はてなキーワード: コンピュータリテラシーとは
コンピュータやプログラミングが好きで、その技術で以て社会に貢献したいと考えている人へ告ぐ。
日本のSIerなどに就職しても、給料以外に得るものなどない。だから、就職するな。
もし、コンピュータの技術で人の役に立ちたいと思うなら、オープンソースのプロジェクトに参加したり、本などを書いたりした方が良い(後者は一発当てると生活に不自由しない程度には稼げる)。
まず、世のSIerやPGに就職したところで、実質的に価値のあるソフトウェアを作ることは、まず無いと思っていい。
案件の大半は、コンピュータリテラシーの低い老人向けのクソ下らない業務システムなどだ。信じられないかも知れないが、「FAXと連動する」みたいなソフトウェアは、今も日本中で生産され続けている。
おまけに客自身が、そのシステムで実現したいことを本質的に理解してないから、従来紙の上でやっていたことを、そのままパソコンで行うだけのシステムを作ることになる。
ついでに言うと、SEやプログラマの仕事が設計やコーディング等の知的業務だと思ったら大間違いで、「客の送ってくるエクセルやパワポ資料の体裁を保ちながら、丸番号つきのスクリーンショットを追加する」みたいな下らない仕事が開発と同じくらいある。
あと、「IE9で動かない」とか「Firefoxで見たときだけテーブルの枠線が薄くなる」みたいな、本当にどうでもいい理由で既存のライブラリを利用せずに、フルスクラッチで書こうとする勢力が多数。
あと、日本の職業エンジニアのレベルは本当に低い。趣味でプログラミングを学んだその辺の学生の方がずっとレベルが高い。
まず、職業エンジニアのほとんどは、アルゴリズムとかオブジェクト指向設計とか、プログラムの性能や保守性に関わる知識を全然知らない。ハードウェア、データベース、ネットワーク、セキュリティ等のシステム運用に必要な情報技術の基礎知識を一通り知ってるエンジニアなんて、全体の1%もいない。
そもそも、業務で使っているプログラミング言語すらまともに勉強していない。「Effective ○○」みたいな本に書いてあるようなベストプラクティスをことごとく無視してクソコードを量産する。クソコードはそのプロダクトが死に絶えるまで残り続けて、改修のコストを指数関数的に増加させる。
下請けのゴミにもなると、ググって出てきたコードを意味もわからずコピペして「動かないんですけど」とか言ってくる。それでも仕事はある。
あと、ソースコードをバージョン管理していない会社すらわりと存在する。(「GitではなくSVNを使っている」とかいう意味ではない。文字通りバージョン管理していないのである)
こんなことは別にIT業界に限らないんだろうが、要はレベルの低い人ほど偉そうで、全体の足を引っ張っているわけである。
ここで言うレベルっていうのは、別にJavaやC++などを使いこなせることを意味してるわけじゃない。仕事の内容や目的をきちんと理解して、自立して仕事ができるかどうかだ。
お前んとこの独自フォーマットのエクセル出勤簿をシステムに取り込む機能が本当に必要なのか、よく考えて欲しい。あと、パソコンの使い方レベルの問い合わせを、開発者までたらい回しにしないで欲しい。本当に無駄でしかない。
もし、諸君が「コンピュータの技術を活用して、世の中を便利にしたい」という願望を抱いているなら、絶対に日本のIT企業に就職してはいけない。
日本の企業では諸君の想像するようなわくわくするような開発体験は決して得られない。
諸君が、コンピュータの技術を真摯に学ぶ気があり、最新の技術とハイレベルな開発者から刺激を受けたいのであれば、オープンソースのプロジェクト等に貢献すべきだ。
以下、なぜ日本のIT企業に就職するべきではないのか、理由を述べる。
特にBtoB(法人向けサービス)の開発に顕著だが、日本で就職する限り、作るのはコンピュータリテラシーの低い老人向けのクソ下らない業務システムがほとんどである。
信じられないかも知れないが、「手書きの文書を読み取って、FAXで送信する」みたいな無駄なシステムは、今なお日本中で生産され続けている。
