつくのが難しい。
http://happy.ap.teacup.com/npsb/
は信頼できそうですが。
3.男性知人に頼む
しかし、このようなニーズというのは、一見少ないように見えるが、
いざそのような「仕組み」を組み立ててしまえば、案外ニーズが湧いてくるものだ。
ニーズというのは
実は、この
「一見ニーズがなさそうなんだけど、フタを開けてみれば、ニーズが湧いてきた」
というのには、実例がある。
「のってこ!」も、
「いくら料金が安くても、他人のクルマに乗りたい奴なんかいるもんか!」と言われていたが、
フタを開けると花丸急上昇中である。
そのようにして考えると、「精子提供サイト」と、「のってこ」は、
非常に「よく似ている」。
「のってこ」の不安点は、「相手が信用が置ける相手かどうか?」である。
この点について、
のってこ側が相手方のクレジットを保証する」という仕組みで解決している。
「男性の素性について、事務局が本人確認書類なり、健康診断書なり、卒業証書なりで
身元の確からしさを保証した」場合、女性側の不安は相当程度軽減される。
また、「のってこ」は、
「利用者から料金を取らず、広告で以って儲ける」というビジネスモデルである。
「利用者からは身元保証料プラスアルファ程度(5万円程度)しか取りません、
アメリカみたいに100万円も取りません」とすれば、
そのようにしても、「不妊症に効くクスリ」とかの広告を貼ることで、
充分に運営することができる。
因みに、
「男性側にどのようなメリットがあるの?」と訝しがる向きもあろうが、
「既に子供がいて、もっと作るには経済的に・・・」という人もいる。
「これほどおいしい話はない」。
また、ここで「精子バンク」と書かず「精子提供」と書いているのは、
「のってこ!」のように
「8月9日に大阪で提供希望です。都合の合う方いますか?」のように、
「男性側、女性側が、個別に提供日時・場所を提示する」というスキームを考えているからである。
なお、実際の「やり取り」は
http://happy.ap.teacup.com/npsb/
によれば、「注射器」が一番確実なようだ。
で、万一「良からぬことを企んだ男性」がいた場合には、女性からの申告により
で、プラットフォームとしては、男女ともに以下の事項を登録するイメージだろうか。
★年齢
☆病歴
☆血液型
☆学歴
☆職業
☆家族状況(既婚・未婚等)
☆顔は誰に似ているか?
受験はしたくなかったから内部進学して、低偏差値の中高一貫校に入って、そこでは6年間主席だった。
すごく偏差値が高いところをめざした。
一浪したけど、第一志望には受からなくって、文転して、難関大学?の文系学部に入った。
最近になって、それも受かりそうにないなあとやっと思ってきた。
でもひくにひけないし。
なりたい気持ちはあるし。すごくある。
でも、もっと徹底的に勉強ができなかったら(成績が悪かったら)、勘違いしてこんな道をすすまずに、身の丈にあった道をすすんで、幸せになれてたのかなあと思って、かなしくなる。
もちろん身の丈にあった道だって、いろいろ辛かったりするんだろうとは思うけど。
もしかしたら、今以上に辛いかもしれないけど。幸せじゃないかもしれないけど。
書き出してみたらありがちで、そこらへんにごろごろある悩みすぎて、少しすっきりした。
15年ほど前の話。
首都圏に住んでいてセンター試験過去問とか模試の成績は理系科目を中心に良かったけど、父親がお前の粗忽さではいずれ実験で事故を起こすといわれ文転。当時西田裕一とか富岡勝とかの仕事のせいで(もちろん当時そういう仕掛人たちのことなど知りもしなかったが)思想だとか哲学だとかが面白そうに見えた。香山リカの「自転車旅行主義」はイマーゴの連載で読んでいた。
ワープロは使っていたが、パソコンはたまにひとんちで触らせてもらう程度。
そういう狭い世界の偏りすぎたアンテナが拾い上げた情報によれば、千葉大に土屋俊先生という人がいて、なんかアメリカのCSLIとかそういうとこに行くような研究とかしているらしかった。他にも慶応の文学部でも面白いことができるらしいとか。
あげくわけあってずいぶん西の方の大学へ行って、パソ通(そしてすぐにインターネット)にはまって時間を浪費するいっぽう(聖トマス・アクィナスが「チャットルームに入り浸るな」と仰っていたことを当時知っていたら!)みすずだの勁草だの法政だのNTT出版だのUPだのから出る高価な訳書ばかりを買って読んで勉強した気になって、ちょっとだけ英語でRortyを読ませてもらい、そして哲学へ行くにはドイツ語もできず喰いっぱぐれる覚悟もないので駄目だと判明して、社会学を選び苦し紛れに名ばかりの卒論を書いて、書いたので力尽きた。学歴ロンダリングのために日本の最も古い都のそばにある大学院にでも行って計算機科学で修士号をとろうかとも考えたが齧るスネにも限りがあった。そのままフランス語の単位を一コマ残して一年留年し、価値のない学士号をもらった。GiddensもDurkheimも1ページたりとも読んだこともなく社会学士を名乗るのはおぞましすぎる現実。だれかさんの挑発的なタグを借りれば「足手纏いな大卒就職組」の典型。
もちろんそんな奴が偽社会学を流布して世の中を騙すことはできない。その程度にはこの世はよくできている。
このとき齧りすぎたスネはその後折れてしまった。NYCに旅客機が特攻爆撃をやらかして数年後、家族は崩壊。経済破綻からではないが、教育投資のリターンが期待はずれだったことによる影響は否定しがたい。退職金を手に出奔した父はぼけてろくに介護も受けられず孤独死でもすればいいと思うが、自殺した母にはどう詫びたものか言葉もない。
今の人生には満足しているが、およそ学校というところで何も学問をしなかったことは今も悔いている。机の上には開いたこともないシカゴマニュアルの14/eが未練がましく置いてあるのだ。そして年一回は『職業としての学問』を読んでウェーバー先生、私はだめな奴です、とつぶやくのだ。