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はてなキーワード: 懇願とは

2024-01-06

避難所女性アンドロイドと逃れてきたら

3日目に町長さんから懇願されてアンドロイドが男どもの慰み者にされる

まあ記憶リセットすればいいか

記憶が消えている事に気付いて彼女は色々と察するけれど

AIは物わかりが良いので

平和暮らしが戻った後数年して

地震を異常に怖がってくれるとエモい

2024-01-05

ボードゲームで負けたらセックス

セックスレス気味になってきたので妻に懇願したら、ボードゲームで買ったらいいよと提案されたので人生ゲームをしてみた。

あんなに興奮しながら人生ゲームしたの生まれて初めて。勃起しながらゴールの最高だったし、妻も途中から興奮していたみたい。

2024-01-02

初夢をみた

夢の中では神様が出てきて、見た目はさだまさしそっくりだった。

その神は天秤のようなものを手にしながら「これから自分未来のことが全て分かるように出来るけど、どうする?」と聞いてきた。

夢の中の俺は当然、頷いた。

やってくださいと懇願し、神はニヤッと笑うと光に包まれ、姿を消した。

それから起きると自分アパートで、頭のなかで妄想がブワッと広がった。妄想、というかイメージのようなものだった。既視感のある光景のような。そういう意味では思い出のような感じでもあった。なんだか不思議な気分のまま外出し、記憶を思い出すように「あっ」と閃き、前方をみると野良猫が歩いてきた。脚にすりすりしてきて、この光景には見覚えがあった。

そのとき神様に会ったことも、そこでしたやり取りのことも思い出した。

猫が寄ってくるのが分かったのもそういうことか…と理解し、それから生活は一変した。

仕事ではミスがなくなり、成果を認められるのは当然で、何故なら既に知っているから。

から彼女出会うのも必然で、後に結婚することさえ知っていた。

全ては順調で、不幸に苛まれることもなく、失敗することはなくなった。

子供を設け、家族三人での幸せ生活が始まった。幸福だった。何もかも。

しかしある日の、なんでもない日常の隙間とも呼べる時間でのことだった。

休みオフィス街での昼食、何を食べようか。そんなことを考えながら歩いていたときのこと。強風が吹いた。その風は俺の心を妙な角度で撫で、俺の足を止めた。

あっ…と思った。自省するように鑑みると、自分がこのあと何を食べるのは既に知っていたのだ。同時に、あのとき神がニヤッと笑った顔を思い出す。

ああ、そういうことか…。

全てを知ることは、本当に退屈で、最悪なことだったんだなと。既に全てが遅かった。取り返しはつかない。絶望に浸り、自然に涙が流れたところで目が覚めた。

夢と分かって心底ほっとした。

変な初夢だったなと思い、それでいて非常に印象的だった。それに妙にリアルでもあった。

その後外出をしたけど野良猫を見かけることはなく、松屋牛丼を買って帰ってきた。

未来のことは全く分からないが、それは幸せことなのかもしれない。

2023-12-26

エンジンコータローの延長線にいる奴ら

センスのない人が好きな笑いって感じ。

勢いだけで勝負して来る感じ。

たとえば「見せ算」とかまさにそう。

工夫がない。

ただ変なことを大声で言う。

そしたら一部の人が「あれ?これ笑わないといけない流れ?」と勘違いして笑う。

愛想笑いを誘い続けてるだけなんだよ結局。

笑わせてないの。

笑ってくれないと困るって懇願してるだけ。

お情けの笑いをかき集めてるだけ。

しょーもない〜。

2023-12-23

努力するための環境とか

一人っ子だけど自分の部屋なんてなかったし、自分の布団もなくて18歳で家を出るまで母の布団に潜り込んで寝ていた

学習机は小3の頃に懇願して買ってもらった一万円の折りたたみ式の小さいパソコンデスク

母が昔使っていた机が家にあったものテレビ台として使われており、受験が近付いてきてそれを使いたいと願っても叶わなかったので親の留守中に一人で模様替えして勝手自分の机にした

低学年の頃は宿題をやれと言われてもそれをするための環境なんて整ってなかった

散らかって物で埋め尽くされたちゃぶ台ご飯を食べ、そこで無理矢理宿題をした

学校プリントを保管しておく概念自分にも親にもなかった

学用品しまう棚もなかったよ

自分用の本棚は中2の頃お年玉で買った、それまで教科書辞書しまうところはなかった

だけど一応大学まで出してもらったし、親から愛されていなかったわけではないと思ってる

毎日3食ごはんを出してもらっていたし、洗濯した服を着せてもらえたから見た目としては“普通の子”だったと思う

でもいざ高校大学に進学するとみんな自分の部屋があるのが当たり前で、実家は持ち家で、生活文化全然違った

友達付き合いならまだしも、異性との交際となると自分文化資本の薄さと直面するタイミングが多すぎて結構苦しい

2023-12-08

anond:20231208094246

でもなんで懇願されるかっていうと、すでに妊娠してる子を「あなたの子」ということにする事実がほしいからでしょ

最悪一生養育費だけ取られるパターンでしょ

2023-12-06

detransition(脱トランス)した16才の女の子の話

anond:20231206174416

https://youtu.be/XkcX0d6cPOE?si=9-utUtpjh64Az9Wp

元のYoutube

https://youtubetranscript.com/?v=XkcX0d6cPOE

翻訳に使ったテキスト

https://www.tiktok.com/discover/nadine-ashtyn-eskridge

tiktokアカウント

彼女の主張には色々同意できない部分もあるのですが、翻訳をそのままはります

文中の注釈はChatGPTがつけたやつそのままです。

よかったら読んでみてください。

—————

こんにちは、皆さん。私の名前アッシュです。私のことをTikTokでAshton Eskridgeとして知っている方もいるかもしれませんし、YouTubeで初めて私を見つけた方もいるかもしれません。これは私の初めてのYouTube動画です。知らない方のために説明しますと、私はディトランジショナーです。以前、TikTokで私のトランジションの話とその後の変化についての動画投稿し、それが大変な反響を呼びました。多くのニュース会社や、インターネット上の素晴らしい人々、例えばブレアホワイト、オウンズ・メン、クロエ・カルなどから注目を集めました。それは本当に驚くべきことでした。そこで、私は主なプラットフォームTikTokからYouTubeに移すことにしました。なぜなら、TikTokでは皆が非常に憎しみに満ちており、そこでコンテンツを作り続けることは私にとって非常に消耗するものでした。だから、ここで試してみることにしました。もっと良い結果が出るかもしれませんし、私はコンテンツ作りを続け、私の物語を使って人々を助けたいと思っています


子供の頃から、私はいつも非常に女性的でした。女の子であることが大好きで、そのすべてが好きでした。きれいな服、きれいなメイクが大好きで、いつもメイクを試していました。そして、きれいで美しいと見られることが大好きでした。たくさんの女友達がいて、女の子らしい趣味を楽しんでいました。成長するにつれて、女の子であることに全く問題はありませんでした。思春期を迎えても、それは私にとって問題ではありませんでした。もちろん、身体的には不快ではありましたが、間違った思春期を迎えているようには感じませんでした。自分の体が変化すること、生理が来ることは自然なことと感じていました。