そもそも顧客自身が、そのシステムで本質的に何を実現したいのか理解していないため、従来のやり方をそのままシステム化することになる。
こうして、コンピュータを用いる利点が全くない「アナログ業務をパソコンの上で行うだけ」のクソシステムが出来上がる。
はっきり言って日本の平均的なエンジニアのレベルは、その辺の学生未満である。
アルゴリズム、オブジェクト指向設計、メモリ管理、セキュリティ等のプログラミングの必須事項を十分に理解しているプログラマは、全体の1%もいない。
下請けのカスにもなると、ググって出てきたコードを内容も読まずコピペして、「動いた」だの「動かない」だのとやっているのが大半である。
自動テストやCI等はおろかソースコードをバージョン管理すらしておらず、本番環境へのデプロイは手動で行っており、数万行を超えるコードがmain関数にベタ書きされている等という例は珍しくない。
諸君がいくら最新技術を学ぼうが、仕事で任されるのはほとんど、そういう連中が生み出したプロダクトやツール群のメンテナンスである。
こうしたクソプログラムは、一度作られたら最後、メインプロダクトが完全に死に絶えるまで、死神の様に付き纏う。
日本で職業エンジニアになっても、何の役に立つのか分からんクソシステムしか作らないし、無能の書いたクソコードのメンテナンスで精神病むからやめろ、ってこと。
プログラマじゃないけどプログラミング完全に理解した()おばさんが理解してる基礎知識書くよ。
(追記 この文章はプログラミングの勉強をしたいけどその周辺にある基礎知識になかなか触れる機会がない人向けに書きました。これらの基礎知識があると、困ったときに調べ方すら分からないという状況は回避しやすくなるはず)
ターミナル、いわゆる黒い窓からCUI(コマンドユーザーインターフェース)でコンピュータを使う方法を覚えよう。これは大学のコンピュータリテラシーで習った。MacOSXで復習すると捗った。(追記 すごく間が抜けてたけどMacOSXはUnix系OSです)
まずはファイル操作。Macでターミナルを使って、cd Desktopって打ってからecho ohayou > aisatsu.txtって打ってみて、cat aisatsu.txtってやる。そうすると何が表示されるのか?とりあえずやってみよう。ここで>は増田の都合上大文字全角にしてるけど、ちゃんと半角にしてね。なんで増田の都合上半角がダメなのか、そのうち想像できるようになろう。(追記 ブコメ指摘感謝)
そして、実際にデスクトップを見に行ってみると、aisatsu.txtってファイルがあるはずなんで、開いてみよう。これで何が起こったのか7割くらいはわかるはず。
こういうファイル操作の基本をまず覚えよう。これこそ空気みたいなものだから。
(追記 ここも間が抜けてたけど確かにhogeって何かわからないね。直しました)
最近は何も考えなければ文字コードはとりあえずUTF-8でなんとでもなるようになってるけど、バックスラッシュとかは環境設定で出てくるように設定しないと出てこないし、その意味合い、つまりエスケープとしての使い方を頭に入れておくと後々困らないと思う。あとEOF(エンドオブファイル)とか改行コードとかもそういうものがあるよ程度には覚えておこう。これ頭の片隅にはいってないと分からん殺し的な罠にはまることがある。
これは使いたいプログラミング言語の公式サイトに行くと大抵書いてある。
でもMacだとだいぶ楽。とりあえずターミナルからgccって打ってみるとなんかCUIツールとか書いてあるものをインストールしろって言われるのでインストールする。これだけでCとかC++とかRubyとかPythonとか一通り使えるようになる。もしかしたら最近はこのインストールすらいらないかもしれないけど。
あと、シェルのコマンドとかプログラミング言語を実際に使うときはいろんなライブラリをインストールする必要があるけど、そのライブラリは管理がすごく面倒なので管理をまとめてくれるコマンドがあったりする。aptとかhomebrewとかがそういうのだから、そんなものの使い方も覚えておこう。
