はてなキーワード: ネクロフィリアとは
しか残ってないよな
はもうどうでもよくなりつつある 未婚率が3〜4割とかになってくると独身者を白眼視するって雰囲気じゃなくなるだろう
男女ともにオールラウンダーたることを求められるいま、ひとりでは食い扶持が稼げない女性もひとりでは家事ができない男性もいなくなりつつある 当然家族全員養うより自分の分だけ稼ぐ方が楽だし、家族みんなのメシ作るより自分のメシだけ作る方が楽でもある 電化製品や冷凍食品なんかの進化もめざましく、ひとり暮らしの大変さは減る一方
マッチングアプリとか風俗…はしばらく下火になりそうだけど、そのへんが無くたっていまのエロコンテンツはすごい 男向け女向けゲイ向けレズ向け、ズーフィリア向けに下手したらネクロフィリア向けまで揃うネットは偉大 オナホとかバイブの類も進化し続けてるし、今後VRエロが隆盛すると思うともはやリアルセックスは不要と言ってもいいかもしれない
家族がどんだけ多くてもせいぜい10人とかなのに対して、ネットは何百人何千人と気軽に繋がることができる
まあこれに関してはコミュニケーションに求めるものの個人差がデカそうだけど、いつのまにか結婚してました!ってタイプじゃない人間はそもそもそんなに深いコミュニケーションを好まない気はする
配偶者とケンカなんてしようものなら家が戦場と化してしばらく嫌な思いをするが、ネットでケンカになったらブロックしてその分新しい友達作ってハイ終わりだ
結婚は終わりだよ 結婚っていうか婚活、「相手がいない状態から結婚そのものを目的として努力すること」が終わりというべきか
まだみんな惰性でやってるけど、近々冷静になって(コロナ禍も効きそう)アホらしさに気づく 好きな人がいるなら結婚すればいいし、いないなら無理にするようなことじゃない
んなわけあるか。普通の人は異性を好きになるんだよ。
LGBTが当たり前世の中、とかいう単語も気持ちが悪い。ヘドが出る。
こうも、自分がLGBTを毛嫌いする理由はゲイの奴にいじめられていたことがあるからだ。ゲイとカミングアウトしていなかった頃の奴は、クラスの中心的な存在として、周囲を扇動して気に入らない奴をいじめていた。
自分がターゲットになった理由はいくつか心当たりがあるが、その根幹にあるのは「人と違う」ところだったろう。だから奴は「おかしい」「変」というような単語で俺を罵倒した。多分奴自身、まだ若く、奴なりの悩みもあり、自分自身のコンプレックスを処理しきれず他人にぶつけていたのだろう。当時もなんとなく、周りの友人も奴自身の劣等感のようなものを見抜いていた気がする。
10年ぶりのOB会での再会で、俺もあの時は苦しんでいたから云々という言い訳を延々と聞かされ(しかし一度の謝罪もなく)、腹立たしく思った。それはお前の都合であって、俺には関係ない。
奴のTwitterをもう何年も粘着して見ているが、カミングアウト後の晴れ晴れした🏳️🌈マーク付きのアイコンで「LGBTはこんなに身近」「LGBTは当たり前」と日々発信している。
奴らは、異常者だ。それを認めきれずに、自分たちは普通だと声高に主張しているに過ぎない。
LGBTを差別してはいけないのは、LGBTが普通だからではない。どんな人も差別してはいけないから差別してはいけないのだ。それが多様性であり、性的嗜好だろうと性自認だろうと、肌の色だろうと、頭の出来不出来だろうと、身体の欠損があろうと。何がどんなに違っていようと認め合うものであるはずだ。
結局のところ、LGBTは多様性という耳障りの良い言葉を利用しているに過ぎないのだ。奴らは自分が異常性癖者だと認めたくないだけだ。ロリコンやネクロフィリアやズーフィリアとは違うと言いたいだけだ。「普通」の権利が手に入れば、マジョリティの仲間として、再び「普通じゃない」ほかのラベルの人間を踏みにじるのだ。
虹色ではない。グラデーションではない。ただの、「普通」のラインを引きなおし、新しい境界を手に入れようとしているだけだ。その普通のラインの外側にはみ出た人間は、内側の彼らにとっては異常者に過ぎなくなるだろう。
