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はてなキーワード: シャッター街とは

2021-02-17

anond:20210217005242

アキバ池袋シャッター街になってバタバタ潰れてんのんの象徴的だわな

歌舞伎町とか六本木法律ガン無視でも大してそう取り締まられはしないかなんやかんやで生き残ってる

法律でがんじがらめにした上に利益は上げろなんて物理的にできるわけねーだろ

国がクソほど税金株価に投入してる企業くらいしか絶対に成立不可能なわけで

そもそもGDPマイナス成長日本で未知の手付かずの療育なんかあるわけがない

というか既存パイすら萎んでいくから奪い合いになる

でも警察にだけは金かけてるからブクブク焼け太り起こしてる

結果、秘密工作員みたいな働き方プラス諜報機関フロント企業経営みたいな感じでしか空手起業軌道に乗せることができない

そんなもので始められる業種はその時点で物理的に限られるから

飲酒風俗なんかのソフト産業しかない、こんなもん何も生み出さない筆頭だわ

国が完璧デザインした法体系ができるなら文句も出ないもの

現実利権団体に振り回されて意味不明矛盾だらけの法律作りまくる始末

端的に言えば終わってるわこの国、そりゃ金持ちになって上流の仲間入りした瞬間に海外志向で逃げようとするやつ多発するに決まってんだろと

2021-02-15

秋葉原シャッター街だらけになってるって発狂してるオタクが多いが

アングラ感と技術両立させたいならIT企業って言うか、IT町工場をいっぱい作れば良いんじゃないの秋葉原

朝に『〜な感じでマクロ組んどいて』ってサンプルデータ渡して、

昼には出来てる料金1万円って感じの

2021-01-26

anond:20210126141904

レポートどーもです!

・・・都会とはいえ歓楽街の真横のシャッター街に近い電気街から圧縮マンでも無理やろー、てくらい人通りは少ない平日の水都ですわー、現場からは以上です。

2021-01-11

anond:20210110231446

爺ばかりのネチネチした雰囲気シャッター商店街にだれが居残るんだよ

あそこにはジジババがすんでるんだよ。税金が安いから。

から若者が「ここで商売がしたいから貸してください!」って言っても追い返す。

からシャッター街のまま。

2020-12-31

何で東京緊急事態宣言さないの?

どこにも書けないか増田に書く。

 

私は某地方都市在住だが、SNSで呑気に飲みの画像を上げている首都圏の連中を見て、腹を立てている。

一人であちこち飲みに出るのが趣味だが、今月の半ばから時短要請が出たせいで飲みに出ることができない。ランチすら休んでるところが多い。

まあ、時短といえど、東京のように22時までなんて甘いもんじゃなく、酒の提供が19時までだからどこも休業するわ。

 

はじめは、「ほぼ医療崩壊しているから、仕方ないよね」「今我慢すれば、感染者が減って一人で飲みに出るくらいはできるようになるよね」と呑気に考えていたが、

時短要請が出てから二週間経つ今も、感染者はあまり減らない。

そんな中、時短要請の延長が決まった。おそらく、状況によってはさらに延長するだろう。

 

飲み歩きが好きだから、なじみの店はたくさんあるし、行きつけのバーもある。

このまま時短要請が延長し続けたらどうなるのだろう。どこもつぶれて、繁華街シャッター街になってしまう。すでに700店もの店がつぶれているらしいのに。

 

昨日、繁華街を歩いていたら、私が高校生の頃からあった酒屋が閉店セールをしていた。

なんとなく入ったビリヤード店の店長は「うちは飲食店じゃないから、お金もらえないんですよ。夜に働いていた常連さんも来なくなりましたね」と苦笑していた。

 

テレビをつけていたら、東京飲み屋で飲むサラリーマンや、若者が笑っている映像が映る。

SNSでは少人数のオフ会をしたり、飲みに出掛けているツイートを見る。

来年GOTOトラベルが再開したら、草津温泉にでも行こうかな」なんてツイートも見る。

こっちでは、GOTOトラベルもしばらく再開しないだろう。だって感染者が増えた原因は東京から観光客のせいだと言われているんだから

 

