「誰か」と親しくなる、ということは「他の見知らぬ誰か」と疎遠になる(距離が生まれる)と
いうことでもある。
SNSの普及によって「明確な味方」が少しだけ増えるかわりに、無関心層を含め「潜在的な敵」が
大量に存在しているのだ、という「現実」にイヤでも気付かされてしまう。
そして、「少数の味方」と共に、そのような思い通りにならない「現実」に繰り返し対面し続ければ、
「自分が住む世界(家庭でも会社でも国家でも)」に対しての敵対心や憎悪、絶望感が増すのは当然といえる。
ぼんやりとして焦点の定まらない、焦点が定まらないからこその「ゆるい現実認識」=「ぬるま湯の楽園」から
永久に追放され、常に『敵か味方か』のシャープに研ぎ澄まされた自意識で世界を分断、整理整頓、断捨離してしまう。
Permalink | 記事への反応(1) | 10:51
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敵か味方を判断したら、同じことを言わせても敵は徹底バッシング、味方は徹底肯定するからダブスタっていわれるのよな。