はてなキーワード: 玉の輿とは
玉の輿狙いというか、結婚するなら相手の収入は多いほうがいいし、優秀(将来安泰そう)な人ならわりと誰でもいいみたいに思ってたけど考えが変わった。
合コンで相手が電通マンだって聞いたら、今までならやばいって気持ちになってたけど、今ではもう「あ、こいつら全員ケツにポッキー刺してそれを食うんだ」って目でしか見れない。若い人なら今まさにケツにポッキー刺してるんだろうし、おじさんでも「この人も若いころはケツにポッキー刺して食ってたけど今では若手にケツポッキーさせてるんだ」っていたたまれなくなる。「どんな味でした?」って質問が喉まで出かかるのをぐっとこらえるのに精一杯でもう合コンどころじゃなくなってしまう。
ケツポッキーがかっこいいっていうシチュエーションがあるのはまあわかる。仕事でミスってヤクザに監禁されて「オトシマエどうすんだコラァ!!」とか言われてさ、自分と後輩が床に正座したり土下座したりする。でもヤクザは全然許してくれない。兄貴的な人が買ってきたお菓子を出していきなり「おまえ、ほんとに申し訳ないと思ってんならケツにこのポッキー刺して食えや」とか言い出すとするじゃん。これ拒否したら自分も後輩もどうなるかわからない、やるしかない、でもやりたくない、だいたいやったら許してくれるって保証もないしなあ、とか迷ってて、ふと後輩を見るともう目が据わってる。いますぐケツにポッキー刺すぞっていう気迫が漂ってる。あんなにがんばって電通に入って毎日マジメにやってきた後輩にそんなことさせるわけにはいかない。急に使命感が湧いてきて、己を恥じて、「わかりました」つってベルト外し始める。後輩は「オレがやります!」って言うけど、「バカ。後輩が謝ったって誠意は伝わんねえんだよ」って妙に冷静に止める電通マン。「今回のことはオレの責任です。オレがこいつの分も謝罪します。ポッキー2本ください」とか調子に乗ってかっこつけたら、1箱丸ごとやれっつってぽんと渡されてアホな自分の発言に後悔しつつも、覚悟はもう決まってるわけだから粛々とケツにポッキー刺す。んで食う。変な味するしクサい。そのまま流れ作業みたいにケツにポッキー刺しては食う、刺す、食う、刺す、食う。後輩は涙目で、ていうか号泣しながら、すいませんっしたっ!!とか言いながらも、先輩のケツに吸い込まれてくポッキーから目を背けない。1箱分のケツポッキー食って、ごくんと飲み込んで、また改めて完璧な土下座。ヤクザもまあ飽きたし、いいやって感じで解放してくれる。帰り道、後輩がなんて声かけたらいいのかわからなくてもじもじしてるのを見て、「ポッキーのメーカー、うちのクライアントなんだよな。今度ケツ味の提案してみようぜ」とか小粋なジョークを飛ばす。朝日を背にして。
でもさ、現実の電通ケツポッキーマンは全然違う。同じ会社の先輩とかが「おーい誰かケツにポッキー刺して食え」とか軽いノリで言うだけで、ケツポッキーマンたちは「はい喜んで〜」つってへらへら笑いながらケツにポッキー刺して食うだけじゃん。高学歴高収入な大人がはい喜んで〜つってケツにポッキー刺して食ってるんだよ。大学入学時点ではたしかに知能が高かったのかもしれないけど、もうそこらのヤンキーよりバカになってる。
まあバカでもケツポッキーでも電通勤務なわけだから高収入は高収入かもしれない。じゃあもし電通のケツポッキーマンと結婚したらどうなるか。普段から、別にすごいミスしたわけでもないのに、軽いノリでケツポッキー食えって言われて、全然逆らえなくてはい喜んで〜つってケツポッキー食べてるくらいだから、仕事はすごいストレスフルなわけ。するとストレスのせいで家ではひどいことになる。DVで済めばまだいいのかもしれない。「うちの旦那、電通勤務で(毎日ケツ味のポッキー食ってるから)職場のストレスがひどいみたいで家ではすごい暴力ふるわれるの…」とか言えば、まあ周囲は同情してくれるだろうし、ほんとに生命とかに関わりそうなら逃げ込む先だってあるだろう。でもさ「お前もオレみたいにケツポッキーしてみろよ!!」とか言って、電通の宴会で仕込んだ無茶苦茶を嫁にやらせる可能性がすごい高い。これもDVなんだろうけどさ、「旦那にケツポッキー食えって強要されました」って相談するの、すごい難しくない? 