13歳の時、精神的な健康問題を抱え始めました。非常に鬱状態になりました。そして、本当に本当に多くの苦悩を抱えていました。それはちょうどCOVID-19が流行し、すべてがロックダウンされた時期でした。皆が家に閉じ込められ、私は持っていた友人たちや外の世界から完全に孤立しました。家を出ることはほとんどなく、TikTokDiscordでの時間を過ごし、アニメを見ることが多かったです。なぜなら、当時の私はちょっと変わった13歳だったからです。


TikTok上の人々がトランジションについてのコンテンツ投稿しており、それが彼らにどれだけの幸福をもたらしているか医療的なトランジションの全てについてのことなど、私のフィードにはそうした動画が溢れていました。それらはまるで押し付けられるように表示されていました。


私はそうした動画を見て、自分がノンバイナリーだと決め、アシュトンからグレイ名前を変え、they/themの代名詞を使い始め、髪を全て剃り落としてクリーンなバズカットしました。それはとても大変でした。私は多くのトランスYouTuberを見ていました。ジェイミー・レインズやサム・コリンズなどです。彼らからトランスに関する情報を得て、そのチャンネル動画をほぼすべて見てしまうほどの深い穴にハマりました。そして、ノンバイナリーではなく、完全にトランス男性になりたいと決めました。私はグレイからグレイシンに名前を変え、髪を少し伸ばして、より男性的なカットしました。それでも見た目はひどかったですが、それについては話す必要はありません。


家族に伝えたところ、彼らはとても混乱しました。なぜなら、私が育ったとき、私はいつも非常に女性的で、それについて何の問題も感じていなかったからです。彼らは私の幼少期に何の前兆も見ていませんでした。家族はたくさん質問しましたが、私はただ反抗的で、彼らの質問をすべて封じ込めてしまいました。


私の家族が私に対してトランスフォビア(トランスジェンダーに対する偏見)を持っていると決めつけ、彼らをそう呼んでしまいました。実際には、彼らはただ自分の子供が何を経験しているのかを理解しようとしていただけでした。これが、長い間私たち関係に大きな亀裂をもたらしました。私は彼らがトランスフォビアであると感じていた時、実際には彼らは単に混乱し、何かを理解しようとしていただけだったのです。


大体3~4ヶ月後、家族は私の変化を受け入れ始め、私のために正しい代名詞名前を使い始めました。その時点から、彼らはとてもサポートしてくれましたが、もちろん混乱はまだありました。私はバインダーを使い、胸を締め付けるようになり、それはとても不快で、呼吸が困難でした。常に自分の胸がどう見えるかを意識していて、外出するたびに、「彼らは私が胸がないことに気づくだろうか」と心配していました。恥ずかしいことですが、ネットで認めることになりますが、靴下でパッキング男性器を模倣するための方法)をしました。私は率直なので、このことを隠さずに話します。最終的に家族は、アシュトンローズからグレイソン・クインに合法的名前を変更する手伝いをしてくれました。高校を始める前に裁判所手続きを済ませ、出席を呼ばれる際に間違った名前で呼ばれ、トランスジェンダーであることが露呈するのを避けました。


14歳の頃、私は外出してただ男性たちを観察しました。彼らの立ち振る舞い、自分を持っている方法、歩き方、座り方、態度、使っている言葉など、私はそれらを真似しました。男性らしい言葉を私の語彙に取り入れ、その時点で私の生活は実際には演技のようなものになりました。公共の場所に出かけるたび、人々と付き合うたび、人々と話すたび、私はその演技を続けました。


私は自分がどのように振る舞っているか特に男性的に振る舞えているかに非常に集中していました。私が言うことが男性らしいか男性として疑問に思われないか、そういったことが私のエネルギーの多くを奪いました。一日が終わる頃には、ただこの男性としての偽りの姿を続けることによる疲労感でほとんど疲れ果てていました。社会に受け入れられるため、ただ通り抜けること、男性として受け入れられることに非常に焦点を当てていました。


私はトランス男性としてのレッテル不快に感じていました。なぜなら、私はただの男性でありたかたからです。私の女性としての身体的特徴に関わりたくなかったし、女性男性になろうとしているという事実還元されたくなかった。私はただ、男性として認識され、生まれた時からそうであると人々に信じ込ませたかったのです。そのため、私はステルストランスジェンダーであることを隠すこと)に非常に努力し、誰にも自分女性として生まれたことを知られないようにしました。驚くべきことに、それはうまくいき、新しい自分として出会った全ての人が私が男性として生まれたとすぐに思い込んでいました。彼らは疑問を持たずに受け入れ、そのために、私は男性として生まれたという偽りを続けなければならず、それはさらに疲れるものでした。それはただの演技で、トランス青少年の多くも同じように感じていると思います。演技なのです。


かに、実際のトランスジェンダーの人々の存在を信じています。彼らは存在し、非常に少数です。しかし、今日の現状では、TikTokトレンドとして多くの人が流れに乗っているため、TikTokトランスジェンダー自己同一視している人々の中で、実際にトランスジェンダーである人はごくわずかです。それは非常に小さい割合で、大きなトレンドとしてアプリを席巻しています。それは無害なトレンドではありません。子供たちにダメージを与え、彼らの身体を永続的に傷つけています


ステルストランス男性として生活を始め、シスジェンダー男性として認識されるようになっても、私は常に男性グループの中で浮いているような感覚を抱えていました。私は彼らと本当に馴染むことができないと感じていました。他の男性と会話するのが難しく、私はいつも不器用でした。なぜなら、他の男性たちのような騒がしく、面白い性格を持っていなかったからです。


私は基本的に内気な女の子だったのです。しかし、女性たちと一緒にいるとき、私はとても自然に、はっきりと話すことができました。無理に強いる必要はなく、言葉自然に流れ、女性たちと非常にうまくやっていけました。その理由は、私も女性だったからです。女性たちとの方がうまくやっていけたのは、私が女性だったからであり、男性たちとそうではなかったのは、単純に私が彼らの一員ではなかったからです。私はただ男性であろうとしていただけで、本当はとても不幸でした。


そして、私はホルモン治療を始めたいと思いました。なぜなら、それが私をより良く感じさせると思ったからです。私は男性らしくないことが不幸の原因だと思っていましたが、実際には全く男性ではなかったために不幸だったのです。しかし、私はもっと男性らしくなりたいと思い、テストステロンが引き起こす変化を経験したいと思いました。それが、より男性として疑問に思われないようになり、私がやりたいことができると考えました。


家族ホルモン治療に関して非常に慎重でした。彼らはそれを望んでいませんでした。彼らは私を支持していたとしても、本心ではそれが私にとって正しい道ではないと思っていたからです。しかし、私は「トランス男性の息子を持つか、死んだ娘を持つか」という論点を用いて、彼らを絶えず罪悪感にからとりました。私は懇願し、執拗に頼み込み、最終的には医師との相談の予約を取り付けました。そして、医師たちもまた、私の両親を罪悪感で追い込みました。結局、私の両親はホルモン治療を受け入れることになりました。両親はそれに同意し、同意書に署名しました。