(追記 言語の文法を追うだけなら環境構築なんてしなくてCloud9とか使ってもいいかもだけど、プロダクトを作ろうとした時にはまだまだ手元で環境作って必要なライブラリを入れてとやった方が後々応用がきくと思うのですよ。それにそうしていくとDockerの有り難みなんかも理解できるようになっていくのではと思います)
最初に勉強するプログラミング言語は、Javaだけはやめておけ。
なんでかっていうと、Javaはオブジェクト指向言語ってやつなんだけどオブジェクト指向的にしか書けないから。古い人間だと言われそうだけど、最初は手続き型言語から始めるべきだと思ってる。少なくとも、手続き型的に書ける言語から始めるべき。
なぜそう思うのかも含めて、とりあえずおばさんが理解しているプログラミング言語の発展の経緯を軽く解説する。
最初の頃のプログラミング言語は、手続き型と呼ばれるものが多かった。
この〇〇型ってのはプログラミングをするときの考え方によって名前がついているんだけど、手続き型はまず0を作って、0に1を100回足して、最後にその結果を表示してください、みたいな、上から書いた順番通りに動くのが基本のルールである考え方。プログラムは基本的にはこうやってデータをアルゴリズムを使って変化させていって望む結果を得ている。でもこのやり方は問題も多かった。プログラム全体がひとかたまりになってしまっているので、数千行とかになるともう普通の人では手がつけられないし、人間のミスでデータを間違って扱ってしまうことがバグの温床になった。
なので、この手続き型の考えに構造化という考えが加わって、関数というものが生まれた。関数っていうのは料理のレシピに例えるとわかりやすいかも。
5:豚こまを入れて色が変わるまで炒めます。
9:火を消して8をお皿に盛り、野菜炒めの出来上がりです。
B:肉に味付けをします。
2:Bを入れて色が変わるまで炒めます。
3:Aを入れてしんなりするまで炒めます。
4:火を消して3をお皿に盛り、野菜炒めの出来上がりです。
って書ける。ここではAとBが関数。
この程度だとあまり意味を感じないかもしれないけど、これがもっと複雑なものを想像してみると、なんとなくありがたみが分かって来ないだろうか?こうすると、多人数でプログラミングをするときに、Aを書く人、Bを書く人、1〜4にまとめる人って感じで作業分担ができる。それに、バグが起きた時もAの領域でバグったのか、Bの領域でバグったのかとか、全体にまとめると上手くいかないのかとか、原因の切り分けがしやすい。
でも、プログラムがとっても複雑化すると、これでも手に負えなくなる。料理の例えを拡大すると、料理店を運営することを考えるといいかも。
料理店でたくさんの料理をさばくときに、レシピを完全に1から作ることってないと思う。Aさんが野菜の仕込み担当、Bさんがスープの仕込み担当、というように各人に仕事が割り振られているはず。AさんもBさんもそれぞれの仕込みのレシピを持っていて、最終的に出てくる仕込みがちゃんとしてればAさんBさんの仕事の詳細までいちいちシェフが細かくチェックしない体制になっていると思う。大雑把にいうとそういう考え方をプログラムで再現したのがオブジェクト指向型言語。
なので、本気で料理の初心者がいきなり厨房の仕切りを任されて上手くいくのは難しいように、構造化プログラミングのありがたみすらわからない段階でオブジェクト指向型プログラミングに手をつけても意味がわからんだろうと思うのがおばさんの立場です。
(追記 おばさんはRubyを勧めておきます。オブジェクト指向型言語ですが、手続き型的に書き下すことも出来るからです。一つの言語で手続き型構造化オブジェクト指向、全部勉強できます。メソッドも便利なのが一通りあるし、日本語を扱うのにも問題が少ないです)
次に問題を分解できるようになろう。
例えば、クイズゲームを作りたいと考えたときにクイズゲームを作りたいです、って問題は大きすぎる。
