はてなキーワード: 何だかとは
最近俺が会社に行くとあからさまに窓を開けられたりしてなんなんだと思っていたら、上司に社内でお前の臭いが問題になっている。不潔だ。直せないなら辞めてくれと言われた。
特に通り一遍というか特別気を使ってるわけではないが、同じ服を着続けるとか風呂に入らないとかそういうことは一切ない。
歯も三食食後に磨いている。
あまりに驚いてしまい、彼女や友達に相談したら、ぜんぜん臭くないと言われた。
翌日一応気をつけて出社したら、上司に別室に呼ばれて、お前に改善する気がないのはよくわかった。今日は帰ってしばらく来なくていい。改善したら連絡してこいと言われた。ショックが大きくてどうしていいかわからなくなった。
彼女に相談すると、まったく感じないからわからないけど、一度全部洗濯しようと言ってくれ、一生懸命洗濯してくれた。スーツ類は全部クリーニングに出し消臭対応をしてもらった。
お前はなんで直さないんだ?
お前の臭いで他の社員がからクレームが何度も入ってるんだ。頼むから直すか辞めるか決めてくれ。と言われた。
その後比較的仲のいい社員に聞いたらその上司だけでなく社内の大半が臭いと思っている。悪いけど俺もそう思うと言われた。
そこではいろんな検査をやってもらったのだが、先生曰く同じような悩みで来る人は最近多い。その人たちの多くは確かに体臭がキツいけど、あなたはまったく普通です。客観的にも主観的にもぜんぜん臭くないとのこと。
別にお前が嫌いとかそういうのはないからそれは信じてほしい。ただ社内からのクレームは多く、俺もそう思う。
本当に訳が分からないのだが、どうしたらいいのだろうか。
上司が言いはじめたのは上司の一存ではなく、女子社員が彼女の上長に訴え、それをその上長であるこの上司に訴えたのがきっかけだそうだ。
これは複数の人に聞いたので確認できた。上司としては臭いごときと最初は思ったそうだが、以前から臭いとは思っていたそうだ。女子社員が連名でこのままでは働き続けられないと何度も訴えた結果こうなったそうだ。
臭いごときで辞めさせるかということについてはその他の社員の職場環境を守るためということだった。
臭いについては聞いてみたことがある。汗臭さが凝縮したような臭いだと言われた。
会社は靴を履き替えたりはしないのでスリッパが原因ということはない。
病院には会社からの帰りに行ったので、臭いと言われている状態だった。
あとタバコは一切吸わない。
周りをきちがい扱いしてもらいたい、自分の悪いところを認められない奴ということに関しては、原因と現象が自覚できれば直したいと思っているので現在思いつくこととしてクリーニングや病院に行ってみた。
これは個人の体験で、他の女性たちがどうだったか分からないんだけど、それでも私にとっては確かに衝撃を受けた体験だったから書き残しておく。
私がエロ表現に初めて触れたのは、十歳にならない頃、電車の中。向かいの席の男性が読んでいたスポーツ新聞のこちら側にヌードの女性が写っていた。多分ビデオの紹介とかだったのだろう「喘ぐナントカ…」みたいなコピーがついていた。体育の着替えが男女同室だったくらいの歳で、性的衝動の存在を知らなかったから、そのヌードを見てただ驚いた。女性の裸が新聞に載って眺められる需要が存在することを初めて知った。
意識して周りを見渡すと、それらしい気配は各所にあった。大磯ロングビーチの広告、公衆電話ボックスに貼られた女子学生の写真と電話番号、週刊誌の中吊り広告に太字で書かれた「ついに脱いだ!」という踊り文句。女性の外見、特に裸は世間から求められていて、しかもそれはあまり上品な欲求をもとにした明るいものではなさそうだということに気がついた。(ちなみに当時は女性の幼さを強調したイラストはそう無かったように思う。覚えているのは「幼妻」という単語の衝撃くらい。セーラームーンの月野うさぎちゃんが13歳とは思えないほど大人びたスタイルで描かれていた。変身シーンで一度ヌード風になる意味が分からず何となく恐ろしかった。)
