はてなキーワード: 事故とは
投資は余剰資金でやるのが鉄則で、現金がなくなるとたちまち困る人は投資なんかしちゃいけないわけ
仮に事故や病気、急な失業などが起きても対処できるようにするには、年収と同じだけの現金の貯金があると望ましいと言われている
なので年収500万なら貯金は500万当然あるわけ、投資する人ならね
40万の損失は580万の貯金が540万になるだけの話だし、それも嫌なら575万になった時点で損切りもできるのよ
貯金80万が一晩で40万になる話なんか前提として考えてすらいないぞ
そして勘違いしてると思うけど、インデックス投資も100%儲かるわけじゃないよ
あれの理由は「失敗しても若いとやり直しがきくから」なので、失敗させる気満々の人の勧めやで
貯金80万のひとにインデックス勧める気の増田なら、容赦なさ過ぎて涙出るね
投資に回せる額の人が数百万くらいの人が普通の弱小個人投資家だから、増田のいう金余ってる人って億近く投資してる人の話かと思った
声優と同じになるぞ。
代アニがVtuber課作って日テレと組んで顔出しVtuberの企画始める。
同じ実力ならブスかもしれないやつとツラいいやつなら後者がいいだろ。
もし顔出しする気がなくても身バレしたり事故でうっかり顔が出たときに
同名でリアルのコンカフェ嬢とVtuberやる二刀流も出てきてるし、そういう箱もできるだろう。
ツラいい奴がツラ出し始めたらもう終わりなんだ。
・大昔からあるトップ公立進学校が突然野球で旋風を起こすとき(例えば、数十年ぶりの甲子園出場とか、夏県予選決勝進出とか)は、事実上のスポーツ推薦を活用した強豪私学並みの強化をほぼ間違いなく行っている
我が地元の盛岡三高は近年顕著な実績を挙げてるが、特別な選考がされてると聞いたことは無いな。単に自分のアンテナが低いだけかもだが
・1970年代くらいまでは猛練習中に野球部員がグラウンドで倒れてそのまま死亡する事故がよくあった(問題にはならずむしろ美談になった)
・90年代はプロ野球とMLBとで規模や年俸水準があまり変わらなかった(まもなく大きく差が開いて今や追いつけないほど彼方へ)
クソみたいな家族の元育った。
ドラマの登場人物か?というくらい暴れるアル中無職の父親、全員父親の違う子供を5人も産んだアバズレオブザイヤー獲得の母親。16歳も年の離れた妹にヘラヘラしながら性的虐待する兄。学校に行かずシンナーばかり吸って気が向くと妹に万引きをさせるこちらも年の離れた姉。
私は毎日何が何だかわからないまま起きて眠っていた。心の支えは飼っていた犬猫だったが、犬はそのうち山に捨てられ猫は「人にあげた」と母が言っていた。多分捨てた。
父親は私がまだ保育園児のころに酒飲み運転で事故って人を巻き込んで死んだ。記憶にあるのは父親が暴れだしたら姉と2人、トイレに逃げ込んでいたこと。1枚だけ写真があったが、顔にも見覚えはない。知らない顔の濃いジジイだ。その写真も今は持ってない。
母親は私が小学生のころにくも膜下出血で倒れて俗に言う植物人間になった。そこから20年以上も生きて数年前死んだ。生きすぎなので死んでからも反省して欲しい。
母親が倒れたことで兄弟はバラバラになり、1番下の私は独身の母の妹に引き取られた。もちろん伯母も変わった人間だったが、母よりはマシだった。静かな人で、スナックのママをしていた。彼女のことは、好きでも嫌いでもなかった。でも少しはありがたいなと感じていたと思う、きっと。
私が中学生になったころ、ある夜スナックから自宅に電話が掛かってきた。常連のおじさんだった。
お店に来たら、伯母がカウンターで倒れていたらしい。脳梗塞だった。
すぐに発見してもらえたこともあって、伯母はごく軽い呂律の回らなさや手の動かしにくさは残ったものの、日常生活に支障のないほどに回復した。しかしさすがにスナックを続けるわけにはいかず店をたたんだ為、その後生活に困ることになる。
生活に困った伯母はパチンコ屋でひっかけたおっさんとあれよあれよという間に結婚した。
脳梗塞後、伯母は少し人格が変わって常に人の悪口ばかり言っていたし、私にも毎日切れていたので2人きりの空間に他人が入ってくることに少しホッとした。
私は、小学生のころから本や図鑑ばかり読み、机の上でする勉強が大好きだったが、中学生になるころには勉強に取り憑かれていた。学年1位でなければ伯母にビンタされるということを抜きにしても、私は常に1位でいたかった。