クイズゲームに必要な要素は、問題文を表示する、回答を入力してもらう、正誤判定をする、正誤判定の結果を表示する、ということだなぐらいにまず分解する。
これを実際にプログラミングしようとすると、もっと分解できてさらに問題が見えてくると思う。
コンピュータってのは創造的なことはできない代わりに、とても簡単なことをとても階層的に重ね合わせて大きな問題を解けるように作られてる。それを心するといいと思う。
これ超大事。プログラミングって本当に自分で1からものを考えなきゃいけないことってあまりない。大きな問題はあなただけの問題かもしれないけれど、それを構成する小さな問題は大抵他の誰かが解いている問題なので、調べてみれば答えが見つかると思う。
エラーメッセージが出てきたらまずググってみる。翻訳しても初心者には意味がわからないし、ググったら誰かが解説付きで紹介してくれているのでその解説を読んだりしながらエラーメッセージとの付き合い方を覚えていけばいい。
メソッドの使い方がわからなかったら言語の公式サイトに行ってみる。メソッドの使い方で大事なのは呼び出し方、返ってくる値の型とかそういうのだから、こういうところはググるよりも公式サイトに書いてあることをしっかり読んで理解する。
あと、アルゴリズムの勉強もしてみるといいと思う。アルゴリズムとデータ構造と計算量の勉強。大学の学部レベルの教科書をちゃんと読んでみると、例えばデータベースを操作するSQLというものを書くことになった時とかに効いてくる。あとは作ったプログラムが遅すぎてどうしようとかいうのを解決する時とか。
なんか深夜までいろいろ書いてしまったけど、あくまでもプログラマじゃないおばさんが書いたものなので、みんなでツッコミとか入れてくれると大変助かります。
最近iPadやらサーフェスやら、手書き性能がいいのを売りにしてる機械が多いけど、コンピュータリテラシー的に後退してるよな。
最近になって働き方改革とかセクハラとか昭和の時代から引きずってきた慣習が変わっていこうとしている。それって、さんざん馬鹿にしてきたゆとり世代が社会に進出したあたりからだと思っている。年々学生の学力が低下しているのは否定しないが、根性論で物事をすすめようとする考え方を一掃するにはカリキュラムを削りに削るのは必要だったのではないか。
それにもかかわらず、プログラミングや道徳の教科化などどんどん教える教科を増やそうとしている。文科省は考える力を養うことや新しい時代に対応するためという理由にしているが、考える力を養う点は今までの主要5教科で十分対応できる。今まで天下り的に教えることをやめればいいだけであって、別に教科を増やす必要はない。考える力をつけるためには考えるための時間が必要である。別に余計な知識を増やす必要はない。
コンピュータリテラシーについては教育すべきだと思っている。約3割の小学生は自分のスマートフォンを持っているという。いくらフィルタリングを掛けていても自分のスマートフォンから発信する方法は規制されていない。学校裏サイトや掲示板といった独自の文化を持った閉じたインターネットでは無くなった。YoutubeやTwitterにはいまや小学生でも投稿できる時代だ。気軽にTwitterにアップした画像が実は位置情報付きだった可能性があると知っている小学生はどれぐらいいるのだろうか。
新元号に変わろうとしているが昭和の時代に逆戻りしているように感じている。詰め込み教育の成れの果ては、ただ知識を暗記するだけが勉強だと勘違いすることだ。それと同じことを次世代の子供達におこなおうとしているのではないか。時間が足りず、義務教育の現場では夏休みや土曜日に授業をしているところもあると聞く。限られた時間で教えるには何を教えるかを考えなくてはならない。むやみに増やしてもコンピュータのストレージのように知識を吸収できる人間はわずかしかいない。そういう意味では、何を絞って教えようとしたゆとり教育は少なくとも失敗ではないと思っている。
現在二十代後半の自分は小学校でのコンピュータ教育が始まったタイミングの世代です。
