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はてなキーワード: 食客とは

2024-10-01

与次郎用事というのはこうである。――今夜の会自分たちの科の不振の事をしきりに慨嘆するから三四郎もいっしょに慨嘆しなくってはいけないんだそうだ。不振事実であるからほかの者も慨嘆するにきまっている。それから、おおぜいいっしょに挽回策を講ずることとなる。なにしろ適当日本人を一人大学に入れるのが急務だと言い出す。みんなが賛成する。当然だから賛成するのはむろんだ。次にだれがよかろうという相談に移る。その時広田先生の名を持ち出す。その時三四郎与次郎に口を添えて極力先生賞賛しろという話である。そうしないと、与次郎広田食客だということを知っている者が疑いを起こさないともかぎらない。自分は現に食客なんだから、どう思われてもかまわないが、万一煩い広田先生に及ぶようではすまんことになる。もっともほかに同志が三、四人はいから大丈夫だが、一人でも味方は多いほうが便利だから三四郎もなるべくしゃべるにしくはないとの意見である。さていよいよ衆議一決の暁は、総代を選んで学長の所へ行く、また総長の所へ行く。もっとも今夜中にそこまでは運ばないかもしれない。また運ぶ必要もない。そのへんは臨機応変である。……  与次郎はすこぶる能弁である。惜しいことにその能弁がつるつるしているので重みがない。あるところへゆくと冗談をまじめに講義しているかと疑われる。けれども本来性質のいい運動から三四郎もだいたいのうえにおいて賛成の意を表した。ただその方法が少しく細工に落ちておもしろくないと言った。その時与次郎は往来のまん中へ立ち留まった。二人はちょうど森川町神社鳥居の前にいる。 「細工に落ちるというが、ぼくのやる事は自然の手順が狂わないようにあらかじめ人力で装置するだけだ。自然にそむいた没分暁の事を企てるのとは質が違う。細工だってかまわん。細工が悪いのではない。悪い細工が悪いのだ」  三四郎はぐうの音も出なかった。なんだか文句があるようだけれども、口へ出てこない。与次郎の言いぐさのうちで、自分がまだ考えていなかった部分だけがはっきり頭へ映っている。三四郎はむしろそのほうに感服した。 「それもそうだ」とすこぶる曖昧な返事をして、また肩を並べて歩きだした。正門をはいると、急に目の前が広くなる。大きな建物が所々に黒く立っている。その屋根がはっきり尽きる所から明らかな空になる。星がおびただしく多い。 「美しい空だ」と三四郎が言った。与次郎も空を見ながら、一間ばかり歩いた。突然、 「おい、君」と三四郎を呼んだ。三四郎はまたさっきの話の続きかと思って「なんだ」と答えた。 「君、こういう空を見てどんな感じを起こす」  与次郎に似合わぬことを言った。無限とか永久かいう持ち合わせの答はいくらでもあるが、そんなことを言うと与次郎に笑われると思って三四郎は黙っていた。 「つまらんなあ我々は。あしたから、こんな運動をするのはもうやめにしようかしら。偉大なる暗闇を書いてもなんの役にも立ちそうにもない」 「なぜ急にそんな事を言いだしたのか」 「この空を見ると、そういう考えになる。――君、女にほれたことがあるか」  三四郎は即答ができなかった。 「女は恐ろしいものだよ」と与次郎が言った。 「恐ろしいものだ、ぼくも知っている」と三四郎も言った。すると与次郎が大きな声で笑いだした。静かな夜の中でたいへん高く聞こえる。 「知りもしないくせに。知りもしないくせに」  三四郎憮然としていた。 「あすもよい天気だ。運動会はしあわせだ。きれいな女がたくさん来る。ぜひ見にくるがいい」  暗い中を二人は学生集会所の前まで来た。中には電燈が輝いている。  木造廊下を回って、部屋へはいると、そうそう来た者は、もうかたまっている。そのかたまりが大きいのと小さいのと合わせて三つほどある。なかには無言で備え付けの雑誌新聞を見ながら、わざと列を離れているのもある。話は方々に聞こえる。話の数はかたまりの数より多いように思われる。しかしわあいにおちついて静かである煙草の煙のほうが猛烈に立ち上る。  そのうちだんだん寄って来る。黒い影が闇の中から吹きさらしの廊下の上へ、ぽつりと現われると、それが一人一人に明るくなって、部屋の中へはいって来る。時には五、六人続けて、明るくなることもある。が、やがて人数はほぼそろった。  与次郎は、さっきから煙草の煙の中を、しきりにあちこちと往来していた。行く所で何か小声に話している。三四郎は、そろそろ運動を始めたなと思ってながめていた。  しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと言う。食卓はむろん前から用意ができていた。みんな、ごたごたに席へ着いた。順序もなにもない。食事は始まった。  三四郎熊本赤酒ばかり飲んでいた。赤酒というのは、所でできる下等な酒である熊本学生はみんな赤酒を飲む。それが当然と心得ている。たまたま飲食店へ上がれば牛肉である。その牛肉屋の牛が馬肉かもしれないという嫌疑がある。学生は皿に盛った肉を手づかみにして、座敷の壁へたたきつける。落ちれば牛肉で、ひっつけば馬肉だという。まるで呪みたような事をしていた。その三四郎にとって、こういう紳士的な学生親睦会は珍しい。喜んでナイフフォークを動かしていた。そのあいだにはビールをさかんに飲んだ。 「学生集会所の料理はまずいですね」と三四郎に隣にすわった男が話しかけた。この男は頭を坊主に刈って、金縁の眼鏡をかけたおとなしい学生であった。 「そうですな」と三四郎は生返事をした。相手与次郎なら、ぼくのようないなか者には非常にうまいと正直なところをいうはずであったが、その正直がかえって皮肉に聞こえると悪いと思ってやめにした。するとその男が、 「君はどこの高等学校ですか」と聞きだした。 「熊本です」 「熊本ですか。熊本にはぼくの従弟もいたが、ずいぶんひどい所だそうですね」 「野蛮な所です」  二人が話していると、向こうの方で、急に高い声がしだした。見ると与次郎が隣席の二、三人を相手に、しきりに何か弁じている。時々ダーターファブラと言う。なんの事だかわからない。しか与次郎相手は、この言葉を聞くたびに笑いだす。与次郎ますます得意になって、ダーターファブラ我々新時代青年は……とやっている。三四郎の筋向こうにすわっていた色の白い品のいい学生が、しばらくナイフの手を休めて、与次郎の連中をながめていたが、やがて笑いながら Il a le diable au corps(悪魔が乗り移っている)と冗談半分にフランス語を使った。向こうの連中にはまったく聞こえなかったとみえて、この時ビールのコップが四つばかり一度に高く上がった。得意そうに祝盃をあげている。 「あの人はたいへんにぎやかな人ですね」と三四郎の隣の金縁眼鏡をかけた学生が言った。 「ええ。よくしゃべります」 「ぼくはいつか、あの人に淀見軒でライスカレーをごちそうになった。まるで知らないのに、突然来て、君淀見軒へ行こうって、とうとう引っ張っていって……」  学生ハハハと笑った。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーをごちそうになったもの自分ばかりではないんだなと悟った。  やがてコーヒーが出る。一人が椅子を離れて立った。与次郎が激しく手をたたくと、ほかの者もたちまち調子を合わせた。  立った者は、新しい黒の制服を着て、鼻の下にもう髭をはやしている。背がすこぶる高い。立つには恰好のよい男である演説いたことを始めた。  我々が今夜ここへ寄って、懇親のために、一夕の歓をつくすのは、それ自身において愉快な事であるが、この懇親が単に社交上の意味ばかりでなく、それ以外に一種重要な影響を生じうると偶然ながら気がついたら自分は立ちたくなった。この会合ビールに始まってコーヒーに終っている。まったく普通会合であるしかしこのビールを飲んでコーヒーを飲んだ四十人近くの人間普通人間ではない。しかもそのビールを飲み始めてからコーヒーを飲み終るまでのあいだに、すでに自己運命の膨脹を自覚しえた。  政治自由を説いたのは昔の事である言論の自由を説いたのも過去の事である自由とは単にこれらの表面にあらわれやす事実のために専有されべき言葉ではない。