はてなキーワード: 掲示板とは
例えば今から急上昇ワードの掲示板を見に行くとしよう。高確率で「削除しました。」レスに出会うだろう。
まあとんでもないレス荒らしがいるのだ。こいつの目的は自身の動画の宣伝及び逆恨みしているコラボ企画への参加及び批判。このために複垢を使っているのだからなかなかだろう。
細かい話はヤツの単語記事を見に行けばいいだろう。名前を書きたくないのでゆるふわもしくはアライさんと検索してほしい。
こうも言ったが今のところ本人と完全に確定こそしていない。しかし初期の頃はともかくここ数日の動きは本人そのものと考えて間違いないものがある。本人だと指摘した瞬間レス数が突然増加するのだから。
ここまで書いたがニコニコは特定IPやユーザーへの規制を行うことがほとんどないのだ。そのために腐れ外道の横行を許すことになる。困ったことにこいつを完全に止める方法が見当たらないほか、動画投稿も普通に続けている。もちろんこいつは動画へのコメントも規制してるし動画が上がれば他の動画に荒らしが来る。突然無関係の人物の大百科記事に大規模荒らしまでする。逆恨みしてる企画の参加者どころか関係ない2434のライバーの記事までだ。要するにただの糞だ。
奴に求めるものは自分がしているのならば謝罪と垢削除、自分がしてないのならば謝罪と注意喚起だ。当事者でもないが少なくともアソコを荒らす原因となったのは事実なのだから。
ソース貼っとくぞ
(他も多いけど僅差で、とかではなく明らかに飛び抜けて多かった。
連投規制なんかないからリロードする度に次の書き込みがあるし、1000で終了でもなく際限なくスレが伸びるから
歴史修正やめたら。
とにかく今(というか10年前と比べても)より遥かに人が多くて活気があったから
テレホタイム(死語)になると数秒で次の書き込みがあるからスレもすぐ数千レスになって
負荷に耐えられず頻繁にログ吹っ飛んで全部消えるけど、その度にすぐ次のスレが建てられてまた数千…ってな世界だった。
後の2chでも実況板はそんな感じだったけど、当時は同人板がそういう感じだった。
今みたいに板が細分化もしてなくて、同人関係は同人板(同人コミケ板って名前だったけど)一つだけだったから
(男性向けスレもあったかもしれないけど覚えていない。女性率高すぎて全く目立たなかった)
「同人関係ないのはそれに適した板でやれよ」「ここが一番人多くて盛り上がるからいいじゃん」ってやり取りもよくあった。
(ルールが確立した後の2chなら板違いな方が速攻で追い出されたけど、当時はカオス状態なのでさほど板違いにも厳しくなかった)
その後最初期の流行が落ち着いたのか人が分散したのか同人板から人が減り、
同人関係以外の人たち(男性多数含む)も2chに入ってきて他板も人が増えて同人板よりニュース系板の方が人口が多くなり、
2ch発の事件だのが起きて報道されて有名になって更に人が入ってきて、
気付いたら「2chは元々男のための場所だったのに女が後から入ってきた!」と言い出す男が多数存在してましたとさ、ってな状況になってた。
SNSなんか無い&個人サイト作るのもハードル高くて有名人というか企業が作ったサイトを見る人が多かったし
その中でわざわざ個人サイト作るってのは大体オタクが多くて女が多かったし
(2ch初期も同人板が一番人口多くて今と同じく女ばっかだったんだよな)
学生がメインだったし
※気持ちを整理するために吐き出します。差別的な意図はまったくありません。
タイトルの通り、ツイッターで彼氏のゲイアカウントを見てしまった。
ちなみに私は心身共に女として生まれ育ち、男性を恋愛対象としている。
彼とは付き合って半年になる。
一年下の後輩で、話していて面白いし、一緒にいて落ち着く。恋愛対象としてと言うよりも、一人の人間として好きになった。
自分の意見をあまり主張せず、その場の空気を読んで他人にさりげなく合わせる。そんな姿を見て、この人に我儘を言わせてあげたい、この人をめちゃくちゃに幸せにしたい、と心から、恋愛感情を抜きにして、そう思った。
それくらい彼という人間が好きだった。
一緒に仕事をするようになってから、日々の業務や他愛のない会話を通じて、もっと彼のことを知りたいと思った。
そして、徐々に休日に遊ぶことや、お互いの家でご飯を食べたり、私が彼の家に泊まったりすることも増えていった。
もちろん、彼とセックスをしたことはないし、キスすらしていなかった。
周りからは、いつ付き合うのか、もう付き合っているのか、と頻繁に聞かれた。
その頃には彼のことを一人の男性としても好きになっていたし、彼女になりたい、触れたい、触れられたい、と思うようになっていた。
