はてなキーワード: うつとは
平家物語の海外の反応で、平家はなぜ後白河法皇を殺さないのかと言うのがあり、なんで殺さんのだろうと考えた。
でも反乱を起こした高倉上皇の兄弟は殺していたから、天皇家を殺すのは場合によってはいいんだよな。
見ててどうしてもヒヤヒヤするとこだから、源頼朝を殺さないとこから謎すぎるし、まとめて殺してしまったほうがいいのでは?ってどうしても思ってしまうけど、多分なにか都合悪いんだよね。
後白河法皇殺したらどうなるんだろう、逆賊平家うつべしって日本全国の武士が反乱起こすのだろうか?
でも天皇でもないのに後白河法皇の死にそこまでの重さはあるのだろうか。
そもそも天皇家は神道の権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。
昔は仏教と神道密着してたのか?神の子孫の天皇家がバンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。
仏が神より高い位置にいたとか?
本気でわからん。
めちゃくちゃ朧気だったけど、ここまで日本史わかってないとは思わなかった。
15年前の最悪な店とは違うとみんなが勧めてくれたから早速行ってきた
15年前の蛍池の店は腐った水の記憶があったけど、もはや水はセルフになってたしわざわざ取ることもなく飲まなかった
7歳娘と3歳息子連れて家族4人で行って、みんなが勧めてくれたやつ一通り頼んで値段は4000ちょい
なるほど、確かに安めではある
お味のほう
勧めてもらった中ではフリコがうまかったかな
エスカルゴは何十年ぶりに食べた気がする
味付けはどれもはっきりくっきりの濃い味
王将→ガスト→マクド、の順に素材の味が消えて調味料の味が立っていくとするなら、サイゼはガストとマクドの間に位置する味
こういうはっきりくっきりの味で、マクドほど完全なジャンクに振り切らず、野菜も含め色んな品を食べれて、炭水化物もいっぱい食べたので、食事後にはすごい満足感があった
高級な繊細で美味しいもんて、気分は満足してても体は物足りなかったりするし、こういう心底満足感与えてくれるのはいいよな、さすがファミレスだよな、と思ったね
美味いとか安いとかの良さより、食事後の満足感、納得感、これ大事だね
サイゼの最大の売りは満足感やな、これ間違いない
もうちょい踏み込んだ味の話
やっぱり味ははっきりくっきり濃い味過ぎた
子供が食べてた旨辛チキンみたいな骨付けのやつは、中までしっかり味がついてて、外も揚げに近くて、マックナゲットを本格化させたような味だった
もちろんそれよりもうちょい美味いけどね
ミネストローネも美味しかったし具がいっぱい入ってるけど、具の味より調味料の味が勝つくらいにはしっかりした味だったなー
美味しくはあるんだけど低俗、つまりジャンクフードの味だったのはやっぱり否定しきれない
これはあれだ、居酒屋の味付けだわ
そう言えばネットの雰囲気も、ワインの話が多かった気がするし、飲んで初めて真価を発揮する店なんだわと思った
残念ながら、妻はペーパードライバーで、いまは田舎に引っ越したから車じゃないとサイゼ行けないんだよな
サイゼ飲みを試せるのは何年も先になりそうや
あと、こういうわかりやすい味付けは美味しいのだけど、こういうのばかり食べ慣れるとこういう味しかわからなくなりそうな気はした
ネットでサイゼ褒める人は、もちろんほとんどが、ローソンのパスタもなかなか美味いぞ、みたいな意味でサイゼ美味いと言ってるんだと思うが、おそらく少数はガチでこういう味しかわからん人が絶賛してるんだろうなと思った
個人的にはローソンのパスタ好きだから、それを悪いと言うつもりはない
いや、サイゼ美味いよね
東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。
この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。
経緯を増田に簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。
僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。
いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。
元々、どこから湧き出てくるか不明な死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体が自傷行為」なのである。
学生時代も挫折と絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。
趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。
私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定誰からも愛されることは無かった。
誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。
婚活で出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。
いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しかし手帳を申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。
処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度を計算しようと誓った。
いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。
サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。
「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。
元職場の上司が菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会で表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞に連続で当ったことも、一度や二度ではない。
そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。
もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタの飼育もはじめようと思い付いた。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と
文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
さらに文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。
文章の推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャでコミュ障傾向にあるが自殺願望や希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである。彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女に文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちやInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングがピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私がナルシストでニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
あのYouTuberが配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
なぜ、みんな黙って従っていられるんだろう。寒くないのか?