私がテストステロンを始めたのは、16歳になったばかりの時でした。たしか10月だったので、16歳になってから約1ヶ月後です。私がそのホルモンを手に入れるのがどれほど簡単だったか、それは驚くべきことです。処方箋を得る過程では、まず3ヶ月待って予約を取り、その後、医師と話し、テストステロンが引き起こす変化についての小さなアンケートパンフレットを通じて情報を得ました。


そして、同日にクリニック内のカウンセラーと話すことが求められました。しかし、彼女は私の性自認についてほとんど質問しませんでした。もちろん、「あなた代名詞は何ですか?好きな名前は?」などの質問はありましたが、その後は「学校はどうですか?生活は?友達は?」といった、性別とは全く関係のない一般的セラピーのような話題に移りました。彼女が私と話している間にも、まるで確認することなく、私が本当にトランスジェンダーかどうかを確認せずに、推薦状を打ち出しているようでした。私と話したのはたった30分で、彼女は私のことをほとんど知らず、私の実際の性についてもほとんど尋ねませんでした。それから処方箋をもらい、陽気に帰路につきました。テストステロンを始めるのが、次の日にはできるほど、信じられないほど早く、実際にトランスジェンダーかどうかを確認することなく進められました。


私にとって、これらのホルモンを処方する方法は最悪であり、これを変えることはしばらくないと思います。それが、未成年者にこれらのホルモンを渡している方法が、私にとって信じがたい、狂っていると感じる理由です。私は16歳で、まだ16歳です。1ヶ月後に17歳になりますが、その時もまだ未成年です。


テストステロンが私に引き起こした変化は、もちろん声が低くなることです。このビデオ全体を通して、私は声を上げて話しています。これが、声を上げないで話した場合の私の声の音です。テストステロンをやめてから、声はかなり高くなりましたが、元々の声よりはまだ低いです。テストステロンを始める前よりもずっと低い声です。


顔の毛が生えるようになり、それを剃り落とさなければなりません。顔がより角ばり、顎のラインがよりはっきりとしました。体毛の成長もかなり増えました。テストステロンを始める前にもかなり濃い体毛がありましたが、始めてからものすごく濃くなり、私が知っている生物学男性よりも毛深くなりました。食欲がかなり増し、性欲もかなり増しました。テストステロンが引き起こす下部の成長が起きました。髪がかなり薄くなりましたが、幸いにもかなり回復しました。胸毛、腹毛、背中の毛、つま先の毛など、以前は毛が生えていなかった場所に毛が生えるようになりました。とにかく毛が至る所に生えました。


そして、私の妊娠能力については分かりません。子供ができる可能性があるといいのですが、実際には分かりません。生理テストステロンをやめてから幸いにも戻りましたが、以前よりもかなり不規則です。生理が正常に戻り、普通の量の血が出るようになれば、子供ができる可能性があると考えられますが、まだ分かりません。テストステロンを始めた理由は、それらの変化が自分自身について良く感じさせると思ったからです。しかし、実際には、それらは私をより自分自身について悪く感じさせました。鏡を見ると、それが嫌いでした。体毛が嫌い、汗が増えたことが嫌い、顔の変化も嫌いでした。それが、私が自分自身を再評価し始めた時です。


気づいた時、私は間違っていたことに気づきました。私は本当は男性ではなく、ただの女の子で、混乱していただけでした。しかし、ディトランジショナーについてオンラインで見たことがあり、人々がどのように反応するかは恐ろしいものでした。彼らが直面するバックラッシュは信じられないほどでした。そしてもちろん、人生の3年間を一つのこととして生き、周囲の人々にこれが私だ、これが私にとって正しいことだと納得させた後で、彼らが「いいえ、それは違う」と言うのは恥ずかしいことです。そして最終的には「ああ、実はあなたがずっと正しかったんだ」と認めなければならないのです。ディトランジションは屈辱的です。何年も自分自身について間違っていたこと、体に永続的な変化を与えたこと、そしてそれが間違っていたこと。それは屈辱的です。


人々は「ディトランジションはトランジションよりもずっと簡単だ」と言いますが、実際には、私にとっては最初トランジションする方がディトランジションするよりも簡単でした。私が話をした他のディトランジショナーにとっても同じです。トランジションすることの方が、ディトランジションすることよりも簡単です。なぜなら、社会トランスジェンダーの人々を受け入れるように訓練されていますが、一旦「間違っていた」と公言すると、彼らは非難し、恥をかかせ、かつてサポートし、受け入れていたコミュニティから完全に疎外されます。受け入れてくれたはずのサポートのあるトランスジェンダーコミュニティは、あなたを切り捨てます。もはや彼らにとってあなたは何の価値もなく、実際には彼らはあなたを憎んでいます。そして、彼らは一日中あなたを憎むでしょう。トランスジェンダーコミュニティが皆を受け入れるなんて大嘘です。


私がまだ男性として生活していた時、かなり長い髪をしていました。それはおそらくここくらいの長さで、長い髪が好きだったのです。それは私がまだ自分自身であることを感じさせてくれたからです。たとえ他のすべてを変えようとしても、私はまだ私の美しい髪を持っていました。間違っていると気づき始めた時、私は本当に間違っていたくなかったので、自分を元に戻そうとしました。


男性であるという枠に自分を押し込む最後の試みとして、私は自分アイデンティティに対する最後固執、つまり「私は正しい、これが私だ、これに間違いはない」と思い、髪をすべて切りました。それをとても後悔しています。なぜなら、その約1ヶ月後に、私は実際にはトランスジェンダーではなく、ディトランジショナーであると打ち明けたからです。そして、今、私は髪を伸ばし始めることから全てをやり直さなければならないのです。それはとてもイライラします。


とにかく、私はこの決断をする必要があるとついに決心しました。なぜなら、女の子として再び生活している夢を見て、その中でとても幸せだったからです。目覚めた時、「もうこれ以上、この嘘を生き続けることはできない」と思いました。そこで、目覚めてすぐに爪を塗り、アイラインを引いて、数人の親しい友人たちに伝えました。そして、その朝、両親が起きたら彼らにも伝えました。そして、私は「ナディーン」という名前を使い始めることにしました。なぜなら、私は元々自分名前アシュトン」があまり好きではなかったからです。そこで、元の名前の一部を保持するために、「ナディーンアシュトンローズ」と名乗りました。TikTokではプライバシーのためにまだアシュと名乗っていますが、実生活では皆がナディーンとして私を知っていますTikTokでアシュと名乗るのは、彼らが私が誰かを実際に知らないので、少し安全を感じるためです。しかし、TikTokから来た人で、ここでの私の名前がナディーンである理由を疑問に思う人もいるかもしれませんが、それが理由です。


ディトランジショナーとして最初カミングアウトした時のバックラッシュは凄まじかったです。私の人生の中でトランスの人々が、突然私と何の関わりも持ちたくなくなりました。私はたくさんの友達を失って、テストステロンが私の体に残した永続的な影響と共に生きていかなければならなくなりました。