ああだから俺は言ってやろう。お前らは異常者だ。うんこの穴に射精するとか、生物として終わってる。子孫も残せないのに破綻した本能行動に抗えずうんこに塗れてるとか滑稽もいいとこ。動物相手に腰振ってるのと大差ないよ。
それでも、お前らが自分を異常者だと認めるなら、俺も許そうと思うよ。いち異常者として。
性欲のコントロールは難しい、世間を飛び交う浮気問題の多さがそれを証明している。
警察が取り締まった強制わいせつの件数だけでも年5000件程度となるが、警察が取り締まれなかった犯罪、ストーカーや下着泥棒程度の物も入れれば一年でどれほどの被害者がいるのだろうか。
そんな中で、個人の自制心にすべてを委ねるのは、犯罪を促しているも同然である。
世の中には精神疾患としての性欲異常も存在している中で、チンチンになんて絶対に負けないマンマンが疼いても耐えるという精神論だけを振りかざすことのどこが健全なのか。
今こそ、性欲処理という概念に対して腰を据えて向き合うべきだ。
その中でも、代替手段が少ない児童ポルノやネクロフィリアといった特殊かつ危険な性癖への対処は急務となる。
これら特殊性癖を扱ったフィクション作品は、異常性欲者の犯罪抑止に大きく役立っている。
一部の人間はこれらに過剰なバッシングを行い表社会から追放しようとしているが、それによって生まれるのは性欲のコントロールを妨げられた性欲異常者、飢えた珍獣の群れである。
彼らの性欲を否定した所で、闇に紛れた魔物たちが影の中で強制わいせつを繰り返す世界しか待っていない。
健全な性欲のコントロールが容易に行えるというのなら、浮気問題もレイプもとっくに世間から消えているはずなのだ。
必要なのは異常性欲者向けフィクションの政府の手によるコントロールだ。
これでいいのだ。
LGBTとLGBT以外だったらPZNにも理解ある人の割合って(少なくとも後者に比べたら)前者の方が明らかに多いと思うけど。
LGBTXとかLGBTQって言葉もあるし、あらゆるマイノリティを統一的に語ろうって空気はとっくの昔からあるんだからいつまで不貞腐れてるつもりなんだろう。
ついでに、ペドフィリアもズーフィリアもネクロフィリアももちろん(他人の権利を侵害しない範囲で)認められるべきだけど、PZNという無理な括りには彼ら自身に対する侮辱すら感じる。
無限にあるセクシャリティの中からこの3つを選んだ理由なんて明らかで、「世間で最も吐き気を催す邪悪」として扱われているからでしょ?ただそれを追認しているだけ。
いい加減自分自身がPZN差別の片棒を担いでいることに気付いたら?
たしかにクィアや変態という言葉のように、侮辱の意味を持つ言葉が当事者たちから肯定的に語られるようになった言葉も沢山あるけど。
大多数の健常者?バカじゃないの。
結局おまえは自分を「健常者」だと自認していて、PでもZでもNでもないわけだ。
LGBTを侮辱するための都合のいい棍棒としてPZNを利用しているわけだ。
まあインターネットを見回ってるとそういうの多いよね。
たしかにセクシャリティに境界はないし、「真のペドフィリア」とか、「真のズーフィリア」とか、そういう下らないトカゲの尻尾切りをするべきではないとは思うけど。
それ以上に目について不快なのは、「初潮過ぎた女子に興奮するのは正常だろ!」がどうやらインターネッツ自称ロリコンマンの常套句らしいということ。
いや言うだけ自由だけどね?表現の自由は人権だからね。ヤクザでも犯罪者でも表現の自由はあるからね。
まあLGBTもね。自称バイとか自称トランスとかも割と怪しい人もいるけど、そういう「にわか」を受け入れることこそ重要だっていうのもわかるけど。
自分の政治理念や思想に適した主張をするなかで、性的マイノリティとして自分に害がなく生理的嫌悪感のない人間を打算的に選択した結果がLGBTでしかないからね。例えばロリコンとかネクロフィリアとか、その性欲が発散されるだけで罪に問われるかもしれない存在について、少なくとも真面目に議論している人間がいるんだろうか。結局ね、皆自分にとって損じゃない存在を上げてるだけ。「LGBTとか死ぬほど気持ち悪くて大嫌いだけど自由であるべき」なんて人そうそういない。
