はてなキーワード: キッチンとは
子供がするのはどうせお手伝いや遊びレベルだから、子供に合わせてキッチン設計する人などいない。
同じように、夫がするのはどうせお手伝いや遊びレベルだから、夫に合わせてキッチン設計する人などいない。
ってだけの話だろ。
子供向けの料理教室も、大抵は大人向けの教室と併設で普通に大人向けの設備使わせてるし
たまにいる程度の需要なら海外メーカーで十分で、国内メーカーにそんなニッチ需要に合わせるほどの需要はないんだろう。
海外メーカーなら海外で売るのがメインだから高身長向けも十分な需要があるけど、
「家事参加」程度しかする気がないのに自分に合わせるべき、と言えるのが凄い。
常に自分が最優先で扱われないなら何もしない!って言えるのが。
メインで使う人に合わせるのが普通じゃないのか。
自分がメインで家事を担っているってなら分かるけど、どうせそうじゃないんだろ?
結局、女性がメインで家事を担う家庭が殆どだからもっと高いものを用意しても需要がない=売れない、ってだけ。
こういう人って、子供はどう扱うんだろう。
キッチンの高さは(身長/2)+5cmが使いやすいと言われている。
が、大手住宅機器メーカーでは高さ90cmまでしか用意していない。逆算すると身長170cm程度までということ。
日本の成人男性の平均身長は170をちょっと超えるぐらいであり、ちょっと背の高いぐらいの男性は既製品では対象外。
男性も家事に参加せよ、と吹き上がるのもいいけど、そもそも機器メーカーが男性の家事参加を考慮していないんだよ。
https://www.lixil.co.jp/lineup/kitchen/hint/system/
http://sumai.panasonic.jp/sumai_create/qa/kitchen008.html
自分自身180cmあるのだが、先日中古物件を買ってリフォームするとき、
担当してくれた建築士さん(女性)が自分の身長を見て、既製品よりキッチンを高くしましょうか、と言ってくれた。
それまでそんなことができるとは思っておらず台所で腰を痛めるのはしかたないとあきらめてたのでこの一言がどんなにうれしかったことか。
見積もりを依頼した他の複数の建築士さん(男性)からはそういう提案は出してくれず、やはりこれも女性の視点なのかと思った次第。
彼女と付き合ってもうすぐ2年、同棲を始めてもうすぐ1年が経つ。
同棲すると結婚が遠のくと言う。この1年、僕はその言葉の意味を身をもって実感した。毎日一緒にいると、彼女の嫌なところ、見たくなかった一面がどうしても目に入った。ひとつひとつは大したことではない。掃除機が出しっぱなしであるとか、観葉植物を買ってきてはすぐ枯らすとか、何にでもチーズを入れたがるとか。しかし、それらのことが積もり積もって、僕は彼女との生活に息苦しさを感じ始めていた。また彼女も、彼女の両親も、それに僕の両親も、僕たちの結婚を期待しているという周囲の状況も、息苦しさの一因だった。やっぱり1人の方が楽だ、結婚なんかしない方がいいんじゃないか、いつしかそんな風に考えるようになっていた。
昨日までは。
最近僕たちはニンテンドー3DSのスマブラを中古で買い、寝る前に少し遊んでいる。彼女はカービィをよく使い、敵を吸い込んでは吐き出すことに喜びを見出しているようだ。
昨日彼女は、キッチンに立って料理を作りながら、おもむろにスプーンを「えいっ、えいっ」と振り出した。「何してるの?」と僕が聞くと、「スターロッドの練習」と彼女は答えた。
スターロッドとはスマブラに出てくるアイテムで、振ると星が飛び出す杖だ。
いい歳をしてスプーンを振り回すその姿と、僕に向けられた子供のような顔を見て、僕は笑った。