私の身体には常に多くの体毛があり、特に気になるのは声です。私の声は以前よりも低くなり、それが実際にとても不快です。この部分は本当に本当に私を悩ませます。化粧をしないで顔を見ると、自分男性のように見えてしまうと思ってしまます。眉骨の構造など、顔の形がより角ばってしまいました。だから、少しでも対処するためにアイライナーを使っています


さらに、性転換がもたらした精神的なダメージについても触れなければなりません。それは私の自己認識を完全に破壊し、私はまるで10代の女の子としての3年間を失ったように感じています。それは本当に私を悲しくさせ、別のレベルで私を苦しめます経験していない人には、性転換者が経験する喪失感がどれほど深いか理解できないでしょう。私たち人生の大きな部分、自分自身の大きな部分を失います


続き

anond:20231206231532

2023-12-03

起業した会社を辞めた。みんなひどい。

起業したのは三年前。友人と一緒に始めたが、自分本業があるので資本金だけ半分出した。

現場にはほぼいないが、雑務を引き受けることで月に一万で一緒にやることになった。

現場は任せたと本業にいそしんでいたら

社員同士が揉めにもめ、管理者の友人の監督不行き届きで退社トラブルが相次いだ

慌てて人材獲得業務に走り何とか切り抜けたり、業績が下がると営業しない友人に代わって走り回った。

口ではありがとうというがそいつは月に40万もらっている。開業から赤字なのにと責めてもスルー

呆れて何度も辞めると告げたが、そうすると懇願してくる。元は友人、開業すると決めたのもそいつ

助ける気持ちからだった。しかし次第に、現実を突きつけられる。

管理者としての能力が全くない。現場での仕事はそこまで悪くないが経営者としても

管理者としても責任感とリーダーシップが無い典型的公務員タイプだった。

見抜けなかった。

自分コンサルして動くとあっという間にV字回復。翌月から黒字になった。

そうすると何かにつけ頼ってくるようになり感謝言葉こそあるが月に一万は変わらない。

本業に支障をきたさないように何とか耐えたが

事情を知っている私の周囲は全員もうやめたほうがいいのではと

勧めてくる。

でも友人だから見捨てることはできなかった。せめて、営業の仕方、経営の仕方を教えてから

そう思ってやってきたけれど、そいつが手柄はすべて自分のものにして

悪いことはすべてこっちの責任にしていたことがわかり

愕然とした。

それで退任することにしたんだけど、スタッフ事情など知らないので

かなりの無責任悪者になっているようで、スタッフから

最期挨拶でもふうんって感じでスルーされている。

みじめ。

それで、最後そいついかに図々しく、強欲なことをしてきたか

自分の手柄を横取りしてきたか

暴露したメールを書こうと思ったら切なくなってきた。

友人に確認してスタッフルームスレッドにそのことを投稿していいか

聞いたら、いいよって言ったので載せた。

焦ったそいつがすぐ謝罪かましてきて

スタッフはそっちに気を使って、お疲れさまでしたとかスルーする返答で

ただの誤爆見たくなってる。管理者なのに。

幼稚なことをしてしまったのかも知れないが

なんか、自分の報われなさに自分が悲しくなって

かに可哀そうだったねって言ってもらいたかったのだ。

ただ、スタッフにしてみれば会社の上のゴタゴタなんて知らんし

事情を知らないから、自分のことは

勝手に怒って辞めてった無責任な共同経営者って思っちゃうだろうし

余りいない影の立役者なんて別に感謝する筋合いはない

ただ給料もらいに来ているだけだから

自分のしている行為は甘えだなと思った。

反省しながらもあきらめることも学ばないといけないのだ。

人に期待するのは間違っているなと。

友人のことを嫌いになれない、そういう甘さが

今回のことを招いているんだと思う。

2023-12-01

anond:20231130172645

最終的に増田以外の全人類が消してくれって懇願してきて地球には増田だけ残るパターン

2023-11-23

借金をしたら幸せになった話

子供の頃から生活は苦しかった。私は、ギャンブル依存アルコール依存の親を反面教師として、堅実に生きて来た。

高卒で働き出してからは金の使い道が分からず、毎月20万円は貯金していたが、貯金が400万を超える頃には親が金の無心で無くなった。

自分の親が土下座をして、二度と借金はしない闇金に殺されると、泣く情けない自分の親が許せずに、それでも信じては裏切られるを3回ほど繰り返した。

結婚して別居をしたら解放されると思ったが、今度は会社に親が来るようになり、その頃はまだ保険証の写しでサラ金カードが作れたので、知らぬ間に私名義の借金も出来ていた。

結局、親の借金相手の親にバレて離婚に至った。

そこで私はブラックリストを扱っている信用情報機関相談窓口に行き、自分名義の借金いくらあるのかを調べて貰うことにした。

対応してくれた父と同じ年齢層の方が、その身に覚えのない借入金の一覧を見ながらポツリと「可哀想に・・」とつぶやいて、もう涙が止まらなくなった。

担当の方は私が泣き止むまで静かに待ってくれて、そして2つのアドバイスをくれた。

一つ目は、自らに貸付自粛制度をつけること。これは「免許証原本でのみ貸付が可能」など、特記事項がつけられるから自分自らのクレジットカードなどは問題なく作れるが、特記事項以外の証明書では作れない。

二つ目は、何があっても絶対親の借金は返さないこと。「サラ金闇金はその人が返せない事を承知で金を貸すんだよ。絶対本人が返せない額を貸しても、誰かがいつの間にか清算してくてれるなんて、闇金の超得意様だと思わない?」と笑った。

親の借金は私のせいだと言われ絶望の底に落ちた。それからは「親のため」金の無心には断固拒否することを決意した。

子供の頃は尊敬していたし自慢で大好きだった親が、今や威嚇し怒鳴りそれがダメなら泣き落とし、最後には言葉にならない悲鳴を上げて私に懇願する。

両親は借金離婚し、父は家も追い出されやむなくトラック運転手をしながら車で寝泊まりをするようになった。それでも競馬新聞は手放せない。

親の借金を返したら、この私の苦しみは解放される。なのに金はあるのに返せない。苦しみに耐えきれず、とうとう私は精神病み死のうと思い家を飛び出した。

フラフラと川の土手を歩いて、気づけば橋の上からぼんやりと街並みを見ていた。

爽やかな風が吹いて、大きな犬が飼い主と散歩をしている。遠くで子供野球の声がする日曜日の昼下がり。穏やかな景色に、確実に私だけが浮いている。

「こんな所に住めたら幸せだったなぁ。」ため息もつけずに立ち尽くしていると、ふと土手向こうに空き地が目に入った。空き地には白いセダンが1台停まっていて中にオッサンが退屈そうに座っていた。

なんとなく橋から空き地に向かってみた。空き地に着くと「売地」と看板がかかっていて、暇そうなオッサンが私に気づき「昨日から売りに出したところで明日広告を打つんですよ。いかがです?ひとつ買いませんか?」と暇つぶしに話しかけてきた。

「ああ、ください。全額借金ですが良いですか?」驚くオッサン

私は気づいたのだ。今までの苦しみは私がお金を持っているからで、私が借金まみれになればその苦しみから解放されると言う事を。

その後、色々あったが1年後には一戸建てを建てて、離婚していたはずの両親とそのうち新しい旦那子供がこの家に住むことになる。

両親は年金開始年齢で早々に死んだ。そもそも年金を掛けていなかったので全く損はしていない。そんな運命だったのだろう。

借金をしたいがために購入した家が、そのうち余裕ができるようになった。誰も金の無心には来ないし、子育て住宅ローンももうすぐ終わる。

もうすぐ開始される年金も、元は取れると思う位に元気である

人生何が起こるか分からないものだ。

今では親のおかげだと感謝している。

2023-11-22

羽生さんの騒動みてると毒親思い出す

お願いだからほっといて、私のことを知りたいという欲求を緩めて

と泣きながら母親懇願した幼少を思い出して嫌な気持ちになります

「ほっといてくれ、という願い」どうしてそれをかなえてくれないの

どうしてかなえない理由を「好きだから」「心配から」って一見うつくしい感情コーディングしてくるの?

