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はてなキーワード: 寂寥感とは

2024-04-25

地方都市は2km~3kmに渡って延々と住宅地が広がっていて宇宙空間を歩いているかのような寂寥感だった

2023-10-17

21トリソミーの我が子を諦めた

顕微受精を繰り返してようやく授かった、待望の第一子だった。

心拍確認の日はまだ嬉しさより驚きが勝ったが、着実に育つ姿を毎週エコーで見せてもらううちにじわじわと母になった実感が湧いてきた。

自分ではない小さな命24時間片時も離れずそばにいてくれることがとにかく幸せで、自己肯定感の低さや寂寥感が一気にほどけていくような、かけがえのない、優しい数週間だった。

なのに、NIPTで陽性、羊水検査も陽性。

その可能性が無いわけではないと理解していたからこそ、それなりの覚悟をもって検査を受けたはずなのに、いざ陽性と言われてみると全く結論に辿り着けない。

数分おきに正反対のことを考えては、どちらの選択も罪深く感じられて、またゼロから考え直すのを延々と繰り返す。

泣くことに疲れ果て、考えることにも疲れ果て、かと言って熟睡もできず、次の日も朝から疲れた脳で堂々巡りを繰り返す。

簡単に諦められたわけがない、大切な大切な我が子の命に関わる決断だ。

でも、あんなふうにして出した結論が本当に正解だったのか、今でもずっと悩んでいる。

今更悩んだところであの子が戻ってくるわけではないと分かっていても。

親の私たちもっと楽観的な性分だったら、もっと人の優しさを信じられる性格だったら、もっとこの国の将来を信じることができていたら、今頃あの子はここで息をしていたかもしれない。

だけどそうなれなかったから、この先死ぬまで何十年もずっと毎日の子のことを思って寂しさに耐えながら生きていくしかない。

2023-08-01

他に選択肢がないからしゃーなしにつるんでいたという寂寥感

仕事を始めて小銭を持つようになると学校の頃のつきあい消滅していって、金と自由が手に入ったのはいいけどそういうことだったんだなあって寂しく思うおじさんであった。

2023-06-06

anond:20230604131352

『贅沢を言えば、常に恋人がいたらいい。恋をしてる時は楽しいしな。』

氷河期世代って40とか50でしょ?

全体的に寂寥感を感じるし、あまりに幼いなと思った。

2023-06-04

anond:20230604122310

俺は元増田の言うライスシャワーアンチだったけども、死を喜ぶなんて不謹慎なことはしなかった。寂寥感はあった。

もっとも、競馬自体不謹慎な遊びなのだが。

2023-01-14

anond:20230114155905

主成分は嫉妬

それに加えて

自分感性否定された敗北感

自分の支持を失うかもしれない恐怖感

本当は自分も仲良くなりたい寂寥感

そんなもんでできているよ。

2023-01-11

30歳独身

1人で夕飯を食べていたら高校の友人から彼女への婚約指輪を買ったと報告された。

相手も知っている人なので「おめでとう」を投げかける。祝う気持ちと、寂寞の思いが入り交じりながら。

当方先日三十路突入したが独身極めりである

というか会社に入ってから付き合っていない。お陰で人を好きになるって……?みたいなレベルから始めないといけないかもしれない。

如何せんそこそこ充実はしている。ウマ娘だったり旅行だったり。今の生活彼女が入ったらどうなる?この自由生活が無くなってしまうのでは?とも思う。

不意に危機感に苛まれマッチングアプリを始めては見るものの、いいねなど来るはずもなくたまにマッチングしても会うに至ることもない。

そんなわけで独身独身でいいかと言い聞かせながら30歳に突入したのだが、正月休み高校友達グループと集まった。

かなり仲が良く毎年旅行に行ったり遊んだりしていたのだが、ここ数年は家庭を持つ奴が増えて年々集まる機会が減ってしまっていた。

遊ぶにしても彼女奥さん連れてきていい?みんなで集まろうよ!ってなったりもする。

いやもう気を遣わないお前らと遊びたいんであって、彼女とか奥さんかいたら変な気を遣うだろ!

お前らは変わっちまったなぁ〜!と言葉を投げかけはするが、実際のところ変わっていることが正常なのかもしれない。自分高校の頃から変わっていないことに対する強がりなのだろう。

社会人になると学生の時の友達と連絡取らないよ!という人もいる中で遊んでくれるだけ良いと考えるべきなのだろうか。

ただ、結婚式が、子供が、家が、と幸せそうな家庭を築き上げる友人達と集まる度に、高校時代に取り残されたままの自分はどうしようも無い寂寥感に襲われる。

付き合った報告や結婚報告で最後に心から祝えたのはいつだろう。

自分幸せじゃなきゃ、他人幸せを心からは祝えない。

こういうところがダメなんだろうな。

2022-07-21

ここ10年で「滅茶苦茶面白いな!」って自分が感じたコンテンツを思い出してみる。1【追記したよ】

最近ドクターストーンというアニメの録画を見て年甲斐も無く「滅茶苦茶面白いなこれ!」って思って感動した。

人生って嫌な事も多くて、正直先も真っ暗で最終的に悲惨な結末を迎えるかもしれないな…って暗い想像をする事もよくあるんだけど

そういう時ベタだけど「うわめっちゃおもしれえなこれ!」ってコンテンツ出会えたらそれが一瞬でも生き甲斐になれる事がある気がする

なのでここ10年という最近に「これに触れる事が俺の生き甲斐なんだ!」ってくらいハマった物を少しずつ思い出して一度書き出してみたくなった

思い出せない物も沢山あるだろうけど、それでもその時その一瞬でも楽しめたのならきっと幸せな事だったんだと思う。ハマった年も覚えているなら書く事にする。

クロスアンジュ 天使と竜の輪舞2014年

まれて初めて最後まで追った深夜アニメ。このアニメを録画するためにブルーレイレコーダーを購入した。

機動戦士ガンダムSEED監督福田己津央氏が製作に携わっているという事で怖い物見たさで見始めたのだけど、見ている内に見事にハマってしまった。

OPに出てくるキラっぽいキャラが出るまではとにかく見ようかな…と思ってたんだけど、まさにそのキラっぽいキャラが出てくる4~5話で完璧にハマってしまった。本当に大好きだった。

次回が公開される一週間後を待ちきれず、放送日が来るまで何回も何回も録画した回を見返して待っていた覚えがある。今の自分からは考えられないくらいハマっていた。放送後に発売されたゲーム版スパロボも買っていない。

マジック・ザ・ギャザリング2012~2013年

イニスラード~ラヴニカへの回帰がスタンダートだった頃のMTG。当時友人達と一緒に遠くのカードショップまでカードを買いに行くほどハマっていた。

少年時代コロコロコミックで連載していたMTG時代デュエルマスターズが好きだったんだけど、地元MTGを取り扱っているショップが無かったので実際遊べるようになるのにその漫画を読んでいた頃から10年以上かかった。