勉強は一生懸命するものの、きちんとグレ始めていたので不良とばかり遊び、酒もタバコもセックスもとっくに覚えていた。まぁ初めて見た男の硬くなったモノといえばクソ兄貴のモノだったけど。よくたまり場で不良たちに勉強を教えていた記憶がある。みんな素直に聞いているのが面白かった。
高校生になった頃から、「大学には行かせない」と伯母に言われ始める。私には小学生のころから夢見ていた大学があり、その為に楽しんで勉強をしていた。伯母はなぜか「奨学金などという借金も許さない」と本当に頑なで、ガキながらにマジで意味不明だった。
家に帰れば毎日叔母と言い合いになるし、別にもはやどうでも良かったがおっさんにはずっと家庭内セクハラをされていてキモかった。お風呂中にわざと洗面所に来て話しかけられる、トイレに入ると7割の確率でノックされる、セックスの話をされる、私の下着を間違えたと自分のタンスにしまっている。きもっ。
高校2年の時、頭の中でパーンと音がした。朝起きたら、パーン、と乾いた音がして、ほんとうにしんそこ何もかもがどうでも良く思った。
私みたいな人間は何をしても無駄だし、クソみたいな両親から生まれたんだからどうせ私もクソなのはわかってるし、私にはキラキラした未来などないということに突然気がついてしまった。無駄だった、全部。どうでも良いや、未来などない。
その日から家に帰るのをやめて、男の家を渡り歩いて勉強もやめた。学校はたまに行っていたけど、伯母は特になんのアクションも起こしていなかったので何も言われなかった。何度か家に戻った時は、きもおっさんがアタフタと話しかけてくるものの、伯母は私を完全無視していた。
休みがちになり、成績も一気に下がった私を心配した先生たちが何度か「困っていることがあったら相談してみろ」、こいつらに相談したところで何がどうなるのか私にはわからなかった。
1人だけいた友人と私を心配してくれていた先生たちのおかげで、卒業式には参加できなかったものの卒業証書を貰うことができた。
高校卒業後は正式に家を出て、そこからデリヘルや水商売を渡り歩き、22歳の時に介護の資格をとってからはずっと福祉の仕事を続けている。
数年前には社会福祉士の養成学校に入学し、現在は何故か結婚までして主婦しながら社会福祉士をしている。
ところで、私は18歳から22歳までに3回中絶している。アバズレ母の子供らしく、ずっと男に依存して生きてきた。
セックスを献上することが何よりの喜びであり、生きる意味だった。男がいなければ自分に生きる意味はなくなり、文字通り男がいなければ生きていけなかった。男の言うことは絶対だったし、逆らうことなどできなかった。自分のために。
3回目に中絶した時、麻酔から覚める途中に「いたい!!!いたい!!!」と子供の絶叫が聞こえて私はぎゃあと叫んで体を起こした。はっきりと聞こえた。
中絶などなんとも思っていなかった私にも、少しの罪悪感があったのだろうと思う。
22歳のある日、珍しく朝に目を覚ましたらパーンと音がした。その瞬間、自分の全てに嫌悪感が湧いてきた。自分は何をして、どこにいるのか?いつまでこんなふうに生きていくのか?自分が嫌で嫌で涙が出たを
もう取り返しがつかないことはわかっていたけど、とにかくこの渦から抜け出さなければいけないと初めて感じた。
その日から大きく変わったことのひとつが、食べ物を美味しく感じたことだ。それまでの私は本当に食に興味がなく、空腹になるので限界がきたら仕方なく何かを摂取していた。
それなのに、ふと食べたにんじんがとても美味しかった。ピーマンも美味しい。マグロのお刺身も、チキンナゲットも、お米も、何もかもが美味しかった。
食べ物が美味しい、というだけで生きている意味になる感覚だった。
もう男への依存は憑き物が落ちたようになくなり、生きる意欲が湧いていた。
そこで人生を何とか立て直すために選んだのが、介護の資格を取ることだった。
介護の仕事といえば、学歴も職歴も関係なく、ほぼどんな人間でも採用される。しかも、こう言っては悪いが働いている職員の質も良くないので、普通に仕事ができればすぐに昇進できるだろうと思った。
福祉の仕事を始めてからは、どんどん人が好きになり、比例してどんどん自分を嫌いになっていった。