我ら新時代青年は偉大なる心の自由を説かねばならぬ時運に際会したと信ずる。  我々は古き日本の圧迫に堪ええぬ青年である。同時に新しき西洋の圧迫にも堪ええぬ青年であるということを、世間に発表せねばいられぬ状況のもとに生きている。新しき西洋の圧迫は社会の上においても文芸の上においても、我ら新時代青年にとっては古き日本の圧迫と同じく、苦痛である。  我々は西洋文芸研究する者であるしか研究はどこまでも研究である。その文芸のもとに屈従するのとは根本的に相違がある。我々は西洋文芸にとらわれんがために、これを研究するのではない。とらわれたる心を解脱せしめんがために、これを研究しているのである。この方便に合せざる文芸はいかなる威圧のもとにしいらるるとも学ぶ事をあえてせざるの自信と決心とを有している。  我々はこの自信と決心とを有するの点において普通人間とは異なっている。文芸技術でもない、事務でもない。より多く人生根本義に触れた社会原動力である。我々はこの意味において文芸研究し、この意味において如上の自信と決心とを有し、この意味において今夕の会合一般以上の重大なる影響を想見するのである。  社会は激しく動きつつある。社会産物たる文芸もまた動きつつある。動く勢いに乗じて、我々の理想どおりに文芸を導くためには、零細なる個人を団結して、自己運命を充実し発展し膨脹しなくてはならぬ。今夕のビールコーヒーは、かかる隠れたる目的を、一歩前に進めた点において、普通ビールコーヒーよりも百倍以上の価ある尊きビールコーヒーである。  演説意味ざっとこんなものである演説が済んだ時、席にあった学生はことごとく喝采した。三四郎もっとも熱心なる喝采者の一人であった。すると与次郎が突然立った。 「ダーターファブラ、シェクスピヤの使った字数が何万字だの、イブセンの白髪の数が何千本だのと言ってたってしかたがない。もっともそんなばかげた講義を聞いたってとらわれる気づかいはないか大丈夫だが、大学に気の毒でいけない。どうしても新時代青年を満足させるような人間を引っ張って来なくっちゃ。西洋人じゃだめだ。第一幅がきかない。……」  満堂はまたことごとく喝采した。そうしてことごとく笑った。与次郎の隣にいた者が、 「ダーターファブラのために祝盃をあげよう」と言いだした。さっき演説をした学生がすぐに賛成した。あいにくビールがみな空である。よろしいと言って与次郎はすぐ台所の方へかけて行った。給仕が酒を持って出る。祝盃をあげるやいなや、 「もう一つ。今度は偉大なる暗闇のために」と言った者がある。与次郎の周囲にいた者は声を合して、アハハと笑った。与次郎は頭をかいている。  散会の時刻が来て、若い男がみな暗い夜の中に散った時に、三四郎与次郎に聞いた。 「ダーターファブラとはなんの事だ」 「ギリシア語だ」  与次郎はそれよりほかに答えなかった。三四郎もそれよりほかに聞かなかった。二人は美しい空をいただいて家に帰った。  あくる日は予想のごとく好天気である。今年は例年より気候がずっとゆるんでいる。ことさらきょうは暖かい三四郎は朝のうち湯に行った。閑人の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越呉服店看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっと三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である与次郎の説によると、あの女は反っ歯の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。……  三四郎は湯につかってこんな事を考えていたので、からだのほうはあまりわずに出た。ゆうべから急に新時代青年という自覚が強くなったけれども、強いのは自覚だけで、からだのほうはもとのままである休みになるとほかの者よりずっと楽にしている。きょうは昼から大学陸上運動会を見に行く気である。  三四郎は元来あまり運動好きではない。国にいるとき兎狩りを二、三度したことがある。それから高等学校の端艇競漕の時に旗振りの役を勤めたことがある。その時青と赤と間違えて振ってたいへん苦情が出た。もっとも決勝の鉄砲を打つ係りの教授鉄砲を打ちそくなった。打つには打ったが音がしなかった。これが三四郎のあわてた原因である。それより以来三四郎運動会へ近づかなかった。しかしきょうは上京以来はじめての競技会だから、ぜひ行ってみるつもりである与次郎もぜひ行ってみろと勧めた。与次郎の言うところによると競技より女のほうが見にゆ価値があるのだそうだ。女のうちには野々宮さんの妹がいるだろう。野々宮さんの妹といっしょに美禰子もいるだろう。そこへ行って、こんちわとかなんとか挨拶をしてみたい。  昼過ぎになったから出かけた。会場の入口運動場の南のすみにある。大きな日の丸イギリス国旗が交差してある。日の丸は合点がいくが、イギリス国旗はなんのためだかからない。三四郎日英同盟のせいかとも考えた。けれども日英同盟大学陸上運動会とは、どういう関係があるか、とんと見当がつかなかった。  運動場は長方形の芝生である。秋が深いので芝の色がだいぶさめている。競技を見る所は西側にある。後に大きな築山をいっぱいに控えて、前は運動場の柵で仕切られた中へ、みんなを追い込むしかけになっている。狭いわりに見物人が多いのではなはだ窮屈である。さいわい日和がよいので寒くはない。しか外套を着ている者がだいぶある。その代り傘をさして来た女もある。  三四郎失望したのは婦人席が別になっていて、普通人間には近寄れないことであった。それからフロックコートや何か着た偉そうな男がたくさん集って、自分が存外幅のきかないようにみえたことであった。新時代青年をもってみずからおる三四郎は少し小さくなっていた。それでも人と人との間から婦人席の方を見渡すことは忘れなかった。横からからよく見えないが、ここはさすがにきれいである。ことごとく着飾っている。そのうえ遠距離から顔がみんな美しい。その代りだれが目立って美しいということもない。ただ総体総体として美しい。女が男を征服する色である。甲の女が乙の女に打ち勝つ色ではなかった。そこで三四郎はまた失望した。しかし注意したら、どこかにいるだろうと思って、よく見渡すと、はたして前列のいちばん柵に近い所に二人並んでいた。  三四郎は目のつけ所がようやくわかったので、まず一段落告げたような気で、安心していると、たちまち五、六人の男が目の前に飛んで出た。二百メートルの競走が済んだのである決勝点は美禰子とよし子がすわっている真正面で、しかも鼻の先だから、二人を見つめていた三四郎視線のうちにはぜひともこれらの壮漢がはいってくる。五、六人はやがて一二、三人にふえた。みんな呼吸をはずませているようにみえる。三四郎はこれらの学生の態度と自分の態度とを比べてみて、その相違に驚いた。どうして、ああ無分別にかける気になれたものだろうと思った。しか婦人連はことごとく熱心に見ている。そのうちでも美禰子とよし子はもっとも熱心らしい。三四郎自分無分別にかけてみたくなった。一番に到着した者が、紫の猿股をはい婦人席の方を向いて立っている。よく見ると昨夜の親睦会で演説をした学生に似ている。ああ背が高くては一番になるはずである。計測係りが黒板に二十五秒七四と書いた。書き終って、余りの白墨を向こうへなげて、こっちを向いたところを見ると野々宮さんであった。野々宮さんはいつになくまっ黒なフロックを着て、胸に係り員の徽章をつけて、だいぶ人品がいい。ハンケチを出して、洋服の袖を二、三度はたいたが、やがて黒板を離れて、芝生の上を横切って来た。ちょうど美禰子とよし子のすわっているまん前の所へ出た。低い柵の向こう側から首を婦人席の中へ延ばして、何か言っている。美禰子は立った。野々宮さんの所まで歩いてゆく。柵の向こうとこちらで話を始めたように見える。美禰子は急に振り返った。うれしそうな笑いにみちた顔である三四郎は遠くから一生懸命に二人を見守っていた。すると、よし子が立った。また柵のそばへ寄って行く。二人が三人になった。芝生の中では砲丸投げが始まった。