さっさと東京緊急事態宣言を出せばいいのに。

2020-12-15

とある北の田舎より

車の外気温計がマイナス8度と出ている。車を降りて雪を踏むとキュッとかギュッとか言うくらい寒い

僕は春に田舎市役所を辞め、ギリギリ地方都市と呼べる街で福祉系の仕事に就いた。今日用事を足しに、仕事終わりに車で一時間ほどかけて実家へ帰って来た。その田舎の町中にも用事があって行った。

かつては小さいながらも賑わった市の中心部も今ではシャッター街

数軒の飲み屋歯医者地銀支店地域で展開しているスーパードラッグストア。遠い昔に店舗だったであろう、赤黒いトタン屋根家屋。何軒か置きにある、最新モデルの車が停まった妙に今風のこぢんまりした家。個人の家や会社公園か花壇か何かのイルミネーションが、街中の所々で雪を照らしながらほわほわ点滅している。

夜8時にはもう誰も歩いていない。

今日はここまで。

2020-11-19

昭和50年頃の日本田舎風景

思いついた順。順番に意味は無い。

 

田舎道路舗装されて無いのがあたりまえだった。ごく一部が舗装されていたが、舗装コンクリートだった。アスファルト舗装はまだほとんど無かった。

・川にかかる橋はまだ木と土でできていた。わずか数年のうちに、全部コンクリート造りに作り変えられた。その時の橋がまだ現役。

石炭がまだ日常的に使われていた。学校の隅の方には石炭を積み上げておく小屋があって、冬は当番の子供がその日のストーブで燃やす石炭小屋から教室に運んでいた。炭の燃えカス掃除先生がやってくれていた気がする。石炭ストーブ石油ストーブに置き換わると、石炭小屋は鶏小屋改装されて、学校ニワトリを飼っていた。

火鉢や七輪がまだ現役だった。火鉢の中では炭を燃やして暖をとっていた。

掘りごたつの底は格子状になっていて、その下で炭か何か燃やして暖を取る構造だったが、それは当時すでに廃れていた。電熱線を使った電気ごたつが安くて便利なので、かなりはやくから普及していた気がする。

・家にかまどがあった。物ごころついた時にはもう使われなくなっていてプロパンガスだった。お年寄りの家ではまだ現役でかまどが使われていた。

洗濯ものは川や湧水のあるところでやっていた。湧水は出口すぐが飲用水の採取場所、数m下ると食器食べ物を洗う場所、そこからさらに数m下るとそれ以外を洗うもの、と順番が決まっていて、いつもだれか数人の主婦が何か家事をやっていた。水道が普及するといつしか誰も使わなくなり、掃除されなくなり、廃れた。

・秋には落ち葉のたき火で焼き芋を焼いて食べるのが定番おやつだった。

農業に使うかごなどが、まだ藁で作られていた。この伝統は数年後にはすっかり無くなってしまった。

・村の加治屋さんがいて、農機具の修理などをやっていた。

軽トラックが普及しはじめていたが、農道がまだほとんど整備されていなかった。車が通れない歩行者用の山道を、天秤棒をつかって前後に思い荷物をぶらさげて運ぶという仕事がまだあった。

コンクリートブロックを使って塀を作るのが流行り、みんなで競うように塀を作っていた時期があった。へー。

・車はどの車も数年でサビサビになった。今のような耐久性のある焼付塗装がまだ開発されておらず、車検のたびに車の塗装をやりなおしていた。車検とはある意味、車の塗装をやりなおすイベントだった。

カラーTV田舎にも普及しはじめた頃。

・街へ行くたびに、あちこちボコボコビルが建ち始めていた時代1970年より前に建築されたコンクリート作りのビルというのはかなり珍しいが、1970年代にはめちゃめちゃ大量のコンクリート造りのビル建設されて、日本の街の風景が一変した。

・いまはシャッター街となっている田舎商店街に、もっとも活気があった時代

軍隊帰りの教師が現役でいた。ゼロ戦特攻隊の訓練生だったとか、広島原爆が投下された後の遺体を積み上げて燃やす作業をやったという教師リアルに居た。多くの大人たちが原爆キノコ雲の目撃者だった。