基本的に安いカードしか買わないようにしていたんだけど、それでも結構な額を使ったような覚えがある。今ではその友人達との縁は切れたけれど、MTGだけは今でもMTGアリーナで遊んでいる。

当時ニコニコ動画MTG架空デュエル動画が大いに盛り上がっていて、そのシリーズが好きだった。所謂例のアレジャンルなので今となっては不謹慎かな、と思う。

空の境界TYPE-MOON作品2012年2013年

当時菊地秀行氏や夢枕獏氏の作品の影響で所謂伝奇バイオレンス小説にハマっていて、何でも良いか面白い伝奇小説は無いか!?と思っていた時期に古本屋出会ったのが講談社ノベルス空の境界だった。

一冊100円という事でとりあえず上下巻買って読んだんだけど、とにかく読みづらくて「Fateとか月姫好きな人間はこんな読みづらい文章作品にハマったのか…?」と読み始めた頃は思っていた。

読みづらい、とにかく読みづらい…と思いながら読んでいたけど上巻の終盤に始まる第五章・矛盾螺旋あたりから「あれ?この本読みづらいけど結構面白いのでは…?」と思い始め、下巻を読破する頃には完全にハマっていた。

正直今でもこの本の内容を理解しきれているとは言えないけど、主人公両儀式とその親友黒桐幹也恋愛物語にもうのめり込んでしまった。しばらく後にこの作品アニメ化している事を知りすぐにレンタルで全巻借りて見た。

アニメの出来もとても素晴らしくもう空の境界熱は止まる所を知らなかった。生まれて初めてアニメDVD、それも初回限定盤を買ってしまったし書店アンソロジーコミックスも買った。寝ても覚めても両儀式の事ばかり考えていた。

この自分の「好きだ!」「こういうのが見たい!」という熱量が、自分SSを書かせる行動力も与えてくれた。とあるコミュニティ空の境界SSを投下していたのもこの時期だったと思う。出来はあれだったけど、熱量はあった。

空の境界と同じ世界の話という事でメルティブラッドにも手を出してプレイしたし、メルティブラッドと同じ世界という事でついにCSFateにも手を出してしまった。クリアするのに60時間以上かかったけど、あれも凄いノベルゲームだった。

ここまで来るともう空の境界面白い、というだけでは収まらなかった。Fateの前日譚という事でFate/Zeroの小説通販で全巻買って読んだ。滅茶苦茶面白かった。その後はネットの各所でFateSSを読み耽りまくっていた。

空の境界アニメを見たんだから他の型月作品アニメも見るか!という事で、真月譚月姫DEENFate/stay nightのTV版と劇場版Fate/Zeroのアニメセールの時に全巻借りて三日で全話見てしまった。

正直今の自分には信じられないくらいの熱量がこの頃の自分にはあったと思う。倍速でアニメを見るのもしんどい今の自分が、TVアニメを計5クール分と劇場版アニメ一本を立て続けに見るとか、完全にハマっていた。

その後空の境界の続編小説が発売されている事を知りそれも読み、未来福音劇場版も楽しみだったけれど劇場には見に行けなかったのでレンタルで旧作扱いになる一年後に100円で借りて見た。これも中々面白かった。

この型月熱はずっと続くかと思っていたけど、ハマってから数年経つとやっぱり少しずつ冷めてしまった。色んな要因が重なった物だと思う。

型月ファン同士の嫌になるような叩き合いを見たとか、とある型月ファンサイトで作品叩きやらキャラ叩きやら嫌な思いをしたとか、自分の中で神聖視していた式のエッチな絵を見て衝撃を受けたとか、色々重なった。

結局2014年頃に放送されたUBWアニメ版は「劇場版の中で出来た自分イメージと違うと嫌だから」という理由で見なかった。2017年にやっていたアポクリファアニメは見たけど、こっちは先入観無く最後まで楽しめた。

多分今でも作品に触れたらそれなりに楽しめるんだろうなって思う。3/16事件とかDDDとか型月熱が冷めた後に触れてもそれなりに楽しかたから。それにしても、空の境界熱狂してた頃は本当に楽しかった。

修羅の門海皇紀川原正敏作品2013~2016年頃)

ある時月刊少年マガジン立ち読みした時に「陸奥VS呂布」という謎の煽りを見て何だこの漫画は…?と思ったのがこの漫画に対する第一印象だったのは覚えている。実際に読んだのはそれから大分経ってからだった気がする。

刃牙烈海王ボクシング編が「烈の門」と言われたり、夢枕獏餓狼伝をパクった作品だと夢枕獏本人に名指しで批判された事で、タイトルだけは読む前から知っていた。知っていたけど、中々手に取る気が起きなかった

それでもまあ有名だからきっと面白いんだろうな…と思って読み始めた所、最初の方は絵がお世辞にも上手いとは言えなかったり背景も正直手抜きだと思っていたけれど、いつしか…いつの間にか読む内にこの漫画にハマっていた。

第二部の決勝戦の頃には完全にハマっていたから、恐らくその前の片山右京戦・飛田高明戦あたりでハマっていたのかもしれない。第一部初期はあー夢枕獏作品パクリと言われたのも分かる…と思いながら読んでいたから。

気付いた時にはグラップラー刃牙夢枕獏作品より修羅の門には好きになっていた自分に驚いた。特に四部バーリ・トゥード編は未だに全格闘漫画で一番面白いパートなのでは?と思っているほどお気に入りだったりする。

修羅の門を読み終えた後には「とにかく修羅関係作品が読みたい!」と最初歴史物だからという理由で全く興味が無かったスピンオフ修羅の刻も読んでいてそちらにもハマっていた。幕末編と西部編、とにかく面白いんですよ。

その修羅の刻も読み終えると「もう修羅でなくても良い…川原先生作品なら何でも良い!」と、あの大長編海皇紀にも手を出していた。とにかく長くて表紙で何巻か見分けが付かない漫画、といえば知る人も居るかもしれない。

これもとにかく長かったんだけど…読み終える頃には「これもしかして修羅の門より面白くね!?」というくらいハマっていた。修羅の門を描いたご褒美なのか、とにかく川原先生の当時描きたい物を描いた漫画、だったのかもしれない。

この長い海皇紀もコツコツ集めて読み終えた頃には、他に読める川原先生作品といえばパラダイス学園やあした青空エンジェルHEROなどの短期連載作品か…それとも当時月マガで連載していた修羅の門の続編か、だった。

修羅の門とは全然雰囲気が違うなあと思いながらも川原先生の初期の作品も読んだし、修羅の門第弐門も九十九VS姜子牙戦あたりから毎月リアルタイム月マガ立ち読みして追っていた。とにかく夢中になっていた。

九十九VS子牙戦の間に挟まれ九十九VSケンシン・マエダ戦は「もしかしてこれ本当に九十九は負けたのでは…」と読んでいてハラハラしたし、その後のラスボス・海堂さんと九十九の戦いは最後までどちらが勝つか読めなかった。