そこを突いて活動自体をなくしたら結局LGBTが他の性的マイノリティと一緒に損を受けるだけだし、彼らには頑張ってもらいたいところだけど、それでも他の少数派の方々は不満だらけだろうね。
リベラルは口を揃えて、多様性と共生を、マイノリティに光を、みたいなことを言う。
それは、彼らの言う共生とマイノリティ擁護の姿勢が嘘だからだ。
彼らに擁護されるマイノリティは彼らの理解を得ることに成功したものだけであり、結局のところマジョリティであるリベラルを味方につけることでマジョリティの側に立てたものだけだ。
リベラルが共生できるのも、彼らの理解を得ることができたマイノリティだけである。つまり、マジョリティの側に立てたものたちだけと言うことだ。
だから、彼らは本当の意味で多様性と共生することはないし、マイノリティに気を遣っているわけじゃない。彼らマジョリティの理解できるものだけ受け入れ、擁護する。それだけの話なのだ。
だから、ロリコンがリベラルに救われることはない。ロリコンの欲求は決してマジョリティの理解を得ることはない。
リベラルはロリコンを救わないことについて、きっと違うロジックを用意するだろう。シリアルキラーを救わないことについて、ネクロフィリアを救わないことについても相応のロジックを用意するかもしれない。
でも、それらは言い訳だ。彼らは彼らが理解できるものにだけ手を差し伸べる。そして往々にしてその欺瞞に無自覚なのだ。
リベラルよ、気付け。
どこをどう読めば『「お前らは別だ」と叩く方に回」ってるんだ。それに体制側ー非体制側という構造は作っていない。マジョリティ ー マイノリティという構造はつくっているが。
ズーフィリアもペドフィリアもネクロフィリアも、そもそもの存在自体は認められるべき。
婚姻についても、動物と死体はそもそも自然人ではないから結婚できないでしょう。それが愛してるとしても。そしてそれは自ずと、動物と死体に人権を認めるか、というLGBTの議論とは別になる。ペドフィリアについては、何歳から結婚を認めるのかは、議論の余地はある。
異性愛でも同性愛でも同意を得ないセックスがレイプになるように、殺したり他人の死体を損壊すれば犯罪だし、判断能力のない子供とセックスをすれば犯罪になる。結婚同様に、何歳から認めるべきかは議論の余地あるし、真面目に付き合うならもっと若くてもいいだろう、という点も賛成できなくはない。
https://anond.hatelabo.jp/20180729093940
これ、ゲイの人が「俺らLGBTとペド・ズーフィリア・ネクロフィリアを一緒にするな!」
と言ったらフルボッコにされて「自分が差別主義者だとわかったので死にます」と言い捨てて逃げた記事なんだけど。
こういうマイノリティは反差別の教義に従わなければならないって考え方は捨てた方が良いと思うんだよね。
マイノリティは最初から不利な立場なのに反差別にコミットしたら自分で縛りプレイして人生の難度を上げることになっちゃうじゃない。
俺自身、日本じゃマイノリティの部類なんだけど、こういうの見て「情けないオカマ野郎だな」と思って書いちゃうのどうしても抑えられない自分と向き合った結果、
反差別にはコミットしない、俺の出自を差別したい奴は勝手にやってろ、俺も憂さ晴らしに差別したい相手を差別するから、という立場を取ることにしたら、すごく生きるのが楽になった。
とは言っても、田舎を出てしまえば誰も俺の出自なんて気にせず進学・就職・結婚に何の障害も感じなかった俺の属性と比べて、
どう頑張っても、家族を持とうとしたら世間にカミングアウトせざるを得ないゲイは反差別にコミットし続けなければならない状況に追いやられているのかなと気の毒には思うけど。
the expendables was so manly i fucked the shit out of the little pussy boy next to me! the boys are back in town!
