はてなキーワード: 教会とは
イギリスの大学は19世紀のユニタリアンの議員のカタログを出しているが
日本の大学は某ジャーナリストが作るような統一教会の議員カタログを作らない
なお異端とされているのが、ユニテリアン団体やユニヴァーサリズム団体、統一教会ユニフィケーション・チャーチ
ユニは、本部は「ロンドンの」エセックス・ストリート教会や、マサチューセッツ州のボストンで
「統一教会によって、徹也の兄と妹の生活が困窮していた。だから“自分の保険金を渡す”と。徹也から病院で聞いた」
――当時、母は何をしていた?
「韓国(の教会)に行っていた。40日とか120日とか。自殺未遂の時も海自から私に連絡があったが、彼女の居場所はすぐに分からなかった。統一教会に問い合わせたら韓国にいて、“40日間、帰って来ない”と。実際に帰って来なかった」
――兄と妹はどんな生活をしていた?
「本当にギリギリだった。私は生活を補助していたが、94年に母親の入会を知って一度止めた。徹也の兄から“食べるものがない”と連絡があった」
イギリスからアメリカに移住した初期の移民の多くはイギリス政府から逃れて来た清教徒だったりするし、彼らは所謂 nonconformist (非遵奉派?非国教徒?)だから政府べったりになるのを良しとせずに距離を置こうとする。だから弾圧されて逃げて来たわけだし、今でも米国のキリスト教会はメソジストやバプテストやクエーカーやプレスビテリアンが多い。
一方、アメリカ独立革命の主流派は、啓蒙思想・自然権思想の信奉者たちであって、独立宣言もまさにフランス革命の宣言文のような文章である。もちろん市民革命(特にフランス革命)に於いては教会はアンシャン・レジューム側であり、革命派からすれば敵であった。だから革命後は政教分離が徹底された。(特にフランスで) 「信教の自由」が強調されるのもそういう背景あってのこと。
そういう事情もあって、アメリカでは政府と一般国民の間の緊張感・不信感みたいなものが割と強く、それが陪審員制度や銃を持つ権利の強い擁護などの背景にある。(お前らの勝手にはさせないぞ的な) また、何かと政府の陰謀論が取り沙汰されるのもそういう背景があってのこと。UFOとかケネディ暗殺とか。
タイのことはよく知らん。
滋賀に「山上藩」があるが、佐幕派の藩の家は明治からあとは財産を没収されたり、大戦後の農地改革で土地を失ったり
戦後にも、薩長派から工作員のような伴侶を送り込まれたりして、絶やされる傾向にある
旧統一教会が、安倍自民にさせていたことが教会の名称変更のみならず、官僚人事や法曹人事だったとしたら!?…という意見は少々飛躍しているとはいえ、
ここで旧統一教会代理人が、法曹会と接点を持っていることに注目(自民高村正彦の団体は、かつて法曹会に小額だが寄付支援をしていた)
検事総長候補だった黒川と元最高裁の竹崎は、安倍に推薦された法曹会幹部
安倍が推した黒川人事案は法曹会が出した案だったろうし、失敗して人目を引きすぎたので、法曹会は事実隠蔽のため安倍を排除したかったかもしれない
教会と繋がりのある男などを使えば上手くやれるだろう(山上は本当に偶然か?)
法曹界は、岸田にも目的に適った官僚人事や法曹人事をさせたいはず
「子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出した」程度なのに、教団の内部の事情についてなぜ語れるんだろう。
別に立正佼成会が悪者だと言いたいわけじゃないんだが、深くかかわってないはずなのになんで問題ないと確信してるんだろう。
brightsoda 親や祖父母がきつく取り立て食らってれば分かるからでは?