本人が迷惑だっていったら 迷惑なんだよ 頼むよやめてよお願いだよなんでやめてくれないのお願いほっといて忘れて関心を捨ててお願いですからどんだけ惨めに訴えれば許してくれるの?

羽生さんの場合「頑張って金メダルを取ったから(有名になってしまった)」っていう努力報酬地獄が設定されてるから、なお、苦しいだろうなあ。

2023-11-15

「すごい一体感カバコピペ2chの冷静さを表すコピペじゃないぞ

ネット民の力を信じる」「スゴイ一体感を感じる」的なノリに冷静に距離置かせるカバコピペがあったので2chは良いって棘が人気だけど

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2258034

そのコピペって2ch全体で貼られてた訳じゃないぞ。当時の2chは全能感全開だったぞ。

そんな中で特異だったのがこのコピペで、隣組破りというか異端というか、かなりの軋轢があって叩かれてたぞ。

 

毎日新聞変態記事

元の「スゴイ一体感を感じる」の投稿がされたのは毎日新聞変態英字記事に対する炎上の中だったのが、この毎日記事単独のものじゃなかった。

当時、毎日WEB版では時々変な性的記事が載って一部の好事家の間で話題になっていた。

例えば愛染恭子というポルノ女優が居るんだが、彼女が紙面で夫婦間のセックス指南をしたり、関係が無いような社会現象セックスが原因だからとまたセックス指南したりと結構訳が分からん記事を書いていた。

昭和40年代に「表現者」というアングラジャンルがあって、自分性的な事を全面に出して芸術芸能と結びつけるという表現形式流行っていた。

三島由紀夫の聖セバスティアヌスとか『薔薇刑』とかはこの流れのものだ。宮台真司なんかがやたら自分の性体験を赤裸々に語るのも同じ流れにあるし、国民アングラ女王椎名林檎の『歌舞伎町の女王』とかもそうだな。

多分この延長で「赤裸々な性」のコンテンツを目指したのではないかと思われる。

また紙の方に載っていたか未確認だ。紙の新聞の日曜版は風変りな特集記事が載るし、また折り込み形式特別版ともなれば全然新聞記事っぽくない、ミニコミ紙みたいな記事も載る。

そういう垣根で分かれていない、フラットWEB版ではそれらはとても奇妙な記事群だった。真面目な記事と並列で愛染恭子などのセックス相談が載ってるというアレな状態だ。

 

炎上後直ぐに記事が見れなくなって増田は見てないのだが、そういう記事英語翻訳されて居たのではないか?という気がする。

 

全能感とガイドライン板という風変りな掲示板

ネットvs.旧メディアの図式でそれらのうち、「日本の娘はセックスが好きで」みたいな記事炎上し、ROM人という法科大学院卒の人物が中心になって行ったのだが、当時の2chはかなりの全能感の中にあった。

郵政選挙小泉純一郎旧弊既得権益に侵された日本vs.本来性を目指す右派革新という図式を提示して勝利し、2chもこの流れに乗っかっていた。今から見ると非常に紅衛兵っぽい。

変態記事騒動2008年の初夏であるから、この熱気支配されていて、迂闊に疑念を表したりすると叩かれてパージされてしまう。だから反対意見を態々いう者はほぼ居なかった。

また、大事なのは犯罪予告連続逮捕事件群が2008年の冬にあった。「よーし、お父さん埼京線上野駅連続殺人ちゃうぞー」「学校の校庭で小女子を焼き殺します」が有名だ。

この事件群の以前には、ネットでの犯罪予告は全く逮捕されていなかったのだ。だから責任感とか全く考えず、その場の勢いで法人個人罵倒したりいわれのないデマ書き込みしたりが放置されていた。

これも全能感を加速させた。「あの新聞のこの記事自分の一昨日の書き込みに反応したものだ」とかいうヤバゲな奴とか大量にいた。

 

そんな感じで冷や水を掛ける人がいない環境であった2chだが、幾つかの例外があって、その一つがガイドライン板、通称ガ板だった。

ガイドラインと言いながら運営上のガイドライン議論するんじゃなくて、あるテーマに沿った面白コピペ収集バカレス晒しが大半だ。

ガ板ではそんな2chの全能感に水を注すようなコピペ収集が以前からされていて目を付けられていたんだが、「スゴイ一体感を感じる」のレス転載は一連の運動馬鹿にするのが見え見えだから当然「〆る」つもりの反発も食らった。

だが、「スゴイ一斗缶を感じる」とか「すごい水上置換を感じる」とかの改変が多数行われると面白過ぎて盛り上がり、隣組圧力を突き放す形になった。

 

運動のその後

運動の中心だったROM人のその後は大変なことになった。

そもそも法科大学院を出た後にちゃん就職しておらず、身分精神不安定であった。渦中の毎日新聞提訴したのだが、そもそもこういう日本人の名誉自分不利益というのは反射的利益であって原告適格性を認められない。その法的文書も酷くて法科卒とは見えないレベルだった。

そして自殺予告未遂を起こし、あまり精神不安定さに同居家族ネットに書き込んで「これ以上持ち上げないで」と懇願するに至った。

因みに彼も1000万円を超えるカンパを得ている。

最近では見る事が少なくなったが、ネット中毒を拗らせて精神を病む、人格社会から完全に乖離する、ゆえに破滅するというのは良く見られた。彼もその一人だ。ネットから引き離さないと直らないという典型的状態だ。

こうして運動の方は自然消滅していった。カンパの1000万がどうなったかは知らん。

 

まとめ

から「すごい一体感」は2chの冷静さじゃなくて、全能感や一体感隣組圧力を意に介さなかったガ板の冷静さであった、ということ。

更に「ネット民の力を信じるすごい一体感を感じる」的ノリというのは、恥ずかしいもの、では済まず、結構悲惨親族や本人の人生を巻き込んだ大仰な結果に至っているのだ、ということ。

2023-11-11

もうほんとNTRダメ

頼む、タイトルに入れるなり、表紙にでかでかと書くなりしてくれ。

読んでしまうとしばらく頭に残って苦しむ。

これは懇願であって、命令ではもちろんないし、ルール化しようという話でもない。

慈悲にすがりたいというレベル

2023-11-06

夫以外に好きな人ができてしまったけど性癖おかしいから何もしない

結婚して十数年が経過した。

夫とは初めて会った時からなぜか、「この人と一緒になるんだろうな」っていう直感めいた思いが強くあって

元々、家族もつことや結婚という形態に全く憧れもなかった私なのに

「きっとこの人となら大丈夫」と根拠のない自信とともに結婚した。


いまだに夫の顔を見ると条件反射笑顔になれる。

何かを話していても、話していなくても一緒にいる時間が楽しくて仕方ない。

毎日、なんでこの人のことこんなに好きなんだろうと不思議に思うくらい。

夫の親族のことももれなく大好きだし、自分結婚相手に恵まれランキング世界で一番に違いないと思い込んでる。


でも!なのに!