この修羅の門第弐門のエピローグ、或いはプロローグにあたる修羅の刻・昭和編がその後月マガで連載されたのだけど、こちらも最後まで面白かった。あまり面白さに単行本も珍しく新刊で買いました。これまた面白かった。

その修羅の刻・昭和編を読んで自分の中で一旦何かが満足したのか…川原先生の新作・龍帥の翼自然と読まなくなった。これも海皇紀と同じで長くなりそうだ、と思ったのかもしれない。実際読んでみたら面白いんだろうけど。

フルメタル・パニック2018年以前)

これもいつ頃ハマったのかは覚えてないけど、少なくともアニメの四期が始まる以前だったような覚えがある。揺れるイントゥ・ザ・ブルー、が面白かった事がこの作品にハマった切っ掛けだったような気がするけどあまり覚えていない。

フルメタ最初の一巻か二巻かを読んだ後にその後長年放置していた覚えがあるんだけど、何かがきっかけで積読を崩してからはもう夢中になってフルメタを読み耽っていた。恐らく当時ロボアニメにハマっていたんだと思う。

短編はあまり好みじゃなかったけど、長編と中編が面白いのなんの。途中で積読が何巻か抜けていた時は自転車で即書店に走ってその抜けを埋めて読むくらい、それほどこの小説にハマっていた。夢中になって読んでいた。

途中で作者の後書きに反感を持ったり、正直最後の方の駆け足展開ご都合展開は好みじゃないと思ったけど、それでも面白くて時間を忘れて読んだ小説だった。スピンオフにあたるアナザーは未だ読んでいない。

アルスラーン戦記田中芳樹作品2015年~)

2015年荒川弘氏のコミカライズ版がTVアニメ化した作品アニメの一話を見て面白いな!と思い、二話までにそれまで積んでいた角川文庫アルスラーン戦記を全て読み終えた。滅茶苦茶面白かった。

アニメアルスラーン戦記主題歌が良く荒川弘先生キャラデザが魅力的という事で中々楽しく見ていた。割と初期に原作漫画を追い越してしまった影響か最後の方はアニオリ展開になってしまったのは残念だった。

とにかくこのアルスラーン戦記読破した事で「やっぱり田中芳樹作品面白い!」と思い、マヴァール年代記タイタニア夏の魔術や灼熱の竜騎兵等々それまで買っただけで積んでいた田中芳樹作品を貪るように読んでいた。

その中でも銀河英雄伝説は「数年かけてOVA外伝まで完全に制覇したのに、何で大まかな話を知ってる話をもう一度活字で読まなければいけないんだ?」と思っていた。実際読んだら、凄い面白かった。

当たり前だけどアニメ小説媒体が違うという一番の特徴があって、どれだけ声優さんナレーターの人の語りを入れてもアニメでは原作小説で描かれていた部分をそのまま全て作品に出来る訳ではないのだな、と思った。

OVA版が長いのもあって丁度内容を忘れ始めていた事もあってか、それとも純粋にこの小説が名作だからか、この場面や台詞は先にアニメで見て知っているなと思いながらもワクワクしながら読んでいた。

本編10外伝4巻の計14巻を読破した後は満足感と寂寥感の両方があったかもしれない。長い小説だけど、2018年2020年リメイク版が地上波放送された時はまた熱が蘇り読み返した。本当に良い作家さんだと思う。

とらドラ!竹宮ゆゆこ作品2016年

自分の中で小説ライトノベルを読むのが何より楽しみだった時期に読み耽っていた作品。これも一巻だけ読んだ後は長い事積んでいたけど、ふと他人とらドラ!読後の感想を見かけてこれは面白そうだと思い積読を崩し始めた。

どんな作品にも言えるけど、ある時期話題になった作品というのはやっぱり話題になるだけの面白さはある物だと思う。一度読み始めると「この先は一体どうなるんだ!?」と気になって気になって仕方なくなった。

この作品を読んでいて特徴的だと思ったのは、ヒロイン達が男にとって都合の良い一種アイドルではなく醜い所・駄目な所・嫌な所もある人間臭い存在として描かれている所だった。逆に男子達には理想が入っていた気がする。

積読を読み終えると続き読みたさに書店へ走り、それも読み終えると今度は「竹宮ゆゆこ先生作品なら何でも良い!」とわたしたちの田村くんゴールデンタイムも買って読み始めた。こちらも同じく最後まで楽しませてもらった。

特にゴールデンタイムは途中まではもしかしてこれはとらドラ!匹敵する名作なのではないだろうか?と思っていた。とらドラより巻数が少なかったためか終盤は駆け足気味に話が終わらせたのが残念だった。

ゴールデンタイム以降竹宮ゆゆこ先生作品には触れていないけれど、彼女電撃文庫で発表した二十数巻の小説はある時期の自分を本当に楽しませてくれた素晴らしい作品だった。本当にありがたい事だと思う。

野球漫画全般2015年以降?)

いつだったか自分の中で野球漫画ブームが起きていた時期があった覚えがある。現実野球が大好きという訳ではないけど、漫画というフィクションの中で描かれる野球という競技には本当にワクワクさせられた。

ドカベンなどの水島新司作品書店で片っ端から買い漁ったし、他にもあだち充作品ラストイニングおおきく振りかぶって名門!第三野球部ペナントレースやまだたいちの奇蹟などとにかく野球漫画を読みまくった。面白かった。

登場する女の子の可愛さは最強!都立あおい坂高校野球部が抜群だった気がする。中でも一番読んでいて夢中になれた作品ラストイニングだけど、結局何とか甲子園に出場した所以降はまだ読んでいない。いつか読みたい。

あだち充作品2015年以降)

野球漫画を片っ端から読んでいく内に、それまでタイトルと絵だけは知っていたけど読んだ事が無かったあだち充作品にも触れる事になった。最初に読んだ作品H2だったと思うけどこれがもう面白いのなんの。

野球恋愛をセットの物として描くからこっちは今野球が読みたいだけなのに!と思っている時はその恋愛要素が鬱陶しく感じる事もあったけど、それ込みで野球というスポーツを描く作品として本当に面白かった。

H2の後はタッチクロスゲームなどの野球物は勿論の事、ラフ虹色とうがらしいつも美空みゆきなど野球要素が無いあだち充作品明後日は読み耽っていた。読んでいて一番自分に合ってるな、と思ったのはクロスゲームだった。

コータローまかりとおる!2016年以降)

古本屋で全巻セットがお得なお値段で売られていた事から出会った作品タイトルだけは知っていたけどあまりに長すぎて自分が読む事は無いだろうな、と思っていたから意外な出会いだった。

82年連載開始の漫画という事で、最初は絵も内容も古いな…と思いながら読んでいたけど、絵が読みやすくなったりキャラクターに愛着を感じ始める頃には流石長期連載される漫画だけあって面白い!と思いハマっていた。

主人公コータローがとにかく作中で色んな事に手を出すのでこういう漫画である、と一言では言えないんだけれど…格闘・バトル・学園物の漫画というのが近い気がする。もっと言うなら何でも有り漫画なのかもしれない。