高い家賃が払えない底辺社畜な俺は、1時間以上かけて郊外の始発駅から都心の終点まで通勤している。
空調装置がばっちりなリッチな路線と違って、貧民な俺ごときが使っている路線は窓を5cm~10cm程あけて換気するというアナログな方法をとっている。
これがもう本当に寒い。なんせ、電車の速度で風が吹き込んできやがる。
風速があがれば、体感温度は著しく下がるっていうアレだ。
ダウンを着込んで、車内でもマフラー手袋をしてできる限りの対策をしているが、
ここ数日の寒波でもう限界だった。怒りのあまり、こうして増田に怨嗟を書き散らしている。
寒いっていうのは人の精神を著しく破壊するということを実感している。
冬になっても窓開けを強要するのはやめてほしい。
コロナにかからなくても別の病気になりそうだ。というか体温を犠牲にするのはコロナ対策の観点からもあんまりよくないんじゃないかと思うのだが。絶対に免疫機能が落ちてる。
そもそも、電車は数分に1回、快速や急行でも数十分に1回はドアが開くわけで、
窓を開けて常時換気する必要が一体どれほどあるのかと。
少し前、途中駅からのってきたおっさんが、5cm程度開いていた窓をぐっと限界まで下げたあげく
かんぽの営業以外の仕事は好きで安い給料ながらも仕事をしていた。
人間関係やワークライフバランスも良い。
新卒で配属されて最初の数年はかんぽ営業ができる人がいてその人が局ノルマを達成してくれて自分には強く言われず、居心地がいいまま過ごせた。
異動してかんぽ営業をするようになってから蕁麻疹が出始めた。しかしかんぽの不祥事が出て営業が無くなった。ストレスが消えた。
昨年の12月末ごろからノルマが戻ると聞いて、徐々に体調が悪くなった。そして今に至る。
以前のような詰められ方に戻るのではないか、お客様本意と言いながら設計書の枚数を報告させるのはどうなのか、時代遅れの商品を民業圧迫と言われてまともに開発できないまま引き続き売り続ける体制に不安と不信感がある。
一つでも勧められるような商品があればいいのだが個人的にはないと思うし、窓口に来る客なんて大体同じで高齢者も多い。高齢者に売ったところで実績にならないようになったしリスクでしかない。若い人なんてネットで調べて自分に合うものを探すから売りにくい。逃げていく。
手取り13万で郵便、貯金、保険の窓口業務とそれぞれの営業、そしてがんしか扱っていないアフラックの営業やれなんて正直しんどい。局長なんて業務まともにできないのに私の3倍以上もらっている。馬鹿らしくなる。
こうなる前に転職してしまえばよかったのだが、ストレスなく働いていたので思いもしなかった。
郵便局の窓口なんて潰しが効かない。年齢的にも微妙な年齢となってしまった。
12月ごろから転職活動もしているが上記の事と、転職相談すると続けた方がいいよと言われることが多く、かつどの仕事もやっていけるかわからないと思うようになってしまい、尚更自分を追い詰める。精神的にどん底で何もかもに自信がなくなった。
幸いにも郵便局は福利厚生が良く、休職してもしばらくは給料が出る。その間に自分に自信が持て、できる仕事が見つかればいいのだが…。
たとえばですよ、
「お前はイヌを食ったな、愛らしい動物を食うなんて最低だ、ぶっ殺してやる!」という意見があったとするじゃないすか
それに対して、
「そういうお前だってウシを大量に殺しては食っているわけですが…」みたいなコメントをつけるやつ、いるじゃん
アレって、
「俺たちは互いに罪深いのでもう殺し合うしかない。お前が俺を殺すのに対し、俺もお前を殺します」っていう意味なの?