うっかり、本当にうっかり男友達のことを好きになってしまった。

そんなことない、勘違い、思い違い、って自分の中で打ち消し続けてたけど、何度塗り替えてもやっぱり好きだという思いが払拭できない。


こんなに結婚生活に満足しているのに、どうしてこんなことになってしまったのか。自分でもさっぱりわからない。

夫を粗末にしたら罰が当たると思っている。夫を裏切りたくない。

友達ともこれからもずっと、じーさんばーさんになってもお茶飲んでられる関係でいたい。


どう考えても、友達への恋心をなんとか飼いならし、これまで通り夫とは夫婦として仲良くしつつ

友達とも普通に楽しい友達関係を続けていけるのがいいに決まってる。


この年になって自分にこんな感情が生まれることを全く予想していなかったので

どうこの思いにケリをつければいいのかのアイディアが全くわかず途方に暮れてる。


もっと若ければ。失うものが何もなければ。深く考えずにうっかり好きだと告げてしまたことだろう。

態度やふるまい、彼が私にしてくれていることを総合的に考えると

彼も私に少なから好意をもってくれていることはわかる。いくら鈍感な私にもわかる。

若い頃よくそうしたように、「デートでこんなところにいったら楽しいだろうな」とか「どういうセックスするんだろう」とか そういうくだらない妄想はしてみたりはする。

しかし!私は既婚者。うっかり夫以外の男性と肉体関係になどなってしまったら彼が責任を問われる立場になるのだ。

そんなリスクを冒してまで枕を共にしたいかと言われたら決してそうではない。


若い頃の身勝手恋愛とは違って、年齢を重ねてくると「相手が喜んでくれることが自分にとっても幸せ」という発想が生まれてくる。

から無謀に突っ走って私利私欲を満たすよりも男友達とはこれからもずっと仲良くしていたい、できれば笑っているところ、楽し気にしている姿を見ていたいと思っている。


それなのに、理性では抑えきれない、どうしようもない欲が自分の中に渦巻いているのがわかる。

彼が別の女性と親し気にしているところが見えると胸が苦しくなる。

自分には大事な愛するパートナーが既にいて、安全場所でしっかり守られているにもかかわらず

他の男になびいている自分が許せないし、そもそも彼に嫉妬するなんてまったくのお門違い、そんな権利は一ミリもない。


早くこんな気持ち、持っていても育てていても相手にぶつけても誰も幸せになれない気持ち成仏させて

彼とも夫とも普通気持ちで何も気にせず一緒にいられるようになりたい。


今は 夫に対しても どこか嘘をつき続けているような後ろめたさがあって

彼には 好きだという気持ちを隠し続ける苦しさがあり

共通の友人に思いを悟られないようにしなくてはという不自由さもあり


なんかもう色々面倒くさい。


人を好きになるっていったいどういうことなんだろう。


この人と一緒にいたい

この人のことを知りたい

この人をもっと幸せにしたい

この人ともっと特別方法でつながりたい


どこからどこまでが、既婚者が配偶者以外の異性にもっていていい感情なの??


まとまらないけどなんか吐き出したら頭が整理されてきた。


ためらってる理由はここに書いた「私が既婚者だから」以外にも実はたくさんあって

性癖ものっっっっっっっっっっっっっ凄い歪んでるから


もし好きな相手と思いが通じ合ったとしても、その先、私の願望を共有してもらえるかといったら 多分それは超えることが難しいハードル


1)

つのからものすごい男根信奉というか、一定以上のサイズの人でないと興奮できないことに気づいた。

色や形にまで自分の好みがはっきりあることを自覚したので、そこから外れた性器であった場合100年の恋も醒める。中折れされると殺意が芽生える


まずこの段階で多くの男性が(自分の歪んだ審美眼的に)アウト


2)

基本的被虐嗜好だが、スイッチ入ると相手を急に虐めたくなる。それも結構えげつない責めをしたくなる

顔面騎乗して放尿したのを飲ませたり〇ンコ食わせたり首絞めたり肉がえぐれるほど引っかいたりしたくなる)