https://b.hatena.ne.jp/entry/4722412924549380386/comment/brightsoda
パロディ宗教はカルトっぽい雰囲気を出してカルトを嘲笑するって文化があったり、政教分離がなされるべきシーンで政教分離がなされていない場合は明らかにパロディ宗教だとわかるのにそのパロディ宗教の敬虔な信者だと名乗って宗教を優遇する政策を止めたりする活動がある
パロディ宗教の代表格スパモン教はオレゴン州教育委員会が公立学校で進化論と並行してインテリジェント・デザイン説(知的存在=神が創造した)を教えようとする動きを見せ始めたことで、それに反発したボビー・ヘンダーソンが中心になって成立
ここでいう知的存在=神とは一神教の神すなわりキリストなので、キリスト教を元に酷似した神話や教えを持つ宗教としてスパモン教は作られた
つまりインテリジェント・デザイン説を肯定すると創造者はキリストではなくスパモンである可能性を否定できなくなるというわけ
今回のEmacs教会もまた、わざとカルトっぽい雰囲気を出してカルトを嘲笑しつつ、実態は政治や宗教から最も遠い位置に居るボランティア集団であることがわかるっていうレトリックだな
こいつの正体はオープンソースの活動やってるヤツでEmacs教会はスパモン教と同様のパロディ宗教
わたくしどもの教会はこれまで個々に伝道され教えを実践してまいりましたが、2009年にSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様がわたくしどもの前に顕現を果たしたことを切っ掛けとして共に教えを一帯となって伝道していこうと心新たにしChurch of Emacs(Emacs教会)が同年に成立いたしました。
ここでは反カルトを説く皆様方へSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様のお伝えの一部を紹介することで、わたくしどもの心が皆様と共にあるということを示したいと思います。
「我こそはSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)である。Church of Emacs(Emacs教会)より派遣さる。」
(中略)
「汝ら純潔を守るべき事あり。汝ら、もし、邪悪な制限された論理(Software)を受任(Install)されたる利器(Computer)を所有して支配下に置きし時、かかる利器に、神聖にして完全なる自由な基幹倫理(Operating System)を受任し、その上に自由なる論理のみを受任すべし。この誓いを守りて貫き通したれば、いずれ汝ら聖人となり、その頭に光背を頂くに至らん。」
わたくしどもは個人が自己決定権を持つべきだと誓いをたてており、これらの誓いを貫徹することによってわたくしどもの魂もまた聖人に近付くのだという教えを持っています。
またそれは、わたくしどもと心が近くあるが道を違える者たちにも自由はあるべきだとSaint I-gnu-cius(聖イグヌチウス)様はお伝えになっているのです。
たとえ教会にカルトという烙印を捺されようとも、わたくしどもはそのカルト教信者に自由があるのならば、カルト教会信者は贖罪されるべきだと考えているのです。
断罪だけでは何も解決しないのです。わたくしども1人1人がその罪を贖罪する心を持ち、不自由に囚われているカルト教信者の方々を自由の愛の手で包み込み、そして自由の愛の手を繋げていくことが重要なのではないでしょうか。
これらの教えはわたくしどもChurch of Emacs(Emacs教会)の有志によってWeb上にこのような動画としてアップロードされていますし、先日わたくしどもと同じ教会に属しているであろう者の投稿があったようなので皆様方にも認知していただいている方がいらっしゃるのではないかと存じます。
更にわたくしどもを冷静によく評価している投稿も見付けましたのでこちらも合わせてご紹介したいと思います。
