はてなキーワード: ベッドタウンとは
その前日は、プロジェクトの責任者として費用対効果が目標に至らず、詰められ、報告と対策の提案は翌週に持ち越しになった。
その日は燃えるゴミの収集日だった。虫が苦手だから、燃えるゴミの日は何が何でもゴミ出しをせねばならない。
ギリギリ近所を歩ける格好に着替え、靴を履き、ゴミ袋とスマホと鍵を持ち、すやすやと寝ている夫を背に玄関を出る。ごみ収集所に向かい、ゴミを捨て、天を仰ぐ。雲ひとつない晴天。
死ぬならこんな綺麗な日がいい。
ふと思い浮かんだその気持ちに、抗うもなく、肯定するもなく、ただ足は近くの踏切に向かって歩いていた。
永遠を誓ったはずが独身の自由さに戻るため離婚したいという夫。人の意思は自由だから。
何度も調整し言質をとり議事録にも残っていることを認めず責任を問う経営層。立場上、弱音を吐くことを他の従業員や役員に見せることはできないから。
期日を過ぎても成果物を提出してくれない取引先。他の案件も忙しいなかで大変だから。
疲弊するだけで工数ばかりがかかり成果の見合わないプロジェクトを売った営業担当。彼には達成しなければならない売上目標があるから。
人にはみな都合があり、都合のぶつかり合いで世の中は意思決定がなされていく。
都合を主張するのが苦手な自分は、かと言って『察しろ』と開き直ることもできず、都合と都合の調整に追われ、今日まで来てしまった。ただ疲れてしまった。
自分の都合などとうに捨てた。何がしたかったのかも分からない。
いや、正確には一つあった。夫と老人になってもただ二人で緩やかに暮らしたかった。
しかしそれは叶わぬ都合だった。では、私にはもう望むものなどないのだ。
、
シミュレーションのために1本、2本と踏切の先で通り過ぎる電車を見る。 駅の近くにあった踏切だから、電車は遅く見えた。
この速度なら、跳ね飛ばされるよりも車輪下に入り込んですり潰されかねない。それはとても痛そうだ。
電車が通過し遮断器があがった。踏切に入り、横に遠く伸びる線路を眺めた。
少し先にいくつかまた踏切が見える。あちらの方が、電車の速度が出ていそうだ。
手押しのカートをひいた白髪のおばあちゃんがよろよろ歩きながら私の後ろにいるのに気がついた。
いま踏切にとどまれば、このおばあちゃんにグロテスクなものを見せてしまうかもしれない。
そう思うと、踏切で止めるべき足は止まらず、渡りきってしまった。
次の電車を待とうと踵を返そうとしたら、線路脇の一軒家、2階ベランダで洗濯物を干している女性と目があってしまった。踏切前をふらふらしている人間なんて不審者でしかない。
居心地が悪くなり、線路から見えた一つ奥の踏切に向かおうと思い、歩き出した。
いのちの電話、かけたことあるよ。ただ、電話口で「さあ話して」と構えられても何から話していいか分からずロクに話をせずに一言謝り切ってしまったけど。救われる人もいるのだろう。
閑話休題、その踏切は道幅の割に意外と交通量が多かった。どこかの抜け道になっているのかもしれない。
人に見られると思うと憚られた。遮断器に入ってる間に緊急停止ボタンを押すかもしれないし、白昼堂々、あまりよろしくないものを見せるのは望んでない。
ここもダメだと歩き出した。首都圏ベッドタウン、連休初日の朝。
都合よく人のいない踏切や道などなく、次の踏切、次の踏切、と歩いている間にとうとう隣駅についてしまった。
ついぞ踏切で立ち止まることはできなかった。
駅前のコンビニでコーヒーを買って、ロータリーのベンチに座る。
私以外みんな幸せそうに見えたが、そんな自己憐憫に浸っている自分が恥ずかしく、思わず下を向いた。
ベンチの足元には花が咲いていた。小ぶりで白い可憐な花。
じわりと視界が歪み、涙が目に溜まり、地面に落ちた。
来た道を戻りもう一度踏切行脚をする気力も体力もなかった。
スマホに入れたSuicaで改札に入り、駅のホームに設置されたベンチから空を眺めた。
今日でなくて、明日でもいいかもしれない。いや、明日するなら今日でもいい。
今日なら、夕方でもいいか。今日ずっと考えて、明日結論を出すのはどうか。
猶予は5日間あるのだから焦らなくてもいいと結論を出すまでに2時間が経っていた。
その日はおとなしく帰宅し、ただ泥のように眠った。
次の日は曇りだった。踏切を思うことはなく、持ち帰っていた仕事を片付けるためにPCを開いた。
都内のベッドタウン駅徒歩10分くらいのとこに住んでいる。ターミナル駅が近いし、通勤は電車か在宅だし、自家用車はいらないなと思っていたのだけど、夫がどうしても欲しいと言うので車を購入した。駐車場代やガソリン代などランニングコストもかかるし、私の昼ごはんはコンビニから弁当に変えた。