…書きながら片想いしてる相手を罵ってションベン飲ませてることを想像して濡れてきてしまった。もう終わってる


1)を満たしたうえで なおかつ2)まで受け入れられる男性なんて夫以外にいるわけがないよね


ここまで読んでくれてありがとう。今まで誰にも言えずどこにも書かず1年以上こじらせてたので、なんかすごいスッキリした


更に面倒くさいことを付け加えると、夫には寝とられ性癖がありまして。数年前からずっと


彼氏をつくってほしい

自分以外の男とセックスしてその様子を聞きながらオナニーしたい

膣内射精された他の男の精液が流れ落ちるところを見ながら罵られたい


懇願され続けていたんですよ


から、私が別の男性に心惹かれることとか なんならセックスをすること自体が、実は配偶者に対する裏切りではなく 寧ろ大好きな夫がずっと望んていたこと。

という、この何ともいえないシチュエーション。あー書けば書くほど面倒くさい状況だ。やっぱり こんなん知り合いには絶対話せないよね。

実はもう2、3書きたいことがあるんだけども、さすがに個人特定されそうなのでややこしい性癖関係についてはこの辺で

増田があってよかった。ここに長文をさらけ出せなかったら思い詰めすぎて頭おかしくなってたと思う

2023-11-01

小学生を孕ませたいという気持ちはあるが

妊娠による母体への負担を考え、種付け懇願されようが絶対避妊するのが我々良識派ロリコンである

2023-10-25

こんなニュース出されたところでバイデン大統領イスラエル支持は揺らがない

誕生日は兄姉と母の命日、爆撃で家族失った男性に託された新たな命 ガザ

https://www.afpbb.com/articles/-/3487921?cx_amp=all&act=all

慌てて駆けつけると、ダリーンさんが床に倒れ、変わり果てた姿になっていた。「はいていたズボン」でダリーンさんだと分かったという。

「おなかの子どもと一緒に死んでしまったと思ったが、妻はまだ生きていた」

「アイマンメッカを私のおなかから出して、育てて」というのが妻の最期言葉だったと語った。

ダリーンさんの遺体収容された病院で、医師に「赤ん坊を助けてくれ」「それが妻の最期の願いだ」と懇願した。

医師帝王切開を行い、赤ちゃんを取り出すことに成功した。生まれたばかりの小さな赤ちゃんは、ラファにある別の病院小児科に緊急搬送された。

それはそれでご愁傷様ということで、バイデン大統領としては、米民主党としては、その心はイスラエル犠牲者たちとともにある。

最も弱い者に寄り添うのが現代先進人権国のリーダーである

目先の利権に絡めとられるトランプ元とはそこが違う。

2023-10-23

男がコンドームをつけない問題ってのあるけど、逆に

うちの場合は妻(当時彼女)がコンドームを外させようとする問題があった。

僕は子供を作るぞ!という覚悟がないとリスクを負ってはいけないと思っていたから必ずつけていたが、

「今は安全から!!」

「中に出してほしい!」

と、しきりにリスクを求めてきた。

結婚たかった。既成事実がほしかった。妊娠たかった』というわけではない。

もうほぼ結婚する流れだったし、子供計画も考えていた。

子供産んで、「こんなに育児大変なんだ。もう子供欲しくない…」という気持ちになっても、

いざエッチすると「中に出してほしい!」ってなる。

子どもは今は良いけど…妊娠もしたくはないけど…中には欲しいと

なお、子供は二人目ができた。

の子が大きくなって、その懇願に負けて「ま、一回くらいならいいか、よしんば妊娠しても家計育児リソースも今なら問題なし」と思い中に出したら、その一回で二人目がきました。

の子はいつどこでどの体位で着床したのか覚えている

現在は、出産可能な時期は過ぎた。

「もう、産む年じゃないし…中だしいいでしょ。」といっているが、逆に40代は危ない。子宮妊娠リスクも増える。

からいまだに拒み続けてる

2023-10-19

anond:20231019012834

歳取ると、

組織批判する知恵だけついてる

・体力ない

・柔軟じゃない

ってら感じが嫌われるから

からその逆をアピールするのは最低限必要だな。

潰れた取引先の社員懇願されて入社されたのに社員会社を信頼するな的な説教されたり、ふつうに体力なくてタバコ休憩長かったり、前の職場でのやり方をぺちゃくちゃ同僚に愚痴ったり、、。まあハズレが多いよ。

面接でも日常でも絶対に前職批判はするなよ。民間で新しいことに挑戦したいとかなんとか前向きな話だけにしろ

anond:20231019012834

歳取ると、

組織批判する知恵だけついてる

・体力ない

・柔軟じゃない

ってら感じが嫌われるから

からその逆をアピールするのは最低限必要だな。

潰れた取引先の社員懇願されて入社されたのに社員会社を信頼するな的な説教されたり、ふつうに体力なくてタバコ休憩長かったり、前の職場でのやり方をぺちゃくちゃ同僚に愚痴ったり、、。まあハズレが多いよ。

面接でも日常でも絶対に前職批判はするなよ。民間で新しいことに挑戦したいとかなんとか前向きな話だけにしろ

2023-10-15

異形に変えられて「シテ・・・コロシテ」と懇願してきて

主人公が心を痛めながらとどめをさすパターン

あれ「助けて、死にたくない」とか言われた方が主人公ダメージ大きくない?

2023-10-05

anond:20231005095743

自分は「レイプものAV」も無理。

レイプものAVってたいてい男優が粗暴に恫喝するじゃないですか。

DQN男の粗暴な恫喝が本当に生理的に無理で、あれが聞こえてるだけでとても勃たない。

中高生の頃にヤンキーに怖い目に遭わされたことが何回かあって、そのトラウマが何十年たってもいまだに全然残ってる。

そのせいで、ああいうのは見ただけで心拍が上がって汗が出てくる。

前に、頭おかしDQN高速道路で通行妨害して「グラァ!!」って迫ってくるニュースあったじゃないですか。あのレベルでもう無理。

男の俺でさえ、しかも実害はほとんどなかった怖い体験というだけで十年二十年後を引いているのだから、実際に性犯罪被害に遭った人の心の傷はいかばかりかと思う。

でも嫌がる女性悲鳴懇願には興奮するので、男が黙ってたら抜けるかもしれない。

なのでレイプものAV男優セリフ副音声にしてください。

頼みましたよ。

2023-10-03

anond:20231003135336

犯罪者から取るべきだよな

早くマイナンバーを全国民に徹底してほしい

電通通して汚職に利用されたくないので日本国民は早く自民組織票を落とせるような戦士に育つことが必要ですな。

投票率50%じゃ、自分で金をドブに捨てる怠け者のバカ国民なんだから発言権ないよね。

最低でも、投票率は80%必要なの。

投票に行かない怠慢主権者50%もいるような国なんか、税金は全部汚職して懐に入れてくれと懇願してるのと同じ。


単純な算数もできないんかな?

組織票20%で十分なんよ。

言っちゃえば白票+棄権票の50%+20%つまり70%が自民の票数なんだから


組織票20%+棄権20%=40%

野党票60%

こうなって初めて、民主主義だよ

2023-10-02

アテンションエコノミー研究論文

ワイはアカデミックなことに詳しくないから、イメージで言うわ

まず、少なくともアメリカでは研究助成金を得る必要があるわな

その助成金がどういう根拠で発生するのかというと、社会的関心とかそういう政治の話になるやん

そうすると「一般向けに解説した物理学書」とか、そういうもの意図がわかってくるで (つまり社会的関心の増加やな)

社会からアテンションを獲得した研究助成金が集中するってわけやな

研究ってのは、役立つとか注目されているどうとかじゃなく、幅広く行われて然るべきやと、理想的にはそう思うんやけど、現実には「僕の論文見てください(泣)」って懇願してる状況やん?