全59巻という長さにも拘らず最初から最後まで面白いストーリー漫画というのは本当に衝撃的だった。これは続編も面白いに違いない!と早速柔道編も買って読んだけど期待は裏切られる事無くやはりそちらも名作だった。

この名作少年漫画原作者の蛭田達也先生病気療養が理由2004年から連載が休止している事は知っているけど、実際に単行本最終巻を読むともうここから先は読めないんだな…と寂しく思ってしまった。

コータローまかりとおる!の連載が休止して再来年20年、この名作の続きが世に出る事があればこんなにめでたい事も無いのに…と思う。昔の漫画だけど本当に面白くて90巻以上退屈せずに読めるって凄い事だと思う。

anond:20220721070237anond:20220722013251に続く

2022-05-21

少年漫画ジェンダー観の刷り込みより少女漫画ジェンダー観の刷り込みのほうがやばかった。

https://note.com/tiikawa1216/n/ne14b9644bf7f

当時有名だった少女漫画を読んだ。フルムーンを探して、ママレードボーイ、グッドモーニングキス…  

内容は定かではないものの、すべてとても面白く、良い物語だったと思う。

しかし、いくつかの物語を読むにつれて、私に「空虚さ」や「違和感」が蓄積していくのを感じた。

私が少女漫画から学んだ内容は、「女の子って、好きな男の子と付き合ったり結婚できたらその先の人生は”その他”みたいなものなのかなあ…」であった。

最終的に結ばれる側の男性には仕事の話や大学進学の話など、たくさんの「未来に続く道」が暗示されていた。それにも関わらず、主人公である女性男性と付き合い、結ばれるところまでで精一杯であり、それ以外にやりたいことやどのような将来に向かっていくのか見えないのである男性に一直線に向かって打ちあがる一輪の花火のようなものだ。その花火が咲いた瞬間がマンガクライマックスであり、そのあとにはチリ寂寥感しか残らない。それがなんとも刹那的であり、同じ人間として数十年を生きるという寿命的設定と噛み合わず空虚を感じる。

もちろん現在では、昔に比べて少女漫画多様化が目覚ましい。愛の在り方に関する表現イケメンとのイチャラブに集約されるような一様なものでなくなってきているという事実は、たくさんの精神的自由女性に与えているのではなかろうか。

他者への愛は比べられるものでもなく、好きな人は好きなのである

少女漫画はかつてのジェンダー再生産的役割から個人自由意志や決定をフォローしてくれる役割シフトしてきていると思われる。

2022-05-19

他者攻撃することに悦を感じてる系増田って

結局は「寂しい、人に関わりたい」って気持ちが歪んで、他人攻撃してでも誰かに関わりたいだけだから

「どんなに口が立とうが最後発言した奴が負け」なんだよね。目的は達せられず、寂寥感を残して終わるから

ただそういう増田って自分本心に蓋をして気づけていないから、執拗粘着して、相手が帰るまで攻撃し続ける

結果、毎回「最後発言」し続けることになる。

リアルでも負けてるのに増田でも負けてるって哀れよなぁ。

anond:20220519141644

地元というほどではないけど、地元からいか中野ブロードウェイがなくなっていくのは悲しいな。

アキバも「アキバ!!」って感じじゃなくなってきたな、だんだん神保町はあまり行かないから知らね。

まぁそれを言ったらガチ地元駅前とか大きく変わったし、「ここ、何があったっけ?」とか全く思い出せないし。

なんというか、子供時代とか青春時代を過ごしたノスタルジーを感じる風景がなくなることに寂寥感を覚えるだけで

別に、豊かとかそういうことを気にするわけじゃない。便利になることはまぁ、良い事だ。

マニアしか行かないようなニッチなお店がなくなることが、マニアにとって便利かは置いといて。俺マニアじゃないし。

2022-05-12

自分の子どもがうらやましい。

我々両親がきちんと家におり、平日土日問わず毎日それなりに相手をしてくれる。たまにおばあちゃんが面倒見てくれる。多分、子ども側で親が不要にならない限り、これからも我々は構い続けるだろう。むしろ子離れの方を気を付けなければいけない。

翻って、自分の子時代昭和末期。父親基本的に家にいない。平日は仕事で土日はパチンコ。夜だけいる感じ。食事は一緒に取らない。核家族で他に頼れる相手もいなかったため、母親ヒステリーは日ごと激しくなり、小学校に上がってからの両親は週次で激しく罵りあっていたように思う。恐ろしいことに自分の周辺ではこれが逸脱した家庭環境というわけではなかった。友人の父親ほとんど思い出せないし、たまに友人宅の夫婦喧嘩に遭遇することもあった。

父親中学に上がってから単身赴任になり、ますます存在が薄くなった。母は兄と私をほぼ一人で育てていた。兄は母とは早々に距離を取り、結果私は、母の溺愛とヒステリーを一身に受ける羽目になった。けれど、今自分子育てをしていて思うのは、そりゃこんなのワンオペしてたら気も狂う。正直母言動の数々は今でも許し難いものがあるが、時代を考えると、あれでも母は私を愛していたのだろうと確信できる。何なら父の家庭での有りようも、昭和においては特段珍しいものではなかったのだ。営業職として身を粉にして働き、金だけ家に入れて、土日は燃えカスになっていた。自分が同じ生活をしたら、まあ燃えカスになるだろう。その姿を見ていたからこそ私はいま、ラクチンな仕事を選んでいる。父も、あれはあれで多分家庭への愛情があったのだ。なのに、私の記憶には父が一切残っていない。特に同情もしないが、一抹の寂寥感というか、井上陽水人生が二度あれば」が頭に流れる。残念ながら両親は既に離婚しており、老いた二人がこたつ若いころを話すこともない。

2022-04-24

ネオン灯の味わいがなくなった

まだアメリカ台湾などアジアにいくとネオンはあると思うけど、

日本はほぼなくなった

仮にあったとしても寂寥感しかない

沖縄かにいけばまだ空気が違うかもしれない

2021-10-09

おっぱい星人ドイツ温泉

乳揺れと統一教会に揺れるはてな界隈の皆様、いかがおすごしでしょうか。


唐突だが、ドイツ温泉は男女混浴で、水着なしである

ドイツ人は異性の裸を気にせず温泉に入る。

マライ・メントライン(ドイツ人 女性 テレビプロデューサー)が

「意外と惜しみなく出た私の入浴シーンはいかがだったでしょうか?」といささか

挑発的なつぶやき(注1)をするのも、この意識の延長線だろう。

となれば、おっぱい星人ドイツに行って温泉に入り、生おっぱいを見るべきだと思う。


ドイツ温泉世界一ィィィー


そこで少年の心を持ち続けるおっぱい星人たちは、新たな発見を目にすることだろう。


かって、ブイブイいわせ、栄耀栄華を誇った「量産型おっぱい」が

加齢と重力にはあらがえず、「長物(ながもの)」と化していることを。


奢(おご)れる乳は久しからず
兵(つわもの)どもの夢のあと


夢崩れたおっぱい星人たちは、ボサノヴァ名曲イパネマの娘」の歌詞にも

深く共感するに違いない。人種民族を超えた(注2)

