はてなキーワード: 社会主義とは
反近代伝統保守(江戸時代以前が理想)の反安倍もおるし、国家社会主義の反安倍もおる。社会主義はリベラルではない。リベラルは自由主義。だからガチ共産主義者の反安倍もリベラルとは言わない
ちな自分はアベノミクスどころか、1990年代中期から一貫して経済状態が良くも悪くもなってない、身分は非正規雇用な
良くも悪くもなってない横ばい状態でも、そのまま10年20年経つと、正社員になれた同年代や歳下との相対的比較で自分の経済的待遇に不満が溜まってくる
思想の左右上下に関係なく、そういう奴は今の日本に確実に万単位でおるぞ。とくに1970年代生まれは無駄に数が多いから負け組も全体数が多い
本当は社会全体にもっと余裕があればいいんだよね。ただしそれは、お金があればいいという意味ではないよ。
資本主義は文明を発達させる上で非常にパワフルなんだけど「無理無駄をなくし社会を最適化する」方向にパワフルなんで、発達するほど「余裕」は消えていく。そこがマズいんだよなあ。いくらお金が増えても、余裕はどんどん減っていくんだよ。
もちろん構造上「余裕」を計算して入れることはできるんだが、社会にどのくらいの「余裕」が必要かはなかなか決定できない。たとえば「余裕」のない構造のビルにはひずみが生じてひび割れる、それは誰でも見えるけど、社会に生じたひずみ(事件や自殺者等)は複雑系なので人によってさまざまに解釈されるのでどうにでもごまかされちゃう。公園を作ったらどのくらいいじめが減るのか、休日を増やしたらどれくらい自殺者が減るのか、誰も確定的に答えられない。
「未熟」「病」は資本主義社会からの逸脱だけど、肉体的なそれはまだ対応可能なんだよ。でも精神的な未熟や病って、社会主義はもちろん資本主義システムでさえうまく対応できない。まだしも、封建制システムの方が(逃れがたい「社会的役割」を与えたり(身分)強制的に「仕分け・分類」したり(狂)して)対応していたっぽいんで、いっそ封建制と資本主義のハイブリッド型社会を構築すればいいのかな? なんて思ったり思わなかったり。
たとえば、東京を社会保障を限りなくゼロにした資本主義経済特別区として、そこでは社会が激しく動いて活動してる。でも、東京を一歩離れるとガチガチに規制がある社会で、駄菓子屋があって田舎の商店街があって代々続く魚屋があって服屋、靴屋があって、そこに生まれたら後を継ぐことが決まっていて、町から出ることもなく日々を過ごす人がいて、そして20年、50年、100年変わらぬ暮らしがのんびり続いていく。子供らも大人の目の届くところで遊んでいて、そこでは日がな一日ぼーっと空を見ているだけの人も「そういう存在」として社会的役割など期待されずに暮らしている。顔の見えるつき合いの範囲で、村の「おきて」みたいなものも決まってくる。「社会批判」とか「向上心」とかは、そこでは称揚されない(そういう人は東京特別区へ移住させる)。そういう社会をデザインしてみるのもいいのかもしれないね。
生活保護を受給するというのは社会主義システムに所属するという事だから、生活保護区みたいな社会主義特区を作り、全部の受給者をそこに集めて効率良く管理すれば良いのにね。
文章の論理を考えずに、誰が言っているか、とか、見出しや単語で条件反射する人が多いからじゃない?
その情勢を的確に読み取って、議論を噛み合わせず、聞こえのいい単語や強気な振る舞いで、長期政権を保っているのが安倍政権のいいところ。
噛み合ない議論&同時に大量の法案をパッケージで通す立法スタイルなので、時間が足りず、議論が深まらず、
立憲のいいところは、震災を経験した枝野代表など、一番きついときに政権の中枢を担った経験のある人がいるところ
たぶん政治主導で官僚に嫌われた苦い経験も、当時よりもうまく官僚を使えるんじゃない?
立憲の悪いところは、人員がいないところ、ていうかまあ自民とか維新とか見ても人員が多いだけじゃ、ねぇという感じなんだけど。
あと代表がまともに議論できる人で、安倍総理の様にダメージを無効化出来る(何言ってんだかわかんない)を使えないので、
もしかしたら短命になるかもしれない。
多分こういう考え方をもう少し歴史的な表現をすると啓蒙思想って事なんだろう。目の前の事象や自分自身を機械的解釈で分解して理解することが、自分や自然をコントローラブルにすると考える思想だ。
ただ啓蒙思想についてはWW2以降に政治的、宗教的な批判の的にさらされた事も知っておいたほうがいい。それに現代の政治学や社会学などの多くの人文的学術分野は啓蒙思想から脱却して次の段階に進んでる。多くの場合は対話によって物事が理解されるという点に集約される。これは資本経済を理解することから生まれたものだし、啓蒙主義から生まれた社会主義を批判することからも見出された。
小難しい書き方になったが、要は整理整頓されていない言論を打ち捨てるより、寄り添って対話して理解しようとすることの方が、より良い結果を導きやすいだろうし、お互いの理解も進むんじゃないかということ。
女って正しさや常識には敏感なのに高次の理念に考えが至らない人が多いから政治に向いてないと思うわ。
経済的、資本主義的、美人投票的承認構造、低次元の現実観、階級差別、形式主義、非加害者的加害者、無敵の受動性、正しさには敏感でも寛容の意味を知らない
たとえばホームレスや貧困者などの社会的弱者には正しさとして接することはあってもえてしてまじわることはない。非マジョリティーという認識をもってマイノリティーに接する態度。差別はしないが区別はする区別主義者。
自分で空気をつくることはせず男性が醸成した空気には気に入るか気に入らないかで判断して批判してもかまわないという無敵の受動性
イケメンと人が判断する人を自分もイケメンだと無自覚に考える無思考の承認構造
常識や法律、マナーなどには敏感であるが法を超えた仲間意識を持つことはない。
社会全体を考える社会主義、ではなく現存の社会性に準拠した正しさに敏感な社会性主義者。
公正性について考えない。
哲学的態度のなさ。
経験主義。
シェアリングエコノミーってようは社会主義でしょ
左翼リベラル派としては「冷戦時代は良かった」と思ってるかも知れない
しかし本当にそうだろうか?