砲丸投げほど力のいるものはなかろう。力のいるわりにこれほどおもしろくないものもたんとない。ただ文字どおり砲丸を投げるのである。芸でもなんでもない。野々宮さんは柵の所で、ちょっとこの様子を見て笑っていた。けれども見物のじゃまになると悪いと思ったのであろう。柵を離れて芝生の中へ引き取った。二人の女も、もとの席へ復した。砲丸は時々投げられている。第一どのくらい遠くまでゆくんだか、ほとんど三四郎にはわからない。三四郎はばかばかしくなった。それでも我慢して立っていた。ようやくのことで片がついたとみえて、野々宮さんはまた黒板へ十一メートル三八と書いた。

 それからまた競走があって、長飛びがあって、その次には槌投げが始まった。三四郎はこの槌投げにいたって、とうとう辛抱がしきれなくなった。運動会めいめいかってに開くべきものである。人に見せべきものではない。あんものを熱心に見物する女はことごとく間違っているとまで思い込んで、会場を抜け出して、裏の築山の所まで来た。幕が張ってあって通れない。引き返して砂利の敷いてある所を少し来ると、会場から逃げた人がちらほら歩いている。盛装した婦人も見える。三四郎はまた右へ折れて、爪先上りを丘のてっぺんまで来た。道はてっぺんで尽きている。大きな石がある。三四郎はその上へ腰をかけて、高い崖の下にある池をながめた。下の運動会場でわあというおおぜいの声がする。

 三四郎はおよそ五分ばかり石へ腰をかけたままぼんやりしていた。やがてまた動く気になったので腰を上げて、立ちながら靴の踵を向け直すと、丘の上りぎわの、薄く色づいた紅葉の間に、さっきの女の影が見えた。並んで丘の裾を通る。

 三四郎は上から、二人を見おろしていた。二人は枝の隙から明らかな日向へ出て来た。黙っていると、前を通り抜けてしまう。三四郎は声をかけようかと考えた。距離があまり遠すぎる。急いで二、三歩芝の上を裾の方へ降りた。降り出すといいぐあいに女の一人がこっちを向いてくれた。三四郎はそれでとまった。じつはこちからまりごきげんをとりたくない。運動会が少し癪にさわっている。

あんな所に……」とよし子が言いだした。驚いて笑っている。この女はどんな陳腐ものを見ても珍しそうな目つきをするように思われる。その代り、いかな珍しいもの出会っても、やはり待ち受けていたような目つきで迎えるかと想像される。だからこの女に会うと重苦しいところが少しもなくって、しかもおちついた感じが起こる。三四郎は立ったまま、これはまったく、この大きな、常にぬれている、黒い眸のおかげだと考えた。

 美禰子も留まった。三四郎を見た。しかしその目はこの時にかぎって何物をも訴えていなかった。まるで高い木をながめるような目であった。三四郎は心のうちで、火の消えたランプを見る心持ちがした。もとの所に立ちすくんでいる。美禰子も動かない。

「なぜ競技を御覧にならないの」とよし子が下から聞いた。

「今まで見ていたんですが、つまらいからやめて来たのです」

 よし子は美禰子を顧みた。美禰子はやはり顔色を動かさない。三四郎は、

「それより、あなたたこそなぜ出て来たんです。たいへん熱心に見ていたじゃありませんか」と当てたような当てないようなことを大きな声で言った。美禰子はこの時はじめて、少し笑った。三四郎にはその笑いの意味がよくわからない。二歩ばかり女の方に近づいた。

「もう宅へ帰るんですか」

 女は二人とも答えなかった。三四郎はまた二歩ばかり女の方へ近づいた。

「どこかへ行くんですか」

「ええ、ちょっと」と美禰子が小さな声で言う。よく聞こえない。三四郎はとうとう女の前まで降りて来た。しかしどこへ行くとも追窮もしないで立っている。会場の方で喝采の声が聞こえる。

