はてなキーワード: 兄弟とは
そもそもデートじゃなくて遊びに行くだけなのかもしれん。私が一方的に好意を持ってるだけだから。
殿方と近々遊ぶ約束をしてるんだけど、そこで見事に生理の一番重い日に当たりそう。
お互いの居住地がめっちゃ遠くてネットでしか話したことなくて、コロナやらなんやらで知り合ってから実際会うまでに4年ぐらいかかってて、なんなら既に告白して振られてる間柄だからね、ワンチャンあるとすればおセックスじゃないですか。穴モテ万歳と思ってたんですけどねー。おそらく相手も期待していたであろう。すまんな。
そんで多分次の機会はないんよね。親と兄弟がそれぞれ体調面に問題があって、そのサポートのために実家戻ることになると思うし、そしたら私の残りの人生は親と兄弟を養ってお世話することに大半費やされることになると思う。実家には待っててもらったけど、もう猶予なさそう。
ワシは80歳のじじぃなんじゃが、ジジ活はないんかのぉ。
あの頃、ワシは満州におった。
本当に怖かった。
「お金を隠しててもこのカメラでなんでも見えるんだ、だから出せ」
と脅されて、なんでも出してしまった。
でも命には代えられん。
それで、満州からなんとか船に乗って日本に帰ってきたんじゃわ。
日本には家がない。仕方ないので親戚のうちに家族で泊まらせてもうた。
ワシは三男じゃったから、ひもじい思いをした。
あれ、ワシも言っておったんじゃよ。信じられるかのぉ?
でも就職先が運良く大手企業でな、経済成長の波に乗って、とんとんとんと、給料が増えた。
それで息子2人に恵まれて、2人を大学にやって、今は2人とも結婚しとる。
でもまだ孫が生まれんでのぉ。
ジジ活、どうじゃろ?やってもええかのぉ?
俺の家族は揃って露悪的だった。
フィギュアスケートを家族で見ていて、テレビに鈴木明子選手が映ると、母さんは「デメキンが出てきたよ」と言った。
それを見て俺や兄弟もデメキンと呼んでいた。愛称というよりも蔑みが入っていた。
フィギュアスケートはシーズンになると何度も見ていた。鈴木明子は毎回出ていた。
もう分別がついていたはずの俺も、家族に交じってデメキンと呼んで馬鹿にしていた。最悪な冬だった。
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冬は別の意味でも最悪だった。
小学校からずっといじめられていたが、中学になっていじめはより苛烈になった。
田舎の学校で、スマホも出る前で、娯楽なんてものはテレビしかなかった。
学校という小さな社会の中で、出ることも許されない俺は耐えるしかなかった。
俺の荷物が捨てられたり、鼻をかんだティッシュを机の上に置かれたり、
俺がどこのトイレでシコっただの意味不明な噂を流されて、そこのトイレがネームドトイレになった。
ある年の冬に、露悪的な連中が俺の暴行事件をでっち上げて、先生に呼び出されたこともあった。
俺が反論すると、先生は「火のない所に煙は立たない」とか「どっちもどっち」とか言っていた。
そういう冬だった。
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家でフィギュアを見て、鈴木明子の容姿をなじることで、鬱屈とした気持ちを晴らそうとしたのかもしれない。
俺は家で気持ちよくなっていた。母さんや兄弟もそうだったかもしれない。
インキャな俺は人の容姿をあげつらうためのボキャブラリーを持っていなかったが、
これが唯一の武器だった。
俺にしかできないことを頼みに俺のところへ来た。
お願いする立場でありながら、全員が俺のことを小馬鹿にしていた。
頼みを断れば何をされるか分からない俺は怯えていた。
結局俺は頼みを聞いたのだが、聞いた瞬間に棟梁格の女から信じられないことを言われた。
まわりも「そうだ」と言わんばかりで俺を見てくる。
その中に、ひときわ目の大きい女がいた。
その女も周りと一緒になって、ツンケンした態度で俺を見ていた。
棟梁格の女がそのまま引っ込むと、周囲の女も散らばりはじめたが、
目の大きい女は最後まで残された。
俺は何を思ったのか、あるいはやり返したい一心で「デメキンがよ」と言った。
女は泣き出した。散った女たちが戻ってくる。
女たちがデメキンを慰める。理由を聞くまでもなく女たちは俺を睨みつける。
この件は10:0で俺が悪いことになった。俺は中学校に行かなくなった。
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俺は個別塾で勉強して、知り合いが誰も来ないような遠くの高校を受験した。
家は裕福ではなかったが、同情した親が頑張って働いてくれた。