普通の人間みたいな顔をした私を好きになった人たちと友達になり、そんな顔をした私を好きになった男の人と結婚までしてしまった。
私は、クソみたいな人に育てられたクソ人間のエリートであり、現にクソなのだ。育ちや過去を言い訳にし、勝手に病んで、勝手に全てを諦めて、馬鹿みたいな生活をして、人を3人も殺して、平気な顔で生きているのに。凄くヤバい人間なのに。人間以下なのに。
今になってやっと、心臓がズタズタになる。人を殺したことも、大学を諦めたことも、私を育ててくれた伯母と縁を切ったことも、統合失調症になった姉から連絡が来た時に冷たくしたことも、母親に早く死ねと思ったことも、とにかく私のなにもかもが終わってる。
私という人間は、私の周りにいたどんなクソよりも極悪で、それは誰のせいでもない、私の問題だ。
それがわかっているから本当につらい。過去のせいにしたり、誰かのせいにして生きていきたい。でも、ちがう。
優しい人の手を振り払ったり、チャンスをないがしろにしたりして生きてきたのは私自身だ。
何もかも私が悪い。
誰にも話せなかった自分のことを、ここに残した。
ハリウッドザコシショウも事故が怖いから車買わないって言ってるからな
いとこっつっても10年以上会ってなかったんだけどね
いとこの父親(叔父)は会社の取引の人なので上司と関わりがある(増田は下っ端なので全然関わらない)
ついこの間上司に「増田叔父さんって息子さんって今いくつだっけ?」と聞かれた
叔父は息子が死んだことを伝えていないんだろうと思った。まあ仕事に関係はないので当たり前といえば当たり前だが
自分の5つ下ですね~と曖昧なニュアンスで乗り切ろうとしたら上司の息子と同い年だったらしく「へー奇遇!今度話してみよう」となった
勿論上司に他意はない。たぶん話題の一つくらいにしか思ってないだろう。けど、一人息子を数年前に亡くしたばかりの叔父とその話で盛り上がれるとは思えなかったし事情を知った後双方気まずい思いをしそうだなと思って正直に「実は…」と伝えた
「事故か何か?」と聞かれて、「そうです」と嘘をついた。嘘をつく必要があったかどうかも分からないけど、嘘をついた
大抵、SNSで公開しづらいトピックを増田で書いている。個人的にそういうことにしている。
鍵アカウントだろうとなんだろうと、他人の目がいつまでも気になって仕方がない。自意識過剰なのだ。
知人から「あいつ、いい歳してこんなこと言ってら」と鼻で笑われたくない。
「まあ!平日にこんなこと言って……どうしようもない人!」「食事時に妙なもん見せて……許さないよ」
そう思わせたくもないのだ。
だから、私は増田で猫のうんちについて書く。しかも「うんち」について、「嬉しい」と思う感情について書く。
タイトルも「猫」「うんち」「嬉しい」の三語をきちんと入れて、非常にシンプルだ。
おそらく猫のうんちの話を読みたくない人はここまで読んでいないだろうから、猫のうんちについて書き続ける。
我が家では猫を三匹飼っている。
一匹は四歳、もう一匹は三歳、もう一匹は十五歳だ。
普段三匹ともふわふわ転がってニャーニャー言ってるだけなのであまり意識しないが、改めて書くとそれぞれの年齢にかなり開きがある。
上記の三匹の中で、最もでかいうんちをするのは十五歳である。若者と暮らしつつ、気圧されることなく平然とビッグうんち。それだけでも大したもんだ。
四歳と三歳は子猫の頃から一緒に暮らしているので、共に過ごした年月=年齢として数えやすい。
だが、十五歳はちょっと複雑だ。長い付き合いと言えばそうなのだが、十五歳は私が十代、高校生の頃に育ての親が実家で飼い始めた猫だ。
飼いたての頃は瘦せっぽちの子猫で、子猫だてらに細い喉から轟音を響かせていた。
あまりに喉から鳴る音がビッグすぎるので、Yahoo!知恵袋で「猫の喉の音が大きすぎます。病気でしょうか」とトンチンカンな質問をしたのもいい思い出だ。
うんちから話が逸れた。
最初に十五歳のうんちがでかいということを発見したのは、育ての親である祖父だ。
十五歳がアメリカ原産の猫であることから、祖父は「うんちもアメリカンサイズ」と称していた。
インターネットでうんちを実在の国に例えるの、いいんだろうかと思うが、大きさを称える表現だから良しとする。その発言をした人物はもう亡くなっているのだし、責めても仕方がない。