・家を建てる時、壁は土壁だった。そのへんの土に藁を混ぜて建材として使っていた。土壁の中の芯は細い竹を格子に編んだものだった。

貯金金利がめちゃめちゃ高かった。しかし実際には金利以上にインフレになったので、真面目に貯金した人はむしろ損をした。

・缶ジュースは当時から1本100円だった。子供には高級な飲み物だった。

・お豆腐屋さんに毎日豆腐を買いに行っていた。田舎でも数100mも歩けば、一軒は豆腐を豆から作っている豆腐屋さんがあった。

主婦が買い物に行くときは、細い竹を編んだような、かわいらしい買い物かごを持って買い物に行っていた。レジ袋などというものはまだ無かった。せいぜい紙袋

生ゴミはかまどで燃やして処分していた。灰は肥料として活用された。街のゴミ収集車は、不燃ごみの回収が主だった。

冠婚葬祭は、5人組といわれる隣近所のグループで協力しあって、自宅で行うのが当たり前だった。

・どこの家にも子供がいた。夜は外出を厳しく制限された。今思えば、どこの家庭も夜になると夫婦セックスして楽しむのが当たり前だったんだろう。

  

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そのほか、あとで思い出したこと追記

子ども神社やお寺の境内に集まってよく遊んでいた。缶けりとかが定番だった。

・そんなド田舎にもエロ本はあった。子どもたちが拾い集めたエロ本の隠し場所神社の床下だった。

・雨の日はよくトランプしていた気がする。

レゴブロックは既にあった。当時から定番おもちゃだった。

こたつテーブルの板をひっくりかえすと麻雀用の緑のフェルトが貼ってあった。

蛍光灯が爆発的に普及したのがこの頃だった。電球よりずっと明るいので最初はみんな驚いた。

 (しかし、統計を見ると子どもが減り始めたのもこの頃。電球の方がエロい気分になりやすかったというメリットはあったのかもしれない)

バスには運転手のほかに切符を売ったり、バックする時に誘導したりする車掌がもう1人乗っていた。それがワンマンになったのも昭和50年

宅配便はまだ無かった。国鉄の駅から小包を発送していた。

国鉄荷物を送るときは、包み方にめんどくさい規定があって、紐で縛ったり指定タグをつけたりしなくてはならなかった。

昭和50年代に複数宅配便会社競争で一気に普及して、国鉄荷物を送ることは全くなくなった。

女子体操服はブルマだった。バレー部が人気だった。部活マラソン大会では女子が校外を体操服(下はブルマ)で走っていた。

ダンボールは既に普及していた。ダンボールが普及する前は農作物は木の箱に入れて出荷していたらしい。使われなくなった木の箱がよく他の事に転用されていた。

・そんなド田舎でも新聞牛乳は毎朝届いていた。牛乳はビンに入っていた。

学校の校舎は当然木造体育館木造。今思うと、体育館のような大きな建物木造っていうのは当時としてはなかなか凄い事だったんじゃないかという気がする。

バイクといえばスーパーカブのことだった。それ以外のバイクは見たことが無いレベルだった。

・車と言えば軽トラだった。それ以外の車も見かけたが、変わり者扱いされるレベルだった。

・仕出し弁当とかは薄い木で作った箱に入っていた。プラスチック発泡スチロール製のトレ―が普及したのも昭和50年

幹線道路なのに1車線のところがあり、ときどき渋滞にっちもさっちもいかなくなって警察を呼ぶことがあった。

リヤカーを引いて魚を売りに来るおじさんがいた。スーパーカブに山ほど靴を積み上げて靴を売りにくるおじさんもいた。富山の薬売りもいた。

2020-10-06

田舎個人商店こそDXなんだよなぁって話

私の実家は片田舎個人商店を営んでいる。

ここでいう片田舎は「地方都市の外れ、駅からはかなり遠い」くらいなイメージね。

はてなで言うところの「田舎」とはギャップがある点に注意。

でね。うちの親はIT弱者、当然PCは使い切らないし、LINEもままならない。ご近所付き合いで店に来てくれる人はいるけれど、実質井戸端会議の会場。

そんなご近所さんも当然ながら歳をとるし、新しい客は入ってこないし、こりゃ新陳代謝も進まず朽ちゆくばかりですなぁと。

でね。そんな私がこんな記事を読んだわけ。

"福岡下町鮮魚店がDX?シャッター街魚屋さんがコロナ禍をプラスに変えた経営策とは"