確かに、現在のような中国韓国への悪しざまなヘイトや排外主義は、少なくとも戦後、1980年代までは目立たなかった
が、その手の言説が庶民大衆にまで熱烈に支持されてるかというと少し微妙
在特会や主権回復はすでに「右派のプロ市民化」して現状以上に幅広く人が増える気配は感じられない
(本物の庶民大衆てのは、活字のヘイト本なんか読まず、昨日の野球の試合や今日の夕食、人気タレントの出てるドラマ、学校や職場の愚痴、身近な男女の誰それがくっついた別れたといった話をしてる奴のことだ)
排外主義政党の日本のこころ(旧・次世代の党)はちっとも議席が伸びず消滅した
自民党支持派の中でもコアな連中は極端な復古主義・排外主義だろうが、大多数は経済政策を支持してるだけで、深く考えてない
ひょっとして21世紀に入って以降の右傾化って、単に論壇インテリ業界の枠内で右派が目立つようになっただけじゃね? という気がしている
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冷戦時代の1980年代まで(つまり昭和の時代)、世の庶民には、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観が蔓延して、みんなそれを当たり前だと思ってた
が、現在ではそれらを露骨に前面に出せばひんしゅくを買う、論壇インテリ業界内の話でなく、なんの変哲もない庶民の多数が、そういうのを嫌う価値観になった
これって、伝統的保守的価値観の否定なんだから「左傾化」じゃねえのw
無論、これらは小難しい社会主義や共産主義イデオロギーと何の関係もない
しかしそもそも、右翼左翼という概念は、フランス大革命のあと議会で伝統保守派(王政と教会の価値観を踏襲)が右側、改革派が左側に座ったことに由来する
つまり右派つうのは「昔ながらの価値観」を大事にする人たちのことだ
「『昔ながらの価値観』なんてキツいからヤダ」という思想こそが左翼なのだとすれば、8時間労働制やら週休二日やら近代以降の世の中はもうずっと左翼化してる
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ある意味では、一部のリベラル派インテリ(言い換えればインドア派のオタク)だけでなく、世の庶民の多数が、男尊女卑、セクハラ、体罰、運動部は水飲んじゃいけない、年功序列、社員は会社に滅私奉公、嫁は姑に逆らっちゃいけない等々の、家父長的体育会系的価値観を平然と嫌がるようになった現在の方が、昭和期より世の中が良くなったという気がする
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そうじゃなくて少数意見=異常って見方は組織全体として非常に危険思想だからやめとけって話。
全体主義というなら開戦に向かった日本なんてまさに帝国主義に染まってたじゃねえか。
赤軍もファシストも問題なのは全体主義になっちまうことでしょ?
少数意見にもそれなりの理由があるんだから、それを分析して考えていかなきゃおかしな方向に簡単に曲がってしまうってことを俺は言ってんの。
すぐに左翼だとかいって気に入らないやつはレッテルを張って沈黙に追い込む方がキチガイ。
それに理解できるかどうかが変革できるかどうかの分かれ道。
もっと言えば資本主義がファシストや社会主義に勝ったのは少数派意見が比較的通りやすいってところだから。
今資本主義が標準になってしまったせいで対比する相手がいなくて、また少数意見への風当たりの強い世の中になってきてしまった。
時代を撒き戻すのもいい加減辞めて欲しいもんだ。
これらは対義語で
人によって最悪な社会と言うのはマチマチなので、固定された1つの概念を定義するものではない
しかし、SF隆盛期に社会主義的な状態を指してディストピアとした作品が多かったからか、
そういう「高度な文明で」「統制された」「理性的な」という状態をディストピアの意味としている人が結構居る
それはあくまで一部のディストピア文学での話であってディストピアそのものの意味ではない
もちろん「ディストピア的」とか「ディストピアっぽい」と言った表現の時に、ディストピア文学を想起させたいと言うのは間違っていないが
誰かにとっての地獄な社会を「それはディストピアではない」と言うにはあたらない
詳しくはWikipediaでも見て
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%94%E3%82%A2
もともと民主党系政党の議員や支持者の出自は都市在住で勝ち組の高学歴・高収入のサラリーマンや専門職なんだよね。
自民党が作った「成功した社会主義」のもと都市部や高所得者から税金を奪っている低学歴・低能力の田舎の田吾作の既得権益の打破を望むネオリベだってこと。
自民党への対抗上、格差社会だなんだと言い出して、アンチも民主系をサヨクと罵っていて忘れがちだけど、実は経済政策では自民党より右傾している地金がこういうツイートで出たりする。
玉木雄一郎さんのツイート: "Googleは就職の条件から大卒を撤廃する。AI時代、採用時の学歴、年齢、性別による差別禁止は当然。それと人生100年時代、これからは定年制の撤廃も不可避だ。私は高齢者就労を応援したい。そのためには、本人の同意など一定の条件の下、最低賃金以下でも働けるような労働法制の特例も必要だと考える。
https://twitter.com/tamakiyuichiro/status/1033124980240744448