はてなキーワード: ベッドタウンとは
俺が言いたかったのは「地方だってダメじゃないよ」ということじゃなくて、「アメリカを引き合いに出すまでもなく日本だってそうだよ(大都市ではなくても豊かな文化のある街は日本にもたくさんあるよ)」ということ。だから日本の例をたくさん挙げたまで。
なぜアメリカを挙げたかというと、「歴史のない街」の代表例としてなんだよ。
日本の地方で文化のある街って歴史のある土地だけでしょ基本的に。それで郊外ベッドタウンが街として死んでることについては「歴史がないから仕方がない」と論を展開する。
でも海外に目をやると、歴史がなく規模も小さい街がちゃんと文化を持っている事例があるということを言ってるんだよ。だったら郊外ベッドタウンが死んでるのは住民の価値観の問題でしかないだろうという話をしている。
実際は不動産周りの法制度や都市計画の影響もあるだろうけど、それも結局は住民がそれを良しとしたからそうなっていると思うんだよな。
← そりゃわかってるよ。あなたが「地方がダメ」だなんて言ってもないければ思ってもない事はよくわかってるよ。(だからその反応はむしろ驚き)
俺が言いたかったのは「地方だってダメじゃないよ」ということじゃなくて、「アメリカを引き合いに出すまでもなく日本だってそうだよ(大都市ではなくても豊かな文化のある街は日本にもたくさんあるよ)」ということ。だから日本の例をたくさん挙げたまで。
なぜ地方都市ばかり挙げたかというと、「大都市じゃなくても」に該当する例を挙げるためと、必然的に東京のベッドタウン以外から選ばざる得ないため。ただそれだけ。
まあ、当方の心情としては「東京の郊外のベッドタウンは大変だね」「西日本は東日本と比べて地方の文化の厚みが豊かかもな」といったところかな。それが言いたかったわけではないけれど、背景としてはそういうことかと。
街のサイズとしては多摩より遥かに小さいんだけど住宅だけじゃない文化がある。だから東京の郊外の街も原理的にはできるはずなんだよ。でも現実にそうなっていない
← それは日本中がそうなわけではなくて、東京近郊の新しく開発された住宅地の特徴なのでは? 千葉県や埼玉県あたりに多そうなイメージがある。(「だって埼玉だもん」とまで言われたりした某県とか)
首都圏だって鎌倉だの逗子・葉山だの川越だの佐倉だの国立だの荻窪だの、いろいろと特徴のある街はあるじゃん。地方に行けば、京都・大阪・神戸・名古屋は言うに及ばず、奈良とか金沢とか富山とか弘前とか角館とか長崎とか岐阜とか、地方の文化的特色をはっきりと持った街はたくさんあるよ。というか、古い城下町や門前町や港街などは殆どがそうだ。
まあ、東京近郊のベッドタウンあたりに住んでいるとあまり思い付かないのかも知れないけれど、特に西日本はローカル文化が豊かな地域が多い。なにしろ歴史が古いからね。(卑弥呼や神武の時代までさか上る?)
”風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。”
ベッドタウンも50年60年さらにもっと時間が経っていくわけだものね
新しく人間の都合によって作られた町なんて伝統や歴史になってしまった古い時代にもあったわけだし今だって歴史の途中にいるってだけに思える
コメント元の”そういう街を良いと思ってのっぺりした住宅地にマイホーム買う人の心性をつまらないと思うわけです。”
すごいびっくりドストレート見下しだなーってなってたので洗われた
離島とか山陰あたりの漁村とか行くと風景が根本から違うよな。誰かが賢しらにデザインしたのではない、生活上の要請から出来上がった建築様式。カッコつけた言い方だと「ヴァナキュラーな意匠」とか言ったりする。
基本的に第一次産業しかなく、つまりみんな同じ暮し方で、同じ材料と技術で作られることによる統一感。美しい。
そういう辺境に残るヴァナキュラは、ほんの少し前までは日本中にあった。
それがメーカーハウスやロードサイドの吉牛やブッコフの看板の「ファスト風土」に塗りつぶされてしまった。けしからん。残念だ。……みたいなことをいう「専門家」がいて、その浅薄な論をさらに単純化した俗論に行政や一部一般ピープルが踊る昨今だ。
土地ごとの伝統や個性を大事にしようとかいって京都ではローソンのカラーをシブくしたり倉敷では公共建築をやたらなまこ壁柄にしたりする。そんなの単なるハリボテだよね。
「生活上の要請による様式」を、生活が変わったのに形だけ保存することには意味がない。
ベッドタウンやロードサイドの光景だってリアルな人々の暮らしの反映であって、見方によれば美しいとすら言える。
さらに言えばベッドタウンや団地自体がいまや高度成長時代の歴史遺産になりつつある。
消えつつあるものだ。
風景は人の都合でどんどん移ろうものだし、どのように変わってもそれは基本的に「いいもの」だ。人間の暮らしがそこにある限りは。鳥の巣やアリの巣がどっかおもしろいように人の巣はおもしろいし、正しい風景とか間違った風景なんかないんだよ。
元増田はそこで育った人の実感なんだろうからへーって思ったし、これからまた違う多摩の経験して考え変わっていったりもするかもねって受け止めたけどブコメの
“「家ばっかでつまんねー町並み」のことを建築家の内藤廣は「意気地なしの風景」と言ってた。戦後の資本主義と個人主義の帰結。それはゾンビ的な風景で、本当は廃墟なのにそう見えない「見えない廃墟」なのだと。”
