当時の女性には自由も人権もなく、それ故雪子は発狂してしまっている…が、職につけるかも怪しい自分とっては充分羨ましい立場である。仕事は出来ないし差別やら厳しい風潮もあっただろうが、妻として母として当時の女性は家という存在を支える存在になれる。
自由や人権がかなり制限されていても最低限食べるのには困らないのがいいのか、自由や人権を求めて餓死か狂死か……という選択か。
結局、自由になる分自己責任や自己選択の是非に関わる要素が増えるわけで、これは「自由」を求める以上受け入れねばならないリスクなんじゃないかな。
クレしんのみさえやまる子の母親のように、それなりに気が合って堅実な男性と意思疎通しながらやっていけるなら専業主婦も悪くないけど、現実として今はそれこそが一番の贅沢なんだよね……。
同じ樋口一葉の作品なら、金持ちの家に一人娘として生まれてエリートを婿取りして何不自由なく暮らしていたはずが子供を産めなくて、夫は密かに妾を作ってその間に子供を作りそしてヒロインは不倫の疑いを口実に追い出されるとかいう「われから」とか、婚期を逃して裁縫などで自活していて仕事の評判も良かったが、結局続けられずに金持ちの妾になってしまう「わかれ道」とか、幼馴染みとの恋を諦めて玉の輿に乗って良家の主婦として家族には喜ばれ周囲からも羨ましがれているが、本人は夫のモラハラに苦しみ離婚もできないという「十三夜」とか、商売女に貢いで破産した夫を必死で支えていたのに結局夫はその女を忘れられずに無理心中してしまい自分は貧困シングルマザーまっしぐら……という「にごりえ」とか、とにかく色んな視点や立場からの女性の状況を描いている。
いつの時代でもその生きる場所や立場なりの苦労や不自由というのはそれぞれついて回るもので、そういう身分や性別、そして時代を超えた生きる苦悩を色んな視点で描いてみせたからこそ樋口一葉は歴史に名を残したのでは。