殴られたとか、言葉の暴力とかなら、まあ、相談相手も深く立ち入らずにいてくれるのに、「で、旦那さんにどういうことをされましたか?」って聞かれて、そこからケツにポッキー刺して食わされましたって言わなきゃいけない。私、そんなこと言える自信ない。でも電通マンはケツにポッキー刺して食えって間違いなく言ってくる。他にもわけわからないことをいろいろやらされる。相談相手も作れない。旦那は会社でケツにポッキー刺して食う仕事してるし、家では私がケツにポッキー刺して食わないと旦那が安らかに過ごせない。子供なんて出来たらいったいどうやって育てればいいのか想像もつかない。
電通マンと結婚したいっていう人を止めるつもりはないけど、そのことについてちゃんとよく考えておいたほうがいいと思う。旦那がケツにポッキー刺して食うとき、あなたもまたケツにポッキー刺して食うことになるんだってことを。
高齢者は「結婚は誰でも出来るし、誰でもしなければならない」のをデフォルトだと思ってる。
一方で、結婚適齢層(広めにとって10代後半~40代前半)にとってみれば、
「結婚は人として一定のレベルを超えていることの証明みたいなもので、しかも必ず全ての人がすべきだとは思わない」と考えている。
だから、結婚できないことに劣等感があっても、罪悪感までは感じないんだ。
「結婚できない俺/私はダメ」はアリでも、「結婚でいない俺/私は社会に迷惑かけてる」はほとんどない。
でも、高齢者は劣等感の問題というより、善悪の問題だと思ってる。
たとえば、男は働いていれば誰でも結婚できるし、相手となる女は金がない奴を見つければアプローチ即OKしてもらう、的な感覚。
女の場合、相手は据え膳食わぬは何とやらで好意を示せば確実に落とせる、学歴で箔をつけて玉の輿ゲットもありだけど、基本30までに結婚しなかったらクズ扱い、的な感覚。
これは建設的な会話は無理だと思った。
当時の女性には自由も人権もなく、それ故雪子は発狂してしまっている…が、職につけるかも怪しい自分とっては充分羨ましい立場である。仕事は出来ないし差別やら厳しい風潮もあっただろうが、妻として母として当時の女性は家という存在を支える存在になれる。
自由や人権がかなり制限されていても最低限食べるのには困らないのがいいのか、自由や人権を求めて餓死か狂死か……という選択か。
結局、自由になる分自己責任や自己選択の是非に関わる要素が増えるわけで、これは「自由」を求める以上受け入れねばならないリスクなんじゃないかな。
クレしんのみさえやまる子の母親のように、それなりに気が合って堅実な男性と意思疎通しながらやっていけるなら専業主婦も悪くないけど、現実として今はそれこそが一番の贅沢なんだよね……。
同じ樋口一葉の作品なら、金持ちの家に一人娘として生まれてエリートを婿取りして何不自由なく暮らしていたはずが子供を産めなくて、夫は密かに妾を作ってその間に子供を作りそしてヒロインは不倫の疑いを口実に追い出されるとかいう「われから」とか、婚期を逃して裁縫などで自活していて仕事の評判も良かったが、結局続けられずに金持ちの妾になってしまう「わかれ道」とか、幼馴染みとの恋を諦めて玉の輿に乗って良家の主婦として家族には喜ばれ周囲からも羨ましがれているが、本人は夫のモラハラに苦しみ離婚もできないという「十三夜」とか、商売女に貢いで破産した夫を必死で支えていたのに結局夫はその女を忘れられずに無理心中してしまい自分は貧困シングルマザーまっしぐら……という「にごりえ」とか、とにかく色んな視点や立場からの女性の状況を描いている。
いつの時代でもその生きる場所や立場なりの苦労や不自由というのはそれぞれついて回るもので、そういう身分や性別、そして時代を超えた生きる苦悩を色んな視点で描いてみせたからこそ樋口一葉は歴史に名を残したのでは。
もともとは字書きなんですが、以前に数年ほどDTMにハマっておりました
15曲ほど作ってみたのち、「ああ、向いてないんだな」と実感しましてやめたのですが、そのときに歌詞を考えた経験がちょっと懐かしいです
最近になって、歌詞に困るDTMerさんの話を耳にしまして、歌詞の書き方くらい検索したら出てくるんじゃないかと思って検索したら本当に山ほど出てきたので、順番に読んでみて納得したりこいつなに言ってんだと思ったり技巧派に感心したりして大変楽しかったのですが、なんか気になるところもありました