背伸びをして交友関係を広げた。すんなり輪に入ることができた。
いじめはされる側も原因があるとよく言われるが、俺に過失があったとはどうしても思えない。
俺は都心の、まあまあ自慢できるくらいの大学に入ることができた。
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大学では遊んでいるほうだった。
悪い先輩についていって、大人の遊び方をいくつか覚えた。
女のいなし方も覚えた。実践を重ねて身に着けた。
なんとなく付き合って、なんとなく別れることを繰り返した。
こんなところに出てくる中学の同級生は、どれだけいただろうか。
俺は悪い優越感に浸っていた。風の噂だと、そのころに中学の連中はポコポコ結婚していた。
こんな早く結婚するのは田舎者のすることだと思って馬鹿にした。
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ある女性と知り合うことになった。
この人の目は少し出っ張っていた。
でもそんなことが気にならないくらいの速度で、この人を好きになっていた。
仲良くなりたい。お話したい。
俺はこの人がいる、若干アカデミックな界隈に顔を出す頻度が高くなった。
恰好もおとなしい感じに寄って行った。
チャラいのを経由して落ち着いた男はモテるとよく言うが、実際ちょっとモテた。
俺は調子に乗っていた。このまま行けばこの人は落とせると思った。
でも俺がモジモジしている間に、この人には素敵な彼氏が出来た。
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少しして、また俺はオラつくようになった。
オラついた界隈で遊び相手を作った。
そこで別の女と知り合い、仲良くなった。
さっきの女と雰囲気が似ていた。俺のタイプはこういう感じになっていた。
目が飛び出ていて素敵だった。
俺がモジモジしていたら、女は俺の友達とイチャイチャしはじめた。
あとから聞いた話だと、このころからセフレとも恋人とも言えない関係になっていたらしい。
俺はただ遊びでイチャイチャしているだけだと思ってそれを眺めていた。
眺めながらいつ突撃するかモジモジしていた。
そんなときにほかの女が俺に近づいてきた。
俺はその女を抱きながら、先の女を想像していた。
毎回果てる時は、大体その女が脳裏にあった。
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俺は俺の経歴に満足している。
たまに合コンとまではいかないくらいの、男女混合の食事会に呼ばれる。
事故みたいなフリをして体を触ったり触られたりしている。
触られるほうが多いかもしれない。
こんなことで喜んでいる、底の浅い人間として天寿を無駄にしている。
ウェーブがかった綺麗な髪、赤くてキッとした唇、
そして一際大きな、宝石のような瞳。
真面目なお付き合いをしたい。
何も真面目なお付き合いを知らない俺ではない。今回はこの人としたい。
そう思って近づいて、仲良くなってすぐに、
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俺は容姿や経歴でピックアップされた、誰かのスペア。誰かの人生のバーター。
俺に抱かれているときでも、違う男の夢を見ているようで、
俺がどれだけ言い寄っても、もの悲しさをごまかすような顔をしていた。
そして数か月後に、彼女は返信をしなくなった。
本命クンとうまくいっているのか、俺よりマシなスペアを見つけたのか、分からない。
けれども、それでも、と二週間くらい我慢してから、俺は泣いた。
ヤリ部屋みたいな自室に洗濯物が散らばり始めて、
その中心に座り込んだ時に、突然涙が込み上げてきた。
俺に涙を止める力はなかった。
冬の寒い日だった。
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いま、人生の岐路に立たされている。
素敵な女性と付き合っている。お互いに腰を落ち着けたい感じがある。
このままパワーカップルとしてタワマンに住んで、子供を何人か持つのが、最適な人生だとも思う。
でも彼女は目が出ていない。
このまま彼女と結婚して、そのあとに目の出た女性に押されたら、俺はどうする。
不誠実な自分を思って胸がキッとなる。
胸がキッとなるのはこう逡巡するときだけではない。
俺は俺がかつて罵った容姿に近い女性を前にして、毎回尻込みしてしまう。
俺は俺がかつて罵った時の感情を一生涯一度も相手に向けずにいられるのか?
俺は俺がかつて罵った相手と似た人の近くに居座ろうとする自分を許せるのか?
