はてなキーワード: 便器とは
単純な興味として。
今、連載してる漫画でもあるし過去、性別不明もしくは性別を偽ってる同居人がいるってシチュエーションが主人公、サブキャラ問わず描かれた例があるけど、隠しきれないんじゃないかと思う点がある。
豪邸とかある程度広い家ならありえるかもしれない。
ただ、小用してると音でバレるんじゃないか?
男なら立ってすれば腰の位置から液体が便器に溜まった水に当たる後でバレるから座ってすると思う。
女の小便は勢いがあってトイレのドアからある程度離れててもはっきり聞こえる事が多い。
男が座ってした時の小便はほとんど音がない。
家主が女なら外出先で音を気にして音姫を使ったり、水を流しながら小便をしたり自分がしてるからはっきりわかるはずだ。
家主が男なら女の家族や彼女なんかの音を聞いた事あるかもしれないし、そういう経験がなくても自分の股間でしないような音がしたら気になるだろう。
公園管理に携わっている者だけど、マジで最近盗撮が増えてて対策がしんどい
定期的にカメラが仕込まれていないか見て回ってるんだが、数年前に比べると見つけたカメラの数が倍くらいになってる
カメラ発見の効率が上がったせいもあるけど、それでも年間で100個を越える回収率には正直言って引くしかない
公園のトイレって設備が古いものが多くて、清掃も頻繁にはできないからカメラを仕込む隙がありすぎるんだよな
仕込んである部分だけど、例えば音姫とか水を流すセンサー部分だな
スピーカーのところに穴がたくさん開いてるだろ?そこに仕込んである
それからサニタリーボックス、掃除用具入れ、便器内、水タンク下など
フック状のものも確認されてるので、扉に妙なフックがついていないか注意して
4.質の高い教育をみんなに
8.働きがいも経済成長も
無理!
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさを守ろう
16.平和と公正をすべての人に
中国が公正になったら暴動だらけでサプライチェーン崩壊(コストアップ)
めちゃコストアップするけど、そのコストは国や大企業、上級国民が払ってくれるの?
もしSDGs達成のためにお前も金払ってな、って言われたら俺も貧困ですがと言いたい。
「でも、君はアフリカで毎朝片道2時間かけて水汲みしてるニシャンタ君より裕福じゃん」とか「でも君はミャンマー内戦地帯でサポート切れの中古のWindowsで通信兵やってるポポンガくんよりIT勉強できる環境にあるじゃん」とか言われたら、ダシに使うそいつをぶん殴りたい。
みたいなコメントをちょくちょく見るんだけど、むしろこれほど効果覿面な方法もないよ。
洗脳で一番大事なのは「過去の常識を如何に捨てさせるか」なんだよね。
それまでの価値観を自分達の都合がいい価値観に塗り替えるときに邪魔になるのが常識。
そのためには「常識を捨てないと苦しむだけだから一度手放そう」と思わせるのが手っ取り早い。
精神に負荷をかけつつ、そこから逃げるための手段として「常識を一度手放す」という道を用意すること。
だから素晴らしい。
汚い掃除をするなら手袋をしたほうがいいし、モノを吹いたり磨くなら雑巾やブラシを使ったほうがいい。
だからいい。
素手で便器に触れるという体験は誰しも苦痛であり、その中で逃げ道を求める精神は「今までの考えが間違ってたんだよ」「実は今まで嘘を教えられてたんだよ」「だからこれが普通なんだよ」という声をかけるようになってくる。
それ以外に「やっぱりおかしい。この命令を出したクソバカを殴り殺そう!」という声も聞こえているだろうから、それを如何に押し留めるかは大事。
先にある程度相手を支配しておいて「命令には逆らえない。逆らおうとするのは無駄な努力」と思わせておかないと駄目。
学校教育や研修で素手トイレ掃除が有効なのは既にその空間の中に強い同調圧力と力関係が存在してて、個々人が支配者を殴り殺す選択より常識を捨てることを選びやすくなってる状況だから。
素手のトイレ掃除で常識を捨てる感覚、「常識を捨てたら気持ちが楽になったという成功体験」を与えられれば洗脳ボーナスタイムの始まりだよ。
負荷を急激に増やしすぎないように気をつければどんどん「間違った過去の常識を捨てましょう」が通るようになる。
この状態に持ってくのって他のやり方だとけっこう大変で、合宿とかでひたすら心を削る必要がある。
共有トイレという強い穢れが宿った場所を利用することで精神の破壊速度を超加速する凄いアイディアなんだよ。
天才的だよ。
こんなクソみたいなことを思いつく奴らって毎日毎日どうやって他人を洗脳するかばかり考えている本物の反社なんだろうね。
そしてそれを「このアイディア天才!」と採用してしまう連中も。
今年、娘が小学生になった。都内の公立小学校に通っている。そんな娘に「パパは小学校楽しかった?」と聞かれて、僕は「楽しかったよ」と答えたけど、これはハッキリ言って嘘だ。
娘に変な先入観を持ってほしくないから、ポジティブに答えたけれどパパは小学校が大嫌いだった。正確には学年が上がるとともに制度と先生が嫌いになっていった。
平成初期に生まれた僕は小学校3年生まで80年代に開発された所謂ニュータウンに住んでいた。比較的若い住民が多く、大きな電機メーカーの工場などが集積していたので、所得や教育水準もそれなりに高かったのだと思う。小学校も開校20年程度だったと思う。好きな先生もいたし、友達ともよく遊んだ。指の皮が剥けるまでスマブラ64をしていたと思う。
その後、両親の離婚を経て、僕は母方の祖父母の家に住み、かつて祖母や母が通ったという小学校に転校した。明治時代からある古い学校だった。