時を同じくして、電車の中で痴漢にあうようになった。隣に座って太ももを摺り上げてくる人、ぐいぐい押しよってくる人、自慰の様子を見せつけてくる人、色んなバリエーションがあった。特に自慰を見せつける人は印象に残っていて、膝の上で週刊誌を開き読んでいる風を装いながら、その下で性器を触っていた。時折目の前に座る私に視線を寄越すので、何だか危険な感じがして動けなかった。当時男性が自慰をするなんて知識は全くなく、隣に座る友達と「前のお兄さん何してると思う?」と小声で話し合えるくらい、その行為はただの変な出来事だった。他の痴漢も同じくらいセクシャルな意味はまるで理解できず、ただなぜ自分の体を触られているのかが意味不明で混乱した。
そんな鈍感な私も、身体もやがて第二次性徴を迎え、初潮を経験し、乳房が形になり始め、何よりアンダーヘアが薄く生え始めた。このとき一気に、大人のお姉さんたちとそこに注がれる視線が他人事ではなく、このあと私が受けるものであることを自覚した。振り返れば、太ももを撫でたあの人も、「セックスって知ってるか」と話しかけてきたあの人も、変な行為に目が釘付けの私をチラ見してきたあの人も、私をヌードのお姉さんたちと同じように扱っていたのだと思い至った。私は一方的に慰みものになっていた。
それからしばらくは成長するのが嫌で仕方なかった。胸の膨らみを憎み、下の毛をカミソリで全部剃った。修学旅行ではこの成長を周囲に悟られたくなくて大浴場には入らなかった。成長が進んでしまったら、女性の性的な部分を世間に差し出し、あの水着のお姉さんたちのように他者に評価されながら生きていくしかないのだと絶望した。
やがて中学生となり男性に恋をして、女性であること・女性の身体を持っていることへの嫌悪感は減った。男性がそれに魅力を感じること、またそれを上手く見せることで好意を引き寄せることができると学習したから受け入れられるようになったのだと思う。自分の体と社会の折り合いをつけるようになったのだ。その学習効果は、スカートを短くすることや、石鹸の香りの香水をつけること、唇をツヤツヤにして”キスしたくなる”状態に保つことなんかに現れた。(当時、セブンティーンやプチセブンはそういう指南に溢れていた。)
このあとは割愛。私は一般的な異性交友体験を重ね、特にセクシャリティに関するトラウマを持つこともなく、平均的な年齢で好きな人と性体験をし、恋に悩んだり、遊んだりしながら結婚して母になった。
もしあの頃の自分に声をかけてあげられるとしたら、女性・男性の性的魅力を記号のように表現したり消費したりする文化の一段奥には、相手個人を切実に求める個人間の原始的な愛のやり取りがあることを先に教えてあげたい。それは人間(というか生き物)として自然な欲望であり、それを感じる相手とだけでいいから、お互いに性的魅力を伝えあえる関係になることが大切なんだと安心させてあげたい。
幼い頃は健康で丈夫な自分の体をただそれだけで好きで信頼していたのに、チラチラと差し込んでくる性的なものたちに気を取られ、私はその信頼を疑ってしまった。スカートは膝上20センチじゃないと、ブラは2センチ厚のパッドが入っていないと、髪はセミロングを揺らしていないと、女子学生らしくないと毎日夢中で取り組んでいた。その呪い、タイムマシンで解きに行きたいよ。
下着(トランクス)って毎日替える必要ある? ーー anond:20180909201028
ひとり暮らしは他人の目を気にしなくていい気楽さがある分、忙しいときなどには荒れてしまいやすい。
荒れ具合を確かめるためのバロメータのひとつがリソックス・リパンツの発生だ。
洗濯していない下着を裏返してもう一度着るなどという屈辱。なんとしてでも避けなければならない。
