はてなキーワード: 人事院総裁とは
旧統一教会が、安倍自民にさせていたことが教会の名称変更のみならず、官僚人事や法曹人事だったとしたら!?…という意見は少々飛躍しているとはいえ、
ここで旧統一教会代理人が、法曹会と接点を持っていることに注目(自民高村正彦の団体は、かつて法曹会に小額だが寄付支援をしていた)
検事総長候補だった黒川と元最高裁の竹崎は、安倍に推薦された法曹会幹部
安倍が推した黒川人事案は法曹会が出した案だったろうし、失敗して人目を引きすぎたので、法曹会は事実隠蔽のため安倍を排除したかったかもしれない
教会と繋がりのある男などを使えば上手くやれるだろう(山上は本当に偶然か?)
法曹界は、岸田にも目的に適った官僚人事や法曹人事をさせたいはず
ttp://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1259326069/l50
454 :名無しさん@十周年:2009/11/28(土) 20:41:06 ID:loMqhX0Z0
○ 国債に依存せずマニフェストを完全実施、財源は無駄な予算を削減し確保。
● 結局財源が見つからず国債大量発行、マニフェストの多くも達成不能。
● 日本郵政社長、人事院総裁に元次官を起用、天下りではないと主張。
○ 沖縄県民の負担軽減のため、米軍普天間基地を国外または県外移転。
● 結局誰も決断せず辺野古移転は白紙へ、日米同盟も崩壊の危機。
● 首都・阪神高速や渋滞の予想される東名・名神等は有料のまま。
● 代わりに環境税を導入。4税の一部のみの減税や全体先送りも検討。
○ 中小企業等の金融機関への返済を猶予するモラトリアムを実施。
● 中小企業金融円滑化法案では単なる努力義務となり、効果見込めず。
● 中国にすらまともに相手にされず、途上国に税金をバラ撒くだけ。
○ 機密費改革法案により使途の公開、透明化を徹底する。
● 使途については官房長官を信頼すべきであり、公開の必要なしと主張。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090204-00000003-jct-soci
2月4日19時55分配信 J-CASTニュース
人事院が政府の国家公務員制度の改革案に反対している中で、人事院とメディアとの「親密な関係」が明るみに出た。あまり知られていないことだが、総裁を含む3人の「人事官」は、国会の同意が必要な人事で、そのうち1人は「マスコミOBの指定席」という状態が続いているのだ。その結果、「これでは報道機関は人事院を批判することはできないのでは」との声もあがっているという。
谷公士人事院総裁は2009年2月3日、「私どもの基本的な考え方について、国会で説明することになる」と、政府に対して対決姿勢を示したのに続いて、翌2月4日朝にはTBS系の情報番組「朝ズバッ!」に生出演し、
「人事院制度を根底から改めることに『絶対反対』とまでは言っていない。が、今度は手続きが違うのではないか」
「(自分は)人事院が設けられた意味を国民に申し上げて行く立場」
と、持論を改めて展開した。政府と人事院との溝が埋まる気配は見えない。
ところが、ここに来て、人事院の「メディア対策の上手さ」を指摘する声もあがりつつある。例えば産経新聞は2月4日の1面で、谷総裁の特集記事を掲載。人事院が、ひんぱんに「記者レク」をこまめに行っていることを指摘している。さらに、閣僚経験者からは、
との声が漏れているのだという。
その理由は、人事院の組織構成の特殊さにある。人事院は、3人の「人事官」から構成されており、その中から総裁も選ばれる。いわば首脳ポストに当たる「人事官ポスト」3つのうち1つが事実上「マスコミOBの指定席」になっているのだ。
人事官は、国会の同意を得た上で内閣が任命する、いわゆる「国会同意人事」で、任期は4年。国会の訴追による弾劾裁判を経なければ罷免することはできないなど、きわめて強い身分保障が与えられている。その一角に、マスコミOBが収まっている形だ。なお、現職のマスコミ出身の人事官は、日経新聞の常務取締役名古屋支社代表を務めていた小沢治文氏で、現在は2期目だ。
実はこの「マスコミ指定席」、1953年以来続いており、「マスコミOB人事官」は、小沢氏を含めて6人いる。そのうち、読売新聞出身者が2人で、日経・朝日・毎日・NHKの出身者が1人ずつだ(もっとも、「NHK出身」とされる佐野弘吉氏は、NHKに入局する前は朝日新聞の記者をしていた)。
では、この「指定席」、どのようにして出来上がっていたのだろうか。過去の記録をさかのぼっていくと、朝日新聞で論説委員を務めていた島田巽氏が1965年に人事官に選ばれた時から、「指定席」が固定化したようだ。
「政府はこんどの人事官選考に当って(1)現在の神田氏が報道関係出身者なので、後任も報道関係から起用する(2)現在の人事官のうち佐藤達夫総裁が東大出身、佐藤正典人事官が九大出身なので、私学出身者を起用することとし、この結果、島田氏に落着いたものである」(1965年2月18日、朝日新聞朝刊)
さらに12年さかのぼって、1953年に初の「マスコミOB人事官」が登場した時の経緯を調べてみると、意外なことが明らかになる。初の「マスコミOB 人事官」は、毎日新聞で主筆や常務を務めた神田五雄氏なのだが、神田氏の起用が固まった時の紙面には、こう経緯が明かされているのだ。
「人事官の後任については緒方官房長官の意向もあって言論界から起用する方針をきめ、神田氏と元朝日新聞社社長長谷部忠氏の両氏について人選を進めていたが、神田氏にきまったものである」(1953年1月29日、朝日新聞夕刊)
記事中の「緒方官房長官」というのは、副総理も務めた緒方竹虎氏で、かつては朝日新聞の主筆を務めたこともある。緒方氏自身、自らの「マスコミ経験」を国会で披露、神田氏の起用に理解を求めている。
「選考を進めました結果、新聞社の人事は、私自分が、新聞社出身でありますので、多少心得ておりまするが、普通の事務に当る編集、それから技術、各方面に亘りまして、なかなか面倒な人事でありまして、それを相当の期間扱つて評判もよかつた人でありますので、この人ならば、(技術的な面と、そうでない面の)両面を兼ねて行けるという、私実は確信を得ました」(1953年2月2日、参議院議院運営委員会)
いわば、50年以上前に「マスコミOB」自身が、国会同意人事に「マスコミOB枠」を設けていた形で、それが現在まで続いている、との見方も出来そうだ。
人事官以外にも、国家公安委員会委員など「マスコミ指定席」が存在するポストも少なくない。今後、メディアと「官」との距離感が改めて問われることになりそうだ。