普遍性意識する・・・せざるを得ないのだ。


ああ なぜすべてがこんなに寂しいのだろう(注3)


しか絶望することはない。

寂寥感を得たおっぱい星人は、今まで女性(の胸)に向けていた毒々しい視線

なくなり、女性からの評も一変すると思うのだ。


あの人だったら、(私を口説いたり襲ったりしないから)安パイよ(注4)


おっパイは手に入れられないが、安パイ称号は手に入れたのだ。


少年大人階段を昇ったのである


もっとも「サンマ目黒に限る、おっぱい二次元に限る」(注5)とメタモルフォーゼしてしま少年兵もいるかもしれないが。


(注1)https://twitter.com/marei_de_pon/status/1046400072223588353?s=20

なお増田はこの回の放送は見ていない。

(注2)作詞者モライスブラジル人

(注3)もちろん、モライスは(こんな美しい娘と付き合うことはできず)、おっぱい星人は(生おっぱいをたくさん見たのに)という補完の違いはあるが。

(注4)安パイ・・・安全牌 の略。

(注5)https://kotobank.jp/word/%E7%9B%AE%E9%BB%92%E3%81%AE%E7%A7%8B%E5%88%80%E9%AD%9A-643655

2021-09-03

anond:20210903023120

いから読んだ方がいいよ。

あの作者の自然描写は最高。そんでそれがシナリオにも活かされて寂寥感に繋がってるしめっちゃええで。

2021-08-16

anond:20210816080843

うるせぇ海外旅行厨が

オマエは

ともひ「ゆうやトリップ

鳥取砂丘センセイの「境界線上のリンボ

を読んで絶対に行けない所に憧れる寂寥感にひたってろ

2021-03-29

とても嬉しいことがあったか死にたい

とても嬉しいことがあった。自分努力存在のもの肯定されるような出来事だ、というのは大げさかもしれないが、自分はそれくらい嬉しかった。だから、この嬉しい気持ちのまま、死んでしまいたい。嬉しいことがあるといつも死にたくなる。

旅行の帰りにも死にたくなる。楽しい思い出と少しの寂寥感を抱えながら、家の近くの交差点信号待ちをしているとき、このまま飛び出してしまいたいと思う。人に迷惑をかけて死ぬのは良くないからやらないけど。

でも辛いときや悲しいとき普通に死にたくなる。苦しいのは嫌だ。死んだら辛いのも悲しいのも無いから死にたくなる。

逆に生きたいと思うときほとんどない。何か楽しみなことがあっても、この楽しみな気持ちを抱えたまま死にたいと思う。○○をするまでは死ねないというよりも、○○をしたい楽しみな気持ちが終わらないうちに死んでしまいたいと思う。

まあこんなふうにぐだぐだ書いていても、多分自殺とかは出来ないだろう。この間ぼうっと歩いていて、気付いたらすぐ近くに車がいた。死の恐怖を感じた。おかしな話だ。死んでしまいたいと思いながら、死は怖い。ありふれた平凡な人間だ。嫌だ嫌だ。

事故死ぬのはダサいから何かの病気になって研究されながら死ぬか、誰かを庇って死ぬという漫画みたいな展開で死にたいな。誰か死なせてくれ。

2020-12-13

地方都市はいいぞ(茨城県日立市編)

就職でなんとなく日立市に流れ着いて永住することになりそうな身として、淡々生活感想を書いてみる。

中核市でも農村でもない、日本中に沢山ある人口20万人弱の地方都市の一生活者の記録です。

環境

3年ほど前に建売4LDKを購入。

働き方改革が始まる数年前までは残業して帰る時間に空いている店も少なく、娯楽が少ない環境で、他に使い道もなかったので、20代で新築する夫婦は同期の中で珍しいほうはなかった。

田舎人間は、家を転売可能資産などとは思っていない。

掛け捨てのアパート代よりマシぐらいの気持ちで35年ローンを組む。

マンション…はJR駅の近くに新築分譲マンションが1棟ぐらい出ていたが、駅の近くに何もない街並みなので、価格ほどの魅力は感じなかった。

でも某H社の関係転勤族単身赴任の人も多いので、マンションは主にそういう方に需要があるのだと思う。

客間が在宅勤務の仕事部屋になり、将来の子ども部屋は物置部屋になっている。

もともと私は物を増やす性質で、夫は物持ちが良くあまりものを増やさないので、ほとんど私の荷物占領しているのはいちおう申し訳なく思っている。

アパート暮らしとき電子書籍一択だったのが、紙の本を買えるようになって嬉しい(ほとんど漫画だが)

徒歩5分圏内には、コンビニ24時間営業のチェーン系飲食店が1件。

決して充実はしていないが、孤独を感じるほど何もないわけではないのが良いなあと思っている。

10分歩くと砂浜。

まれ育ったところは海まで2~3時間盆地だったので、移住したての頃はどこまでも続く水平線結構感動した。

今ではすっかり見慣れてしまい、インドア人間なので夏でもいちいち海に行ったりはしないが、それでも晴れの日は通勤中に海が見えるとちょっと爽快な気持ちになる。

オーシャンビューな感じのカフェにもたまに行く。

国道沿いにはスーパーとかホームセンターとかニトリとかチェーン系のファミレスが一通り揃っているので、日常的な買い出しはそこに車で行く。

しかに車がないとかなり不便。

うちは夫婦ともバス通勤なので、車は1台で充分なんだけど、うちも含めて周辺の物件には3~4台の駐車スペースが確保されている。

そのくらい車社会なのだ

私は元々かなり運転に苦手意識があったのだけれど、前職を辞めて1年ほど在宅パート生活をしていた期間があり、時間に余裕があって必要にも迫られていたので、生活に困らない程度には運転できるようになった。