そんな覚悟とは裏腹に、生活はもっと荒れていくことがある。リパンツが頻発している状況で、急な呼び出しが入った。行かねばならないがクサイ下着を履いては行けない。そのようにしてレンジパンツは発生する。洗剤をつけて揉み洗いしたのちよく絞り、レンジで一分加熱したのちに振る、というのを繰り返すと現実的な時間で健全なパンツが手に入る。これがレンジパンツだ。洗剤で洗ったのだから原則キレイなはず(と自分に言い聞かす)。ただしこれはオススメしない。その日俺はレンジ皿直置きを躊躇して、そこらに落ちてる段ボールをちぎり、パンツを載せてチンした。ユニットバスで頭を洗ったあと戻ると、あれっ何だか煙いぞ… これは湯気じゃない! キッチンは白煙で満たされていた。俺は全裸でガラス窓を何度も叩いた。開かない! 開かない! 開かない! 別の窓は力押しで開いた。煙が外に流れていく。窓が開かなかったのはなんのことはない、鍵がかかっていただけだ。パニックの中では鍵を開けようなどという単純な発想も吹き飛んでしまう。俺は真の恐怖を味わった。パンツ一枚のために。素っ裸で畳に横たわって思った。こんな生活は改めなければならぬ。煙が出たのは、段ボールを留めていた樹脂テープが過熱して発火したからだった。消化するとき取り落としてしまったので、ビニール床には焦げ跡がついていた。パンツは無事だった。
A. 各洗濯行為のハードルは干すことになる服の総量に比例して大きくなるのです。あるポイントを越えて生活が荒れると、洗濯周期というものは消滅します。「洗い物が干されないままに再び洗濯される」これもバロメータのひとつ。他のバロメータ、ライトなところでは「料理をしなくなる」。進行するとゴミが出るのを嫌がり買い食いさえも億劫になって発生する「毎食が外食」。
父がアメリカへの長期滞在(1ヶ月半ぐらい)から帰ってきた。60代半ばから「ヘリコプターの免許が取りたい」とここ数年夏の恒例イベントになっていたけど、若者ばかりがどんどん受かって先に帰国していったそうで、父はとうとう免許が取れなかった。さすがにようやく諦めることにしたらしい。
まったくどれだけカネと時間かけたら気が済むんだよ。しかもあんたの母親は重い認知症で足腰もきかなかくなって特養に入ってるんだよ。定年退職してからやることもなく、毎日テレビだけ眺めているような人生よりもいろいろやりたいことがある方がいいけど、父の夢はスケールが大きすぎたり、カネがかかりすぎたりするものが多い。
そこそこ名の知れた企業で定年まで勤め上げ、65歳まで再任用みたいな感じで働き続けたので、そんなに貧乏ではないはずだけど、だからといって趣味に注ぎ込んでいい金額というのには限度があると思うのだ。あと、その夢のために自分の妻がどれだけ我慢しているかにまったく気付いていないところにいらつく。
それでも来年は母を連れてアメリカに行き、「一緒にヘリコプターに乗ろう」とか言ってるらしい。アマチュアとして身内とかを乗せることはできるらしいが、これで事故とか起こして二人いっぺんに死んだりしたら承知しないぞ。海外旅行の計画を立てるにしても「ベトナムを北から南まで縦断したい」とかいちいち常識的な海外旅行の範疇を超えている。まぁベトナムは縦に長いとはいえ、「北アメリカと南アメリカを縦断する」とかいうプランに比べたら現実的な距離なのかも知れないけど、なんだか誇大妄想狂のような気がして仕方ない。
とにかく他人の経験談とかを聞くと羨ましくなって「自分はもっと壮大なことをやってやる!」みたいな方向に行く思考回路の持ち主らしい。目的を達成するために地道な努力を厭わないタイプなら「まぁ頑張ってね」と言えなくもないけど、だいたい努力と根性が足りない人なので、「ほどほどのところで妥協しろ!」と言いたくなる。
逆に母はやりたいことがあっても、ちょっと経済的・時間的な制約があるとすぐに諦めてしまうタイプ。凹凸夫婦でちょうどいいのかも知れないけど、私は両親みたいに一方的に妻が我慢する生活はイヤだ。そんなのだったら独身の方がよっぽど自由でいいと思う。
何だかんだいって両親の存在に頼って暮らしている私であるが、本当に父の思考回路にはついて行けない。あれをもう少し現実的な思考回路の持ち主にすることはできないんだろうか。たぶんできないんだろうなぁ…。
33歳になった。こんなに苦しい年は生まれて初めてかもしれない。
今年の初め頃、あまりの体調不良から病院で検査してもらった時、先生に「子供は出来にくい体だね」と言われてしまった。
もし、子供が欲しいならそれなりの治療をしないといけないよ。予定とかある?