テーマとか世界観とか押韻とか破擦音とか基本的なところはいろんなサイトさんを見てください
あと、たぶん有料の書籍などでは普通に書かれているんじゃないかと思いますので過剰な期待はしないでください
単なる個人的まとめです
・メロとイントネーションをあわせる
ありがちなのが、歌詞では「好きなの?」と疑問形なのに、耳にすると「好きなの」と告白してるようにしか聞こえないといったパターン
メロが音階上がるところはイントネーションも上がる言葉、下がるところは下がる言葉を使ってください
わざと逆にもっていって強調する術もありますが、多用は禁物です
・同音異義語に注意する
「疾走」「失踪」とかです
「夜の闇にシッソウ」など、どちらでも通ります
間違えられることは少ないと思うのですが、とくに体言止めの場合には注意が必要です
・撥音に気をつける
「ん」です
一音として数えないほうがいいことも多いですしテンポもよくなります
もともと発音しにくく、強調する場所で使われると歌いにくくなりますし、補正するのも大変だと思います
ボーカルさんが上手ならそれほど気にすることはありませんし、歌うときにしゃくることが前提で強調させるのは逆にいいと思います
・促音は一音として扱うか
「っ」です
一音として扱わないほうがいいことが多いのですが、フレーズごと強調したいときだけは数えるのもありでしょう
長音「ー」として扱うことで強制的にしゃくらせることも可という感じでしょうか
ずっと真面目に一音一字はだるいので、二番のAやBをわざとすこしあわない字数にして変化をつけるのもありです
四分音符を八分音符ふたつに刻んだりですね
わりとよくあります
メロやオケとの兼ね合いで考えてください
「夢」を「希望」に置き換えたとすると、夢は曖昧に憧れるものに対し、希望は明確に求めるものの意味合いが強くなります
前者は夢見る乙女もしくは玉の輿狙いでしょうが、後者は王子様その人にすでに心当たりがあるようです
・耳慣れない言葉は浮く
かっこいい言葉や気を惹く言葉を探すより、よく使う言葉のかっこいい言い回し、気を惹くフレーズを考えたほうが失敗しません
「漆黒の夜に君とふたりで」より「暗い部屋で朝を待つ僕ら」のほうがマシです
さすがに「漆黒」とか使う方はもういなさそうですが
などとまあ長々と書いてみたのですが、実際に歌詞の書き方なんてものを全部きっちり守っていたらたいがいつまらないものしかできないでしょうね、というのが実感です
結局の所、経済的弱者である男性はフェミニズムのせいで貧困になった、自由恋愛の結果選択されなかった男性弱者はフェミニズムのせいで敗れた、っていう風に規定するのはとてもじゃないけど無理だと思う。痴漢冤罪の場合の罪の強弱とかは言えるかも知れんけど。
≫oldschool1933 《経済的弱者である男性はフェミニズムのせいで貧困になった》というのは必ずしも間違いとも言えなくて、女性側の場合玉の輿にのることで救済される可能性があるのに対して、女性は高収入であっても自分より収入の低い男性を避ける傾向にあるので、いわゆる逆玉による救済の可能性もないって部分はあります。シングルマザー支援を入れるともっとひどくなる。
≫oldschool1933 では北欧ではシングルマザー支援は徴税を通じて実際に貧困化に寄与している、というところだけ取り上げておきましょう。
≫kyslog 生活保護を受けられない経済的弱者は徴税を通じて貧困化させられてるっていうロジックに転用できちゃうんでちょっと同意しかねるかなぁ
≫oldschool1933 もうちょっと具体論出すと、ドイツあたりの例では年収500万で既婚と年収400万程度で独身では後者のほうが多く税を取られます。年収の高い500万の相手をパートナーに選んだ時に、徴税を通じて年収400万の人の可処分所得が減ってさらに結婚から遠のき、子育て税を納めるだけになる、というのをどう見るかですね。
≫kyslog シングルマザー支援から既婚と未婚における子育て税の違いになってるんだけど…「シングルマザー支援」を問題にしてるのか、それとも「子育て支援全体」を問題視してるの?