高飛びよ」とよし子が言う。「今度は何メートルになったでしょう」

 美禰子は軽く笑ったばかりである三四郎も黙っている。三四郎高飛びに口を出すのをいさぎよしとしないつもりである。すると美禰子が聞いた。

「この上には何かおもしろものがあって?」

 この上には石があって、崖があるばかりであるおもしろものがありようはずがない。

「なんにもないです」

「そう」と疑いを残したように言った。

「ちょいと上がってみましょうか」よし子が、快く言う。

あなた、まだここを御存じないの」と相手の女はおちついて出た。

「いいからいらっしゃいよ」

 よし子は先へ上る。二人はまたついて行った。よし子は足を芝生のはしまで出して、振り向きながら、

「絶壁ね」と大げさな言葉を使った。「サッフォーでも飛び込みそうな所じゃありませんか」

 美禰子と三四郎は声を出して笑った。そのくせ三四郎はサッフォーがどんな所から飛び込んだかよくわからなかった。

あなたも飛び込んでごらんなさい」と美禰子が言う。

「私? 飛び込みましょうか。でもあんまり水がきたないわね」と言いながら、こっちへ帰って来た。

 やがて女二人のあいだに用談が始まった。

あなた、いらしって」と美禰子が言う。

「ええ。あなたは」とよし子が言う。

「どうしましょう」

「どうでも。なんならわたしちょっと行ってくるから、ここに待っていらっしゃい」

「そうね」

 なかなか片づかない。三四郎が聞いてみると、よし子が病院看護婦のところへ、ついでだからちょっと礼に行ってくるんだと言う。美禰子はこの夏自分の親戚が入院していた時近づきになった看護婦を尋ねれば尋ねるのだが、これは必要でもなんでもないのだそうだ。

 よし子は、すなおに気の軽い女だからしまいに、すぐ帰って来ますと言い捨てて、早足に一人丘を降りて行った。止めるほどの必要もなし、いっしょに行くほどの事件でもないので、二人はしぜん後にのこるわけになった。二人の消極な態度からいえば、のこるというより、のこされたかたちにもなる。

 三四郎はまた石に腰をかけた。女は立っている。秋の日は鏡のように濁った池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはただ二本の木がはえている。青い松と薄い紅葉がぐあいよく枝をかわし合って、箱庭の趣がある。島を越して向こう側の突き当りがこんもりとどす黒く光っている。女は丘の上からその暗い木陰を指さした。

「あの木を知っていらしって」と言う。

「あれは椎」

 女は笑い出した。

「よく覚えていらっしゃること」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今尋ねようと言ったのは」

「ええ」

「よし子さんの看護婦とは違うんですか」

「違います。これは椎――といった看護婦です」

 今度は三四郎が笑い出した。

「あすこですね。あなたがあの看護婦といっしょに団扇を持って立っていたのは」

 二人のいる所は高く池の中に突き出している。この丘とはまるで縁のない小山が一段低く、右側を走っている。大きな松と御殿一角と、運動会の幕の一部と、なだらかな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院あんまり暑いものから、とうとうこらえきれないで出てきたの。――あなたはまたなんであんな所にしゃがんでいらしったんです」

「熱いからです。あの日ははじめて野々宮さんに会って、それから、あすこへ来てぼんやりしていたのです。なんだか心細くなって」

「野々宮さんにお会いになってから、心細くおなりになったの」

「いいえ、そういうわけじゃない」と言いかけて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんといえば、きょうはたいへん働いていますね」

「ええ、珍しくフロックコートをお着になって――ずいぶん御迷惑でしょう。朝から晩までですから

だってだいぶ得意のようじゃありませんか」

「だれが、野々宮さんが。――あなたもずいぶんね」

「なぜですか」

だってまさか運動会の計測係りになって得意になるようなかたでもないでしょう」

 三四郎はまた話頭を転じた。

「さっきあなたの所へ来て何か話していましたね」

「会場で?」

「ええ、運動会の柵の所で」と言ったが、三四郎はこの問を急に撤回したくなった。女は「ええ」と言ったまま男の顔をじっと見ている。少し下唇をそらして笑いかけている。三四郎はたまらなくなった。何か言ってまぎらそうとした時に、女は口を開いた。

あなたはまだこのあいだの絵はがきの返事をくださらないのね」

 三四郎はまごつきながら「あげます」と答えた。女はくれともなんとも言わない。

あなた原口さんという画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「そう」

「どうかしましたか

「なに、その原口さんが、きょう見に来ていらしってね、みんなを写生しているから、私たちも用心しないと、ポンチにかかれるからって、野々宮さんがわざわざ注意してくだすったんです」

 美禰子はそばへ来て腰をかけた。三四郎自分いかにも愚物のような気がした。

「よし子さんはにいさんといっしょに帰らないんですか」

「いっしょに帰ろうったって帰れないわ。よし子さんは、きのうから私の家にいるんですもの

 三四郎はその時はじめて美禰子から野々宮のおっかさんが国へ帰ったということを聞いた。おっかさんが帰ると同時に、大久保を引き払って、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の家から学校へ通うことに、相談がきまったんだそうである

 三四郎はむしろ野々宮さんの気楽なのに驚いた。そうたやす下宿生活にもどるくらいなら、はじめから家を持たないほうがよかろう。第一鍋、釜、手桶などという世帯道具の始末はどうつけたろうと、よけいなことまで考えたが、口に出して言うほどのことでもないから、べつだんの批評は加えなかった。そのうえ、野々宮さんが一家の主人から、あともどりをして、ふたたび純書生と同様な生活状態に復するのは、とりもなおさず家族制から一歩遠のいたと同じことで、自分にとっては、目前の迷惑を少し長距離へ引き移したような好都合にもなる。その代りよし子が美禰子の家へ同居してしまった。この兄妹は絶えず往来していないと治まらないようにできあがっている。絶えず往来しているうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移ってくる。すると野々宮さんがまたいつなんどき下宿生活永久にやめる時機がこないともかぎらない。

 三四郎は頭のなかに、こういう疑いある未来を、描きながら、美禰子と応対をしている。いっこうに気が乗らない。それを外部の態度だけでも普通のごとくつくろおうとすると苦痛になってくる。そこへうまいあいによし子が帰ってきてくれた。女同志のあいだには、もう一ぺん競技を見に行こうかという相談があったが、短くなりかけた秋の日がだいぶ回ったのと、回るにつれて、広い戸外の肌寒がようやく増してくるので、帰ることに話がきまる。

 三四郎も女連に別れて下宿へもどろうと思ったが、三人が話しながら、ずるずるべったりに歩き出したものから、きわだった挨拶をする機会がない。二人は自分を引っ張ってゆくようにみえる。自分もまた引っ張られてゆきたいような気がする。それで二人にくっついて池の端を図書館の横から、方角違いの赤門の方へ向いてきた。そのとき三四郎は、よし子に向かって、

「お兄いさんは下宿なすったそうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「ええ。とうとう。ひとを美禰子さんの所へ押しつけておいて。ひどいでしょう」と同意を求めるように言った。三四郎は何か返事をしようとした。そのまえに美禰子が口を開いた。

「宗八さんのようなかたは、我々の考えじゃわかりませんよ。ずっと高い所にいて、大きな事を考えていらっしゃるんだから」と大いに野々宮さんをほめだした。よし子は黙って聞いている。

 学問をする人がうるさい俗用を避けて、なるべく単純な生活にがまんするのは、みんな研究のためやむをえないんだからしかたがない。野々宮のような外国にまで聞こえるほどの仕事をする人が、普通学生同様な下宿はいっているのも必竟野々宮が偉いからのことで、下宿がきたなければきたないほど尊敬しなくってはならない。――美禰子の野々宮に対する賛辞のつづきは、ざっとこうである