もうすぐ付き合って2年の日が来る。その日にプロポーズをしよう。もしかしたら、なぜ結婚しようと思ってくれたのか、と聞かれるかもしれない。
冬は火鍋が食いたい。
しかし店では食えない。
鍋は二人前からがデフォルトになっている店がほとんどだ。一緒に行く友人などいない。
火鍋は高い。1回で一人当たり2500円くらいは見積もっておかねばならない。
まず肉のハナマサに行く。
ハナマサではプライベートブランドの火鍋の素が売っている。セール時に買うと一袋192円だ。
肉は安いのでよい。豚の細切れでもなんでもよい。
野菜も何でもよい。
チンゲン菜、小松菜、白菜、ネギ、店で目についた安い野菜を入れればよい。
もやしを大量に入れてもよい。
つぎにダイソーに行く。
ダイソーには、電子レンジで調理できるラーメンのどんぶりや鍋が売っている。いずれの容器にも調理用のふたがついている。
これを一つか2つ買う。
帰宅後、お湯を沸かす。
流水で洗いながらキッチンばさみで野菜を適当な大きさに切り、どんぶりに放り込む。
続いて肉を入れる。
火鍋の素のパックには500mlの水を入れろと書いてあるが、野菜からかなりお湯が出るので、400mlくらいでよい。
お湯を入れたらどんぶりにふたをして、電子レンジに入れ、5~6分加熱する。
これだけだ。
【追記】
ダイソーのラーメン用電子レンジ調理器を使うのは、深さが鍋物にちょうどいいからだ。
https://matome.naver.jp/odai/2154035522994640101
加熱前の野菜はかさばるから、これくらい深さのある器がちょうどよい。火鍋のタレとお湯を入れて加熱しても吹きこぼれることはない。
余裕があればもう一個器を野菜用に買えばよい。
割と簡単に死にたくなる。
最初に死にたくなったのは親が死ぬのを想像したときで、その次が部活をやめたくなったとき。友達から仲間外れにされるようになったとき、受験が不安だったとき、両親が喧嘩してるのを見たとき、母が死んだとき、受験に失敗したとき、浪人してるとき、卒論が上手くいかないとき。死にたくなった。
みんなで遊んだ帰り道、すごく楽しかった日の夜布団に入ったとき、燃える夕焼けを見たとき、夜中一人でキッチンに立つとき、死にたいな、とふと思い出したように考える。
悲しいとき、死ぬなら劇的に死にたいな、と思う。たとえば交通事故に遭う、通り魔に刺される。小さい頃はよく、家出中にそのまま死んでしまって後から発見されるっていうのを想像していた。
そうでないときは、今この場で消えてしまいたいな、というくらいの気持ちで死にたい。もしくは、寝ている間に死んでしまって、いつまでも起きてこない私を心配した家族が私が死んでいるのを見つける。
私の死をみんなが悲しむ。私がいなくなって初めて、どんなに私が大切な存在だったか、どんなに良い子だったか、気がつく。死んだ私の前で私に生き返ってくれるように望む。目覚めない私を前に泣く。
「死にたい」とGoogleの検索窓に書いてみる。いのちの相談窓口を紹介される。それを無視してYahoo!知恵袋や教えて!gooの書き込みを見る。眺める。読みはしない。
うつ病診断や不安障害診断のチェックリストやテストを受けてみる。重度の結果が出る。病院への診断を勧められるけれど、病院へは行かない。
私はうつ病や不安障害なのかもしれないけれど、病院へ行けばそうではないと言われるかもしれないし、これはただの性格の問題や一時的な気持ちの落ち込みなのかもしれない。あなたは正常ですよと言われるのが怖い。うつ病や不安障害の人は自分を健康だと思っていて、うつ病や不安障害の診断が下されることが怖いらしい。だから私はきっと健康なんだろう。だから病院へは行かない。Googleでもう一度「死にたい」と検索する。