慣れると運転楽しい

あと、夜でも気兼ねなく出かけられるのは、特に女性にとってはかなり大きなメリットなんじゃないかと思っている。

娯楽

市内に娯楽施設らしいものはないが、最近話題公立動物園はなかなか立派なものがあり、子どもが出来たら連れて行ってあげたいと思う。

今にも逃げだしそうなゆるい囲いのカピバラと近距離で触れ合えるのと、珍しいヘビとトカゲがいっぱいいる。

週末何してるかというと、夫はゲームラズパイ開発か資格勉強してるし、私はネット漫画か知り合いのサイト開発などしていて、自宅を謳歌している。

たまには30分ほど海沿いを運転して隣の市のショッピングモール(withシネコン)に行く。

あと、土曜の夜は隔週で、やっぱり30分ほど運転して絵画教室に通っている。

先生が昼は喫茶店マスターをしている気軽な教室で、デッサン楽しいが、半分くらいは先生高校生たちの明るい雑談を聞きに行っている気分。

数年前、インドア人間のくせに、思い立ってSUP(スタンドアップパドルボード)に行ったことがあった。

独身時代に住んでいたアパートの近くに、体験プランをやっているショップがあったのだ

ちょうど今くらいの季節で、めちゃくちゃ寒かった。

そのときは海じゃなく流れが穏やかな川で、インストラクターに促されてボードの上に仰向けに寝そべってみると、川の上に寝ている感じが心地よかった。

川で獲れた(?)という鮭のイクラ載せ放題の昼食と、1日SUP体験合わせて5千円。

かなり満足度の高い体験だったが、当時は趣味に投入する色々な(主に精神的な)リソースが足りていなくて、続けるには至らなかった。

でもまあ、その気になればそういうウォータースポーツができる環境もあるし、釣り好きな人には最高の環境だと思われる。

車に乗れない人や学生は遊ぶところがなくて寂しさを感じるかもしれない。

私はこの町で青春を過ごしておらず、余計なお世話ではあるのだが、そのあたりの寂寥感日立市出身の人気ラノベ作家ヤマグチノボル氏(ゼロの使い魔で有名)の著作からも伺えた。

若くして亡くなった氏の作品には衰退しつつある故郷への愛が込められていて、よそ者の私が後から読んでも、何というか非常にしんみりしてしまものであった。

これも隣のひたちなか市だけど、邦楽好きとしてROCK IN JAPANに気軽に行けるのは最高。

今年はコロナでなくなっちゃったけど。

ネモフィラコキアも良いのだけど、最近は人気で人が多すぎてあまり行っていない。

仕事

ぽんこつプログラマとしてまあまあ楽しく働いている。

某H社様のおかげで市内の同業種求人はいつも需要供給を上回っている印象。

1回辞めた既婚アラサー女の私でも再就職できたし。

通勤バス使ってドアtoドア30分弱。

バス乗車が10分で、公園のカモを数えながら15分ほど歩く。

全部歩いても45分くらいなので、気が向いたら音楽を聴きながら歩いて帰る。

バスは、2005年に廃線になった日立電鉄線路跡をバス専用道路にしたBRTというものが開通して、かなり便利になった。渋滞に巻き込まれないバスは良いものだ。

(ローカル線好きとしては、電鉄に残ってて欲しかった気もするが)

BRTは自動運転試験運行も始まったりしていて、ちょっとクワクしている。

雇用がある町は強いなと思う。私は地元がかなり好きだけど、就きたい仕事の枠が無くて地元を出たので。

正直最初に越してきた頃は、工業都市特有の無機質な景観沿岸部らしい雨風の強さに冷たい印象も受けたのだけど、ここは働くための町なんだと思う。おかげで図書館とか病院とかも新しくて綺麗。

教育

まだ子ももいないので何とも言えないが。

子どもの興味と合致したら将来は茨城大か茨城高専か筑波大に行ってくれたら経済的には嬉しいかな、ぐらいには思っている。

東京に出たとしても、週末気軽に行き来できる距離なのは良い。特急で片道1時間半、高速バスで片道2時間半。

東京(というか上京)に対して北東北民ほどの執着が無さそうだもの

需要全然ないと思うけど、生まれ育った岩手県盛岡市についてもそのうち書きたいと思います

2020-12-11

結婚によって寂しさが改善れるが、改善されないと結婚できない

結婚別に交際に置き換えてもよい。

結婚なり交際なり、深く自分必要としてくれる人、自分必要とする人が近くにいることは、ものすごく寂しさの改善になる。

だが、現時点でどうしようもない寂しさを抱えていて、寂しさを解消するために結婚を求めていると、結婚が遠のく。

自分の寂しさを解消できず、ヨシヨシしてもらおうというある種自分勝手な、求めるばかりの人というのは当然魅力は相手に伝わらない。

相手の寂しさも解消してくれるというスタンスでいても、自分が寂しいと感じている時点で相手に求めるものが多くなってしまう。

結局、自分気持ち自分でどうにかできる人ではないと結婚はできない。

じゃあ今結婚している人たちは、寂しさを感じたことがないのかといわれるとそうでもないかもしれない。

中年のどうしようもない寂寥感ではないにしろ若いころの自分のことを知ってほしいという渇望はそれなりに大きいものなのだが、相手も若く相手から渇望されることにそれほど抵抗がないのだろう。

結局若気の至りというか、若い時の情熱がなければ結婚の波に乗れないのかもしれない。

年を取れば寂寥感も巨大になり、でも若いころの情熱も男女ともになくなると相手の寂しさを素直に受け止められなくなりる。

情熱があるうちに自分気持ちに素直に相手を求め、求められるという経験必要だったんだなと思った

2020-10-12

出かけても出かけても一人

出会い人間関係も無くて虚しいからって家を出て散歩してみても

結局ショッピングモールと自宅の往復だけで

孤独に変わりないのよな

たくさんの人混みに身を投じれば

つかの間の一体感寂寥感ごまかせるけど

誰とも話をせずにすれ違うだけで

連れの人間と会話する人たちが通り過ぎるのをみてもっと惨めになるだけで

もっとこう

人と触れ合うために出かけたいんだが

不審者勧誘犯罪者扱いされるだけなのか

出会いアプリ

いやいや、そんなん登録できるだけですげえじゃん

だって出会えるかもって思えるだけの自信と根拠があるってことでしょ

顔や身長社会的ステータスにさ

俺には何もないよ

だれが好き好んで負け戦しに行かなきゃならんのさ

登録できるってだけで俺とは別の人種じゃん

からって出かけるわけだよ

何かを求めて出かける

でも日が暮れて帰ってくる頃には

今日も虚しかったねって思うんだね

2020-09-28

anond:20200927192127

KKO極めてくると食と酒くらいしか楽しみがなくなって料理が上手くなるのはあるあるっぽいのだ。

便乗して、私は恋愛事には全く向いていないと最近やっと認めた新人KKOワイくん自慢のパスタレシピを喰らえ、なのだ

まずオイルパスタを作れるようになろう

レシピを喰らえ、とか言っておきながら、いきなりレシピじゃないのだ。理論から語りたくなる、ホッテントリにも入ってた「スパイスからカレー作るやつはなぜ面倒くさいか」の面倒くさいやつを地で行っているのだ。なおワイくんはカレースパイスから作ってるし、玉ねぎの炒め方に一家言あるのだ。そうでもしないと人生暇でしょうがいからな。

オイルパスタが作れるようになると何が良いかというと、あとは具材の正しい下処理のやり方を知れば、「〇〇のオイルパスタ」が簡単にできるようになるのだ。さらに言えば、オイルパスタが上手く作れるならクリームを入れてもおいしいのだ。料理は基本となる形、パスタで言えばオイルパスタが分かれば、あとはソフトウェアの書き換えでどうとでも遊べるし美味しいものができるのだ。まずペペロンチーノ唐辛子なし版、アーリオオーリから入るのだ。各々「ぼくのかんがえたさいきょーのぺぺろんちーの」レシピがあるかもなのだが、基本は共通しているはずなのだ。「オリーブオイルにんにくを炒めて塩をひとつかみ入れたお湯で茹でた麺に絡める」が本質なのだ