始めは「学校へコンピュータ導入しました」みたいな申し訳程度な感じだったと記憶しています。
小学校でのコンピュータ教育の内容としてはCD-ROMを配布され、ODへ挿れるとソフトウェアが書き込まれたISOが自動起動して、そのソフトウェア上でコンピュータを学ぶという形式だったはずです。
学習ソフトウェアは勝手にフルスクリーンになるわけですが、今思えば無知な小学生がOSの設定を変えてしまわない配慮だったのだと思います。
実はこのあたりの記憶は曖昧なので学習ソフトウェアの内容は以下のような感じだったはずです。
これ以外もあったような気がしなくも無いですが、前提として私は小学生男子なので興味のないものは記憶からすっぽり抜け落ちている可能性が高いです。
この中で一番出来が良いのはパラパラマンガツールで、おそらくはプレゼンテーションなどを学ばせるためのものだったのでしょう。
時代を考えるとFlashが出始めの頃でありユーザーインタフェースや機能はFlash作成ツールから影響を受けていたようです。
ポケモンの戦闘シーンを完全再現したことでクラス内でヒーロになったのでこのツールには思い入れが深いですw
感覚として元も近いFlash作成ツールはParaFla!で、ParaFla!とペイントを足して2で割ってタイムラインシーケンスが無い感じでした。
地図を学ぶゲームも比較的良い出来で、ユーザーインタフェースはシムシティな感じでしたね。思いっきり影響を受けてるようでした。
確かストーリー仕立てになっていてクリックしてるだけで進み、地図記号とか学べるんじゃなかったかなあ?と記憶が曖昧です。
この学習ソフトウェア、どうコンピュータ教育に活かされていたか?と言えば、何にも活かされていませんでした。
教師は軽くマウスやキーボードの使い方を指導するだけで、あとは良い言葉を選ぶなら生徒の自主性に任せて、変な設定等を行わないように監視しているだけでした。
どういう指導要領になっていたかは知りませんが、コンピュータによるオートメーションを過剰評価して授業もオートメーション化出来るかも?と国は考えたのでしょうか?
まあコンピュータ教育が導入された最初期ですから実験的な意味合いも多分に含まれていたと思います。
パソコンの起動方法から始まり、ローマ字入力(小学校はひらがな入力)、そしてMS Officeへと入りいます。
このあたりは民間のパソコン教室と変わりがないかも知れません。
小学校で行われていた学習のオートメーション化への期待は無惨にも崩れたらしく、教師は手取り足取り教えてくれます。
それは新規フォルダや新規ファイルの作成方法、メールやWebブラウザの使用方法、その他今現在皆さんが日常的に使うであろうソフトウェアの指導が全く無いです。
どうやら学習のオートメーション化は不可能だと気づいたため、今度は思いっきり実用に振ってMS Officeマスターを育てるという選択をしたようです。
Wordでは文字の大きさや色、背景色、ワードアートの使用法、図の挿入、印刷などが中心に指導されます。
ワードプロセッサソフトが大好きな方は気付いたと思います。そうですWordなのにマークアップの指導が一切ありません。
完全に見た目の変更の仕方と印刷だけの指導であり、Wordなのにアウトラインとか完全に無視です。
見た目中心の指導を行うことはWordと変わらないですが、Excel関数の指導に入ると関数の意味をほとんど教えず「B1へ=SUM(A1:A5)と入力してください。はいA1からA5が足された答えがB1に表示されました。次は...」といった感じです。
生徒は教師の指示通り入力するだけで応用とかそういうの全くわかりません。しっかり理解してるのは見た目の変更の仕方くらいです。
時代ですね。こうして互換性無視なオフィスファイルは作られていったのでした。国がそう教えてましたから。
あっそうそうPowerpointとかAccessは授業でやりませんでした。
端的に言うのならば同上。
しかしPowerpointが追加されました。流石にPowerpointも教えないといけないと気付いたのでしょうか?