≫kyslog「シングルファザーも支援すべき」じゃなくて「子育てに支援とは何事だ!!」感があって やっぱり同意しかねる。そもそも、子供の出生・育成への支援・奨励っていうのはフェミニズムに関係なく古今東西ある事例だから、それをもって問題視はやっぱり難しい
≫oldschool1933 シングルファザーも支援すべきという意見は分かりますが、実際シングルファザーになれる可能性は低いです。人気のある美人女性が二股三股かけて子供が欲しい男性に生みまくる、という姿が想像しにくい(実際かなり稀)だが、男女逆はしばしばあるんで。根本的にはそこが非対称性の原因ですね。
いや、女子力って本来はどちらからも距離置いて、男は無視して女だけで楽しもう的なニュアンスで
(後者は勿論前者も「男に負けない!!」的な、男を意識しまくった生き方だしね)
女子力が高いってのは、ネイルアートなんかに自己満足で凝る女の事を指していたと思っていたけども。「『女』を楽しもう」と言うキャッチフレーズが似合うような。
あくまで「こんなことやっても男は見てねーしモテねーよ」ってのを周囲も本人も分かってる大前提で。
流行語としての、女性誌に出て来るような「女子」(30代女子とかああいうの)全般がそういうニュアンスだよね。
それを理解出来ない男(&空気が読めない女)が誤用して「男に媚びる女」的な勘違いが生まれてる感じ。
酒井順子の負け犬が「結婚したくもない人生楽しんでる独身貴族女によるポーズ的な自虐ネタ」だったのが
誤用されて「結婚したいのに出来なかった喪女による本気の自虐」と言う意味になり、そちらの方が広まったのと同じような経緯か。
草食系男子もなー。
「◯◯力」ってのがマスコミでさかんに使われるようになった切っ掛けは故・赤瀬川原平の「老人力」とは思うけれど、あれも思えば単純な誤用がまかり通って妙な気分になったものです。
女子力ってのも、元はと言えば女性の地位向上や自立(ようするに闘い)よりも旧態依然の玉の輿的な所を目指した戦略を取る女への揶揄として生まれた言葉のように認識しているけれど、あっというまにポジティブな意味で流通し始めたのはむべなるかな。
旧態依然なんだから新しい名前を付けること事態無駄なんだが、新しい名前を付ければ新しいキャンペーンが打てる。それも色んな会社が。
どうしたって1行で表わせるほうがマスコミの受けは良い。あまつさえマーケティング的にも有効となればこれを止める力は何処からも働かない。
とりあえず、吐き出したかったんだけど顔本でもツイッターでも敵作りそうだったからこっちに逃げてきた。
ちなみに、私は女性です。あらかじめ逃げとく。そこそこちゃんとちゃんと働いているほうだと個人的には思ってる。
(そこまでバリキャリではないけどね。一応エンジニアの端くれだとは思ってる・・・)
その人の言い分をざっくり言うと、
・日本人の社会でバリバリ働いている女性は子供が嫌いだから子供を作らないという話。
・バリバリ働いている女性しか国会等にいけないから本当に子供が好きで育てている女性の声は届かないという話
・アメリカの場合、どんなに貧しかったって、産休、育休制度なかったって子供が大好きだから生んで育てるという話
私が読んで思ったのはこの3つだったかな…。
確かに、今の日本で子供を作った女性は確かにキャリア街道外れるのは見えてるし、男性に劣ってしまうのはわかる。
まあ、しゃーない。
会社の意図として、産休とかで抜ける人間よりはずっと継続して働いてくれる人間を選ぶのはわかる。
男女平等とか言うけど、まあ仕方がないことだわな・・・と最近私も思う
本当の平等であれば、それだけで女性は省かれる対象になるのもわかるんだもん。
そもそも女性にキャリア街道あきらめろとは言わない。私もなんだかんだそこそこ働いていたいし、バリキャリとまでは
行かなくても、そこそこ稼いでいたいとはおもう。
だからこそ結婚なり玉の輿に乗るなりして(別に金ずるがあるなら結婚しなくてもいいとは私は思うけどね)
生活していけーって話になるのかなぁとか思うわけで。
でも、たぶん、バリキャリの人はそれがいやなんだろうなぁと。
たぶんね、これ直感だけど、バリバリ働く女性ほど、男性に負けたくない負けず嫌いなんだと思う。