 三四郎赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考えだした。――なるほど美禰子の言ったとおりである自分と野々宮を比較してみるとだいぶ段が違う。自分田舎から出て大学はいったばかりである学問という学問もなければ、見識という見識もない。自分が、野々宮に対するほどな尊敬を美禰子から受けえないのは当然である。そういえばなんだか、あの女からかにされているようでもある。さっき、運動会はつまらいから、ここにいると、丘の上で答えた時に、美禰子はまじめな顔をして、この上には何かおもしろものがありますかと聞いた。あの時は気がつかなかったが、いま解釈してみると、故意自分を愚弄した言葉かもしれない。――三四郎は気がついて、きょうまで美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返してみると、どれもこれもみんな悪い意味がつけられる。三四郎は往来のまん中でまっ赤になってうつむいた。ふと、顔を上げると向こうから与次郎とゆうべの会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を縦に振ったぎり黙っている。学生帽子をとって礼をしながら、

「昨夜は。どうですか。とらわれちゃいけませんよ」と笑って行き過ぎた。

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だってないんですもの

「なにないことがあるものか」

「あった、あった」と三四郎が言う。

「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリーオフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね」

「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」

 三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、

「おいどうした」と聞く。

「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。

 三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。

ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水のにおいがする。

 絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である

人魚

人魚

 頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか

「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである

 ところへ広田先生フロックコート天長節の式から帰ってきた、三人は挨拶をする時に画帖を伏せてしまった。先生書物だけはやく片づけようというので、三人がまた根気にやり始めた。今度は主人公がいるので、そう油を売ることもできなかったとみえて、一時間後には、どうか、こうか廊下書物が書棚の中へ詰まってしまった。四人は立ち並んできれいに片づいた書物を一応ながめた。

「あとの整理はあしただ」と与次郎が言った。これでがまんなさいといわぬばかりである

「だいぶお集めになりましたね」と美禰子が言う。

先生これだけみんなお読みになったですか」と最後三四郎が聞いた。三四郎はじっさい参考のため、この事実を確かめておく必要があったとみえる。

「みんな読めるものか、佐々木なら読むかもしれないが」

 与次郎は頭をかいている。三四郎はまじめになって、じつはこのあいから大学図書館で、少しずつ本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ずだれか目を通している。試しにアフラベーンという人の小説を借りてみたが、やっぱりだれか読んだあとがあるので、読書範囲の際限が知りたくなったから聞いてみたと言う。

アフラベーンならぼくも読んだ」

 広田先生のこの一言には三四郎も驚いた。

「驚いたな。先生はなんでも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が言った。

 広田は笑って座敷の方へ行く。着物を着換えるためだろう。美禰子もついて出た。あとで与次郎三四郎にこう言った。

「あれだから偉大な暗闇だ。なんでも読んでいる。けれどもちっとも光らない。もう少し流行ものを読んで、もう少し出しゃばってくれるといいがな」

 与次郎言葉はけっして冷評ではなかった。三四郎は黙って本箱をながめていた。すると座敷から美禰子の声が聞こえた。

「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」

 二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃が据えてある。蓋が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。美禰子はそのそばにすわって、籃の中のもの小皿へ取り分けている。与次郎と美禰子の問答が始まった。

「よく忘れずに持ってきましたね」

だって、わざわざ御注文ですもの

「その籃も買ってきたんですか」

「いいえ」

「家にあったんですか」

「ええ」

「たいへん大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。ついでに、少しのあいだ置いて働かせればいいのに」

「車夫はきょうは使いに出ました。女だってこのくらいなものは持てますわ」

あなたからつんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね」

「そうでしょうか。それなら私もやめればよかった」

 美禰子は食い物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しもよどみがない。しかゆっくりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。

 台所から下女が茶を持って来る。籃を取り巻いた連中は、サンドイッチを食い出した。少しのあいだは静かであったが、思い出したように与次郎がまた広田先生に話しかけた。

先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」

アフラベーンか」

「ぜんたいなんです、そのアフラベーンというのは」

英国の閨秀作家だ。十七世紀の」

「十七世紀は古すぎる。雑誌材料にゃなりませんね」

「古い。しか職業として小説従事したはじめての女だから、それで有名だ」

「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」

「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説全集のうちにあったでしょう」

 三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族英国船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である

おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。

「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの

「黒ん坊の主人公必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」

「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、

「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。

 広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。なるほど煙の出方が少し違う。悠然として太くたくましい棒が二本穴を抜けて来る。与次郎はその煙柱をながめて、半分背を唐紙に持たしたまま黙っている。三四郎の目はぼんやり庭の上にある。引っ越しではない。まるで小集のていに見える。談話もしたがって気楽なものである。ただ美禰子だけが広田先生の陰で、先生がさっき脱ぎ捨てた洋服を畳み始めた。先生和服を着せたのも美禰子の所為みえる。

「今のオルノーコの話だが、君はそそっかしいから間違えるといけないからついでに言うがね」と先生の煙がちょっととぎれた。

「へえ、伺っておきます」と与次郎几帳面に言う。

「あの小説が出てから、サザーンという人がその話を脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。それをいっしょにしちゃいけない」

「へえ、いっしょにしやしません」

 洋服を畳んでいた美禰子はちょっと与次郎の顔を見た。

「その脚本なかに有名な句がある。Pity's akin to love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。

日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、

「これは、どうしても俗謡いかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡もの」と与次郎らしい意見を提出した。

 そこで三人がぜんぜん翻訳権与次郎委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、

「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」

いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。この笑い声がまだやまないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんがはいって来た。

「もうたいてい片づいたんですか」と言いながら、野々宮さんは椽側の正面の所まで来て、部屋の中にいる四人をのぞくように見渡した。

「まだ片づきませんよ」と与次郎がさっそく言う。

「少し手伝っていただきましょうか」と美禰子が与次郎調子を合わせた。野々宮さんはにやにや笑いながら、

「だいぶにぎやかなようですね。何かおもしろい事がありますか」と言って、ぐるりと後向きに椽側へ腰をかけた。

「今ぼくが翻訳をして先生しかられたところです」

翻訳を? どんな翻訳ですか」

「なにつまらない――かわいそうだたほれたってことよというんです」

「へえ」と言った野々宮君は椽側で筋かいに向き直った。「いったいそりゃなんですか。ぼくにゃ意味がわからない」

「だれだってわからんさ」と今度は先生が言った。

「いや、少し言葉をつめすぎたから――あたりまえにのばすと、こうです。かあいそうだとはほれたということよ」

「アハハハ。そうしてその原文はなんというのです」

「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美しいきれいな発音であった。

 野々宮さんは、椽側から立って、二、三歩庭の方へ歩き出したが、やがてまたぐるりと向き直って、部屋を正面に留まった。

「なるほどうまい訳だ」

 三四郎は野々宮君の態度と視線とを注意せずにはいられなかった。

 美禰子は台所へ立って、茶碗を洗って、新しい茶をついで、椽側の端まで持って出る。

お茶を」と言ったまま、そこへすわった。「よし子さんは、どうなすって」と聞く。

「ええ、からだのほうはもう回復しましたが」とまた腰をかけて茶を飲む。それから、少し先生の方へ向いた。

先生、せっかく大久保へ越したが、またこっちの方へ出なければならないようになりそうです」

「なぜ」

「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。

「いつでも置いてあげますわ」

「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。

「どちらでも」

 三四郎だけ黙っていた。広田先生は少しまじめになって、

「そうして君はどうする気なんだ」

「妹の始末さえつけば、当分下宿してもいいです。それでなければ、またどこかへ引っ越さなければならない。いっそ学校寄宿舎へでも入れようかと思うんですがね。なにしろ子供から、ぼくがしじゅう行けるか、向こうがしじゅう来られる所でないと困るんです」