確かにドン引きしてしまうツイートではあるけど、ディズニーで仕事するようになって少年性愛とレイプに関するジョークについて謝罪し、
何より現在はそういったツイートをしなくなって久しいのに、「そういう過去があるのでクビ」には希望を失ってしまう。
謝罪しても改善しても過去にやったことは一生許されずに職まで失うシステムって、正しさのレールから一度でも落っこちたら、
その後何を積み上げても終わりということで、村社会への回帰というか、しかもインターネットの拡散力のおかげでどこに逃げても
過去のやらかしに一生追いかけられて、旧型の村社会よりもハードになっているようにすら感じる。
ガン監督が問題ツイートを繰り返していたのは、仕事で認められていなかった時期だそうだけど、不遇な時期にも完全な正しさが要求され、
人生を通じてノーミスである義務を死ぬまで負い続けるのってきつすぎる。
ただ少年性愛とレイプにトラウマがある人にとって、それらを冗談にしてしまうのは侮辱的なことだし傷つくことだと思う。
多くの人が自分にとって不快なものを目にしない権利を欲しがる。駅のデジタルサイネージや中吊り広告に、
死体写真やゲイポルノが載っていたら嫌な人が多いだろう(ネクロフィリアやゲイであっても公共空間に引き出されることを望まない人が多いだろう)。
でも個人のSNSアカウントは、見た人が不快に感じる可能性が高い発信をしない義務をどれくらい負ってるんだろう。
商業目的で公共性のあるメディアが負っているポリティカル・コレクトネス検閲コストを、どこまでかける義務を負うんだろう。
例えば駅のデジタルサイネージや中吊り広告に死体写真やゲイポルノがある場合、通勤通学のために逃れられないけれども、
ガン監督の少年レイプジョークツイートの場合は、不快と感じたらアカウントをミュートできる。
その不快なコンテンツから逃れることが可能か、逃れながら生活することが不可能か、そこが基準になってくれれば良いのではないかと思うのだけど。
とにかく謝罪済みの過去の個人アカウントのツイートが原因でクビというのは本当に悲しい。
レスどうも。
先にいうと私はLGBTのLGBの方に入るので正直Tの人とは2丁目とかのバーでしか会ったことがない。
でも私が知ってるTの人はFTMもMTFもすごくいい人だちだった(セックスまではしたことない。最高でキスまで)ので、まずそれを前提に話をするね。
LGBとTを一括りにしていいのかという問題は確かに非常に難しいし、完全に線引できるものでもないと思う。
生まれつき体に違和感があるTの人に比べればLGBは単にセックスの相手が同性か異性かというだけで、対して社会的に悩みとか圧力とかないじゃんと思われてもしょうがないというのもわかる。
古いタイプのLやGの人はBというのも異端で、それこそ遊びで同性とセックスしてるだけだろって排斥してたりもする。
そっち界隈はあまり詳しくないけど、ペドフィリアとかネクロフィリアとかズーフィリアの人と何が違うのかって思ってるんだろうというのも共感はしないけど理解はできる。
でも私が個人的に気に入っているLGBTとPNZを明確に区別する説の一つに、「愛されたい」という意識があるかどうかということが一つあるんだよね。
例えばLGBの人は同性を恋愛対象にしていると同時に、同性から「愛されたい」って気持ちがある。
Tの人も少し種類は違うかもしれないけど、例えばFTMの人は生まれた性は女だけど、男として女に(男性からかもしれないけど)愛されたいと思ってる。
対してPNZというのはそもそもとして感情が一方的であって相手からの気持ちは考慮されていない。
Pは幼女から愛されたい?のかもしれないけどそれは少なくともパートナーとしての恋愛ではない、上下関係がZやN同様にはっきりしているものだ。
LGBTが優遇されること(当事者的には当たり前のものとして認知されること)が否定されるというのは、「愛される権利が剥奪されること」になるんだよね。
現在日本で認められているのはあくまでも「同性を好きならいいんじゃない」までの権利であって、「同性に愛される」というところまでが考慮をされていないところに問題がある。
つまり同性が好きというのは憲法にもある「内心の自由」にあるから勝手にすればという認識であって、愛されるという双方向の恋愛については驚くほど認められていない。
そのあたりが難しいところでうまく説明ができないんだけど。
その「愛される権利」というものの象徴が婚姻制度という社会的に双方向性のある感情が認知されることであって、そこに権利取得のゴールがあるという考え方。
まあこういうこと言ってるのはごく一部で目立ったLGBT団体はこういう曖昧な説は好まないで、とりあえず目下の敵を作ってそれを攻撃することに終始してるんだけど。
なんだか書いててごちゃごちゃしてきたよ。
わかりにくかったらごめんね。