いや、別にそれが悪いわけじゃないし、それだけ男性に牙向けることが出来る女性ってすごいと思うし。
もともと私もそういう考え方ではあったんだけど、どうしても肉体面とか体力面ではかなわない。
さすがに、サーバ一人で持ち上げる・・・とかは無理だったりする。
(といっても30kgぐらいのものであればあげられるけど)
たぶん、子供が嫌いというよりは、上記理由により自分が男性より劣っていることを見せ付けられることがいやなんだろうと
私は思うわけで。
たぶん、子供が嫌いというよりは子供を生む行為が嫌いなんじゃないかしら。
そのことによって自分のキャリアに穴を開けることになってしまうからね・・・。
でも最近、日本人は子供が嫌いになってきているんじゃないかと思うことは多々ある。
子供の遊ぶ場所がどんどん減っていること、子供の声が騒音扱いされていることなど。
満員電車の中でベビーカーが・・・とかいう話が典型じゃないかなぁ。
別に昔から子供嫌いの人はいただろうし、みんながみんな好きだったら逆に気持ち悪いから、ダメとは言わない。
でも、明らかに増えてきているような気はする。
子供をつれて歩いていたら、後ろから嫌いだから、気に入らないからって殴られるような世の中じゃ子育てなんて
したくないって思うよね
ほんとぐちっただけだけど。
【結論】
「ブサメンはゴミ扱いされて女はイケメンに媚びててクソすぎる」ってのはマジだけど、無かったことにしたほうがいい。
【体験したこと】
数回通ってる風俗でババアを抱いた。ババアだけど結構かわいいってか、スッピンで来て普通にかわいいくらいかわいい。
がしかし、親が蒸発したり、元夫にはDV&キャバ通いで借金1000万残されて蒸発されて、シングルマザーということ。(どこまで本当かは分からない)
で、いつもどおり適当にセックスした後、コンプ全開で「てめーは初体験も高校生だし、心が優しい()夫と結婚したんだろ?そんだけかわいいから若いころは相当いい思いもしたんだろ、今苦しんでてざまあ!!!!」とあおりまくっていた。実際メンヘラで薬も飲んでいた。
しかし、言いながらつまんねーなと思っていた。自分の言葉がコンプ全開で風俗でしかこういうこといえないんだけど、仕事の疲れがでていた。
仕事で疲れてるかつ、嫌なことを言いまくってるのがつまらなかった。つまらなかったが本音なのでドンドン堰を切ってなじっていた。
ブサイクかつ性格もクソな自分がイケメンに勝てないなみたいなそういうあきらめで辛いっつーか。
【帰宅後】
「ただしイケメンにかぎる(生理的にくるブサメンは無理)」ってのは事実でしょうがないけど、だからといって本当に苦しんでるリア充を叩くのはいいのか?
たしかに、リア充は若いころのいい時期をイケメンにささげたし、その上性格がいいらしいフツメンを捕まえたわけだろう。しかし、それは考えが浅い若いころなら当たり前の反応で、俺だってイケメンなら女とやりまくっていた。そこは普通にある反応にすぎないんだろう。それのせいで俺はワリを食って、イケメンを持ち上げるたい女から差別されまくったのも事実だろう。
でも、それは普通の反応だし、俺が我慢するだけでマルク収まるんだから、我慢すればいいじゃんって思った。
俺は、本質的に、「俺が青春なんてクソほども楽しまず勉強ばかりして勝ち組になったんだから、青春楽しんだリア充はその分の代償は払え(イケメンだから差別はしないが意図的に楽しんだ分が致命傷になりやすいようにする)」って気分があって、リア充爆発しろ、イケメン美人は不幸になれと感じていた。
しかし、ドキュン的にも若気のいたりだったわけで、そこを攻め続けて今苦しんでるドキュンを叩くのは違うのかなあと。
当たり前を攻めるってのは、「レイプしたいのが本能だからレイプする」みたいなのと同じように感じた。
机上の空論レベルでは、リア充は叩かれて当然だよ、だって若いころ差別したんだから。リア充が楽した分が非リアに押し付けられてる差別がgあるのも事実だよ。
でも、リアルでそれを言うってのは違うなあって。
楽しんでるリア充や若いころ遊びまくって歳とったら玉の輿する美女に対してはいまだに納得いかないけど。
苦しんでる奴を責めるのは違うなあと。