https://blog.ncbank.co.jp/posts/152

泣いたわ。3回泣いた。

「終わってんなー個人商店なんて」

って思ってただけの自分に泣いた。

分かってた。分かってたのよ、本当は。

周りの個人商店の中にも、頑張ってネット上で販路拡大する方法を考えている人はいた。知ってた。

でね。私はそんな人を「いたーっ!あいたたー!」って見てた。「個人商店足掻いてて乙wwww」的な。

から、私は実家に手をさしのべられずにいた。

「こうすればいいのに」

机上の空論を考えるのは得意だ。でも、行動は苦手。どこか心の片隅でバカにしていることなんて、やるわけがない。

でも間違ってたなぁって。

私も一念発起して実家のDXサポートしてたら、こんな風に取材されてたんだろうなぁって思うと悔しくて仕方ない。

田舎個人商店こそDXやるべきよ。

もう私にはできないけどね。

2020-08-04

ヤクザと奥様の話

大昔、母から聞いた話である

その頃、駅前通り商店を構えていると言えば、奥様、旦那様と呼ばれる身分。街の一等地に店を構える裕福なお店という扱いだったとか。

その中にあった、老舗のお店の奥様が、旅館ダンスホールで知り合った男性と良い仲になり、こどもと旦那を置いて家を出てしまった。そして、旦那に届く手紙

奥さんを返して欲しかったら、そこそこの金額を用意しろと。奥様が惚れた男はヤクザで、女を引っ掛けるのを生業にしていたらしい。

妻がみずから家出しているのに警察にもいけず、悩んだあげく旦那要求をつっぱねた。

店を守るため、対面を守るための決断だった。

それきり奥様は帰らなかった。

その後、何年もたち、大きくなった息子が店をついだが、少しずつ駅前通り自体さびれ、今となっては賑やかだった通りもがらんとしたシャッター街になってしまった。

奥様の行方誰も知らない

2020-08-01

anond:20200731233907

子供の頃から見てきた風景、過ごしてきた場所、思い出の場所を全て失うことの意味分かってる?

何の思い入れもない駅前シャッター街ダムに沈む話じゃねーんだよ。

友達恋人家族と過ごした思い出の場所永遠に失われる話なんだ。

財布をなくし、家が火事になり、データ写真日記を全て喪失するのに近い感じだと思うぞ。

2020-07-31

もし地元ダムに沈むとしたら

俺は許せる

地元ダムに適していない土地なのでありえないし自分土地もないので完全に他人事という前提があるけど。

地元東京都市圏郊外典型的住宅地で、住みやすくて便利で正直悪い点が見つからない

今でも人口が増え続けている街だが、どこもいつかは絶対衰退するだろ

将来ゾンビ自治体になる地元だけは見たくない。シャッター街が続いて駐車場ばっか、よく分からない事業所けがいくつもあったり役場デザイナー監修してないゆるキャラ作ったり、歴史の中の一部分の要素だけ取り出して無理矢理観光地化したり映えだけに特化した中身のないイベントしたりとか、絶対にしてほしくない

旅行地方都市行くとこういうのしかなくて本当に気が滅入る。

こんな飢餓状態のまま死ぬことも許されず惨めな格好してるなら栄えているうちにダムとして沈めてもらった方がいい

沈んだ街のことダムに書いてあるだろ?一文でもいいからそこに地元があったという事実が残っているだけで地元永遠になるから許せる

2020-05-05

いつもなら灯りがついてる飲食通りがシャッター街になってた

灯火管制かな

2020-04-12

安全圏に居て不安になる

自分でもよくわかってないんだけど、今すっごく不安

去年は職場で、今年の初めはプライベートで、めちゃくちゃ闘争しまくって疲弊した。

そんで今は楽で快適な仕事してて、まあ多分コロナの影響も個人レベルでは対して受けなさそうだな、って環境にある。

でもなんかみんな誰かしら常に戦ってて、やれこういう時こそデキる奴は、とかどこどこの〇〇は、みたいな凄そうな名前エピソードが転がってたり、コロナで大ピンチ!このままじゃ生活死ぬ!みたいな話も頻繁に耳にしたり。