そんな風に先生は優しく言ってくれた。
結婚を考えていた人に振られて、婚活も頑張っていたけどそろそろ一人で生きて行くのかなと何となく考えていた時に言われた言葉に孤独から絶望に変わっていった。
おまけに彼氏と別れてから眠れなくなって眠剤に頼っている日々が続いている。
そんな女に希望なんてあるのだろうか。
「新しい彼氏が出来たら前の人なんて一瞬で忘れる」
「またすぐ彼氏できる」
いろんな言葉で励ましてくれる人が居たけど、何だかんだでソツなく幸せになった人に言われても説得力ないし、じゃそっくりそのまま私と変わってよって思う。
恋人に振られたくらいで孤独を感じるなって思うかもしれないけど、結婚を考えてた人に自分を全否定された時の孤独は経験した事もない感情だった。
一人でも平気と思っていた時の孤独の千倍辛い。
瞑想しても、運動しても、旅行に行っても孤独と絶望がつきまとう。
この絶望はどう処理したらいいのだろうか。
いよいよ分からなくてなってきた。
アラサーぐらいの人が語る思い出、デジモン・ミニ四駆・ポケモン・ニコニコ・2ch・オンラインゲーム・型月・葉鍵・深夜アニメ・RPGツクール・FLASH黄金時代、そういった中に東方Projectはもう存在しない。
東方プロジェクトは一時期あれほどまでに盛り上がったのに、燃え上がりすぎて燃え尽きてしまった。
思い出そうとしても、何だかうまく映像が出てこなくて、それなのに今でも世界のアチコチには残滓が残っている。
今でもまだブームはどこかで続いているはずなのに、その姿は時折見かけるかどうかだ。
多くの人が思い出の中にある東方を語る。
今でもまだ誰かが同人誌を同人ゲームを作っているし、本編だって続いている。
老人「まだあの絵はあるか。他に資産があるんじゃないか。いちいちうるさい」
業者「みなさん苦労されてますよ、相続税対策だとセミナーに通ってる方、多いです」
老人「子供に残したいとは思わないが、孫には苦労してほしくない」
老人「なんだ、みんな終活ってやつか」
業者「今は売るより買うことの方が多いですね」
老人「買い出し屋になったか。なら君のところで買った〇〇の絵はいくらで買う」
業者「……そうですね、3億で」
老人「…………ずいぶん安い。ずいぶんな損になるね」
業者「続きがありまして」
老人「何かあるのか」
老人「なんだ、売り先まで決まってるのか」
業者「ええ、それで絵を買い戻してください」
老人「……香港でか。カネはどうする、3億は大きいぞ」
老人「はー、3億で何を買えと」
業者「まぁ、いろいろと習作がそろってますので、お買い求め頂きたいです」
老人「子にはガラクタ、孫には鍵が残ると」
小学生の時、ちゃんとお勉強しなさい。そうしたら将来楽できるから。
そう言われて勉強を頑張る。優秀な成績をとって、テストでは満点をとって、実績のある進学校に入って優秀な大学に入学する。
そのあたりで気づくんだよね、あれ?おれなにがしたかったんだろ、なにしてんだろ?って。
そう言われ続けてただ勉強し続けた結果、いつしかほんとにやりたい事とか、夢中になれるものなんかを見つけられないままその他大勢の中に埋もれてしまう。
自分の選択肢とか可能性なんかを見つけられないまま、むしろ狭めてしまう。
思春期って、中学、高校生の時を言うんだろうけど、その時は未来って漠然としてて今を生きてる自分とは何だか程遠い関係のない話のような気がしていた。
やりたいことが見つからない。ここの学部に進学しとけば、そのあと潰しがきくよ。選択肢が幅広いよ。
大学進学。そこがゴール。
けどさ、大学生も半ばを過ぎたあたりからみんな気づくんだよね。
あれ?って。こんなはずじゃなかったって。
遠いところにあると思ってたことが、まだ考える時間はあると余裕ぶっこいてたことが目前に迫ると、嫌でも現実を見なきゃいけなくなる。
そうして安定を第一にしてその後の自分の時間を社会に溶かしていく。
やりたいことをみつけて好きなことして生きていく。素晴らしいことだ。