“単純にマイホームは覗けず、一方、外観に「ドラマ」の痕跡は全然ない。だから町並みがつまらない。各家庭のプライベートに侵入しないと無理。他人の人生に「ドラマ」を見る人、リアリティショーの消費者と同じと思う”
さらに他へのブコメで色々書いてるけどドラマがどうとか以前にブコメと同じことそのつまんない外観の町並みの中でお金出して家買って実際暮らしてる生身のその人の目の前で言えるのかどうかで考えたらいいんじゃない?
ドラマはそりゃ知らんけどその人間は確実にしかもたくさんいることくらい想像つくでしょ
町並みを構成してる家々の外観もその生身の他人の財産や所有物なわけだけど、商業作品として世に問われたわけでもない他人の財産につまんないとか廃墟とか評するの単純にだいぶヤバじゃん?
ベッドタウンに越した同僚の新居に招かれたその場ででもここ本当につまらない町並みですね、他意はないです!とは言わないじゃん?(もちろん言わないことはわかってるよそもそも良識やTPOという点で)
なんかいやそれを言うあなたは誰?どこから評してんの?ってなもんじゃん住人とか似たような景色の中に住んでる人間からしたらさ
漠然と「田舎」とか「郊外」でなくだいぶ特定地域だしね元増田の場合
もちろんブコメでなに書くかなんて自由だし思うのも自由だしブコメも増田もおよばれした先のベッドタウンの新居じゃまったくないんでやめろなんて言う理由もないから言わないけど、
少なくとも俯瞰的というよりは「外観」に限定したとしてもちょっと傲慢な考え方に見えちゃうし、やだなーと感じた人から反論くらいはまあくる書き方ではあるかなーと思ったな、
立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。
いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。
昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。
国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。
でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。
乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。
マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮さもあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。
中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの原体験だ。
大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。
無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。
中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。
新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。
目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。
マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。
一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。
この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。
元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。
バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。
バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。
終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。
地図見てて今更気づいた
「ベッドタウンへの玄関口になる繁華街は治安が悪くなりがちの法則」
これだ
それで若干怖いイメージがついているんだとわかった
「繁華街に遊びに行こう」という人らを平均したら全体よりは民度低いだろう?
そしてベッドタウンの受け口として存在するのがそれらの玄関口となるエリアなんだと思う
南と西は若干状況が違っていて
緩やかに栄えてる街が存在するから、繁華街目当てのベッドタウン民が分散するためにさほど怖いイメージがないのではないかと思う
どのベッドタウンからも遠い位置に存在するのが、港区とか麻布とか六本木とか赤坂とか銀座とかあのエリアなのよ
そういう原理だと思う
結構玄関口としての役割がありそうだけど一応奥まってもいるのでどうなんだろう?