高校によっては工業高校や商業高校、高専ではもっとマシな指導をしていた可能性はあります。
ただやっぱり社会人から見るとツッコミ入れたくなるような指導が一部で取られていたと思います。国も手探りですから。
この年齢くらいになると学校の授業で覚えたと言うよりも独学でパソコンを習得してる生徒が殆どになっていました。
全くと言って良いほど学校の授業からは得たものがなく、エロ画像探しのほうがコンピュータリテラシーを僕に与えてくれました。
そして大学時代は教授のゴリ押しからOSがWindowsからEmacsに変わりました。
はてブで小学生向けにビジュアルプログラミングScratchが流行り始めてるんだなと知ったくらいでコンピュータ教育の授業の内情がどうなっているか全く知らないです。
なので僕が少年期に受けたコンピュータ教育を前提として「こうだったら良かったのに」というのを書きます。
コンピュータを扱うにおいてデータ管理というのは非常に大事です。
何故判りやすいファイル名を付けるのか?何故フォルダを作るのか?そういうことをしっかりと指導しなくてはなりません。
とりあえず僕も誰かに教える気になって書いてみたいと思います。
今だけ使えれば良いデータはどうせ直ぐに破棄するデータなので用途に合致すればどんな風に作っても構いません。チャットやっててウケを狙うためにネットからダウンロードする時にファイル名を「a.jpg」にするとかそういうことです。どうせ消します。
注意しなければいけないのは残り2つです。残り2つは前提として後々見たり使ったりするデータです。
このデータのファイル名を「a.txt」とかにしたら何のデータか全くわかりません。
つまり後々使ったりするってことは探すってことです。探すのに判りにくいファイル名にしてたら意味もなく違うファイルを開いて探しまわることになります。最近流行の「名前重要」です。
このジャンルのデータはある特定のフォルダ(ディレクトリ)に保存すると決めておけば探すとき非常に楽です。
そのため各OSは、例えばWindowsならば「マイドキュメント」や「マイピクチャ」「マイミュージック」などを用意してくれてます(ソフトウェアも空気を読んでデフォルトの保存先をそういうのにする)。
せっかく用意してくれているので使うようにし、もし自分でフォルダを作るときは名前重要ですから判りやすいフォルダにしておきましょう。
例えばTwitterであるジャンルの話を同好の士に読んでもらいたい場合どうしますか?ハッシュタグを付けますよね?
そうやって名前を判りやすくしておけば自分以外の他人が使う時も非常に楽なのです。
「でもよく使うデータを深い階層に置いてたら面倒じゃん」っていう意見はもっともです。
実はそのために「デスクトップ」という階層や「ショートカット」があるんですね。
デスクトップがアイコンだらけの人ってたまに居ますけど、きっとそういう人はコンピュータ教育は受けたけど保存されるデータの種類を知らない人です。あなたは悪くないですコンピュータ教育が悪い。
世の中には目の見えない人が居ます。そんな人たちがコンピュータを使えるように「読み上げソフト」ってのがあります。
まあいろんな意味で"文字通り"読み上げるためのソフトウェアなわけですが、このソフトは何も編綴もないテキストデータを読み上げるとめちゃくちゃ棒読みです。
それが更に平仮名ばかりで句読点もないテキストだと読み上げソフトは棒読みで一気に読みあげて目の見えない人はものすごく聞き取りにくいです。こんなテキストは目の見える僕たちでさえ読みにくいです。
そこで僕達は漢字を使ったり句読点を使ったりして可能な限り読みやすくします。実はこれがデータの中身にとって重要なのです。
句読点は文章を判りやすくする目印ですが、これを付けることをコンピュータの世界では「マークアップ」と言います。
読み上げソフトはマークアップされた文章だと、何処がタイトルで何処が本文というのが判別できるようになり、更に強調マークアップされている部分では音量を上げたりするので目の見えない人は非常に聞き取りやすくなります。