みんなと同じじゃなきゃ不安になるのかな。何となくこの騒ぎの中で足掻かなきゃいけない気がしてしまう。架空のえらい人に「あのコロナ自力で乗り越えた人間こそ素晴らしい」みたいな事を言われてしまう気がする。

真っ白な広告とかシャッター街を見て不安になってんのかなあ。

2020-01-13

anond:20200113155249

街灯がなくて夜が早い

駅前シャッター街

人住んでなさそうな廃屋放置されてる

娯楽はパチンコ

2020-01-09

anond:20200109101857

寧ろかつてあった八百屋商店街シャッター街化によってどんどん消滅してるんだが。

2019-10-20

自治体観光に力を入れ始めた

工場の誘致をあきらめ、工業団地道の駅を作り、

シャッター街に、毎週末アマチュア音楽家を呼ぶ計画だ。

空き家修復のボランティアを募り、旧街道再現することも考えているらしい。

もうすぐここは滅ぶ。

2019-09-04

anond:20190904072043

そのうち、テレビ映画ロケ地で脚光を浴びるのを期待しましょう。『絵に描いたようなシャッター街!』とか

2019-06-12

anond:20190612094606

から、あの商店街の売上が激減したのはおじさんの影響じゃないのよ。

もともとシャッター街だったの。10年ぐらい前から

今あの商店街居酒屋が立ち並んでくれたことによって飲みに行く街(しかも駅から近い)として賑わってるからなおさら昼に行く理由がない。

もちろん「キチガイじじいが居るからあの商店街行かないでおこう…」とはなる人もいるだろうけど、なら正論おじさんが難癖つけれないように営業すればいい。

んで、正論おじさんが店にいちゃもんつけてくるけど正論ぶつけられて反撃できないから売上激減の原因をおじさんに当てつけることで、世論を味方につけようってしてんのよ。

からおじさんを排除することはできない。おじさんを排除してしまうと誰に売上激減の原因をぶつければいいのだろうか。

2019-06-11

anond:20190611082741

私は正論おじさんの方が正しいと思うけどなあ。

私の住んでいる地元商店街、というよりは近くの団地内の商店街なんだけど、今回のおじさんの商店街と同じなんだよね。

お店ののぼり旗を歩道に置く、なんてのは当たり前になっていて、その当たり前を疑おうなんて概念存在しない。

ラーメン屋なんか、歩道テーブル椅子を置いているし。

バリアフリー?何それ、おいしいの?

セール商品が入った台車付きの売場を歩道に置くのも、邪魔だしウザいし何とかしてくれい

ああ、商店街シャッター街になって廃れていくプロセス何となくわかってきたぞ(イオンの出店に関係なく)。

anond:20190611082741

ほい、話題商店街がある三重県松阪市の元市民(と言っても今は県内済で飲みに行く時にその商店街行くこともある)が来たよ。

 

まず、あの商店街が寂れたのは間違いなく駅前の三交百貨店12年ぐらい前に潰れたためで、そのおかげで昼間に駅前に行く必要が無くなった。

俺が「もうあの商店街あかんな」とおもったのは駅前ファミマ撤退した時。まぁ、駅中ファミマができたか学生がそっちに流れたとはいえども、駅中を利用しないバス高校生もいるのに撤退で、まぁどういう状況かよくわかるわな。

5~6年ぐらい前はシャッター街になってたよ。

 

今あの商店街飲み屋が多く出店していて夜の街としては復活している。

そりゃそうだ、駅前にあり、駐車場も駅周辺故に多くて車社会田舎で徒歩でハシゴできるからめちゃくちゃ便利になった。

 

から正論おじさんが昼間に活動していて昼のお店がそのせいで売上さがってるっていってるなら全く違うと思う。(30年近くやってるなら昼の店だろうな)

そして、酒を提供する店だとしても、白杖をついたおじさん以外酔っ払いがぶつかるだけ危険性あるから正論おじさんが正しいと思うよ。

 

上下がった原因を正論おじさんが全部とは言い切れないね

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