話戻るけど
玄関口=怖いの法則、逆にベッドタウンの方面の街(例えば柏とか大宮とか千葉とか横浜とか立川とか)まで行くとさほど怖いイメージがない説もある
別に高いレストランとか旅行とかなんてそもそも滅多に行かないからそれは別にどうでもいい。
服も最近は古着ばっかり買ってるし(zozo usedお世話になってます)、ゲームはやらないし、金のかかる趣味があるわけでもない。
細かい趣味(料理とかちょっとしたジム通いとかそういうの)は別に続けても大した問題ではないから関係ない。
でもな〜住む場所だけはレベル下げたくないんだよな〜。別に港区とかに住んでるわけじゃないけどさ〜。
せっかく愛着があって好きな街に住んでるのに、子供ができたってだけでクソつまんねえベッドタウンとか湾岸タワマンエリアとかに引っ越さなきゃいけないのは嫌なんだよ。
みんなよく子供産まれたからってホイホイ郊外に引っ越せるよね。
こだわりとかないんか。
自分を含め兄弟姉妹に発達障害も知的障害もいて、自分が子供の頃の雑極まりない時代でも親は完全にキャパ超えしてたので(その結果自分自身は虐められても何しても放置だった)、現代にそういう系の子供の子育てしたら全てのリソースを持ってかれるんだろうなと思ってる。
それでなくとも子供ができたら共働きも難しくなって経済的には貧しくなるのは確定だしなあ。俺1人の収入でもそれなりに暮らせる水準ではあるけど、千葉とか埼玉のベッドタウンに引っ込むことになるのは間違いない。それをしなくて済むには1人で年収2000万くらいは稼ぐ必要があるけど、能力的になかなか難しい…。ましてそれを何十年も維持するとなると困難だよな…。
増田は、人口20万人ほどの地方都市で生まれ育った。いわゆるベッドタウンではなくて、そのあたり一帯の中心的な都市だ。
典型的な非モテとして生きてきたが、数学化学物理の成績だけは学年2位を争う程度に良かったので、高校3年生の後半になって初めて「女性に好意的に話しかけられる」というイベントが発生した。もちろん、理系科目の難しい部分について「教えて欲しい」というものだった。それまでの人生において散々、指さして「キモーい」などと罵ってきた人物もある程度は含まれていたが、自分は嘘を教えて彼女らの成績を落としたりはせずに、真面目に応じた。
そんな女性たちとの会話が日常的になってしばらくすると、その中の1人の女性と親密になった。数学がひどく苦手な反面、国語と生物とスポーツ全般が大得意という女性だった。スポーツ得意な人間というのは自分達を差別的に扱う者ばかりだろと最初は思ったが、そんなことは無く、自分は数学を教え、代わりに自分の苦手分野かつセンター試験(※当時の呼称)で大きな配点を占める国語を彼女に教えてもらい続けるという形で関係が深まっていった。
センター試験の3週間ほど前の、冬のある日。自分は風邪を引いてしまった。3日ほど寝込んで再び学校に赴いたところ、その彼女に「増田くん、風邪を引いたら『しょうが湯』で身体を温めるんだよ」と教えてもらった。早速2日間ほど飲み続けたところ、すぐに治った。
その後、自分は第一志望の難関大学(の理系学部の中で一番簡単な学科)に合格したが、その彼女は残念ながら不合格となり、第三志望の滑り止めのところへと進学していった。自分は合格したというのに悲しくて泣いてしまった。そこで完全に自信を喪失した自分は、人にモノを教える職業には絶対に就かない、と心に決めたのである。
互いの進学先は物理的にとても距離が離れていた上に、当時は携帯電話というものは一部の裕福な人間の持ち物だったため、その後は稀に近況報告をし合うだけの仲にならざるを得なかった。成人式で再会した時に聞いた話では、その彼女は既に彼氏を作っているとのことだったので「人生オワタ\(^o^)/」となった。高校生の頃は全く知らなかったのだが、男友達によればその彼女は「学年で一番かわいい」と評判だったらしい。そんな大物と数ヶ月間という長期間に渡って親密になれただけでも人生大勝利である。30歳の頃にはご結婚の報告も頂いた。自分は非モテの民なので、それ以降の人生においては恋や結婚の話は皆無だ。年収が多少高い程度では、婚活アプリ等を利用しても人生はビクとも動かない。
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さて、40代にもなると身体にはガタが来るものである。風邪を引く頻度も上がってきた。その度にしょうが湯のお世話になって風邪を緩和させている。
今週も風邪を引いていたが、今回ばかりはしょうが湯を飲んでもなかなか緩和しない。「もしかして、しょうが湯そのものの効果は薄いのでは?風邪を治すには恋心が大事なのでは?」と思い至り、当時のことを思い出しながらこの文章を書いた。果たして、この風邪は治るのだろうか…?