いくら楽しく遊んでも、いくら彼と同じベッドで寝ても、出会ったころには言わなかったような我儘が少しずつ彼から出始めても、彼は私に恋愛としての「好き」は言わなかったし、手も出してくれなかった。
ただ、おそらく先輩としてのであろう「好き」は言われることがあった。その度に苦しくなった。
そして、職場での異動を目前にして、彼に今後どういう関係でいたいのかを聞いてみた。
深夜、ドライブをしていた時だった。
彼からは、今まで通り仲良くしたい。人として好きだが、付き合うことはできないと言われた。
彼がバイであり、叶わないと分かっているが、気になる男性がいることも打ち明けられた。
私はその答えが受け入れられなくて、人として好きだと思ってくれているのなら、私と付き合ってほしい、あなたの彼女という肩書きがほしい、と食い下がった。本当に自分のことしか考えていなかったと思う。
結果、彼とはお付き合いを始めることとなった。
デートをして、お互いの家にお泊まりをして、以前より遠慮なく彼に触れることができる。ハグもしたし、一度だけ、キスもした。
付き合う前よりも距離感が縮まった気がしていたし、彼も楽しんでくれていたと思う。
でも、彼は自分のことをバイだと言ったが、本当はゲイなのではないか。本当は女である私に触れられたり、甘えられたりするのが嫌なのではないか。私の好意は鬱陶しがられているのではないか。無理をさせているのではないか。そんなことばかり頭の中でぐるぐると考えていた。
聞きたいけれど、聞けなかった。聞く勇気が私にはなかった。
そして昨日、ツイッターで彼のゲイアカウントを見つけてしまった。気持ち悪いだとか、彼がゲイであることにマイナスの感情は一切ない。
私のことをどう思っているのか、知りたかった。
彼は、アプリや掲示板で男性と会って、デートやセックスをしているようだった。
職場の男性や、街で見かけた男性への好意的な言葉。ただただ素直に吐き出される欲求。
そこに私への感情は一切なかった。「彼女」の存在はあるが、それに対する好意はおろか、嫌悪の言葉すらなかった。
今、私は悲しいのか、怒っているのか、分からない。どうしたらいいのか分からない。
彼が少なからず私のことを好きでいてくれたら、キスができなくても、セックスができなくても、それでいいと思っていた。
ただただ、分からなくなった。
一緒にいて楽しそうに笑う彼も、私の何気ない一言に大笑いしてくれる彼も、眠っていると無意識にくっついてくる彼も、何が本心なのか分からない。
それでも、私は彼にツイッターのことは聞かないし、これからも一番聞きたいことは聞けないのだと思う。
苦しくても、まだ私は彼のそばにいたい。
17歳のころ当時、セフレだった22歳のお姉さんに気持ちいいことしてあげよっか?と言われ、ローションと綿棒で弄ばれる。これが初のアナルへの挿入。
19歳の時に付き合った同い年の彼女がどこで覚えたのか、指によるアナル開発をしてくる。これで一気にハマったと言える。
その後、自分で指でするぐらいだがまだメスイキには達しておらず、あくまで射精オナニーの補助的な楽しみ方。そのときに、ニューハーフAVの逆アナルファック映像に自己投影することを覚える。
21歳大学卒業半年前。関西では有名なアナル攻めのM性感にハマる。卒業までに4回は行く。ここで、アナルバイブやペニバンで犯されることにハマる。
22歳上京。ずっと見ていたニューハーフAV嬢がデリヘルで働いてることを知り、早速呼ぶ。はじめての他人ちんぽに興奮しむしゃぶりつく。四つん這いにされ、アナルバイブ突っ込まれた状態で口にちんぽ突っ込まれてイマラチオさせられてるときに恍惚とし、人生の意味を知る。その後、本物ちんぽで初めてアナルを犯されトコロテンを経験。
その後、自分でアナルバイブ、エネマグラ、ディルドなどを買い揃え、25歳ぐらいで自分でドライオーガズムに達する。世界を理解する。
そこからアナル性感、ニューハーフヘルスでガンガン悟りを開いているときに神の啓示を受ける。「純男のちんぽを味わいなさい」
29歳、ゲイ掲示板やTwitterでそのほか同じような境遇のノンケの出会いを通じて男にも抱かれるようになる。
30歳、アナルオナニーしている時にドライオーガズムしながら潮吹いたりトコロテンで精液が漏れ出すようになる。
どう言えば分かって貰えるのだろうか……。
そもそも論として「障害者の社会的立場について語ることを、貴方の承認欲求や宣伝に利用することは、障害者にとっては迷惑でしかないですよ」というのを語るべきなのだろうか?