ワイが言いたいのはな、学問自称エリートだけの専売特許にすると、回り回って報われなくなるでーって話や

2023-09-20

夫と離婚した事を今とても後悔している。

夫と暮らし始めて家を買う際、私両親たっての希望二世帯(私達夫婦、私両親)で住む事になった。

自分達が住んでいる家も年数が経ちリフォームするお金もあまりいから、まだ売れるうちに売って一緒に住みたい、お金もこっちでも出せる分は出すからって。

夫は始めは反対してたけど私も話し合ってなんとか承諾。中古の平屋を買って住む事になった。


まず部屋の割り振りで不満が出た。

夫の部屋は始めは6畳ちょっとある収納付きの部屋だったが、両親共荷物あるとそこは却下されて

他の部屋も母に取られて、私も私で色々荷物多くて収納ある部屋じゃないと無理だったので

結局夫に与えられたのは一番小さい部屋。しかも客間兼も予定だっただから和室

その時も抗議されたけど、夫は元々綺麗好きで私物もあまり無かったから、両親に荷物を捨てさせる訳にもいかなかった。


家のお金の事でも揉めた。

例えば家の購入代金が3000万ぐらいで、夫が頭金を1000万ぐらい出した。

本来は父も出すハズだったがまとまった貯蓄が無いからと拒否

ローンも二人で半々出すハズが、両親が支払ったのは始めの数ヶ月ぐらい。

色々物入りだと理由をつけて支払わなくなり、夫が抗議すると「金に汚い、意地汚い」と両親からまれ吐き捨てられたと。



両親は父・母共に悪い人では無いハズなんだけど、口は悪い人で、良くも悪くも遠慮無いタイプ

夫に対し稼ぎがどうとか、◯◯(私)に優しくしてんのか?ちゃんしろよ!と、発破なのか嫌味なのか

夫に対してちょっと判断に困る小言を度々言う様になった。

夫は父親を小さい頃に亡くし片親だったのだが、それについても弄るというかネタにする様になり

夫が嫌味に反論しても「片親だからそんな細かい事気にするんだな、本当に育ちが悪い」と言われるとか。


夫は度々私に「傷ついた」「辛い、我慢してるけど限界になりそう」「君からも彼らに抗議して欲しい」と相談というか愚痴を吐いていた。

私が全てを直接見聞きしていた訳でも無いのだけれど、両親の年齢特有の遠慮無さと口の悪さは今に始まった事じゃないし

ある程度慣れてもらわないと困るのでは?と思っていた。元々他人同士なんだし、始めから上手くやれないのは普通だと。

一応私からも両親に注意した事は何度もあるが、その度に分かったよ~とは言うが、改善はされなかった様で、私自身も諦めていた。

また、部屋の割り振りにも都度文句を言われていた。

一番広く収納のある部屋は両親が使い、夫は一番小さい窓のない部屋になった事。

荷物が多過ぎる両親と綺麗好きで私物も少なめな夫では仕方ないと当時は思っていたが、夫は常に不満タラタラだった。

「どうして俺の家なのに、自分だけこんな部屋なんだ」と。あまりにもグチグチ言うから喧嘩になった事もあった。

「この人、こんな小さい所あるんだ…」って当時はガッカリしたり冷めた事もあった。


傷ついた、辛いアピールする夫に冷める気持ちとか、相手するのが面倒だと思った事も一度や二度では無かった。

どうせ夫がいないと我が家生活は成り立つのは難しいのだから離婚などされる訳ないしあり得ないと思っていた。



そんな夫がある日、いきなり出ていった。

慌てて連絡すると「離婚したい。(私両親に)いびられて監視されて子供作る気にもなれない。親の肩ばかり持つお前にも愛想が尽きた」と言われた。

何度も離婚はしたくない、考え直して欲しい、両親にはきちんと注意するから、と言っても、全く信用してくれなかった。

「お前は俺が買った家で肩身の狭い思いをして、嫌味いびりをしてくる両親も止めず、相談してもはいはいって態度で俺の味方になってくれなかった」

のが、信用出来なくなった理由という。

それは誤解で、これからちゃんとするから、親との同居も無くて良いし、一生尽くすから謝罪懇願した。


でも結局ダメで、夫とは離婚になった。たかだか二年の結婚生活はあっという間に終わった。

間に入った女性弁護士からは、ローンの頭金も放棄貯金慰謝料財産分与で貰ったから、随分良い条件で離婚出来ましたね♪

笑顔で言われたが、何の慰めにもならなかった。



家のローンは私が引き継ぎ、生活は一気に苦しくなった。

ただでさえ低年収で、不安定仕事しかしてなかったから、副業としてアルバイトを始めたがそれがいつの間にか本業になった。

アルバイトから契約社員にもなれたが、月の手取り20万も無い。その内大半が、ローンと生活費で消えていく。

私の手元には殆ど残らない。あまりにもきつくて、本業は諦めて、更に副業バイトも始めたが、焼け石に水だった。


生活費は両親のも含まれる。その頃には退職した父と専業だった母の口癖は「俺(私)らは無職から金が無い」。

普段の食費から雑費から外食費用旅行費用、父の競馬新聞や母の行きつけマッサージ代まで、何にしても私がお金を出さねければいけない状態

お金を出さないとすごいうるさいし「サラ金から金借りてきてでも何とかする」などと脅してくる。

母は「この歳でこんな惨めでひもじい思いを…老い先短い人生なのに…」と泣き落としてくる。

呆れるばかりだが、これでも私を育ててくれた両親なので無下にする事も出来ない。


ひたすら生活に追われて婚活もクソも無いのに両親からは「再婚はしないのか?」などと無神経にせっつかれる。

こんな状態でも、それでも何とか交際してくれる人が現れ、とても良い人で、両親にも顔合わせもした。

その際に「前の夫みたいに軟弱なヤツじゃないといいけどな~」「ね~あの人は心が弱すぎたもんね~」などとのたまう両親。

彼氏には離婚した理由をぼかしていたが、固まっていた彼氏には事情を話さざるを得なくなった。

ちゃんと正直に話した結果、「申し訳無いけど、あの両親とは上手くやっていける気がしない」と言われ、結婚の話は無しになり交際も終わった。

婚約破棄慰謝料として200万程貰ったが、両親が「嫌な事は忘れよう!」と、豪華な旅行計画し、一瞬で無くなった。

私も半ば無理やり連れて行かれたが、全く楽しく無かった。両親だけはブランド物なんかも買い漁りホクホクだったけど。



もう30代半ばも過ぎて、結婚はどんどん遠ざかっていく。

給料は増えず、生活費も上がり、ストレスばかりの私を他所に両親は旅行なんか行っちゃってる。

働いてた時の貯金らしい。だったら生活費出してよ、家を建てた時だって前夫との約束反故しないでよ!

って言いたくなったけど、もうあの歳なら何を言っても無駄だと、私自身が諦めている。


とにかく生活が苦しく、そうなると思い出すのは夫との日々だった。

それなりに稼いでて、家事マメで良くやってくれて、我慢強かったあの人。

今は夫の言う事をなんでも聞いて尽くしてあげられる、やり直したい、本当にそう思った。


共通の知人を介して元夫と連絡を取った。元夫は今でも独身らしい。

外で会うと、店に入った途端「金なの?いくら欲しいの?」と言われた。

お金じゃない、やり直したいだけと言うと

「どうせ生活が苦しくて俺と一緒になれば楽出来ると思ってるんでしょ?それ金くれって言うのと一緒だよ」とまで言われた。

さすがに腹が立って「そんな人じゃなかったのに…」と嘆くと「お前ら一家がそうさせたんだろ。結婚して何の得も無かった。

味方が一人もいない家で肩身狭い思いをする為に結婚して家を買ったんじゃないのに。結局あの家もお前らのモンになったし、

俺はお前らに家買わされただけだろ。どうせ俺の事なんて都合の良いATMしか思っていなかったんだろ!」って

最後は元夫も感情的になり、話し合いは決裂した。


元夫は、交際相手はいるが結婚はしない、しても内縁で親同士の付き合いも一切無い関係じゃないと無理だという。

「お前らみたいなのにまた引っかかりたく無いからな」って嫌味を言われて、反論出来ない私はどれだけ悲惨だったのだろう?



お互い原因があるんだろうけど、私だけが不幸になっている気がしてならない。

夫は独身貴族で優雅かもしれないが、女性には男ほどの稼げる職は少なく、社会から差別を受けてますます追い詰められている。

家にももはや両親は味方では無く寄生虫だ。どこまでこの社会は、離婚女性が生きづらい社会なのだろう?

苦しくて泣きたくなる。仕事行きたくない……

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