別に死んでしまいたいわけではないし、やりたいこともたくさんあるような気がするから長生きしたい。けれど先のことを考えると不安になってしまうし、失っていく若さのことを考えると未来が怖い。
楽しそうな友達が分からない。理解できない。なぜ彼らは不安なんて何もなさそうに毎日を過ごしていられるのだろう。でもきっと言わないだけで何か抱えているものは誰にでもあるんだろう。それでも私とは見えている世界が違うように感じる。他人のことが分からなくて怖い。
Twitterは見られない。
きっとただ考えることが面倒くさいだけで、ただ明日学校から帰ってきたら何をするかってことしか考えていない小学生時代に戻りたいと思っているだけなんだと思う。それが死にたい気持ちの正体なんだと思う。
本当は明日何がしたいかってことだけ考えていれば毎日は楽しくて十分なのに、考えることに慣れすぎてしまって、多くを望みすぎるようになってしまった。
君は今、ベッドで横になりながらこれを読んでいるな。しかも寝起きとかちょっと横になったとかではなく、6時間とか、下手したら12時間以上、浅い眠りと覚醒を繰り返して、夜も昼も区別のないカーテンの締め切った部屋で、ろくな食事もしないままいるのだろう。喉が渇けばベッド脇に置いたペットボトルの水を飲み、トイレには這って行く。ろくな栄養を取れていないから立ち上がったままで2分と居れず、すぐさまベッドに倒れこむことも珍しくなく、時々出るものもないのに吐く。意味もなく泣く。頭は動かない。
僕はそんな生活をしていた事がある。体重は落ち、頰はこけて、髪は白くなった。けれど、自分が自殺できる人間でないことは分かっていたから、生存する努力をしなければならなかった。
喉が渇いたら無理にでも起き上がって、箱買いしたウイダーを取りに行き、そのままベッドへ戻る。呼吸を整えたら、横になったままウイダーを口に流し込む。一口を数十秒もかけてゆっくり胃に送り込む。そうやって十分ほどかけて飲みきる。すると、さすが消化吸収の早いウイダーだけあって、なんだか少しだけ元気が出てくる。けれどこの元気は20分と持たない。ウイダーのゴミを捨てるためだと自分に言い聞かせながらベッドから出る。そのままキッチンへ行き、春雨を適量を大きめのスープ皿に入れ、鶏ガラスープの素小さじ1、チューブ生姜を少し、胡椒一振り、水を適量入れて電子レンジにぶち込む。待ち時間の間、ベッドに戻りたい強烈な衝動を我慢して電子レンジの前で体育座りして待つ。春雨スープが出来上がる。ウイダーを飲んでちょっと元気になった状態で、目の前には捨てるのも面倒な春雨スープがある。腹のなかに入れるのが一番楽な処理方法だ。椅子に座って、現実を見ないためにパソコンで適当な動画を無感動に眺めながら、1時間ほどかけて冷めた春雨スープを食べきる。ここで栄養補給が終わったかというとそうではない。塩分は摂れたが糖分がまだだ。春雨?たしかにデンプンだけど、あれは消化に時間がかかる。この時点で肉体は、なけなしのエネルギーを春雨の消化に使うため、身体を休めようとする。要するに眠くなる。君もよくやるんだろう?さすがにやばいと思って炭水化物と塩分を摂取するものの、ダイレクトに糖分を摂らないからすぐ眠くなって、寝ている間に炭水化物が消化吸収されそのまま使われてしまって、結局起きても元気が出ないってやつを。そういう事態を避けるために、甘い物を食べないといけない。なので僕はまるごとバナナを食べる事にしていた。強烈な甘味とバナナのカロリーは最適だった。これを数十分かけて食べきる。これで2時間近くかけた食事が終わる。