もしここまで読んである点に気が付いた人はかなり賢いです。その点とは「目が見えないのは機械も同じ」という点です。
マークアップされた文章は機械にとっても非常に判別がしやすい文章であり、実例をあげるのであれば検索するときに使う「Google」が検索結果へWebページのタイトルを載せてくれるのも、マークアップされたタイトルを拾い上げているからなんです。
Wordでも「見出し」と指定された行は機械的に判別され、アウトライン機能で文書の管理が非常にしやすくなったりします。
PDFでも同じでアウトライン表示されたり、読み上げソフトがPDFに対応していたらマークアップに合わせて読みあげてくれます。
少しだけ専門的になりますが、データベースとして使われているCSVファイルやJSONファイルも特定の記号を使われているのでコンピュータは楽に判断できるのです。
更にしっかりとマークアップしておけばPDFを電子書籍でよく使われているEPUBに変換するなど、他形式への変換が失敗しにくくなる利点もあります。
今まで行なってきたコンピュータ教育は正直「コンピュータ教育をしてますよ」という体裁だけを保っている教育の仕方だと思います。
コンピュータが使われるようになったから教育に導入し、MS Officeが使われるようになったからMS Officeを教え、IT市場が大きくなったからプログラミングを教える。
高速に変わっていくコンピュータの状況に合わせてしっかり教育は対応して居るように見えますが、現状のコンピュータ教育が見ているのはコンピュータの上っ面だけです。だから教育も上っ面になる。
コンピュータ教育ではタブレット端末の導入を現在検討しているらしいですが、どうみてもこれは上っ面な判断です。
コンピュータで高速に変わっていってるのは上っ面だけであり基礎の部分は。ハッカーが使ってそうないわゆる黒い画面、つまり端末(コマンドプロンプト/ターミナル)の頃とあまり変わってません。
その基礎を教えずしてOfficeだのビジュアルプログラミングだのを教えても生徒が得るものは何もないと言って良いと思います。
正直この記事は総合職さんやプログラマさん、エンジニアさんから見たら「なにそんな当たり前の常識的なことをドヤ顔で記事にしてんの?」って嘲笑されるような内容です。
その嘲笑されるような内容をコンピュータ教育はできていないわけです。
これWindowsじゃなくたって教えられること、最新ハードじゃない中古のPC-98でだって教えられること、中学生以上は持ってそうなスマホでだって教えられることです。
主です。返信ありがとうございます。
自分は情報リテラシーは低いと思ってます。「ホントは○○の話」というのがホントにホントなのか判断できないですから。
皆さんがどうやって情報の判断を行っていらっしゃるのかわからないですが、とりあえず何か疑問に思ったらリファレンス共同データベース(http://crd.ndl.go.jp/GENERAL/servlet/common.Controler)で同様の問題にぶつかった人がどのような調査方法を行ったかを調べたり、新書マップ(http://shinshomap.info/search.php)やWebcatPlus(http://webcatplus.nii.ac.jp/)で類似語などを検索するまではいいんです。そこから取捨選択をすることができずに、情報を検索することが目的となってしまっているのが問題なのでしょうね。
コンピュータリテラシーはそこそこでも、情報リテラシーは低い。。
それでもどこでいつカンファレンスが行われているか、どういう人が活動していてどの辺にコンタクト取っていけば良いのかというのはネットで知る事ができる。これだけで格差はかなり減ってる。
自分の場合カンファレンスが行われていることを知るのが遅いといのがあります。アントニオ・ネグリが来日すると知ったのは入国拒否された日だったという思い出が。
コンタクトを取ることができるくらい行動力があればいいのですがなかなかできないですね。
