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はてなキーワード: プチセブンとは

2018-09-17

anond:20180917214138

これは個人体験で、他の女性たちがどうだったかからないんだけど、それでも私にとっては確かに衝撃を受けた体験だったから書き残しておく。

私がエロ表現に初めて触れたのは、十歳にならない頃、電車の中。向かいの席の男性が読んでいたスポーツ新聞こちら側にヌード女性が写っていた。多分ビデオの紹介とかだったのだろう「喘ぐナントカ…」みたいなコピーがついていた。体育の着替えが男女同室だったくらいの歳で、性的衝動存在を知らなかったから、そのヌードを見てただ驚いた。女性の裸が新聞に載って眺められる需要存在することを初めて知った。

意識して周りを見渡すと、それらしい気配は各所にあった。大磯ロングビーチ広告公衆電話ボックスに貼られた女子学生写真電話番号週刊誌中吊り広告に太字で書かれた「ついに脱いだ!」という踊り文句女性の外見、特に裸は世間から求められていて、しかもそれはあまり上品欲求をもとにした明るいものではなさそうだということに気がついた。(ちなみに当時は女性の幼さを強調したイラストはそう無かったように思う。覚えているのは「幼妻」という単語の衝撃くらい。セーラームーン月野うさぎちゃんが13歳とは思えないほど大人びたスタイルで描かれていた。変身シーンで一度ヌード風になる意味が分から何となく恐ろしかった。)

時を同じくして、電車の中で痴漢にあうようになった。隣に座って太ももを摺り上げてくる人、ぐいぐい押しよってくる人、自慰の様子を見せつけてくる人、色んなバリエーションがあった。特に自慰を見せつける人は印象に残っていて、膝の上で週刊誌を開き読んでいる風を装いながら、その下で性器を触っていた。時折目の前に座る私に視線を寄越すので、何だか危険な感じがして動けなかった。当時男性自慰をするなんて知識は全くなく、隣に座る友達と「前のお兄さん何してると思う?」と小声で話し合えるくらい、その行為はただの変な出来事だった。他の痴漢も同じくらいセクシャル意味はまるで理解できず、ただなぜ自分の体を触られているのかが意味不明で混乱した。

そんな鈍感な私も、身体もやがて第二次性徴を迎え、初潮経験し、乳房が形になり始め、何よりアンダーヘアが薄く生え始めた。このとき一気に、大人お姉さんたちとそこに注がれる視線他人事ではなく、このあと私が受けるものであることを自覚した。振り返れば、太ももを撫でたあの人も、「セックスって知ってるか」と話しかけてきたあの人も、変な行為に目が釘付けの私をチラ見してきたあの人も、私をヌードお姉さんたちと同じように扱っていたのだと思い至った。私は一方的に慰みものになっていた。

それからしばらくは成長するのが嫌で仕方なかった。胸の膨らみを憎み、下の毛をカミソリで全部剃った。修学旅行ではこの成長を周囲に悟られたくなくて大浴場には入らなかった。成長が進んでしまったら、女性性的な部分を世間差し出し、あの水着お姉さんたちのように他者評価されながら生きていくしかないのだと絶望した。

やがて中学生となり男性に恋をして、女性であること・女性身体を持っていることへの嫌悪感は減った。男性がそれに魅力を感じること、またそれを上手く見せることで好意を引き寄せることができると学習たから受け入れられるようになったのだと思う。自分の体と社会の折り合いをつけるようになったのだ。その学習効果は、スカートを短くすることや、石鹸香り香水をつけること、唇をツヤツヤにして”キスしたくなる”状態に保つことなかに現れた。(当時、セブンティーンプチセブンはそういう指南に溢れていた。)

このあとは割愛。私は一般的な異性交体験を重ね、特にセクシャリティに関するトラウマを持つこともなく、平均的な年齢で好きな人と性体験をし、恋に悩んだり、遊んだりしながら結婚して母になった。

もしあの頃の自分に声をかけてあげられるとしたら、女性男性性的魅力を記号のように表現したり消費したりする文化の一段奥には、相手個人を切実に求める個人間の原始的な愛のやり取りがあることを先に教えてあげたい。それは人間(というか生き物)として自然欲望であり、それを感じる相手とだけでいいから、お互いに性的魅力を伝えあえる関係になることが大切なんだと安心させてあげたい。

幼い頃は健康で丈夫な自分の体をただそれだけで好きで信頼していたのに、チラチラと差し込んでくる性的ものたちに気を取られ、私はその信頼を疑ってしまった。スカートは膝上20センチじゃないと、ブラは2センチ厚のパッドが入っていないと、髪はセミロングを揺らしていないと、女子学生らしくないと毎日夢中で取り組んでいた。その呪いタイムマシンで解きに行きたいよ。

 
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