糖分ブーストもかかって比較的身体が動くようになるので、翌日分のまるごとバナナを近くのスーパーに買いに行ことになる。人の少ない時間を狙ってだが。今思えば、これが外出のきっかけになっていたのかもしれない。数百メートルを歩く程度だが運動にもなり、心なしか食欲も回復していった。この食生活は決して健康的ではなかったが、身体を起こす事さえままならないほど衰弱した状態からは脱することはできた。けれど、僕が社会復帰するのはここからまだまだ先の話。
僕は自殺できない人間だという事は先に述べたが、そんな人間ですら死ぬしかない状態に追い込まれることがあることは理解している。そういう人のことを僕は理解する事は叶わない。僕は運が良かっただけなのだろう。
僕が辛かった時、この世の中のあらゆるものが辛くて苦しく感じたが、その中でも、自称鬱病、自称元鬱病、自称身内が鬱病、自称鬱の専門家(医師免許なし)の人たちが言う、アドバイスや励ましや、鬱で無い人に向けた”鬱の人にはこう接してほしい”的な意見が、とにかく嫌だった。鬱を知らない人からの無自覚な攻撃よりも、鬱を知っている(つもりの)人からの無自覚な攻撃の方が辛かった。「それができないことで苦しんでるんだよ。お前はそれを知っているはずの人間だろう。」とベッドで泣きながら、それでも何かにすがるように、そういうツイートだとかニュース記事やブログ記事を読んでいた。自傷行為だったんだと思う。
僕は、君の身体にナイフを突き立ててまでして、自分より軽いか同程度の鬱の人間だけを助けようと思えるほど、鬱の苦しみを忘れられてはいない。鬱予備軍や、鬱に関わっていくであろう人たちを大勢救うために、少数の重たい鬱の人を切り捨てるような社会性を持っていない。だから、僕は君を励ませないし、アドバイスもできない。やり方が分からない。もし君が数年単位でずっとベッドの上で生きているのなら、君は多分運が悪いんだと思う。君に必要なのは、励ましでもアドバイスでもない。治療だ。病院へ行け。でも分かってる。君は病院へは行けない。だって君は鬱だから。僕もそうだった。
オフィスを借りないとなると、今度はワークスペースを家に構築しなきゃいけなくなる。
自宅というのはとても気が散りやすい。キッチンに行くたびに「あ、洗い物しなきゃ」と思い出させられるし、眠たくなったらちょっと寝ようかなって気分になる。いつまでもサボっていても誰も何も言わない。
会社員は、それらの集中できるスペースを、会社が構築してくれる。そういう部署がある会社もある。もちろん光熱費も払ってくれる。
会社員は終わっている、自分の武器を作ってフリーランスになれとアジっている人が多い
上司も仕事も勝手に決められる会社員より、得意分野に集中できるフリーランスのほうがいいぞ、と彼らは言うが、そんな甘いもんじゃない。
最も大きな嘘はこれだろう。自分の武器を売るから、フリーランスは得意分野に集中できると彼らは言う。
なぜなら、フリーランスは営業も打ち合わせもスケジューリングも経理も自分でやらなきゃいけないからだ。
たとえば、デザイナーのフリーランスだったとして、デザインをやっている時間は2割くらいだろう。
まるでロックスターのようにフリーランスが好きなことだけやっている職業かのように喧伝されるが、むしろ好きなことをやっている時間は大幅に減る。
売上が減ったらクライアントの新規開拓を考えなきゃいけないし、自分で打ち合わせに行ってスケジュールを引かなきゃいけないし、請求書をいちいち発行しなきゃいけない。確定申告もある。忙しい時期でも問い合わせ対応はしなきゃいけない(これが一番つらい)。
会社員なら打ち合わせもスケジューリングもディレクターがやってくれる。売上が減ったら営業してくれるのは営業職だ。請求も経理がやってくれる。どっちが「得意分野に集中できる」かな?
フリーランスは満員電車も会議もなくなるから、生産性が上がるという。はたしてそうかな?