でも俺には前科がある。
自衛としていじめに加わったであろう加害性の低い女を泣かせた。
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俺はずっとトラウマを抱えている。
帰責性のない女たちへ向けた悪感情が、今の俺にぶっ刺さって苦しめている。
トラウマが原因で尻込みしている節は大いにある。
たとえ男女の出会いは時の運だとしても、そのすべての持ち駒を俺は棄ててしまう自信がある。
それくらい自分に自信がない。
そして今、新しいトラウマとして、
「好みのタイプの女性を一度も自分のものにできなかった」という事実が、
俺に、俺が、植え付けようとしている。
俺は結婚するかもしれないこの女性を、そして生まれてくるかもしれない子供たちを、
幸せにできる自信がない。
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ヤフーニュースを見ていたら、イスラエルでスケート指導をする鈴木明子の記事があった。
写真を見てため息が出た。美しい。
次に涙が出た。俺はこんなに素敵な女性を罵っていたのか。
涙がポタポタと出た。少し熱っぽくなるのを感じた。
俺があの時に呪ったのは俺自身だったのだ。
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必ずだ。
俺はどういうジジイになるんだろう。
分からない。
キショい説教を唱えながら、煙たがられながら死ぬのかもしれない。
何でもいい。何でもいいけど、
俺みたいな過ちを、だれもおかさないようになればいい。
男と女が1/2で生まれるとして100組の兄弟姉妹を用意した場合
男ー男になる確率1/4で25組
男ー女になる確率1/4で25組
女―男になる確率1/4で25組
女ー女になる確率1/4で25組
返信ありがとう。自分が勘違いしてるのは分かったんだけどこの例の理解ができてなくて、別のトラバを参考にすると
男男の家が25組
男女の家が25組
女男の家が25組
女女の家が25組
男男の家が25組
男女の家が25組
女男の家が25組
で、さらに女の子がいる可能性のある家は75件中50件かなと思ってたんだけどこういう数え方が間違いって事なんだよねきっと。
違うよ。前者ではAの性別が既知であり、もはやBの性別に関する何の情報も与えないから、兄弟とか関係なくある一人の人間が女である確率は半々だということ。
一方で、後者だとAの性別次第でBの性別が取れるパターンが影響を受ける(Aが女の時にはBは女というパターンが取れなくなるが、Aが男の時にはそういうのがない)。
男男で生まれた確率: 25%、男女で生まれた確率: 25%、女男で生まれた確率: 25%なんだから問題Aの「男男上、男男下、男女上、女男下」のそれぞれを見かける確率は等しくならないので 2/4 = 1/2と置くのは間違いでは? (宝くじの結果が当たりかハズレかの2種類だから1/2と言ってるのと同じでは)
問題Aも結局 50% の確率で女兄弟が産まれている男の子を見かけた場合 or 25% の確率で男兄弟が産まれている男の子を見かけた場合にしかならなくない?
次の授乳までに寝ようと思ってたけど、眠れなくてぐるぐるしてるから吐き出す。
そこでなぜか「二人目どうするの?」というのをめっちゃ聞かれて、「いや今産んだけど」と思いつつ、「経済面とか抜きにしてそもそも自分には第二子を産む力がなさそうだ」と思ってしまった。
第一子妊娠の一年前にも妊娠していたが、その時は6週で流産してしまった。稽留流産だった。
診断が降りた時にはもう出血が起きていて、手術日程とってもその前に自然排出される可能性が高いからということで自然排出を待つことになった。
ただ、その時世間ではRSウイルスが猛威をふるっていて、時短のママさんたちがそれに振り回されて人員が足りなかった上に、「流産したのでちょっと在宅多めにしたいです」というセンシティブな話もしたくなかったので、毎日オムツタイプのナプキンして出社していた。今思うと相当頭おかしい。
で、診断から1週間くらい経った日、コロナワクチン打つために午前休→午後出社しようとしてたら、ワクチン打って電車待ってる間に尋常じゃない腹痛があった。
「あ、もう出てこようとしてるんだ」と悟って、ワクチン副反応が出たことを理由に在宅に切り替えた。
夜になるにつれどんどん出血と痛みが増えて、19時くらいにはもうトイレから出られなくなってた。そこで痛みのピークがきて、いよいよ死ぬかもと思った時、大きな塊が三つくらい出る感覚があって、体が楽になった。
赤ちゃんが出ていったんだな、と思った。