「それじゃ里見さんの所に限る」と与次郎がまた注意を与えた。広田さんは与次郎相手にしない様子で、

「ぼくの所の二階へ置いてやってもいいが、なにしろ佐々木のような者がいるから」と言う。

先生、二階へはぜひ佐々木を置いてやってください」と与次郎自身が依頼した。野々宮君は笑いながら、

「まあ、どうかしましょう。――身長ばかり大きくってばかだからじつに弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れていけなんて言うんだから

「連れていっておあげなさればいいのに。私だって見たいわ」

「じゃいっしょに行きましょうか」

「ええぜひ。小川さんもいらっしゃい」

「ええ行きましょう」

佐々木さんも」

「菊人形は御免だ。菊人形を見るくらいなら活動写真を見に行きます

「菊人形はいいよ」と今度は広田先生が言いだした。「あれほどに人工的なものはおそらく外国にもないだろう。人工的によくこんなものをこしらえたというところを見ておく必要がある。あれが普通人間にできていたら、おそらく団子坂へ行く者は一人もあるまい。普通人間なら、どこの家でも四、五人は必ずいる。団子坂へ出かけるにはあたらない」

先生一流の論理だ」と与次郎が評した。

「昔教場で教わる時にも、よくあれでやられたものだ」と野々宮君が言った。

「じゃ先生もいらっしゃい」と美禰子が最後に言う。先生は黙っている。みんな笑いだした。

 台所からばあさんが「どなたかちょいと」と言う。与次郎は「おい」とすぐ立った。三四郎はやはりすわっていた。

「どれぼくも失礼しようか」と野々宮さんが腰を上げる。

「あらもうお帰り。ずいぶんね」と美禰子が言う。

「このあいのものはもう少し待ってくれたまえ」と広田先生が言うのを、「ええ、ようござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出ていった。その影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように「そうそう」と言いながら、庭先に脱いであった下駄はいて、野々宮のあとを追いかけた。表で何か話している。

 三四郎は黙ってすわっていた。

2024-05-16

anond:20240516091232

 このたび余輩の故郷中津学校を開くにつき、学問の趣意を記して旧く交わりたる同郷の友人へ示さんがため一冊を綴りしかば、或る人これを見ていわく、「この冊子をひとり中津の人へのみ示さんより、広く世間布告せばその益もまた広かるべし」との勧めにより、すなわち慶応義塾活字版をもってこれを摺り、同志の一覧に供うるなり。


でもぶっちゃけ自分学校を作るから書いてるのでポジショントークなんですよね

文字学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎うとき人なり。これらの人物はただこれを文字問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。


実用の役に立たない学問はクソって言ってるし

2022-09-25

福沢諭吉貧困ポスドク無用の長物経済を妨ぐる食客

学問のすすめ 二編 端書

 文字学問をするための道具にて、譬えば家を建つるに槌・鋸の入用なるがごとし。槌・鋸は普請に欠くべからざる道具なれども、その道具の名を知るのみにて家を建つることを知らざる者はこれを大工と言うべからず。まさしくこのわけにて、文字を読むことのみを知りて物事道理をわきまえざる者はこれを学者と言うべからず。いわゆる「論語よみの論語しらず」とはすなわちこれなり。わが国の『古事記』は暗誦すれども今日の米の相場を知らざる者は、これを世帯学問に暗き男と言うべし。経書・史類の奥義には達したれども商売の法を心得て正しく取引きをなすこと能わざる者は、これを帳合いの学問に拙き人と言うべし。数年の辛苦を嘗め、数百の執行金を費やして洋学成業したれども、なおも一個私立の活計をなし得ざる者は、時勢の学問に疎とき人なり。これらの人物はただこれを文字問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。

2022-09-07

鶏鳴狗盗は、書き方がズルい

くだらない才能と連呼するから、すっかり流されてしまっていたが、

大人になってよく考えたら、ものまね士と盗賊じゃん。

三千人も集めるなら余裕で入れるわ。

学者剣客が多く必要としても、60巡目位には指名しておくだろ。

食客ドラフトやりてーわ。

2022-08-16

夫の収入により十分な生活保障基盤を築いた上で生き辛さの漫画を描き切る女

見事に描き切った

つの時代食客や藝術家にはパトロン必要やの

2022-05-19

anond:20220519224348

非常に中国らしいエピソードだなあ。

食客政策が受け入れられないと、すぐに立ち去って他国間諜になったり害をおよぼすのはよくあった。

日本人感覚だと、それはそれ、パーソナルな感情プロではないと考えるかな。

それぞれの現場感謝しながら、

プラスとなる情報を置き土産にして辞めるのが筋だと考えちゃうね。

2022-04-10

anond:20220410232915

この辺ずっと昭和文化だよな。逆に高級な日本家屋庭園執事家政婦食客文化人維持していくみたいな殿文化はなくなってて貧しい。

2022-02-27

anond:20220227175952

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E5%98%97%E5%90%9B

宰相罷免されたことで、田文のもとにいた3000人の食客も立ち去っていったが、馮驩(ふうかん)[5]という食客だけは残った。馮驩は田文を斉の宰相復職させるため策[6]を用いて宰相復職させた。田文が斉の宰相復職すると、馮驩は立ち去った食客たちを呼び戻すように進言した。しかし田文は自分が貧窮していたときに立ち去った食客を詰った。それに対し馮驩は好悪の情で去ったのではなく自分識見を活かせなくなったので去っただけと諭して呼び戻すことを認めさせた。

https://www.pangoo.jp/9560

「生きているには必ず死がある、これは物の道理です。富貴になれば士が増え、貧賎になれば友が少なくなる、これは事の道理です。そもそも君は朝市に趣く者を見たことはないですか?朝日が出ると、肩を押しあって押しかます。でも日が暮れると市を過ぎるものは見向きもしません。朝が好きで、夜が嫌いだからではなく、そこに欲しい物がないからです。君が地位を失うと賓客が皆去るのも同じことで、食客を恨んで客をもてなす路を踏み外すほどのことではありません。君には過去と同じく食客を遇していただきたい。」