でも、今のところ購入して良かったと思う。
以前は、仕事も趣味が全然違うこともあって、子供が生まれてからは会話は子供のことぐらいになっていた。共通の興味の対象なんて子供のことしかないのだ。しかも子育てに対する価値観が違うポイントをお互いに指摘し合い、やや険悪な雰囲気になって終わることが多かった。子供が巣立ったら離婚かもなと思ってた。
ところが車を購入するときは、どの車種にするのか、どうやって値切るか、保険はどうするのか?駐車場の位置はどうするか?どこに行くのか?と話し合うことが増えた。
更に購入してからは、運転席に座った夫と助手席で風景や他の車について話すことで会話が激増した。会話の内容も運転に支障を与えない程度のテキトーな内容なのも良い。さすがに寝たら悪いかなと思ってるので起きて、スマホで音楽かけて歌いたい時に歌って、目についた風景についてコメントして、オヤツ食べて、左折時の巻き込み確認と車線変更時の後方車両の確認してる。
週末しか乗らないのもちょうどいいのかもしれない。
は?何処に書いてんねん。
まさか君の文化ってのは、革新的な仕事をやる気力と時間があることや、都心のタワマンやらなんだかに住んで様々な生活様態が存在する街で暮らすことかよ。
遺伝的問題とか細かいことは色々あるんだけど、それはそれとして自分が子供欲しくない理由は要するに「子供を持つことによって文化を失うのが嫌だ」に尽きるんだわ。
保守的になって仕事で新しいことをやる気力や時間を失ったり、子供のために郊外のベッドタウンに移住して家しかない似たような子育て世帯しかいない街で暮らすのは自分にとっては文化の喪失なんだな。
子供を育てることこそが最大の文化的体験だろ!と言う人の気持ちはわかる。それは少なくともある側面では真実なんだろうと思う。でも自分が欲しいタイプの文化はそういうのじゃないんですよね…。小さいうちはまだよくても、受験まわりとかキモすぎて近寄りたくないので、最近よく言われてる「帆走」とか絶対やりたくない。ああいった社会的競争は文化の対極にあると思うんだよね。金もかかって他に割けなくなるし。
言語化してみると徹頭徹尾自己中心的な理由だわ。批判されるのも仕方がないと思う。でも嫌なんだよね…。家買おうかと思い立って郊外を見に行ったら自分でも驚くほど拒否感があって、その心理を内省してたら意味がわかってきた。かといって子供持っても都市部に住み続けられるほどの金はないし実家の資産とかも一切ないので、本当に求めているもののためには何かを諦めるしかなかったんだよね。
お誘いありがとう!
今回は「ここに行きたい」じゃなくて「話したい」なのね。私も話したいことあるー!話そ!
じゃあ場所はどこでもいいんだよね。
じゃあさ、あのさ、たまにはこっちに来ない? 駅前にドトールがさ……
え? いやいやまぁ、戻ってきた金額に対してマイナスになるってことはないよ、それは当然。アハハ、大丈夫。
あと今回お昼どうする? 会って食べる? 食べてから集合する?
……13時?
うーん、そっち行くのに大体1時間かかるから12時に出……あっ、ごめんこっちの話。
14時だと遅いかな? ……やっぱ遅いよね。いっぱい話したいもんねー。了解了解。13時で!
じゃあね!
会えるの楽しみにしてる!
滋賀県は湖とベッドでほぼ全面積が占められていると言っていい。
うちの近所を散歩していると、分譲住宅に混じってチラホラと馬鹿でかい屋敷がある。
表札を見ると、どのお屋敷もだいたい同じ苗字だ。仮に増田家としよう。
近隣の駐車場も「増田第1パーキング」だったり、アパートも「ヴィラマスダA棟」だったりする。
要するに地主さんだ。
少し歩くと、やがてその苗字が別の苗字に変わる。これをハテナ家としよう。
ハテナ不動産があったり、ハテナ建設があったりと、そこらはハテナ一族が支配している。
歩けど歩けど、これの繰り返しだ。
見覚えのある苗字だなーと思ったら、大きな保守政党の役職者だったりすることもある。
代々地域の有力者で、市議になり、都議になり、代々地盤を固めてやがて国政を担うことになったんだろう。
市史を繙くと、江戸時代から代々この地域の豪農で、増田のほか数件の家で辺りの膨大な田畑山林を持っていたようだ。
それらの土地の大部分は今ゴルフ場やニュータウンやショッピングモールや広い道路になっている。
開発業者や自治体に切り売りするたびに莫大な富を得たんだろなあ。