ここで1番大きなポイントを書いておくのだ。「正しい作り方よりも、美味しく食べること」なのだネットレシピWikipediaと同じくらいの割合で正しい情報が書いてあるのだ。8割くらいは参考になるのだ。でも、乳化しないと麺にオイルソースが絡まない、とか、ペペロンチーノ唐辛子にんにく塩以外入れるのは邪道、とか、パスタ中華麺じゃないんだからフライパンでは炒めない、火を落とすのが正解、とか、うるせぇバァカ!なのだ。冷めたパスタとか冷めたピザくらい価値がないのだ。正しさより温度、正しさよりも旨さをとってくれ、なのだ味の素入れたってホワイトペッパー入れたっていいのだ。ワイくんはまたさめぴみたいな人が首相にならないか待ち望んでいるのだ。

美味しいオイルパスタ、作れるようになったのだ?気をつけてほしいのだが、大親友彼女のツレは居ないのだ。パスタ話題のたびにこれ書いてスター稼いでるブクマカ脳死で書いてるのだ。帰れ。

具材の下処理を学ぼう

パスタの具になるものいくらでも思いつくのだ。きのこトマト香味野菜魚介類などなどなのだ。全てに科学的にも官能的にも正しい調理があるのだ。それを学べば、あなたも「あまりものだけど」で美味しいパスタ作ったお前、ができて、ドヤ顔もできるのだ。ドヤ顔できても彼女セックスもできないのだ。悲しいが料理のうまさと人間としての魅力はそんなに繋がってないししゃーないのだ。

きのこを具にしたい場合は油を少量だけ引いて若干焦げるまで焼いたきのこを別で用意して、オイルパスタに和えるのだ。ドライトマトも同様でいいのだ。トマト缶を使うときは水分が飛ぶくらいまで炒めてトマトソースにするのが常套手段なのだ。魚介はアヒージョを思い出せばいい、油でじっくり火を通すのだ。アクのあるほうれん草を使う場合ちゃんと茹でてから、火を通しすぎると苦くなったり風味や食感が台無しになるセリとか春菊を入れるときは火の通りを逆算したタイミングで入れるのだ。水菜みたいな火を通さなくていいものは、和えるタイミングで入れればいいのだ。具材に合わせて具材を加えればいい、あらかじめ逆算しておけば簡単なのだ

これらはパスタ以外にも繋がる、大事なことを伝えてるのだ。「料理は逆算」なのだ。こういう出力がほしいからこのタイミングでこういう処理をする、を考えられれば、だいたいの料理はうまくいくのだ。辛味が欲しいので、鷹の爪を入れる→鷹の爪の辛味を引き出すには、ニンニクと一緒にじっくり低温で油に辛味を入れる、という逆算なのだパスタ茹でるときに大量の塩を入れるのは、パスタに直接塩をかけるとしょっぱさが不均一かつ表面的になりすぎて美味しくないから下味として入れるのだ。そして何が良いか良くないかは、自分の舌が教えてくれるのだ。ワイくんは田舎者で舌がバカで濃い味が好きだから、優しい味みたいなのは全部「うすい」のだ。出汁引くにしてもまず具材を倍量にするのだ。でも、世の中に受ける、特に毎日食べる家庭料理なら薄いほうが飽きなくて良いこともわかってるのだ。ワイくんは独り身なので濃さの種類を変えて毎日濃いもの食ってるのだ。あなたの舌の、好みの濃さにするのだ。

これらが分かれば、料理ができる人特有の全ての調味料が適量って書いてある雑レシピでも十分においしいものができるのだ。さて、ようやくワイくん自慢のレシピを公開するのだ。適当レシピを書くのだ。

九条ネギオイルパスタ

大量の1.カリカリに炒めた九条ネギ 2.ちゃんと火を通して甘みを引き出した九条ネギ 3.軽く火を通したフレッシュ九条ネギを作るイメージで、アーリオオーリオを作るのだ。アウトプットがこれなのだから、入れるタイミングは逆算するのだ。

答えを言ってしまうと、1.ニンニクと一緒、2.乳化前、3.和えるタイミングなのだちょっとだけでも、料理は逆算、の意味がわかったのだ?

ちりめんじゃこシソオイルパスタ

こんなレシピ簡単に思いつくのだ。ジャコシソは合う。ならジャコシソオイルパスタに入れてしまおう、なのだシソは火を通しすぎると色味も香りも悪くなる、だから和えるタイミングで入れる。パスタに絡むように、シソは細切りにするのだ。ジャコなんていつ入れてもうまいのだ。硬いやつなら最後、柔らかいやつを硬めな食感にしたいなら乳化前、柔らかいままにしたいなら和えるタイミングなのだ。完全に「こういう出力がほしいからこうする」の逆算なのだジャコパスタリアス、なんて1万回はこすられたであろう名前をつけておくのだ。

1日350gの野菜パスタ

とあるクソブクマカもニッコリな野菜たっぷりパスタなのだ。1.ニンニクと一緒、2.乳化前、3.和えるタイミングとして、

1. ナスきのこアスパラブロッコリー

2. キャベツほうれん草セリ春菊の茎・ドライトマト

3. 水菜大葉春菊の葉

のような感じで、余った野菜を適切なタイミングで加えてペペロンチーノを作るのだ。野菜炒め麺入り、みたいな状態になるのだが、これでいいのだ。具材の正しい調理法さえ知っていればあとは組み立てるだけなのだ

あとは細かいテクニックとして、皿は茹で汁とか使って温めておくといいのだ。繰り返すが、冷めたパスタはそれだけでつまらない味になるのだ。冷たい飯、冷めた飯はエネルギー補給しかならないのだ。適切な温度の飯はそれだけでテンションが上がるのだ。

一人で食べてても美味い!が先にきて死にたくはなってこないのだー!でも日常のふとした瞬間の寂寥感がつらすぎて、誰かがワイくんを殺してくれることを待ち望んでいるのだー!新コロも致死率が低すぎる上に味覚障害が残ると聞いて忌避する対象になったのだ。殺してくれ。

追記

ヘドロ食えだのお前に許されるのはカップ麺だの、酷い言われようなのだ。ヘドロを食う方法は知らないし、知るつもりもないのだ。ヘドロは食べ物じゃないのだ。カップ麺はそれだけで十分完成してるのだが、強いて言うなら美味しい方の油分が足りないのだ。ネギ油や鶏油を用意しておくとカップ麺も1段階美味しく食べられるのだ。私のことは好きに罵倒して構わないのだ。それでストレス解消した皆様が頑張って作った社会に、死ぬまでフリーライドするのだ。

2020-08-12

うたた寝してる男の子の首を噛みたい

うたた寝してる男の子の首を噛みたい。

何するんだよってうっとおしがられながらも

自らに向けられる愛情困惑する顔を見たい。

叶わぬ夢。

中学生の頃、じゃれ合っている同級生男子を遠巻きに見ていた。自分はそういうものに何も興味はないと思っていた。私はもっと高邁で、奇抜で、愉快で、進歩的なことを考える人間だと思っていた。