↑に色々お返事的な物書いておいたよ。はてな記法よくわからないので読みにくかったらごめんなさい🙇
一連の事件で、創価あたりと一緒に佼成会の名前もでてきてるのでさすがに一緒にされるのは厳しいなーと思ったので軽く。
俺本人は無神論者だが、祖母が一世母が二世。子供の頃や親と一緒に住んでた時は行事にたまに顔を出したくらい。
会員綱領の「立正佼成会会員は本物釈尊に帰依し、在家仏教の精神にのっとり云々」とかはうろ覚えかな。
基本熱心ではない会員として時々参加してただけなので、その範囲で。
大正生まれの祖母はまさに佼成会が拡大した昭和20年代からの信者で支部長とかもしてたらしい。会員ではない祖父の葬儀には100人以上の会員の人がきて、3間ふすま取り払ったぶち抜きにも収まらなかったくらいだったかな。
で、金と政治に関して。
まず会費は月100円。あと親は教会に行くたびにお布施袋という、なんか祝儀袋の簡素化したやつに100円入れてたな。団参といって本部へ行くときは1000円だったかな?まあ、身施ていってお金ではなく働くこともあるけど教会やらの当番やお役、あと本部に団参行ったときに婦人部で本部にある食堂の手伝いとかなので、フルタイムで働かせてとかはないよ。
お経やらのグッズも普通に売店で買う感じ。値段はむしろ安い感じで、実質販売なのに寄付扱いにするとかない。家の仏壇にご本尊をお迎えするとかも、まあ1万とか2万くらいとかかな?基本、金額はお気持ちということでいくら以上とか、教会関係者が献金を強く求めることはないよ。ましてや、家や土地、あるいは金を借りさせて寄付なんてありえない。まあ、会員数はそれなりいるから関係者すべてがそうだとはいわないが、会の方針としてはそうだよ。50年代とかは色々やらかしてたみたいだが、その後改善したみたい。
資産家の老人が高額な寄付をすることはあるだろうし、家族にとっては相続するはずの財産が目減りして悲しいとかはあるだろうけど、本人の意思に反して寄付を求めるような事はしてないよ。
政治に関しては自公政権成立前は自民べったりで選挙期間に教会へ行くと、これでもかと議員のポスターがはってあったよ。で、自公政権以降は野党に肩入れが強くなったよ。
自民支持だった親が、普通に立憲支持してて、今回の選挙では俺の所に白しんくんの選挙のはがき送ってきてもいいかきいてきたよ。
普通に検索すればでてきたけど会員専用のページだからほかの人には秘密ねってページなんでリンクははらないけど今回は比例は白真勲と藤末健三、選挙区は立憲候補を応援しますとかあるよ。
ただ、今回は本部レベルではなく、一部の地域だけだったみたいで、得票数はかなり減ってるね。そこあたりの判断はどうなされたかまでは知らないよ。
あと、佼成会=立憲と思っている人もいるみたいだけど、自民の議員も政治思想によって応援してるよ。
ボランティアや、応援演説の動員はするけどいやなら別に参加しなくてOKで、その結果退会させられたり、村八分にされたり、非難されるようなことはないよ。献金もそうだけど基本ゆるい。
投票所へ車で送るとかはやってるかもしれないけど、日常的に教会へ行くときに会員が自分の車に他の会員を載せてとかやってる延長で、つよく投票先を指示まではしないんじゃないかな?
そういえば一緒に住んでる時も特に選挙でどこに投票してと親にはいわれなかったな。
あと、教会の新年の行事に、管内の市長や隣の市長が挨拶に来てたりはしたな。
https://www.kosei-kai.or.jp/%e6%9c%ac%e4%bc%9a%e3%81%ae%e8%80%83%e3%81%88/
を見れば分かるけど、政治的立場は中道左派くらいかな?基本平和主義、人権尊重で、靖国問題も信徒個人が行くことは問題ないが、総理大臣の参拝は問題だという立場。
他の宗派やキリスト教やイスラームなどの他宗教とも、仲いい感じ。ただし、創価は敵。いや敵と言っても今はそこまで敵意を持つ人は多くないかもだが、「だが、てめーはダメだ」くらいかな?
