なにかの概念に触れるとぱっとそれに近しいと思われる「一語で表される単語」が浮かんでくるんだよな。
それをそのまま意思伝達に使ってるだけ。んでもって一語で表現されるものっておのずと漢語ばっかだから語彙レベルとしては難しいとされるものになってしまう。
でも個人個人としてはそういう漢語のほうがむしろ親しいという人は絶対一定数いるんだよ。
しかも一語で表さないで表現しようとすると、変換という意味で単純に出力までの処理が増えるばかりでなく、単語じゃない場合は連体節あるいは下手したら文という単位で言葉を考えなきゃいけなくなるから、つまり頭をやわらかくして文法を駆使してそれを言い表そうとしなければならなくなる。これは概念を感じてその概念をいい表す言葉を単に連想するよりはるかに高度な知的活動だと思う。
というか語彙にレベルがあるという考え方や上下をつける考え方自体がおかしんだよ そう言うスタンスに無理があってこじつけになりがちだからこそ「凸」が高学年相当の漢字になって...