絵でも音楽でもプログラミングでも、早い時期から高いレベルに沢山触れられる。これが一番勉強になるし、本当に作りたい人にとっては、いい作品に触れること自体が刺激になり、向上心に繋がる。
Europeana(http://www.europeana.eu/portal/)を見ることができるのはネットのスゴイところだと思います。ベートーベンによる第九、ショパンによる手書き原稿を見ることができるなど刺激的ですよね。ほとんどのジャンルはhttp://www.doaj.org/を見れば刺激を得ることができますし。
そのために努力できるか、学べるかなんていうのはネット、非ネット関係ない。ネットだから教育しないといけないとか意味わかんない。やるきのある奴ならほっといてもやることだし、ネットがその敷居を低くしている。
前のでも書いているのですが自分から動いている人は問題ないのです。問題なのは受動的に動いている人ですね。自分が受動的な人間なのでやってくれるとありがたいですが。何が課題かがわからない状態が多いのです。R25的に言えば、問題を解けるよりも解ける問題を作れる人のほうが偉いと思っちゃいますね。
あと思うのは黒板に板書する時間の無駄さである。今の授業は先生が黒板を更新するのに5分使うが、プロジェクタなら0.2秒で出来る。色だって黒板ならせいぜい8色だが、プロジェクタなら軽く5色じゃなくて5桁は行く。画像だって表示できるし、動画だって見られる。綺麗に板書をノートにうつすのが授業じゃない。
うちの教授がそんな授業をやっておりました。確かに教授からすれば同じ内容を板書だなんて非効率な作業したくはないもんな。
でも、これがノートに写しづらかったんだわ。黒板に手書きした文字を写すのは、パワポを書き起こすのに比べてこんなに楽かと、このときに気づいた。
そんでノートに書き取る時間もなかった。話しながらパワポをプレゼンしてる人の資料を書き写したことあるかい?普通はそんな必要ないからやらないし、プレゼンなら保存したい人はデジカメでプロジェクタ画像を撮るとか、後で資料をもらうとか、そもそもハンドアウトがあるとかだけど、書き取るしかないんよね。(デジカメ以外は単にうちの教授の落ち度だけど)
で、ノートを取らずに漫然と聞いてると眠くなるし、頭にも入らない。(これは俺の落ち度)
だから、良いところもあるけど、良いところばかりではないような気がするよという話
先生側も生徒側もコンピュータリテラシーのある層(ちなみにここで言うコンピューターリテラシーっていうのはチャットとかでの議論力も含む)、感覚的に言えばコンピューターリテラシー偏差値60以上の層をすくいとってむちゃくちゃ最適化した授業をしてみたい。そういう塾を作ってみたいと、最近思う。私塾イズムってやつだ。
これは面白そうだなー、一般企業にいても周りはあんまりリテラシー高くないので、IT系(笑)で面白そうなことやってる人たち見ると羨ましかったりする
なんでパワポのプレゼンを紙に写すのだ?^^; 先生がPC導入したら、生徒側だってデジカメとかパソコン持ち込めばいいでしょうに。
6年くらい前の話だからそこまで先進的じゃなかったのですよ。あくまでもパワポは教授が楽をするためだったのです。
実はデジカメで黒板撮影してみたこともあります。でも、授業してる先生のパワポを生徒が写メなり、デジカメなりで撮影してる状況想像してみてよ。当時かなり異質な行動に見えたのよ。だから先生が後ろ向いてる時に撮影したんだけど、やっぱりかなり怪しいよな。これが生徒全員が写真撮ったらどうよ?やっぱりデジカメで板書を写すのは現実的でないようですね。
ちなみに別の授業でPC使ってノートを取ろうとしてみたこともあるのですが、数式エディタとか使わないと数式が写せなかったり、数学の記号とか出せなくて苦労するんだよね。
だから元記事の人が書いてるみたいに、授業は話を聞くだけで、資料は配布というスタイルにしちゃうとその辺の困った点は解消できるんだと思った。そうすると手で書いて覚えるってのがなくなっちゃうのはデメリットだとも思う。