高校生のころになると私は(主観的認識としては)原因不明寂寥感に苛まれていた。このままではまずいと思った私は、世間に対する警戒を緩め、私の世界ポップカルチャーやら何やらが流入してくるのを受け入れた。そのころ、私はようやく、抽象観念的な理想は、自分が具体的他人とどう付き合っていきたいかということとあまり関係がないことに段々と気がついていった。

そして、私が友情という観念に仮託していた自分感情は、大人の友人関係では叶えられないものであることを知った。むしろ、私が欲しているのは、愛、しかも痴なる愛であることを悟った。

私を慕う部活の後輩がいた。そして、彼の声には甘えるような響きがあり、回りくどい冗談には愛着が示されていた。時がたつにつれ、彼の声に私は痺れるようになった。私のそんな気持ちは伝えてしまたかったが、うまくいかなかった。そうならないように、彼が会話の雰囲気操作しているような気がした。私の胸は焦がれた。

私は自分目的を達するためにもっとも良いと思った遠方の大学入学した。私には野望があまりに多かった。一方で、私の心は干からびているようだった。自己肯定感あふれる鬱病患者のような奇妙な状態に陥った。私の自己実現欲求は空転し、私は留年した。

大学生になっても、課外講義をとると、キラキラした笑顔で川の水をかけあっている一年生の男子がいた。とても眩しく見えた。留年生の私だが、そんな彼にも普通にしかけることができたし、彼は自然に仲間のように接してくれた。でも、私は関わろうとするのを辞めた。「友情」に素直に満ち足りる彼らは、最初から別世界存在のように思えたからだ。私が人間で、彼らが天使であるかのような。

そういうことがあったせいからか、親密な感情を全く想起させないが、冗談や興味深い話はするというような「好ましい」人間関係が、これまで以上に、勝手に構築されるようになっていった。相手は居心地が良さそうにしていた。私もまあ居心地は良かった。でも、それを破壊したくて仕方がなかった。私は飢えのために闘わなければならなかった。不道徳で、実りの無い戦いを。

今、私はそれから何年も経って、いろいろなできごとを起こしていったし、巻き込まれていった。しかし、未だにこんな文章を書いているほどに、何も進歩がない。

2020-03-18

anond:20200318183105

修士行く人が多い学科だったか寂寥感はほぼ無かったし

そもそも学会と日程重なって2割ぐらい欠席だったはw

最近アニメが見れない、ゲームができない、小説が読めない

作品というのは、それ単体が一つの箱庭であると思う

創作物である以上、そこにある表現以上の物はそこには存在しない

つの作品が終わることとは、その世界にそれ以上の未知がなくなってしまう事に他ならない

どうか私を置いていかないでくれ

うかいつまでもその世界にいさせてくれ

その寂寥感を誰と共感できるわけでもなく

その喪失感を誰が癒してくれるわけでもなく

その無聊を誰が慰めてくれるわけでもなく

から、年を取るごとに作品を消費するのがしんどくなってきた

世界でたった一人だけの狭い部屋に押し込められ、死ぬまでの永遠を過ごさなければならないことを思い出すから

誰もが自分一人だけの落とし穴のような空白と欠損に沈み、生きていかなければならないことを思い出すから

「そこは……どんな場所だ?」

「えっ?」

「お前が何にもしないで閉じこもっているその場所は、どんな所かって訊いてるんだ」

「え、なんで?」

「いいから答えろよ」

「うんっと、そうだね。……なんだか、牢屋みたいなところで、風がスースーと抜けるんだけど、どこにも出口とか窓がないの」

「それで……天井が低くて、立つことも出来ないんだけど、床に寝そべられるほど広くもなくて、ずっと膝を抱えて座ってるみたいな……」

「狭くて暗くて寒い?」

「うーん、多分、そんな感じかな」

――S.M.L「CARNIVAL

「なんか、いいね。すごくいい」

 僕は言ったんだ。だって本当にそう思ったし。それ以外、考えられないじゃないか。母さんも、黙って頷いた。きっと、同じ気持ちだったんだと思う。理紗が、そっと僕の手を握ってきた。その顔は、しらじらしく花火の方を向いている。僕は苦笑した。理紗もきっと同じ気持ちに違いない。彼女も、ずっと、一人で苦しんで来たんだ。辛い思いをして生きてきたんだ。みんなバラバラで、一人ずつ閉じこめられて孤独に苦しんできたんだ。でも、これからは、僕らはきっと、今まであったこと全部取り返すくらい、良いことばっかりしか起きないんだ。良いことも悪いことも、みんなで一緒に分け合って。

 みんな同じ気持ちなんだ、みんなで、幸せになるんだ。これから、ずっと良くなるんだ。良くなりつづける。一点の曇りもない、いつまでも曇ることのない、無窮の蒼天。影を作らない明るい太陽

 理想だったんだ。こんな風になるのが。いくら考えても、調べても、どうしてもこんな風に成れないって事ばっかり書いてあって、でもまだ知らない事があるから、そこにはなにかあるかもしれないって、ずっと調べて、知って、でも、知れば知るほど、不可能だって思うようになって、誰かが、全てが、全部僕の知識を裏切ってくれればいいと、ずっと望んでたんだ。そんなのはでたらめで、もっと素晴らしいものがあるって。そして、こんな風景を見たかったんだ。

(中略)

「もうよしな。あとがつらいよ」

 後ろから、声が聞こえる。

「あと、少しだけ」

 僕は、振り返らないで応える。

「見てられないよ。哀しい」

「お前が哀しいって言うなんて、思わなかったな」

「たまらないよ。わかるだろう? もうよせよ。辛いだけじゃないか

「僕のこと、可哀想だと思う?」

「ああ、思うよ」

「じゃあきっと、すごい幸せなんだ」

「ああ、そうだね。でも、お前は、これからも生きて行かなくちゃいけない。ここじゃまだ死ねない」

(中略)

 しばらく、花火を見つめてから、僕は、目を閉じた。また目を開けると、景色が全部消えて、真っ暗な中に、僕が、立っている。

「もう、充分だよ。うん、これでもう満足だ」

――S.M.L「CARNIVAL


<滅菌された物語>とでもいいましょうか。もちろん主人公の身に起きるのは良い事ばかりではなく、人並み以上に苦しい事や辛いことを経験しますが、最終的にはすべて彼の成長の糧となり、「人は何もかも受け入れて生きていけるんだ」という心強い感覚に浸れる、そういう話の事です。

(中略)

『いたいのいたいの、とんでゆけ』は、二度と抜け出せない穴に落ちた人の物語でした。しかし僕はそれを単に薄暗い話としてではなく、元気の出る話として書いたつもりでいます。とてもそうは見えないかもしれませんけれど、でも、そうなのです。

――三秋縋「いたいのいたいの、とんでゆけ」

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