2021-09-30

anond:20210930182317

生きているには必ず死がある、これは物の道理です。富貴になれば士が増え、貧賎になれば友が少なくなる、これは事の道理です。そもそも君は朝市に趣く者を見たことはないですか?朝日が出ると、肩を押しあって押しかます。でも日が暮れると市を過ぎるものは見向きもしません。朝が好きで、夜が嫌いだからではなく、そこに欲しい物がないからです。君が地位を失うと賓客が皆去るのも同じことで、食客を恨んで客をもてなす路を踏み外すほどのことではありません。君には過去と同じく食客を遇していただきたい。

https://www.pangoo.jp/9560#co-index-5

2019-03-21

"せっかくの接客"

約 121,000 件 (0.38 秒)

食客触角

食客触角”との一致はありません。

んなんでや

2013-10-13

戦国公子のうち、無能人間が一人いるが

平原である

人の評価が得意としながらも趙楚同盟おいて毛遂を評価できなかったこと。

長平の合戦以降軍事力を大幅に無くした趙国が秦の天才将軍白起に攻め滅ぼされ掛けた際に一人だけ豪遊し李申という一兵卒叱咤されたこと。

魏の信陵君(四公子の一人)に言い負かされた上、彼がとりわけ尊敬してたとする二人の賢人(後に判明する)を見抜けず嘲笑した結果信陵君が帰国し更に平原君が養ってた食客の凡そ半数に逃げられる失態を犯す等が代表的なエピソード

鶏鳴狗盗食客三千等の逸話のある斉の孟賞君や晩節を汚したとはいえ楚の滅亡を防いだ楚の春申君、当時最強だった昭襄王時代の秦に唯一恐れられた天才軍師の魏の信陵君に比べるとエピソード殆どが己の無能さを示すものばかりでどうしようもない。

公子の一人に挙げられながらこの体たらくである

しかしながら、何故かこの無能を何度も助けようとする無償人材が集まってくる。毛遂や李申がそうだ。

はっきりしてるのは、平原君は彼自身が素晴らしいのではなくその周囲が恵まれているということが言える。

そのため、司馬遷に一つにまとめられたのではないかと考えるわけである

2009-02-17

[] 節を曲げずに生きる《怪人》の辛さ

中国知識人運命』(陸鍵東 平凡社 2001年

  △

 清朝崩壊のキッカケとなった辛亥革命1911年。かくて生まれた中華民国は間もなく四分五裂。混沌・混乱の時代を経て、共産党一党独裁(というより毛沢東王朝)の中華人民共和国が建国されたのが1949年

 つまり40年にも満たない時間の中で、中国人は封建帝国、民国、人民共和国の3つの異なる政体に身を委ねざるをえなかった。

この三代を生き抜いた《怪人》の筆頭は政治家ならダントツ毛沢東知識人なら陳寅恪。この本は、その陳寅恪の栄光と悲劇の生涯を描く評伝だ。とはいうものの陳寅恪といったところで、その名を知る日本人は皆無とはいわないまでも、限りなく少ないことだけは確かだろう。

中国語で怪人とは、たとえば「怪人二十面相」という言葉から連想される“怪しい人”という意味ではなく、己の信念を実現させるためには天下を敵に回しても構わないという鋼鉄の意志・執念の持ち主を指す。

京劇「捉放曹」の舞台曹操は「寧可我負天下人 天下人不負我(俺は天下に叛いても、天下を背かせはしない)」と大見得を切るが、この台詞が表現する己を恃む志操こそが怪人の真骨頂。

怪人とて政治家なら権力を握れば、コッチのもの。毛沢東のように正々堂々・公明正大勝手気侭に「寧可我負天下人 天下人不負我」の世界を愉しむことができる。

大躍進も文革も、毛の身勝手な「天下人不負我」の悲惨な結末だろうに・・・。

だが同じ怪人でも、陳は中華文明の精華たる文史(=文学歴史)を命を賭して守ろうと任じた精神貴族たる文士、つまり文化・文明守護する武士だ。そこで政治家と文士の怪人の激突となる。

1953年共産党政権中古研究所所長への就任を陳寅恪に要請した。

建国から4年。毛沢東が進める政策の「倫理的側面」が盲目的に賞賛され、彼の声望は一気に高まっていた。

であればこそ、そのポストは“毛王朝貴族”への道を確約するもの。

だが陳は!)マルクス・レーニン主義を信奉しない。!)そのことを、最高権力者が公式に認める――を所長就任条件とした。

文史という中華文化の根幹を支える学問領域には権力者であれ容喙を許さず。文士の怪人たる陳は決然として「天下人不負我」といい放ってはみたが、そんな“我侭”を認めるほど政治の怪人は甘くはない・・・冷徹・峻烈・酷薄・残忍・非情

50年代後半から文化大革命へと続く疾風怒濤政治の季節の中でも、陳の志操は挫けない。

広東の中山大学に在る彼は、広東を中心に中国南部で強い影響力を発揮していた陶鋳の厚い庇護を受け研究教育の日々を送る。

陶からすれば、陳は食客ということか。失明、大体骨骨折による両足切断の悲劇にもたじろがない。

全ての中国古典の一字一句まで刻み込んでいるような彼の頭脳研究を止めることはなかった。ほぼ寝たきりの彼を支えたのは妻、助手、同僚、看護婦――すべて女性である。

怪人は硬骨漢。

だが朴念仁にはあらず。

 頼みの綱の陶鋳が文革で失脚し、紅衛兵の攻撃は堰を切ったように激化。スピーカーのボリュームをいっぱいに上げ耳元で悪罵を浴びせ続けると、陳の「全身に震えが来て、ズボンが小便でぬれて」しまう。

窮状を訴えるが、紅衛兵からの反撃を恐れる大学当局は取り合わない。

69年、惨死。79年の生涯だった。清末光緒十六(1890)年、湖南省長沙の産。

 陳のような知識人を産み育て生かし尊敬し畏怖しながらも、とどのつまりは笑殺、やがて封殺・謀殺・愁殺・・・中国社会は、そうやって続いてきたようにも思えるのだ。

2007-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20071125163648

食客 - Wikipedia

土地だけ無償提供するかわりに、増田が危機に陥ったとき助けてもらう。とか。

2007-11-10

シケモク推参

 彼女シケモク先生と呼ばれた。風体がいまどき刀などを腰にぶら下げた古い食客然としていて、常に吸いもしないでよれた煙草をくわえているのが理由だ。

 そして実際、食客だった。というかうちの居候というべきか。それも招かねざる、である。

 あまりに招かねざるので、離れに小屋を建てて、そこに寝泊りしてもらう事にしたのだが、食事にはこちらの家にやってくる。たまに、仕事場にまでやってくる。

 今日がそうだった。

「いよう。飯食いにいきまやせんかね、杏奈さん」

 そういってシケモク先生事務所に入ってきた。シケモク先生の顔を知らない、外様の若い衆が色めき立つ。

 そのうちの一人が、くってかかった。

「てめえどこのもんだぁ! 姐さんになめた口きいてんじゃねえぞ、ああ!」

「はっはっは。じゃれるなよ若いの。今日のあっしは機嫌がいいから、かまってやるつもりは無いよ」

「何だとっ」

「お止め」

 わたしが制すと、若いのは押し黙った。なにかまだ言いたげだが、相手をしてやる暇はないので無視する。まずはシケモク先生の相手をしなくては。

「またたかりに来たんですか、シケモク先生

 わたしが努めてそっけなく言うと、シケモク先生は得たりとばかりにうなずく。煙草を上下に揺れる。シケモク先生、という言葉に周りの“社員”が再び色めきたった。今度は、明らかに恐れによる緊張が走っている。