分からない。
図が必要だ。
多くの人間が自分のメガネでしか世界を見ていないことをまず説明しなければ。
「男の犯罪者が出てきたのを論拠に男は犯罪者であるかのように語るべきではない。つまり、犯罪者として漫画作品に男性を出すべきではない」といった論調そのものではないかということを理解してもらうにはどうすればいいのだ。
いや、本気でコレを正しいと思っている人がいるのかも知れない。
だが待ってくれ、それは結局異形であることが社会の敵であることに結びつくというエレファントマン的な問題を孕むではないか。
問題の始まりは「特定の事例を持って、それがこの世界における特定の法則の証明と即座に結びつけるような短絡的な思考を辞めるべきだ」という所ではないのか?
そういった考え方を植え付けてくるような真似を世の中の多くの創作物はやっておらず、やっているものがあるとしたらマスメディアや教育者のたぐいであるように思える。
マスメディアが「こういった傾向がある人達は、こういった行動をしますよね」と血液型占いの延長のような態度で様々なステレオタイプ論を量産していったことがまず背景にあり、創作物や雑談の中に出てくるような人物像に対して、それが肉付けされたと勝手に感じているだけなのではないか?
つまるところステレオタイプというものは肉付けとなるものを自動的に収集する機能を持った骨子なのだ。
そして、その肉にされてしまうものの意図などその骨子自体が持つ吸着力の前では無力となるのであろう。
だが外側から見れば、既に骨子が寄せ集めた肉の上にまた新たな肉が自分から覆い被さる用に見えてしまうのだ。
そういった誤解を招くような巧妙な仕組みが、ステレオタイプ論の中にあることが問題だったのだ。
敵はマスメディアにあり。
もうじき三十路という年齢で、やっとこさ正社員で、初めてのボーナス。夏のボーナス。今まで関係なかったので、明細を渡されて初めてボーナスが支給されると知り、信じられなくて会社の掲示板のお知らせを見て自分が対象であることを念入りに確認した。
一言で言うと、良かった。
こんな金額を貰っていいのかと驚いたし、同時に今までの色々が腑に落ちた。
そりゃこんだけの金額をもらったら、不満を言いつつ辞めないし、交通費が高い上に混むお盆の時期に旅行にも行くし、家族旅行でハワイだの行くし、夢の国へ通い詰めるし、実家暮らしの貯金は1000万貯まる。
そりゃこんだけの金額をもらったら、連泊でコミケに行くし、豪華な装丁のアンソロ出すし、思い切って液タブ買っちゃうし、ガチャも天井まで回す。
何でこんな日記を書こうとしたのかというと、某匿名掲示板で「コンテンツについて不特定多数の人と楽しみを分かち合うことは普通に価値あることでは?」と言われて
あまりにも気持ちが悪くて吐きそうになったからです。その掲示板の流れの中の文脈で言うと、要するに、「作品を褒め合う馴れ合いのコミュニケーションに価値がある」と言われてたんですね。
もうね、馬鹿かとアホかと、小一時間問い詰めたい。
これに対する反論が「賛辞はいらない、金を落とせ」っていうのは
流石に文意を読めてなさすぎでは…。
感想を言い合う、楽しみを分かち合うって行為が「視聴者にとって」価値があることだよねって話でしょ
元の文が抜粋だから断言はできないけど、製作者に向けた話ではないと思う
釣りだろうけどさ
私達が欲しいのは「金」と「数字」であって、感想は別に求めてません。
それを理解していない消費者が多すぎるから苦言を呈させていただきたい。
何でこんな日記を書こうとしたのかというと、某匿名掲示板で「コンテンツについて不特定多数の人と楽しみを分かち合うことは普通に価値あることでは?」と言われて
あまりにも気持ちが悪くて吐きそうになったからです。その掲示板の流れの中の文脈で言うと、要するに、「作品を褒め合う馴れ合いのコミュニケーションに価値がある」と言われてたんですね。
もうね、馬鹿かとアホかと、小一時間問い詰めたい。
素人同士が書く作品の感想には、ハッキリ申し上げて「良い感想」も「悪い感想」もありません。
わかりますか?