五年前、祖父が骨髄腫とその合併症で亡くなった。それからは祖母の認知症は、坂を転がり落ちるように悪化していった。
十五歳(当時十歳か 若いね)の世話によって随分歯止めがかかっていたようだが、転倒事故で入院してからはもうダメだった。
老人の事故と入院は本当にダメだ。事故を境に、とうとう十五歳の面倒も見られなくなってしまった。
結局のところ、十五歳の面倒を見る家族が実質いなくなってしまったことから、十五歳を引き取ったのだ。そういう経緯で、十五歳は我が家で暮らしている。
そして、何の因果か昨年、十五歳は祖父と同じ血液、リンパ系のガンになってしまった。
猫の病気というと内臓が弱るか、認知症か。なんとなくそう考えていたところで割と珍しいとされる部位に発生した悪性腫瘍、晴天の霹靂だった。
診断を医師から聞かされたときはショックでちょっと寝込んだが、今のところ十五歳は凄く元気だ。
寝室に行こうとすると、先回りしてベッドに潜って待っていて、ニャー、と啼く。
台所で鶏肉を切ったり、ツナ缶を開けたりすると、食べたくて仕方なくて四歳や三歳よりもがっついて腕を伸ばしてくる。
今もこうしてパソコンのキーを叩いていると、横に来て「撫でてくれ」と言わんばかりに前足で二の腕をつついてくる。
そんで、この家で誰よりもでかすぎるうんちを出す。人間と同じくらい迫力のある成果物を毎日出す。
くせえ!と言いながら、毎日毎日でかすぎるうんちを、私は喜んでいる。
今でも十五歳の体内に病魔が巣食っていることを考えると憎いが、十五歳は凄く元気だ。
だから、次第に、まあ、そういうこともあるか、生き物だものなあ、と思うようになった。
生きていりゃ血液の病気にもなるし、認知症にもなる、内臓も悪くなる。実際、私の肝臓は事故で立体パズルのように割れたことがある。なんでもあるね、生きてりゃ。
毎日誰かに寄り添う元気が湧いて、食欲があって、うんちをもりもりする体力がある。
ありがてえなあ、ありがてえ。生き物として上出来だよ。それで上出来だ。
本当に毎日でかすぎるうんちを出していて、お前は最高だよ。
猫のうんちがでかすぎて、私は本当に嬉しい。
事故の内容がどう考えても増田側の過失で違法な事故報告逃れまでして
修理代に足りない金額しか払わず済ませてもらっときながら恨んでるの、端的にいってカス以外の何者でもないな。
社会人になったんなら車の修理代くらい分かるだろ
これ今なら実名書いてもセーフですかね?
もうおぼろげだが、こちらが駐車場から出ようとした所に、車道走ってた車側面をガリガリ〜としてしまった。
覚えているのは、その車から「ワシを誰やと思うとんじゃー!今すぐ100万もってこい!」と。
父の年になってみて、いきなり100万用意する大変さが解った
私なら泣いちゃう
まあ警察呼んで事故報告もしなかったのはアレだが、昔はそんなもんだった気がする。
遺品整理してたら、叩きつけられたマネージャーの名刺が出てきたので。
ちなみに松本さんではないです
メーデー!を見てたら副操縦士が軍歴詐称者だった回があって、調査官が「こういう人はストールン・バロー(Stolen Valor)といって非常に嫌われます」と言ってたのを思い出した。
ちなみにその副操縦士には虚言癖があり、自分を大きく見せるための嘘をついて結果的に大事故を引き起こす一因となり、事故調査官から「自信過剰で生意気」とボロクソに言われていた。
マイルドヤンキー憧れの車。
価格は700万以上、納車まで時間がかかるにも関わらず飛ぶほど売れてる。
メインターゲットは年収300〜500万ぐらいのマイルドヤンキーなので
10年の無茶なローンか、残価設定の奴隷契約でガンガン売ってる。
無理な返済計画だけなら別に勝手にやれば良い話だが、それを補填するために自動車保険が犠牲になっている。
任意保険未加入も少なくないし、加入していても海外系のヤバそうな保険。
子供を3〜5人ほど乗せていることが多いので、事故があったときは「子供の将来が〜〜〜」とかいう理由で泣き寝入りさせられることになる。
現時点で暗殺だと断じているブクマカが多いけど、それ陰謀論でしょ。
ポーランド空軍Tu-154墜落事故でポーランドの大統領や中枢の人間がたくさん亡くなった時も、まだ事故調査が終わってない段階でロシアによるものという陰謀論があったらしいけど、それと何が違うの?