 そんな雰囲気など知らぬ存ぜぬで、シケモク先生は嬉々として話しかけてくる。

「なになに。今日はそこそこ勝ったんでな。ここはひとつおごってさしあげやんしょ、と思ったんだが」

 そこで一区切ると、シケモク先生はいやに陽性な笑顔になった。

「どうも、ここはきなくせぇな。あっしの好きな臭いがぷんぷんすらぁ」

 やはり、隠すのは無理か。これだけ普段居ない人がいる時点で、隠せるものでもなかったかもしれないが。わたしは腹をくくった。

「あんまり関わって欲しくないんです、赤の他人様には」

「おいおい、そりゃあない。そりゃないですぜ杏奈さん。あっしはこういう時のためにいるようなもんじゃないですかね」

「それは、前で懲りました」

 わたしがため息をつく。シケモク先生はなんのことやら、という顔をして白々しくのたまう。

「まあ、前はわるぅござんした。あっし、人の顔をおぼえるのが苦手でやすから、敵も味方も同じに見えてしまいましてねぇ」

「だからと言って、うちの“社員”を病院送りにしていいわけじゃないでしょう」

「はっはっは。だから後で謝ったじゃねえですか」

 わたしは再びため息。だから今回はよそに出払っていたもので増員する羽目になったのだ。おかげで要らぬ苦労が多くなって、わたしの眉間のしわも増員した。これ以上増やされたらたまらない。

 だから、わたしはぴしゃりと言った。

「とにかく、シケモク先生。今回はあなたの出番はありません。それに今“他社”との競合で忙しいですから、お食事は一人でなさってください」

 そう言えば引き下がるだろうと思っていたわたしの期待を、シケモク先生はあっさり裏切った。それも予想外の咆哮で。

「いやいや。杏奈さんはもうすぐ忙しくなくなりやすよ。なにせ、なんでしたっけ、“他社”との競合? それならあっしが解消しておきました」

「え?」

 わたしが何の事か解らず呆けた隙に、若い男が一人、事務所なだれ込んできた。

「あ、、姐さん、大変です! 磐田んとこの奴ら、全員病院送りに!」

「なんだって!?」

 そう叫んだ時に気が付いた。

 仕事柄、人を覚えるのは得意だ。だから余所から来た者達の顔も既に覚えている。

 だけど、この男の顔を、知らない。

 “他社”の“社員”だ。

 そう気付いた時には男は懐から銃を取り出されていた。

「て、てめえさえやればあああああああっ」

 銃口。

 こちらに向いている。

 唐突過ぎて、誰も、反応できない。

 一瞬に死を覚悟する。

 銃声。

 は、鳴らない。

 見れば、銃口はもうこちらに向いていなかった。

 ごとり、と音を立てて銃と“付属物”が床に落ちた。

「ぎ」

 あああああああああああああああ、と男が悲鳴をあげて手のあった場所を押さえる。

 たちどころに止まっていた“社員”が動き出す。男を押さえつけ、余所へと連行した。

 それを見届けると、わたしは腰を抜かした。倒れこむ寸前で机に寄りかかり、何とか立ち上がる。

 ぃん。

 と音がした。シケモク先生が刀を納めた音だ。

 シケモク先生はどうという事もないように、

「いやあ。すいやせんね、杏奈さん。全部病院に送ったつもりだったんでやすけど、残りが居ましたな」

 と謝った。

 わたしはしっかりと立ち上がると、疑問を口にした。

「何故、わかったんですか? あなたには誰もがひた隠しにしていたはずです」

「それは杏奈さん、あんたから家に会った時にも臭ってきたんですよ。ここと同じ、きなくさい臭いがねぇ。ま、あっしをだまくらかすつもりなら、もう少し立ち振る舞いにお気をつけなさい、ってな事です」

「わたしもまだまだ修行が足りない、という事ですね……」

 わたしは、三度ため息をつく。シケモク先生はひとしきりカラカラと笑うと、思い出したかのように言った。

「さて、昼飯にしやしょう。今日はあっしのおごりです」

http://neo.g.hatena.ne.jp/hanhans/20071130/p1

2007-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20070314213240

最初の学生さんじゃないけど反応

相手の立場も考えて、自分の利益も考えて、行動してごらん。

組織の体質が自分にとって不利な構造なら変えようとするとか。

これさ、とても正論でごもっとも、最初の彼に対してはまあまあ良いアドバイスなんだけど、今の時代にヒラの従業員に要求するのって昔と違ってとても難しくなってると思う。従業員がこうしてくれれば上はとっても助かるけど。

確固たる終身雇用制度があった流動性の低い時代だと、権限が全くないところからでもボトムアップアラートが上がってきて組織改善することを期待できた。だって会社は「終の棲家」だから、自分で積極的に居心地よくしないといけないものね。

だけど、流動化の進んでる現代、自分の属している会社を手間隙かけて改善するよりも自分だけ磨いて転職しちゃったほうが早いケースが出てくる。そういう場合アラートがあがんなくて、サイレントに人がどんどん入れ替わる。転職する時ってのは「ベンチがアホやから野球がでけへん」とか言わない。「もっとやりたいことができました」とか「家庭の都合で田舎に帰ります」とか「給与の面で高く評価していただけたので」とか「オーストラリアに行ってプロサーファーになります」とか無難な理由をつけて転職するから、組織が腐っていても管理部門が気づくのはとても難しい。

今後、管理部門管理職から見て一般の従業員は「身内」や「味方」ではなくなると思う。「食客」であったり「設備」であるようになる。不都合があればすぐいなくなったり壊れたりするわけだ。

注意深く観察して積極的にケアしないと、「えっなんで部署まるごとやめちゃうの?」「みんな会社作ります」となったりする。従業員組織改善してくれるなんて幻想なっちゃうかもよ。

(台詞はベンチが云々以外は実際に見聞きしたものです。ちなみに過去聞いた中で最も奇妙転職言い訳は「寮の周りに蝉が多いので」)

 
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