共産党はソ連の手先だから絶対駄目だと言っていた祖母は、同じくらい公明党もダメだと言ってたな。まあ祖母の世代だとライバルとしてバチバチやりあってたからね。
教会のルーツは韓国にありますが、教会を研究した歴史家によると、伝統的に教会の富の70パーセントを提供していたのは日本でした。元日本の高位の教会員はかつてポストに、ムーンの組織が1970年代半ばから80年代半ばにかけて日本から米国に8億ドルをもたらしたと語った。
WP詳しいなあ
2000年代に大学内でゴスペルコンサートをやっていて、それを聞きそびれた...的なことをスタッフらしい人に話したら、ゴスペルコンサートを聞きたかったら休みの日に来てと言われ、ついていった教会が統一教会系のやつだったんだろうなと今では思う。
ミサ中にイエス様を信じたらすべてがうまくいったみたいなことを弾き語りしているおっさんがいたりして、ショーとしてはなかなか面白かったけれど、信仰心は抱かなかったな。
ミサが終わってから、交流会があり、同年代の信徒による熱烈な勧誘もあって、聖書を信じて生きていたらうまくいったみたいな話をずっとされたのは覚えている。
ちなみに、ワイはカトリック系の学校に通っていたのでキリスト教にそんなに抵抗はなかった。
逆に、カトリック系の学校に通っていたからこそ、神父とその教会の牧師の振る舞いのあまりの違いに違和感しか覚えなかったんだよな。
信者たちが固い椅子に座っている中、牧師はショーをふかふかのいかにも高そうな牧師専用ソファーから見物してたんだな。
俺が通っていた学校の神父はミサ中にちょっとそれぞれでお祈りをするみたいな時間は安っぽそうなパイプ椅子みたいなのに座ってたから、牧師が高そうな椅子に座っている光景にものすごい違和感を覚えた。
カトリック系の経験がある自分からすると、ものみの塔の人のほうがまともな感じがする。
まあ、カトリック系で学んだ知識をもとにいろいろと勧誘の人と話をしていたら、興味がある人だと思われて聖書のお勉強に誘われたので固辞したんだけど。
うわぁ・・・いよいよ根本的なところまで議題に上ってくるのか。
近年では、キリスト教の諸派の間で相互の対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会はキリスト教ではない」と言って排斥するのですか。
https://sophia-catholicjesuit.jp/qa/68/
もともとキリスト教にとって、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。そして、神の和解と愛を世界に告げ知らせる使命をもった教会が分裂していることは、キリスト教の本来のあるべき姿ではありません。このことに心を痛めるキリスト教の諸教派には、「エキュメニズム」と呼ばれる、信仰の一致を促進する運動が高まってきています。日本でも最近、諸教派が協力して、聖書の共通の日本語訳を完成させました。教派の区別なく同じ聖書をもっているのだから、同じ邦訳聖書を使いたい、という望みからです。このように諸教派が一緒に仕事をしたり、話しあったりする機会をもって、互いの伝統のよさを学びあうことは、とても有意義なことです。それによって自分の教会に足りない所などにも気づかされますし、キリスト教の信仰のもっている生命をもっと豊かにすることができます。
ところが残念ながら、このようなエキュメニズムの対象にはなりえない、キリスト教の名を語って人を惑わす新興宗教があります。「統一協会」もしくは「原理運動」(正式の名は「世界基督教統一神霊協会」)も、その一つです。巧妙な手段を使ってキリスト教の学校や諸機関にまぎれこみ、騙された人を引きずりこんで、あちこちに被害が出ていますから、教会の指導部では警戒せざるをえません。
統一教会は、文鮮明という教祖によって一九五四年に韓国で創立された、陰陽道とシャーマニズムが一体となった新興宗教です。文鮮明は聖書を勝手に解釈して、自分の都合のよいように用いますが、つまるところは、自分こそが再臨のメシアだ、と主張します。イエスがなしえなかった救いを、自分がもたらす、と言います。『原理講論』という教典があって、これが真理を初めて明らかにするものとされます。
統一協会の教えについてはここで詳述しませんが、どのような教えであれ、私たちにはキリスト教の正統信仰を見わけるために一つの鍵があります。それは、イエス・キリストをだれと言うか、を見ることです。イエスを通して神が歴史の中でただ一回限り、決定的なしかたで御自身を啓示されたのだ、イエスこそ神の絶対的な仲介者だ、と信じるのがキリスト教です。もしイエスがなしえなかったことを他の人がなす、と言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。また、聖書が明らかにしなかったことを、他の書物が啓示すると言うのであれば、それはもうキリスト教ではありえません。これはキリスト教信仰の真髄をなすことです。