「消費を促すコミュニケーション」に価値があるのであって、それが「楽しみを分かち合うこと」である必要性は全くないんです。
貴方達が何かを褒めていて、それが消費を促すならそれは価値があることです。
逆に、貴方達が何かを貶めていて、それが消費を促すなら、それも価値あることなんですよ。
文春砲だの何だのと言って他人のゴシップを語って他人を傷つけて、ネガティブなコミュニケーションが生まれようがなんだろうが、文春が売れてるならそれは価値があることなんですよ。
「不特定多数の人と楽しみを分かち合うこと」という馴れ合い自体には何の価値もありません。深く胸に刻んで欲しい。
数字は欲しいですよ。
何万RT、何万いいね、これは消費を促す傾向がありますからね。だからいいねとリツイートは欲しい。統計的に。
そういう意味で、「数字」は欲しい。でもね、感想は要らないです。
ハッキリと申し上げてしまうと、書き殴られた素人の方の感想を作品の軌道修正に使うことはあまりありません。
購入後のアンケートなどの意見は参考にしますが。SNS上のコミュニケーションは無駄なので観測していません。
ここから下は個人的な意見です。商売人としての意見ではありません。
何で今のインターネットって、正しく自分を卑下できない人がこんなに増えちゃったんですか?
みんながゴミだからいいんじゃないですか。世界の石ころが全部ダイヤモンドだったらダイヤモンドに価値なんてなくなっちゃいますよ。
匿名での意見や言葉というものに一切価値はない、という方が気持ちがいいじゃないですか。
『誰でもない何か』という最高の無価値を、何故投げ捨てようとする人が多いのか理解できない。
この世で無法というものは最も価値があるものなのに。素晴らしき自由と無責任を何故自ら捨てようとするのか理解できない。
そもそも、この世界で価値がある文章というものには全て値段がついています。このテキストに価値がないのと同じです。
つまんねーんだよ死ねカス作者どんな教育受けてきたんだ?というテキストと何万文字にも及ぶ誉め言葉は同価値で0円だということです。
本当に価値のある誉め言葉ならnoteでも何でも使って、有料記事にしてみればいいじゃないですか。
価値があるということは責任があるということです。有料のコンテンツにはその分の責任が発生します。
しかし、無料の感想なんてものには何の責任もいらないんですよ。それでいいじゃないですか。だから他人が自分の好きなコンテンツをけなしていても、それを修正しようとか思わなくていいんです。
クリエイターと消費者を繋ぐのは馴れ合いのコミュニケーションなんかじゃない。金です。
だからね、別にいいんですよ。別に作品をけなそうがなんだろうが金を払ってくれるならどうでもいいハズです。
万人に褒められるような作品を作るなんて責任負いたくないんですよね。息苦しくてやってられないですよ。
でもね、支払ってくれた金分はキッチリ楽しませますよ。それ以上の責任は負いたくないということです。動作不良修正以上のアフターサービスはクリエイターの保証外じゃないと嫌なんです。
褒められるために頑張るのではなく、金のために頑張る。これが一番素敵なことです。