この学校に転校した時は激しいカルチャーショックに見舞われたので一部ご紹介する。
1.男女でトイレが分かれていなかった。壁際に小便器がずらっと並び、その後ろには個室が並ぶ。要するに男子便所と同じ構造だ。そして、この個室には男子も女子も関係なく入る。ジェンダーレストイレが話題になった今となっては時代の最先端なのかもしれないが、当時は本当に驚いた。
2.自転車に乗っていいのは小学4年生から自転車の解禁が小学4年生以降だった。何も知らずに毎日自転車乗っていたら、ある日学年集会でいきなり晒し上げられてルールを知った。
こういう一つ一つ、当時の自分が嫌なポイントが増えていったのだが、決定的だったのは先生の質の低さだ。
とにかくヒステリーをよく起こす人で、どうでもいいことで一々叫び散らす先生だった。クラスで少し問題があるとなんでもかんでも集団責任と言い、一々放課後に全員で居残りさせられて迷惑だった。クラスでいじめられている子がいて、僕は転校生でクラスのヒエラルキーの外にいたので、助けようとして喧嘩になったら怒られたり、その放課後に、このクラスにいじめはありません!とか宣言しててこの人もうダメだと思った。毎日上履きに泥を詰められたりして、◯◯菌とか言われてる奴がいじめられてなかったらなんなんだろう。
この先生はかなり変なおじさんだったが、好きだった。いつも扇子を持ち歩き、教室に畳を敷いて、カーテンを簾に変えていた。将棋が趣味で将棋を教えていた。その先生から将棋を教わって将棋を始めたクラスメイトはその後、当時史上最年少で女流棋士としてプロになったのでその一点だけでも凄い人だと思う。
30代半ば/男性
この人はマッチョな見た目そのままの脳筋だった。子供ながらこんなに頭悪いのに学校の先生になれるんだなぁ、と思ったものだ。悪気があるのか無いのかわからないが、事ある毎にうちが母子家庭であることをクラスで話し、当時は今ほどシングルマザーに理解も無かった時代、そして土地柄。そのせいでクラスメイトやその親から「お父さんいないってどんな気持ち?」と聞かれたり、煽ってくる奴がいた。
決定的におかしいと思ったのが、成績の評価だった。大前提として、僕は公立小学校程度のテストならばどの科目も殆ど100点以外取ったことが無かった。年に1回の県統一の学力テストでも成績は学年1位だった。そういうわけで国語、算数、理科、社会の通信簿は常に5段階中の5以外もらったことがない。
ところが、僕はこの先生に「3」を付けられたのだ。そして、自分より頭の悪い子が5を取っていた。この成績を見た母は「1学年1位の息子が何故3なのか?」と学校に問い合せた。実は当時、通信簿の評価がそれまでの相対評価から絶対評価に切り替わった。先生曰く、生徒一人ひとりの成長を元に点数を付けることになったが、100点しか取らない僕は成長が見られないので中評価だという説明だった。
それに加えて、各科目の課題や授業に対する態度が悪いということ。具体的にはドリルとか問題集とか、その学期を通して行うべき課題を最初の1週間で全部終わらせて提出したことが悪い、授業中騒いだり他のことをしたりするわけではないが、かと言って授業も真面目に聞いていないことも理由であったと。
学校の簡単なテストは100点以外取りようが無いのに、どうやって成長を示せばいいのか。簡単な宿題を早く終わらせて一体何が悪いというのか。教科書を読めば一瞬でわかることを延々と説明する授業の一体なにを聞けばいいのか。僕は授業の邪魔することもなく、ただただ黙って大人しく時間が過ぎるのを待っていたのに。
ちなみに結局その後、試しに中学受験に向けた全国模試を受けたら偏差値は55~60くらいしかなくて、中学受験組の中では精々中の上程度だとわかった。そして日能研の「シカクいアタマをマルくする」とかいう広告の問題は全然解けなかった。別に自分が頭が良いわけではないことを理解出来た。そして実際に市川という上の下くらいの中学校になんとか滑り込んだ、というのが僕の実際の実力だ。開成?筑駒?渋幕?全然無理、って感じ。
当時を振り返ると嫌いになった要素がいくつかあると思う。
まず第一に、制度の問題。日本の公教育は、基本的に出来ない子に合わせざるを得ない環境であり、そもそも人間としての最低限の指導しかしてもらえない。加えてその基準は非常に低い所にありすぎて、子どもたちの学力すらもまともに測れない。物差しすら用意していない。当たり前のことが出来るだけでメーターを振り切ってしまう。そして相対評価の謎運用で無駄な不平等を生み出している。
そして先生の問題。先生の魅力というのは、学力だけでなく教育への熱意や広く言えば人間力など様々な観点があると思う。そしてその仕事の過酷さが度々話題になるように大変な仕事なのもわかる。
しかし僕が出会った先生は今思い出してもヒステリーなオバさんや脳筋が多く、学歴的にも大凡、他人に物を教える事ができるようなレベルではない。人間力含めたって精々小学生くらいにしか教えを説けるレベルになかったと思う。
考えてみれば、そこそこの学歴を持つ友人を見渡した時、高校の教員や大学教員になった奴はいても小学生の相手をしている奴なんて殆どいない。
そんなことを考えると、子供を私立の小学校に入れる選択肢を考える親の気持ちもわかる。ただ、個人的には小学校の時に悪かった友達が大人になって逮捕されたりしてるのを見ていると、人種の坩堝に身を投じて色々な人がいるということを理解するのも大事な気がする。
娘よ、そういうわけでパパは小学校が嫌いだった。お前が思ってるよりしょうもない大人が先生をやっているからな。そういうことにも一つ一つ気づいていきながら人生を歩んで欲しい。