客先常駐なら満員電車に乗らなきゃいけない。常駐じゃなくても、定例会議を組みたいというクライアントはいる(長期プロジェクトなら当然だね)。
そのたびにフリーランスは自腹で交通費を払い、せこせこと会議に出席しなきゃいけない。そして何にも進まないこともある。
オフィスの問題もある。どこかコワーキングスペースを借りていたら、当然そこに通勤しなきゃいけない。朝から行くのなら、当然満員電車だ。
そして、朝よりも夜の満員電車のほうが避けづらい。どっちも避けて通勤できないこともないが、昼頃に行って夜のラッシュを避けて夕方かもっと遅くに帰るとなると、わざわざ借りている理由は?となってくる。
オフィスを借りないとなると、今度はワークスペースを家に構築しなきゃいけなくなる。
自宅というのはとても気が散りやすい。キッチンに行くたびに「あ、洗い物しなきゃ」と思い出させられるし、眠たくなったらちょっと寝ようかなって気分になる。いつまでもサボっていても誰も何も言わない。
会社員は、それらの集中できるスペースを、会社が構築してくれる。そういう部署がある会社もある。もちろん光熱費も払ってくれる。
会社で給与アップするより、フリーランスで収入を増やすほうが早いといわれる。
しかし、これは出費をまったく考えていない。たんに年商がアップして喜ぶのはフリーランスとしてセンスないです。やめたほうがいい。
フリーランスになると保険、年金、税金をすべて自分で払わなきゃいけない。だいたい3倍ぐらいになります。そして、交通費やオフィスの経費などもぜんぶ自分で払います。
売上が増えれば増えるだけ、来年の所得税が上がるので、安易に使うこともできません。つまり、フリーランスは収入が増えるんじゃなくて、一時的に入ってくる金が増えるってだけです。ここを言わないところに、煽り屋のマジックがあるよね。
もっというと、フリーランスの仕事はふわっと始まって、ふわっとなくなります。
1、2回打ち合わせして、「社内で通します」とか言われて、その後連絡なし、なんてことは普通にあります。
問い合わせがあったので行ってみたら、雑談めいたことで終わってその後何もなし、なんてこともざら。その間の時間は無給だし、何なら交通費払っているので赤字です。
個人的に一番つらいのは、継続案件が急になるなること。「来月でいったん終わりで」とか言われて、その後に入るはずの何十万、何百万が急になくなる。
これがざらにあるので継続案件でパンパンな状態でも油断ができない。急になくなることを見越して新規開拓を考えてなきゃいけない。これかなりストレスですよ。予想つかないんだもん。
はい、こっちのほうが最大の嘘かもしれないですね。フリーランスは上司もいないし、誰にも雇われてないんで、自由に振る舞えるとかいうのは嘘も嘘、大嘘です。
フリーランスは誰にも雇われていないんじゃないですよ。むしろ、逆で、いろんな会社から雇われている状態なんです。そして上司も無限大に増えます。
だって、そうでしょう? A社、B社、C社と仕事をしていて、会社ごとに担当者がいるんですよ。
案件が途切れないよう担当者に対していい顔してなきゃいけない。嫌われたら当然、仕事を切られます。会社で、周りに対して反抗的な同僚っていませんか。そういう人でも仕事があって給料がもらえているのは、会社だからです。フリーランスでそんな人がいたら、誰も仕事を発注しません。
そして、フリーランスだとSNSとかで自由に発言できる、というのも嘘。A社、B社、C社に常に気を使ってなきゃいけない。利害関係者に差し障りのあることは言えないです。たとえば、A社の業態、商品に差し障りのあることは何も言えません。言ったら仕事なくなるでしょう(当然ですね)。業務の内容も各社とNDAを結んで、何も話せなくなります。これのどこが自由なんですか。
フリーランスでいっぱい仕事しているほうが、話せることは少ないんですよ。現に煽り屋じゃないフリーランスの人で業務内容べらべら喋ってる人いないでしょ。
そして、個人の名前で仕事をしていて、その個人が炎上でもしようものなら仕事は一斉になくなります。デジタルタトゥーがついて、その後の仕事にも影響あります。これが一番怖いところ。会社なら個人の名前出ないし、守ってくれるよ(そうじゃないところもあるけど)。
誰もこんなこと書かないよね。かっこ悪いもん。でも、これが真実なのですよ。
聞いてください。夜22時以降は飯を食うべからずと言われて育ったんですよ。でもとはいえ夜中お腹すくじゃん?でも夜中に何か食べたって両親にばれたら超怒られるじゃん?キッチンは両親の寝室の隣だから大きい音立てたらすぐばれるじゃん?
それで袋麺のうどんがあったからそれを食べようと思って、そのままかじったんですよ。
しょうがないから台所からどんぶりと箸とめんつゆを拝借してすすったんですけど、それでも超まずいんですよ。多少マシにはなりましたが、本当全然美味しくないの。美味しくない小麦粉の味しかしないの。米の銘柄が変わっても全然違いが分からないし舌がバカな自負があったけれどそれをも凌駕するまずさなの。本当美味しくないの。美味しくない食べ物を食べるのって本当に苦痛なの。でも残すわけにはいかないしすごく頑張って食べた。本当に美味しくなかった。お湯にさらすとか、卵からめるとかしたら多少マシになったのかもしれない。せめて水洗いすればよかったかも。後の祭りですが。