その後も病院に通って、体には問題がないと言われたけれど、自然排出時の体の痛みと止まらない血、塊が出ていく感覚等が忘れられないし、心音が聞こえないと言われた時の指先から血の気が引く感覚も忘れられなかった。
その時、次はちゃんと産んであげたいと強く思った。
流産後半年で妊娠した。今度はちゃんと産まれてきてほしいと思ったけれど、半分期待せずに日々を過ごしていた。
そしたら、ちゃんと心音もとれて、母子手帳をもらえるところまでこぎつけられた。すごく安心した。
ただ、仕事が忙しい&引き都合とした相手が同じように妊娠したり時短になったりで、結局引継ぎ相手が見つかったのが産休一ヶ月前、そこから引き継ぎしたり机片付けたりしたので、このご時世なのに毎日出社&遅番早番ありでかなり負荷が大きかった(残業時間毎月40時間だった)
夫は私よりも激務で、家事も常にワンオペだった。重いものも一人で運ばざるを得なかった。
で、そんな無茶をしてたら30週くらいで子宮頸管がめちゃくちゃ短くなってることが判明した。
「あと5mm短くなると即入院」と言われ、その話を夫と職場にして諸々セーブさせてもらった。けど、そのセーブ具合も在宅勤務が月2回から4回になったとか、夫が家でご飯を食べない日が少しできた程度なのでそんなに効果なかった。
なので、趣味や楽しみやら散歩やらを全てあきらめて家で寝てたら即入院はなんとか避けられて、里帰りはできた。
夫のサポート力には全然期待してなかったので、産休突入→即里帰りし、実家でゆっくりしながら準備とかしよ〜ついでに心残りだったこといっぱいやろ〜(ゲームとか)と思っていた。
なお、里帰りしたのが予定日の一ヶ月以上前だったので義母には少々嫌味を言われた(夫を支えるのが妻の役目なのにこんなに早く里帰りするなんて的なやつ)
里帰り先で健診に通いつつ、両親と楽しみだね〜なんて話をしつつ、母と久しぶりに散歩して話したり、仕事漬けの中で積んでたゲームしたり、いけなかった母親学級の予約したらのびのび暮らしていた。
でもそれもすぐに終わりが来た。
35週5日目、実家帰ってきて2回目の健診で妊娠高血圧腎症と診断を受けて、「このまま予定日まで待つと母子ともに危ないです。明日から管理入院して37週入ったら即誘発分娩しましょう」って言われた。
症状が症状だったので、病院側の提案も私の希望も個室だったのだが、部屋が全然空いてなくて回復室に泊まることになった。胎児モニターしたり採血めっちゃしたり、ことあるごとに血圧測った。
そして翌日朝。朝ごはんがいつまでも出てこなくておかしいな〜と思ったら助産師さんが来た。
「赤ちゃんの心音が弱くなってて、37週とか言ってられなくなってきたので、今日この後できるだけ早いタイミングで調整して帝王切開で産むことになりました」
えっ私の意思は???ってなったけど、赤ちゃんがやばいならもう何も言えないなとなった。
それからあれよあれよと絶飲食が始まり、医師の説明を聞いて術前の点滴しながら同意書にサインし、「家族のサインもいります」と言われ「夫仕事中だと捕まらないし全然来れないんですが」と言って先生に「そんなことどうでもいい!あなたは11時に手術しないといけないんだからさっさと来させろ!」と怒鳴られ、回復室で泣きながら夫に電話した(夫はわりとすんなり来てくれた)
そうして36週1日目で出産した。
妊娠前にやりたかったこと、お産でしたかったこと、してほしかったことも全部なくなったし、「管理入院するなら個室がいい」ということすら叶えられなくて、産まれた子どもはかわいかったけれどかなり落ち込んだ。
そんな経緯があったので、退院指導とか親戚に「二人目は?」と言われるたび、「いや一回目流産で二回目は早産で緊急帝王切開なんだから、二人目なんて無理でしょ」と思っている。
二人目できたらほしいけど、「もしまた稽留流産とかになったら、乳幼児の世話しながら手術とか自然排出とか考えたくないな〜うまくいったとしても帝王切開になるの確定だし、一人目も早産だったから二人目の出産もうまくいかないっしょ」って思うくらいにはトラウマになってる。
経済面のことはもちろん心配だけど、それ以上に私の心が自分の出産を信じきれないというか、なんかもう無理だなって思っている。まともに月数満ちていつになるかなとかわくわくしながら待つことなんてできないし、楽しいマタニティライフとかもないし、自分の思う楽しいお産も無理なんだから、二回目とか正直やりたくない。夫が出産してくれないと無理。私はもうやりたくない。
なんかツイッターとかインスタでキラキラマタニティライフ!とか後悔しないお産!とかを見ると心が苦しいし、こんなこと友人にも、親にも、夫にも言えない。
この子に兄弟がいないのはかわいそうかもだけど、精神的にも身体的にも予期しない大ダメージを負った私のこともかわいそうだと思ってほしい気持ちがある。
それがあるうちは二人目なんて産めないんだろうな。