それとも、
「お前も同じことやってのんに俺は許してんだから、お前も俺を許してくれよ!やめようぜ!」っていう意味なの?
結構本気でわかんないんですよね
インターネット喧嘩が起きてるとき、大抵どっちかのサイドはなんらかのダブスタをやってるので、指摘の隙はどうしても出てきて、そうすると指摘マンがニョキニョキ生えてくる
どういうつもりなんだ
互いに訴訟しあって骨まで喰らいあうしかない!(戦闘狂)なのか?
こんなんで訴訟してたら君も訴訟されるぞ、考え直せ!(平和主義者)なのか?
戦闘狂なんですか?みなさん……
何より働きすぎやと思うわ。
老化か、働きすぎか、鬱か、疲れか、たまたまか
症状:
何かにハマるみたいなことがない
とにかくボーッとする
生存意欲がない、喜怒哀楽が薄い、お笑いとか見て笑うことはできる、性欲も薄まってきた(他人よりは強い)、物欲が薄い
何にハマってたか思い出してみる
→漫画、アニメ、ゲーム、音楽、小説(読む・書く)、絵(描く)を趣味にしていた
大学〜29歳くらい
→天下取るようなビジネス作りたいと考えていた、鬼のように仕事した、ブログとか書いてた
27歳〜29歳
〜31歳
→とあるシリーズ見てた気がする、あとラブコメとか エロに貪欲だった気がする
ここまで意欲的だったと思う
33歳頃
この時点で疲れていたのを覚えている
〜35歳頃
ハマれば意欲的になるが基本疲れている感じだったと思う
仕事では1500万超えて飽きてきたあたり
36歳頃
今
マッチングアプリ始めたけど飽きつつある、というか脳がボーッとする
アニメ見てるけどかなり惰性
デートスポット思いつかない
何にも意欲的になれていない
流されるまま
単にハマれる対象が無いだけなのかもしれない
あとはコロナ鬱か?
うーーん
あと数ヶ月で20になる。
幼稚園から今日まで別学に通ったことはなくて常に周りに異性がいる環境で育った。今は異性の方が圧倒的に多い環境に身を置いている。
それでいて恋愛経験どころか好きな人すらいたことがないことに焦りと不安が押し寄せている。
やや精神的に幼いことは自覚している。しかし、しかしだ。幼稚園から小学校の年齢にあるあるの〇〇ちゃん/くんすき~♡が起こったことがないし、そもそも恋愛の好き/友達の好き/家族の好き/の違いってなんだ?全部同じ好きでしかないからその違いがわからなくて困る。好きに種類があるのか?どういうこと?
最近1番長い付き合いの友人に恋人ができたのも焦りを助長させた原因でもあると思う。高校時代にクラスメイト達が恋愛に明け暮れるのを見て「まだわかんないな」なんて笑いあってたのにほんの数カ月でこのザマだ。置いてかれた気持ちだ。つらい。
ちなみにその友人に友達と恋人の好きの違いを聞いたが特に違いがある訳では無いと返事が来た。ますます分からない。
高校時代、周りの恋愛話についていけなかったことがトラウマになっている。
恋愛小説も読むし恋愛の話を聞くのが好きだが、コンテンツの消費という見方が強すぎて現実世界に落ちてこない。
新しく出来た友人たちも、恋愛経験はともかく好きな人がいたことくらいはあるらしい。別学出身者でさえも恋人持ちだし、もうついていけない。